バクバクの会 (人工呼吸器をつけた子の親の会)
第17回総会に参加しました

2007年8月5日(日)、『バクバクの会』=人工呼吸器をつけた子の親の会、第17回総会に参加してきました。
『バクバク』というのは、簡易呼吸器が作動している時の音を表現した言葉で、そこから名前を取って、『バクバクの会』となっています。
全国規模の組織で、各地で毎年総会がおこなわれているのですが、今年は大阪も北摂でおこなわれるということで、CIL豊中から何名かが、取材やボランティアで参加しました。会場はホテル阪急エキスポパークでした。
当日は、人工呼吸器をつけた当事者やその家族、支援者が一同に会し、広い会場はほぼ満席となりました。

はじめは、バクバクの会の会長から挨拶がありましたが、その中で会長は、
「バクバクの会結成から17年となりますが、障害者や難病の人にとって、あまりいい方向になっているとは言えませんね。自立支援法も始まり、何か新しい法律が出来るごとに、縛りが強くなっている様な気がします。教育に関する問題も大変難しいですが、若いお父さんたちも大変がんばっておられます。昨年5月に亡くなられた、平本弘富美さんの遺志も引き継いで、呼吸器をつけている人が、普通に地域で暮らせる社会を目指して、がんばっていきましょう。」
と述べました。

この後、上の挨拶の最後でも出てきましたが、昨年5月に亡くなった平本弘富美さんが生前に出演した、テレビ番組のビデオが上映されました。
平本さんは、呼吸器をつけた当事者の父親で、呼吸器をつけた娘さんが、地域で自立生活をするための運動をずっとしてきました。
以下、ビデオの中で平岡さんが語っていたことを抜粋します。

「呼吸器は、そんな大それた恐ろしい物ではなく、補装具ですね。杖や眼鏡と同じ補装具です。呼吸器をつけていても、本人の願いは叶えてやりたいし、だから、例えば富山県の立山に行きたいと言ってきた時は、一緒に行ったりした。ここ5年ぐらいで、当事者が地域で生活する実績がだいぶん出来てきた。これからも、自分の子どもに学びながら、社会を変えていきたいと思う。それと親は、とにかく子どもからは離れるということですね。」

「人工呼吸器をつけている人は、全国に1000人以上はいるのですが、大半は病院の中で暮らしているので、なかなか知ってもらう機会がない。在宅生活をし、なおかつ学校も地域の学校に通えるということを、病院にいる当事者が知れば、『私も出来る』と思う人が、もっと増えてくるのではないか。」

会場のようす 平本弘富美さんが語る(ビデオ上映)


ビデオ上映の後、平本さんの奥さんが挨拶をし、
「夫は12年間、娘に付き添って学校に行っていました。ハッキリ言って、その疲れもあって病気になったのではないかと思います。
呼吸器をつけた子どもが普通学校や養護学校などに通うのに、親が付き添わなければいけないという問題は、今でも一番の問題としてあるし、最近さらに厳しくなってきたと感じます。それと命の問題も、世間には、『呼吸器をつけている人は生きるに値しない』という偏見が、根強くはびこっています。この問題に立ち向かわなくてはいけません。私たちはこの問題を、避けては通れません。」
と、涙声で話していました。

続いて行われた議題報告では、事務局長の折田さんから、
「当事者の生活実態に基づいて、在宅生活の環境をより整えるための行政交渉を行う予定だったが、力不足でまだ出来ていない。交通事業者に対する交渉や、医療行為に関する勉強会は出来たと思う。
今後は、一般市民の誰もが医療的ケアが出来るように、普及活動を行い、ヘルパー育成の講習会もやっていきたい。人形を使っての吸引の練習はやってきた。」
などの報告がなされました。


さて、2000年の2月に、京都府内の病院において、人工呼吸器をつけた子どもが、呼吸器に誤ってエタノールを注入されたために、死に至ったという事故がありました。この、『エタノール注入事故』で亡くなった子どもの両親が、この日、スピーチを行いました。涙で声を詰まらせながらのスピーチとなりましたが、以下、抜粋します。

「私たちはこの一件を、『事故』ではなく、『事件』と呼んでいる。それは何故か?事故自体は誰もワザとやろうとした分けではなく、過失行為として起こったものだが、それを隠蔽しようと病院側が意図的に動き、死亡診断書にも、『病死ならびに自然死』と、ウソの記述をしてきた。これは断じて許されることではなく、ゆえに『事件』と呼んでいる。今、裁判で争っているが、病院は何故、隠蔽工作をしてきたのか?最初に事故が起こった時、すぐにそれを私たち親に知らせ、その後、誠心誠意対応してくれれば、『事件』とまでは呼ぶことはなかったのだ。これまで病院には本当に一生懸命やってもらっていたのに、最後の最後で裏切られた。何よりも、故人本人の人権が深く傷つけられたわけで、それが一番許せない。」

