広報誌『CIL豊中通信』Vol.24


も く じ





印刷版の表紙
1. 特集:人工呼吸器を使っての地域生活
2. 2007年度第1回ILP講座終了報告
3. 2007年度第1回市民講座報告
4. 2007年度クリスマスパーティー
5. 今こそ変えよう「自立支援法」10、30全国大フォーラム報告
6. 学生無年金障害者訴訟 『結審』
7. 地域の作業所の活動を紹介します -工房モコ-
8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 第13回
9. 入院したときの介護はどうなる
10. はじまります!!“つながるサロン”開催
広報誌編集部
事務局
事務局
事務局
事務局
事務局
広報誌編集部
広報誌編集部
事務局
事務局
 みなさんからの、投稿コーナー

11. 短歌
12. 帰ろかな  
13. きょうだい  
14. きっと、いつか  
15. カジ論 Part.8  
16. ぼくの日曜日(最終回)
17. 哲珍の部屋
18. どんぐりのひとりごと
19. 介護人‘K’の「何でやね〜ん」
岩國久美子
北摂の兄貴
いのま ゆみ
いのま ゆみ
カジ
海帰優人
哲珍
どんぐり
介護人‘K’
20. さろんだより
21. CIL豊中近況/お知らせ
22. サービスのご案内
23. 編集後記
事務局
事務局
事務局
上田哲郎

1. 特集:人工呼吸器を使っての地域生活

広報誌編集部

 今回の特集では、筋ジストロフィーなどで、自然呼吸ができず、人工呼吸器を使って生活をして地域生活をしている人を取り上げました。この記事の取材をするにあたって、医療関係者、在宅生活をしている当事者、それに介護をしているヘルパーに、それぞれお話をうかがいました。

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医療関係者のお話 −藤田拓司先生−
 大阪市淀川区にある、大阪北ホームケアクリニックの藤田拓司先生が、協力して下さいました。在宅医療を率先して医療活動されています。

○呼吸器を使っている人はどれくらいいますか。
 全国の人工呼吸器使用者は約9000人おられ、気管切開をして装着している人は、約1100人だといわれています。但し、生活保護を受給している人は含まれていないこともあり、実数は把握されていません。気管切開型の呼吸器を使う方は年々増加しており、理由は、病院が地域に患者を送り出しているからだと思われます。この事はずっと病院に居るのではなく、「一定期間が過ぎたら在宅に戻せ」という国の力が働いたと言えます。

○人工呼吸器全般の歴史と種類
 最初に造られたのは1860年代ですが、実際に使われ出したのは1920年代後半だと言われています。昔は「鉄の肺」と呼ばれていました。「鉄の肺」は陰圧式(周りから肺を拡げて空気を取り込む方式)で自然呼吸に近いものです。現在では在宅向けの陰圧式人工呼吸器もあるのですが、コスト的に高く、在宅ではほとんど使われていません。在宅型呼吸器に多いのは陽圧式で、気管切開型と鼻マスク型があります。食べ物をうまく飲み込めない人や、より重度な人には、気管切開型が適応となります。 

○呼吸器の進歩とコスト
 最近、呼吸器は小型化や軽量化に関しては劇的な変化はありません。在宅で過ごすためには呼吸器とバッテリー、吸引器が最低限必要です。特に外出時はこの3つの機械が乗る車いすが必要で、ほとんどがストレッチャー式の車いすになります。また外出時には、吸引などの問題があり、介護者は2人必要と考えています。今課題になっていることは、バッテリーをいかに長時間使えるものを開発するか、です。呼吸器はレンタルの形が多く、クリニックで借りて、それを患者に貸す形になっています。これは、医療保険の対象になるので、本人や家族の経済的負担はほとんどありません。

○今の状況をどう思いますか?
 呼吸器使用者が地域で暮らすことが多くなった原因は、病院のベッドの空きが無いという事と、入院をして治療費が多くかかるよりは、地域でヘルパーや訪問看護師などの社会資源を使う方が医療費の抑制に繋がるという事があるからです。在宅で呼吸器を使って生活することで、どのくらい医療が関わるのかを考えてみると、生活全体の5%以下にとどまっています。以前は在宅生活するという選択肢がなく「病院で」があたりまえでしたが、現在では「病院で」という選択肢が無く、「家で」があたりまえになりつつあります。呼吸器の管理を診療所が行うメリットは、ないそうです。呼吸器は必ず予備が必要となり、2つ管理するとなるとコストがかかりすぎるのです。この部分を公費でまかなってもらわないと、診療所ではやっていけないそうです。今の状況は地域移行できる状態ではない。家族が頑張って維持していると思います。医者や訪問看護師、ヘルパーが入っても、家族が介護から解放される時間は2割ぐらいです。あとの8割は家族が介護をしています。

○当事者や家族から聞く声はどうですか?
 良かったという人も居ますし、もうしんどいという人も居ます。実は、自ら呼吸器を選択される人はごくわずかです。病気や事故で呼吸が困難になり、意識を失った状態でつけられてしまっていた、という人が多いのです。進行性難病の人などは事前に相談することが多く、その際は、「呼吸器を使うことは時間を買うことだよ」という考え方を、本人に伝えています。例えば「呼吸器を使って5年間の命が買えたとしたら、その5年間であなたは何をしますか?」といった具合です。また、気管切開・人工呼吸管理をしても、呼吸が完全に楽になる分けではなく、「胸が動かない」とか「痰が出ない」などの症状から、『呼吸苦』が改善されないこともあります。それを乗り越える気持ちがある人には、気管切開を勧めているということです。

 
藤田拓司先生。患者の生活の質向上に向けて、
在宅への移行に積極的に取り組んでいます。

○連携してもハッピーにはならない
 連携したら何でもいいというのは間違いである、と言われていました。コストがかなりかかるし、自分の知らない人(他の医療機関の医師や訪問看護師、ヘルパー)に患者をお願いするという事は、ストレスを感じます。どの程度の腕を持つ医師・看護師なのかが分からないし、どこまで任せていいかも不安だといいます。一つの組織に医者がいて、看護師がいて、ヘルパーがいるという形だったら、患者も楽で家族も楽です。でもこれをすると、診療所はたちまち赤字になってしまうのです。豊中や吹田は、在宅が比較的多い地域です。全国平均を超えています。これはヘルパーが吸引の介護をしてくれるようになったことも、理由の一つと考えています。藤田先生が診療している他の地域では、吸引をしてくれるヘルパーは少ないという事です。吸引の指導は藤田先生自身がしています。これはボランティアですから、訪問看護師に任せるのは申し訳ないとのことでした。実際に吸引を行っているヘルパーの単価は安く、特別な手技を覚えたからといって、給料(時給)があがらないことも問題で、吸引介護の特別な報酬体系を作っていく必要がある、と言われていました。
  
○120万人の地域に1つの診療所があればOK
 診療所の医師は、地域に呼吸器が必要な患者が帰ってくることには、あまり関心を持ちません。最初から診る気がない医師が多いからです。120万人の地域の中で10人(診療報酬上の調査。実数は6倍程度になる可能性あり)くらいの割合ですから、熱心な診療所が1箇所あれば十分なのです。それより、病院の医師が「呼吸器を使っていたら家に帰れないよ」と言う方が大きな問題です。在宅医は家族には勝てません。家族は医療のプロではないが、患者に対するプロになります。24時間家族が診ていて、そのうち30分程度を医療機関が診ても、勝てるわけがないのです。

○家族を休ませてあげたい
 今はほとんどの介護を家族がやっている現状があります。また何らかの理由で入院した場合でも、医師が家族に休んでくださいと言っても、入院した病院で家族が付き添ってしまうことが多いのです。最近でも、レスパイトケア(家族の休息のために行う入院)が行える病院は珍しいといえます。大阪北部では、まだ数ヶ所しかないとの事です。家で至れり尽くせりの介護を受けていて、病院に来ると放ったらかしの状態を見せられてしまう、これは家族にとってたまらないことなのです。病院内で、家と同じような状況での看護体制を作ることは不可能です。今、藤田先生たちがつくっている施設では、昔の看護基準で言うところの、マンツーマン看護を行おうとしています。ただこれをすると、コスト(主に人件費)がかかり、赤字になることは間違いありません。家と同じような体制を作ろうとしている医療機関に対して、報酬を出していく政策を作っていかないといけません。今のままでは家族が倒れると、それで在宅生活は終わってしまうことになりかねません。

○呼吸器を付けている人に24時間ヘルパーをつければ1000億
 行政は「お金がないから」と、予算を削ろうとしています。これはおかしな話で、呼吸器を付けている人に24時間ヘルパーを付ければ、1人当たり年間1200万円程度かかります。1000人であれば120億円、6000人であっても720億円のお金が必要です。このお金は大きいように思われますが、税金の無駄遣いを無くす事で、解決することは可能です。「今の制度は中途半端で必要なところにお金を使っていないし、税金は高いけど自分たちに返ってこないという思いがする」藤田先生は、最後にこう仰っていました。
(担当:大友)

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「呼吸器を使ったら元気になったよ」 −当事者:上根正万さん−

 ここからは、当事者の方への取材です。協力して下さったのは、豊中市内で進行性難病である『筋ジストロフィー』と闘いながら、24時間介護者が付いて自立生活をされている、上根正万さんです。過去に『上虎』の名前で何度か登場したことがありますが、今回、改めて取材をさせていただきました。

