も く じ |
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1. 特集:大阪大学、身体障害学生支援室を取材(前編) 2. ホームヘルパー養成研修+ガイドヘルパー養成研修修了 3. 2003年度市民講座報告 4. 2003年度第2回ILP講座報告 5. 知っていますか?点訳・音訳版CIL豊中通信 6. 上虎の自分史 7. 当事者エンパワメントシンポジウムin東京 報告 8. えりとママの珍道中記 9. ぼくの日曜日 −一風堂− 10. 遠くなくても行きたい −神戸ハーバーランド− 11. 便利になったよ! 12. 「メイちゃん」のつぶやき 13. 地域作業所の活動を紹介します −とっぽい、糸をかし− 14. バリアフリーみぃつけた −かっぱ寿司− 15. 「おおいに語ろう」ピア対談 16. ボランティアトレーニング体験学習報告 17. 大阪府障害者生活支援連絡会に参加 18. 学生無年金障害者の活動から part7 19. 移送サービス福祉協議会報告 20. CIL豊中近況 21. サービスのご案内 22. 投稿作品・お知らせとお詫び 23. 編集後記 |
広報誌編集部 事務局 事務局 事務局 広報誌編集部 上虎 大友章三 えりちゃん 海帰優人 西九条舞 ま〜たれ メイちゃん 広報誌編集部 pooh 大友章三/ま〜たれ 事務局 根箭太郎 大友章三 川島眞吾 事務局 事務局 散歩人/岩国久美子 ま〜たれ |
印刷版の表紙 |
はじめに
豊中市の待兼山町に位置し、蛍池駅前に事務所がある当センターにとっても“地元の大学”である、大阪大学豊中キャンパス(以下、阪大豊中と称します)。その阪大豊中の中に、『身体障害学生支援室』というところがあります。
もともと当センターと阪大豊中とは、長い間かかわりがありました。当センターの利用者の中に、阪大に通う筋ジストロフィーの学生がおられたからです。その学生は昨年卒業されましたが、その方との出会いがきっかけとなって、阪大豊中とはいろいろと情報交換を行うこととなりました。「身体障害学生支援室」も、そうした中で存在を知ることになったもので、当センターとしてもかねてから取材をしたいと思っていたのですが、ようやく実現することが出来ました。当日は大友と根箭の2名がお邪魔し、身体障害学生支援室の松原崇さんが、最後までご協力下さいました。
なお、この特集は、前編と後編の2回に分けてお届けいたします。今回は、支援室の成り立ちや全般的な活動内容を紹介し、次号にて、各学生へのインタビューも交えた、より具体的な情報をお届けしたいと思います。
1.設置の時期ときっかけ
身体障害学生支援室が誕生したのは、2002年10月16日です。もともとのきっかけは、ある聴覚障害の学生が入学してきて、その学生が講義中のノートテイクを要望してきたことと、先ほども触れた、筋ジストロフィーの学生の存在です。もともと阪大には、学校全体で障害者学生を支援するシステムは存在せず、各学生や各学部ごとに個別対応をしていました。しかし、それではどうしても支援の体制は不安定となり、ネットワークも築けないことになります。そこで、ある程度長期的な視野を持ち、計画的に対応できるシステムを作ろうという話が、一部の学生の間で出されるようになりました。そして支援に際しても、支援者には一定の報酬を支払うように(つまり有償に)し、より責任感を持ってもらおうということになったのです。こうした学生たちの考えは、『身体障害学生就学援助委員会』という、障害者学生の支援に関する大学の最高決定機関にも支持されました。そしてこの委員会において、障害者学生のための支援室を作るという案が正式に通り、有償の支援者のための予算も、大学として立てることが決定したのです。
2.運営人員と支援員
運営については、設置決定当初は学校関係者ではなく、外部の、障害者をよく理解している人に委ねようという方向でした。しかしなかなか良い人材が見付からなかったため、結局、ある学生によって運営されることになりました。その学生が、今回の取材に応じて下さった松原崇さんです。松原さんは、自身がノートテイクの活動を経験しており、また専攻がボランティア人間科学で、そこの指導教官が、身体障害者学生就学援助委員会の委員を兼任していました。そうした流れから、松原さんが学業を行いつつ、支援室の運営をおこなうことになったのです。現在松原さんは大学を卒業して、大学院の2回生となっています。あと4年ほど阪大に在籍するということですが、実は設置以来、支援室のスタッフは松原さん一人だけで、それも豊中と吹田(阪大本部)の両方をかけ持ちしているという状態です。まだ時間はありますが、何とか自分が卒業するまでに引き継ぎ体制を整えたいというのが、今の松原さんの切実な思いです。
一方、支援者(有償ボランティア)については、この支援室に登録するという方式を採っています。現在約30名の学生が登録しているほか、一部地域の(学校外の)人も登録しているのですが、実際に活動できている人は、ごく僅かしかいないのが実情です。支援室としては、とにかく支援員を増員させ、より行き届いた支援ができるようにしたいと、鋭意努力をしています。
3.現在の障害者学生数
2004年4月現在で、阪大には計17名の障害者学生が通っています。障害の内訳は、肢体不自由者8名、視覚障害者3名、聴覚障害者4名、難病1名、そして透析をおこなっている人が1名です。肢体不自由者については、電動車いす使用、手動車いす使用、松葉杖使用の人を合わせた数となっています。
支援室内での取材風景 向こう側、正面を向いているのが松原さんです。 知的な好青年という印象でした。 |
4.活動内容
活動内容は、大きくわけると3つになります。次のページから、解説と並行して具体的に述べていきます。
(1)障害者学生への直接的支援
各障害によって、ある程度支援内容は分かれており、先ず聴覚障害者に対しては、先ほど述べたノートテイクをおこなっています。手話が必要な場合は、まだ支援者の中に手話ができる人がいないため、大阪ろうあ会館というところに依頼をしています。現在、ノートテイクを必要とする学生が、専門性の高い理系の学生であるため、普段の講義中はノートテイクの方が良いということです。その結果、手話が必要な場面は今のところ、入学式・卒業式といった行事や学園祭などのイベントに限られています。
次に視覚障害者に対しては、対面朗読をするほか、点訳や学内の各場所への行き方に関する情報提供をおこなっています。
次に身体障害者に対しては、必要な資料がある場所へ行くのに途中段差などがある場合、代わりに取りに行ったり、割り当てられた教室がバリアフリーになっていない場合、教職員と連絡を取り合って、違う教室に振り替えてもらうよう調整する、などの支援をしています。そして電動車いす使用の学生で、学内では手動に乗り換えたい人もいるのですが、その乗り換えの介助は、教職員に協力を依頼してやってもらうようにしています。
さらに具体例として、昨年、留学生で電動車いすが必要な人が入学したのですが、その際学校側と相談して、電動車いすを1台購入しました。その車いすは、留学生に貸し出すという形をとっています。
もう一人、電動車いす使用者で、現在は豊中キャンパスのみに通っているのが、来年度から同じ日に吹田キャンパスと両方通わなくてはならなくなる、という学生がいます。豊中キャンパスと吹田キャンパスとの間にはシャトルバスが、阪急バスの車両によって運行されているのですが、従来型のハイステップ車両であるため、低床車両と交換してもらうよう、阪急バスに相談できないか考えています。
そのほか全体を通じての活動として、新たに入学してきた障害者学生に対する支援があります。必要に応じて、就学援助委員会や各学部の教職員と連携を取り、相談体制を組んだ上で聞き取り調査をおこなっています。また、相談を受けるだけという場合も大変多いということで、何を知るためにはどこに連絡すればいいという、連絡に関するコーディネートをすることもあります。さらに、奨学金の中に障害者を対象としたものがあるので、それを紹介したり、奨学金のための調整について知っている先生に相談して、推薦状を書いてもらうといった調整もおこなっています。
(2)支援者(有償ボランティア)の支援
一番柱となる活動は、各支援内容や状況に関する情報提供です。そして支援をする上で必要なスキルを身に付けてもらう活動にも力を注いでいます。例えば、ノートテイクというのは誰でもすぐにできることではなく、ある程度ルールもあり、またパソコンを用いたノートテイクの場合、相当速くパソコンを打つことも、できなくてはなりません。そのため、練習時間を設けて定期的にトレーニングをおこなうようにしています。また、障害者への理解をより深める取り組みとして、半期に1度セミナーを開催しています。前回のセミナーでは、聴覚障害についていろいろ話をしたということです。次回では「みんなでバリアフリーマップを作ろう」というテーマで、開催したいと考えています。このように、創意工夫をして支援者養成のためのプランを立て、実行しています。
支援室内に備えられている、ノートテイク練習用のパソコン |
ところで、先ほど述べたように、支援活動は有償のボランティアによっておこなわれるのですが、単発的な援助とか、不定期に必要となる援助については、実は無償となっています。これは大学が予算を組む際、単年度予算として一年単位で組むため、あらかじめ年間援助計画の中に盛り込めない種類の援助は、どうしても無償でつながざるを得ないからです。このあたりの事情を支援者に理解してもらうのも、大変重要なことです。因みに有償の場合は時給制ですが、実際は一つの講義が90分のため、90分で一単位になるということです。
(3)支援環境の整備
支援者がなかなか増えないという現実の中で、一番力を入れているのはやはり情宣活動です。ポスターやビラ、さらにはホームページを作って情報を発信し、支援者を募っています。特に学祭や、新入生対象におこなわれるサークルオリエンテーションなど、大勢の人が集まる場には、積極的に参加してPRをします。また、これまでの支援に関する記録を付けて、それを基に今後の援助方針を立てています。
阪大には、支援活動の今後を検討するための委員会も設けられていて、そこでいろいろな話し合いを持つよう、議題を出して教職員に働きかけています。ただ、日頃の活動の主体はあくまでも学生であるため、有志の学生同士によるミーティングも開き、『来年度のボランティアはどうするのか?』など、いろいろな話し合いをおこなっています。
5.他のボランティアサークルとの連携
2002年10月に支援室が立ち上がりましたが、それ以前から学生が主体的に活動するボランティアサークルは存在していました。その中で最も代表的なのは、「フロンティア」という名前のサークルで、現在も活動は続けています。支援室は、フロンティアにもボランティア情報を流して、そこから誰かにきてもらうという連携プレーをおこなうことができないかと考えています。
6.就労支援の現状
入学してきた学生に対する支援と共に重要視されるのが、卒業していく学生に対する、就労に向けての支援です。今のところ、就職相談というのは特にないそうですが、支援室としては、今後は就職情報の収集に力を入れ、集まった情報をデータ化していきたいと考えています。また、学内の就職担当の部局とも、現時点では公式な連携は取れておらず、ホームページでも、就職相談に関する情報提供はきちんとなされていない状態なので、それをどうしていくかが一つの課題です。障害者学生を対象とした就職説明会を開くところは、あるということで、そういう情報を回してくることが出来ればと考えています。また首都圏では、障害者学生の就職をエントリーできる雑誌が発行されているということで、それを届けてもらうようにしています。
7.今後の展望・課題(松原さんの思い)
★他校の先進的な取り組みも見習い、よりシステムの充実を
支援室開設から1年半、それなりの成果は上がっているのですが、今もまだ多くの学生の間では、支援室の存在は知られていません。先ほども述べましたが、今後、よりPRに力を入れたいと、意欲を燃やしています。そして先ほどの就労の話も含め、学内周囲との連携体制をより強化して、役割分担や責任の所在もより明確にした支援体制を整えていきたいと思っています。他の大学では、先進的な取り組みも多く見られるということす。例えば広島大学では、ボランティア活動室というのがあり、ホームページも持っているのですが、障害者支援に関して、自分達で大学の規定を作っているそうです。また東京大学でも、「障害者学生に配慮をするのは学校の義務である」とした規定が定められているといいます。ほかにも、支援者の情報システムがきっちり完備している大学や、障害者学生支援に関する授業科目を設けて、単位も取れる授業をおこなっている大学もあるということで、これらの大学に比べると阪大はまだまだ進んでいないと、松原さんは感じています。何とかしてもっと水準を上げていきたい、そしてそのためには現在の支援室ではとても足りないので、もっと広い部屋に移ることができれば、という思いを持っています。
★阪大の法人化とそれにともなう体制変更
国立大阪大学は、今年度から法人化されて『国立大学法人大阪大学』として再発足することになりました。これにより、阪大には自治権と裁量権が認められることになり、阪大独自としての支援体制作りを、より進めやすくなることが期待されています。ただ法人化に伴い、現在の身体障害者就学援助委員会を、学生生活全体を支援する学生生活委員会と統合しようという動きが出ています。これについて支援室は、学生全体を支援する組織の中だけで、障害者学生の支援に充分に手が届くようにするのは難しいのではないか?やはり新たに検討委員会を発足させ、そこでいろいろ協議したことを学生生活委員会に引き継ぐ、というのが望ましいとする意見を述べました。法人化後にどうなるのかは未定ですが、今が少しでも良いものを作る、チャンスの時かも知れません。
おわりに
以上、大阪大学身体障害学生支援室についてお伝え致しました。まだまだたくさんのお話を聞かせていただいたのですが、紙面の都合上、どうしても割愛せざるを得なくなったことをご容赦下さい。今回の取材で、私たちは身体障害学生支援室が、学生自身によって運営されていることを初めて知りました。まだ若い、これからの社会の担い手が、既にこれだけのことを考え、活動しているのは、福祉全体にとっても大変明るい話だと思います。
最後になりましたが、当日ご多忙な中、丁寧に取材にご協力下さいました松原崇さんに、改めてお礼申し上げます。
(文責:根箭)
2月下旬より開講したホームヘルパー養成研修(3級課程)+ガイドヘルパー養成研修(全身性課程)が1ヶ月間で修了した。修了人数は3級課程13名、全身性課程22名となった。
2003年度最終の講座となり、全身性課程は相も変わらずかなりの倍率になった。前回も書いたが、ガイドヘルパー養成研修の事業者指定が昨年6月に始まったばかりで、まだ行う事業者が少ない状況であることを物語っているようだ。人材育成に関する本年度以降の課題ともいえよう。
今回新しく試みたのは、3級課程を通信講座で行ったことである。通信講座は学習期間を一定期間おかなければならないため、通常通り行うと3級課程を修了するのに実習を含めて1ヶ月要するところを今回はその期間に全身性課程を盛り込むことにより、セットで1ヶ月で修了するという講座にした。なんといっても間延びすることなく、短期集中的に無理なく受講できる点が受講生に好評であった。本年度もこのような形態で行う予定である。
本年度の研修予定をホームページに掲載しておりますので、ご覧ください。 それでは最後に、実習風景の画像を、何枚か載せたいと思います。
(文責:馬渕)
講義中のようす | フィールドワークで外出(川西能勢口駅前、アステ川西) |
ボディメカニズムの実習 | アイマスクをして、視覚障害者の食事体験 |
去る2月22日、2003年度「市民講座」が開催されました。この講座では、自由に安心して移動できる街をめざしてをテーマとし、『視覚障害者の歩行の自由と安全を考えるブルックの会』副代表で、盲導犬と一緒に生活をしている佐木理人さんに講演していただきました。佐木さんは、本誌Vol.7の特集、『佐木訴訟を語る』でもご協力いただいており、この日の講座でも訴訟のことについて言及されていましたが、ここでは、視覚障害者の歩行の現状などを中心にまとめていきたいと思います。
佐木訴訟については、Vol.7をご参照下さい。
参加者の方々 |
◎「落ちる、ぶつかる、つまずく、迷う」と隣り合わせ
視覚障害者の間では、“駅のホームから3回落ちて一人前”と言われるくらい視覚障害と駅のホームからの転落というのは、切っても切り離せない切実な問題となっています。物にぶつかることも非常に多いです。もちろん、電信柱や看板にぶつかることが多いのですが、一番嫌われるものは、自転車です。それは、使っている白杖が自転車の車輪に入って曲がってしまうことがよくあるということと自転車に乗ったり乗せてもらったりなどの恩恵を受けることがほとんどないということからだと思います。そして段差につまずくこと、溝につまずくこと、迷うことも非常に多くなっています。このように視覚障害者の歩行は、「落ちる、ぶつかる、つまずく、迷う」の危険と常に隣り合わせとなっています。
◎弱視者は理解されにくい!
