広報誌『CIL豊中通信』Vol.45

2015年春号


も く じ




印刷版の表紙
1. 特集:私たちの家事情 〜住みたいところで住みたい〜
2. 2014年9月 ヘルパー現任者研修報告
3. 2014年 自立生活プログラム講座報告
4. 大盛況!!2014年度クリスマスパーティー
5. 『忘れない1995.1.17 in とよなか』報告
6. 車いすでお出かけコーナー
広報誌編集部
事務局
事務局
事務局
事務局
どんぐり
みなさんからの、投稿コーナー
7. 短歌
8. ぼくの日曜日
9. どんぐりのひとりごと
10. 哲珍の部屋
岩國久美子/吉村史生
海帰優人
どんぐり
上田哲郎
11. サロン便りだヨン
12. CIL豊中近況
13. 訃報:ま〜たれ こと潮村雅子さんが永眠しました
14. サービスのご案内
15. 編集後記
TSW1
事務局
事務局
事務局
瀧本香織


発行号のエトセトラ 〜春号〜











春はなんとなくウキウキします。
太陽の光に誘われて散歩してみたり、おいしいものを探してしまったり。
数年前、うどん県(笑)へ行って食べたうどん。
写真がとっても魅力的にとれてしまい、何となく時々壁紙にしています。
春だから・・・・という理由にかこつけて、春うららの中ドライブしながら、
また食べに行きたいなあ〜と思いました。



1. 特集:私たちの家事情 〜住みたいところで住みたい〜

広報誌編集部

 本誌はこれまで、公共施設のバリアフリー状況や、障害者のグループホームを取材したことはありましたが、『家』そのものにスポットを当てたことは、意外とありませんでした。また昨今、制度的にも、地域移行の推進に伴い、施設や病院から地域に出て、一人暮らしをする障害者が増えてきています。今後もこの流れはますます加速していくものと思われ、今回、人が生活を築く上で物理的に欠かせない基盤である、『家』を特集にしました。記事作成にあたり、家探しを経験した当事者の方や、物件の関係者の方に取材をしています。


●不動産屋さんに訊きました

 家探しをする上で、先ず最初に皆さんが接するのは不動産屋さんです。ここで自分の望む物件について相談するところから、全てが始まります。今回は、CIL豊中が長年お世話になっている不動産屋さんに、取材を行いました。

不動産屋さんのようす

段差の有無は室内・室外のチェックが必要だヨ

 障害者の方からの相談は、平均で年2〜3件あります。障害種別は身体が多く、段差のない物件を求められます。ただ、建物内の段差だけではなく、入口と前の道との間に段差はないか、前の道の交通量は多くないか、廊下の幅が車いすを置いたり回転したりするのに充分であるか、ということも重要です。 

住宅改修の相談、成功率は50%

 住宅改修については、快諾頂けるケースと拒まれるケースが半々ですね。玄関のスロープ化は絶対にダメとか、最初から拒んでくる人もいます。だけど、例えばトイレを和式から洋式にするとか、お風呂を改修するとかいうのは、今後の入居者にとっても逆に有難いですよ、と私は言っているのです。費用も大家さん負担ではないし、工事も公認の業者がやるから安心、と言って積極的にお願いしています。それでも、車いすで常時動くことで床が痛みやすくなる、という理由で断られたことはありますね。

知的障害者への物件紹介の場合

 知的障害の方で、大声を上げたり壁を叩いたりする場合は、コンパクトな戸建てなど、近隣と多少距離がある物件を紹介しています。ただ、近隣からの苦情を想定して断られるケースもありますね。しかし一度住み始めると、そのあとで大家さんに退去を求められたことはないし、言い換えれば定着率は高いです。知的障害以外でも、例えば視覚障害の方が住むのに、「火事になったら怖い」という心配ごとに発展したことはありません。ただ、中には不安がる大家さんもいて、そういう人は前もっていろいろ細かい情報を訊いてきますよ。ちなみに家賃ですが、安くて5〜6万円といったところですね。

気負いせずにどんどん来て下さいね

 日本は長年の慣習で、障害者への理解が遅れている部分があると思います。車いすに乗っているからこそ自立度が上がるというのも、理解されにくい様ですね。ただ、最近では大家さん自身が高齢になってきて、前よりは理解されてきていると感じます。障害当事者の方も、「断られるのでは?」、「しんどい交渉になるのでは?」というイメージを持たれるかも知れませんが、気負いせずに、どんどん訪ねて来て下さい!お待ちしています。
(根箭)


●大家さんに直接取材!

 CIL豊中では、古い一軒家だった物件を借りて、自立生活体験室(ILPルーム)として使用しています。使用開始は2003年11月ですが、当時は現在よりもずっと、バリアフリー化などの住宅改修に対して、理解が得られにくい時代でした。そんな中、快く改修を許可して下さったこの物件の大家さんに、このたび、取材を行うことが出来ました。

自立生活体験室の寝室部分


ごく当たり前のことだと思っていました


 ここは元々店舗物件で、今寝室になっている部屋には、大きな段差があったのです。改修については、障害のある人が使いやすくするために改修するのは当たり前のことだと思っていたから、何の抵抗も無かったですよ。特別なことをしたという気が全くありません。今みたいなバリアフリーな状態になったら、仮に私が住むとしてもすごく使いやすいし、原状復帰を求める気も全くないですね。だから改修を拒むという考えのほうが、何か不思議です。

実は一つだけ心配していることがあります

 玄関から出てスロープを下りたら、すぐにガレージがありますけど、ガレージは別の人が借りています。だから車いすで出掛けようとする人と、ガレージから出てくる車がぶつからないかどうか、これだけは唯一心配しているのです。特にバックでスロープを下りてきた場合は、後ろがよく見えないから、それだけが心配です。

自立生活体験室の入口部分

いつでもOKですよ!

 過去に別の物件で、結果的には居住されなかったのですが、不動産屋さんから住宅改修の相談が1件あって、私はOKしていました。これからもウチの物件である限り、もし相談があれば、いつでもOKしますよ。

頭の中で心配するより実行しなさい

 改修に無理解な大家がいるということですが、そういう人は、障害者に対する考え方が変わらないといけないと思いますね。障害者のことについて学べる講座などがあったら、どんどん参加してみたらどうでしょうか。それと、実際に一度やってみて(改修してみて)、どうなるか見てみなさいと言いたいです。先ずやってみることが、先入観を取り除く糸口になるのではないか?と、私は考えますね。
(根箭)


●新生活

 私は普段、車いすを利用しています。去年の10月から一人暮らしを始めています。なぜ一人暮らしをしようと思ったかというと、自分が一人でどこまで生活できるのかを試したいのと親の束縛から逃れたかったからです。

