も く じ |
印刷版の表紙 |
|||
1. 特集:検証「障害者自立支援法」 2. アットホームな手話講座終了 3. 2006年度第1回自立生活プログラム講座の報告 4. ヘルパー現任者研修 〜第5回料理講習会報告〜 5. 千葉県での障害者差別をなくす条例について 6. 学生無年金障害者の活動から −Part.13− 7. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第11回− 8. 地域の作業所の活動を紹介します −のぞみ園− 9. 沖縄での「気管切開」合併症の予防手術 10. JILインターンシップ新人研修報告 |
広報誌編集部 事務局 事務局 事務局 事務局 事務局 広報誌編集部 広報誌編集部 上虎 鍛治克哉 |
|||
みなさんからの、投稿コーナー
|
||||
18. サービスのご案内 19. さろんだより 20. CIL豊中近況/お知らせ 21. 編集後記 |
事務局 事務局 事務局 ま〜たれ |
障害者自立支援法(支援法)が実施され、今まで使っていた、ホームヘルプ、ガイドヘルプ、デイサービスなどに、おおむね1割の負担が利用者に重くのしかかってきました。また、作業所などかかる負担金、自立支援医療など、4月になって、定率負担が始まり、今まで使っていた制度やサービスを使い控えたり、生活のパターンが変わった人たちに取材をさせて頂きました。
○定率負担のせいでこんなことが・・・。
豊中の利用者の話を伝える前に、大きな新聞には、載らなかった事件を伝えます。
福岡市で母親と一緒に暮らしている、女性が、定率負担が始まることで福祉施設の通所をやめ、また、外出介護や身体介護などをして貰っていた制度もやめた。福祉の制度やサービスをやめて、自己負担がかからないように母親が介護をし続けていたが、身体的に限界があり、精神的にも追い込まれていった。そこで、母親が選んだ道は、障害を持った娘を殺して自分も命を絶とうとしたのです。娘は、母親に首を絞められ亡くなってしまいました。母親も胸を刺しましたが命は助かりました。
このニュースを聞いたとき、「やっぱり起こってしまったのか。これから、もっと悲惨なことが起こるんじゃないか。」と思ったのです。この報道は、福岡県とその周囲だけニュースとして流れたそうです。なぜ、このことが全国的に流れなかったのでしょうか。ひょっとしたら変な圧力が報道を抑えたのかな?とも思いました。
○負担が払えない。どうすればいいのか?
Aさんは、知的障害があり、現在お母さんと暮らしています。日中は、デイサービスに行き、週末は、お母さんやヘルパーさんと出かけたりします。デイサービスの送り迎えはヘルパーさんの協力を得なければいけません。
支援法が始まる前は情報が入らず、直前に受けている全ての制度やサービスの負担が増える事を知りました。4月になりしばらくは、払っていましたが、予想以上の負担額の増加で家計を圧迫し、お母さんの精神的。身体的な不調へとつながり、仕事が困難な状況が続きました。頼る人もなく、このままでは家庭を存続させることが出きなくなると不安になりました。お母さんは、子どもを殺して、自分も死のうと思ったほどでしたが、それだけはしてはいけないと思いとどまり、ヘルパーの方に今の状況を話し、すぐに生活保護の申請をしました。豊中での支援法は、負担が払えない世帯に対しては、軽減措置があり、それを調査するのは、生活保護を管轄する生活福祉課で行うことになります。担当する部署が変わると時間がかかり、すぐに動くことができない。また、負担が軽減されても支払うことには、代わりがないのです。
Aさんは、行政とのやりとりをしている間は、すごく不安で精神的にも落ち込みながらも、ヘルパーさんの協力によって受給されることになりましたが、ただ、今でもデイサービスなどでの食費などは、実費負担の為母親が働き、一部生活保護を受けているそうです。もし、Aさんに相談ができる人がいなかったり、一緒に動いてくれる人がいなかったら、今頃は、大変なことになっていただろうとお母さんは、語られていました。
○無理を承知で介護をしてます。
Bさん(肢体不自由)は、養護学校高等部3年で卒業をひかえています。
支援法が始まる前は、登校時などの車いすへの乗り降りに2人のヘルパーさんが来ていました。お風呂も同じです。支援法によって、負担が一般の37,200円になり、Bさんの家の家計に大きな影響を与えています。また、家族は医療機関にかかっていて、その医療費も多額になっています。
お母さんは「医療費は削ることはできない、お風呂も入らない訳にはいかない、削れるのは、ガイドと日常的な車いすへの乗り降りぐらい」と言って、「負担が始まると一年間50万円ほどかかってしまう。それだったら25万円のお金をかけてリフト買い、自分たちで介護をしようと思ったのです。でも、慣れるまで時間がかかり、今もしんどいです。」と言われてました。
外出の時の負担が払えない。本人は思いとは逆にガイドは使っていないそうです。「子どもにはかわいそうだけど、ガイドの負担まで払う余裕がないのです。」
○学校を卒業したらどうしたらいいの
卒業後の進路はまだ決まっていないそうです。
授産所や作業所などを考えて、また見学にも行ったけど、そこで仕事をするのにも負担がかかってきます。また仕事をして、工賃をもらってもそれ以上の負担や食事代などで払う金額が高くなるのです。例えば、1日の工賃が350円だったとすると、負担が1000円を超えてしまう。仕事をすればするほど赤字になってしまいます。
Bさんは「卒業した後は不安です。負担が高くなるのはわかっているけど、どうしようもない・・・。働くっていうのはちょっと無理なのかなあ」と暗い表情で言っていました。
この取材で、支援法の負担が多くのところで、障害者や家族に対して、不安が大きくなっていることがわかりました。どのケースも一つ間違えれば、家庭崩壊や福岡のような悲惨なことになってしまうことが心配です。
(担当:大友)
●豊中市の障害者福祉の今後は? −地域生活支援事業−
障害者自立支援法が始まったことによる、当事者への影響について見てきました。
ここからは、豊中市における地域生活支援事業の今後について、お伝えしていきたいと思います。以前にもお伝えしましたように、介護給付と訓練等給付が国の裁量によって運営されるのに対して、地域生活支援事業は市町村の裁量によって運営されます。したがって、各自治体ごとに違いが見られるわけなのですが、豊中はどうなるのか、見ていきましょう。
◇該当サービスとサービス内容
ここで改めて、地域生活支援事業に該当するサービスの項目を、列挙いたします。
1.移動支援事業・・・・いわゆるガイドヘルプサービスで、移動が困難な障害者の外出を支援します。ただし重度訪問介護と行動援護については、この類型自体が移動支援を含んでいるため、地域生活支援事業での移動支援事業の対象からは、外れることになります。
2.相談支援事業・・・・障害者が生活していく上での、福祉に関するいろいろな相談に応じ、必要な助言や情報提供など、支援をおこなう事業です。
3.コミュニケーション支援事業・・・・聴覚障害者に対する、手話通訳者や要約筆記者の派遣、視覚障害者に対する手引きの派遣などのサービスを行います。
4.日常生活用具給付等事業・・・・重度の障害がある人に、個々の障害種別や程度に応じて、日常生活用具の給付、貸与をします。
5.地域活動支援センター事業・・・・創作・生産活動をおこなって、地域との交流を図る機会(イメージ的には作業所など)を提供します。
6.日中一時支援事業・・・・知的障害者や障害児において、日中だけで宿泊なしというショートステイの利用が、国の裁量によるサービス類型では出来なくなりました。そのため豊中市が新たに、日中のサービスとして誕生させました。
7.更生訓練費等給付事業・・・・身体障害者で、社会復帰を目指して更生施設や授産施設を利用している人に、訓練に必要な経費(訓練費)を支給します。
8.入浴サービス事業・・・・訪問入浴と施設入浴の2種類のサービスがあり、家の風呂では物理的理由などにより、入浴が困難な人を支援します。身体障害のみが対象となります。
9.生活支援事業・・・・精神障害者を対象に、社会復帰のための情報提供のほか、精神障害者に対するボランティア活動の支援を行います。
10.社会参加促進事業・・・・点字講座や芸術教室、IT講習など、障害者の社会参加や文化的生活水準の向上を促進するためのプログラムを、企画・実行します。
以上10の項目から成っているのが、豊中市の地域生活支援事業です。このうち1〜5については、国から絶対にやるようにと言われている、必須事業で、6〜10については、これは言わば任意事業で、やるかやらないか自体、市町村の判断に任されている事業です。この任意事業については、あらかじめ国から決められたメニューの中から、各市町村が選ぶ形になっており、豊中市の場合は上記6〜10の事業を選んだことになります。
◇各事業(サービス類型)の利用者負担、利用方法、実施団体など
みなさんにとって一番気になるのは、やはり利用者負担(応益負担)の問題だと思います。そして、どうすれば利用できるのか?どこの団体がサービスを実際に提供しているのか?など・・・・・。ここからは、それらについての情報を、順にお伝えしたいと思います。
■移動支援事業:
利用料については1割負担となりますが、月別上限があり、市民税課税世帯は4000円、非課税世帯は2000円、生活保護者は負担なし、となっています。そしてこの上限は、移動支援事業・入浴サービス事業・日中一時支援事業の3つを合わせたものとなります。従って、3種類のサービスを同時に利用しても、負担は最大で4000円で、3種類だから3倍で12,000円ということはありません。さらにサービス単価において、これまで身体介護有りと身体介護無しの2種類がありましたが、この“二本立て制度”は、今後も続けられるということです。なお、上記の上限は、介護等給付と訓練等給付の上限額とは別に、負担することになりますので、ご注意下さい。
利用するには、まず豊中市障害福祉課に申し込んで利用者証を申請し、発行されたら、市の指定を受けているサービス提供事業者に、提出していただきます。
■相談支援事業:
これについては、利用料は無料です。実施機関としては、当センターのほか、地域生活支援センター「クム」、地域生活支援センター「るーぷ」、豊中市立障害福祉センターひまわり、そして豊中市障害福祉課があります。
