広報誌『CIL豊中通信』Vol.18


も く じ

1. 特集:障害者の演劇活動 −劇団態変−
2. 2006年度NPO法人CIL豊中通常総会報告
3. 2006年度第1回体験講座報告
4. 障害程度区分 認定調査報告
5. メール119通報システムについて
6. 学生無年金障害者の活動から −Part.12−
7. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第10回−
8. 地域の作業所の活動を紹介します −なごみ作業所−
9. 自立支援法が始まって・・・。
10. ピア・カウンセリングを考えてみる

広報誌編集部
事務局
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広報誌編集部
広報誌編集部
事務局
大友章三




印刷版の表紙

みなさんからの、投稿コーナー

11. 詩:空  
12. ぼくの日曜日  
13. カジ論!? Part.5  
14. 哲珍の部屋  
15. 小説:双眼鏡@  
16.短歌  
17. 詩:東海道本線
あい
海帰優人
カジ
哲珍
あすか
岩國久美子
北摂の兄貴
18. さろんだより
19. サービスのご案内
20. CIL豊中近況/お知らせ
21. 編集後記
事務局
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ねやたろー



1. 特集:障害者の演劇活動 −劇団態変−
      「芸術こそ、私たちのものだ!」

広報誌編集部

 まだまだ暑いのですが、ぼちぼち秋の気配がしてきました。秋といえば、芸術の秋ですね。今回の特集では、障害者の芸術的身体表現を追求されておられる劇団態変さんをクローズアップしていきます。みなさんは、劇団態変の舞台公演を観られたこと、ありますか?(この記事の担当者は、うわさには聞いていたものの、観劇したことは、まだないんです。)

1.成り立ち

 取材当日、ご協力いただいたのは、主宰の金満里さん、劇団員の井上朋子さん、小泉ゆうすけさんです。実際の舞台に似せたお稽古場、『メタモルホール』での取材には、とっても緊張してしまいました。
 そもそもどんな劇団なのかといいますと、「障害者の障害自体を身体表現に転じて、未踏の美を創りだすことができる」と、1983年から、大阪を拠点に活動されている劇団です。もちろん演出も障害者(金さん)ならば、役者も障害当事者です。立ち上げ2年前の1981年に、『国際障害者年をぶっ飛ばせコンサート』というのを、一度っきりで終わらすつもりで、障害者仲間をかき集めてやったのが、切っ掛けとなりました。この背景には、国際障害者年の精神や、障害者の社会参加と完全平等というのが、障害を無理に克服して、健全者の創り上げた社会に認めてもらう感じが強く、その精神の中では実態とかけ離れ過ぎていて、自分たちは生きられないという反発精神がありました。
 「態変」と言う名前の意味は、メタモルフォーズ″ゥ虫がさなぎからからを脱いで成虫になることで、このお稽古場の名前もそれにちなんで、メタモルホールと言うそうです。劇団の名前は、最初は『変態』にしようかという案もあったとか。

取材当日の劇団態変『メタモルホール』


 たった一度で終わるつもりが、外からの大反響もあり、役者自身からの「このまま続けて、メジャーになろう!」という声もあって、現在に至っています。その、「メジャーになろう」と声をあげた役者さんは、公演のとき、ものすごく強烈な印象を残す演技をしていた人で、その人の一言がなければ、今の態変は存在していないと言っても過言ではありません。そして東京公演が実現したのですが、残念ながらその人は直前に亡くなってしまい、東京公演は、その人の追悼公演となりました。しかし公演は成功をおさめ、その後日本各地はもちろん、ケニア、エジンバラなどの海外公演にもチャレンジして、いずれも大成功を収めています。