 まずは部屋探しです。不動産屋で部屋の希望を言うと「ない」と言われた事がありました。それからはインターネットの賃貸サイトでたくさんの物件を検索しました。

 良い物件があると、不動産屋へ行く前に私一人で物件周辺を見に行き、段差はないかと交通機関の便利さを確認したうえで不動産屋に行きました。でも、外覧がバリアフリーで良くても内覧してからわかることがたくさんありました。それは電動車いすの置き場所、お風呂の広さ、自力で乗り越えられないほどの玄関の段差がありました。それから部屋探しを始めて8〜9ヶ月目に今の物件と運命的な出会いをしました。バリアフリーではないけど、1階で角部屋、マンションのエントランスに段差がない事と交通機関の便利さで決めました。
 玄関に入る所と玄関に段差は父親にスロープを作ってもらい、玄関を上がり切った所で電動車いすを置き、室内は自力歩行で生活しています。
 あと、車いすの友達の為に室内に入る段差の所にもスロープを作ってもらいました。
 家探しで大切なのは絶対に諦めないこと!!家族や友達、不動産屋に「そんな物件はない」と言われても探し続ける。私は「ない」と言われて、「絶対に見付けてやる」って意地になって探し、見つけました。
(瀧本)

玄関のスロープ 室内へのスロープ



●被災者対象の特定借上げ賃貸住宅

 あの、阪神・淡路大震災の発生から20年。脳性麻痺で車いす生活の私は、その前から親元を離れて自立していました。地震当時、住んでいた『えーぜっと作業所』近くの古い文化住宅は半壊となり住めない、とりあえずは市が用意した仮設住宅に入ることになりました。
大家さんは、「新しい家を建てる予定なので、戻ってきてください」と、軽く言ってくださり、快く受けていたのに、結局そうではありませんでした。でも結果的には、そこを断られたからこそ、今の住宅に当選できたのだから良かったのですが、当時の私としては期待もあってショックでした。
 仮設もずっとは住めない、地震の後、一年のうちで3回も引っ越しました。その間に娘も生まれていました。当時の自立生活援助センターとよなかのスタッフたちが、どうしてよいかわからない私を支えてくれました。それに、両親も元気で手伝ってくれ、私自身も元気で今ほど障害が重度ではなく、どんな家にも住めたこともあり、3回もの引っ越しが可能だったんだと思います。
 そうこうしているうちに、被災者対象の市の特定借上げ賃貸住宅の募集に応募して、バリアフリーの車いす住宅に入ることができました。これは市が、民間の建てる住宅をある期間借り上げて、被災者に貸してくれるというもの。車いす住宅だけあって、当時家の中では車いすを使っていない私には、お風呂もトイレも広すぎるという感じがあったけれど、障害が重度になっていき車いす常用者になった今は快適な住宅です。でも、来年の初夏ごろまでには、契約期限が切れてここを出なければならないのが現実です。
今度は、どこに住めるかわからないけれど、がんばって探していきます。
(塚原)

バリアフリーだけど、退居しなければならない・・・・・。



●工夫する事で心地よく生活

 当センターの近くに一人暮らしをされている重度の筋ジストロフィーの上根さんの取材を行いました。
 一人暮らしをされた当時は、座位がとれて車いすを利用されていました。現在は呼吸器を付けてベッド上の生活で、出かける時はストレッチャー型の車いすを利用しています。

一人暮らしをするきっかけについて

車いす幅ギリギリ

 10〜11年前、大阪の大学へ通うためと、母親が病気がちという事で一人暮らしを始めました。

こちらの物件にした一番の決め手は何でしたか?

 内覧した時に「エレベーターが狭い」という難点はあったけど、刀根山病院が近いことと、車いすでも出入りができることが一番の決め手になりました。
 物件探しは父親がしていて、もし父親ではない人が探していたら、この家が見つかったかどうかわからない、保証人の事もあり、第三者だと契約がスムーズにはいかない可能性もあったと思いました。

心地よく生活するためにしている工夫を教えて下さい。

 ベッド上で仰向けの状態でパソコンをするために、父親が設計したパソコン台があり、文字を打つ時は指先しか動かないので、画面にキーボードを出して、操作をしています。
 このパソコン台はコマを付ける事も出来て、入院時はコミュニケーションツールとして台ごとパソコンを持って行っています。
首を自力で動かす事が出来ないので、天井に数枚の鏡を貼り付けて、頭の周りにある呼吸器操作を新人ヘルパーに教えています。照明は眩しすぎるので、上に紙を貼る工夫をしています。

最後に家探しをしている後輩に一言お願いします。

 一人暮らしは環境が整えば、そう難しい事はないと思うので、まずは、環境を整える準備を頑張ってください。 (瀧本・今津)

 鏡で呼吸器のチェック  



●ちょっと説明することで改修もOK

 豊中市内の或る小さなマンションでは、2人の重度身体障害者が、それぞれ一人暮らしをしています(以前はもう1人いた)。この内の1人については、入居に際して室内の段差を無くす改修も行いました。マンションの1階には、ヘルパーステーション『であいの郷』があったのですが、その代表が自ら大家さんと掛け合い、物件を探す障害者との橋渡し役を務めたことで、最大で3人の障害者が一人暮らしをする状況になっていました。『であいの郷』は現在移転していますが、このたび代表の東さんに取材を行いました。

ここやったら暮らせるやん

改修工事済みの居室

 事務所を開くために1階を借りた時、上階に空き部屋がたくさんあったのです。実際に部屋を見て、「これだったら身体障害者の人も暮らせるやん」と思い、当時、物件を探している当事者が一人いたので借りることにしました。管理人からは最初、「身体障害者が来たら大変やん」と言われたけど、「横にはヘルパーが付いているし、掃除やゴミの分別だってヘルパーがやる。万が一エレベーターが動かなくなっても、本人は重度の言語障害があるけど、ヘルパーが報告に来るから大丈夫」と説明しました。そしたら「あ、そやな」とすぐOKになって、住宅改修についても理解を示してくれたのです。ただ、その時借りた人は、住宅改修は必要ないという人でした。

改修した上で暮らしている人もいます

 マンション上階の一室を、ミーティング室として使用していました。やがて事務所を移転する話が持ち上がった頃、当時両親と暮らしていた50代の重度脳性麻痺の人が、自室のベッドから落ちて大怪我をしたのです。その際介護にあたった母親も、相当高齢で体力の限界にきており、「本人が一人暮らしが出来る物件はないものか?」と、相談に来られました。それで「この部屋を提供しよう」ということになり、名義変更の手続きをしたのです。改修には元より理解を示してくれていたので、工事も無事完了しました。

自分がその立場になって初めて解る

 当時の大家さんは、「自分が一度事故で身体が不自由になったことがあって、障害者のことを感情的に解るようになった」と話していたことがありました。やはり自分がその立場になって初めて解るということが、あるのでしょうね。今はその大家さんは引退して、息子さんが後を継いでいますが、同じ体験は無くとも、障害者の気持ちが解る大家さんであってほしいです。
(根箭)


●知的障害者の家探しは?