■コミュニケーション支援事業:
これも利用料は無料です。利用申し込みについては、障害福祉センターひまわりにお問い合わせ下さい。
■日常生活用具給付等事業:
これは、利用料1割負担が課せられます。そして上限については、全サービスの中で最も高いものとなります。すなわち、市民税課税世帯が24,000円、非課税世帯が12,000円で、生活保護者は無料となります。上限が高くなった理由は、用具によって、元々の値段がものすごく高い物があるからですが、同時に高い物があるからこそ、上限を設けることが、より重要になってくるといえます。
■地域活動支援センター事業:
2006年10月現在で、この類型に移行する団体は、2ヶ所のみとなっています。いずれも精神障害関係の法人団体で、相談支援事業のところでも出てきました、地域生活支援センター「クム」と、地域生活支援センター「るーぷ」です。
なお、本来この事業の対象としては、知的障害者が通所している授産施設や作業所も含まれるのですが、事業所に入るお金が少ないことから、豊中に関しては、どこも移行を見送っています。では、どうするのか?と言いますと、介護給付の中に、『旧法施設支援』という項目があり、これは、施設などに対して、2006年10月以降も、今までの体制のまま運営することを認めるというものです。ただ、5年間の経過措置という条件が、つけられています。
■日中一時支援事業:
先ほど移動支援事業でも述べましたが、1割負担の上限は最大4000円です。申し込みは障害福祉課で、利用が認められると、『日中一時支援事業利用者証』が発行されます。これを受け入れ施設に提出して、希望日時を話して下さい。
なお、この事業については、一時的利用と継続利用の2種類の利用方法があります。
一時的利用というのは、知的障害者や障害児が対象で、何らかの事情により、在宅での介護を受けるのが難しくなった人が、臨時として利用する方法です。受け入れ施設は『あすなろ』と、福祉センター『ひまわり』の2ヶ所となっています。利用料は3段階あり、1回あたり4時間未満で300円、4時間以上8時間未満が400円、8時間以上は600円です。
継続利用というのは、中学・高校生の障害者が対象で、放課後に、家が共働きなどの理由で過ごす場所がない人が、継続的に利用するという方法です。これについては、受け入れ施設は『あすなろ』のみとなっており、放課後の15:30〜19:30までの時間枠内で、最大3時間利用出来ます。料金は1回300円です。なお、小学生の障害者については、各学校に留守家庭児童会という場所が設置されており、そちらを利用することになります。
■更生訓練費等給付事業:
このサービスは、費用を市が支給するというサービスなので、利用者負担はありませんが、対象は更生訓練を受けている人のうち、通常の負担額を払えない人、もしくは払うのがかなり難しい人であることを、市が認めた人になります。給付額は、それぞれの訓練に対して、市が「これだけ必要」と判断した金額になるということで、以前は一律3,000円だったのが、今後は一定ではなくなります。申し込みは障害福祉課まで。
■入浴サービス事業:
利用者負担は、訪問入浴が1回500円、施設入浴が1回1050円となります。そして上限は最大で4000円となり、先ほども述べましたが、移動支援・日中一時支援・入浴サービスの3種類を合わせて、上限4000円(課税世帯で)となります。このサービスについても、障害福祉課に申し込みをしていただきます。
■生活支援事業:
これは利用料は無料となります。2006年10月現在では、実施団体は『社会福祉法人みとい福祉会』のみとなっています。
■社会参加促進事業:
障害福祉センターひまわりで行う事業で、ひまわりでの事業については、利用料は原則無料です。参加申し込みは、障害福祉課、障害福祉センターひまわりのいずれでも受け付けております。
以上、地域生活支援事業における、豊中市の方針についてお伝えしました。限られた紙面内で、雑ぱくな説明にはなりましたが、これからも最新の情報をお届けして参ります。
去る2006年9月10日に、当センター主催による『2006年度第1回市民講座』が開催されました。前半は、自立支援法全般の動きと法誕生の背景について、全国自立生活センター協議会の事務局長である、佐藤聡氏が講演されたのですが、後半は、地域生活支援事業について、豊中市障害福祉課主幹の吉田実氏が講演されました。吉田氏は、
『地域生活支援事業の財源は非常に不安定で、国からの補助も、市の必要額の半分にも遠く及んでいない。非常に不満だし、市の負担も大変大きくなるのは苦しいが、だからと言ってサービスの水準を下げるわけにはいかない。今までの支給量を、これからも極力維持していきたい。さらに、通所系のサービスや、グループホーム・ケアホームなどにおいて、補助金が月額制から日額制に変わるため、報酬が大幅に減ってしまうという問題もある。このような問題があることも認識しながら、やっていきたい。』
と、力強く語っておられました。この言葉に勇気づけられた参加者も沢山おられたと思うので、ぜひ行政に対しても、引き続き努力されることを期待したいです。
(担当:根箭)
『2006年度第1回市民講座』にて。 豊中市の施策について講演する吉田実氏 |
市民講座の会場全景。約70名の参加者が、 熱心に耳を傾けていました。 |
障害者問題だけでなく、今後の社会保障の在り方の問題!!
ここまでを見てみても、この障害者自立支援法にはかなり問題があるとお気付きになったかと思います。この法律は果たして障害者だけの問題なのでしょうか。福祉がサービスとして位置付けられてきつつある現在、私たちはもう一度日本の社会保障の在り方を考え直さないといけない必要があります。この法律が法案として出された時期に「トイレに行くのも、近所に買い物に行くのもサービスなのか」という新聞記事をよく目にしました。今更何をと思われる方もいてるかと思いますが、改めて今一度この一行足らずの言葉を考え直す必要があると思います。健常者がトイレに行くにしても買い物に行くにしてもごくごく日常的な行動であり、その行動に対する対価を支払う必要などありません。障害者がトイレに行くのも、近所に買い物に行くのにもサービスになるから対価を支払うというのは無論おかしな話です。
さきの市民講座でも、講師の佐藤さんは、
市民講座で講演する、佐藤聡さん |
『現在国の実質的予算額は42兆円で、そのうち障害者にかけられる負担は4000億円ほど。支援費初年度に予算よりオーバーした額は128億円だった。これを割合的に見ると、年収420万円の人が1280円予算オーバーしたことになる。果たして1280円出すのが大変なことかという話になる。高齢者では予算を超える額だけで6000億円。それでもあまり問題視されなかった。』
と仰っていました。
このように今回は障害者が標的にされましたが、格差社会を国は認めてしまった今、今後の日本の社会保障の在り方全体に危険性を伴う恐れもあるのです。対価を支払いサービスを買うことが本当の社会保障の在り方なのか、対価を払える能力の有無でその人の最低限度の生活が決まってしまう仕組みで、『美しい日本社会』が構築できるのでしょうか。この障害者自立支援法は、障害者に限られた問題だけではなく、今後の日本の社会保障制度の方向性として考えなければならないのです。
(担当:上田)
手話は聞こえない人たちの大切な言語です。昔の聞こえない人たちがコミュニケーションする方法を、その自然の中からイメージして、動きや形、ものまねなどを取り入れながら作られたものです。今回はその手話を知ってもらいたいと、夏が始まった7月1日から、まだまだ残暑厳しい9月9日までの毎週土曜日の全10回、蛍池の公民館で手話講座を行いました。受講生は、10名という少人数だったので格式ばった講座ではなく、本当にアットホームに毎週笑い声の絶えない和気あいあいとしたものになりました。
内容は、まずは簡単なものから始めました。手話というものは、伝えようとする心、イメージをふくらませれば自然と出てくるジェスチャーそのものが手話につながり、相手にも充分伝わるものです。イメージから「おはよう」や「おやすみ」の挨拶を考えたり、名前に使われる漢字を指を使って表してみたり、「バナナ」「スイカ」など色々な単語も、初めから講師が教えるのではなく、受講生自らイメージをふくらませ、考えながら表現してもらいました。恥を捨てて身体全体をいっぱい使って表現する人、「この表現はおもしろい!これからその表現、使っていきたいね。」と言わせるような表現をする人、それぞれ個性あふれる、思い思いの表情で一生懸命やってくれました。そこから、手話へとつながりが生まれてくるのです。
そして、後半には、覚えた手話を使って色々な事に挑戦しました。自己紹介をしたり、チームに分かれての会話やお店やさんとお客さんという設定で劇をしたり、時には、手話伝言ゲームなどのゲームを楽しんだりもしました。
みなさん、最初は堅くなった頭をひねり・・・動きもぎこちなかったのですが、最後の頃には頭も身体もやわらかくなってスムーズに手話で伝えられるようになってきました。これからも、時々思い出し、手話を使ってみてくださいね。
講座風景。回を重ねるに連れ、受講生の 表情も豊かになってきていたと思います。 |
○受講生の感想を少し紹介します。
言葉ではなく手話で伝えることは難しいかと思っていましたが、手話というよりジェスチャーというかたちから入って習えたことにより楽しく手話を学ぶことができました。指文字も覚えました。少人数だったこともあり。アットホームな雰囲気の中で学べ、また皆さんの発表する手話の中からも色々と学べ楽しかったです。
(haru)
講座の内容が全部は覚えられないけど、手話のことを知ることができました。良かったです。また、手話講座があったらいいなと思います。
(きしま)
イメージやしぐさが手話につながると教わり、分かりやすくとても楽しい講座でした。まだまだ手話で会話することはできませんが、手話のことが少しでもわかり、ほんのちょっとだけでも自分が成長したような気がします。
(なべ)
高校ぐらいの時から手話に興味を持って、本を2冊くらい買い覚えようと思いましたが、なかなか本を見てもこれであってるのかも分からず覚えられませんでした。今回、とても分かりやすく丁寧に教えて下さり覚えやすかったです。まだまだ分からない手話もたくさんありますが、手話を使っていきたいと思います。聴覚障害の方と接していけたらいいなと思います。(瞳)