2.三つのポリシー 「目立つことを逆手にとって」をスタート地点に

 まず、「革新的な芸術を創造すること」。目立つことをあまり良しとしない世の中だけど、せっかく障害者で目立っているのに、それを活かさないのはもったいないと、目立つことを光らせて、障害者の障害そのものを舞台表現にしていくことを目指しています。健全者の商業演劇の模倣はしない、これはかなり革新的なことです。
 次に「芸術への参加を開く」。一般的に『芸術』というと、ごく一部の才能がある人たちだけが関われるものと考えられていて、生きていく過程の中でいろいろなものを奪われている障害者は、芸術や文化からも疎外されています。でも芸術が必要なのは、障害者を含めたすべての人たちであり、中でも自分の生きる意味を捜し求め、自分がこういう生き方をしたいと思っている人には、絶対必要なのです。しかも、芸術から最も遠いとされてきた人たちの身体表現こそが芸術であって、生きる上で本質的に必要なものを表現しようとしたとき、専門家や専門教育を介さないでものすごい表現に達していく。これによって、いわゆる芸術への参加を果たし、芸術の世界の中心的な存在にもなりゆくのです。
 三つ目は「生きる糧となる芸術を創造すること」。生きていくのに必要になる芸術を創造すること、たとえ一食抜いてでも、観にいく価値のある芸術作品を探求し、創造していこうとしています。このことは、以前ケニアで海外公演をしたときに、ナイロビのスラムに住む人々が、ぎりぎりの貧しい生活の中で、一食抜いてでも『生存のための舞台芸術』を求めて芝居を観に行く光景に出会ったことが原点となっています。

3.特色――何をどのように表していくのか

 今まで否定され続けてきた障害≠、前面に持ってきて何かを表現するとき、健全者の模倣を一切なしに、何を表現し得るのでしょうか。演じる対象は、「人間だけではなく、何か生き物であったり、植物であったりする場合もあるし、魂であったりもします。」と井上さん。芝居の基本が寝た姿勢になるので、立ってできる役者でも、座ってできる役者でも、まずは寝た姿勢からお稽古が始まります。舞台の上で寝ているからといっても寝る役ではなく、視点を変えれば何にでもなれます。たとえば舞台で寝た姿勢で、かなりの迫力のある演技だったのですが、足を激しくバタつかせた演技が、「美しいステップである。」との劇評が、エジンバラでの公演のときにあったそうです。人の身体がステップにもなる。何にでも変身≠ナきる。これはすなわち変幻自在で、劇団態変の“カラー”でもあります。 
 さて、健全者がしたくてもできない身体表現というのがあります。『頭の中でこう動きたいと考えて動くのではなくて、その役の魂が生きて、そこから動き出すことで出てくる微妙で微細な動きであったり、緊張で予期せぬ方向にピッと動いてしまう動き』は、障害者にしかできません。具体的には、脳性まひの不随意運動やアテトーゼなどの、自分の意識や意思とは関係なく身体が独自で動いてしまう動き、コントロールはしていない動きです。それを受容することで、どんどん出てくる面白さがあります。それはまさしく、障害者ならではの表現です。