 今から丁度20年前、1995年秋に、簡易通所授産所(現 生活介護)『よーい・ドン』に通所する重度の知的障害者が、自立生活を始めました。まだ制度も何もない時代、知的障害者の一人暮らしも前例がありませんでした。当時のことについて、『よーい・ドン』代表の吉村さんより、以下の話を伺いました。

意外とすんなりいきました

 最初に不動産屋で相談した時、「本人は重度の知的障害があるが、何かあれば作業所で責任を持つ」、「24時間、必ず介護者が付いて生活する」、「作業所は豊中市から認可されている」の3点を説明しました。そしたら、それを家主さんにそのまま伝えてくれて、家主さんも「だったら安心」と、すぐに受け入れてくれたのです。その時はまだ、世間が知的障害の特性などをほとんど知らなくて、何の先入観もなかったから、かえって受け入れがスムーズにいったのではないか?と私個人は思っています。今のほうが、ある程度世間が障害を認知している分、逆に「あれは大丈夫か?こんなトラブルは起こらないか?」と、マイナス要素ばかり注目されかねない気がしますね。 

自立したメンバーの家

本人の特性を考慮した物件を

 本人は夜に大声を上げたり、ドタバタするという特徴があったから、壁一枚挟んですぐ隣の世帯という構造ではなく、少し隣四方との間隔が空いている一軒家を条件としました。それと本人は生活保護だから、家賃の面でももちろん上限設定は必要で、駅や作業所からはやや離れているものの、条件にかなう物件があったのでそれに決めました。『よーい・ドン』では、2000年と02年にも、メンバーが一人ずつ自立を果たしています。その時は本人の特性がまた違うから、長屋を借りたりもしたのですが、家主さんの受け入れに関しては一人目の時と同じでした。書類についても、まだ書式自体が存在しておらず、サッと書いてスッと決まった、みたいな感じでしたね。

近所からの理解も得つつ
 95年に一人目の自立が実現した時は、初めてのケースということもあって、専従職員を一人置いて、その職員が相当頑張ってくれました。近所に謝りに行ったこともあるし、私も謝りに行って、「あんたが責任者か?」と言われたこともあります。ただ、こちら側が丁寧に謝ったら、それ以上こじれたり、そこに住めなくなるということはなかったですね。

早く4人目の自立を実現させたい

 2002年の3人目を最後に、13年以上、新たに自立するメンバーが誕生していません。その間も、親は当然ながらどんどん高齢になっているわけで、どういう形でも出来るだけ早く、4人目・5人目の自立を実現させていきたいですね。
(根箭)


●住宅探しは、た・い・へ・ん

 牧瀬武大さんは、1964年生まれの50歳で『えーぜっと』の当事者スタッフです。これまで障害当事者であると同時に支援者として、障害者の地域生活支援の一翼を担ってきました。しかし、2013年夏頃から不調を訴えられ入院されると、2013年暮れには頸の手術、2014年の年明けに胆石の手術と続き、その後リハビリで入院する事約1年あまり。2014年の11月に漸く豊中市内に住居を求める事が出来て、福祉サービスを利用しながら自立生活を始める事となりました。
 では、手術後に車イスでの生活となった彼が、入院生活を終えて地域へ戻るまでの経緯を、家探しを中心にお話ししましょう。   

せっかく良い物件だと喜んだのに…

 牧瀬さんの知り合いで、豊中市南部の阪急沿線にある不動産屋さんに依頼して家探しを始めました。幸運にも間取りや玄関・浴室・トイレの広さが申し分ない物件がすぐに見つかりました。浴室には手すりが既についていてトイレは車イスで介護者と一緒に入れるくらいのスペースがありました。前の入居者が要介護の人であった事が偲ばれる物件でしたし本人も納得されましたので、不動産屋さんには早速手続きに入っていただきました。
 しかし、大家さんの承諾を得る事が出来ず振り出しに戻りました。理由は「障害者はお断り」という事でした。浴室の手摺りなど、介護を必要とされる人に対して理解のある大家さんだと安心していただけに大ショックでした。

家主さん以外にもいろいろ…

 それでも負けずに探し続けました。大家さん自ら物件を案内していただいた事もありました。今度は大丈夫かも、と思った矢先に隣の住人から猛抗議にあってしまい、此処で住んだとしても良い事は無いと判断して見送った事もありました。漸く契約にこぎ着けた部屋も、玄関やトイレに改良を加える必要もあり、諸手続と実際の工事の期間など経て、落ち着いた暮らしが始まるまで約半年の時間を必要としたのでした。家が決まるまでの半年間、牧瀬さんの生活の場はリハビリで入院している病院でした。リハビリでの入院では入院期限が決まっていて、それまでに退院させられるという事もあるのですが、幸いな事に延長して入院する事ができました。数回の延長の依頼にも対応してもらえて、時間が掛かる家探しも何とか達成できたのでした。

理解ある不動産屋さんは大切な社会資源です。

 引っ越ししたいとなって家探しをするとなると、何度も足を運んで良く吟味をして決めるのですが、障害者が同じ事をするとなると「障害者」という事で断られたり、物件の下見に行くと段差があって動けなかったり等、決める事が難しい事例が多くあります。それでも決めていくためには、手厚い支援があるとか住宅改修が出来るなどの条件が必要となります。そして何よりそうした条件下で家探しをする障害当事者に、物件の情報提供や家主さん並びに管理会社との交渉などに動いていただける不動産屋さんは不可欠な存在なのです。
 さて不動産屋さんの感想ですが、「今回牧瀬さんの事を担当してみて、如何に大変かがよく分かりました。」加えて「今後も是非担当させて下さい。」との力強い言葉もいただきました。
 2015年1月現在、地域移行を目指す方の家探しに奔走していただいています。これからも絶える事無く関係を続けて、より多くの障害当事者の自立に繋がれば良いと考えます。また、こうした事業者が一つでも増えていく事が、地域生活を支える大きな力となる事は間違いありません。   (大東)


●あんしん賃貸検索システムってご存じですか?