議題報告をした、事務局長の折田さん 無念の思いを切々と語っていた、
エタノール注入事件被害者の両親




午後からは、基調講演とシンポジウムが開催されました。
基調講演をしたのは、先ほども名前が出てきました、平本歩さんです。
平本さんは講演の中で、在宅生活に至るまでの経緯や、現在の生活、これからの夢について語りました。

「すごく小さかった頃は、呼吸器を外す練習をしていたこともあったが、外したら呼吸が苦しくなった。3歳の時、当時病院で生活をしていた私は、見舞いに来た両親が家に帰ろうとすると、離れるのが辛いという気持ちから急に心拍数が上がり、大粒の涙をこぼして『一緒にいて』と訴えた。そのことが切っ掛けで、4歳から在宅生活が実現した。学校は普通学校に通った。私は口から物を食べないので、食べ物のことがよく分からないのだが、分かりやすく教えてもらえず、調理実習にも参加できなかった。でも、例えばバスに乗って遠足に行くときは、当時まだノンステップバスが無い時代で、学校側が手作りのスロープを作ってくれた。現在の暮らしでは、結構いろいろ外出もしていて、時にはヘルパーさんとケンカをするときもあるけれど、楽しみも持って、アクティブに生きている。父のことはすごくショックだったけれど、母は、仕事に復帰した。これからも父の遺志に答えて、自立への道を突き進んでいきたい。将来の夢は、英会話をマスターして、呼吸器をつけている外国人とコミュニケーションを取ること。」

基調講演をした平本歩さん スライドを交えて、いろいろな体験を語る。これは飛行機に
乗って旅行に行く時。スキーや登山にもよく行ったという。


シンポジウムでは、鰍ヘぁとふる代表の町田久美子さん、『介護舎てにてを』の吉本奈央子さん、障害者自立生活センタースクラムの姜博久(かんぱっく)さん、大阪府教育委員会の矢木克典さん、社会福祉法人びわこ学園の杉本健郎医師の、計5名がシンポジストを務めました。

町田さんからは、
「ある時契約していた事業所から突然契約を打ち切られ、自ら事業所を立ち上げて、自分で自分の介護を調整している。身体はムリがいくけど、何とか軌道に乗って回していっている。」

平本歩さんの介護調整も担当している吉本さんからは、
本人さんが、介護者の都合に合わせたスケジュールを送ることにならないよう、一人のヘルパーさんにまとまった時間数、入ってもらっている。ヘルパーさんには、長時間介護の意味を理解してもらうようにしている。」

姜博久(かんぱっく)さんからは、
「問題を問題として認識しないで、現状に満足してると言っている。人権を侵されていても、そのことを認識出来ない。これはつまり、施設や病院の中にいて、機会が奪われている証拠。」

矢木さんからは、
「学校内において、医療的ケアを必要とする生徒への対応として、看護師を小中学校に配置する市町村に対して、大阪府が経費の一部を補助するという事業を、平成18年度より始めた。特別支援教育に関連して、就学の際には、保護者の意見を聴取しなければならないという事が、新たに追加された。」

そして杉本医師からはスウェーデンの話が紹介され、

「24時間の完全介護を可能にするために、ヘルパーは免許(資格)は要らない。家族・兄弟姉妹がヘルパーとして入ることも出来、入れば市からお金が出る。それは当たり前のこととなっている。ただ、家族にもお金が支給されるため、『家族内介護』だけで本人の生活が成り立つという事態も起こっており、それに対する疑問の声も上がっている。


以上のような話が出ました。
本当はもっと盛り沢山の話がなされたのですが、ここでは簡潔にまとめさせて頂くことをご了承下さい。


シンポジストのみなさん。一番右端は、コーディネーターを務めた、『そよ風のように街に出よう』編集長の河野さん



今回、初めて『バクバクの会』に触れて、『人工呼吸器と人との関係』について、自らに問い直すいい機会になったと思います。
呼吸器をつけて、地域で暮らしている人がなかなかいないために、どうしても呼吸器というものが、『病院の中で、絶望的な状態の中でつける物』という固定概念になり、マイナスイメージを持たれる結果に、つながるのではないでしょうか。
また、
昨今、『尊厳死』の制度化の事が論議されている事が、この総会の中でも取り上げられました。
制度化の結果として、本人でもその家族でもない、第三者の一方的な見解によって、「どういう状態で生きているから生きる価値は無し」などと決め付けられる事態が、もし起これば、これは明らかに人権無視であり、人工呼吸器装着の場合に限らず、許す事は出来ません。

見た目では分からない力や可能性が、どんな人の中にも存在しているのだ、という思いを新たにしました。
当日、全国各地から集まったみなさん、お疲れ様でした。


午後のシンポジウムの時の会場。超満員になりました。 こちらは午前の総会終了後に行われた、
『バクバクの会』会員の全体記念撮影


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