4.演じる役者と、観る観客の感動

 「昨日ここで稽古つけてもらってて、すごーくおもしろかったんですよ。」と井上さん。
「私も脳性マヒなんですけど、軽度で大方健全者と一緒に仕事してたこともあるし、ほとんど健常者にハマってきたようなところがやっぱりあって、自分では障害者だってわかっている部分もあるし、(中略)でも健常者の動きをインプットしてる部分があるみたいで、自分でも自覚してないところが最近また分かってきました。自分の根本的な部分にある、脳性マヒの動きで、何か面白いものが稽古中にワーッとでてきたりしてね、それが止まらなくなって、そのとき自分にものすごい活力が沸いてくるんですよ、エネルギーが。だからそういうのを、また昨日の稽古でも一つ見付けられたというのがあって、やっていてすごく楽しいです。」
 また金さんも、こんな風に説明してくれました。
この文明社会の中では、障害は認められないもので、否定され続けているから、障害者はその障害を、『弱いところ、劣等感』として力ずくでも抑えようとしている。でもその障害こそが『身体を一番活かしているエネルギー、自己を存在させているもの』であり、それを自分で面白いと思うとき、そこから何かをイメージ化することが出来ます。そしてそういう、何かが伝わってくるような生き方、存在の仕方が、見る人の感動を呼び起こし、地殻変動のような心揺さぶられるエネルギーになるのです。
 ただ一方で、そんな感動を覚える人ばかりではなく、ぎょっとする拒否感や、恐怖感を覚える観客も少なくないと言います。「だけど、それも大切なことと思うよ。」と金さん。障害当事者で、観ていて恐怖を覚えるという声も多いそうです。
 この話を取材の場ではじめてお聞きしたときは、正直あまりイメージをつかめなかったのですが、後日、もう一人の担当者が見させてもらったお稽古風景の報告を聞いて、少し見えてきたように思います。それは火事の場面だったらしく、火の手が迫ってきていて逃げなけ
れば火に飲まれていく、必死に逃げようとするさまざまな障害(エネルギー)を持つ表現者たちの姿があったのですが、その場にいて、ものすごい緊迫感と迫力を感じたみたいです。それは、健常者の役者さんたちが表現したくてもできない、金さんの言われる心や魂の表現です。障害者は、その心と魂が出ざるをえない、感激的な身体を持っているわけです。違う在り方、違う生き方が示されます。
 井上さんは言いました。「障害者としての自分を大切に思えるとか、そういう、別に障害者だからというのではなくて、やはり人間の生きている価値っていうのを、すごく感じられたなと思います。」



稽古風景。汗だくで稽古に打ち込む団員(右)と、厳しい眼差しで指示を飛ばす金満里さん(左)。



5.九月公演に向けて

 9月21日から23日まで、扇町公園に巨大なテントを作って公演を行います。そして最後に「出発」というシーンがあって、そのシーンに出演できる障害者エキストラを募集しています(取材当日の時点で)。障害者エキストラと態変の団員とで合わせて20名ぐらい、それぞれが思い思いに客席に迫るか、それ以上の勢いで表現してくれればいいということです。踊り狂ってというのもあるかも知れないとか・・・・。この公演は99年に広島でやっていて、今回が二回目となります。タイトルは、『ラ・パルティーダ‐出発’06』といいます。ラ・パルティーダとはチリ語で『出発』という意味で、モチーフがビクトルハラという、チリのあるミュージシャンということですが、出発というのが、大きなメッセージになる物語となっています。
 「この出発せないかん≠ニいうのが、今、障害者はいろんな意味で『出発』という思いを抱えているのではないかと思います。制度の面とか。そして僕自身にとっての出発という意味もあるような気がしていますね。公演のテーマと共通しているという思いがあります。」
と、小泉さん。9月の公演について、熱く語っておられました。
 さらに、小泉さん自身の出発の内容についても言及しています。
 「障害者として生きている上で、自分が捉え損なってきた社会性であったりとか、あと上肢欠損という中途半端な=A障害者なんだけど脳性マヒとかと違って、健常部分がやたら多いという障害。手が短いだけですからね。だから『障害者として求めていく』というのは、どう考えればいいのか分からなかったのですけど、最近ようやく手だてをつけれるような気がして、自分の障害者としての、この年になってからの出発というのが、自分の中にあるなと。そして中途半端なところにあるからこそ、あいまいにしてきた部分があるわけで、そのあたりで、何か身体から迫れる表現があるのではないかなあ?と思ったり・・・・。最近ずっと頭の中で、『命がけでやるって一体何だろう?』というのがいつも浮かんでいるのですけど、ほんとうに身を投げ出すように′ネの身体で表現してみたいという気はしています。」

