2013年6月14日(金)、13:30〜16:00まで、豊中市障害者自立支援協議会 生涯を通じた支援のあり方検討部会主催の、『障害者権利条約って?
〜障害者の人権を考える〜』講演会が、くらしかんイベントホールにて行われました。
当日は市内各所より、多数の参加者が来られました。
講師を務められたのは、内閣府障害者制度改革担当室室長、東俊裕(ひがし としひろ)さんです。
以下、講演の内容です。
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★障害者制度改革の経緯
2006年12月13日、障害者権利条約が国連にて採択され、それを契機に、日本に於ける障害者制度改革が始まりました。
2007年9月28日、日本は、国連で採択された権利条約に署名をしましたが、“署名をした”と、“批准をした”では、大きく意味が違います。
署名をした、というのは、飽くまでも「この先、批准出来る状態にしていける様、頑張っていきましょうね」という意思表明です。
2009年12月8日に、障がい者制度改革推進本部が設置され、同15日には推進会議が設置されたが、ここで色々議論をし、従来の制度ではどこに問題があるのか、どこを変えるべきなのかという点を整理し、それをベースに制度改革が行われることになりました。
最初の頃は、みんなもの凄いエネルギーで、会議は月に4回は行われ、議論の時間は毎回4時間は超えていました。
いかに障害者の制度に対して、訴えたい思いが積もり積もっていたかということだと思います。
主だった意見がまとまり、改革の方向性が見えてきたのは2010年6月のことです。
その中で、障害者基本法の改正(2011年7月29日実施)、障害者総合福祉法〈仮称〉の制定(2012年6月20日、障害者総合支援法として成立)、差別禁止に関する法律の制定(2013年5月31日、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」として衆院可決) などが閣議決定されたのでした。
なお、障害者総合支援法については、こちらのページで詳しく述べております。
中でも特に、差別禁止に関する法律の制定というのは、障害者権利条約への批准実現と共に、制度改革の大本命でした。
東俊裕さん |
そのため2012年12月に、民主党(制度改革推進本部設置時の政権)から、自民・公明党への政権交代が行われた時は、「もしかしたら、差別禁止に関する法制定は、実現を見ずに終わってしまうかも知れない」と危惧したといいます。
しかし2013年2月9日、自公議員による法制定の意思表明がなされ、障害者団体からのヒアリング等も行われました。
今後の予定としては、6月18日に、参議院の内閣委員会で質疑が行われるというところまでは決まっています(6月14日現在)。
法制定に反対する人は誰もおらず、このまま可決されるだろうと思われます。
★何故国連で障害者権利条約が誕生したか?
1945年に第二次世界大戦が終わり、もう絶対に世界大戦を起こしてはならないという思いから、国連は、恒久の平和を実現するために世界は何をすべきか?ということを加盟国間で議論しました。
その時に挙がった意見が、「人権を各国がきちんと守っていくことが、平和への礎となる。何故なら、対外的な戦争は、対内的な人権侵害や抑圧を生むから。国内の人権を守るのが大事」というものだったのです。
そのため、1948年に『世界人権宣言』が発表されましたが、飽くまで『宣言』だったので、法的拘束力はありませんでした。
そこで、『宣言』を『条約化』して、各国に守らせるというやり方を採ったのですが、障害者だけはなかなか対象にならず、戦後実に61年も経った2006年になって、やっと対象になりました。
何故ここまで障害者人権だけが遅れたのか?それは、戦後ずっと、『障害者問題は福祉の問題だから、必ずしも人権の問題ではない。』という考え方が、多くの国連加盟国の中であったからです。
『福祉に任せる』だけでは足りないのだという主張を、なかなか通すことが出来ませんでした。
1972年頃に、先ず『精神障害者の人権宣言』が採択され、以後、各種別の障害者の人権宣言が出されましたが、それを条約化することが懸案となりました。
そして1981年の国際障害者年以降、幾つかの加盟国より様々な形で条約整備への働き掛けがなされるも、他の多くの加盟国の意識を変えるには至らず、結局は2001年に、当時のメキシコ大統領が「条約を作るべきだ」と唱えたのが切っ掛けとなって、ようやく実現へと向かいました。
★医学的モデルから社会的モデルへ
長い間、日本に限らず社会の中では、障害者は『医学的モデル』の視点から見られてきました。
医学的モデルというのは、例えば電動車いすに乗っている人がビルの10階に行けないとなった時、それは「その人の足が悪いからいけないのであって、解決策は、その人の足が歩ける状態になること」という発想を指します。
これに対して社会的モデルというのは、「ビルの10階に行けないのは、そのビルにエレベーターが無いから。解決策は、ビル(つまり公共の社会資源)にエレベーターを設けること」という発想になります。
人間は空を飛べないので、長い(高い)距離の垂直移動に関しては、或る意味全員に障害があると言えます。
だから階段やエスカレーターなどを造るわけですが、足の不自由な障害者だけ、垂直移動を公然と阻まれる結果になっていたのです。
たとえ障害の無い人であっても、社会が用意したシステム(設備)が利用出来る物でなかったら、社会参加は出来ないし、会社に就職してもクビになります(つまり、社会のシステムを使って職場に行くということが出来ないから)。
従って個人の能力だけではなく、社会の在り方の問題ということには常になるわけですが、障害者だけは、「その人個人の能力だけの問題」で片付けられてきた経緯があります。
『社会の在りようを変えないと、障害者問題は解決しない』ということを、障害者権利条約では謳っています。
★差別は悪いこと。でも、何が差別か分からない?!
「差別が悪いことだ」と思わない人は、恐らくいないと思います。
しかし、何が差別で、何だったら悪いのか?と訊かれると、答えに窮する人が少なくありません。
世の中からなかなか差別が無くならず、障害者の人権が守られなかった理由は、一つには『何が差別なのか分からない』からです。
障害者権利条約では、何が差別にあたり、平等の権利とは具体的に何を指すのかを明記しています(こちらを参照)。
「これが差別なのだ」ということに気付くことが、健常者にも障害当事者にも、先ず必要なのだと思います。
さいごに・・・・・。
講演全体を通じて、東さんが最も社会に投げ掛けていたメッセージは、【Nothing about us, without us】です。
『私たちを抜きにして、私たちのことを決めるな』
これこそが、障害者の人権を考える上で、基本中の基本となることです。
そして、そんな障害者権利条約に、日本が一日も早く批准することを、東さん始め、集まった全員が祈念していました。