この講座はどんどん参加出来るスタイルだったので、楽しかったです。手話は口話の常識に捕らわれていたのではなかなか覚えられない、ということがよく分かりました。なかなか本気で復習するまでには至りませんでしたが、この講座に出たという事が、今後、より手話に接していく切っかけになったのではないかと思っています。(根箭)
何年も前から手話には関心がありました。講座があると聞いてた時は、嬉しくて心待ちにしていました。赤塚先生の教え方はとてもわかり易く、難しい手話も一つ一つの意味を理解しながら取得できました(忘れた部分も多いのですが・・・)。一つの手話(単語)に意味があることがわかるにつれ、毎回参加が楽しくなり、また同時に手話の難しさも実感しました。できれば、週に一回とは言わずとも、月に一度でも、手話講座を続けていただければ、と願います。使う機会がなかなかないので、せっかく覚えた手話を忘れてしまうのは、とても残念に思います。(濱田)
受講生のほとんどがヘルパーさんたちで、忙しい時間の中みなさんおつかれさまでした。私も楽しい講座ができ、とてもうれしかったです。
本当にありがとうございました。
(担当:赤塚)
みなさん神戸空港には行ったことはありますか?? 今年の春、神戸沖に開港したばかりの新しい空港です。これで関西には大阪空港、神戸空港、関西空港と三つの空港ができたわけです。今回は開港したての神戸空港と歴史のある大阪空港にしぼって、2つの空港に訪れ各々のバリアフリー度を実際に確かめ、それぞれの良い所を見つけだそうという講座を行いました。
◆日程
1回目 バリアフリーについての話を聞いて
考えよう
2回目 神戸空港のバリアフリーを見に行こう
3回目 大阪空港のバリアフリーを見に行こう
4回目 見てきたものを発表しよう
◆参加者
男性(20代後半 自閉症)
男性(10代後半 身体障害 電動車いす使用)
男性(10代後半 身体障害 車いす使用)
◆内容
さてさて、実際今回どんな講座になって受講者の皆さんは何を感じたんでしょう?? 初日は、まずバリアフリーに対する予備知識をつけるために、以前に豊中市のバリアフリーマップ事業に携わっていた私がバリアフリーの制度や法律、ユニバーサルデザインとバリアフリーデザインの違い等の話をさせて頂きました。二日目三日目は実際に各々の空港に出向き、実際にバリアフリーを体験し、良い点悪い点をチェックしていきました。神戸空港へは電車を乗継いで行ったのですが、三宮駅での乗継ぎに戸惑っていた感じでした。大阪空港では時間的にも余裕があったので、展望台で飛行機を眺めたり、屋上に設けられた家具屋さんでベットや机等も見たりもしました。最終日は各々の空港に行って良かった点悪かった点、何を知ってどう感じたかを一人ひとりが発表しました。
◆感想
僕は、初めて神戸空港と大阪空港へ行きました。電車で行って、スロープもあってその辺はまあまあ良かったけど、エレベータは狭かったです。もうちょっと広ければ良かったなと僕はそう思いました。神戸空港は新しくて、バリアフリーもしっかりついていて安心しましたが食事をする時も、レストラン入った所までは良かったんですけど、カーブ曲がる時、電動車いすだと狭くて曲がりきれなくてやりにくかったです。後はトイレも入れたし、良かったです。お店も狭かったですね。大阪空港も狭い所もあった。トイレも入り口だけ、狭かったけど、その後は入れましたね。食堂も入って、曲がる時も狭いし、回りきれないですね。空港内だけではなく空港の外とか行ってみたいです。
この間CIL豊中の人達と一緒に大阪空港と神戸空港に行きました。ぼくは今まで空港には行ったことがなかったので、どんな感じなのだろうとわくわくしていました。初めにいった神戸空港では、その広さにおどろきました。ぼくはあまりくわしくは見ていないけれど、それでも十分すごいと思いました。ただ、弁当を食べる場所が整備されてなかったのが残念です。 次に大阪空港に行った時の感想は、神戸空港よりは快適だなぁと思いました。神戸空港も広かったのは広かったのですが、快適さはこちらの方が上だと思いました。いろんな店があったのもすごいと思いました。ただ、エレベーターで行けない階があったのは、残念でした。そして二つの空港に共通して言えることは、やはり、飛行機を間近で見られたことです。今まで空を飛んでいる所しか見たことのない飛行機を、間近で見れたのはうれしかったです。そして空港は、ただ飛行機に乗るだけの場所じゃあないんだなというのが、今回の見学でよくわかりました。
◆最後に
今回の講座は、受講生の皆さんにとって、何もかもが新しい発見になったのではないでしょうか。空港までのアクセスで数回の乗換えや空港での食事、新しい建物にも使い難い所がある事や空港そのものの活用方法、更には飛行機の大きさまでとたくさん感じて色々体験をされていました。今後の生活のためにもこのたくさんの経験を活かし、更なるステップアップをして行ってほしいです。
(上田)
2006年8月26日(土)今年度初回のヘルパー現任者講習会となる料理講習会が開催され、残暑の厳しい中、職員を含めて13名の方々が参加されました。
今回は調理の基本をもういちどおさらいしたいということで、役立つ知識として「食材の保存方法」と「電子レンジの活用方法」をレジュメで学んでいただき、さらに調理実習では「苦手料理を克服する」というテーマで、参加者の方々から苦手料理をリクエストしていただき調理を学んでいただく予定でした。しかし、苦手料理の具体的なリクエストがあまりありませんでしたので、料理の基本となる和食の煮物を中心としたメニューを取り上げ調理していただくこととなりました。
参加者の方々は、料理初心者の方や経験豊富な主婦の方とさまざまでしたが、各班ごとにベテランの方が野菜の切り方、手順を主導していただく様子がみられ、一時間強の短時間の間に筑前煮・魚の煮付け・酢の物・澄まし汁・ほうれん草のごまあえが出来上がりました。中にはあまった食材でさらに一品作っていた班、澄まし汁に薬味を加え、一工夫している班もありました。
実習中のようす(左)と、完成した料理(右)。健康的だし美味しかったし、量は多かった! |
さて、その後の試食ですが、今回はヘルパーさん同士の交流も兼ね、従来より時間を長くとってゆっくり試食していただきました。なかなか普段の業務ではヘルパー同士接する機会が少ないため、援助活動その他の話…コミュニケーションを深めていただいていたようでした。今後も援助活動に役立ち、さらにヘルパー同士の交流を深めていける研修会を開催していきたいと思います。
(柴田)
去る10月11日千葉県で全国初となる障害者差別をなくすための条例「障害のある人もない人も共に暮らしやすい県づくり条例」が堂本知事の熱い思いや関係者等の不断の努力によって成立されました。来年の7月から施行されるそうです。
この条例の最も斬新な点は、福祉、医療、消費、労働、教育、バリアフリー、不動産、情報提供といった8分野で、差別とは何にあたるかを定義したことです。いくつか抜粋してみますと、例えば福祉分野では、適切な支援をせずに本人の意思を聞かずに入所施設での生活を送らせる事、医療分野では障害を理由にした医療提供の拒否や本人の希望ではない長期的な入院及び隔離をする事、労働分野では障害を理由とした応募・採用の拒否や障害を理由に解雇や退職を強いる事、不動産分野では障害を理由に不動産の売却・賃貸等を拒否や制限する事、等が差別であると定義されているのです。
条例が成立した道のりは決して簡単なものではなかったようで、条例の8分野で最も議論が激しく行われたのは、千葉県民から集まった差別事例からみても教育分野の差別についてだったそうです。この分野での議論では、障害児が普通学級で学ぶ統合教育を進めたい障害者側と、負担が増える事を心配する教育委員会側が対立し、結局のところ障害者の学校を選択する権利が希薄なものとなり、条例の原案では「障害を理由として、本人またはその保護者が希望しない学校への入学を強いること」であったものが、成立した条例では「本人や保護者の意見を聴かない、または必要な説明を行わないで入学する学校を決定すること」に変更されています。
条例というものは国レベルでいうと法律にあたるものです。仮に千葉県内で障害者が差別を受けたと言いに行けば、第三者機関がその障害当事者から意見を聴いてくれます。その意見を聴いた上で助言や斡旋を第三者機関が行います。罰則はありませんが、千葉県知事が差別をした者に対して勧告できるほか、障害者が裁判を起こす時に必要な訴訟費用を県が援助してくれます。
今回の条例成立の背景には県知事の思いや障害者やその関係者の運動、千葉県民の方々の理解等がたくさんあったと思われます。条例で差別を禁止する事に疑問を感じる方もいるかもしれません。しかし先駆的なこの千葉県条例が日本の障害者施策に及ぼす影響が今後出てくると思います。また国際的な法律ともいえる国連障害者の権利条約も成立する一歩手前まできているという話も聞いていますので、今後も国内外の動きに注目していきましょう。また何か動きがあればどんどん記事にしていきたいと思います。
(上田)
前回の裁判より高等裁判所になった、学生無年金訴訟。去る9月15日(金)15:00より、第二回裁判(地裁から通算21回目)が行われました。今回はまず、前回の意見陳述が出来なかった6名の原告による陳述がなされ、その後、弁護団からの陳述へと続きました。
以下、陳述者順に述べていきます。
何故、落とし穴?
H(1)さんは、去る9月11日(裁判の4日前)に退院し、退院6日前の9月5日で、50歳になりました。
大学2年生(20歳)の時、躁うつ病にかかり、以後、現在までに14回入退院を繰り返しました。今年5月には全身が急に硬直し、失神するという事態も起こりました。また同じ月、親も亡くなっています。躁うつ病に最初になった当時、家族の人も病院を探し、奔走しました。社会の理解も無く、また、国民年金にも未加入の状態で発病したため、無年金となりました。
何故、国民年金制度には、任意加入という落とし穴があるのか?それが本当に納得がいかないし、悔しいです。昨年4月から、特別障害給付金制度が始まり、それに伴って、月39,800円の特別手当が入るようになりました。これだけでも大変有難いことです。
前回判決は何だったのだ?