6、これからの夢

 最後にこれからの展望や夢を、金さんに語っていただきました。
 「今回の9月の公演で、日本の障害者の人が、どんどんエキストラとして出てくるのは、久しぶりなのですよ。5年ぶりかな。だからそういう、表現の面白さは自分の身体にあるのだ、身体自身の価値っていうものにあるのだ、ということに気が付くような、面白いものをやっていきたいと思うのと、やっぱり自分たちの存在価値みたいなものが、きっちりと謳歌出来るに値するのだということですよね。そこを、態変の公演を重ねることで、私たちはすごく蓄積しているわけなのですよ。だからそれが今の障害者全体に対しても、『やろうや』と言える一つなのですけど。で、私たちと同じ取り組みを、今マレーシアでもやっていましてね。マレーシアに3年間、私は通っていて、来年の3月〜4月にかけて、マレーシアで公演するのですよ。向こうの参加者には、普通の施設に入所している人も、通所している人も、養護学校の人もいて、そういう、舞台には1回も出たことのない人が、初めて舞台を踏むわけです。私が作品を作ってね。そういう取り組みを、今、9月公演と同時に進めているところです。これから、もっともっと障害者の人たちが、『自分の身体の面白さや価値っていうものがどこにあるのか?』というところに向かい出すと、すごく世の中が変わるだろうなあと。人間の存在そのものがすごく変わっていくだろなあと。そんな大事件≠ノつながっていくと思うのですよ。」
 生きることの大変革です。そのカギは私たち障害者が握っているのですよね。
 ありがとうございました。

取材を終えて

 ここまで書き終えて、今までの自分が覆されたように、天と地が反対になったように思います。今まで友達の話の中で、劇団態変さんのことをお聞きしていて、「へえー。面白いところがあるのだな。」くらいに思っていたのですが、今回お話を聞かせてもらって、「観に行きたい、観に行きたい」に変わりました。9月には絶対に観に行きたいです。そこで自分自身がどういう感情を持つのか、どういうことを思うのか、私自身それが楽しみです。また感想などを書いてみたいと思います。
(担当:塚原)

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2. 2006年度NPO法人CIL豊中通常総会報告

事務局

 去る6月4日(日)、豊中市立蛍池公民館にて特定非営利活動法人CIL豊中2006年度通常総会が開催されました。10時に開会宣言、徳山理事長による開会挨拶の後、徳山理事長を議長として審議が始まりました。
 出席者から、事業計画について、障害者外出支援サービスの運行時間延長の要望がありました。これに対して、運行曜日や台数の拡大など以前よりは使い良くなっていると思いますが、利用者と共に市に声を上げていきたいと回答がありました。また、盲聾障害者の外出介護時のコミュニケーション支援について相談がありました。また、障害者給食サービス個別アセスメントの受託の意味について質問がありました。これに対して、支援センターのスキルアップと給食業者及びメニューのリストやその点字版など利用者の立場に立った改善を進めていますと回答がありました。また、介助サービスの現状について質問がありました。これに対して、重度利用者の入院中など制度の穴埋めが中心ですと回答がありました。また、ヘルパーが怪我をした時などの保険の質問がありました。これに対して、全社協の福祉サービス補償と労災保険についての説明がありました。
 以上のような質疑を経て議案は全て原案どおり承認・可決され、12時20分に閉会しました。

議事
 第1号議案 2005年度事業報告及び決算の件
 第2号議案 定款変更の件

報告事項
 2006年度事業計画及び予算   

《2005年度事業報告及び決算》

 支援費制度が施行されて3年目であったが、当法人の介護サービスに対するニーズは高く、人材の確保を図りサービスに努めてきた。
 豊中市障害者生活支援事業では、支援費制度の利用援助、障害者自立支援法の情報提供、自立生活プログラム講座、市民講座、体験講座、開放サロン、パンサークルを行った。
 豊中市障害者外出支援サービス事業は、利用者、運行日、運行台数が拡大され、多くの利用があった。
 イベントとしては、恒例のクリスマスパーティを行った。障害者を含むゲストも参加し、参加者間の交流も深められた。また、障害者給食サービスの個別アセスメント、点字名刺事業、大阪大学バリアフリー推進コンサルタントを行った。