 この検索システムは、高齢者・障害者・外国人及び子育て世帯の入居を受け入れる民間賃貸住宅と、その仲介を行う協力店・入居の円滑化等に関する支援を行う団体等の情報提供を行うものです。大阪府のホームページからサイトに繋がります。希望する家の条件を入力すると、それに見合った物件の情報が表示されるシステムです。ちなみに豊中市に関しては、支援団体が2団体と協力店が7店紹介されています。
 支援団体は入居時の手続きや、入居前後の様々な相談や困りごとの対応など、団体によって多少の違いはありますが、住宅の安定確保と入居の円滑化を図る活動をしています(サイトの説明文を参照)。 

実際に当事者(塚原)がアクセスしてみました。

 まず結論から。該当する住宅がありません、とのことでした。
 このあんしん賃貸住宅システムなんですが、年末、実際に検索してみました。何も条件を入れずに検索すると、豊中市では20件しかなく、大阪市は広いから、168件、箕面市は0件、池田市は1件、吹田市が4件でした。豊中市の20件に、家賃を約6万円までにしてみると6件で、約5万円までにすると4件でした。6件からの分で言えば、どの建物も築30年以上でバリアフリーの住宅ではないようです。更にこだわりの条件、手すり、洋式トイレ、リフォーム可能などを付けていくと、「ありません」となります。
 このこだわりの条件、今の私には、必要不可欠です。これがないと、ヘルパーさんの介助の負担も大きくなります。
 この事業には、もともと車いすの障害者は対象にされていない感じです。頼みは公営住宅ですが、在宅でいると、どこに存在するのかさえもわからず、弟に車で連れて行ってもらっている状況です。
 以上、私の家さがしに引っ掛けて、このあんしん賃貸住宅支援事業のことを書いてみました。

すぐに見つからなくても…

 さて、前段でも述べましたようにこのホームページには、協力店などのリストも掲載されています。アクセスで見つからなくても実際に訪れて家探しをすることで、何らかの展望は開けるかも知れません。とにかく、実際に動いてみる事が大切ではないでしょうか。             (塚原・大東)


●さいごに

 以上、『家事情』についてお伝え致しました。なかなか順調に物件を見付けられない時もありますが、当センターでも家探しに関しては情報提供をしております。記事で登場した不動産屋さんや大家さんも、誌面では名前を掲載しておりませんが、もしコンタクトを取られたい場合は、当事務所までお問合せ下さいませ。この先、地域移行が進んでいく中で、障害者の家探しがますます一般的になっていけばいいと思います。最後に、お忙しい中取材にご協力下さった方々、本当に有難うございました。

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2. 2014年9月 ヘルパー現任者研修報告

事務局

 2014年9月11日(木)17時〜19時に、ルシオーレの講座室にて、現任者研修を行いました。
今回は「ヒヤリハット・事故報告及び事例検討」というテーマを基に行い、普段ヘルパーが抱えている援助での疑問点や不安を解消していく事が、この研修での目的でした。
参加者は登録ヘルパー、職員合わせて6名の参加となりました。予想よりも下回る参加人数でしたが、各々の話をしっかり聴くことができ、意義のある研修となりました。
まず、用意していた2件の事例について話し合いました。

 1つ目は「入浴援助にて浴槽から外に抱きかかえ出そうとした際、手を滑らせ危うく転倒しかけた。」という内容で解決策を考えていきました。話の中で各々の入浴援助で気をつけている点、例えば出る時に水分を拭き取ったり、事前に転倒の可能性を取り除く等が挙げられました。それぞれの経験を話し合う事で入浴に関する援助での新しい気付きを発見、共有できました。

 2つ目は「利用者に援助時間外での頼まれごとをされた際、どう受け答えをするか。」という事例について考えました。どの程度の頼まれごとなら引き受けるかを皮切りに、利用者との距離の取り方などについて討論しました。対策として、コーディネーターに逐一報告する事が挙げられました。また、同じように援助とは関係のない頼まれごとを引き受けた際に事故に至ったケースなどについても考え、コーディネーター、ヘルパー両者の立場での意見交換、共有ができました。

 最後に参加者の方の中から、現在抱えている疑問や質問を挙げていただき、各々の意見を述べて討論しました。不安の共有、その改善に繋がりました。
 討論会は初めての企画でしたが、普段1人での介助が多い現場なので不安、迷いなどが多く、話し合う機会も多くはないため大変有意義なものになったと思います。
最後に、今回参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。
(担当:中川・庄村・谷口・花岡)

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3. 2014年 自立生活プログラム講座報告

事務局

 今年度自立生活プログラム講座は、10月25日と11月1日の2日間で行いました。
 今回は以前から受講を希望していた方とスタッフからの案内で受講する事になった方、合わせて3人の受講生でスタートしました。

第1回「先輩の話を聞こう」
 今回の先輩講師は二人で、一人暮らしをして13年目の今井雅子さんと2年目の大岩裕司さんでした。お二人とも同じ脊髄性筋萎縮症(SMA)という障害です。

今井雅子さん

 今井さんは昔、障害を持った先輩が障害の事をハンディ着ぐるみと言っていたのを聞いて「私はハンディスーツと表現しよう」と思ったそうです。一人暮らしをするきっかけは自分と同じくらいに重度な障害の人が一人暮らしをしている話をテレビで見て、衝撃が走ったことだそうです。それから一人暮らしをするためにはヘルパーの介護を受ける事やいろんな人との関係作りが大切と思い、障害を持って一人暮らしをされている方の生活風景を東京や北海道まで見に行かれて、いろんな工夫をされている状況を見る事ができて、刺激になったそうです。

 大岩さんは、CIL豊中ヘルパーステーションの副管理者で、担当コーディネーターでもある渡辺と一緒にお話ししてくれました。

大岩さん(右)と渡辺Co(左)

 一人暮らしのきっかけは、刀根山病院のわかば病棟に入院している時、担当医から一人暮らしを提案されたことだそうです。それから実行に移るまでは、入院中の自分に代わり、渡辺が市役所に行って、話を聞いたり手続きをしたりして、それらを報告してもらって進めました。渡辺からの報告がない時は不安になり、「最近、どうなってますか?」と聞く事もあったとか。今の生活や家の様子なども、写真で紹介してくれました。
 一人暮らしが落ち着いた頃、どうしても仕事がしたいと思い、いろんな企業に行ったけど断られて、今は自分と同じ思いを持つ障害者の友達と一緒に、ある企業からの業務委託という形でホームページ作成の個人事業をしています。「僕の場合は仕事がしたいというものだったが、皆さんも生きがいを見つけてほしい」と最後にメッセージを送っていました。

「先輩に聞こう!」
 受講生から講師のお二人に質問をしました。
☆一人暮らしするのに必要な資金は?→家具や家電を買い揃えたので、100万円くらい掛かりました。(大岩さん)
☆親の説得は?→親が反対していても自分の思いを伝えて、親に経過報告していけば、徐々に納得してくれると思います。(今井さん)

第2回「ヘルパーとのコミュニケーション」
 CIL豊中ヘルパーステーションでコーディネーターをしている野口が講師を務めました。
 最初に豊中で自立生活を満喫されている方のDVDを見てもらいました。そして、「コミュニケーションについては自分がしてほしい事を分かりやすい言葉で最初にきちんと伝えて、家の状況を自分で把握する事が大切です。自分の障害の事をヘルパーに伝える事も大事です」と教えてくれました。

第3回「人権と障害者運動」

細井さん(左)・上田(右)