◆奈良から豊中に
 上根さんは、もともと奈良に住んでいましたが、大阪大学に入学するために、1999年4月、母親と2人で豊中に引っ越してきました。当時は現在ほど障害が重度ではなく、電動車いすを運転し、呼吸器も一切使用していませんでしたが、進行性のため、いずれは呼吸器が必要になることは、十分に予想されていました。介護も24時間は必要なかったので、一部ヘルパーを利用していた以外は、ほとんど母親が介護をしていたのですが、もともと母親は体が弱く、上根さんの大学生活後半になって、徐々に体調を崩しがちになっていきました。

◆「ついに来たか・・・・」医師からの宣告
 卒業を目前に控えた2002年12月頃、体がしんどいと感じて病院に行った上根さんは、検査の結果、「呼吸器を使わなくてはならない」と医師から宣告されました。「ついに来たか。でも、もうちょっと大丈夫だと思ってたけどなぁ」というのが、率直な感想だったそうです。最初は付けたり外したりしながら、鼻マスク式の呼吸器の使用を始めました。上根さんは、「思えば自分は、小学生の頃までは歩いていたのが、転んでばかりになって危ないというので、車いす生活になった。どんどん障害が進行していくのは昔から分かっていたのだから、呼吸器を使うこともすぐに受容出来た」と、淡々と語っていました。

◆母親にムリはさせられない
 大学卒業直後の2003年4月、上根さんは豊中で自立生活をスタートさせました。だんだん体がしんどくなっていく母親に、「これ以上ムリはさせられない」という思いからの自立でした。最初は家族からも、「大丈夫か?」と言われましたが、実情はよく分かっているだけに猛反発はされず、「やってみなさい」となりました。入学当時は、卒業後は奈良に帰る計画でいた上根さんですが、4年間の豊中での生活の中で、豊中の障害者団体との人間関係も深まり、その延長の生活をこれからも送りたい、という思いが強くなりました。加えて奈良は制度面でも不安があるということで、一から介護体制を築いて自立をするのは、かなりのリスクでした。そうしたことから、自立は豊中ですることが決定し、家探しも家族が協力してくれました。

 
上根正万さんと人工呼吸器。ベッドの上にはパソコンが
固定されており、日々ネット活動に励んでいます。

◆今のほうが楽だよ
 2006年の春、上根さんは気管切開の手術をしました。障害が進行して、えん下機能(飲み込む機能)が低下し、それまでの鼻マスク式呼吸器では危なくなってきたのです。鼻マスク式では、使っている人が息を吸おうとした動きに反応して、機械から空気が、言わば強制的に送り込まれてきます。これは逆に言うと、使っている人からのサインがないと、機械が動かないということで、あるとき上根さんは、唾をうまく飲み込めなくて、呼吸が止まった状態になりました。呼吸器は作動しません。何とか自力でつばを飲み込んで難を逃れたものの、一歩間違えば悲劇になるところでした。一方で気管切開をした場合は、呼吸は気道と呼吸器との間で自動的に行われます。『勇気の要る決断だった』という手術をした後は、鼻の周りもマスクがなくなりってすっきりしました。鼻マスク式では、位置がずれて空気漏れも起こるということで、その点でも「今のほうが楽だよ」と、笑顔で話していました。


◆問題もある

 気管切開をして快適になった上根さんですが、「大きく2つの問題がある」と言います。一つは合併症で、これについては予防の手術を沖縄で受け、本誌Vol.19で、その体験記を書いてくれました。そしてもう一つは、切開した箇所の穴が広がることです。長い年数が経つと、切開した穴が広がってきて、空気漏れが起こるのです。これを解決するには、気道内で風船を膨らませて、気管壁にかかる圧(カフ圧と呼ばれる)を調節すれば良いのですが、そうすると声を出せなくなるということで、上根さんにとっては、深刻な問題です。

◆一言で言えば「良かったな」
 自立して丸5年が経ちますが、今の心境は、「一言で言えば良かったな」。家族で暮らしていた時は、介護を頼むにも、親がしんどそうだと気が引ける思いでしたが、お金を払って頼むヘルパーにだったら、遠慮がいらないし、やりたいようにやれる自由もあります。パソコンが大の得意で、また阪神タイガースの大ファンでもある上根さんは、現在『上虎ブログ』というブログを立ち上げ、自らの体験やいろいろな思いを、動画や画像とともに発信しています。このブログについては、一度新聞にも掲載されて反響を呼びました。「また別の新聞社から取材依頼が来ている」ということで、上根さんは「受けようと思っている」と話していました。

◆「体を楽にしてくれる機械」
 上根さんは呼吸器について、「自分の体を楽にしてくれる機械。つけることで元気になり、いろいろ行動出来るようになる」と、明るい表情で語っていました。世間ではマイナスのイメージが強い呼吸器ですが、ぜひプラスに見て欲しいというのが、上根さんの思いです。地域での生活についても、「条件さえ整えば、病院から出ても大丈夫。何も危ないばっかりではない」と、バックアップする言葉が出てきました。病院にいるとその間リハビリが出来ず、かえって状態が悪くなる場合もあるとか。それでも入院する機会が多くなるのは事実で、その際、制度が使えないのが非常に困ると訴えていました。「自立に興味がある」というメールも来るそうですが、「条件は何とか整えることができる」と力強く一言。最後はエールで締めくくってくれました。
(担当:根箭)

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介護者のお話 −川井田將基さん−

 川井田さんは西宮市のメインストリーム協会でアテンダント(ヘルパー)として活動をし、呼吸器をつけてる方の泊まり介護などもされています。

○初めはとまどった。
 自分が担当する当事者が呼吸器を使うとは思っていなかったとのことです。
身近で見るのはまったく初めてだったそうで、相当違和感を感じ、もしこれが停止してしまったらどうすればよいのか、と恐怖感もあったそうです。
 機械の説明書や、インターネットなどで、どういう機械かをいろいろ調べても、分からない事は多かったが、「こんな機械なんだ」というイメージをおぼろげに掴んだそうです。
 また、泊まり介助時に、脈拍数と血中酸素を表示する機械のアラームが頻繁に鳴ると聞いていたので、呼吸器よりもそちらの方での体力的な疲労を予想していたとの事ですが、実際はそうでもなかったそうです。
 2人目の当事者は本格的に呼吸器を使う人だったので、覚えるまでかなり気をつかったそうです。呼吸器のマスクや周辺機器のセッティングを細かく指示する人で、指示も明確なので仕事がしやすい反面、どうすれば希望通りできるのかを覚えるまで時間がかかったとの事でした。

○時間は厳守すること。
 呼吸器を使っている人のところに介助に行く場合、特に時間に遅れる事がないように気をつけてるそうです。それは、自分が遅れた場合、前の人が「自分の担当はこの時間までだからさよなら」と帰る事はないとは思うが、手違いで介助者が不在の時間ができる事を考えると怖いようです。
 到着時には簡易式の人工呼吸器(手動)がどこにあるか確認し、いつでも手洗い・うがいをし、ある時期からはマスクも携帯するようになったとの事です。
 また、別の当事者が呼吸器を導入する際、入院している病院での準備期間が非常に長く、病院側は「研修」と称して、在宅生活にそなえての練習だと言うが、それは日常生活に合わせたものではなく、当事者、関係者にかなりの負担があり、呼吸器導入の障害のひとつになって、適切な導入時期を逃すのではと考えておられました。

○慣れは大切、でも油断は禁物。
 今では、「本体のアラームもあるし手動の呼吸器もあるから何とかなるだろう」と思っているが、日常生活の介助で、危険を避ける技術がついたわけではなく、独特の緊張感を持続しているとの事です。

○及び腰のヘルパーに対して。
 呼吸器に接して1年半経ちますが、当事者が呼吸器のことを良く知っているので、すごく助かっています。そうでないと今だに「及び腰」だったでしょう。自分が担当している当事者に関しては、介助者が呼吸器本体を操作することはなく、周辺機器の取り扱いについても、当事者の指示があるので、特に意識せず介助ができるとおっしゃっていました。

○当事者などから寄せられる声・・・。
 自分が担当している当事者が、ネットワークを作り、呼吸器で一人暮らしの当事者をサポートをしたいと言っているが、それは、医療・リハビリテーション等の既存の分野に入らない、独自の新しいネットワークだということです。興味があるので、今後も注目したいとおっしゃっていました。

○川井田さんは業者との関係について次のようなことを言われてました。
 川井田さんは、当事者の生活の安定のために、医師・当事者・介助者と、もう一つ、呼吸器の業者との関係が重要ではないか、と考えておられました。
 業者は機器のトラブルなど、緊急時の対応以外にも、さまざまな情報の源としても日頃から関係を作っておくのが良いようです。当事者自身が呼吸器についてよく知っている状態が望ましいが、利用者の身体状況に合わせた呼吸器の使用法について相談する相手は、近くの医師では無理な場合が多く、専門医に相談するとしても、医療重視のアドバイスが先行する傾向が強いだろうとの事です。また、業者は、呼吸器本体以外にも、周辺機器の情報も持っていて、それらをいかに活用するかが重要だという事です。
(担当:大友)

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 今回の特集で、自分たちが知らなかった呼吸器のこと、当事者のこと、介助のあり方などを認識しました。これは、同じ地域に住む者として、また、相談支援事業に関わる者として不可欠な物だと感じました。
 「人工呼吸器をつけての生活」をテーマにして、市民講座を3月20日(祝)に豊中市立障害福祉センターひまわりで行うことになっております。
 この講座には、この特集で取材をさせて頂いた、大阪北ホームケアクリニックの藤田拓司先生とメインストリーム協会の藤原勝也さん(呼吸器使用者)に来て頂き、お話して頂くことになっております。
 ぜひ、この市民講座にお越し頂きたいと思います。

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2. 2007年度第1回ILP講座終了報告

事務局

 前号には「街に泊まってショッピングぅ」という題名で掲載した今年度一回目の自立生活プログラム講座。前号の段階ではまだすべてのプログラムは終了しておらず経過途中でしたので、その後の事を報告させて頂きます。