弱視の方は、周りから見てもその人が弱視であるということは、なかなか分かりません。目が全く見えない人であれば、白杖を持ったり、盲導犬を連れていたりして人目にも分かりやすいのですが、弱視の方というのは周りから分かりにくい分、にらんでるなどと思われたりと、良い印象を持たれないということで悩んでいる方も非常に多いです。
また、もうひとつ大変なことは、これはお医者さんであっても眼科医であっても、その方がどんな風に見えているかは分からないということです。見え方は千差万別で、その中で自分の見え方を分かってくれている周りの人というのはとても少ないです。ですから、これから視覚障害の方に出会われたら、どんどんコミュニケーションを取って、その方の見え方や不便さを理解して頂けたらと思います。
◎白杖は大切な体の一部
白杖は単なる白い棒、杖ではありません。なぜ白いかというと、これは世界共通の色で、これを持っている人は、目が見えないですよと伝える役割をしています。そして白杖は視覚障害者の目の代わりをしてくれています。皆さんは、目を使って色々なものを見て、障害物をよけることができます。しかし視覚障害者はそれをすることができないので、この杖が目の代わりになってくれているのです。体の一部です。
また、白杖を使っている方で一番困ることは、周りの状況が分からないということです。色々なトラブルに巻き込まれたとき、今、どのトラブルが起こっているのか分からず困ってしまう事があります。ですからそんな時には視覚障害者の方に状況を伝えて頂けたらと思います。
また、あまり知られてないことで、白杖は実
は持つこと自体に非常にためらいを感じている方が多く、中途失明になってしまった方の最初にいきあたる壁は、白杖を持つということなんです。
白杖について熱心に語る佐木さん |
◎盲導犬は、職業犬
盲導犬は、視覚障害者を誘導する仕事をしている犬です。誤解されやすいのが、盲導犬に地図を見せたらその場所まで行ってくれる、また信号がわかるといったようなことですが、そんなことはできません。目的地までの行き方を目の見えない方が頭に入れて置いて、右に曲がったり、左に曲がったり、階段をのぼったり、横断歩道を渡ったりを決めているのです。盲導犬ができることがあって、もちろん目の見えない人ができることがあって、2人でできることを掛け合わせて好きなところにいける訳なんです。また、盲導犬はハーネスを付けている時は仕事をしていて、ハーネスを外したときはお散歩モード、お遊びモードになります。
◎ガイドヘルパーの仕事
視覚障害者のガイドヘルパーは、視覚障害者の「安全、権利、プライバシー」を守る仕事です。視覚に障害を持っている方は目から情報が入ってこないということで、色々な所で人権を侵害されてしまったり得られるべき情報が得られなかったりすることがあります。ですから、ガイドヘルパーは、その方が不利な立場に立たないために今の状況を伝えたり、周りの状況を伝えたり、情報を保障したりする立場にたつのが非常に重要になります。
さいごに・・・・、佐木さんからのメッセージ
交通事業者へ:『安さ』、『速さ』、『便利さ』から『安全性』へ
今まで交通会社は「安くなりました!速くなりました!快適に利用できます!」と言うことばっかりを宣伝し、力を入れてきました。「安さ、速さ、便利さ」を追求するがために本来、保障されるべき誰にでも安全に利用できるという「安全性」がおろそかになってきている傾向があります。そうした事によって高齢者、障害者にとってある意味、不便になってきたところも多くなっています。
皆さんも、切符を買う乗車賃には「安さ、速さ、便利さ」ということにもお金は払っていますが、一番大切なことは「安全」に利用できるということも料金に含まれているという意識を強く持って欲しいと思います。また、交通会社には、「うちのホームから落ちた人はいないです」「誰にでも問題なくアクセスして利用してもらえます」といった様な安全性に力を入れていって欲しいと思います。
行政へ:『当事者参加』から『当事者主導』へ
区役所や市役所の会議では当事者参加が多くなってきています。しかしこれからは、ただ参加するという「当事者参加」の形ではなく、障害者、高齢者、子育てをしている親など色々な立場の当事者が意見を出していって専門家の方や鉄道会社の方が実現していくという「当事者主導」の形になっていってほしいと思います。それにあたっては私も含め当事者が色々な勉強、経験をつんでいく必要があります。
そして私たち:『人にやさしい街』から『人がやさしい』へ
人にやさしいというのは、エレベーターやエスカレーターをつけたりなどの整備面だけではありません。整備面ではやはり限界が出てくるため大事になってくるのはやっぱり人の力です。「人にやさしい街」を進めていくのも大切かもしれませんが、それと同時に「人がやさしい街」をどう実現していくかが大切だと思います。ちょっとした声をかけあったり、気遣い、譲り合いが大切だと思います。「人がやさしい街」の実現には、街づくりや交通についてみんなでどんな
街にしていったら、いいのかというのを考えたり、意見を出し合ったり、交流を持てる場をどんどん作っていくことが大切です。そういう場を作っていってそれにみんなが参加していって、色々な意見を交換していって、そうすることで認識が高まり、知ることによって力が生まれる。人がどんどんやさしくなっていってみんなで街づくりを進めていく。みんなで社会を支えていくことで、健常者は障害者についての街づくりを考えていかなければならないし、障害者も他の障害者の街づくりを考えていかなければならない。
これから、様々な障害の街づくりの話を聞かれて、皆さんが持たれた意見を交換し合って、より街づくりに対しての雰囲気が盛り上がっていってみんなでよい街をぜひとも作っていけばと思います。
今回、“自由に安心して移動できる街をめざして”ということでお話して頂いて、その中で、視覚障害には色々なタイプがあり、それぞれに症状が違いまた不便さやバリアが違ってくるということを知りました。色々な人が生活している、移動している街ということを意識して毎日を過ごしていき、「人がやさしい街」をめざしてみんなで進んでいきたいと思いました。
最後に、今回の市民講座の講師を務めて頂きました佐木理人さん、ありがとうございました。
(文責:潮ア)
佐木さんの傍らで、大人しく待機する 盲導犬ブルック |
2003年度第2回自立生活プログラム講座は、昨年末事務所移転とともに、自立体験室も新しく、一戸建てになったので、この新居を使い“思い思いのプログラムを自分で立てていこう!・・・”という声がけをしたところ、ふたりの方が参加してくれました〜。
一人は、以前から当ILPルームをよく体験してくれていた中野 健さん。 もう一人は、ちょっと遠い所から、野中 久美子さん。
講座初日には、“先輩のお話を聞こう!”ということで、井上 郁子さんに“どうして一人暮らしをするに至ったとか、どういう風にして生活をやっているか。”ということと、運動をされている【無年金学生障害者】のお話していただきました。アイデアグッズが、思わぬ自分にとっての便利ポケットだとか。お話の中でリフトの紹介があったからか、二人ともリフト初体験してくれました。
ふたりとも、宿泊をされ、食事作りを楽しんだようです。
まず、初めてILP講座に参加してくれた【くみっぺ】は、感想文を書いてくれました〜。さて、どんな印象かな?
私は、今回初めてILP講座に参加しました。
井上いく子さんの講演は現在の生活にいたるまでのお話や、現在の生活や、ヘルパーさんとのつき合い方、生活の知恵などを教えてもらいました。私は床に落ちた紙などをカーペットの掃除器具などで取ると聞いて「そうか!」と思いました。話を聞いてILPルームに泊まるときや、自立生活に向けての参考にしようと思いました。
そして、実際にILPルームで自立生活体験をしました。
ヘルパーさんといっしょに買い物に行ったり、夕食を作ったり、お風呂の介助をしてもらいました。何をするにも指示をヘルパーさんに出さないといけないので、どうしても気を使ってしまい、うまく言えず、「難しい!」と思うところもありました。でも、楽しく1泊2日不安もあったけど泊まれてよかったです。
このことを参考にして、一人暮らしができるようにがんばりたいです。また、ILPルームに宿泊したいです。それとまたILP講座に参加したいです。
以前のILPルームをよくご存じの【たけし】は、『ひろい・広い』との声。
そう、新居は一軒家なんで〜す。
いつも利用の時、事務所によく顔をのぞかせていた【たけし】は、寂しくなかったんかな〜?
【全然自立レベルじゃあない障害のレベルなので・・・】とお話された井上さんも、自立生活の大先輩です。
何かをしようと思ったら、まず自分で情報収集。周囲の人からのヒントも強い見方だとか・・・。
やっぱり、外に出かけていろんな人と出あって、いろんな事を体験していくことかな?新しいILPルームを、どんどん使用してくださいな!