 前半はCIL豊中の上田から話が始まりました。
 49年前の悲惨な大規模入所施設の事実を見てもらい、今の地域生活しやすい環境なったのは、先輩の障害者が運動を起こしたからで、現在は法律や制度に守られている事をお伝えしました。
 後半は大阪障害者自立生活協会の細井さんからのお話です。当時、細井さんは障害者運動の話し合いに参加されたことがあって、その時の情景を話して頂きました。
受講生も大規模入所施設の様子の写真を見て、「今では考えられないほどひどい」と感想を漏らしていました。

第4回「制度を知ろう」
 当法人理事長の徳山から、自立生活で欠かせない制度について話しました。2013年に施行した障害者総合支援法とは何か、障害福祉サービスの内容と種類について、障害年金は支給されているか、生活保護制度がある事、どのように申請したらいいのかを資料を見ながらこと細かく説明しました。

≪受講生からの感想≫
 難しい内容もあったけど、来て良かった。
 今すぐに直結してくる話がたくさんあり、とても参考になりました。

最後に
 今回は主に座学形式でしたが、受講生の皆さんは真剣に聞いておられ、今後の生活に役立ててもらえたらと思っています。
自立生活プログラム講座は今後も実施していきます。興味を持たれた方、自立を目指している方は是非ご参加下さい。
(瀧本)

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4. 大盛況!!2014度クリスマスパーティー

事務局

 2014年12月21日(日)、毎年恒例のCIL豊中クリスマスパーティーが、障害福祉センターひまわりで開催!今年は、会場レイアウトにも工夫を凝らし、仮装も女装も華やかで楽しんで頂きました。

 今年のオープニングは、今回1人目の初登場!油谷享志さん。親近感が湧く雰囲気と、素敵な歌声のステージに、思わず踊り出す人もいるくらい盛り上がりましたよ〜。油谷さん、有難うございました!!

 ライブの後はお馴染み、大常連のPーCUBIC!パフォーマーのイノウエタクマさんは、ヨーヨーパフォーマンスで世界大会優勝や全国大会優勝という実力の持ち主。
 シガーボックスの箱が落ちそうな時はドキドキ、ヨーヨーは、音楽に合わせて決まるダイナミックな技と小技のオンパレードに、子どもも大人も見とれちゃいました!!

爽やか&ポップな歌声   鮮やかな手さばき。すご〜い!!
ビンゴ司会の二人。
みんなカード持ってる? 

 休憩を挟んで、お楽しみのビンゴゲーム!

今年も約20個の景品をご用意。参加者にもビンゴボールを引いて参加してもらいました。
 最初はボチボチと、後半になると「私も!」「僕も!」と、1つの番号で立て続けに当選者続出!!!当たった人は前に出て、賞品を誇らしげにお持ち帰りしました。実は参加賞も用意していたので、外れた方も喜んでもらえたかな〜。

 パーティーはまだまだ終わりません。
 昨年に続き、児童デイサービス『ボーイズ&ガールズ』の皆さんによる、クリスマスソングメドレー!日頃デイに通っている参加者達が、いつも歌っている曲やクリスマスソング、愛らしいパフォーマンスを披露。はにかみながらも頑張る姿に、私達もほっこりしちゃいました。
 お次は今回2人目の初登場、森口さとみさんによる『エアロビ』!先生は稲スポーツセンターで障害者エアロビクスをされているので、既に振付を知っている参加者もチラホラ。。。。おなじみの曲から、2014年に爆発的人気が出たあの妖怪が出るアニメの曲まで。先生に合わせて踊りまくりました〜〜☆

 『ボーイズ&ガールズ』の皆さん 『エアロビ』 

 その後は雰囲気が変わり、『CIL豊中ソーラン節』です。職員17名が3ヶ月をかけ練習した舞を披露!渋い!かっこいい!背中の刺繍もかわいい!!迫力満点!!
 大盛況の中、次は参加者も巻き込んだ『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜(アナと雪の女王)』を歌いました!「ありの〜♪ままの〜♪」番号分けした歌詞を、事前に協力をお願いした人達が各自熱唱☆最後はみんなで大合唱。緊張した人や、伸びやかに歌い上げた人、色々な人の歌声で会場が1つになった瞬間でした。

 興奮冷めやらぬ中で、サンタさんによるプレゼント交換タ〜イム!
 何が当たったかなぁ?「これはなあに?」という物が当たっちゃっても、今回の記念ということで許してくださいね。

魂を込めて舞うソーラン節 司会の2人。原さんは
電飾でデコレーション☆

 以上、2014年度のクリスマスパーティーでした。
 アンケートでもたくさん「楽しかった♪」との声を頂き、頑張って準備して本当に良かったなあと思いました。
 今年はチラシレイアウトを一新したこともあり、前年度より早い段階で定員に達したため、運良くキャンセル待ちで参加できた方、残念ながらお断りした方が何人かおられました。
 参加者の皆さん、そして出演者・音響始め、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
(担当:今津)

こちらのページでも、クリスマスパーティーの報告を公開しています。

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5. 『忘れない1995.1.17 in とよなか』報告

事務局

 阪神・淡路大震災を振り返り、防災・減災について考えるシンポジウム『忘れない1995.1.17inとよなか〜阪神・淡路大震災20年の軌跡〜』が1月17日(土)豊中市のアクア文化ホールで行われました。約500人が犠牲者を痛み大震災の教訓を忘れないと心に誓いました。20年前に起きた阪神・淡路大震災では死者6,434人、負傷者43,792人、全壊10,496棟、半壊144,274棟という被害がでました。このうち豊中市は死者11人、負傷者2,496人、全壊657棟、半壊4,263棟で大阪府では最も被害を受けました。
 シンポジウムは、犠牲者への黙祷が行われ、淺利豊中市長の開会挨拶で始まりました。先ず、中川幾郎氏(帝塚山大学名誉教授)の基調講演、続いて、井関雅子氏(豊中女性防火クラブ連絡協議会会長)・勝部麗子氏(豊中市社会福祉協議会次長)・堂ヶ平貞夫氏(豊中市南消防署副署長)のパネルディスカッション、小林武氏(埼玉県川越市東日本大震災派遣職員)並び中岡みふねさん・松本ことみさん(刀根山高等学校・ボランティアバス参加者)の特別報告、続いて第2部の合唱コンサートが行われました。合唱コンサートでは豊中の小学生が大震災について寄せた言葉で歌詞がつくられた、とよなかレクイエム『花を咲かせよう』(作曲:岡村星見)が、合唱団の歌声で初披露されました。
 以下、基調講演、パネルディスカッションの一部(要旨)をご紹介します。