Tさんは、大学4回生(22歳)の時に、事故で頸髄損傷になりました。下肢全廃で車いすでの生活となり、自律神経にも障害があって、じょくそうも、しばしば出来る状態です。
今改めて、あの前回の(地裁の)判決は一体何だったのだ?と、憤りを隠せない気持ちです。原告の置かれている現実というものが全く反映されず、何も思いが伝わらなかった、ひどい判決でした。
年金を申請しに行ったとき、役所には門前払いをされました。窓口の人もまるで分かっていなくて、ある時など、「この障害ではお金は出ないけど、他の障害も持てば下りるよ。」などと、とんでもないことを言ってくることがありました。
今年から、自立支援法も始まり、障害が重度になればなるほど、負担が重くなります。私は無年金という扱いを受けることなく、普通の障害者市民として、生きていきたいです。
プロフェッショナルな判決を
Kさんは、32年前の20歳の時に、大学のクラブ活動中の事故で障害者になりました。卒業後、就職のために教員免許を取得しましたが、障害者であるためか、仕事は得られませんでした。年金が一番欲しかったのはその頃です。自立をするために手に職を付けようと、宝石店で職人として働いていましたが、その時期も、「年金をもらえないのは、本当に自分のせいなのか?」という疑問が、頭から離れませんでした。国の言うように、任意加入という選択肢があった保険方式で加入をしていなかったから、自分のせいになるのか?と。この、長年の疑問に答える判決を、今回は絶対に下してほしいです。前判決の時は、問題提起をしようという気にもなれませんでした。プロフェッショナルな判決を下すことを、切に望みます。
無年金になったということで、周りの障害者と差を付けられてしまい、大変辛い思いを味わってきました。国(社会保険庁)も、プロと自任するならば、私たちが矛盾点を追求する前に、自ら矛盾を正すぐらいの行動を取るべきです。
広報が足らなかったから
Yさんは、昭和38年に学校のクラブ活動中の事故で頭部を強打し、翌年手術を受けました。そして視覚障害のため三療の資格を取得、その後働いていましたが、今度は交通事故に見舞われました。
先般、国会議員の国民年金未加入問題が取りざたされましたが、彼らも障害者になったら、何も残らなかったわけです。国民年金制度については、広報が足らなかったと思います。広報不足が、無年金者の出現を招いたのだと思っています。この裁判をずっと見てきて、行政側の対応というのは、およそ人間のやる事とは言えません。そして法も、もっと人を守るという観点から制定してほしいものだと思います。
昨年の4月から、特別障害給付金制度が始まりましたが、受給申請に行ったところ、診断当時のカルテの提出を求められました。しかし、事故にあって負傷したのはもう40年も前で、カルテというのは5年間しか保存されないから、いったいどうやって提出しろというのか?と強く疑問に思いました。どんな救済処置を受けるにしても、必ず無理な条件を突き付け、門前払いするような態度に出るのは絶対に止めよ!と言いたいです。
交通費にも募金が
H(2)さんは、無年金障害者となって以降、32年間働いてきましたが、それでも低所得から抜け出せません。保険料も、年間で69万円負担しています。このような実情を訴えてきたにもかかわらず、そのことに全く耳を傾けなかったかのような判決が、地裁では下されました。無年金になったのは、原告側が義務を怠ったからだと、一方的に決めつけてきたのです。給付金制度は出来ましたが、年金を拠出していた人との差は、残ったままです。今の収入では、無年金者を無くす会の活動をする上でかかる交通費も、募金が無ければまかなえません。自助努力をいくらしても、やはり障害者は年金が無ければ生活出来ません。今度こそ、努力が報われる判決が下されることを求めます。
このほか、H(3)さんからの陳述があり、非常に短い陳述でしたので小見出しはカットさせていただきますが、「仕事に就けないのでデイサービスに通っている。母も高齢になって、自分の世話をするのがしんどくなってきている。」の二言を話していました。
弁護団の陳述
今回、裏付け資料として、憲法第14条の専門家、植木先生による意見書を提出しました。
前回裁判での陳述でも述べましたが、この裁判は、憲法14条の平等権を巡る裁判として、位置付けられなければなりません。地裁で国側の主張が認められた大きな理由として、『憲法第25条の生存権には違反していない。』というのがありましたが、そもそも国は、この無年金問題の解釈において、14条の平等権と、25条の生存権を混同しています。この問題は、生存権の理念を主軸に考えてはいけないのです。同じ学生であるのに、20歳で線引きをした、そして同じ国民であるのに、学生を除外した、そういう合理性の無い区別、つまりは差別をしたということが、問題となる分けです。
憲法25条は、人間らしい生活環境を侵害することを禁ずる法律です。だから、無年金障害者において、年金が支給されないが故に生活が苦しくなり、人間らしい生活水準を維持するのが困難になったという場合は、生存権も全く絡んでこないとは言えません。ただし、そもそも無年金でなければ、ここまで生活は苦しくならなかったわけで、では何故無年金になったのかというと、その原因は不当な区別によって、国民年金制度から除外されたためです。つまり、平等権が侵害された結果として、生存権にまで触れられざるを得ない生活環境になったのです。極端な話、仮に無年金障害者が、全員大金持ちの家に生まれた人で、そのため無年金になっても生活が全然苦しくならなかった場合、生存権に触れる事態には、ならなかった事になります。しかしそれでも、生活が苦しくならなかったのはあくまでも結果論であって、本来なら受け取れる権利であるはずの年金を、合理的な理由も無く受け取れないという事実に違いはありません。よってこの問題は、平等権侵害という次元のもので、生存権侵害という次元のものではないのです。
年金の問題に限りません。例えば、職場等で性差別を受けた場合でも、それによっていろいろな弊害が当事者に生じた場合は、その弊害の内容自体は問題の本質とはならず、性別で差別をされたという事が、問題の本質となります。
本裁判において、憲法25条に違反している、していないにかかわらず、そもそも14条に違反という点は、他の裁判(最高裁)でも言及されています。今ここで本訴訟を、25条について問う裁判にすり替える余地は、もはや無いものと言えましょう。
翻って国のこれまでの主張を見た時、その内容は以下の2つに大きく整理されます。
@『国民年金制度は、もともと老齢年金のための準備として設立された。だから、そもそも障害者になった場合のことは考慮する合理的理由がない。障害者になる人はごくわずかだし、そのわずかな人のために法を整備するのは不合理である。そして学生には拠出能力がなく、家督活動をしていないのだから、年金制度から除外するのは自然な道理である。』 A『国民年金制度には、任意加入という選択肢が提供されており、障害基礎年金が欲しいのであれば、あらかじめ任意加入をしておくべきだったのだ。なのに加入していなかった。それでなおかつ年金をもらえるという発想は、おかしい。』 |
@の主張を優位と取るならば、むしろ任意加入をしないのが合理的で、加入しようとするのが悪いということになり、Aとは明らかに矛盾していることになります。また、拠出能力の有無を根拠とするなら、20歳未満の学生についても、同様に拠出能力はありません。こうした矛盾点を徹底的に正し、法に不備があったということを国に認めさせなくてはなりません。
建て替えられた、新しい弁護士会館での報告集会 |
結び
閉廷間際、注目すべき光景が見られました。裁判長が国(被告)に対して、次回裁判での反論書の提出を要求したところ、国は、「反論の要否も含めて検討致します。」と回答しました。つまり、反論自体、必要かどうか結論を出せない、という態度だったのです。それに対して裁判長は念を押すように、「反論書、出して下さいよ。」と、ひとこと言いました。このやりとりが、閉廷後の報告会でもまっ先に取り上げられ、「裁判長自らが、国側に対して、正々堂々、襟を正すように促した。これは一番大きな進展ではないか。」と評価していました。次回裁判は、12月15日(金)、時刻は15:00からです。果たして国側が矛盾≠ノ対してまっすぐに向き合ってくるのか、要注目です。
(根箭)
今回は、秋と言えば【食欲の秋】、食欲の進む季節になりました。食欲が進むと悩ましいのが体重の変化。食欲・体重の変化と聞けば、なにかと敏感な女性2人、現状はまだまだ心配の無い若いあやとちはるにお話をしてもらいま〜す♪
司会: 「食べること好きですか〜?」
出演者2人: (*・・*)
司会: 「まずは自己紹介をお願いします。」
あや: 「岸間文と言います。私は月曜から金曜の平日は、福祉作業所に行き、土・日はILPルーム(自立生活体験室)を利用し、好きな料理を作って食べたり、ヘルパーさんと出かけています。料理をすることや食べることが好きです。」
ちはる: 「中田千晴と言います。今回は対談が初めてで少し緊張しています。年齢は22歳です。今年の春に大学を卒業しました。現在は就職活動中です。」
☆秋と言えば・・・
中田千春さん(左)と岸間文さん(右) |
司会: 「まず、“食欲の秋”って言えば、まず思うことは・・・。」
あや: 「甘いスイーツとかきのこ。」
ちはる: 「栗とか、季節の食べ物。」
司会: 「“実りの秋”っていうもんね。季節の食べ物は、自然に育とう育とうと頑張るから一番栄養がたくさんでおいしいんだって。」
ちはる: 「夏ばての分も食べやすくなる。」
司会: 「夏ばてしましたかぁ〜?その時どうした?」
ちはる: 「麺類とか、辛いものを食べたりとかしたけど、それでも食べれなかったので、クーラーつけて涼しくしたりして環境を整えました。」
司会: 「食べ物について気をつけていることありますか?」
あや: 「私は制限とかはないので、何食べてもいいんですけど、今は作ってもらってテーブルに出してもらうんで、野菜とたんぱく質とか脂肪とかバランスを考えて食べています。」
ちはる: 「特に制限とか無いんですけど、自分の体を維持するために体重そんなに増えたらいけないので、ご飯を少し少なめにしたりであるとか、食べる量を調節しながら食べるようにとか、あんまり夜遅くに食べないであるとか、自分自身でちょっと気を付けているつもりです。」
司会: 「今日は2人とも、私入れると3人とも車いすなんだけど、車いすに乗ってるから気をつけなぁあかんこともあるよね。太り過ぎたらいけないこともそうだし、痩せすぎても褥瘡ができたりとか。でも、運動できないから、食べ物気をつけるぐらいしかないよね。」
あや: 「運動を毎日少しずつしてる。」
ちはる: 「一応リハビリ(ボイター式)を家で1日1〜2回しています。口では説明しにくいんですけど、反応が出るように自分で体の管理が出来るようにしています。」
*脳性麻痺疾患(中枢神経疾患)のリハビリ方法として ○ボイター法・・・反射性運動パターンを誘発して運動機能を促進・改善する方法。 (圧迫刺激を与える) ○ボバーズ法・・・病的神経症状を抑制しながら、姿勢・運動の経緯・学習を援助し、 正常発達を促す方法。(反射抑制パターン) |
司会: 「体重管理って難しいよね〜。走れたりマシーンを使えるわけでもない。運動ってある程度制限あるでしょ。その動ける範囲の運動の中で体重を管理していくのは難しいし、女性は年頃になると脂肪がつきやすいから、自然と丸くなるんだけど、まだ困ったことないよね。」
あや: 「まだ無い。」
ちはる: 「まだ無いけど、先生からしょっちゅう気をつけなさいと言われてる。」
☆食べてみたい!?