でも、決してILPルームもすごく使いやすいものではないんだけど、利用した【くみっぺ】もシクハクしたよね。いっぱい失敗して、いっぱい工夫して、自分にあったリズム・生活を見つけてくださ〜い。
今回、新ILPルームの名前を決める予定でしたが、決まりませんでした。今度、ILP講座やイベントに参加された時など、スケジュールで目いっぱいで、せっかく知り合えても、ゆっくり喋れなくて悲しい〜と言う声から、ただ集まってお話しようと、サロンを開こうと思ってるんです。是非、お喋りにお立ち寄りくださいな!!その時にまた、新ILPルームの名前を決めたいなと。。。
by ま〜たれ
くみっぺ | たけし |
前号のお知らせでご紹介しましたが、「CIL豊中通信」は、印刷版の他に、目の不自由な方のための点訳版・音訳版・そしてメール版を発行しております。この内点訳版は、点訳ボランティア団体「サークル・ゼロ」さん、音訳版は、音訳ボランティアの蔵楽恭子さんが受け持っておられます。
今回、その「サークル・ゼロ」さんと蔵楽恭子さんをご紹介します。
1.「サークル・ゼロ」
*活動の経緯
「サークル・ゼロ」さんは、元々は蛍池公民館で夜に活動をされていたそうです。しかし、活動を続ける中で、夜に出にくい人もいるため、昼に活動したい人が中心になって、1996年8月、服部にある、福祉センターひまわりにボランティア登録をして、昼間の時間帯活動を始めました。それが現在の「サークル・ゼロ」さんです。
毎週水曜日に“ひまわり”4階のボランティア室で活動をされています。発足は、4人から始められたそうですが、年々人数も増え、現在は12〜13人で構成されています。
*活動内容
点訳の内容としては、医学雑誌、オーディオ関連のパンフレット、バス時刻表、小説、お店やホテルのレストランのメニューなどです。また市役所からの依頼として、最近ならゴミ収集日の案内、ほかに諸団体の広報誌等仕事内容は様々です。この内、雑誌・パンフ・小説・時刻表については、個人の方が直接来られての依頼です。企業から直接依頼が入る時もあります。
ところで、サークルゼロでは毎年6月にはパソコンでの点訳講習会もされており、受講生を募集しています。
仕事の打ち合わせ風景。 ちょうどこの時、ある企業から、レストランのメニューの点訳版作成の依頼が来ていました。 |
*作業過程
週に一度ひまわりに集まり、打ち合わせや行程の確認をします。そして作業は各自家で行うそうです。テキスト形式のデータがあれば、パソコンで点訳の80%〜90%が出来ますが、その後の編集が大変です。校正は点訳ルールに従って、急ぐ時にはメールでデータを転送しての校正もします。そして3回ほど校正を繰り返して完成となります。印刷は、印刷工房(会員宅)というところで行っています。
設備のようす |
印刷は、墨字でA4用紙1ページのものが点訳版になると、大体4ページ、つまり4倍になり、1ページを印刷するのに1分くらいかかります。また、苦労される点としては、表などは、点字としてわかりやすい形に組み直すのに時間がかかること、写真の説明は点訳者のセンスが必要になってくるので、大変難しいということでした。
*「サークル・ゼロ」さんからのメッセージ
利用者さんあっての「サークル・ゼロ」なので、これからも当事者さんのニーズを直接吸い上げ、手紙やチラシ1枚からでも活動を進めていきたいです。また、視覚障害当事者さんの利用が増え、もっともっとお役にたてたら嬉しいと思っています。
今後、より広く、自分達の活動が知られたらいいな、と思っています。
2000年、介助料の点訳をお願いしたのが始まりで、それ以来、広報誌の点訳版を受け持って頂いています。すごくパワフルで温かみあふれる「サークル・ゼロ」のみなさまでした。
(文責:潮ア)
インスタント食品の点訳版実物。 画像では判りにくいですが、表面には点字が打たれています。 |
2.蔵楽恭子さん
*「音訳」とは
音訳とは、ごく簡単に説明しますと、活字媒体であるものをカセットテープなどの媒体に録音する作業のことです。音訳版は、視覚や上肢などに障害があるため、活字が見えない、冊子のページをめくりにくいなど、活字情報にアクセスしにくい人たちのためにあるものです。
蔵楽さんは、音訳グループ「とも」や、「コープあいくらぶ」、日本ライトハウスなどで音訳活動をされています。
*音訳するようになったきっかけ
2000年に茨木で行われた大阪北生協のコープボランティアフェスティバルで、講演会が開催されました。その講演会の講師として、当時、自立生活援助センター「とよなか」の職員だった大友ともみさんを招き、ピアカウンセリングのことなどに関して講演してもらいました。この出会いにより、生協の商品案内などの音訳をしている「コープあいくらぶ」を知った大友ともみさんから、当時の機関誌(マイライフとよなか)の音訳版の作成依頼があったそうです。
しかし当時、「コープあいくらぶ」の活動はまだ始まったばかりで、ゆとりもなく、引き受けることができる状態ではありませんでした。そこで、将来的に活動が軌道にのってからその依頼を引き受けるとして、まずは、「コープあいくらぶ」に関与していた蔵楽さんが、個人的に音訳を引き受けることになりました。
*音訳作業の行程
まず、下読みをします。表になっているものや、注釈を入れなければならないものは、どう声で表現すれば分かりやすいかを考えなければならないので、その「考えること」に相当な時間がかかるとのことでした。そして、固有名詞などの発音の難しさについてもお話されていました。
例えば、「ま〜たれ」さんというのは、アクセントがどこにあるのかな?
と迷ったそうです。「ま」の発音によっては、関東弁風になったり、関西弁風になったりします。事務所の内部ことをよく知らない蔵楽さんとしては、戸惑いもあったそうですが、取材当日、「ま〜たれ」 さんも同行していましたので、感動的な初対面となりました。
そして、次にテープに録音します。
機関誌マイライフとよなかの時は、10〜15ページ程度で、30分ぐらいの録音だったそうですが、2002年度にNPO法人CIL豊中になり、現在の広報誌になってからは、ページ数がグングン跳ね上りました。現在は、90分テープで2巻になるとのことです。
次に、出来上がったテープを人数分ダビングして、「郵袋」というものに入れて発送します。高速ダビング機でダビングすると、1回に3巻、2〜3分でできます。郵袋というのは、盲人用録音物を郵送するためのもので、無料で郵送できます。
まだまだゆとりがあるので音訳版の読者が増えて欲しいとお話されていました。
コープアイクラブ。 終始和やかで、意欲溢れる雰囲気でした。 |
*音訳作業を通じて
最初は、10〜15ページのものだったので、いつでもできると気軽に考えていたそうです。しかし、ページ数が増えてくると、原稿をもらった時、最初は「しんどいな。」とは思うものの、「記事が充実してくることは、やっぱり励まされるし、勇気をもらう。」と蔵楽さん。また、記事を音訳することで蔵楽さん自身、非常にためになったこともあるとのことです。 例えば、支援費制度に関連する記事です。これによって、行政からの情報だけではなく、当事者の間での情報が得られたことは、非常に助かったとお話されていました。佐木訴訟の記事については、佐木理人さんのことは、「交通バリアフリー」という視点で以前から注目していたそうですので、大変ためになったとのことでした。
記事を音訳するということは、下読みをはじめ、何度も読むことになりますので、その分、記事をしっかりと読むことになります。その中で、内容を参考にしていただいたり、楽しみながら音訳作業をされているということが、大変よく伝わってきました。
(文責:和田)
ダビング機材(左)と録音風景 最後にデモンストレーションをしていただきました。 |
★読者の皆さんへ
以上、点訳・音訳版広報誌をご紹介しました。取材にご協力下さったサークル・ゼロさんと蔵楽恭子さん、本当に有難うございました。これからもよろしくお願いいたします。
役立つインターネットサービス
今回は、僕が「便利だなぁ」と思って日頃から活用しているインターネットサービスをいくつか紹介しようと思う。外出に困難を感じる障害者にとってはとても役に立つサービスだと思う。
@DISCAS(http://www.discas.net/)
1つ目はインターネットでDVDをレンタルすることができる月額定額制のサービスだ。レンタル店までわざわざ足を運ぶ必要がない。また、返却もポストに投函するだけなので人にお願いしやすい。具体的な流れは以下の通り。
@まずWeb(ホームページ)上でレンタルしたいタイトルを選択する。
Aすると数日後に選択したDVDが郵便で郵送されてくる。
B最後に、鑑賞し終わったDVDをそのままポストに投函する。
このサービスの良い点は返却期限が特に設けられていないということだ。もちろん返却しなければ新たにレンタルすることはできないが、焦らなくて良い分だけ落ち着いて鑑賞することができる。以前に利用していたことがある同業者の「ぽすれん」(http://posren.livedoor.com/)は、配送センターが千葉にあるため、郵送に若干時間がかかるが、DISCASの方は東大阪なので、比較的早めだ。
Aポスコミ(http://www.postcom.co.jp/)
2つ目はインターネットでハガキの作成と投函/郵送をすることができるサービスだ。
このサービスを利用すればわざわざハガキや切手を買いに行く必要もポストまで足を運ぶ必要もない。具体的な流れは以下の通り。
@まずWeb(ホームページ)上で、宛先情報やハガキのレイアウトを編集する。
A最後に、投函か郵送を選択する。
Bビックカメラ.com(http://www.biccamera.com/)
最後はPC・電化製品系のオンラインショッピングサイトだ。数あるこの手のサイトの中でこのサイトを利用する理由は、
@ポイント還元率がかなり高い(10%〜20%)。
Aそのポイントを次のショッピングに利用できる。
の2つだ。
ポイント還元率の高さなら、ヨドバシ・ドット・コム(http://www.yodobashi.com/)もあるが、こちらはそのポイントが店舗でしか利用できないという重大な欠点があるため、ポイントを利用するためにはわざわざ店舗まで足を運ばなければならない。
というわけで、今回は役立つインターネットサービスを紹介しました。
DISCASの検索画面 |
全国自立生活センター協議会(JIL)では、2003年5月から「当事者エンパワメントシンポジウム」という企画を全国各地で行ってきました。
この企画の目的は、サービスの消費者であり供給者でもある当事者が力を得ること=“エンパワメント”が今後の福祉施策の潮流となることに際し、「地域福祉」「当事者エンパワメント」が今後の福祉施策の方向性として明確に提示される一方で、従来の施設福祉に比べて財政的、社会的な基盤が弱いかとが課題となっています。
このような現状を変えていくには、世論を呼び起こし社会に合意したものを図っていくことが大切であります。そのためには、障害者・高齢者の枠をこえて「地域社会」「エンパワメント」に取り組む当事者及び支援者のネットワークをつくり、地域社会をすすめる形をつくることを目的としています。
このシンポジウムでは、支援費制度に取り組む厚生労働省の担当者、開催地域の自治体のリーダー、学識経験者、障害者運動のリーダー、そしてJILの代表などがシンポジストとして参加していました。
私が参加した東京のシンポジウムは、3月28日に皇居の近くにある「東京商工会議所ビル」で行われ東京で障害者運動や高齢者の活動を行っている人達が500人ほど集まりました。なかには、九州から来た人もおられたそうです。
今回のシンポジストは東京都福祉部長 有留 武司さん、東京大学教授 上野 千鶴子さん、厚生労働省 塩田 幸雄さん、高齢社会を良くする女性の会代表 樋口 恵子さん、JIL代表 中西 正司さんで行われ、今回のまとめ役は、大阪大学教授 大熊 由紀子さんでした。
今回は、中西さんと上野さんが岩波新書から出版した「当事者主権」の御披露目も兼ねた形で行われ、この本のテーマである「障害者」「女性」「高齢者」「子ども」「不登校者」「患者」・・・。問題を抱えているとされている当事者たちが「自分のことは自分で決める」と声をあげた。また、当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも−国家も、家族も、専門家も−私がだれであるか、私が望んだり、訴えていることが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明であります。
昨年4月より、当事者の自己決定を前面に打ち出そうとした形でつくられた「支援費制度」が始まり1年になりました。
厚生労働省は支援費制度を続けていく中で財政基盤が切迫し、予算額よりかなりオーバーしている、使っていない他のお金をもってきて支援費予算に入れたとしてもオーバーになってしまう。そこで、介護保険制度と統合ができないものかとチームを組んで話し合っているようです。
今回のシンポジウムでは、厚生労働省の塩田さんがいうには、「今、始まったところで具体的な動きだし、介護保険の保険料の徴収の仕方や障害者が介護保険制度を受けられるにはどうするのかを考えて、法律を変えるときには国会内で与党と野党の賛成をもらわないと進められない。また、都道府県や市町村のコンセンサスも得られないといけない、そして、国民の支持がいる。そこで、早急にはそれができず、10年ぐらいの時間が必要となってくる。」と言っていましたが、内側では、どんどん進み昨年1月に起きた、「支援費の上限問題」のようなことにならないようにと思い、国のやり方や、言っていることには注意しなければならないと思いました。
東京都の有留さんは、「『脱施設・地域自立』のポリシーのもと都内・都外にある施設の規模を縮小し、それ以上に地域にグループホームなどをつくっている。また、石原知事になって障害者に対する福祉予算は増えていっているので頑張っているつもりだし、今さら介護保険を導入されても困る。」と発言していました。
上野さんは、フェミニスト(女性解放運動)をしている立場から、男性社会に対する批判のなかで、「障害者解放運動が停滞したり、国が弱者に対して、抑圧的な動きをするのも親父(男性)が中心的な立場にたっているからだと」述べていました。
樋口さんは、「障害者と高齢者がいい関係をもつことで福祉施策はあがっていくであろう、自分自身障害者が介護保険をつかっていくことは賛成、ただし、使い方を変えていかないと両者にも弊害がくるのはあきらかである。行政だけで進めるのではなく、当事者の参画が重要になってくる」。と言っていました。 中西さんは、「介護保険を障害者がつかうようになった場合、24時間介護など受けられないし、事業所も自由に自分で選ぶこともできない。また、高齢者の介護と障害者の介護は明らかに違う、私たちがやってきた自立生活の考え方も根底から変わってしまう。せっかく自己決定・自己選択をテーマにした支援費制度が1年あまりで変えられてしまうのは情けない」と悔やんでいました。 このシンポジウムに参加して、統合問題のことや、最近の国の動きなどがもっと聞かれて、活動している当事者の声が聴けるかと思いましたがあまりそれがなく、少し肩透かしにあったような気がしてとても残念だったと思います。でも、地元で当事者として動いていくことがより一層重要であると感じました。
いつもは、ママが、わたしのこと、おもしろく書いているけど、今回は、おかえしで、私が、書こうと思います。
ママは中学生のころから、おおとりらんさまが大すきだったそうです。宝塚の楽や口で、でて来はるのを、まってたりして、(そのころは、ママも、歩いていたそうなので、)ヨタヨタしてて、おおとりらんさまもみるの、たえられなかったんでしょうね、手をつないでもらってたそうですよ!何で、こないにしてまで、行くのかな?と、ちょっと思いました。
今もママは、おおとりらんさまのぶたいとなると、ひじょうに元気になって、一どなんて、わたしの体をふり回して、よろこびました。ああ、かたや首がいたいなんて、うそだと思いました。
ママは中学生の時からおおとりらんさまのことをあきらめずにずうっとすきでいてて、すごいなぁと思いました。
ときどきママは、へるぱあさんに、ざいりょうを切っといてもらって自分で、りょうりをします。そしてごはんができて食べてみたらものすごくおいしい時もあるけどふつうの時もあります。
それと、ママはときどき足をブラブラさせています。ママもじっとしているのがきらいなようです。もし、ネコがいたらネコじゃらしとまちがえるかもしれません!