 前号の時点では2名の受講生のうち1名の方がフィールドトリップ(講義ではなく実際に外に出て経験しながら学ぶこと)を終えていたところまでお伝えしました。もう一方は、10月、11月とフィールドトリップをする日程の調整は行なったものの、介助の段取りや体調の善し悪し等が重なったことにより、今講座ではフィールドトリップは行わないという判断をされました。
 12月6日、このプログラム最後の日、支援センターで振り返りとパーティーを行いました。お菓子を片手に5日間で何が良かったのか何を感じたのか等、終始笑みを絶やさず、それでいて真剣に感想を述べていました。
 
二人の感想はつぎの通りです。

・新しい店をたくさん見つけれて、買い物ができて良かった。
・介助者に指示を出して、晩ご飯にチャーハン、朝ご飯に目玉焼きが作れてよかった。新しい発見ができた。
・講座を通して 今の環境よりもっと自由になりたい気持ちが増して、一人暮らしがしたいと思うようになった。
・今回はすべての行程に参加できなかったけれど、色々な話が聞けて良い刺激 になったし、またこういった講座があれば積極的に参加したいと思えるようになった。


 今回は前回の講座同様、施設に入所されている方を対象にさせてもらいました。今回の講座で新しい発見ができた・良い刺激になったといった前向きな感想は、二人にとって今後の地域での自立した生活に向けて一歩前進したと思います。
 今後も二人の要望があれば地域での自立に向けた支援をしていきたいですし、二人の希望に添えるような支援方法を見出していきたいです。
(上田)

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3. 2007年度第1回市民講座報告
〜テーマ:高次脳機能障害について〜

事務局

 2007年11月10日(土)、今年度第一回市民講座を、蛍池ルシオーレホールにて開催いたしました。テーマは、『高次脳機能障害について』でした。講師をして下さったのは、大阪府障害者自立相談支援センター 身体障害者支援課の久保博康さんと、当事者の家族で、NPO法人大阪脳損傷者サポートセンターの石橋佳世子さんです。当日は、約40名の参加者が来られました。

★高次脳機能障害とは?まず『高次脳』って何?
 高次脳というのは、脳の中の、記憶・注意・感情コントロールといった、人間としての高度な働き・活動を司る部分です。この部分が、脳炎などの病気や交通事故などのケガにより、大きな損傷を受けて正常に機能しなくなるのが、高次脳機能障害です。この障害になると、「さっき何を食べたか」とか、「何を聞いたか」、「何を言ったか」といった日常の記憶が出来なくなるほか、感情をコントロールしたり、周囲に注意を払ったりすることが難しくなります。さらに、損傷した脳の部位によっては、失認(目には見えているが、それを頭で認識出来ない)や失語、半側空間無視(おもに視界の左半分において、目の前の状況を正確に認識出来ない)といった症状も見られるということです。


久保博康さん

★目には見えない障害
 最初に講演した久保博康さんは、この障害を『目には見えない障害』と表現しました。外見上は健常者と全く変わりがなく、会話もふつうに出来ます。しかしコミュニケーションをする中で、「何回同じことを言ってもすぐに忘れる。おかしい。」ということになるのです。それが『高次脳機能障害』であるということに、最初はなかなか気付いてはもらえません。というのも、そういう障害が存在していること自体が、まだまだ世の中で知られておらず、それだけに、理解をされにくいのです。身体的に何ら障害がないということもあって、障害者手帳も発行されていません。そういう意味では、『制度の狭間に置かれた障害』でもあります。まずは『知ってもらう』ことが大事、と久保さんは語られました。

★家族・職場の理解が不可欠
 「もともとふつうに生活して、働いたりしていた人が、あるとき突然、高次脳機能障害者になって、以前と全然違う人になった。」このことで職場や、特に家族の戸惑いというのは大きいものがあります。しかも、本人自身が自分の障害を認識できない場合が、実は少なくありません。それが本人と、家族など、周囲との摩擦やギャップを、一層大きくさせる結果となっています。
 久保さんは、「大阪府としては、この障害の理解が地域により浸透し、相談支援センターなど、社会資源の充実と、地域間のネットワーク構築のために、出来ることをしていきたい」と、今後の目標を話しておられました。
 
★夫は33歳で高次脳機能障害に
 2人目の講師である石橋佳世子さんは、ご自身の夫の体験を語られました。石橋さんの夫は、仕事で大活躍していた33歳のとき、ヘルペス脳炎に冒されました。最初は風邪かな?と思っていたのが、突然、意識不明の重体に陥り、病名も、脊髄を検査したりする中で明らかになったということです。1週間ほど意識が無かったのち、一命は取り留めましたが、重度の記憶障害が残り、今自分がいる場所も、時々分からなくなる(地誌的障害といいます)ようになりました。


石橋佳世子さん


 
★ありとあらゆることを試す
 記憶を失った夫が、新たに日常生活を送れるようにするために、石橋さんはありとあらゆることを試しました。毎日が手探りの連続でしたが、物という物全てにラベルを貼る、どんな細かいこともメモ書きしてもらう、一日の行動パターンを極力シンプルにさせる、などの工夫をした結果、本人なりの生活サイクルが、確立されるようになりました。そして、元々勤めていた会社は退職になったものの、障害者職業センターなどの協力も得ながら、派遣社員として、軽作業の仕事に就くことができました。

★家族の支援もしながら、輪を広めて・・・・
 現在、石橋さんはNPO法人大阪脳損傷者サポートセンターで、同じ障害を持つ人の家族の相談に乗っています。最近、ようやくマスコミでも取り上げられるようになってきた高次脳機能障害ですが、この先、支援の輪が一層広がることを期待したいと思います。
(担当:根箭)

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4. 2007年度クリスマスパーティー

事務局

 毎年恒例のクリスマスパーティー。今年も12月16日の日曜日、豊中市立障害福祉センターひまわりの体育室で行われました。
 朝早くからスタッフによる準備が行われ、食事コーナーのセッティングや、出演者さん達によるリハーサルが念入りに行われました。そして、お昼を過ぎたあたりから、会場にはたくさんの参加者が。持ってきたプレゼントを受け付けに預けると、手作りホットドックや、ケーキ、お菓子の詰め合わせといった、今年の食事を楽しみながら、開演を待ちます。

 今年の司会者は、車いすの坊主トナカイ「かじかじ」と、かわいい女の子の白トナカイ「おぐおぐ」です。元気なかけ声で、みんなの注目を集めます。
 今年一発目のライブは、「ラムネsp(スペシャル)」さんです。このバンドは、10年前のクリスマスパーティーにも出演したことのある由緒あるバンドで、「ラムネ」というギター2人によるバンドに、ボーカルの女性を加え、sp(スペシャル)と称して今回参加してもらったとの事です。静かなクリスマスソングに始まって、明るいアニメソングや、オリジナルソングで会場を盛り上げてくれました。
 お次は「星のオジさま」です。大きなけん玉を使った曲芸、そしてマジックバルーン。これは長細い風船を使って、かわいい動物や、キャラクターなどを作っていく芸です。次々と生み出されるキャラクター達。プレゼントされた人も、周りで見ていた参加者も、みんな驚きの声をあげました。

ラムネsp(スペシャル)、ええ声でしたなぁ〜 マジックバルーンに注目する、みなさんです。


 さて、続きましては、これも毎年恒例となりましたビンゴゲームです。今年の司会者は、あの有名なドラマ「HERO」から抜け出した雨宮舞子と、何やら自分は「HERO」の久利生公平だと言い張っているおじさんです。

 「白雪姫」が当たった人に景品を渡していきました。去年よりも景品が増えたこともあって、多くの参加者にビンゴがでた事だと思います。そして、やっぱりこのバンド無しではクリスマスパーティーは終われない。パジャマキッズさんの登場です。
 阪神タイガースの格好をした人、ガチャピンの格好をした人、賑やかなメンバーが期待以上に会場を盛り上げてくれました。
 参加者やスタッフ達も、どこから現れたかレンジャーや変態仮面、マヨネーズといったゆかいな仲間達も一緒になって踊ります。みんな本当に楽しそうでした。
 余韻を残してエンディング・・・かと思いきや、どこからともなく聞いたことのあるミュージックが・・?今年テレビでよく見たあの人、「ビリー隊長」の登場です。ちょっと変わった格好のメンバーを引き連れて踊っています。少し寒かったような気もしないでもないですが、いつのまにか紛れ込んだサンタクロースにマイクを渡すと、サンタクロースまでもがボケをかます始末。
 とにかく早くプレゼントを配らんかい〜っという流れで、サンタクロース、白雪姫、サンタレディー達が、みんなの所へ出向いてプレゼントを配ってまわりました。

ビンゴゲームのボードを持つ、ボランティアの方。 最後の方は大盛り上がり。いろんなキャラクター達が
入り乱れて踊っています。


 手伝ってくださったスタッフのみなさん、そして、食材を提供して下さったみなさん、出演者さん、音響さん、ボランティアのみなさん、どうもありがとうございました。次回も大いに盛り上がりましょう!
(加田)

こちらのページでも、クリスマスパーティーのようすは詳しくご覧になれます。 

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5. 私たち抜きに私たちのことを決めないで
今こそ変えよう「自立支援法」10、30全国大フォーラム報告

事務局

 障害者自立支援法が始まって2年が経とうとしている今日、私たちの暮らしは良くなっているでしょうか。この法律ができる以前から問題視されてきた事が、実際に色々な形で私たちの生活に困り事をもたらし、私たちの地域での生活は向上するどころか、生活がしにくい状況になっていってます。
 このような苦しい状況を国会議員や厚生労働省に訴えるために、昨年の10月、東京の日比谷野外音楽堂と厚生労働省前で、全国の障害者や関係者が集結して行われた全国大フォーラムと国会議員要請行動に参加してきました。