(1)豊中市障害者生活支援事業(豊中市委託事業)
 障害者及びその家族等が地域生活をしていくための相談及び支援
■総相談・支援件数 822件
■市民講座
 ○第1回講座 「障害者自立支援制度学習会〜障害者の生活はどうなる〜」
■自立生活プログラム講座
 ○第1回講座 「自分で決めて出かけてみよう!」
 ○第2回講座 「チャレンジ」
■他講座等
 ○ピアカン集中講座(共催)○体験講座○開放サロン○パンサークル 等
■自立生活体験室 宿泊利用31回(総宿泊数45泊)、デイ利用7回
■広報誌、ホームページ等にて情報提供
 ○広報誌「CIL豊中通信」4回 各約1000部(点字、音訳、メール版含)
(2)障害者給食サービス個別アセスメント(豊中市委託事業)
 障害者給食サービスの個別アセスメント 実施数29件
(3)支援費制度居宅介護
 支援費制度による居宅介護 派遣時間100,246時間
(4)介護保険訪問介護
 介護保険による訪問介護 派遣時間3,481時間
(5)介護保険居宅介護支援
 ケアマネジャーによるケアプランの作成等 担当利用者数15人
(6)介助サービス
 自立生活支援を目的とした登録制市民互助活動 派遣時間2,134時間
(7)豊中市障害者外出支援サービス事業(豊中市委託事業)
 車いす対応車を運行し障害者の社会参加を支援 運行回数1082回
(8)イベント企画開催 クリスマスパーティ:参加者157名
(9)ヘルパー養成講座及びヘルパー養成講座実習生受け入れ
■ホームヘルパー及びガイドヘルパー養成講座の開催
 ホームヘルパー3級課程修了者   10名
 ガイドヘルパー全身性課程修了者  39名
 ガイドヘルパー視覚課程修了者   23名
■ヘルパー養成講座実習生受け入れ 延56人
(10)点字名刺の作成販売 作成枚数16,410枚

収支計算書(総括)
2005年4月1日〜2006年3月31日
科目 決算額 科目 決算額
事業収入 298,530,529 事業費 280,932,083
会費収入 104,000 管理費 460,445
補助金等収入 968,716 固定資産取得支出 0
寄付金等収入 235,924 敷金等支出 8,033,470
雑収入 275,854 借入金返済支出 0
敷金等戻り収入 0 税金引当額 4,480,000
当期収入合計(A) 300,115,023 当期支出合計(C) 293,905,998
前期繰越収支差額 38,005,425 当期収支差額(A)-(C) 6,209,025
収入合計(B) 338,120,448 次期繰越収支差額 44,214,450

《定款の変更》

第5条(1)G〜Kを次のように追加変更する。
 G障害者自立支援法に基づく障害福祉サービス事業
 H介護保険法に基づく訪問介護及び介護予防訪問介護事業
 I介護保険法に基づく居宅介護支援事業
 J介護保険法等に基づく訪問看護及び介護予防訪問看護事業
 Kその他、この法人の目的を達成するために必要な事業

《2006年度事業計画及び予算》

 障害者自立支援法の施行に伴い、居宅介護、行動援護、外出介護を行う。10月からは、重度訪問介護や市町村地域生活支援事業の移動支援等を行う。介護保険は制度改変に伴い、訪問介護、介護予防訪問介護、居宅介護支援を行う。また、ノーマライゼーションの理念、医学・医療機器の進歩、医療費抑制による入院の短期化等の理由により、医療的ケアが必要な在宅の最重度障害者が増えている。これまで自立生活センターは医療的ケアが必要な在宅の最重度障害者に対しても、介護・権利擁護を通じて支援をしてきた。現在、CIL豊中の利用者の中にも筋ジス(刀根山病院の関係上多い)・ALS・高位頸髄損傷等の医療的ケアが必要な利用者がいる。しかしながら、利用者のニーズに答えられる訪問看護は殆ど無く、ヘルパーステーションCIL豊中だけでは高度化する医療的ケアなど在宅生活のニーズに応えるのが難しくなってきている。ヘルパーステーションCIL豊中と連携を密にして、最重度利用者の地域生活のため、次年度に向けて訪問看護ステーションの準備を始めていく。
 豊中市障害者生活支援事業、豊中市障害者外出支援サービス事業、豊中市障害者給食サービス個別アセスメントを引き続き豊中市と委託契約を締結して行う。
 また、社会参加・交流事業、人材育成事業、点字名刺事業を行う。人材育成事業は、障害者自立支援法における人材の育成・確保のため、行動援護等新たな養成講座にも対応していきたい。
 本年度予算は約305,000,000円

