2007年度第二回、CIL豊中 市民講座を開催しましたテーマ:『人工呼吸器を使っている人の地域生活』



2007年度、CIL豊中第二回市民講座が、2008年3月20日(木=祝日)、障害福祉センターひまわりにて行われました。
今回のテーマは、『人工呼吸器を使っている人の地域生活』で、講師には、大阪北ホームケアクリニックの医師、藤田拓司先生と、メインストリーム協会の職員で当事者の、藤原勝也さんをお招きしました。

最初に藤田拓司先生が、医療の立場から講演されました。
冒頭、藤田先生は、人工呼吸器は、付け始めた直後はしんどい。でも、慣れれば楽になると言われました。
そして、大阪北ホームケアクリニックにおける、患者とのかかわり方について、基本的には在宅生活に結びつけることをコンセプトとしており、そのために、入院中から接して、退院の支援を行い、退院後も本人の体調で入院する事は当然あるので、その時も次の退院を目標に置いて支援をする、と言われました。
また、本人自身は元気でも、呼吸器そのもののメンテナンスのために、本人ともども入院する場合があるほか、同じく本人は元気でも、在宅で介護する家族を休ませる目的で、敢えて入院してもらう場合もあるということです。
呼吸器を使用している人を定期的に受け付けている病院は少なく、交渉に苦労することも少なくありません。

次に、人工呼吸器の歴史について触れました。呼吸器には、陰圧式と呼ばれる物と、陽圧式と呼ばれる物があり、陰圧式は、最初は『鉄の肺』、と呼ばれていました。形状としては、鉄の箱の中に、人が入って首まで入る格好。そして箱の中の空気を抜き(これを陰圧をかけると言う)、それによって胸郭が外に広がり、肺も外に広がって、空気が中に入るというものです。実用化されたのは、1920年代です。
陽圧式というのは、肺に送り込むという方式ですが、歴史は古く、1869年に登場したということです。
現在の呼吸器は陽圧式が主流で、初登場から140年が経って、大変出来の良い物になっています。

藤田拓司先生。豊富な資料を用意されていました。


その他、人体の呼吸のメカニズムや、呼吸器の扱い方など、細かい数字もたくさん出てきましたが、画像を中心に、分かりやすく解説してくれました。その人その人に合った呼吸のリズムというのがあるので、それによって、微妙に呼吸器のダイヤルを調整すれば良いという事です。

人工呼吸器というのは、呼吸(具体的には横隔膜の運動)を助けるためのツールなので、24時間使用していないといけない人もいれば、例えば、8時間使用すれば、残り16時間は、体が自分で運動出来るという人もいます。そして、呼吸機能が低下してきて、だんだん苦しくなってきた場合は、無理をせずに、早期に呼吸器による“補助”をおこなった方が良いということです。ギリギリまで自力呼吸にこだわりたい気持ちは理解出来ますが、かえって呼吸に必要な、肋間筋などの筋肉が硬くなってしまい、呼吸器で空気を入れても、肺が膨らみにくくなります。

まとめとして藤田先生は、人工呼吸器を使用する人の呼吸管理には、医療面だけではなく、生活面でも援助が必要である、医師だけで全ては出来ない、と言われました。本人との意思の疎通や、外出時の移動、吸引など、医師の力だけでは支えきれない部分は、言語療法士や作業療法士の力を借りる、そして車いすでの移動や、それに伴う呼吸器の設定(車いすへのセッティング)はヘルパーさんにやってもらうなど、さまざまな職種の援助があって、初めてトータルに支えられる、ということでした。















さて、2人目の講師をされた藤原勝也さんは、実際に人工呼吸器を使用してひとり暮らしをしている当事者の立場から、講演して下さいました。
藤原さんは6歳の時、筋ジストロフィーと診断され、1999年4月、大学進学を機に、ひとり暮らしを始めました。この時点で、まだ呼吸器は使用していませんでした。大学卒業後、2004年5月に、現在の職場であるメインストリーム協会(西宮市にある自立生活センター)に就職しましたが、その2ヶ月後、人工呼吸器の使用を始めました。