全国大フォーラム

 10月30日の大フォーラムでは、全国から6,500人もの人が参加し、実態報告、政党アピール・シンポジウム、厚生労働省への要望書提出が行われました。
 実態報告では、各地域からの代表者がコミュニケーション支援、移動支援、精神障害者、医療、子ども、知的障害者といった分野ごとに、生活上で困っている現状を話されていました。その中で市町村に権限が移行した地域生活支援事業や移動支援、手話・要約筆記等のコミュニケーション支援、相談支援事業、地域活動支援センターでは大きな地域格差が生まれている事を訴えてました。
 政党アピールとシンポジウムでは、自由民主党・公明党・民主党・日本共産党・社会民主党・日本新党の各議員が出席され、各党として自立支援法についてどう思っているのか、これからどうしていくのかを述べられました。
 自由民主党・公明党→与党と言うことで自立支援法の利点について、就労支援の抜本的改革に取り組んでいること・国の責任を明確・市町村障害福祉計画の義務化・3障害一体などをまず取り上げていました。その上で自立支援法による応益負担(1割負担)については苦渋の決断としながらも定着化や住宅手当の強化など法律を補足する政策を打ち出していきたいと述べられていましたが、障害者への対策として財源が毎年1O%ずつ伸びている現状を強調したため、会場からの反感をかっていた一面もありました。
 民主党→参議院における議席数が自民党を上回っていることで、応益負担の禁止を提唱していると発言され、所得確保や障害区分認定の必要性・介護保険との統合の動きに疑問を投げかける場面など、具体的な提言が多く見られました。
 日本共産党→応益負担を問題視しており、独自のアンケートを実施していることから、障害者を取り巻く生活の把握に務めている姿勢が伺えました。9割にも及ぶ応益負担反対の声に、早期に法律の抜本的改善をする必要性は述べていたものの、具体的な取り組みや支援についての見解は、みられませんでした。
 社会民主党→自立支援法を悪法とし、もとが悪いので直しても仕方がないという発言があり。3年後の改革では遅いとの見解を持ち、自立支援法への批判が発言のほとんどをしめていました。 
 各党の厚生労働担当者は、自立支援法には問題が多く、新しい対策を行う事が必要であると感じていました。

国会議員要請行動

 翌日10月31日は9時半から、障害者自立支援法がもたらしている実態と問題点をすべての国会議員に知ってもらうための要請行動が行われました。まず最初に打ち合せがあり、そこで4人から6人の班が組まれ、各班20人前後の議員を面会することになりました。
実際の議員の対応については、ほとんどが秘書・事務員対応で、中には最初から面会を拒否する与党の議員がいた中、近年できた野党の、ある議員は会議室を押さえ、丁寧に話し合いに応じてくれました。
 4時間がかりで、何とか20人の面会を終えた後、全体の要請行動の報告会が行われました。その中で前回の国会議員要請行動と比べ、当事者が問題意識を持ち活動しているという実態を、国会議員が少しは把握してきているという感想があがっていました。

 今回の行動を通じて、障害当事者や関係者が一丸となって行政や議員に実態や問題点を常に訴える事の必要性を、国会議員の対応や要請行動の報告会での国会議員が少しは把握してきているという感想を聞いた事によって改めて認識する事ができました。「私たち抜きに私たちのことを決めないで」を心に秘めて。これからも頑張っていきましょう。
(上田)

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6. 学生無年金障害者訴訟 『結審』

事務局

 2008年1月16日(水)14:00より、学生無年金障害者訴訟、大阪高裁の結審が行われました。2006年1月20日に、地裁にて不当判決が下されて以来、ちょうど2年、原告団にとっては長かった月日が流れ、いよいよ判決の一歩手前までやってきました。今回も、傍聴席はほぼ満席となりました。

【2人の原告からの、最後の訴え】
原告一人目: 前回裁判の時は入院しており、今日も何とか来れました。私は23歳で受傷(障害を負う事)し、それ以降、同年代市民と同じように暮らしたい一心で、約2年間の病院事務勤めののち、自営業で塾の講師をしてきました。それでも年金がもらえないために、生活保護並みの生活から脱することは、今も出来ていません。体力の限界と生徒数の減少から、来年には塾も閉鎖せざるを得なくなり、また、働き始めてからは、ずっと国民年金を納めてきましたが、体にハンディがあり、少ない収入の中から満額を払い続けるのは、大変なものでした。3年前から特別障害給付金制度が始まりましたが、給付金を受けることで、経過的福祉手当が失権してしまうため、申請を断念しました。こうした不可解な制約の解消を含め、年金の問題は、年金制度の枠内で解決されることを求めます。現在私は、ストレスを少しでも癒せるからと、楽器を習っています。そのレッスン代を払うために、車を売り、テレビも見ない生活にした事を、最後に付け加えておきます。

原告二人目: 裁判の間、国側は一貫して、木で鼻をくくったような、迷惑そうな態度で、裁判長から促されても、反論も質問もしませんでした。私は20歳になって以降、受傷する前に、国民年金に加入しようとした事がありました。しかし役所の窓口で、「支払い能力がないのに、なぜ加入するのか?」と言われ、事実上、加入を『拒否』されたのです。それなのに受傷した後で年金を受給しようとすると、「任意加入をしていなかったのだから、支給されないよ」と言われました。これまでに何十回も言ってきましたが、こんな矛盾ってありますか?役所の窓口で、公然と間違いがなされていたのです。もし窓口での過ちの責任は問われないというのなら、それこそ、言いっぱなしの無責任が許される社会ということになります。そして私の場合、1975年4月に行われた、障害認定日に関する制度の変更のあおりも受けています。実は1975年3月までは、障害認定日は受傷後約1年半後となっていたため、この間に国民年金に加入すれば、障害基礎年金をもらえていたのです。それが4月以降は、受傷日が認定日となり、受傷した時点で年金に加入していなければ無年金、となりました。私は75年に受傷し、4月以降であったため、この制度の変更に泣かされる結果となりました。そしてこの変更も、運用上のものであったため、一般には公告していなかったと思います。このように、大きな欠陥がある年金制度は、その後改善出来る機会があったにもかかわらず、長らく放置された。これは社会保険庁を始めとする国の怠慢に他なりません。そもそも公務員というのは、民間よりもさらに厳しい責任が課せられるもの。マスコミや世論の中でも、無年金に対する見方は大きく変わってきています。もはや『悪法も法なり』ではありません!今の社会背景にも見合った、公明正大な判決を求めます。

【弁護団から、『斬』
 今までさんざん述べてきたことですが、要点は次の3点です。@学生とそうでない者を分けた、A学生同士で20歳以上と20歳以下を分けた、B今述べた2点によって、学生は制度から占め出された、この3点です。国は最初から、学生には年金の支払い能力がないと分かっていました。それなのに何故、加入しないと支給しないという制度を作ったのか?結局、支払えない人は最初から年金制度に入れないようになっていたのです。『狭間差別』、または『窪地差別』とも言われていますけどね。学生に対しては、支払い能力があると見なして加入を認めるのか、ないと見なして加入を認めないのか、どちらかにするべきでした。支払えないのに加入対象からも外さないという、こんな例外を作ったのは制度上の過ちです。これらの問題点を、論理的に追求して判断を下すのが、最高裁判所の判決だったのですが、この間下された判決は、あれは最高裁の判決ではないですよ!国は、年金の任意加入制度が正当だった理由として、@卒業後に多くの人はすぐ就職する、A学生の間に障害を負う確率は少ない、の2点を挙げました。@については、みながみな、すぐに就職するとは限らないし、何よりAについては、実際に毎年100人ぐらいの人が、事故などで障害者になっているというのは、年金制度が作られた1959年時点でも、国は分かっていたのです。当時、年金局長だった小山進次郎氏も、「根本的に、支払い能力の有無で、適用対象を分けてはいけない」と、口酸っぱく言っています。『特別障害給付金が出来たらそれでいい』ではないのです。こんな考えがまかり通るのは、いかに裁判所がきちんと見ていないかという事です。肝炎の問題で、裁判所が国の問題点を指摘したように、無年金の問題でも、裁判所には勇気ある判決を下して欲しい。『立法の裁量権』などではないのですから。

 語気を強め、より力強い陳述をした弁護団の姿も印象的な結審でした。
 判決は4月25日(金)13:30です。みなさま、ご注目を!
(担当:根箭)

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7. 地域の作業所の活動を紹介します 第16回
CIL豊中の事務所の近くに、こんな作業所があったなんて・・・・。

広報誌編集部

 そうです、ここは阪急宝塚線「蛍池」駅より徒歩6分、私たちの取材日が、クリスマスに近かったので、作業所の中には、木工製品のクリスマス用のかわいい飾り物が、たくさんならべてありました。とってもしゃれた感じの、工房「モコ」さん。「じゃ、隣でお話しましょうか・・・」と、職員さん。通されたのは、喫茶店でした。喫茶店でお話が伺えるなんて思っていなくって、大変驚きました。

☆第五作業所からの出発
 母体は、きらら福祉会なんですが、きららが立ち上がる前、無認可で作業所が、第一から第五まで5つあって、そのうち第五作業所がこの工房「モコ」の前身です。服部から桜塚を経て、2003年8月にこの蛍池東町にと移転してきたそうです。工房「モコ」という名前も、主に木工をされているので、もっこう→モコと名づけられたとか。現在は身体障害者小規模通所授産所になっていて、メンバーさんも、17名(身体と知的の両方手帳を持つ方9名、療育手帳だけの方8名)で、職員が5名で、喫茶と送迎もやっていて、人手不足ですが、がんばっておられます。