<基調講演:地域コミュニティ活性化による防災力の向上>

 私は当時、豊中市役所の広報課長をしておりました。地震直後、家の中はメチャクチャで暫く放心状態でした。娘がタンスの下敷きになっていたので、タンスを持ち上げて助けましたが、後でタンスを元の位置に戻そうとしても動きませんでした。それほどその時は必死だったんでしょうね。その後、部下から連絡があり、市役所が壊れて大変なことになっていることを知りました。急いで市役所に駆けつけ(交通のマヒのため職員の半数しか集結できなかった)、ここから悪戦苦闘の毎日でした。行政全体が被害を受ける大災害を経験したことが無く、痛感したことは『日頃から訓練していないことはできない』ということでした。時間が経つにつれて豊中の中部から南部、特に庄内がかなりやられているというのが伝わってきました。屋根瓦が壊れた家のためのブルーシートを行政が用意できず、庄内の自治会長さん達にお詫びに行きました。その時、自治会長さんの誰一人お怒りになられる人はなく「分かってる、役所も大変やろ」とおっしゃってくれました。それから避難所を開設した時に毛布や衣類が無かったのですが、自治会の助け合いの精神で集められ、夕刻には炊き出しが始まっていました。私はそれまで自治会にそれほど大きな期待をしていませんでしたが、すごい自治力やなと感動しました。大災害時の初動においては行政機能が役に立たない、だからこそ地域の力が大切だということですが、別の言葉では自助・共助・公助と言われます。これは、「行政の力が及びませんから地域でやってください、地域の力が落ちてるから家庭でやってください、家庭の力が弱いので自分でやってください」とも聞こえますね。本当は違うと思います。「自分でしかできないことは自分でする、家族でしかできないことは家族でする、住民でしかできないことは住民でする」という考え方が大災害時には必要だと思います。

<パネルディスカッション:阪神・淡路大震災を振り返る>

井関:
 豊中女性防火クラブは家庭内で起こる災害の予防と対応を目的に1993年に設立されました。当時は庄内に住んでいまして主人は消防団分団長をしていました。地震で家の中はガラスが割れ土壁も崩れていました。主人は消防本部と連絡を取るために大きなトランシーバーを持ってまして、そこから指令室の様子が手に取るように聞こえてくるんですね。豊中各地から救助要請が次々に入ります。担当の方がとっても辛かったと思うんですけど「はい分かりました、救助に向かいたいが人員も車両もありません、なんとかそちらで対処できないか」と何度もずっと繰り返しておられました。それをうちの子供達が聞いてまして「お母さん、えらいことになった時は自分でせなあかんねんな」と言ったのを覚えています。非常時は近所の助け合いが大切で、そのためには日ごろの良好な人間関係が最大の備えだと思います。

勝部:被災された人は3回コミュニティを失います。自分の家と住んでいた町のコミュニティを失い、避難所でのコミュニティを失い、そして仮設住宅でのコミュニティを失います。当時はできるだけ早くということで、それまでのコミュニティに関係なく仮設住宅や復興住宅にバラバラに入居していました。今まで近所の人の支え合いでなんとか生活が成り立っていた人がコミュニティを失うことで沢山の問題が出てきたというのもこの大震災の教訓です。また、孤独死という問題もこの大震災をきっかけに注目されるようになりました。

堂ヶ平:地震で消防署の柱が爆裂し中の鉄筋がむき出しになっているのを見て、これはただ事ではないと思いました。服部の5階建てのビルの1階部分が崩れて人が埋まっているという連絡を受けなんとか救助しました。幸い住宅が密集している庄内で火災が起こらなかった。大きな火災があったならそれに手を取られて服部にも救助に行けなかったと思います。火災を出さないことは非常に重要です。地震が起こったときは先ず自分の命を守ってください、そして次に外に出て地域住民で手を取り合って助け合う繋がりが大切だと思います。
(徳山)

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6. 車いすでお出かけコーナー

どんぐり

 今回はかーんたーんクッキングコーナーをお休みにし、お出かけコーナーです。
 これから、暖かくなって動きやすくなっていきます。楽しくお出かけしましょうっていうことで、箕面国定公園、箕面の滝に、本誌編集長で電動車いすに乗っている瀧本さんと行ってきました。どんぐりの車いすは、簡易型でヘルパーさんによる手押しです。
 箕面駅に集合。滝まで2.8キロの坂道です。観光地や公園のトイレは、汚いからいやだなと思いつつも・・・。な、なんと箕面のバスターミナルに、多目的トイレがあるではないか!しかも、とってもきれいでしたよ。他にトイレは、中腹にもあるし、昆虫館にもあります。
 紅葉の盛りを少し過ぎた12月初旬で顔や手など出ている部分が、風に当たってとっても冷たく、寒い日に行ってきました。
 滝道には、産地直送の果物や野菜、お土産物屋さん、屋台が並んでいて、歩きながら見て食べて楽しめます。温かい栗の試食もさせてくれました。でも箕面の栗ではなく京都産だとか・・・。
 道は険しくても、瀧本さんの電動車いすは、グングンと進み、私の手押しの車いすは、瀧本さんと私のヘルパーさん二人で交互に押してもらい、かなり急な坂でしたが、楽しく頑張って下さいました。ありがとうございました
 でも周りを見渡せば自然がいっぱいでとっても気持ちいい。四季折々いろんな景色を見ることができ、森林浴できれいな空気を吸い込み、夏には、小川のせせらぎが涼しさを感じさせてくれるのでしょう。
 滝に到着。マイナスイオンたっぷり吸ってください。あ、お猿さんも、木に登って出迎えてくれましたよ。あの野口英世さんは、年老いた母様を背負い、この坂を上ったそうですよ。すごいです。
 帰り、坂道の最初にある「橋本亭」で「薬膳味噌のハヤシライス」なるものを食べました。味噌ですぞ。味噌とお肉の味がまったりと味わえて、珍しい味に、大満足などんぐりでした・・・。


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みなさんからの、投稿コーナー

 このコーナーでは、みなさんからの作文・詩・短歌・俳句・小説など、投稿作品をご紹介しています。
 作品は随時募集しておりますので、投稿されたい方は、編集部までどしどし投稿して下さい。
 なお、作品数が多くなった場合は、繰り越しで2号先の広報誌に掲載する場合もあります。作品の内容によって考慮は致しますが(季節がテーマの場合など)、あらかじめご了承下さい。

 みなさまの投稿を、お待ちしています。













7.短歌

辛きこと
有る時こそが
学びの日
我に苦労が
教えてくれた

伊丹市 岩國久美子


美しき
四季折々の
この国に
然るべき人の
情あれかし

箕面市 吉村史生


君の穿く
短き丈の
西洋裳(スカート)は
満つる潮にも
裾は濡れざり

箕面市 吉村史生



8.
ぼくの日曜日

海帰 優人(うみき まさと)