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3. 2006年度第1回体験講座報告
        −クレープをつくろう−

事務局

 昨年度の「新米でおにぎりをつくろう」講座から半年程が過ぎ、今年度は何をつくろうかと。どんな障害があっても参加して何かひとつでも体験しようというこの講座。今回はおやつとして果物や野菜を自分で選び、自分で包んで楽しく食べれるクレープをつくる講座を企画しました。スタッフを含め総勢16名で行われた今回の講座、開始時間にはほとんどの方が時間前に集合し、エプロンをつけて快調なすべり出し!自己紹介をして5つのグループに分かれて、下準備スタート!!

 最初は生地をつくる事から始まります。玉子、牛乳、粉等を混ぜるのですが、これが結構力のいる作業、スタッフのデモンストレーションをもとに、泡立て器が相当大きかったので皆さん重たそうにかき混ぜていました。
 かき混ぜる工程にあたふたしながら各グループとも無事に生地が仕上がり、次はいよいよ焼きます。この時に、失敗すればもちろん食べれなくなりお昼ご飯が少なくなってしまいます。フライパンにお玉で生地を注ぎ入れ、うす〜く丸くのばして、焼けたら、生地の下にさいばしやフライ返しをそっと入れひっくり返す。この部分はみんな真剣な顔をしながら丁寧にやっていました。しかしだんだん慣れてきたようで徐々にスピードアップし、たくさんの枚数になるグループもあれば、ちょっと多めに生地を注ぎオリジナルな厚めのクレープを作っているグループなど、それぞれ色々な思いで焼く工程を楽しんでいたようです。


 各グループとも無事に焼き上がり、具の盛りつけへ。具は野菜と果物を中心にチョコレートなどもありました。クレープも色々で、トマトやキュウリ、ツナなどを包み込んだサラダクレープやイチゴやバナナにチョコレートを包み込んだフルーツクレープ、中にはフルーツを包み込まずケーキのように上にそのままのせていた方もいてました。
食べる準備は完了。「手を合わせていただきまーす」。すると、今までの賑やかな会話や作業とは一転、クレープを「パクパク」「むしゃむしゃ」頬張る音だけに変わってしまい、食べる事だけに集中していました。
とっても美味しかった〜。
 食べる時間というのは早いもので、あっという間にたくさん作ったクレープがみんなのお腹の中へ。皆さんお腹いっぱい食べていたようでした。家族の方にも自分でつくったクレープを食べてほしいと、お土産にして持って帰る人もいたようです。


 食べ終わった班から後片づけにはいっていったのですが、各班スピーディーにテキパキと行なっていたようで、あっという間に終わり、最後に、皆さんに感想を書いてもらい、それを一人ずつ発表してもらいました。少し紹介します。

●きょう、一番おいしくできたクレープの味は?
・バナナチョコクレープ  ・生クリームとフルーツチョコかけクレープ
・甘いクレープ   ・ツナクレープ   ・レタスとトマトのサラダクレープ

●こんどは、何をつくりたいですか?
・ラーメン   ・手打ちうどんやピザ   ・カレーライス
・お好み焼き   ・パウンドケーキ   ・クッキー   ・パン
 今回の体験講座では、受講された皆さんの反響がとてもよく、「楽しかった」とか「もう一度して欲しい」など、スタッフ側から見てもいい意見が出て嬉しく思います。皆さんの今回の感想を基に、次回の体験講座で何をするかを練り始めているところなので、次回の講座も期待して下さい。またその時は色々体験して楽しみましょう。
 (上田)

〜スタッフからも一言〜
クレープを作っている様子をみるとみんなそれぞれ自分の性格がでているなあと思いました。最初の生地を焼くときには、うす〜く丁寧に生地をのばして焼いていたのに、いつの間にかホットケーキのように、ぶあつ〜いクレープを作っている人もいましたね。みんな個性が豊かでおもしろかったです。また、いっしょにいろんなことに挑戦しましょう!