☆木工は主に飾り物、インテリア小物などをつくっています!!
 木工と喫茶、両方やりたかったので、スペースを分け、間に防音壁を増設しました。そのおかげで、隣で作業する音などは聞こえなくて、お話を聞くことができました。
 「ここには、切るのがうまい方や糸鋸のベテランさんもいてはります。」と、職員さん。本箱のような実用的な大きい物は作ってないけど、季節的な小物、インテリア小物などを作っておられ、豊中「なかまの店」、池田「とよのピア」で販売されています。一般の喫茶店にもちょこちょこ置かせてもらっていて、またこの作業所自体がお店になっています。ご近所の方は、どんどん行ってみてくださいね。100円から1000円くらいの物で、気の利いたプレゼントに最適だと思いました。マグネットの製品も100円であります。オリジナルのご注文も、結構受けておられるそうですよ。

ゆっくりとティータイムを楽しめますよ。これは絵はがきです。 ちょっとしたプレゼントにどうぞ。


☆手作りのおいしい定食が食べられて、しかもワンコイン!!
 もっと地域の方やご近所の方、お年寄りの方にどんどん来てもらって「ここに来れば誰かに会える場所」というサロンにしていくこと、それがこの喫茶店の夢です。ご近所の写真家の写真を飾らせてもらったりして(フランスのパリの夜景の写真がかけられてあり、すてきでした)、だんだん地域との関係もできつつあると思うのですが、今はメンバーさんには、お皿洗いなどしかしてもらっていないので、メンバーさんにも接客してほしいと、思っています、とのことでした。
 ここの喫茶店は、昼食の定食が主なメニュー。コロッケなどのメインと、副食が二つ、味噌汁、ごはん(大盛りサービスあり)で、なかなかのボリューム。しかも手作りで500円。ワンコイン(500円玉)で済むのがウリです(コーヒーが付くと600円)。朝9時から夕方5時までの営業です。朝食メニューもあります。サラダ、スクランブルエッグ、果物、パン、コーヒーか紅茶で、350円!!やすいですよね〜。
 職員は、あくまでも作業所の職員であり、飲食業ではみな素人。素人だから家庭的でいい面もあり、だからといって甘えは許されない。ここでもほかの作業所と同じように木工製品にしても、喫茶にしても「地域のお店と肩を並べられるように」とがんばっておられます。木工と喫茶で、職員が5人しかいない中、なかなか大変なときもあると思います。でも、私はその発想がおもしろいなと思いました。ありがとうございました。
工房&喫茶モコ連絡先:06-6848-0007
(担当:塚原)

ベテランの手さばきで、どんどん製品が作られていきます。 作業所全景。みんなひょうきんでフレンドリーでした。

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8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 第13回
〜上田氏&鍛治氏 無制限3番勝負〜

広報誌編集部

‘K’: 「え〜、進行を担当させて頂きます‘K’と言います。今回、久しぶりのピア対談という事なんですが、もう長く当センターでも顔なじみのお二人に来て頂きました。それでは、自己紹介をお願いします。」

上田: 「上田哲郎です。30歳です。脳性マヒで、肢体障害のピアカウンセラーをやってます。今日は活き活きしながら話せたらと思っています。よろしくお願いします」

鍛治:
 「鍛治克哉です。23歳で、脳性マヒです。電話オペレーターとか、この広報誌の原稿を書いたり、イベントの事とかを担当しています。」

‘K’: 「では早速ですが、いつもいがみ合ったりして、たいへん仲のいい!お二人ですが、今回はこの場を借りてですね、各自でテーマを持ってきてもらい、熱く語り合ってもらおやないかと…」

鍛治: 「これ黙秘権はありなんですかね(半笑)」

‘K’: 「それは、レフェリーである私の判断です!」

鍛治: 「ま〜実際僕の中で止めておけば良いわけですね。」

‘K’: 「まぁかわすのも技のうちですから。各自上手い具合にやってください。ほな早速。まずは若手の鍛治君から。先制パンチをくれてやってください。」

@鍛治氏のテーマ「僕らは動き回っているようやけど、見えないところでの苦労もあるんや」

対戦前の鍛治(左)、上田(右)の両氏。
気合い充分だ。

鍛治: 「僕は自分らしく明るく楽しく生きたいから、電動車いすで動き回ったりしてますけど、上田君は、車を運転されたりして、同じように活動していてどんな感じですか?」

上田: 「僕は、見た目で(マヒがあるから)ああ、こんな障害なんだなって分かってもらえると思うけど、僕の事を全てわかってもらえているとは思わんねん。見えない所とかは、結局は分かってもらえていないんじゃないかなっていうのがありますね。」

鍛治: 「究極は障害者も健常者も同じ人間だから、何でも言い合えるのが理想なんですけど、健常者に対してあまりにもぼくらの障害の事『解ってくれ解ってくれ』ってなっちゃうと、それが壁になってしまったりするから、そのライン引きに葛藤を感じてますね。僕ももう24なんで。あ、僕、来週誕生日なんですよ。よろしくお願いします(半笑)」

‘K’: 「何やその『よろしくお願いします』は!」

上田: 「俺、毎年なんかやってるねんで!でもコイツはいっつも何もしよれへん!」

‘K’: 「何やオマエ、かわいくない後輩やな!」

鍛治: 「ちがうんですよ、聞いてくださいよ(汗)」

‘K’: 「もぉええねん!リング外で乱闘せんと話戻すで。上田君は24の頃はどうやったん?」

上田: 「俺は24の頃は九州の福祉系大学に行ってたな。でもその地域はあまり福祉が進んでいない所やったから、自分のような障害者を見たことがない人ばっかりやった。だからこそ、今思うとズル賢くやってのたかもなぁ。」 

鍛治: 「世代によっても考え方は違うと思いますけど、『自立』という事に対して、例えば1時間かけてできる事を、介護の手をかりて30分で行って、残りの時間を自由に使うという考えかたがありますよね。でも僕は小さい頃からの環境から、できるだけ自分でできることは時間をかけてでも自分でやるべきという考え方なんです。だからよく『ヘルパーは自分の手や』って表現する人がいますけど、それはちょっと『ハァ?』って思いますね。」

上田: 「俺はまだ自分でも歩けるし、そんなに手を借りなくても生活送ってるからそこまで考えた事ないなぁ」

‘K’: 「上田君は家事援助を少しヘルパーさんにお願いしている程度でしたよね。」

上田: 「うん。他の時間はできる事を時間かけて自分でやってる感じ。」

鍛治: 「僕は極力『自分でできるような動き』をこころがけてますね。例えば今日家で、チョコチップメロンパンを食べてきたんですけど、部屋の掃除が自分じゃ難しいからできるだけ汚さないようにゴミ箱の上で食べるとか、デザートやったらクリームなんか絨毯にこぼしたりなんかしたら(家族に)シバかれるからお風呂場で食べるとか。」

上田: 「そういうのは俺もやってるわ。チョコチップメロンパンに関しては同じ事やってる(笑)」

‘K’: 「なるほどねぇ。健常者の世界では『自分でやったらええわ』って事でも気を遣ったりしている所が、最初に言っていた『目に見えない苦労』 なのかも知れないですね。」

A上田氏のテーマ「二人のこれからはどうしていきたい」

上田: 「俺らって深くかかわってかれこれ5年くらいになるけど、オマエはこれからどうしたいんかなって思う。俺はまぁ簡単に言ったら『教育』やけど。」

‘K’: 「上田君は教員の免許も持ってて、他にも教育についての活動もされてるという事ですけど、鍛治君は一体これから何をしていきたいのかが見えにくいという事ですね。」

鍛治: 
「僕はまだこれというものはハッキリ決まってないけど、理想としては僕みたいな動き回れる2号3号に出てきてもらいたい。せっかく恵まれた豊中という所に生まれたわけですから、単純に言って人間らしく生活していきたいんです。上田君みたいに『教育』ってバシッと決めてしまうには、色々見えてきた今だからこそ、まだ迷いがありますね。」

‘K’: 「上田君は何で教育に興味を持ったんですか?」

上田: 
「同じ時間同じ空間で教育を受けてさえいれば、障害者の差別っていうのが限りなく無くなるって考えがあって・・・」

鍛治: 
「そうそう。でも二人がいっつも意見が食い違ってくるのが高校についてなんです。」

上田: 「特別枠を作ってでも、クラスに障害を持った子がいれば、その子が周りに与える影響力っていうのはバカでかいと思うねん。」

鍛治: 
「それはそうですけど、高校って義務教育じゃないから、それはちゃんと試験をして(ふるいにかけて)入学するべきやと思うんですよ。その子の為に落ちる子も出てくるし。」

上田: 
「養護学校なんかがあるから、強制的に親の満足だけで進路が決められてしまうねん。」

鍛治: 
「うわ全否定ですね。でも無理に普通高校に進学しても結局その後の事とかちゃんとできるんですか? 養護学校の方が合っている子とかも実際いる訳じゃないですか。」

上田: 
「だれが合わせてるねん。健常者やないか!教師やないか!あほか!」

鍛治: 
「うわめっちゃ怒ってはるわ、この人(汗)」

‘K’:
 「よっしゃおもろなってきた。もっとやれ!」

上田: 「無けりゃええねん。養護学校なんか最初から無けりゃええねん!」

///(しばらく有り無し問答。10分経過)///

鍛治: 
「色々言ってますけど、僕は結局、養護学校には行かずに普通高校に行ったんです。それは、勉強とか、能力を伸ばすことよりも、いろんな人との交流を選んだからなんですよ。矛盾しているようですけど、僕はこれからは、若い人達に外に出てきてもらって、どんどん交流してもらいたいなぁと考えてますね。」