うちのママはかわってて、こんじょうのあるママだなぁと思いました。
いつ通りがかっても「一風堂」には行列がある。HEPの北隣という立地条件がプラスαされているとはいえ、本当にAM11:00の開店から日付の変わる閉店間際まで、その行列が途切れることは無い。一風堂を初めて訪れたのは、半年程前の夜遅く。その日は会議のために梅田へ着くのがPM10:00を過ぎるのが分かっていたので、初めから一風堂を決めていた。20分位並んで店に入った。
・・・という所で店の様子を書くはずなのだが、その後3度行った記憶も含めて、情景描写が出来るほど視覚的なことはほとんど覚えていない。実は、ラーメンや餃子がうますぎて他のことがふっとんでしまうのだ。かといって、どんな材料を使っているのか、どういうこだわりを持って仕上げられているのか、僕には分からない。ただ、誰かれなしに「だまされたと思って行列に並んでミ」と言いまわりたい。その味を具体的に言葉にしようとすると、怖いような気持ちになってしまう。だから「だまされたと思って行列に並んでミ」なのだ。
さて、行列に並んでみる価値のない場合もたくさんある。豊南市場のそばに出来た某洋食焼きのチェーン店、エトレとよなかにある某シュークリームのチェーン店。その他オープンしたての一時期、安さともの珍しさで行列が出来る店はままある。ただ、それが日常として続くことは非常に少ない。用心深い僕は行列の内容を見極めようとする。まずいものに並ぶほど悲しいことはないからだ。無言で並んでいる人が多い列は信頼できる。食べ物の話をしている人が多い行列も信頼出来る。目立たない所、交通の便の良くないところに出来る行列も当然信頼出来る。たった一つこれだけは言いたい。どんなに多くの人が支持してる味であっても、あくまでも味覚は個人のもの。その人がおいしくないと思えば、それは動かし難い現実になってしまう。世の中の基準のほとんどが個人のレベルなのだ。自分を信じることが一番なのだ。一風堂をみんなに薦めながら、自分を信じることを説くとは何という矛盾だろうか。そんな矛盾を軽くするためにとてもいいかげんな情報を一つ。一風堂は西宮のどこかにもあって、いつ行っても待つことなく店に入れるらしい。一体、西宮の一風堂はどこにあるのだろうか。
もうすぐ梅雨の季節。雨が降ると外出したくないと思うのは私だけではないと思います。しかし、外出しない日が続くと気分転換できないのも私だけではないでしょう。そこで今回は雨に濡れないスポットということで神戸ハーバーランドを紹介します。
神戸ハーバーランドを歩くと港町・神戸に来たという実感するスポットですが、今まで神戸駅に業務用のエレベーターしかなかったので、行きはよくても帰りが大変でした。最近、ハーバーランドの最寄り駅であるJR神戸駅にエレベーターができ、高速神戸駅にもホームから改札までエレベーターができたので、行きやすくなりました。
1.JR神戸駅経由
ハーバーランドそのものが旧国鉄の貨物駅の跡地にできたため、JRに乗って行くのが便利です。
梅田からJRに乗って神戸で降ります。新快速に乗れば大阪駅から神戸駅まで24分です。8両(もしくは10両)編成の新快速の場合、前から6両目の真ん中のドアに乗ると神戸で降りる時に便利でしょう。また、快速に乗った場合は6両(もしくは8両)編成の場合は前から5両目の後ろのドアに乗るのがおすすめです。
改札を出て右に曲がるとDUO KOBE(地下街)への入口(階段とエスカレーターがあります)ここを右に曲がると(神戸駅を右に見てすすむことになります)
地下鉄ハーバーランド駅の1番入口(階段とエスカレーターがあります)があります。この入口を正面に見ると左後方にエレベーター(写真a)がありますので、そのエレベーターで地下に下りてDUO KOBEに入ります。
写真a このエレベーターでDUO KOBEや地下鉄ハーバーランド駅に行きます。 |
エレベーターを降りると、トイレが見えます。トイレのところを右に曲がります。(ちなみに左に曲がると地下鉄ハーバーランド駅です。)
最初の通路を右に曲がり(左に曲がると上りスロープになっているのですぐに引き返せます)、そのまままっすぐすすむとハーバーランドに入ります。
2.高速神戸駅経由
北急沿線の方はJRの方が便利ですが、阪急沿線の方は十三か梅田から新開地行きの特急に乗って高速神戸で降りたほうが切符を買い直さずに済むのでいいかもしれません。また、帰りは十三で同じホームで乗り換えできるメリットもあります。
梅田か新開地行きの特急に乗ると終点新開地のひとつ手前の駅です。この時、先頭車両の前のドア(つまり一番前)に乗ると高速神戸で降りるとき便利です。
高速神戸駅の改札(西改札になります)を出るとメトロ神戸(地下街)が見えますが、反対の方向に進みます。突き当たったところが高速神戸駅の東改札口になります。
この改札口を右に曲がり、道なりに進みます。ちょうどこのあたりからメトロ神戸からDUO KOBEになります。そうするとカスケード広場という場所に到着します。この真上が神戸駅の市バスターミナルになります。
ここでいくつか通路が分かれますが、今来た道と対角(つまり真っ直ぐ)に進みます。すぐ右側にある交番を通っていれば正しく進んでいます。JR神戸駅に行くエスカレーターが左手に見えるとすぐに下りの長いスロープがあります。このスロープを下りきってください。そのまままっすぐすすむとハーバーランドに入ります。
ハーバーランドに入って、最初に見えるのは神戸ハーバーサーカスの地下2
階ですがこのフロアが閉鎖されているため、別のエレベーターで地上に上がります。
ハーバーサーカスを左に曲がり、すぐ右側にあるエレベーター(写真b)か、さらに進んで突き当たりにあるプロメナ神戸から地上に上がる階段の右側にあるエレベータ(写真c)で地上に上がってください。
写真b | 写真c |
プロメナ神戸とハーバーサーカス(写真d)の間の道(神戸ガス燈通り)を進むとキャナルガーデン(写真e)があります。この中に神戸阪急とダイエーなどが入っています。モザイク(写真f)へはコムサストアの手前にあるエレベーターで2階に上がって渡り廊下で行くことをおすすめします。
写真d 神戸ハーバーサーカス。今年度中には名前も変わる予定。 | 写真e キャナルガーデンのガス燈通り側。 |
写真f 右側の渡り廊下でキャナルガーデンとモザイクとつながっています。 |
モザイクのメインフロアは2階ということとモザイクにもエレベ−ターはあるのですが、1階は駐車場がメインなのでエレベーターの位置が分かりにくいからです。
ハーバーランドの中でも私がおすすめなのはモザイク。入居しているお店が個性的なので見て回るだけでも楽しいし、隣は港なのでテラス席で海を見ながらのお茶は良い気分になります。また、暗くなってからの神戸ガス燈通りはガス灯が灯り、良い演出をしてくれます。
ハーバーランドには昼は昼のよさ夜は夜のよさがあります。一度行けば新たな発見があると思います。
さて今度はいつ行こうかな。
緑地公園駅エレベーター |
車いすの私たちが、電車に乗る時にスロープの板を駅の方にお願いするのですが、時には、駅側の都合で思った電車に乗れなかったり、駅構内で偶然知った人に出合っても喋ることができないという制約がありましたよね。
せっかくスロープを用意してくださっても向きが縦・横逆とか、裏・表逆だったり(笑)、置き方やスロープの幅によっては恐い思いをすることがありましたよね。
今、現在モノレールについては最前、最尾の一番端の扉に常設型スロープが設けられました。
ホームに直接、扉の横幅一杯にスロープが取り付けてあるんです。今までだったらスロープの幅を気にしないといけなかったのが横幅一杯だからかなり安心。バックのままで降りることになっても、以前のようにはみだして落ちやしないかと心配しなくてもいいんです。
もともと阪大病院前に定期的に利用される方がいらっしゃったため試験的に導入された常設型スロープでしたが、この春から、モノレール駅全駅に導入されました。
一番前と一番後ろと2カ所だけですが、かなり自由に感じるのは私だけかしら・・・?