司会: 「食べたいものは?(・・・少し間が。私ならすぐに言えちゃうのにな〜)」
あや: 「まず食べなぁ〜あかん。好きなものを食べたいけれど、栄養のことも少しは考えて、いろんなものを食べて元気な体になるように。たまには好きなもの、おいしいものを食べに行って楽しく食べることをしたらいいと思う。」
ちはる: 「まだ一人でどっかに食べに行くというのは、勇気がないので“ひとり”で行けれるようになったらいいな〜と。」
司会: 「“ひとり”でなん。寂しくない?一人で行くって少し大人になった気分なのかな?!」
ちはる: 「そうです。めっちゃ勇気がいる。」
司会: 「食べたいものは食べれてるみたいだから、食に対しての欲求・不満は無いですか?」
ちはる: 「外でだと電動車いすなので、机のサイズが合わなかったりした時、食べづらい部分があるので、机と少し距離が開いてても口に運びやすいもの、フォークでさして食べれるショートパスタや、ご飯物だとスプーンがついてたりするので、そういうのを頼みます。」
司会: 「食べる器具(ホーク・スプーンなど)は、お店の人に言えば結構出してくれるよね。ストロ−だったら、時にはわざわざ買ってきてくれるところもあったわ。机の高さはネックよね〜。コントローラーがあたり、コントローラー分、前に近づけないもんね。」
ちはる: 「やっぱり食べること・食べたいものが一番思いが叶いやすいかな。服装にしたも自分が着やすい物だったり、いろいろ制限があるから、叶いやすいのがご飯を食べることかな。」
☆まだまだ自分でやりたい!!・・・一人暮らしも・・・・
司会: 「夢は?」
ちはる: 「一人暮らしをしてみたいかな?」
あや: 「私もしてみたい〜!一人暮らしが出来るように、ヘルパーさんが介助してくれて、楽しく生活してお料理が出来るようにしたい。」
司会: 「じゃあ、何がひっかかってるの?」
あや: 「介助者さんが心配。全部一人では出来ないから、ここは手伝ってもらって、自分で出来ることはやって、自分に必要なヘルプは分かってきたけど、。どんなサービスがあるかとか、今はガイヘルと入浴のための身体介護だけど、実際に一人暮らしをしてる人はどんなサービスを使っているか知らないから・・・」
司会: 「いつでも自立支援センターに聞きにきてよ〜!!自立支援センターはそういう質問に答える場所ですよー。来れなかったら、電話でもメールでもお答えしますよ〜。」
司会: 「ちはるはリハビリの一つで”料理”をしてるのよね。あやは最近はILPルーム(自立生活体験室)を借りて、料理の体験を積み重ねているけど、料理はどう?」
ちはる: 「ただ作ってもらって食べてる時は感じなかったけど、初めて自分で作ってみて、食べることってこんなに料理の行程に時間がかかるし、こんなに大事なことなんやなと実感できた。食べるっていうのは、自分がどうやって動いたら短時間できるとか考えながら、自分の体のことも考えながらするし、食べることも大事なんだなと考えるようになりました。」
あや: 「食材を買ってきて、何が作れるか考えてる。包丁で皮むけないから、ピーラーでしたり、全部することは無理だから、メインだけ作る。」
司会: 「好きな料理でリハビリも兼ねてるんだよね。時間だって、初めてだとたくさん時間はかかるもんだけど、何度かやっていくうちに、早くなれるもんね。全部が全部自分でやるのは、体力的なこともあり出来ないけど、自分でやれる部分はやりたいもんな。」
あや: 「うん。やりた〜い。」
司会: 「“声かけ”してもらえる関係が大切よね。自分でしなくていいことが多くなると、自分でできる力が弱くなるやん。ヘルパーさんがチャチャって動かれると、早くできちゃうんで助かるんだけど、『あ〜、それは自分でやりたかったのに・・・』と思っていたことも聞かれることなくされちゃったら、動きだしたことに口挟めないもんねぇ。いつもやってることでも体調が悪いと出来ない時もあるから、“声かけ”してもらえる関係が出来てるといいよね〜。」
☆2006年・秋と言えば・・・
司会: 「2006年秋、障害者自立支援法がこの4月からスタートして、この10月からまた少し変わったけど、生きれてる?自己負担出ても生きれてる? 困ったことは??」
ちはる: 「ガイドだけしか使っていないから、まだそんなに困ったことはない。」
あや: 「はい生きれてる。どれだけどの介護使ったら、どんな額になるか分かんないんで不安。」
司会: 「春から1割負担が始まり、この10月から移動介護が地域支援事業になったから別枠計算になって、ほとんどの人がガイドは利用されてたようだから、上限がプラス4,000円(所得によって違うけれども、一番大きい負担の人で)ってイメージかな。やっていけそう?」
出演者2人: 「う〜〜〜ん。」
司会: 「やっていくしかないもんな!!」
あや: 「どうなるんかな〜って不安があります。」
司会: 「不安があるのって嫌やな〜。不安がストレスになり、ストレスが食欲になり、太り、1人介護が2人介護に。そしたら利用量が多くなり、また負担額が増える。ヘルパーさんが2人揃うとなると、約束できる時間制限できちゃうかも。そうなると生活の幅が狭くなることにも・・・。」
出演者2人: (--;)
司会: 「おいしいもん食べながら体重管理もがんばりましょ!!」
☆ちょっぴり先輩から一言・・・
ちはる: 「経験が大事かな。電車に乗って降りる時、駅員さんが来てくれなかった時は本当にびっくりしたけどね。車いすの経路を覚えることも大切。」
あや: 「これから就職する人は、いろんな選択肢があると思うし、いろんなことをトライして自分の出来ることをやっていって欲しいです。電動車いすでもいろんな所にいけるし、電車も乗れるんで、いろんな人に声かけて助けてもらったらいいよ。」
司会: 「みんなたくさん経験してってことね。」
☆対談終了後、ふたりは何を・・・
あや: 「【食】についていろいろ考えました。次はこれを食べたい、あれを作ってみたいとか。夜道を帰ったからライトアップした街や満月を見れたし、ちはるさんとお喋りもできてよかった。」
ちはる: 「やっぱり、好きな物を食べれることは、とても幸せなことだと単純ですが思いました。」
司会: 「季節が変わったばかりで、いつもとは違う時間の道中、何か感じることできたかしら!?当日、天候も落ち着かず、少し遅いスタートでの対談でしたが、2人とも電動車いすで元気に来てくれて、ありがとうございました〜。これからも、たくさん出かけ、いろんな人と出会い、たくさんおいしいもの食べ、ニコニコしましょうね!!」
〜この日早速〜 出かける、もちろん食べに出かける約束を・・・。(*・・*)
(ま〜たれ)
豊中は広いですね。今回は阪急豊中駅からバスに乗り、春日町の「のぞみ園」にお邪魔させていただきました。お話は、園長の山本さんに伺いました。
『親御さんたちの協力で誕生しました』
ここは知的障害者の作業所で、現在17名の方が通所しています。学校卒業後、または公立の施設を出た後の作業所がなかった時代に、親たちの協力で誕生して20数年。最初は人数も多くて第一のぞみ園、第二のぞみ園と分けてやっていた時期や、移転を繰り返しながら今に至っています。そんな中で、一番大きな課題は、親たちも高齢化して年金生活に入っていき、障害者の介助もむずかしくなって、この人たちが、豊中の町でどうやって生活していくか、なのです。そこでのぞみ園では、現在二つのグループホームを持っていて、新しいほうはこの9月開設で、新しい法律のもと、グループホームになるのか、ケアホームになるのか、わからないんですが、これからも生活の場グループホームを増やしていく必要性に迫られているのです。
『行き詰まり状態のさをり織り』
さをり織りの作業場 |
この作業所の売り物は、さをり織りです。みなさん、さをり織りって御存知ですか?
一本一本の糸を織り機で織って、布になっていくのですが、その布は、一枚として同じものはできないそうです。でも、このさをりを織っている作業所は、どこでも同じ状態らしいですが、布はどんどん織れてたまっていく一方、それらを製品にしていける人、または障害者を支えていきつつ多方面に技術や知識を身につけているサポーターがいない。「例えば、服を作るにしてもそれだけの知識がないとなかなか出来ないという問題が、あるわけですね。」と、山本さん。ここも、そんな行き詰った状態の中、内職の仕事をもらっている毛糸屋さんから毛糸を分けていただいて、糸の代わりに、毛糸を織ってそのまま製品にしていきたいと思い、この冬に向けて、マフラーをつくっているそうです。まだ試作中で、これからどういう展開になっていくのか、わからないようですが、もし製品化して販売できたとしたら、「なかまの店」や地域のバザーなどでお目見えすることでしょう。
『気がかりは福祉の製品をつくっていないか、どうか・・・。』
作業所のスタッフは、福祉のことについては、専門的な知識を持っているのですが、福祉以外のことについては素人で、社会一般にどんな流れがあって、どんなものを作り、どんなふうに売っていくのが良いのかわからなく『この程度ならいけるだろう』くらいでやっています。「だからそこで作った物を外に出して売ろうとすると、果たして、その作った物が有用な物なのか、人の目を引いて、また使ってもらえる物なのかどうかが、分からないんですよ」と小規模作業所としての悩みを語っておられます。どうしても重度の知的障害者が作っている「福祉の製品」を作っているような気もしますし、売るときでも世間相場を知らないから、たとえば100円で売ってもいい製品を50円で売っているようなところもあったりします。このように、まだまだ作業面でも販売面でも、乗り越えられない問題があります。世間一般に通用するものを作りたい、売れるものを作らなければならないが、作業所の現実から見ても非常に難しい面もある、とのことでした。
『新しい法律になると、考えなければならないことが山積み』
法律が新しくなって、今すぐに影響はないのですが、5年後に補助金が訓練等給付になったときに、ここの家賃補助や送迎のための車両補助が削減されてしまう可能性も考えられます。補助金は3ヶ月まとめての前払いなのですが、国の訓練等給付になると、3ヶ月まとめての後払いになってしまうので、無収入の3ヶ月間の人件費、その他諸経費はどうしたらいいのかなど、考えていかなければならないことが山積みです。
グループホームについても、「グループホームになるのか、ケアホームになるのかで、金額が大幅にちがってくる。これは、サービスの低下につながりかねないのかもしれない」と話していました。
取材者も、さをり織りに初挑戦しました。 |
『彼らの独創性をどう生かすのか、生かせる人がほしい』
山本さんのお話のあと、実際の作業場も見学させてもらいました。さをり織りの担当スタッフの方も、「ここではわりと自由に織ってもらうのですが、時折、これは誰にも思いつかないというような作品に出会うのですが、それをモノにしてくださる人材がいないのです。」と言われていたのが印象に残りました。またさおり織りなるもの、はじめて体験させていただき、うれしかったです。ありがとうございました。
(塚原)