ありがとう
「ともに生きる」に支えられて


 厄年もとっくに過ぎたのに、三ケ月続けざまに電動車いすで転倒してしまった。一回目は段差を見落として。脳震盪だったようで、直後の記憶はない。積もった雪が屋根から落ちるようにドサドサとよみがえる断片的な光景をたどれば、車いすを起こしてもらった人に「大丈夫です」と応えていたらしい。あの日、意識がもどったのは近所のコンビニの前だった。転倒した場所から二十分ぐらい、無意識というか、いや、断片的な光景では確かに遮断機の前や赤信号では停止していたので「意識はあった」というか…。ラグビー選手が記憶のないままプレイを続けるように、ぼくは自宅の近所へたどり着いていた。
 二回目はボーっとしていて。普段は踏み外すはずがない歩道で考えごとをしていて自業自得。転倒する瞬間に脳から「頭を守れ」の指令が出て、道路に顔面から着地。大量の鼻出血などで救急車を呼ばれる(電動車いすのままでは救急車には乗れないので、ヘルパー派遣してもらっている事業所からリフトカーを出していただいた)。
 三回目は歩道の自転車の間をすり抜けていて。車いすの後輪がマウンテンバイクの前輪に乗り上げてしまったようだ。電柱に引っかかっておでこに軽いすり傷。
 さて、ぼくがひとり暮らしをはじめた十九年前、ヘルパーは一日に二時間しか使えなかった。泊まりの介護はバイトの学生さんや友達や学校の先生たちの思いで支えられていた。昼間、作業所以外の時間は一人で過ごした。施設で暮らしていたぼくがいきなり一人で都会へ出ることになったのだから、とにかくよく転倒した。最初は段差の見極めも難しかったし、横傾斜でどれぐらい流れていくかも判断しづらかった。けっこう血だらけになったり、顔を腫らして帰宅することもあったが、みんな心配するよりも笑い飛ばしてくれた。
 時は流れ、不十分ながらも制度ははるかに進んだ。障害者運動の拠点だった作業所や当事者団体の多くが、障害者にサービスを提供するという一面をもつようになった。
 世間一般のこの業界の空気として、障害者を支援する対象として関わっている人たちが多いように見える。制度の内容がそうなのだから仕方がない。けれど、当事者としてはこんな窮屈なことはない。
月に一回、転倒し続けるぼくを見守ってくれる人たちがいる。笑い飛ばしてくれる人たちがいる。働きながら、暮らしながら、笑いながら、怒りながら、たたずみながら、個性を大切にする人たちと一緒に過ごすことができて、ほんとうによかったと思う。つくづく、そう思う。
 さすがに、今度コケたら誰かが「一人でまちへ出るのはやめましょう」って言い出すのかなぁ。でも、痛い目に遭うのはかなわないし、もう少しこの世の先を見届けたいから、ぼくの座右の銘は「大胆細心」でいきますか。



9.
どんぐりのひとりごと

どんぐり

焦ってる時ほど、落ち着いて、の、巻。


 
皆さん、お久しぶりですね。お元気でしたか?
 私も、暑さ寒さに耐え、生きておりました。でも私って、がんばれば頑張るほど、どこかが抜けているんです。一人で動いていたときは、自分だけの失敗で多くは済ませていられたのですが、援助が必要になってくると援助者の方に迷惑がかかってしまうんです。今回も、やってしまいました。
 ある日お出かけの時、朝からバタバタ(心ではバタバタしているつもり)。早くしないと、送迎の車がくる、そればっかり思ってしまう。一緒に来てくださるヘルパーさん、二回の同行見習いを経て、初めての援助。いうなれば、特に私がしっかり指示をしていかなければいけないのです。朝ごはんもお化粧も、サッと済ませて、トイレ、うがい、そこで、ピーンポーン、うわ、どないしよう…車が来た。上着も靴も、持ってきてとだけ伝えて、「いってきまーす」とだけ娘に言って、玄関に突進。早く出なければ、とばかりで、持ち物のことも何も考えず。ヘルパーさんもついてきます。
用事がすんで、今日は家に娘がいることを希望の灯にして、車代、電車代をへルパーさんに立て替えてもらいながら帰りました。でも希望の灯はかき消されていました。鍵も、お財布も携帯電話もありません。しかも、寒い…。このままいくと、ヘルパーさんと風邪をひくでしょう。とりあえず近くのお店に入ることにしました。
 立て替えてもらいながら食事をしてる時に、弟のメールアドレスを思い出そうと試みましたが、無駄な努力でした。こうなったら、娘が帰ってくるのを待つしかありません。朝から座りっぱなしで、腰が痛くなってきて家の前の手すりを持って、立ったり座ったり…とか、ヘルパーさんとのお話……2時間、でもとっても貴重な2時間でした。ついに希望の灯が帰ってきました。
 寒く冷たい空の下、ご一緒してくださったヘルパーさん、ごめんなさい。ありがとう・・・・。
 でも、とってもいい方に出会えた喜びでいっぱいです。ありがとうございました。



10.
哲珍の部屋

上田哲郎

 みなさんこんにちは。基幹相談支援センターに出向中の上田です。今更ながら、名前出すんじゃなかったかなと思ったりもしますが、まっ、それでも表現できる環境を与えられているので、ありがたく書かせてもらいます。

 昨年から、基幹センターに出向して、早いもので1年足らず。行政職に挟まれながら、民間から三人、更に三人とも異なる法人、異なる分野から、それぞれ集結し、紆余曲折しながら、課題解決に向けて右往左往といったところです。

 この1年で様々な見方があって、その見方で最も多い視線が正論になっているという事をひしひしと感じてます。
 当たり前な事ですが、当事者と支援者が大きなくくりです。
 当事者というカテゴリでは、身体か、知的か、精神か、難病か、発達か。その中で例えば身体であれば、視覚、聴覚、言語、内部、肢体不自由。それで、生まれつきか、途中からかで、経験値や環境、障害受容は明らかに変わります。
 支援者というカテゴリでは、家族か、事業所職員か、行政職員か、教職員か。その中で例えば家族であれば、父母、祖父母、兄弟姉妹、従兄弟ぐらいです。

 当事者は支援者より細かく分ける事が出来るので、結果的に当事者は多勢に無勢で、支援者の視線が正論として通ってしまっています。

 いつも書いてますが、小3より地域の普通学級で過ごし、高校はしんどい府立高校に通い、九州の大学で過ごした経験、楽しい事ばかりでは決してなかったですし、辛い経験をしてきたから、生きる壁を乗り越えられてます。

 特別支援学校へ通学する事は直接的な差別です。日本の法律ではそんな事言ってませんが、国際的な法律である障害者権利条約では、そう言っています。分けられて育つ事が正論だというているのは日本だけです。


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投稿コーナー終了


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11. サロン便りだヨン

 こんにちは。さろんだよりです。
 11月にY作業の遠足でUSJに行った事を話しして、盛り上がりました。
USJのお土産がありました。ただのかわいいチョコだなーと思ったが、食べてみると、なんと、なんと、チョコの中に・・・・・・・・・・チョコの中に・・・・・・・・・クールミントが入っているではありませんか。
 みんながそのチョコを食べたら、みんな微妙な顔していましたよ。
 そのついでに 誰かさんがハリーポッターのグミをもってきて、それも食べました。植物味と書かれたグミを食べたら、緑のよだれが出て、みんなが爆笑でした。