モノレールのスロープ板(写真は少路駅) |
※この記事の画像は2枚とも、トコトコ日記より転載
スプリング ハズ カム やっと春らしくなったよね。
メイちゃん一家は、寒い季節から暖かい季節になり、着る物も薄くなったりして、動き易くなってきたようです。
私ことメイちゃんは、まだまだベッドの中で、埋もれていて毛がだんだん汚れてきています。この前の朝のことでした。「トドロ」が目をさまし顔以上に大きなあくびをしたときのことでした。何を思ったのか「ピドレット」が私を持ち上げて、「トドロ」のあくびをしている口に、あたまを突っ込んでいったのです。その瞬間、あたりは真っ暗になり、ジメジメとしたのです。「トドロ」は苦しさのあまり、私を噛みしめた途端に、私を吹き飛ばしてしまったのです。そういったことが何度かおこり、私の身体は「トドロ」のネバっこい唾液と布団の中で感じる汗臭さと、たまに起こる、おならの匂いで、身体じゅう大変なことになっているのです。できれば、ドラム式の洗濯機に入って、きれいに洗ってもらい、キウイの木の下で気持ち良く干してもらいたいものです。
先日、「トドロ」は仕事で東京とかいう所に行ったそうです。一緒に行ったのは、「トドロ」の仕事場で自動車の運転をしている「シン兄」で少し歩くのが遅いのです。電動車いすをつかっている「トドロ」と一緒に歩き出すとすぐに差がついてしまい目的地に着いた頃には、50mほど離れてしまうのです。また、「シン兄」は、愛煙家で灰皿が置いてある所を見つけだすと「トドロさんちょっと一服を・・・。」と言って、たばこを2〜3本をたてつづけに楽しむそうです。その時の「シン兄」は、顔がとろけそうになり、幸せそうな感じがしました。
「トドロ」は 「たばこは、ほどほどにしないと身を破滅しますよ」といつも言っています。
話は東京での珍道中記にもどりますが、新幹線の「のぞみ」で東京に着きました。東京駅にはホームまで駅員さんが迎えに来てくれていました。でも、言葉が早口なのと、どこかの方言がミックスされているみたいで、一度聞いただけでは何を言っているのかよくわからなかったみたいです。私たちは関西弁に慣れているのでミックスされた標準語には慣れていないようです。
また、その駅員さんはエレベーターへの案内とかをしてくれているのですが、電動車いすより足が速く、みるみるうちに、離れて行ってしまうのです。
やっとの思いでエレベーターに乗り、改札口の方向に行くのですが東京駅のホームの下は迷路みたいで、薄暗い通路を通っていくのです。そこには、緑色のペンキで床に順路が書いてあり、そこには荷物や列車内で販売するカートがいっぱい置いてあるのです。改札口の近くになると風景が変わり、壁は茶色いレンガが埋め込まれていて、そこにはレトロ調のランプが光っているのです。 時代がもどったと感じた瞬間に、人の雑踏が押し寄せてきていたそうです。 東京駅近くのホールで仕事があり、夕方近くにそれが終わったようです。 その日に宿泊するホテルは、新宿で駅からホテルに行くまでの歩いている時間、約30分は熾烈なものがありました。「新宿は人が多い」また、「歩いている人は前を見て歩かない」とぼやいていたそうです。人に何度かぶつかりながら、また鋭い視線でにらまれながら、ホテルに着いたそうです。
部屋の中は心地よく、さすが東京の使いやすいバリアフリールームがあるホテルだと関心していました。
ホテルの近くで少し贅沢をした夕食をし、あくる日は、時間が少しあったので、東京駅近くの皇居を散歩しました。そこは、だだっ広く、人もあんまりいなかったようです。マラソンを練習する人が行き来し、「はとバス」で乗り付けた見物の人々がいるぐらいです。
電動車いすで走り回るには絶好の場所ですが、ついてまわる人にとってはこんなしんどい所はないと思うのです。皇居について注意をしておきますと、敷き詰めてある砂利に車いすが入ると、埋まってしまい動かなくなります。特に電動車いすは、大変なことになりますので気を付けましょうと「トドロ」が言っておりました。
帰りも「のぞみ」に乗って帰ったようですが、車中では二人共よく寝ていたようで気がつくと隣にいる「シン兄」のいびきで起こされてびっくりすることもあったと言っていました。
私は思うのですが、仕事とはいえ東京へ行って、良い物を食べて、良いホテルに泊まれるなんてうらやましいよね。「ピドレット」と口を揃えて言います。
「今度自分たちも連れて行け!!」
陶芸作品の数々 |
【ステンシル】
○コースター 1枚200円 ○ハンカチは1枚400円 ○お年玉を入れるぽち袋 3枚100円 ○テーブルマット 5枚400円
コースター | ぽち袋 お年玉にどうぞ。 |
和紙で出来ていて、お客様やパーティーの時などテーブルなどを着飾る時にお勧めです。上にビニールシートで覆っておくと、長持ちするとのこと。
○ショッピングバッグ 500円
環境へやさしいエコバッグ。これは、一番人気です。底広でたくさん入りビニール製で丈夫で、なんとリバーシブルになっています。色は表は黒で、ステンシルで花や金魚と、色々な絵が描かれています。裏は無地で、黄・赤・緑の3色。
エコバッグ お手軽で使いやすいです。 |
【その他】
○パソコンを使っての、名刺作成や年賀状の作成。(価格は内容によります)
○学校で行われる体力測定の入力作業など
○液体薬ケースの検品
★どこで買えるの?
日常的に買える場所は、次の3ヶ所です。
○まず、豊中駅前の「なかまの店」。
○ちょっと近隣で「とよのピアin池田」。
池田にある北摂地域の障害者団体の、自主製品の展示販売のお店である。
○少し遠いのですが「ふれ愛たかつき」。
大阪府社会福祉協議会の大阪府授産事業の委託でミング阪急高槻構内にあります。商品が出来たら持っていくそうです。
★Toppoiからのひ・と・こ・と
事業所で、年に一・二回バザーをしています。 毎日、ボランティアの方が手伝ってくださり、助かっています。地域の方や、時には、ホームページを見てくださって、見学にも結構来ていただけます。これも、アットホームなToppoiならではでないかと思っています。またお立ち寄りくださ〜い!
みんな作ることの楽しさを見つけることができたのか、真剣に目を輝かして楽しく、作品に取り込んでる姿が印象的でした。そのことが、作品から感じる温かさへとつながっているのかと。。。
by ま〜たれ
2.糸をかし
「いとをかし」(とても趣があって、良い)という古語の言葉を連想してしまうのだけれど、名前の由来を聴かなかったことを反省している。でも、その作業所は、その名前のとおり、とっても趣があって、夢があってすてきなところだ、と思った。ここの作業所は、何といっても、人形劇が有名と聞いてやってきた私たち三人は、元気なメンバーさんたちの明るい挨拶に迎えてもらいルンルン。
★人形芝居は、楽しく、きびしい!!
お話を伺ったのは、河北さん。「作業所の仕事というと、普通は委託での内職などが多いのですが、うちは人形劇をしています」メンバーはみんなが役者です。(スタッフ総出演)年間で、保育所・学校・幼稚園など(年に一度の素のままそのままフェスティバル)で、20公演近くしているとのこと。人形も手作りならば、脚本も演出も、照明も音響も全て自前。2年に1回は新作も発表。内容もだれもが知られているお話の浦島太郎や、白雪姫、桃太郎などをベースにして、お芝居するなかで変わっていく。ストーリーも変わることもある。だから題名には「ひょっとして浦島太郎」、「ひょっとして桃太郎」というように、必ずひょっとしてがつくとか。他では見られない浦島太郎さんや桃太郎さんが出てくるわけですね。 「でも、お金をもらってする以上はいいかげんなことはできない。」という河北英一さん。
知的障害を持つ人たちには、「健全者の僕らにできない独特の表現、僕らには真似できないいいものがある。しかし素材のまま出してしまうと、養護学校の文化祭レベルになってしまう。」だから何度も何度も練習してその面白い表現を活かしていかなければならない。彼らにはうまくやろうとする気持ちがないだけに、普通は10年位かかるものが、かえってスムーズに行く部分もあるそうだ。また、一度入るとしっかり入るが、セリフ覚えにも長くかかる。同じセリフが半年から一年ぐらいつづくと、マンネリ化してきたりもする。マンネリ化してきたら、どうするか?なども課題なので、ビデオに撮り公演が終われば、必ず反省をしっかりするとか。お金を払って観に来てもらう以上は 障害者だという甘えを捨てて、自分たちの表現する世界に引き込ませられ、楽しんでもらえるよいものをつくりたい、ということでした。一度も観たことがないので、観てみたいと思う私でした。
人形劇のキャラクター登場! まだまだたくさんの種類がありますよー |
★ちんどんやさんも、また 楽しい!!
2年くらい前、浪花ちんどん倶楽部の宮本先生に出会い習う。5〜6人で、年10回以上公演。本格的なちんどんで、主におまつりや商店街の宣伝、池田の子どもフェスティバルの宣伝など、イベントのにぎやかしをしている。
公演日、「飛び込み出演も受け付ける」とのことなので、興味のある方はいかがですか?
人形劇、ちんどんやさんなどの出張公演依頼も受けつけてるよ、よろしくお願いします。
ちんどんやのカツラ かぶった人は実に似合っていました。 |
★こんにゃく作りも・・・!!
去年からしていて、今では公演に続く売り上げになっている。3年前に吉野に見学にいき、習って、群馬から良い粉を入れて作っている。三人組は厚かましくも、そのこんにゃくを切っていただき、わさび醤油につけて食べさせていただきました。それが、もうおいしかったこと! おいしかったこと! やわらくて、おさしみのようでした。こんにゃくは、ダイエットや体にもすごく良いとか聞くので、皆様も、「糸をかし」の皆さんの手作りこんにゃくを一度御賞味あーれ!!
今は、月.火、水、木で作っていてメンバーさんの親御さんたちに買っていただいて、どんどん広がっているそうだ。
1個 150円 賞味期限10日
糸をかしでのみ直売、1度食べてみたい人は糸をかしに連絡下さい。
特製!!コンニャク うまかった〜〜(涙) |
★置物のあひるさん作り
ジャワ島の太い竹の根っこの形を利用して、足と首をつけたらアヒルになることに気付いた学生さんがいて輸入して持ってきてくれたそうだ。ジャワ島でつくったものをここでやすりをかけたり、ニスを塗ったりしている。あひるは、ガーデニングの流行で置物として売れているようだ。
★大切なのは、出会い
最後に、河北さんがこんなことを言われていたのが、私の頭の中に残った。
「外部の、いろいろな才能を持った人との出会い、この出会いがあるから、個人の才能が伸びるんです。」これからも、外へ外へどんどん出ていき、いろいろな出会いをして発展していってくださいね。お忙しい中、皆様ほんとうにありがとうございました。
(塚原)
回転寿司のお店は最近あちらこちらにあるのですが、カウンターの前に固定された椅子が並んでいてとても車いすでは近寄れなくて食べれませんよね。でも、ここ「かっぱ寿司」豊中服部店は2002年の2月に開店した際、車いすの人達にも優しく設計されました。お店自体は二階ですが、車いす対応型のエレベーターがちゃんとあります。上がったところの入り口は自動扉でとっても広く、順番を待つのも安心です。そして、一番先に目に入ったのはカウンター。美味しそうなお寿司がくるくる回っています。その上、嬉しいことに前に置かれている椅子はどこにでも移動が可能な木の椅子なんです。長いカウンターには約15人分の座席がありましたが、車いすのお客さんが来られた時にはいくつか取り除き、スペースを作って下さるんです。障害者の方には介助が右から入る方がいい人も、左から入る方がいい人もおられるので、ここのカウンターならどちらでも選べます。(お客さんが空いてる場合ですが。。。)
そして店内にはこのようなカウンターが一つだけではなく、奥の方にも一列あって通路も広くとってあるので背中合わせになるボックス席のお客さんにも邪魔にならず入っていけます。今回の取材をかねて私も早速お寿司を頂きました。サーモン、甘エビ、びんとろ。。。とっても美味しかったですよ!そして、食べ始めて感じた優しさがもう一つありました。お皿の絵によって、わさびが入っているのと入ってないのとが分かるようになっているんです。これだと子供さんもすぐに分かりますよね。値段はほとんどが105円(税込み)。回転寿司のいいところは値段が食べながら計算できるとこですもんね。私も一緒に行った人達とたくさんお皿を重ねてきました。そして、一番嬉しかった優しさは車いすトイレがあったこと。食事をしていて一番困るのがトイレ。特にお寿司屋さんはお茶も一杯飲むし。。。ここのおトイレは木の扉で暖かみを感じる雰囲気できれいでした。スペースも充分あるので電動車いすでも中で回転できて使いやすかったです。お子さま用の、オムツ換えシートもついてました。みんさん安心して食べれますよ!