以前にも、何度か記事を書かせてもらった事がある、上虎と申します。
今回の内容は、と言いますと、タイトルにもありますように、気管切開の合併症の1つを予防する手術を受けるために、大阪から「沖縄」という超遠隔地まではるばる行ってきた時の話です。
僕は、「デュシャンヌ型筋ジストロフィー症」という進行性の難病を抱えており、病状の進行により、今となっては人工呼吸器を24時間、必要とする身ですが、「CIL豊中」さんとそのヘルパーさん方に支えられて、一人暮らしを続けています。
さて本題ですが、僕は今まで、鼻マスク型の人工呼吸器をずっと使用してきたのですが、それに限界を感じつつあったため、今年の初めに「気管切開の手術を受けよう」という一大決心をしたのですが、術前の検査で、通常の位置での気管切開では確率は低いながらも将来的に命に関わる「合併症」を引き起こす可能性がある、という事が判明したのです。
この「合併症」というのは、具体的には、「筋ジストロフィー症」の進行により、身体の変形が生じてしまう事で、「腕頭動脈」という動脈が、
@本来の位置から上へ押し上げられてしまう
A気管の外壁に密着してしまう
という2つの要因によって、通常の位置での気管切開では、気管カニューレの先端やカフが気管の内壁へ接触する位置に、かの「腕頭動脈」接近してしまうため、その「気管カニューレの先端やカフ」が、長年、気管の内壁に接触し続ける事で生じうる気管の内壁の傷が、その奥にある「腕頭動脈」にまで到達してしまい、致命的な大出血を引き起こす可能性がある、という代物です。
この症状は筋ジストロフィー症の患者にとっては決して珍しい物ではないそうです。もちろん、「気管カニューレの先端やカフが気管の内壁へ接触する位置」が、気管の外壁に密着してしまった「腕頭動脈」の位置と重なる事を回避する為に、手術の際に、気管切開の位置を予め上部に上げておく、という手法もあるらしいのですが、その場合には、厄介な事に、気管の上部にある声帯の働きを妨げてしまう可能性がある、との事でした。それは、周囲の人達との発声によるコミュニケーションが困難になる(「文字盤」や「口パク」や「パソコンによる文字入力」に頼らざるを得なくなる)、という事を意味するため、絶対に避けたいと考えていました。
ただ、術前の検査で調べる事ができるようになった最近では、この手法を採用する傾向にあるそうです。
とはいえ、当然、声を失う事を避ける代償として、そんな時限爆弾を抱える羽目になる事も御免だったので、八方塞がりの状態になってしまい、どうしたものかと悩んでいた訳ですが、そんな時、偶然にも、インターネット上で、全国的にはまだ広まっていないが、沖縄のある病院(沖縄県宜野湾市、国立病院機構沖縄病院)で、この「合併症」を予防するための「手術」が行われている、という新聞社Webサイトのニュース記事を発見したのです。
(沖縄タイムス:http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508121300_04.html)
この手術の内容を、簡潔に説明すると、
@「腕頭動脈」を圧迫している、「胸骨」という骨の一部を切除し、圧迫を軽減する
A気管外壁に密着した「腕頭動脈」と気管外壁の間に、クッション的な物を挟み込む
という物です。
そこで、主治医に相談してみたところ、学会でそういう報告を聞いた覚えがある、との事で、早速、向こうの病院に問い合わせてくださり、こちらの病院(大阪府豊中市、国立病院機構 刀根山病院)で撮影したCT画像等の検査データを元に、この手術が僕にとって有効かどうかの見解を求めてもらった結果、「十分に効果が期待できる」という返答で、「こちらに来てもらえれば手術は行います」との事でした。
これは、『声を失う事を避ける代償として、時限爆弾を抱える羽目になる事』を回避できる現状での唯一の方法が見つかったという事を意味します。これで、たとえ「声を失わない」通常の位置での気管切開を行ったとしても、その後に「沖縄」に行きさえすれば、その「時限爆弾」から解放される訳で、術後まもない時期に航空機で移動する事になる、という、移動に伴うかなりの困難の存在を差し引いても、「安心」に勝る物なんてない、と考えて、この案を実行に移す事にしたのです。ただ、「それにしてもなぜ沖縄?(苦笑)」という感は否めませんでしたが・・・。
とはいえ、実際のところ、寝た切りの僕の場合、自分の想いだけでは、事は成就しません。しかし、幸いにも僕の周囲には、僕の想いに応えてくれる方々の存在がありました。実際の移動の際には、普段から僕の介護の中心を担ってくれているヘルパーさんが1人と、僕が一人暮らしをしているため普段は同居していない父親が、同行してくれました。
という訳で、沖縄に行く時期をこちらで受ける気管切開の手術の術後2、3週間に設定して準備を進める中、紆余曲折こそありましたが、今年の3月末についに気管切開の手術を受けるに至りました。時期を「術後2、3週」に設定したのは、気管切開の術後に例の「合併症」が最短で発症したケースがそれぐらいだった、という報告があるためとの事だったのですが、何しろ時間に余裕がなかったため、同行してくれた2人には、気管切開後の僕の状態の変化に臨機応変に対応する事ができるようになるための、知識や気管吸引等の技術を、頑張って短期間で習得してもらう必要がありました。
次に、沖縄行きの準備に関してですが、一口に「航空機で移動」といっても、一筋縄ではいきませんでした。というのは、僕のような寝た切りの人工呼吸器使用者が航空機で移動する、という前例は少なからずあるだろうとは思ってはいたものの、僕達はそういう話を見聞きした事がなかったので、どのような物か全く想像する事ができなかったからです。第一歩は、「横になった姿勢のまま航空機に搭乗する事が可能なのかどうか?」というところから始まりました。早速、航空会社のANA(全日空)とJAL(日本航空)に問い合わせたところ、追加料金でいくつかの座席を使用してストレッチャーを設置してくれる、というサービスがある事が分かったので、このサービスを利用する事にしました。搭乗区間は最寄り空港の伊丹空港から目的地の沖縄空港までで、航空会社は都合が良い日時の便があったANAにしました。ANAのストレッチャー設置の追加料金の金額は49,000円で、もちろん身体障害者割引運賃(本人と介護者1人までに適応される)もありました。必要となる手続きとしては、主治医の診断書等の書類を提出する手続きや、人工呼吸器や加温加湿器や痰吸引機やバッテリー(機内の電源を貸してもらう事はできませんでした。)等の、機内に持ち込むあらゆる機器類のメーカー名や型番を伝えて、持ち込みの許可を取る手続き等もありましたが、特に問題は発生しませんでした。後、実際の搭乗の際には空港や機内のスタッフの方々が様々なサポートを行ってくださる、という事だったので、当日に事がスムーズに運ぶように、事前に打ち合わせを行ったりもしました。それと、次のWebサイトも大いに参考になりました。
「呼吸不全患者の民間航空定期便による航空搬送の経験」
(http://www2m.biglobe.ne.jp/~nagase/airpttfr/rep.html)
当日は、人工呼吸器等の機器類や痰吸引等に必要な物品類を詰め込んだリクライニング式の車いす(手動式)で、車いすごと乗る事ができる大型の福祉タクシーを利用して伊丹空港に向かい、空港に到着してからは、必要な搭乗手続きを済ませた後、空港のスタッフの方々の誘導に従って一般乗客より先に機内に入り、設置されたストレッチャーへ移乗し(この時、機内のスタッフの方々が十分なサポートを行ってくださいました。)、ベルトで体や機器類をがっちり固定し、ここに離陸の準備が整いました。術後まもないこの頃の僕の状態は、まだ決して安定しているとは言えない状態だったので、上空での気圧が変化したり空気が薄くなったりする状況下で調子が悪くなる事のないように、しっかりと観察をしながら臨機応変に対応してもらう必要があったため、僕を含めてみんなが不安と緊張でいっぱいでした。しかも、その時はまだ声を出せない状態だったため、不調を満足に訴える手段がなかったので(ブザーや口パクのみ)なおさらでした。しかし、努力の甲斐あって、機内での環境の変化にもきちんと対応してもらう事ができ、何事もなく向こうの空港に着陸する事ができました。ここからは、担架で機内の少し離れた場所に用意されていた移動用ストレッチャーまで一般乗客が降りた後に移動し(この時も搭乗の時と同様に、機内のスタッフの方々が十分なサポートを行ってくださいました)、空港のリフト車の中に降り、そのリフト車ごと予め許可をもらって空港内で待機してくれていた現地の福祉タクシーが停車している場所まで移動してそちらに乗り換え、向こうの病院に向かいました。病院自体は空港から距離があったため、所要時間は30分以上でしたが、無事に到着する事ができました。
機内のようす |
その後は、向こうの病院で例の手術を無事に終え、術後の経過も順調だったので、旅立ちの日からちょうど2週間で退院する事ができました。その間は父親が仕事を休んで滞在してくれていたので、「せっかく沖縄に来たのだから」と首里城にも訪れる事ができました。帰りの移動も概ね行きの時と同じ要領でクリアし、特にトラブルも発生する事なくこちらの病院に無事に帰還する事ができました。
という訳で、この話はおしまいです。振り返ると実に大変な旅でしたが、「ストレッチャーによる航空機移動」なんていう実に貴重な体験をする事もできたし、首里城にも行く事もできたし、何より「気管切開の合併症の1つを予防する手術を受ける」という真の目的を完遂する事ができたので、「大変だったけれども実に有意義な旅だった」と、僕や関わってくれた方々の記憶に残る事でしょう。ちなみに、現在の僕はというと、在宅に戻って一人暮らしを再開し、日々を過ごしております。
8月1日から3日間の日程で、東京の全国障害者総合福祉センター戸山サンライズにおいて、JIL主催の全国障害者インターンシッププログラムに参加してきました。
JILとは、全国自立生活センター協議会の略で、全国に135団体があり、CIL豊中もその中に加盟しています。
この研修の目的は、将来のCILを担っていくリーダーの育成を目指すというもので、昨年より始まった試みです。昨年までは、対象者を大学生限定としていましたが、今年からこの規定が無くなったことにより、大卒ではない私も参加することが出来るようになりました。今回参加した人は総勢20名で、10代から50代までと非常に幅広く、中身も濃い研修となりました。
研修中のようす |
研修の内容は、
1日目『これまでの福祉の歴史とその中から生まれた基本理念』
2日目『地域のCILを訪問し、地域で生活をしている人たちの自宅に伺ってお話を聞く』
3日目は『まとめと評価』
でした。3日目には最後に、各自が前に出て5分間スピーチを行いました。