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4. 障害程度区分 認定調査報告

事務局

 これまで介護保険制度の中で「要介護」や「要支援」と、要介護認定がされており、高齢者など介護保険制度を利用している方には誰もが区分認定がされております。
 そして、障害者(身体・知的・精神)の方にも、今年10月から本格的にスタートする障害者自立支援法でも、障害程度を区分認定され、サービス種類が決められたり、サービスの量が決まってしまうかもわかりません。
 区分を決める過程に、三障害共通の調査項目等に基づき聞き取り調査があります。調査員は市町村の担当者が行ったり、相談支援事業所に委託するなど市町村によっては様々です。今のところ訪問調査は、各市町村で直接行っているのが多いようですが、大阪市は社会福祉協議会に委託しております。当センターでもいつ委託されてもいいように研修や講座にも参加し、いつでも調査をできる心構えはしておりました。
 5月の中旬に、大阪市から豊中市の病院に療養している方数名に、訪問調査の依頼がありました。豊中市から訪問調査の依頼があるのかなあと思っていたのですが、まさか大阪市から依頼が来るとは思わなかったので、驚いたのと同時に気が引き締まる思いをしました。

●CIL豊中から5名、訪問調査の研修を受けました

 大阪市からの依頼を受けた後、大阪府の研修を、ピア・カウンセラー3名と支援スタッフ2名で受けることになりました。認定調査票は何度も見ているのですが、読めば読むほど頭を悩ませる項目もあります。例えば、「飲水」の項目です。訪問調査を終えた人で判断に疑問をもっている人もいるかも知れませんが、ここでは飲水の適正な量を判断できるかを調査するのです。介護の視点から見ると、お茶をコップや吸い呑みなど入れて口元まで運んで介助を行っていたとすると、“全介助”と判断すると思われます。しかし、この場合では“一部介助”と見なされることもあるのです。では、“全介助”と判断される方はというと、全くのどの乾きを訴えない方、声かけなどをしても飲むのをやめない方、1回の飲水量が多い方などです。こんな感じで金銭の管理、意思の伝達などについて、判断に迷ってしまう項目はいっぱいあるのです。その場合は「特記事項」に記載します。飲み込みが難しいが飲み込みやすい位置に調整すれば大丈夫、車いすからトイレへの移動などリフトを使えば一人で行える、夜間に2時間おきに体位変換してじょくそう(床ずれ)予防をしているなど、具体的な状況や判断の根拠について記載をしています。「特記事項」は審査会での参考になりますので、たくさんの情報を記載することが必要なのです。

●不安と緊張のなか行ってきました

 区の保健センターから対象者の情報が送られ、訪問する日程を調整しました。調査実施に心掛けたことは、障害の程度が重度だったら質問するたびに「できない」という返事が多くなってしまい、嫌な思いになるかも知れません。さらに調査項目の後半には行動障害に関する項目が続き、さらに不快な思いになるかもわかりません。そこで「移乗はできますか」や「電話の利用はできますか」と言うような“できるかできないか”という質問の仕方ではなく「ベッドから車いすまでどのように移乗するのですか」など言い方を変え、あまり嫌な感じがしない言い方にしました。この言い方にすると会話の中で詳しい状況が聴けることができました。約40分から60分の調査時間を終え、事務所に戻り、利用者さんや介護者さんが大切な情報は、一言一句を忘れずに特記事項に記入していくのです。また、療養されている方には病院という狭い生活空間のなかで、判断の基準が難しく、例え“できる”と判断しても“病院内の生活ではできる”というように特記事項へ記載しました。