Bレフェリーのテーマ「障害者と健常者の壁」

‘K’: 「では最後に私からテーマを1つ。あえて『バリアフリー』とは言いません。物理的な壁、心の壁、いろんな壁が僕らの中には存在すると思いますけど、二人はどう考えているのか聞かせてもらえますか?」

上田: 
「やっぱりまだ政策自体が健常者中心に進めている所に壁がある訳で、僕ら当事者は自分らの権利っていうものを、声を大にして主張していかないといけないですね。」

鍛治: 
「僕らは結局弱者は弱者やと思うんです。今までのまぁ僕らの先輩の世代の運動なんかによって、今こうやって恵まれた環境で暮らしていけるのは分かってるんですけど、僕は『権利権利』ばっかり言っていても溝は埋まらないと思うんです。それってやっぱり自分らの事しか考えてないじゃないですか。『壁』はなくすっていうよりも、やっぱりお互いがお互いを理解しあうのが大事だと思いますね。」

上田: 
「よく市からの助成金でなりたっている作業所とかがあるけども、そのお金っていうのはみなさんから集めた税金なわけじゃないですか。だからある程度は社会に還元しなあかんと思うし、障害者だから遊んでいてもいいっていう考えはあかんなぁ。」

鍛治: 
「上田君が言いたいのは、その人なりに一生懸命生きないとあかんって事ですよね。あと、自分で意思表現できない障害を持つ親が、勝手に何でも決めちゃってる。」

上田: 
「うん。それも親が子どもを差別してしまっているわけやん。健常な親と、障害を持つ子どもとの『壁』な訳や。社会の壁を言うより先に、身内から壁をなくしていかんとなぁ。」

‘K’:
 「やっぱり壁はたくさんありますか。ほんなら、今の話では『健常者側の壁』なわけやったけど、今度は『障害者側の壁』っていうのをちょっと考えてもらってもいいですか?」

鍛治: 
「僕らは分かって欲しいが為に、健常者側にぶつかってしまう時がありますよね。近い人であればこそ。でもそれが壁になってるのかなぁ。相手によっては壁を作ってしまった方が楽な場合もあるんですけどねぇ。上田君はそういう所上手いですよね。」

上田: 「何が?」

鍛治: 
「あんま多くを語らないじゃないですか。語れないっていうか。」

上田: 
「俺はあんま多くを語らないようにしてる。語ってしまうことによってダメになってしまう事もあるし、俺らの場合、そこまでの課程が長すぎて5分や10分じゃ語りきれないやん。」

鍛治: 
「僕は何でも言い合うようにしてますけどね。だって『僕は障害者やもん』って言ってしまったら話終わってまうじゃないですか。壁・・・壁かぁ・・難しいですよねぇ。やっぱり壁をなくすには『歩み寄り』なんですかねぇ。上田君はどうなん?」

上田: 「だから何回も言うけど、一緒に子どもん時からおれば、壁なんかはなくなるねんて。」

鍛治: 
「それはそうですけど、上田君はやっぱり壁の使い方は上手いなって思いますね。」

判定は両者痛み分け。ガチンコトークお疲れっした!

上田: 「何がぁ。」

鍛治: 「やっぱり言語障害があるなって感じさせるのが上手いなって思いますわ。」

上田: 
「何がやねん。」

‘K’:
 「わかったわかった。でも何やかんや言うても二人とも、深い所では言っている事は似たような事やね。鍛治君もそうやけど、上田君の小さい頃から一緒にっていうのも一種の『歩み寄り』なわけやし。」

上田: 
「ま、歩み寄って行こう。未来は僕らの手の中。」

鍛治: 
「何スかそれ!そんな脳性マヒの手ぇやったら隙間からこぼれ落ちてまうで(笑)」

‘K’:
 「おもろいなそれ、それオチにしとくわ。」
(‘K’)

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9. 入院したときの介護はどうなる

事務局

日常生活を送っていくときに、障害を持つ人が一番、不安に思っていることが、入院したときのことです。
今までも、私自身が入院したとき、ホームヘルパーなどのサービスを使うことができませんでした。
なぜか。入院中ということは、医療保険の管轄になってしまい、そこに介護保険や自立支援法の他の制度を使うことはできないのです。

○入院しても十分な介護は受けられない
入院中の身辺介護などは、病院の看護師さんがやってくれたりしています。でも、看護師さんの許容量は限りがあり、1人の看護師さんに対して日中で、3人から5人の患者さん、夜間、祝祭日においては、1人に対して10人以上という状況もあり、必要なときに介助がうけられない事もあるのです。また、介助以外に人手が必要なときもあります。例えば、衣類の洗濯とか、買い物などは、ほとんどしてもらえない状況があります。

○病院にヘルパーさんが来てくれたら
 そこで、入院中でもヘルパーさんが病院に来て、介護をしてもらえると、その不安や、遠慮は少しは緩和されると思うのです。
私たちは、行政に対して、支援費支給制度が始まった頃から、入院中の介護保障について、話し合ってきました。
そのような中で、市町村独自で、入院中の介護を考え、ヘルパー派遣を実際に行ってきたところもありました。でも、それはごくわずかで、全国的に広がったわけではありません。
今回、この原稿を作るに当たって、受けた相談の中で、脳性マヒの二次障害で頚椎の手術をするために、入院をし、その後、数ヶ月間のリハビリ入院の時にヘルパーが派遣できないために、自己負担で頼んだり、また、病院のある地域のボランティアグループに協力をしてもらい、入院生活を送っていったケースがありました。でも、これは恵まれたケースです。
ほとんどの場合、痛さや身体が動かないという事に対して我慢をして自宅で療養するケースがかなりあります。


○神戸市の試み。
 そのような中、障害者自立支援法の地域生活支援事業(都道府県、市町村が行う事業)の中にコミュニケーション支援があり、この制度を応用して、入院時のサービス利用を作りあげた市町村が出てきました。
兵庫県神戸市では、兼ねてから利用者より、入院中の制度利用について要望があり、最初は医療保険と介護制度の間になって、「難しい」の一点張りだったそうです。当事者グループとの話し合いが繰り返され、神戸市も入院中の介護保障について考えるようになり、次のような事業を作り出しました。
「神戸市重度障害者入院時コミュニケーション支援事業」といって、目的は重度障害者で言語障害があり、入院時に医師や、看護師などとの意思疎通が十分に図れない場合、その人のことをよく知っている人をコミュニケーション支援員(ヘルパー)として、派遣することにより、病院内での生活をやりやすいものにするためのものです。
この事業は神戸市に住む身体障害者で障害程度区分6を持ち、重度訪問介護のサービスを受けている方が対象者となります。そして、言語障害を持つ者だけではなく、両上肢に不自由がある方と、家族などの介護者がいない方が条件となります。
入院時にヘルパーが派遣されるには、1回の入院で30日までとし、1ヶ月の総支給量の上限が150時間となります。入院して3日間は1日10時間以内のヘルパー派遣が認められ、4日目以降は1日5時間の派遣が認められています。
この制度をやっているところは、現時点での情報では、札幌市、仙台市、東京都世田谷区で、大阪では、吹田市が要綱を作ろうとしているそうです。

○神戸の試みを全国に。
 残念ながら豊中市では、まだその準備すらできておらず、入院時の介護は、家族がいる方は、家族がやったり、それができない方はボランティアの協力を得たり、有料で事業所に頼んだりしています。
医療行政と福祉行政との縦割りの中で一番、あおりを受けているのは、当事者やその家族ではないでしょうか。
神戸や札幌の試みが全国各地に広がっていくように、障害者団体としてより強い行動を取ることが必要だと思います。
今は元気でも、歳が重なるごとに、首が痛くなったり、手足がしびれたり、また、不慮の事故で大けがをして、入院することは現実にあるのです。
(大友)

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10. はじまります!!“つながるサロン開催”!!

事務局

豊中市内の10ヶ所の事業所が集まり、専門とする障害の種別を超えて連携協力し、地域のニーズに応じていこうと、相談支援ネットワーク『えん』が立ち上がりました。

その中で、障害のある人や家族を地域で孤立させないため、だれでも安心して集まれるサロンを開催することになりました。

開催日   第一回目 平成20年 3月14日(金曜)
        ※ 毎月 第2金曜日
時 間   午後2時から午後4時まで
場 所   喫茶店 「茶処」 
       豊中市服部元町2−6−7

   *問い合わせ  豊中市相談支援従事者連絡会議  “えん”
           豊中市障害福祉課 06−6858−2747

参加費   無料(喫茶を利用される方は有料)
内容  ・くつろぎの時間(ゲームなど予定していますが参加は自由です)
     ・喫茶
     ・いろいろな生活相談(個別面接室あり)

☆詳しくは、市役所・各相談機関・駅などにポスターで掲示しま〜す。
          お待ちしていま〜す♪

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みなさんからの、投稿コーナー

 このコーナーでは、みなさんからの作文・詩・短歌・俳句・小説など、投稿作品をご紹介しています。
 作品は随時募集しておりますので、投稿されたい方は、編集部までどしどし投稿して下さい。
 なお、作品数が多くなった場合は、繰り越しで2号先の広報誌に掲載する場合もあります。作品の内容によって考慮は致しますが(季節がテーマの場合など)、あらかじめご了承下さい。

 みなさまの投稿を、お待ちしています。













11.短歌

誰一人
甘えることも
許されず
これも運命と
ありがた生きる


伊丹市 岩國久美子


12.帰ろかな

朝の寒い川の岸辺に数十羽の真鴨が泳いでいるよ
堤防から見てる
そろそろ北の国に帰るころだよね?真鴨さん・・・
そわそわしてる
さぁ休めてた羽を羽ばたかして帰るがいいよ、みんな
楽しめたかな?
さぁみんな揃って飛び立ってV字飛行で故郷に帰ろう
朝日のなかへ
またみんなと会える日を楽しみに待ってるから・・・
元気でいてね


北摂の兄貴

 


13.「きょうだい」

てるてる坊主と 雨粒は 友達みたいね。
雨粒と 雪は きょうだいみたいね。
彼らの間には、“やくそく”ってあるのかな。
“絆”という やくそくがあるみたいね。
きっと、 きっと、 あるはずよ。


いのま ゆみ


14.「きっと、いつか・・・」

そんなに急がなくても いいじゃない
温もりの中で 闘うこと忘れてる時があっても
いいじゃない

長すぎる休みは、怠け者にしてしまうのかな?
それも、
これも、
どれも、
必要なことだったんじゃないかな・・・?