そして、一階の駐車場にも一台分ですが、車いすマークが付いたスペースが作ってありました。場所は内環状線沿いの豊中南郵便局の前です。徒歩だと服部駅か庄内駅からも少し遠いかも知れませんが、近くにユニクロもあるので、(ちなみにここも二階が売り場ですが、車いす対応エレベーター付きのお店です。)お買い物帰りにでも、ご家族で一度おいしいお寿司を食べてみて下さいね。
では、また。。。
by-pooh
「いろんな人に、困ったときに役立つ広報誌作りをしていきたい!!」
前号の編集後記でお知らせをしたとおり、この広報誌の編集責任者が交代いたしました。これを機会に、気持ちも新たにこの広報誌を、より良きものにしていきたく、今回のピア対談も新旧編集責任者同士に、広報誌について語っていただきます。
司会: 「じゃあ今日は編集長同士の対談ということで、よろしくお願いします。まず、どんな人かいなっていうことで、自己紹介から・・・」
ま〜たれ: 「ピア・カウンセラーというよりも、愛嬌担当しています。ま〜たれと申します。このVol.9から編集長という名だけ?をもらいました。障害は、呼吸器機能障害と左下肢機能全廃です。見た目に、わからないのが内部障害のつらいところなんだけど・・・たとえば手を嬉しそうに上げたりしたら痛苦しいとか、しゃべり続けたらいけないとか、でもどっかで忘れて一人で苦しんでます。
で、呼吸器障害の方はある意味、生まれながらですけど、障害者手帳もらうまでに至ったのは、つい最近です。かなり悪くならないと障害者手帳はもらえないので。それと、五年前に交通事故にあったんで、左下肢は交通事故後の障害です。事故後の、障害を細かく言えば、左の耳はあまり聞こえない、音が入らない、音が入ると返って痛みになったり・・・。左目は閉じたりと、「ま〜たれ」という名前の由来にもなるのですが。左顔面は、風が吹くと剣山で叩かれたみたいな痛みがあったりとか。鞭打ち症の症状で、見上げたり、振り向いたりするのに限界があったりとか。
事故の時に、頭・頭部を強く打ったんですよ。脳をすごく挫傷するまではいってないんだけど、結構神経をやられたの。エラの骨が欠けるほどやられたんで。事故後三ヶ月ぐらい全然食べ物も食べれてなくて。」
司会: 「今は、お元気そうに見えますけど」
ま〜たれ: 「たぶん車いすに乗って可動しているので、息が切れたりしないんだけど、たぶん歩いたら息切れして、長い距離は無理かな。車いすだから、幸いしている。事故後二年目までは“治そう”って必死やってん。がんばってムリして、体自身が、もうあかんって思ったから、“これで生きよう”って。それからこの状態で生きていく準備はじめてん。時間もかかったし、何度もへこんだし。」
司会: 「車いすに乗ってて、いやだな〜って思ったことはありますか?」
ま〜たれ: 「子ども扱いされる!行きたい店、すべての店に入れない!!」
大友: 「TODOと言います。
僕は、まああのー、歳はそこそこで、髪の毛は白髪も混じってきましたが、ハゲてません。僕は、結婚をして、10年経ちました。その2年前に親元から離れて、自立生活をしました。当時は大黒町という、庄内の南の端の地で暮らしました。周りにいろんな人がいて、体がデカイ人がおったし、あのー油臭いやつもおったし、いろんな人に助けてもらって生活をしていました。生まれつきの障害があって、昔の名前が脳性小児マヒっていう、今は脳原性障害。生まれた時、呼吸していなくて、それを生き返らせてくれはって、その時に障害がでた。ずっと首がすわらなかったみたいで、小さいときの写真が唯一、一枚だけあるんやけど、後ろにお布団がたたんだものが積み上げてあって、その前に足を投げ出して座っているような、そんな写真やったんですよ。自分では座れてなかったんやろなあ。でも脳性マヒ自体はだんだん機能訓練することで、歩ける状態にまでいったみたいで、松葉杖で走ってました。高校二年の時に、ケガをしまして、誰も悪くはないんですが、ケガをして首の骨が欠けてしまって、頸椎損傷という障害に。今から30年以上前から電動車いすを使用しています。
今は40を越えて50がだんだん近づいてきていて、体が若い頃から比べると、倍ほどになってきて横に倍、体重も倍になって、ちょっと体が動きにくいなぁ。
手の上がりが悪くなってきて、これ首のせいやなあ〜と思うねんけど、電動車いすのコントローラーから手が落ちたら、手を上げるのにすごく時間がかかり、横断歩道の途中で手が落ちたらおそらく大変なことになるやろなあっと、その怖さがあります。若い頃は、細い道でも平気で走っていたし、不安定な細い橋を渡ったこともあり、電動車いすの運転は上手だったはずです。
首も痛いです。仕事が忙しくて過労気味になると、首は痛くなります。僕の場合三次障害です。もう、これは、脳性マヒの宿命やと思ってます。」
対談風景。味わい深〜い本音トークとなりました |
編集長の仕事は、オーケストラの指揮者
司会: 「・・・ということで、編集長が今度変わられるんですけど、編集の仕事って主役じゃあなくて、脇役ですよね〜。」
大友: 「脇役って・・・まあ、脇役かな〜。みんなが、記事を書いてくれる人が、書きやすいように持っていくこともしないとあかんし。例えば、記事を出すのが遅れてきとったら、それを指示して激励して書いてもらうようにしなあかんし。全体を見ていって、ここの記事おかしいよって、指示を出さないといけないし、すごく幅広い役割になるのかな?」
司会: 「時間に追われて、何がなんかわからないようにならへん?」
ま〜たれ: 「わからなくなるっていうより、その記事を大切に扱えないようになってしまうんです。とりあえず作ってしまおうと。流さないと・・・というのが、先にでて。」
大友: 「期日が決まってるから、それに合わせていかなあかんし、そこでやっぱりうっかりしたミスが起こったりすることもあるし。できあがった広報誌の記事を読んでて、こんなミスがあったんか〜ってことは、たくさんあるね。それだけ時間に迫られると、きっちりした校正とか、文章のおかしいとことか、気づけなかった。もし例えば、使っていけない言葉を使ったりとか、団体の“なんやこの団体、こんな言葉使って”ってなってしまうから、注意しないといけない。差別用語とか、筆者の人は、差別用語を使ってもかまわないということで、書かれると思うんだけど、“この意味合いはこうなんですよ。”というのは、僕らが言っていかなあかんと思うし、難しいんよね。」
編集長の苦しみ、楽しみ・・・・
大友: 「広報誌というのは、その団体の顔になるわけやから、その団体が何を考えてるのか、どういう主張もってるのか・・・と言うことから、離れた形になっていくと、ちょっと違ってくるな。もうひとつ、僕自身が前やっていた時に、他のグループとか、他の個人とかを紹介することが多くて、そこに迷惑をかけたことがあったなあ。あと、投稿を寄せられた原稿があって、それを読んでて、僕はいいやろなあと思って、そのまんま載せたことがあって、それが文面が、他の団体さんに対して、怒る文章やったんです。他の団体を中傷するような記事で、その書いた人とその団体との間でしかわからなかって、僕らは“こんなんや”って、その辺の絡みを捉えることができなくって、他の団体に迷惑をかけてしまって、謝罪原稿を書いたことがあります。」
ま〜たれ: 「自信ないわ〜」
大友: 「担当している人が、きっちり認識していけば、そういうことはないと思うけどね。」
司会: 「その反面、楽しいことはなかった?」
大友: 「楽しいことは、僕が書いたものがいろんな所に渡って、ある集会に行った時に、知らへん人で、北海道の人やったんだけど、『読みましたよ〜』めいちゃんのつぶやきを読んでくれてて、『あれは、誰が書いているんですか?面白かったんですよ』って言われたときはすごく嬉しかった。自分が書いた原稿やったから、余計に感じた。メイちゃんに伝えときますって、言っときました。」
困ったときのヒントになりうる広報誌作りをしたい
司会: 「ま〜たれさんはどないですか?まだ、ご自身で編集長になられて、広報誌出てないの?」
ま〜たれ: 「今号が、初めてで。今までずっと、裏方さんで編集までの流れの作業に、携わってはいたんだけど。
これからの抱負は、今・ここの事業所を利用する人も、すごい入れ替わりが結構あると思うから、全然知らない人、いろんな福祉のこととか、制度のこととか、何か便利な方法とか、全然知らなかった人が読んで、“あ〜これすごい助かった〜”って思えることが、一つでも多く載せられるものにしたいなあ〜。それは私自身もそうなんだけど、それこそ難しい話って、全然わかってないから、私レベルでも納得のいくものも、載せたいし。みんなが、楽しく生きていけるヒントをいっぱい載せたいと思います。」
大友: 「例えば、記事の中で【遠くなくてもいきたい】って記事がでてるやんかあ。あれって、行ってきたよ〜。ホントに書いてあるとおりやったわって言ってくれたら、すごくよかったな〜って思う。」
ま〜たれ: 「ほんとにその通りでしたよ。舞子のアウトレットに行くのに、行き方をバックナンバーを印刷して持っていって、駅員さんが『どこに乗りたいですか?』って聞かれたから、記事に書いてあるそのまま言って、そうしたら【ぴたっと】エレバーターの前やったから、時間も短縮されたし、駅員さんに『どこで降りたらいいですか?』って聞いても、たぶんわからへんかったやろなあ〜って。」
読むことも、作ることとも大変。でも情報がいっぱいと、自信を持って!
司会: 「ヘルパーさんとかに、『読みましたか?』って聞いても、『パラパラパラってめくるだけです』って、よく言われるのよね。一般の人にもわかりやすく書く必要もあるのかな?」
大友: 「パラパラパラってめくってくれるだけ、まだいいと。例えば僕の書いている、無年金についての記事なんかは、一般の人にわかってもらおうと思ったら、かなり詳しく書かないとわかってもらわれへん。要はあれ、一般の人から見たら、年金払わへんから・加入しなかったからやないか〜ってことになってしまう。やっぱり、【加入できなかった】。加入しようと思っても、【しなくて良いよ】って言われた。そのへんのことは、かなり細かく言っていかんと。 反面、国側の立場からも書かないとあかん。」
ま〜たれ: 「複数の人に発信しているから、全員が全員に心に止まる文章は、無理に近いから、その人が何か悩んだ時とか、つまずいた時に開けてもらって、何かヒントが見つけられるものであれば、いいのかなとは思う。今、へこんでる人に、“これを読んだら”って無理やり見せても、すごくつらい気持ちになるだけやから、その人が読める時になって、開けてみてヒントが見つけられたらいいのかな〜って思うんだけど。」
大友: 「そうだよね。今の広報誌の内容は、ニュースネタが多すぎて、難しいネタが多いんだよね。伝えなあかんことやけど、もうちょっとなんかわかりやすい、へらっと笑えるものが欲しいなあ〜と。前、四コマ漫画載せとったんやけど、あれ、おもしろかってん。」
ま〜たれ: 「あれって、ここの面々を知らなかったら、笑いもできへんけどね。」
大友: 「なんかへらっと笑えるものはないかと思ってるねんけど。ついつい書かないといけない原稿に追いまくられてるから、なかなかそれができない状態で。」
ま〜たれ: 「ページ数が多いのは、処理するほうもしんどいねんけど。めいいっぱい検討して、やっぱり60になってしまう。でも60を超えてしまうと、私たちの作業もそうやけど、それよりも音訳さんとか点訳さんたち、力を借りている方にも、すごく負担が大きくなりすぎるから、これ以上に増えないようにはしようという方向にはいってるけど。極端に昔みたいに減ることはたぶんないかなあ〜。」
大友: 「連載記事がいくつかあって、その分を確保していくとそうなるやろな。
でも、僕思うんやけど、12ページや16ページのものよりも、今の50ページ60ページのものの方が、それだけ情報が詰まってるんやし、読むの大変やけどな。でもそれだけのもんが詰まってるって自信を持っていいんじゃあないかと。分厚すぎて、読みづらいという声は聞いたことがない。」
皆さんの原稿、何でもどんどん受け付けています!!