1日目の『これまでの福祉の歴史とその中から生まれた基本理念』の講義では、主に「青い芝の会」の発足に至るまでの経緯の話が中心でした。この「青い芝の会」とは、脳性マヒ者の団体で、1970年代に横浜でおきた、障害児殺害事件をきっかけとして活動が始まりました。この障害児殺害事件では、障害児を殺害したのは親で、事件当時親に同情が集まって、“障害者は殺害されても仕方ない”という世論の考え方になりました。それに対して闘っていき、そこから「青い芝の会」が生まれました。
ほかにも同じく1970年代に、障害をもった人にバスの乗車拒否をおこなったバス会社に対し、車庫に寝そべって人の盾を作り、抗議活動を展開していった話がなされました。私は、後者のバスの乗車拒否については知っていましたが、前者の障害児殺害事件については知らなかったので、大変衝撃を受けました。
2日目は何班かに分かれて、地域のCILを訪問しました。私の班は、東京の北区にある「CIL北」を訪問しました。お話を聞く中で、CIL北は地域との関わりに積極的に取り組んでいるとのことでした。特に地域の小中学校に出向いたり、事務所に小中学校の生徒をボランティア体験の一環として招いたり、ということを定期的にしているそうです。これらの活動は、東京都北区では統合教育が進んでいないため、地域との交流に力を入れているとのことでした。私が生活している豊中市では、統合教育が進んでいるため、小中学校、いわゆる義務教育の間は、障害をかかえていても希望があれば普通学校に通うことができます(実際に私も小中高と普通学校に通った)。そのこともあってか、地域の小中学校と交流する機会が限られているので、見習いたいと感じさせられたのと同時に、統合教育が進んでいる豊中市が誇りに思えたし、普通学校に通えたとこは幸せなとこだと、いままでよりさらに実感しました。
今では公共交通機関の利用も当たり前になって・・・・。 都内の地下鉄の駅にて。 |
最終日のまとめと評価では、各自が前に出て5分間のスピーチを行いましたが、私を含めて、受講生誰もが1日目の自己紹介時よりいきいきとした表情をしていたのが印象的でした。私はスピーチの中で、先にもふれたように3日目のプログラムを受講する中で自分自身が統合教育の中で生活してこれたとことが幸せなことであり、より誇りに思えた事、今自分が何気なく生活できていること(公共交通機関を利用できていること)は、先輩方の活動のおかげであるということを今まで以上に認識できた事、学んだ事を地域に持ち帰って、これからの生活に生かしていきたい事、を述べて締めくくりました。
受講生全員のスピーチが終わると、最後の総評として、JIL事務局長である佐藤聡さんから全体に向けて、「この3日間で吸収したことをそれぞれ地域に持ち帰って、これからの活動に生かしてくれたらと思います。また、活動をしていく中で、決して自分だけの想いだけでなく、周りの人の想いも感じられる人になって下さい。決して人は一人では生きていけないのですから。」
というお話があり、私は胸が熱くなりました。
私は今回の研修で経験し、学んできたことを、これから生かしていきたいです。
このコーナーでは、みなさんからの作文・詩・短歌・俳句など、投稿作品をご紹介していきます。
作品は随時募集しておりますので、投稿されたい方は、編集部までどしどしご応募下さい。
なお、作品数が多くなった時には、繰り越しで2号先の広報誌に掲載させていただく可能性もあります。作品の内容によって考慮は致しますが(季節がテーマの場合など)、あらかじめご了承下さい。
みなさまの応募を、お待ちしています。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
今日彼は舞台に立つ
彼の手から生まれる
寄せてはかえす波の音
タンバリンの響き
カバサのリズムとともに
あの日のみんなの歌声がいま
ぼくの耳にあたたかくよみがえる
ポスターにはいまも彼の隣にぼくがいる
情熱を全身であらわす彼に
つられて酔いしれ
歌う僕が
今日彼は舞台に立つ
もう一度
あの日のように
燃え上がる彼が
やっと、森の入り口にたどり着きました。
「さっきの大きな物は何だったんだろう・・・。」そう思ったのも束の間で、アーチにつるしてある看板が、目につきました。
−ようこそ夢の世界へ−
看板にはそう書かれてました。ヒッキーの好奇心をそそる言葉でした。そして、中へと入って行くのでした。一番に目にとまったものは、不思議な形をした植物のようなものでした。まるで話のできるような目や鼻や口らしいものがあるのです。
「植物?おもしろいなぁ。」ヒッキーは、それをスケッチブックにサササッと描きました。すると、その植物らしきものが、「ありがとう」と言ったのです。ヒッキーは、ビックリしました。
−何だ、ここは?!−驚きと、好奇心で、また、どこへつづくかもわからない道を、歩きはじめました。明るいこもれ陽が森の木々の葉の隙間から何本もの線になって、とても気持ちがいいとヒッキーは思っているのでした。
ヒッキーは、なんだかワクワクして、奥へと進んで行きました。
−この森には、奇妙な草花が沢山あるなぁ−と、心の中で思っていました。
「おや?何か聞こえる。」何やらどこからか、声が聞こえてきます。よく聞いてみると、「バイバイ。バイバイ。」と、聞こえます。声のする方へ近づいてみると、わた毛のようなものが、少しずつとんでいきます。そして、その、一つ一つが、まだとんでいないわた毛のようなものに、言っているのでした。ヒッキーは、近くまで行き、「何をしているの?」と、問いかけてみました。「ボクたちは、別のところで、又、花を咲かせるために、移動しているんだ。」と、言います。まるで、タンポポです。ヒッキーは、もう、スケッチをすることを忘れてしまいました。タンポポのようなものに別れを告げ、ヒッキーは、又、奥へと進みます。突然、ヒッキーの前を川がさえぎりました。いえ、正確には、砂の川です。砂が川のように流れているのです。
「また、おかしなものに出会ったなぁ。」ヒッキーは川上から流れている砂のあとを追って川下へと進んでいきました。そして、ヒッキーは、驚きました。その砂の行き着いたところは、砂の海でした。
−一体、何だ!これは!− 〈つづく〉
〜気弱なぼくの好奇心〜
まちで暮らしていると、いろいろなことがある。思いどおりにいかないことも多い。
最近、とても気になっている若者がいる。ぼくが毎日朝な夕なに買い物とコーヒータイムをするコンビニの、A君である。コーヒータイムというのは通勤の道すがら、夜の会議に向かう道すがら、仕事好きではないぼくが、眠気ざましに立ち寄り、缶コーヒーを買うだけではなく、店員さんに飲ませてもらったりしてしまうから。
さて、とても気になるA君の話に移る。当然、頻繁に顔を出すぼくは、すっかり老若男女の店員さんたちと仲良くなり、この前など、おにぎりを買ったら、「お持ち帰りですか?」と、かわいい店員Wちゃん(ぼくはいつも彼女のことはちゃんづけで呼んでいる)が、大きな瞳をパチパチさせながら、レジの向こうで尋ねた。
(ひょっとして、頼んだらコーヒーだけじゃなく、おにぎりまで食べさせてくれるのかも・・・・・)などと思ったりもした。
もう一度、さて、A君の話に移る。A君は、年の頃25〜6歳ぐらい。レジが暇な時も掃除をしたり、品物の整理をしたりと、よく働く若者である。他のお客さんには全く普通にお礼を言ったり、レジのやりとりをしている。
ところがである。ぼくが買い物に行くと、ひたすら無視を装うのである。
「おはよう」と目の前まで行って声をかけても、何も返事をしない。彼しか店内にいない時に、「手伝って欲しいんですけど。」と声をかけても、違う方向に歩いていくばかり・・・・。そのうちに、もう一人の店員さんが事務所から出てきて対応してくれるので、一件落着。
二人で対応している時も、A君の手が空いていても、もう一方の人が空くまで、彼はぼくにはかかわろうとしない。記憶をたどってみたが、A君とぼくのあいだに何も思い当たるフシはない。
これだけ無視をされると、腹が立つというよりも、そのわけを聞きたくて仕方がない。しかし、客の多いコンビニだけに、なかなか話す雰囲気もきっかけも持てないでいる。ぼくことが個人的に嫌いだったり、許せなかったりするのか。それとも、何か仕事に対する範囲と彼なりに決めているのか・・・・・。
とても、とても、気にかかる。
哲珍
みなさんこんにちわぁ。すっかり秋ですねぇ。食欲の秋、行楽の秋・・・と秋はいいものです。しかし、私が好きな季節はあくまで「夏」暑い「夏」熱い「夏」。毎年たくさんの夏の思いでをたくさん作ります。いやっ、九州の子どもたちが作ってくれるのです。今回は「青少年の船」という団体に関わってきた話をさせて頂きます。
この「青少年の船」は、船上でのレクレーションや沖縄での平和学習・海洋研修を共にし、スタッフは子どもたちの指導を通じ研修を深め、子どもたちはお互いの友情を深めながら集団生活の楽しさや社会参加の意義を学んでいくような団体で、団員は小4〜中3、スタッフは高校生以上というメンバーが集まり、夏休みの4泊5日に沖縄や奄美諸島等に行っています。
私がスタッフとして関わっている「青少年の船」は福岡県の南部地域を対象に毎年200名程度の子どもたちが参加しています。前号でも書きましたが私は大学時代を九州で過ごしました。ひょんな事から大学の友人に誘われ、気が付けば今年で9年経って7回目。単純計算すると1400人の福岡の子どもたちと出会ってる事になります。凄いでしょ!遠く離れてる地域の子どもたちとの出会い。さすがに最初の年はかなりの不安感はありました。偏った見方かもしれませんが九州は大阪ほど障害者が街を出歩いていませんし絶対数も違います。大学での実習先の職員さんに「君、どこの養護学校出身なの?」と聞かれるような地域で、まして子どもたちからしてみれば私の存在なんか最初はめずらしくて当然です。しかし1年目の不安が2年目3年目の安心へのきっかけになるものです。遠くから珍しそうにみる→近づいてきて無言でみる→近づいてちょっかいをかけてくる。このパターンを見抜けば後はこちらから関わっていくだけです。ある年、班別で自由時間を過ごしていた時の事、集合時間5分前という事に気付いて班長と何人かが走り出した時、一人の子が「哲ちゃんどうすっとね?同じ班やなかと??待てよぉ」と言ってくれたんです。当前のような一言なんですが、この言葉が私が船に乗っている意義を実感させられるのです。
このように団員として乗った子が何年か経ってスタッフとして戻ってくる子もいて、「哲ちゃん、久しぶりです。○年前に乗った○○です。覚えてますか?」と言われると、続けていく事の大切さ等、たくさん子どもたちから教われるのです。
これからも、「青少年の船」に関わり続けていき、子どもたちにひとつでもふたつでも何かを感じてもらい、ひとつでも持ち帰ってもらえれば嬉しいです。
どんぐり
この間まで暑かったのに、もう来月はクリスマスですね。月日の通り過ぎるのって、遅いときには遅く感じ早いときには早く感じますよね。たとえば何かを待っているときの1時間と、楽しく過ごしているときや何かに情熱を燃やしているときの1時間って、同じ時間でも違いますよね。人生はそんな時間の集まりですよね。娘が『楽しいときの時間ってすぐ過ぎて行くネ』って、夏の林間学校が終わったときに言ってました。本当にそうだなって改めて思いました。
劇団『態変』の舞台を観てきました!!