きっと、いつか、わかる日がくるんじゃないかな。
きっと、いつか・・・。


いのま ゆみ



15.カジ論!? Part.8

カジ

 皆さん、ご無沙汰しています。カジ論!?として記事を書くのは久々ですが、どうぞ今年もよろしくお願いします。
 このコーナーでも何度か触れていますが、私は電動車いすに乗って街へ出かけることが大好きです。友達と遊びに出かけたり、時にはヘルパーさんと出かけたり、一人で出かけたりすることも多くあります。
 そんなときにやはり気になることはトイレのことです。私は基本的に多目的トイレであれば、一人でトイレをすることが出来ます。最近ではあらゆる場所に多目的トイレが設置されていますよね!?
 公共施設はもちろんのこと、スーパー、カラオケボックスなどでも設置されていることが多くなってきましたね。

 そんな中でも朝早くから夜遅くまで外で過ごしていることの多い私にとっては、何よりありがたいのは、24時間営業であるコンビニエンスストアーに、多目的トイレが設置されていることが多くなってきたことです。
 しかし中には「介護人‘K’さんの何でやね〜ん!」の投稿作品とかぶってしまうかもしれませんが、思わず「何やこれ〜バカにしているのかー!」と叫びたくなるような多目的トイレもあったりしますので、いくつか紹介したいと思います。

 まず紹介する一つめの多目的トイレは、阪急宝塚線服部駅から徒歩数分でいけるコンビニエンスストアーです。写真@、Aをご覧ください

写真@ 段差が2ヶ所あり、
車いすではトイレまでたどり着けない・・・
写真A 更によく見ると、
張り紙にはこんな案内が・・・

 まず@の写真、皆さんはどう思われますか?
 いくら設備が整っていても、私のように電動車いすを使用している者としては、もうこの段差がある地点でジ・エンドとなってしまいます。
さらにAをご覧ください。よく見ると扉の張り紙には
「お手洗いはこちらです。足元には段差がございますのでお気をつけてくださいませ。」
と書いてありました。私はそれを見た瞬間悲しくなりました。ちなみにこのコンビニはできて二年もたっていない、わりと新しいコンビニエンスストアーです。

 続いては千里中央の、とあるビル内にある多目的トイレです。写真Bをご覧ください。

写真B ペーパーホルダーに届かない・・・ スペース的には問題ないのだが・・・

 ご覧のように便器とペーパーフォルダーとの距離があるためトイレットペーパーをとることができません。もしトイレットペーパーを使用が必要なとき困ってしまいますよね。これら紹介した二つの多目的トイレはまさに、「何やこれ〜、バカにしているのかー!」と言いたくなります。排泄は人間にとって必要不可欠なものでもありますし、私も含めて障害をもたれた方は、特に多目的トイレは重要なものになってくるので、注意したいものですね。


16.ぼくの日曜日 〜完結編 Part.3〜

海帰優人

 今度こそ、この原稿で「ぼくの日曜日」を終了する。読者のみなさんには本当に申し訳ないことだけれど、身のまわりの整理がすこぶる悪いのと、記憶力がすこぶる低下してきた結果、いま、ぼくの頭の中とパソコンの中と部屋の中には、「ぼくの日曜日」の原稿は見あたらない。したがって、内容が以前のものと重なるかもしれないが、なぜ、このシリーズを終了するのか、書いておきたい。
 ぼくには大きな夢がある。夢には、かないそうな、かなうために努力を積み重ねるものと、かなわないのを解っていて、それでも夢見てしまうものがあると思う。ぼくの夢はその中間のような、微妙なところに位置している。

ぼくは、なんとかして「売れる本」が書きたい。いまの仕事や生活の形態からすれば、とても無謀なことかもしれない。障害者自立支援法の影響で、ぼくの仕事場である作業所も、どっちみち、メリットのあまりない選択肢のいくつかのうちのひとつを決めなければならない時が迫っている。ひとりで原稿を書くためにどうしても必要な音声認識ソフトは、ぼくの言語障害に対応できるレベルには、まだまだ到りそうにない。休日などにヘルパーさんを活用して取り組もうとすると、豊中市の定めるヘルパーの利用時間数の上限をはるかに超えてしまう。介護に支払うお金もかなり、かさむだろうし、ひとりの時間が激減するだろうことも、精神的にしんどいかもしれない(あまえた言い訳かもしれないが・・・。)
 ということで、まったく軌道には乗っていない。
 話は前後するけれど、なぜ「売れる本」にこだわりはじめたのかというと、盆踊りをライフワークにしてきたヘルパーAさんのつぶやきからだった。Aさんはぼくの仕事のサポートをしながら、「なんで障害者の人は、みんな自分が働けないと思い込んでいるのかなぁ?Iさんぐらいの文章力があったら、介護者とペアで編集なんかの仕事、いくらでもできそうやけど、もったいないなぁ」と、こちらをチラチラと横目で見ていた。すこしでも経済的に自立できる手段を探すことを考えたいと思ったし、どうせなら、いちばん得意分野で自分をかたちづくっている価値観やこだわりを、多くの人に知ってほしいと思った。 

 たまたまぼくには生まれつきの障害があって、自分以外の人の手足を借りなければ毎日の生活が成り立たない。たまたまぼくの母親は、ぼくが幼いころ、重い結核にかかってしまう。
 そして、ぼくは施設に入れられ、いままでにおそらく数千という単位の他人から介護を受けてきた。たまたまぼくはとてもつらい恋愛を経験し、結果的に相手の生活を破壊してしまい、自暴自棄に陥る。ぼくの友人や、そのころ生活を支えてくれていた施設のスタッフや、一緒に寝起きしていた障害者の人たちは、無視するわけでもなく、ほんとうに静かに見守ってくれた(施設の人たちにも多大な迷惑をかけてしまったにもかかわらず)。
 生きる力を取り戻させてくれた、たくさんの人がいて、ぼくは施設を出ることを決意する。地域で暮らしはじめると、介護をしてくれる人だけではなく、さまざまな関係が生まれた。下町の小さな作業所で一緒にはたらく同僚たち、ご近所の人たちや、毎日買い物に行く市場の人たち。
 ぼくの一部である「障害」にしか注目しようとしない人に腹を立てたり、この国に頑固に存在する多くの上下関係に苛立たしさと空しさを感じたりしながら、それでもぼくは、たくさんのすてきな人たちと出逢ってきた。それでもぼくはたくさんのすてきな人たちと、つながることで、心の枝葉をすこしずつ広げさせてもらってきた。
 そんなすてきな一人ひとりのことを、ぼくの言葉で乗せていきたい。ぼくが大好きな一人ひとりはとても個性的だけれど、特別な生き方を選んでいるわけではない。
 
 とりあえず「人」に焦点をあて、エッセイにしていきたいけれど、ずっとずっと、「普通」であることの素晴らしさをいろいろな人の心に伝えていきたい。 経済的な面だけを期待して書きたくはないけれど、自分が納得できる内容のものが「お金」につながればいうことはない。
 道は長い。時間は果てしない。急ぐことはあっても、焦ることはない。
 
 そんなわけで、これからはこのスペースをお借りして、ぼくの大切な人たちを綴っていきたい。パソコンを自力で操る手段もちょっと見えてきたので、いずれはホームページも立ち上げていきたい。そうしたら、どんどん感想をお願いします。まだ、そこまでいくには1、2年かかるだろうけど。


17.哲珍の部屋「差別」は煙たい言葉か?