 その他はトランプ・会話しています。
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サロン日時 第1.3の土曜日13:30から15:00です。良かったら、来てください。
TSW1より

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12. CIL豊中近況

 このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」から抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪9月≫
2014/9/13 編集症候群
今月に入って、計画相談の各種業務と同時進行で、広報誌の編集が追い込みの時期に入っていますが、非常に重要で且つ量の多い記事が有り、連日の編集で目が燃え尽きています。最後は原稿を見ていても目がポヤンとしていて、ちょうど瞳孔が開いた状態で文字を眺めているような感じ・・・・・・です。

≪10月≫
2014/10/24 フライングだ〜っ!!
今月17日に広報誌を発行し、その中にクリスマスパーティーのビラも入っているのですが、申込みは11月1日から受付となっています。ところが、広報誌の届くのが早いか、早速用紙をFAXで送って申込みをされる方が続々。
みなさ〜ん、申し訳ないですが、受付開始時期をご確認の上、ご協力下さい。

≪11月≫
2014/11/28 訪問、日程調整・・・・
サービス等利用計画作成またはセルフプランが本格化してから約半年、相談支援専門員は、訪問また訪問、担当者会議の日程調整、計画作成等に追われています。
息つく暇もない(悲)。

≪12月≫
2014/12/27 仕事納め・大掃除
駆け足で1年が過ぎて、早くも仕事納めの日を迎えました。今年は去年までにも増して激務で、本当にいろんなことがありました。来年も更にいろんな局面と遭遇するでしょうが、一つ一つ頑張っていきたいです。1年間、お世話になりました。

≪1月≫
2015/1/24 原稿追い込み
年明けから慌ただしい毎日の中、早くも広報誌の原稿が追い込み期となっています。計画相談が忙しくなった影響で、年2回の発行に減少した広報誌ですが、それでも時間の余裕を感じることはないですね。


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13. 訃報:ま〜たれ こと潮村雅子さんが永眠しました

 2015年1月25日(日)、長くCIL豊中のピア・カウンセラーとして活躍してきた、ま〜たれ こと潮村雅子さんが、病気のため亡くなりました。まだ48歳の若さでした。
 ま〜たれは、故大友章三さんから声を掛けられたのが切っ掛けで、2001年から当センターに関わり始めました。2002年度第1回ILP講座で、食生活や栄養管理に関して講師を務めたあたりから、より頻繁に当センターの事務所に出入りして仕事を手伝うようになり、実質スタッフとなっていきました。
 2003年4月より、正式に毎週定期出勤をするピアカウンセラーとなり、相談業務に従事する傍ら、主催行事でも、調整・フォローや受付などの多岐にわたり活躍、また本広報誌に於いても、編集長(Vol.9〜Vol.19)を務めました。その後は対外的にも重要な存在となっていって、豊中市障害相談支援ネットワーク“えん”や、障害程度(現支援)区分認定調査の方面で尽力、さらには相談支援専門員も務めました。

 元々病弱(本人談)で、社会人になってから事故で内部障害となり、電動車いすで移動していましたが、30代後半になった頃から、酸素ボンベを常時必要とするようになりました。その後は口癖が「酸素のことがあるから」。どこに行くにも何をするにも、酸素の量という制約があるため、思うようには動き回れませんでした。何度か入院もし、事務所での仕事量も徐々に減らしてはいきましたが、それでも多くのケースを担い、常に電話やメールで対象者本人やご家族からの連絡に対応するなど、当事者本位のきめの細かいサポートを実践していました。
 スイーツが好物で、食べることが大好き、おしゃべりも大好き、人が気楽に悩みを打ち明けやすいキャラクターで、本人曰く「脳天気」。それが多くの相談者の心の支えにもなっていました。一方で制度や社会資源等の情報にも強く、相談者はもちろん、身内や関係者からも頼りにされていました。
 
 ま〜たれ、本当に今まで精一杯頑張り抜き、お疲れさまでした。まさかこんなに早く別れの時がくるとは夢にも思わず、気持ちの整理も思い出もつきませんが、ゆっくり休んで下さい。ありがとう!
 最後に、写真が大嫌いなま〜たれですが、今回ばかりは載せさせてもらいます。ちっちゃ〜く載せとくから、かんにんな。
(根箭)

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14. サービスのご案内

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中
訪問看護ステーションCIL豊中

TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

障害者総合支援法介護サービス
障害者総合支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護・介護予防訪問介護サービス  介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者(豊中市在住)の自立支援を目的とした、制度外サービス。
◇介助料
 【一般介助】1時間1,200円 【その他】旅行介助
  介助者にかかる交通費及び宿泊費等は利用者負担です。
◇キャンセル料 当日キャンセル半額
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
訪問看護サービス
看護師が家庭に訪問し、在宅療養生活の支援をします。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜〜土曜9時〜18時


ボーイズ&ガールズ
TEL06(6843)5580 FAX06(6843)5590

■障害児通所支援(放課後等デイサービス・児童発達支援)
 重度障害児(要医療的ケア等)に、通所による療育支援。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜〜土曜13時30分〜17時30分
祝日、年末年始、第1・3木曜休み


豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602

■豊中市障害者相談支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇福祉サービスの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピアカウンセリング  ◇権利擁護   ◇専門機関の紹介
■自立生活体験室
 障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
■特定相談支援・障害児相談支援・一般相談支援(無料)
 サービス等利用計画の作成、地域移行支援、地域定着支援等。
■豊中市障害者外出支援サービス
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は、豊中市内に住所を有し、次のいずれかに該当する人。
 15歳以上65歳未満の人、概ね6歳以上15歳未満で車椅子使用の人、65歳以上で豊中市 高齢者外出支援サービス『ほのぼの号』の対象にならない人。
 @身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
 A療育手帳Aを所持している人。
 B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
 ※入院、入所中の人は利用できません。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月4回まで利用できます。
◇利用料 4q未満300円〜20q以上2,500円
◇利用区域
 豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
■点字名刺(送料は一律270円)
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚400円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚500円
 ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。 


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15. 編集後記

編集長 瀧本香織

 皆さん、こんにちは。

 これからお出かけしやすい季節になりますね。さあ、何をしましょうか?
 特集:家事情では、大家さんや不動産屋さんや実際に一人暮らしされてる方、授産施設の方といろんな視点から取材させて頂きました。今から一人暮らしを考えておられるなら、この特集を参考に、一度機会を見付けて行動を起こしてみてはいかがでしょうか。
 あと、私のおすすめのお出かけスポットは箕面国定公園 箕面の滝です。私たちが行ったのは、12月のすごく寒い時期でしたが、これからは暖かくて自然と触れあうには良いところですよ。

 お気づきの点や感想をお待ちしております。遠慮なくお申し付け下さい。 


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