この広報誌の夏号の特集に取り上げられていた劇団「態変」の舞台を、9月下旬に観てきました。特集をお読みいただいた方はご存知だと思いますが、身体障害そのものは芸術的表現になりうると、舞台公演活動をしておられます。大阪梅田の扇町公園でのテントを張られての公演でしたが、子どものころに行ったサーカスの公演を思い出し、なつかしい感じがしました。
私自身の感想は「あまりにも抽象的過ぎて、よくわからなかった」と言うのが実のところでした。でも一緒に観たNさんは、「お芝居として観るんじゃなくって、一場面一場面を一枚一枚の絵としてみればいいんではないかな?」と言われていました。隣で見ていた娘も大きい音響に驚きはしたものの、平然と見ていました。はじめて見る世界でよくはわからなかったのも事実ですが、確かに幼いころから否定され続けてきた身体障害そのものは、舞台では芸術的表現になりえるかもしれないと思いました。
興味のある方、今度一度観に行かれてはいかがでしょう。
血液型判断で遊ぼう
断崖絶壁に誰もがほしいと思うような美しい花があります。さああなたならどうしますか? どのタイプでしょうか?
@「うーん、どうしょう? 取りに行こうかな? うーん、私、運悪いし、な。うーん」と悩んで、結局は取りに行かないタイプ →A型
AA型の人に「あんた、取ってきてー」と命令するタイプ →B型
B「ふん、あんな花、私はいらないわよ」と、本当は心の中ではほしいのに、意地を張ってしまうタイプ →AB型
C何も考えずに取りに行って、転落してしまうタイプ →O型
これ、我が家の女二人の間ではやった血液型性格判断です。女の子って、小学校高学年ともなれば、お友達感覚で話せて、とっても楽しいです。また、珍道中記が、復活しそうですが、私の表現力がおいついていかないから、やめておきます。あはは。
ちくわすら
御馳走とよぶ
我が暮らし
言に極めて
苦しくなりぬ
豊中市 根箭太郎
投稿コーナー終了
ヘルパーステーションCIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196
障害者自立支援法介護サービス
障害者自立支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護・介護予防訪問介護サービス
介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
◇対象者 原則豊中市在住の障害者
◇介助料
【一般介助】 1時間 1,200円
【宿泊介助】 1回(10時間以内) 8,000円
いずれも実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
【旅行介助】 1泊(24時間) 16,000円
延長分は6時間(4,000円)単位で加算。
介助者の交通費及び宿泊費は利用者負担です。
◇キャンセル料
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ヘルパー養成講座
ヘルパー養成講座の開催(随時)。
豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602
豊中市障害者相談支援事業(無料)
障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピア・カウンセリング ◇専門機関の紹介
自立生活体験室
障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
指定相談支援事業
市町村が必要と認めたサービス利用計画作成対象障害者等にサービス利用計画を作成する等の支援をします。
豊中市障害者外出支援サービス
車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月2回まで利用できます。
◇利用料 4q未満300円〜20q以上2,500円
◇利用区域
豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
点字名刺(送料は一律270円)
◇既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
8月の窓飾り |
いよいよ秋も深まり、また寒〜い冬が来ちゃいますね。今回のさろんだよりは、まだアイスクリームが美味しかった頃の様子を報告します。
8月のさろんは窓の飾り付けをしましたね。テーマは「つめた〜いデザート」ということで、かき氷やパフェ、トロピカルジュースなどをいろんな色でぬってドアに貼りました。すっかり事務所は南国ムード!?とってもカラフル、心も身体もお疲れサマーでした・・・。その日の感想の中でエリカちゃんは、スマップのコンサートが楽しみって書いましたね。
9月は、常連のシンちゃんが「花札しよう!」となんと花札を持って来ました。普段からギャンブルもしない超〜マジメな職員たちは「どうやってすんねん・・・」って感じでした。また、この日にお手伝いに来てくれた上虎の姉も困った様子でした。そこで、独自のルールをつくり神経衰弱のような同じ花を合わしていき、一番多く取れた人が勝つようにしました。また、シンちゃんはCDをレンタルをよく借りてきて、たまに事務所でかけるのですが、ナゼかこの日のCDは“北島三郎” さぶちゃんムード一色のサロンとなりました。
こんな感じでサロンは月に2回支援センターで行っています。スマップのファンから北島三郎ファンまで。さらに、カトゥーン(KAT-TUN)ファンやベートーベンのファン、琴欧洲のファン!?までみなさんの参加をお待ちしております。
日時:毎月第1・第3土曜日の13時〜16時
場所:障害者自立支援センター
(阪急蛍池隣接ビル ルシオーレ 南館3階)
問い合わせ:06−6857−3601
(古川)
このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。
≪8月≫
2006/8/5 たけなわ、手話講座
土曜日の今日は手話講座でした。もうみなさんすっかり雰囲気に馴染んでますねぇ。
今回は四季がテーマで、四季の名前と、それぞれの季節に因んだイベントを手話で話しました。後半は旅行がテーマとなり、この夏の旅行の計画や、過去の旅行の思い出を、グループにわかれて、手話で話しました。
2006/8/9 実習生
今日、実習生が来られました(明日も)。一生懸命、Wordで案内文を作成したりする仕事を体験していました。電話対応も体験してもらおうとしたのですが、何故か今日に限って非常に電話件数が少なかったりして・・・・・。
2006/8/25 4本会議
今日は10:00〜11:15まで広報誌編集会議とヘルパーステーション会議、11:30〜12:35までクリスマスパーティー会議、そして14:00〜17:00までは支援センター会議が、それぞれ行われました。まさしく会議詰めの一日となりましたが、どれも内容は非常に濃いものとなっていたです。
2006/8/26 調理講習会、手話講座
昨日は会議漬けの一日でしたが、明けて今日は講座続きの一日となりました。午前中は調理講習会が行われ、「苦手料理を克服しよう」がテーマでしたが、与えられたレシピを手に、みなさん真剣に取り組んでいました。午後からは毎週行われる手話講座がありまして、いろんな設定を決めて手話で実際に会話をする時間が多く設けられました。
≪9月≫
2006/9/11 市民講座
2006年度第一回市民講座が、10日(日)、豊中市福祉会館で開催されました。来月から始まる地域生活支援事業など、自立支援法の動きと最新情報がテーマだった今回の講座は、70名以上の参加者が来られ、みなさん真剣かつ深刻な面持ちで聞き入っていました。講師の話は、大変聞き取りやすく、内容的にも分かりやすくて良かったと思います。
2006/9/20 相談支援事業従事者研修
19日(日)、泉ヶ丘のビッグアイで、相談支援事業従事者研修が行われました。それなりに期待もしていたのですが、いきなり「自立支援法は公平さを考えて作られた制度で、応益負担をする事で、国民全体の豊かさにつながる。」などと講義していました。
今更何を言うとるか!という感じで、かなり失望させられた面がありました。
2006/9/29 クリパ会議
3回目となるクリパ会議が今日行われまして、ようやく目玉であったバンドと大道芸が決定しました。バンドは、デモテープを送ってくれた方々の曲を全部聞き、その中から好いのを選びました。ようやく、一つの大きな進展を見たかな?と思いました。
≪10月≫
2006/10/2 ビラまき
昨日からいよいよ施行された障害者自立支援法、しかし、市民の反対運動は続きます。今日、昼間と夕方の2回に分けて、豊中駅前でビラまきが行われました。ビラは、あっという間に全部撒かれたという事です。
2006/10/7 サロン
職員が2人不在で、寂しくなりそうなサロンでしたが、今日は2人女性客が来て、食べ物の話などで盛り上がりました。ちょうど一日が日曜日だった今月、自立支援法になって最初の1週間がまるまる終わったわけですが、嵐のような1週間だったと思います。
2006/10/13 会議
今日は第二金曜なので、午前中は広報誌会議、午後からは支援センター会議だったのですが、このパターンもこの先、変わる可能性が出てきました。
会議の在り方や頻度、日程について、抜本的に見直そうという意見が出たのです。まだ最終的にどうなるかは、未定です。
2006/10/20 自立支援法になり・・・・・
自立支援法になって、報酬の額が下がり、事業所も全般的に運営が厳しい状況になっております。法が見直されるたびに、単価などがどんどん安い方向へ流れていくのは、介護保険の介護報酬しかり、本当に切ないものがありますね。
2006/10/27 会議3タテ
今日はまず、10:00〜11:30までクリスマスパーティー会議があり、当日プログラムの確認や、料理・おかしの詳細について話し合われました。
11:30〜12:30は広報誌編集会議がありましたが、大詰めの今日は、ほとんど原稿のチェックに終始しました。14:00〜17:00までは支援センター会議が行われ、次回のILP講座や市民講座について、協議が続きました。
2006/10/30 早くも・・・・
間もなく11月になろうとしている今日、早くも数件の電話が入りました。何の電話かというと、クリスマスパーティーの参加申込みです。
早くから楽しみにされている方々がおられると思うと、大変嬉しいし、今年もぜひ頑張りたいと思います。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
お知らせ
ちょうど3年前の、『CIL豊中通信Vol.7』より、本誌では、『おおいに語ろう!ピア対談』、『地域の作業所の活動を紹介します』の2つを、連載記事として掲載してきました。どちらも編集部で取材対象を探し、アプローチをすることで、記事にさせていただいてきたのですが、ぼちぼち、編集部だけでの“ネタ探し”が難しくなってきています。そこで、みなさまからの『取材依頼』を、ぜひ募集させていただきたいと思っています。「うちに取材に来て。」、「誰々さんと一緒に、こんなことで対談してみたい。」という方、おられましたら、編集部のほうまでお気軽に声をかけて下さい。よろしくお願い致します。
みなさん、お久しぶりです。猛暑が終わったかと思えば、豪雨で、豊中はニュースになるほどの雨が降り被害も出たほど。最近は急に秋深まり、朝晩の寒いこと、みなさん、なんとか体ついてきていますか?
長い間このページをねやたろーに任して、はや一年経ってしまいました。その間、偶然街でお会いした方が、お声をかけてくださり、ご心配をおかけしました
m(..)m。何度かあるところにこもっておりましたが、たぶん今は?私なりに元気で街にて暮らせております。
この広報誌を作っていく流れですが、トーマス会議と称し、金曜午前に会議を行っているんです。もちろん、動き出すとみんなおのおの時間を調整し取材に出かけたり、記事の校正にかかったり、記事が揃うと、印刷へ出す準備、点訳・音訳さんにお願いする状態へと、次々作業をこなしています。
今後そのトーマス会議に出ることが、体調管理の兼ね合いもあり、私の生活スタイル上、難しくなりました。そんな状態で編集長は辛いなと思い、みなさんよくご存知の“上田哲郎”さんにバトンタッチをして頂くことになりました。私は、今まで同様、編集業務には関わっていきま〜す。今後とも宜しくです。