哲珍

 みなさんこんにちは。あいもかわらずいつも何かと疑問を感じている哲珍です。今回は「差別」について書かせてもらいます。えぇ??とか、またかよぉとか思わないで、読んでやって下さい。

 みなさんは「差別」という言葉に対してどう感じますか。重たさや煙たさは感じませんか。最近「差別」という言葉に対して、何か重たいというか煙たがられる面があると私は感じます。
 確かにバリアフリー化が政策として進み、車いすでの行動範囲が年々広がっていき、レストラン等での応対も幾分良くなってはきています。しかしどうでしょう。バリアフリー化やサービス改善で企業に利益が上がるのも事実です。企業が利益を追求するのは当然なのですが、その企業に障害者が働いているかと言えばそうでもなく、障害者が過ごしやすくなったからといって、差別はなくなったかといえばそうではありません。ただ単に差別が見えにくくなってきているだけです。
 私も含めて、最近の障害当事者やその家族が、目先の事を見過ぎているように思います。
健常者    小学校→→中学校→→高校→→→大学や専門学校・就職
重度障害者 小学校→→中学校→養護学校→→職業訓練校や授産施設・小規模授産所や入所施設 
 すべてがこのような流れとは言いませんが、こんな生い立ちが重度障害者の中で一般化してるように思えて仕方ありません。このようなレールが定着している事に、矛盾を感じられない私たちやその家族も、「差別」者ではないでしょうか。

 一般化している事柄に疑問を投げかける事は、非常に大きな力が必要であると思いますし、気分的に重いことなんで周りから煙たがられるでしょう。しかし、本人の意思に反し入所施設での生活を余儀なくされている仲間や、授産施設で給料より高い利用料を取られている仲間がたくさんいます。障害者だから仕方がないと思うのが「差別」だと思いますし、煙たがられても、一人はみんなのためという気持ちで、「差別」を言葉に出して表現し、「差別」とは何なのかという事を、みんなで原点に帰って考え直していきましょう。


18. どんぐりのひとりごと(4)

どんぐり

 寒い冬。冬は寒く、冷たいのがあたりまえなのですが、誰でも身に応えることはあります。みなさま、いかがおすごしでしょうか?(この原稿を書いているときは1月の二十日過ぎで一番寒い時)

珍しいことです??
前号でのこのページで、しもやけを絶対に作らないでいる、と軽く宣言してしまいましたが、現在、しもやけには、なっておりません。これは、小さいときから毎年冬になると足先がぼんぼんに腫れ、温まるとしもやけ特有の痛いようなかゆみで、イライラいてもたってもいられない状態だったんですが、母にも「あれ、今年しもやけになってないのね」と言われるくらい、珍しいことなのです。 

貼るカイロ、ありがとうございます。
足湯とかで足先を温めると、気持ちのよいことを学習した私は、床が冷たく感じる秋くらいから貼るカイロを貼ることも学び、靴下を履きカイロを貼り、その上から靴のようなすっぽりはけるスリッパーを履いています。(元来、めんどくさがり、忘れん坊の私は、友達からのメール「今日もヌクヌクしてね」と言う言葉がなければ、続かなかったことでしょう。)それで、しもやけはできずじまいです。ちょっとしたことですけれど・・・。
 でも、貼るカイロなんて出てきたのは、ここ十数年くらいかしらね。子どものときはなかったような??だんだん便利な物、アイデア商品がいっぱい出てきています。
 貼るカイロは、誰が考えたのでしょうかね。
 この広報誌が出るのは、2月の終わりですから、この冬しもやけに苦しんできた方は、私の経験上だんだん枯れはじめてきているときかも知れないですが、(今しもやけに泣かされているときはカイロで温めると余計にかゆみが出てくると思います)来年の秋くらいからこの方法も試みてください。ただし、低温やけどにはご注意くださいね。
 さあ、春ももうすぐそこ。がんばりましょうね。



19.介護人‘k’の「何でやね〜ん!」

介護人‘K’

〜視覚障害者ガイド 点字ブロック編〜

 下の画像は縮小版ですので、こちらをクリックして拡大版をご覧下さい。コメントも付いております。


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投稿コーナー終了


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20. さろんだより

事務局

 みなさんこんにちは。この号がでる頃には寒さも和らいでいるでしょうか。
 まいどおなじみのさろんだよりです。今回もおなじみの仲間、それから新しく加わってくれた仲間と楽しい時間を過ごせましたよ。

11月 恒例の事務所の入り口の飾り付けを行いました。
12月のクリスマスシーズンに向けたもの で、大きな「もみの木」にたくさんのサン タクロース、それにトナカイや雪の結晶達 がちりばめられています。
 寒くなってきた季節なのに、見かけたら何 だか温かい気持ちになるものに仕上がりましたね。
みんな本当にありがとう!

1月 新年あけましておめでとう、という事で、おなじみのメンバーに加えて、新しい仲間が2名も参加してくれました。正月気分も残っているのか、トランプで大盛り上がり!
みんなが知っているルールの「ババ抜き」や「7ならべ」「神経衰弱」(これはスタッフも真剣になってしまいます)で熱い戦い?を繰り 広げました。
 正月休みで旅行に行ってきたスタッフも多かったようで、事務所にはおみやげ(お菓子)がたくさん!みんなでお茶しながら、お休み中の話などを交わしました。

〜〜楽しいスタッフ、参加者達とゆっくり時間を過ごしてみませんか?〜〜
 さろんは毎月第1、第3土曜日の午後1時から4時までです。予約はいらないので、みなさん覗きに来てみてはいかがでしょう?
(加田)

   

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21. CIL豊中近況/お知らせ  

事務局

 このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪11月≫
2007/11/1 今日から11月
早いもので、今年も残りあと2ヶ月となりました。ヘルパーステーションでは日々の業務に追われいます。12月にあるクリスマスパーティーの準備もあり、あと2ヶ月もあっという間に過ぎそうです。

2007/11/26 大変だぁ〜!!
緊急事態発生!!送迎サービスのマイライフとよなか号(ハイエースの方)が故障してしまったのです。修理に3日ほどかかるとか。そのため、その間予約をしている方に、ほかの車を手配する作業で大わらわでした。

≪12月≫
2007/12/7 もうすぐ・・・・
今年も終わりです。早いですね。外もすっかり寒くなりました。職員の入れ替わり等、最後までバタバタと動きがある事務局ですが、まずは後10日を切ったクリスマスパーティーに向かって、一同気合いを入れていきます。

2007/12/19 終わったなぁ・・・・・
クリスマスパーティーも終わり、ようやく後片づけの作業も終盤に向かってきて、一同、ホッと胸をなで下ろしております。でも、世間では今からがクリスマス本番。事務所のよこのショッピングセンターでも、クリスマスソングが鳴り続けていました。
年末まで、いろんな依頼とか電話相談とか、忙しい日々が続きます。

2007/12/22 プチリニューアル
クリスマスパーティー報告のページ公開に合わせて、ちょっぴりイベント(つまりクリパですが)のページをリニューアルしました。トップページ下の、『イベント』のロゴマークをクリックしてみて下さい。

2007/12/28 今年1年、お疲れさまでした
2007年の事務局の業務は、本日をもって終了となりました。今年も1年間、本当にお疲れさまでした。大掃除も、多忙な業務の合間を縫って、無事終了しました。スッキリした事務所で、また新しい年も一同、頑張りたいと思います。

≪1月≫
2008/1/4 今年もよろしくお願いします
みなさま、新年明けましておめでとうございます。本年も、いろいろあるかとは思いますが、職員一同、良い一年にしていきたいと思います。どうぞ本年もCIL豊中を、よろしくお願い致します。

2008/1/5 新年早々、満員御礼
今日は第一土曜日だったので、早速今年最初の、事務所開放サロンが行われました。
今回は新しい人が2人来られ、合計でも6人が来てくれて、おおいに盛り上がりました。入口の窓ガラスには正月がテーマの飾りが貼られ、それぞれ今年の抱負も述べ合いました。

2008/1/12 新年会+歓迎会+送別会
昨日の業務時間終了後、支援センターの事務所の中で、新年会が行われました。併せて、今月から新しく入られた職員の歓迎会と、先月限りで退職された職員の送別会も行われる形となりました。みんなハメを外し(過ぎ)て、ドンチャンやりましたよ。














お知らせ

前号25ページの、投稿作品『色』で、記載ミスがありました。一番下の行で、『瞳の中に泥がたまりました。』と書いておりますが、『瞳の中に涙がたまりました。』の誤りです。投稿者のいのまさんには、心からお詫び申し上げます。

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22. サービスのご案内

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中
訪問看護ステーションCIL豊中

TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

障害者自立支援法介護サービス
障害者自立支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護・介護予防訪問介護サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく制度外サービス。
◇対象者 原則豊中市在住の障害者
◇介助料
 【一般介助】 1時間    1,200円
  実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
 【その他】宿泊介助、旅行介助
  介助者にかかる交通費及び宿泊費は利用者負担です。
◇キャンセル料 
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ヘルパー養成講座
 ヘルパー養成講座の開催(随時)。
訪問看護サービス
看護師が家庭に訪問し、在宅療養生活の支援をします。
◇サービス提供範囲 豊中市・池田市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜〜金曜9時〜18時


豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602

豊中市障害者相談支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピアカウンセリング  ◇権利擁護   ◇専門機関の紹介
自立生活体験室
 障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
指定相談支援事業(無料)
 市町村が必要と認めたサービス利用計画作成対象障害者等にサービス利用計画を作成する等の支援をします。
豊中市障害者外出支援サービス
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
 @身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
 A療育手帳Aを所持している人。
 B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
 注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
   65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月2回まで利用できます。
◇利用料 4q未満300円〜20q以上2,500円
◇利用区域
 豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
点字名刺(送料は一律270円)
◇既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。 

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23. 編集後記

編集長 上田哲郎

 もうすぐ3月ですね。最近寒がりになってきた私にとっては待ち遠しい春の萌し。早く暖かい陽を芝生の上なんかで浴びたいものです。

 3月といえば、卒業の季節でもあります。私、編集長をしている傍ら、とある高校で3年生の福祉関連の選択科目を教えにいってまして、先月最後の授業があったんですよ。そこで1年間の感想を書いてもらったわけなんですが、こっちが思っていた以上にみんな話を聞いていたり、色んな人と出会えて良かったと書いてあったり、福祉系の学校にいく人もいたりして、案外役に立ってんやな?って正直思ってまいました。社会に出て、俗に障害者と見られている私たちと接したとしても、彼らは構えずに関わっていけるでしょう。

 さてさて今回は人工呼吸器を特集し、当事者・支援者・専門家の現状や思いがある程度伝わったかとは思います。しかし今回の特集だけでは伝えきれないところもあったかもしれません。3月中旬に開く市民講座でも人工呼吸器を取り上げますので都合をつけて参加してみて下さい。来場お待ちしております。

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