藤原さんは、自分の障害のことはよく分かっていたから、いずれは呼吸器を使わなくてはならなくなるだろうと思いながら、生活していたと言います。
ある時、体に異変を覚えるようになりました。朝起きたとき、かなり頭がボーッとして、午後になっても気持ち悪さが残る。夜寝る時にも幻覚が見えたり、寝返りを打つときも、体が痛い。さらに体重も目に見えて減ってくる、といった状態です。
精神的にもしんどくなってきた藤原さんは、徐々に家にこもるようになってしまったそうですが、これが、もう自力だけで呼吸を続けるのは難しいという、体からのサインでした。

「いよいよ人工呼吸器が必要だ。」そう感じた藤原さんは病院に連絡をし、すぐに必要ということで、呼吸器を使用し始めました。
最初は、「(呼吸器を)着けたらしんどいだろうな。」と思っていて、実際、一日目はすごくしんどかったと言います。
だけど、2日ぐらいで慣れて、夜も快眠出来るようになりました。すっかり元気になり、食欲も完全に戻ったのですが、その時点では、主に夜間のみの使用でした。しかし、やがてそれでもしんどくなり、またも体調面で深刻になってきたので、24時間使用に切り替えました。それが2006年秋頃のことです。

藤原勝也さん。実に力強いメッセージでした。


結局藤原さんは、『体がしんどくなる→呼吸器を着けて元気になる』を、2回繰り返す結果となりました。
現在、24時間呼吸器を使うようになってから2年が経った藤原さんですが、呼吸器を着けたことで行動範囲が広がり、まさか行けるとは思っていなかった海外旅行も、体験出来たということです。

藤原さんは声を大にして言われました。「呼吸器を着けた生活の快適さは、まさに目が悪くなった人が眼鏡をかけて生活しやすくなったというのと、同じです。」

今後に向けて、藤原さんがもっとも力を入れていることは、社会の偏見を取り除く事です。
『人工呼吸器=末期患者対象の生命維持装置』という社会的偏見は依然根強いものがあり、藤原さんは、一般市民対象のシンポジウム等を開いて、自分の体験を例に、呼吸器が人を元気にさせる存在であることを、アピールしています。
また、自立に向けての情報があまりにも少なく、それゆえ自立を諦めている人がいるのも現状なので、病院や施設にもどんどん足を運び、少しでも自立に向けての勇気と自信を持つ人が増えるよう、働きかけているという事です。















この後、質疑応答が行われ、「気管切開をする人としない人がいますが、どこで判断されるのでしょうか?」という質問には、「呼吸麻痺が強くて、唾液や、口に入れた食べ物が、どうしても肺に入る人や、100%自力呼吸が出来ない人は、気管切開が必要」と回答されました。
また、呼吸器を使用しての生活にかかる費用について質問があり、「人工呼吸は医療行為なので、呼吸器そのものは、医療機関からのレンタルとなり、お金はかからない。ただ、電気代や、吸引器などの付属機器にお金がかかる。呼吸器を使っての電気代は、大体月2,500円ぐらい。」と回答があり、吸引が出来る事業所やの数については、「今は多くなってきている」と回答がありました。

今回は、前年8月に、初めて北摂で行われた、『バクバクの会総会』に参加した流れを受けて、人工呼吸器について取り上げました。
当センターの利用者でも、自立生活をしている呼吸器使用者はおられますが、藤原さんのお話でもあった通り、まだまだ社会では、呼吸器というものに対する偏見が強いものがあります。
少しでも偏見が解かれる事を、切に祈りたいですね。
当日は、50名近い参加者が来られました。あいにくの雨模様でしたが、本当にありがとうございました。

質疑応答 会場全景



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