ま〜たれ: 「CILに関わっている人みんなで作りたい。作業は代わって、私たちがするけど、作るのはみんなで作りたい。」
大友: 「いろんな人に感想とか、意見とか、別に批判でもいいし、そんなんをどんどん載せたいと思うね。今ね、短歌とか投稿があるやんか、それをもうちょっと増やしたいなと思う。僕らの書いてる原稿に代わって、そういった読者の人達からくる原稿・作品とかを載せたい。
みんなでがんばっていきましょう。ありがとうございました!! 」
(塚原)
去る2月21日(土)、毎年恒例となっております、ボランティアトレーニング体験実習が行われ、当団体は受入団体として参加しました。
今年は、豊中市社会福祉協議会登録ボランティアグループ、アッシーの方と、豊中市市民活動課の方の2名が参加され、前半は点字名刺作成の体験をやっていただきました。パソコンと手打ちの両方を体験されましたが、特に手打ちの場合はかなり難しい面もあるため、それについての説明を聞きながら、真剣に取り組んでいました。それぞれ自分の名前を点字で打ち、打った名刺は記念に持って帰ってもらいました。
そして後半は車いすに乗って、当センターのILPルームまで移動しました。それぞれ車いすに乗るパートと車いすを押すパートを体験され、特に乗る体験は初めてということで、車いすから見た目線がこんなにも低いものかと、驚いておりました。特に通った道が歩道もなく、車の往来も多い道だったため、車がすぐ横を通り過ぎるたびに、かなりのスリルを味わっているようすでした。
ILPルームに着いてからは、中を見学したあと、設置されている電動式リフトを体験されました。リフトを使用することも、またリフトを使用する人を介護することも、初めてだったということで、かなり新鮮な気分になっておられたようでした。
毎年この体験を通じて、「車いすに乗った時の恐怖心やしんどさが初めて分かった」という声が寄せられております。今回もご多分に漏れずでしたが、やはり体験してみて初めてわかる、障害者の実感というのは沢山あると思います。これからも、ボランティアトレーニング体験の受け入れは、続けていきたいと思っております。
(文責:根箭)
作った点字名刺をチェックする参加者 | 「うわっ、こわ!」車いすに乗った状態での撮影です。 |
去る3月2日(火)、大阪府健康福祉部主催の、『平成15年度大阪府障害者生活支援センター連絡会』に参加してきました。
当日は、障害当事者の参加者数は比較的少ないほうでしたが、 それでも多くの人が集まっていました。
連絡会は3つの部に分かれて行われ、まず第一部では、「知的障害者に配慮したバリアフリーデザイン」と題した講演が、京都教育大学講師 二井るり子氏によってなされました。この中で二井氏は、知的障害者が特別な空間の中だけでの生活にならずに、一般の社会の中で彼らの特性を活かした生活を営めるよう、さまざまな配慮が出来るということを、たくさんのスライドを交えてお話されました。ここでいくつか例を挙げてみましょう。
「絵やマーク、簡単な表示による情報提供をする」
「例えば電車のシートならば、凹凸を付けて、区切りを分かりやすくする」
「今やるべき行為を絵や写真で示した表示を、各場所に表示する」
「24時間表示のアナログ時計を設ける」 「財布にお金だけではなく、その金額で買える物を描いたカードを入れる」
「長さや数はマスで表す」
このほか、バス会社と交渉した上で、バスの行き先表示部分に、目的地を大きく表示したマークを挿入しているという話もありまして、非常に新鮮で、先進的な取り組みだと思いました。これらはいずれもスウェーデンでの取り組みでしたが、日本でも将来は、こういう取り組みが一般的になる時代がきたらいいなと思いました。
「知的障害者に配慮したバリアフリーデザイン」は、 聞いていて非常に新鮮でした。 |
さて第二部では、「障害者ケアマネジメントにおける現状と今後の方向性」と題した講演が、関西学院大学教授 大谷強氏によって行われました。これからの障害者ケアマネジメントのあり方について大谷氏は、「一つの機関、一人のケアマネージャーが全部問題を抱え込んで対応すると思わないことが先ず必要だ」と力説されていました。そして、「一つの相談機関が障害者の自立を支援するだけではなく、地域が障害者の自立を支援する」というように各事業所が視野を広げ、少し肩の荷を下ろしてこれからの仕事をしてほしい、と盛んに提言されていました。
この他に大谷氏が話されていたことは大体以下の通りです。
「介護保険が一定の枠内でのサービスであるのに対し、支援費は枠自体を新しく作るサービスである」
「支援費制度では、支給された支援費をどう生活に組み込めばよいか分からない人が多い」
「介護保険では、ケアマネージャーがどこかの事業所に属している。すると、その事業所本意のケアプランとなる。ケアマネージャーは、事業所から分離・独立するべきではないか」
「ガイドヘルプは、通勤や通学に使ってはいけないことになっているが、この結果、サービスとして、働いている人はより使えず、働いていない人がフルに使えるようになるのは、おかしな現象である」
大谷氏の講演の内容は多岐にわたりましたが、講演全体を通じて、今後事業所やケアマネージャーが考えなくてはならない課題が沢山あるということを、改めて認識しました。
最後の第三部では、大阪府からの行政報告がなされ、以下の3つの事業の予算や進行状況について報告がなされました。
1.グループホーム体験事業・通所授産施設体験事業
2.自活訓練事業整備補助事業
3.重度身体障害者自活訓練モデル事業
全般的に、まだまだ施設から地域の移行率が低く、また施設側も、地域との連携が不慣れという現状があるとのことです。また、大阪府の事業所数は、北海道に次いで全国2位ということでした。
以上、いろいろと勉強になる話を聞けた、連絡会参加だったと思います。
中身の濃い話の連続に、終始熱心に聞き入りました。 |
2004年3月24日、学生無年金障害者の活動をしている人たちにとって、画期的な判決がでました。
それは、全国9カ所で提訴している学生無年金障害者訴訟の中で、トップをきって、東京地方裁判所で4人の原告に対して、判決がでたのです。
その原告の人たちは、学生時代に障害を負い、今でも障害基礎年金が国から支払われていていないのです。この原因は、1985年の国民年金改正時点でも、学生無年金障害者になんら措置も講じなかったのは『法の下の平等』を唱っている、憲法14条に違反していると国の立法における怠慢を認め、国は原告3人に対し、各500万円の慰謝料(原告の請求金額は2,000万円)を支払うように下しました。あと1名の原告に対しては、障害基礎年金の受給資格があると認定し、支給しないという決定を取り消しました。
東京の訴訟では、二十歳以上の学生を国民年金の強制加入の対象としなかった(学生は、学費などでお金がかかり、慌てて国民年金をかけなくても就職すれば厚生年金に加入するのでかけなくても良い)。ただし、二十歳から就職するまでの間で年金に加入していない状態でケガや病気によって、重度の障害を負っても、年金を支給されることができない。このことは、その対象となる人たちに対して、なんら知らせることがなかったと言えるのです。また、国民年金課の窓口に行って、問い合わせをしてもそこの職員は、理解力がなく「学生だったら年金に加入しなくてもよい」とまで言っている状況がありました。
この判決によると、国民年金法は1959年の制定当時から、障害を負った時期が、二十歳未満ならだれでも受給できる障害福祉年金を、二十歳以上の学生だと受給できないなど、平等性に疑問があったが、受給できない人の不利益は小さく、大学進学者も一部のエリート層に限られていました。ところが、1985年の同法改正で、障害福祉年金が廃止され、従来の障害年金を障害基礎年金に発展させるなど制度が変更されると不利益が拡大され、是正措置をとらなかったことで、「不合理な差別を放置した」と指摘をしました。
1985年当時以降は、大学などへの進学率も高くなり、大学内で起こるスポーツ事故や通学や生活面のなかで起こる交通事故、また、病気などで障害を負う人も増えてきました。全国で約4,000人の学生無年金障害者がおり、経済的に不安定な状況で生活をしている人たちも多くいるのです。
国民年金制度は、「国民皆年金」をうたい文句に20歳から60歳までの国民を被保険者として、障害を負った場合には障害基礎年金、65歳からは老齢基礎年金が支給されるのです。
ところが1991年まで20歳を超える成人学生は年金加入が「任意」(学生は就職すれば厚生年金に就職先で加入してもらえるので、慌てて国民年金に加入しなくてもよい)とされていたために、無年金障害者を生む結果につながったと言えます。
同じように無年金障害者となった人は、学生に限らず、専業主婦や外国人など全国に約12万人もいます。現在、年金改革の論議が国会を中心にすすんでいますが、このような法律の谷間で取り残され、放置されている人たちのことをもっと真剣に考えていく必要があると思うのです。
以上にあげたとおり、東京地方裁判所は、この訴訟は、国の怠慢によって、生じたものであり、原告に対して損害賠償の一部支払いと障害基礎年金の支給を国に対して命じたものです。この判決に対して、厚生労働大臣の談話が発表されました。
厚生労働大臣談話(原文引用)
1.今回の判決については、立法者の立法不作為等をめぐる最高裁判例に違背するとともに、
・拠出制の仕組みをとる年金制度において、任意加入の時期のこととはいえ、制度に加入せず、保険料を納めなかった方々の障害について、国の法的責任を認める事はできないこと
・1985年の年金制度改革時には、学生を強制的用途すべきか否か等を検討の上、任意加入の仕組みを維持したものであり、国会の修正により以後の 検討規定に盛り込まれていること
・年金を受給していない障害者の方々に関する議論は、個々に賠償を行うことでは解決されないことなどの点を踏まえれば基本的な問題がある。したがって、年金制度を所管する立場からは、控訴もやむを得ないとの結論に至った。
なお、4名の原告のうち1名の方の障害基礎年金不支給処分取消支給については、 初診日に関する事実認定に基づいて支給すべきとされた判決を尊重し、控訴しないことが適当であると判断した。
2.年金を受給していない障害者の方々に関しては、国会における附帯決議等もあるが、私自身も2002年7月には対応の試案を発表し、その後も検討を進めてきたところである。
今回の判決については、控訴するとしても、次のような方向で、今後とも、年金を受給していない障害者の方々に対する施策を考えていきたい。
(1)まず施策を考える際に踏まえるべき点について申し上げたい。第一に、わが国の年金制度は、社会保険方式に基づく国民皆年金という考え方の下、「拠出に基づく年金」を基本としていること、第二に、わが国の社会保障においては、障害の有無にかかわらず、最低限の生活保障は各般の福祉的措置と最終的な手段としての生活保護との組み合わせにより適切に対応されているということである。
(2)その上で、今般、学生等の年金制度の発展過程で生じた特別な事情、現行の老齢福祉年金、障害基礎年金、障害者関係手当等との均衡、年金における国庫負担の果たしている役割等を十分に考慮して、与党における検討も踏まえ一定範囲の方々について福祉的な観点から適切な措置を講じる方向で具体的な検討を行い、できる限り早期に結論を得ることとしたい。
(3)このような施策の実施に向けては、財源の確保の問題や給付水準等細部にわたる問題についての検討が必要であるが、この問題は既に与党においても検討が進められているものと承知しており、十分調整をとりながら実現に向けて最大限努力したい。
というような大臣談話が出ました。そこで考えてみると、実はこの判決が出た後に厚生労働省は無年金障害の人達などに対して、月額4万円程度の手当的な支給(福祉措置)する案が出ました。いわば、「手当を出してやるから今はそれで我慢しろ。だから国は控訴する」というようなことを感じました。でもこれは手当に終わらせてはいけないのです。また「福祉措置」に終わらせてもいけないのです。なぜなら生活保護や支援費は「福祉措置」で、入院時などには支給されないことになってしまうのです。また国にお金がなくなれば、都道府県や市町村に移されてしまい、制度自体が危うくなってしまうのです。国に責任を負ってもらうには、国の法律によって、年金制度をつかい、継続させていくことが重要だと思います。
厚生労働大臣の談話を受けて、原告側の声明文を紹介します。
これは、2004年4月6日に、学生無年金障害者訴訟原告団、学生無年金障害者訴訟全国連絡会、学生無年金障害者訴訟弁護団全国連絡会、東京・無年金障害者をなくす会から出たものです。(原文)
厚生労働大臣の談話により、4名の東京原告のうち不支給処分取り消しが認められた1名を除いて控訴するとの報に接した。本日、全国原告団の代表から、控訴断念及び早期救済などを求めた要請書を受け取りながら、即日、大臣談話が発表されたことに対し、全国の学生無年金障害者の原告らは強い怒りを覚えるとともに、控訴による救済引き延ばしに対して強く抗議する。
大臣談話における無年金障害者に対する施策は、10年前の国会における附帯決議の内容を越えるものでもなければ、いつ、どのような内容の施策を立法化するのか、年金制度か福祉措置か、対象者をどの範囲にするのか、金額をどうするのかといった重要な諸点の解決の道筋すら全く示されず、極めて不明瞭なものである。これでは、先の附帯決議以後と同様に、何ら解決されない状態が今後も続く危惧を抱かざるをえない。
2002年7月に発表された「坂口試案」で、「無年金障害者は本人はもとより、その扶養者である両親を始めとする親族等は高齢化が著しく、看過できない事態に立ち至っている」と指摘されているとおり、原告らも原告らの両親も高齢化がすすみ、肉体的にも経済的にも精神的にも限界に達している。原告の中で最高齢の者は、現在62歳である。大臣談話は、当の大臣自身の指摘とも整合せず、原告らを失意の淵に追いやるものである。
制度の所管責任者として、東京地裁判決の指摘した立法の不作為の違憲・違法を素直に受け止め、緊急に無年金障害者を救済する本来の国民皆年金制度の実現に向けた責任を果たされることを強く要求する。
国側の控訴を受けて、障害基礎年金の支給が認められなかった3人の原告の方々も「国には控訴してほしくなかった。やむなく行う苦渋の選択だ」とし、控訴を行いました。これは、裁判が長引くことを覚悟した上で、自分たちがやってきた訴訟を認めてほしいという思いからのものでした。
大阪地方裁判所の裁判は、本人尋問が4月21日から始まり、7月上旬には本人尋問が終わります。それを受けて、学識経験者などによって、証人尋問が行われ、来年の春ぐらいに結審され、判決が出る予定になっています。
本人尋問の報告は8月発行の広報誌で詳しくお知らせしたいと思っています。まだまだ長くかかる裁判です。私たちはそれを見据えていき、学生無年金障害者のみなさんが、安心して、暮らしていけるように応援していきたいと思っています。
最近になり、年金制度のことがニュースや新聞紙上をにぎわせています。国会議員や閣僚が国民年金を未納していることがあったそうです。理由を聞くと、「忘れていた」とか「秘書に任せていた」とか、また「システムがややこしいからそのままにしていた」とかと言っているようです。
このややこしいシステムをつくったのは国です。また、「忘れていた」とか「任せていた」などは自分の仕事をなんと思っているのでしょうか。国民皆年金というものを目標にするのならば、自分たちがやってきたことを思い返して、反省すべきではないでしょうか。国民年金に加入できなくて、障害を負い、生活の糧となる障害基礎年金が支給されない人がいることをもっと真剣に考えてほしいし、行動に移してもらいたいものです。
初めて研修(移送サービスについて)を受けた川島です。東京での研修は、夜行寝台で朝を迎えた所から始まります。朝早く飯田橋という所に着いて、少し予習をしましたが、午前の部の内容は、介護保険を利用されている高齢者の方に限定されていました。
いささか論点がずれますが、研修の内容を報告します。
まず、大多数の団体、個人の方々の外出支援サービス(ここでは移送サービスと言っています)による収入が、支出より極端に少なく赤字であるということ。
これは、介護保険に限定されている高齢者の利用回数が多いにもかかわらず、介護保険には移送サービス助成の項目がないということ(一部を除く)。つまり、民間のタクシー会社と同じような料金体系で送迎をおこなっているのですね。
CIL豊中の外出支援サービスは、豊中市の委託事業として、利用者の足となって日々活動してますが、民間の移送サービスの事業所は、高齢者の利用料金だけで運営されているのが現状です。やはり、市なり区なり補助金助成を受けたほうがいいかと思われますが、中にはガンとして受け取り拒否を貫いてる事業所も少なからずあります。
ところで、今行政では経済特区という優遇制度を用いて、移送サービスを保護しようとしています。差し伸べる手が多いほど、その手を掴もうとする人もいっぱい現れると思います。ということは、移送サービス業者も増えて、利用者にとっては嬉しい限りだと思いますが、そこで問題になるのが、業者のサービス、つまり質ではないでしょうか。
どんな職種にも、質なるものがありますが、ここで述べている移送サービスにおいては、安全・安心というのが、第一条件ではないでしょうか。利用者さんを安心して、安全に目的地まで送り届けるという確固としたものを、我々事業者も守らなければなりません。
今、障害を持った人の日々の生活が、行政の制度改革で急激に変化しています。
それに合わせて、私たち事業者も日々向上しなくてはならないと思います。移送サービスも、今回の協議会等を通じてネットワークを作り、互いに助け合いながら日々切磋琢磨をしなければと、思います。
このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。
≪3月≫
2004/3/6 ホームヘルパー3級講座実習編
先月から行われている、ホームヘルパー3級講座。今日は基本介護実習が行われまして、ベッドから車いすへの移乗や、ベッド上での体位変換の実技が行われました。また、実際の利用者とのやりとりの場面を想定したロールプレイも行われまして、みんないろいろと工夫して場面やセリフを創っていました。
2004/3/10 ちょっとデザインを変えました
昨日からようやく春らしい天候となり、今日は小春日和に恵まれました。この間のヘルパー実習の日にこんな天気だったら好かったのにと思います。
さて、春らしくもなってきたことで、ホームページのトップページを春バージョンに変えてみました。また、みなさんお気付きのことと思いますが、タイトルのロゴマークも、新しく変えております。みなさん、気に入っていただけましたでしょうか・・・・・?
2004/3/13 精密、図面作り
いよいよ一期目も大詰めを迎えたバリアフリーマップ作成チームですが、現在、駅の図面作りが行われています。大変精密な作業で、黙々と取り組んでいます。まあ約一名、しばしば「コラ!うるさい。集中せい!」と怒られている小僧様がおられましたけど・・・・・。
2004/3/19 編集会議、ヘルパーステーション事務局会議
午前中は、広報誌編集会議が行われ、かなり進展しました。おとといから今日まで3日間来ている実習生も参加していました。今回の広報誌は、記事数過去最多、盛り沢山になりそうです。
さて、午後からはヘルパーステーションの方で会議が執り行われました。従来、火曜日にやっていたものを金曜日に変更したのですが、公民館準備室でやったので、事務所の中はほとんどカラの状態でした。
2004/3/27 ILP最終回
今日は、今年度第二回ILP講座の最終日でした。
みんなでお互い感想を述べあい、その後はちょっとしたパーティーが行われたりしました。
受講生のお二方、お疲れさまでした。
≪4月≫
2004/4/1 2004年度が始まりました
今日から新年度が始まりました。
何で日本では新年度初日がエイプリル“フール”やねん?といつも思いますが、それはともかく、昨年度はアッという間に終わったという印象です。
また、昨日付けで、バリアフリーマップチームの第一期生も終了となりました(主任と、あともう一人うるさいのを除く)。4ヶ月間、本当にお疲れさまでした。
今年度もよろしくお願いします。
2004/4/2 取材ハシゴ
今日は午前午後と取材のハシゴで、広報誌としては忙しい一日でした。天候も良くなり、出かけるには有難いものとなりました。今回もまた、盛りだくさんの内容になりそうです。
さて、今月はバリアフリーチームの活動がありません。そのため、事務所の中はひっそりとしています・・・・・。
2004/4/10 利用者にも定着?ILPルーム
今年に入ってから誕生した新ILPルームですが、続々利用者は増えており、ようやく定着してきた感じです。そして今日はピアカウンセリングの来客も結構続きました。時々「対応するスペースが足りないな」と感じる事があります。
2004/4/14 バリアフリーチーム第2期生面接
来月から、バリアフリーマップ作成事業の第2期が始まります。そのための新しい職員の面接が、今日行われました。果たして今回はどんな顔ぶれになるのでしょうね?
2004/4/18 事務局でお花見
既に桜の満開のピークは過ぎて久しい今日このごろですが、本日、事務局員と、一部会員さんが参加してのお花見会が、万博記念公園で行われました。本当は4月4日に行う予定だったのですが、あいにくの雨のため中止になり、11日も都合の悪い人が多かったので、今日になりました。
まだ八重桜は咲いており、一応は花見という格好になれました。そして子どもたちも沢山来てくれましたが、大人も子どももひと思いにスポーツを楽しみ、本当にほがらかな、楽しい一日でした。
2004/4/24 開店閉業?!
本日支援センターでは、午後から全スタッフが出払ってしまい、事務所の中は職員ゼロの状態になりました。一応電話はヘルパーステーションの職員が受けてくれていたのですが、パッと事務所を見たら、あわや閉店?!
大変すみませんでした。m(__)m
2004/4/26 ぼちぼちゴールデンウィーク調整
4月も最終週になり、調整畑ではゴールデンウィーク調整に追われています。年末年始と並んで、一年で職員が最も介護に忙しい時期、しかも今年は4連休のカレンダー配列となっているだけに、大変です。みなさん、体を壊さぬように・・・・・。
≪5月≫
2004/5/8 それぞれの風景
今日のヘルパーステーションの昼食はマクドでした。
支援センターでは・・・・・
ある人は広報誌やバリアフリーマップなど、ひたすら仕事に没頭して頭が煮詰まっていました。
またある人は何もない(本人談)にもかかわらず、いきなりスーツ姿で出勤していました。
そして約2名は楽しそ〜に、インターネットで介護実習のデモ映像(モデルはき○い○お○え○ん)を観賞していました(約30分?)。←○に当てはまる文字を全部当てても何も出ません。
それぞれが、それぞれの勤務時間でした・・・・・。
ヘルパーステーションCIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196
A支援費制度居宅介護サービス(身体・知的・児童)
支援費制度によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
●サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
●サービス提供時間 24時間365日
A介護保険訪問介護サービス
介護保険によるホームヘルパー派遣。
●サービス提供範囲 豊中市
●サービス提供時間 24時間365日
A介助サービス
介助が必要な方の自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
●対象者 原則豊中市在住の障害者
●介助料(謝礼)
・一般介助 1時間 1,050円
・宿泊介助 1回(12時間以内) 7,200円
延長分は上記一般介助で計算。
*いずれも介助者の実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
・旅行介助 1泊(24時間) 12,400円
延長分は6時間(3,100円)単位で加算。
交通費及び宿泊費は利用者負担です。
●キャンセル料 前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602
A豊中市障害者生活支援事業(無料)
障害者やその家族等の相談等支援をします。
●ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
●社会資源を活用するための支援 ●社会生活力を高めるための支援
●ピア・カウンセリング ●専門機関の紹介
A自立生活体験室
自立生活をめざしている障害者の方が、実際の生活に近い環境で、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
●宿泊利用 1泊1,500円 ●デイ利用 1回(5時間まで)750円
*デイ利用の場合、ご利用出来る時間帯は9:00〜18:00です。
A豊中市障害者外出支援サービス(2004年4月23日改定)
リフト付自動車を運行し、一般の交通手段を利用が困難な障害者の外出を支援します。
●利用対象者は豊中市に在住し、次に該当する人です。
@下肢・体幹障害1・2級で車いす等を使用している人。
A四肢障害1級で車いす等を使用している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
●利用できる日時
午前9時から午後5時(火曜日、日曜日、祝日、年末年始12/29〜1/3を除く)。
●利用目的
社会参加を目的としますので、特に制限はありません。
●利用回数 月4回まで利用できます。
●利用料・区域
@豊中市内 片道 500円 往復1,000円
A特定区域・施設 片道 1,000円 往復2,000円
[特定区域は池田市・吹田市・箕面市・尼崎市・伊丹市・大阪市(淀川区・西淀川区・東淀川区・北区・旭区・城東区・都島区・此花区・西区・福島区・中央区・浪速区・港区)] 特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園
●キャンセル料 当日キャンセル500円
●同乗者について
必ずしも必要ありません(利用者の必要に応じて同乗をお願いします)。
A点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。
●既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
●片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
●両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
送料は一律270円です。
このコーナーでは、読者の方からお寄せいただいた詩や和歌・俳句、短文といった作品をご紹介しております。通常、このコーナーは1ページなのですが、今回は少し長い詩をご投稿いただきましたので、2ページにわたって掲載いたします。ごゆっくりご鑑賞下さい。
たったひとつ
たったひとつ
大切なことがあるんだ
当たり前のことがあるんだ
それは、
ため息と戸惑いの中で
たくさんの遠回りをしてきたんだけど
振り返ってみればなんてことはない
きっと必ず
暖かな木漏れ日が連れてきてくれるよ
君の笑顔が連れてきてくれるよ
向こう側に見える透き通った世界
必死にまもるべきものがあると信じて
何度も何度も冷たいトンネルをくぐり抜けてきたんだから
僕たちのたったひとつ
永遠にこの胸に刻んでいこう
朝早の浅き夢路で母に会う
田舎なまりで我をはげます
● 今年度第一回市民講座と致しまして、来たる7月3日(土)に、『知的障害を持つ人に配慮をしたバリアフリーデザイン』というテーマで開催致します。この後、8月末以降に知的障害者対象の初めてのILP(自立生活プログラム)講座を予定しています。
●【障害者自立支援センターからのお知らせ】 TEL06−6857−3601
先月より、休日・時間外の電話の応対に変更がありました。休日・時間外の電話につきましては【緊急の場合】となっております。それ以外の場合は、業務時間内にお願いしておりますが、そうでない電話が多いのが実状です。休日・時間外は転送にて、電話をお受けしています。転送につながっていることが判らないため、お気付きにならない方も多いと思い、30秒のコール音(約12コール)後、転送の案内メッセージが流れるというシステムに変更いたしました。皆さまに、あらかじめお伝えできていなかったため、何人かの方にご迷惑をかけてしまい、申し訳ございませんでした。ご協力の程、宜しくお願いします。
今号から、編集長を務めます【ま〜たれ】です。
最近は、季候がめまぐるしく変わり、体がついていけず体調を崩されてませんか?・・・え、年のせいですって!
そんな中、GW目前“GWは仕事したくない”の意気込みの元、編集員はゼイゼイと息を切らせつつも頑張り、なんとか仕事にメドがつきGWを迎えました。
なにかと段取りが悪く皆様にもご迷惑をおかけしながらも、成長していきたいと思っておりますので、大きな心で見ていただけたらと願います。
これまで、点字版・音訳版を読んでくださっている皆さん、今まで墨字版に比べて、お手元に届くのが、こちらの力不足でかなり遅くなっていました。今号から、今まで同様『サークル・ゼロ』さん、蔵楽恭子さんの協力のもと、少し早い時期にお手元に届けることが出来るようになりました。本当に、お待たせしました。
まだまだ不備な点があると思います。次号に皆さんの声を聞きたくアンケートをする予定です。これを機に、一人でも多くの方が読んでいただける広報誌を作っていきたいと思います。