●感じたこと

 先に述べたように、ほとんどの市町村は市の職員が直接訪問調査をしているところが多いです。これまで全国の障害者団体は、訪問調査に何らかの形で関わっていきたいと訴えてきました。実際、ピア・カウンセラーが調査をすることは、障害の程度によって、車いすで入れなかったり、難しい部分はあるなあと実感しましたが、この調査で当事者が同行することによって、対象者が何かを感じてくれたらいいなあと思います。私は調査時に本人から生活や福祉サービス、就労のことなど、何でもいいので今後の希望を聞くようにしています。しかし、ほとんどの方が「特にない」や「今のままでいいです」と答えるのです。私は本当にないのかなあ・・・たまには外出したい!とか甘い物でも食べた〜い!友達がもっと欲しい!とか出ないのかと思うのです。当センターのピア・カウンセラーに同じ質問をすれば、かなり多くのやりたいことが出てきます。(不可能に近いものもありますけど・・・)しかし、それだけ地域に出ている障害者と出ていない障害者との違いがあり、また社会とつながりがあるかないかで考え方に大きな違いが出ると感じるのです。この大きな違いを、ピア・カウンセラーが訪問調査をすることによって、自分の可能性に気付いて欲しいと思います。
(古川)

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5. メール119通報システムについて

事務局

 みなさんは「メール119通報システム」をご存じですか?豊中市消防本部が今年の6月から導入した、聴覚や言語に障害がある人への緊急通報システムです。このシステムの詳細を知りたいために、去る6月30日岡上の町にある消防本部を訪れ、システムができた背景や利用方法などを取材させてもらいました。

豊中市消防本部 指令室全景。
全ての緊急情報は、ここで集約されます。

 さてこのシステムですが、豊中市内に居住もしくは豊中市内に通勤、通学している人で、聴覚や言語等に障害があり、音声では119通報が困難な人たちを対象に、パソコンや携帯電話のメール機能を使い、救急車や消防車を要請するためのシステムです。しかしこのシステムは豊中市消防本部が独自で構築しているので、近隣の市との連携は図られていないようです。
 これまでもFAXを利用した登録制の通報システムはあったという事でしたが、実際に利用する側として考えれば、両手に障害がある人が、緊急時に冷静に文字を書くという事は到底難しい事です。しかも緊急事態が発生する場所は自宅だけとは限らず、勤務先や学校、商店街などもあります。ですから移動中や外出時の緊急通報手段は、事実上これまでは無かったことになります。この点からすれば、インターネットでのメール機能を活用した「メール119通報システム」は、聴覚や言語に障害がある人にとって大きな進展ではないでしょうか。
 
利用方法

 利用方法は、豊中市消防本部と事前にメール登録を行ないます。登録が済み次第利用可能になります。
 まず消防本部が指定した登録用アドレスに空メールを送ります。すると折り返し消防本部より、内容承諾確認メールが送られてくるそうです。そのメールをもう一度返信すると、登録フォーマットが送信されますので、氏名、住所、性別、障害種別、生年月日、自宅FAX(電話)、緊急連絡先を入力し再度返信します。すると「登録完了のお知らせ」というメールが送られてくるので、それで登録は完了です。このメールに「メール119通報専用アドレス」が書かれていますので、忘れないようにパソコンや携帯電話に登録しておきます。一回の登録でアドレスを変更しなければ半永久的に有効なのですが、半年おきに登録者宛に確認のメールを送信し、メールが届かない場合、アドレスが存在しないものと判断されて登録抹消になります。

緊急通報を受信する専用のパソコン。通報があると、
合図の音が響き、画面が交互に反転します。
上の写真は、その反転した時です。
下の写真は、消防署からの返信メッセージ画面(見本)です。


通報方法

携帯電話の、消防署からの『緊急メール受信しました』という返信メールの見本

 まず、メールを作成する画面を表示し、「宛先」を「登録完了のお知らせ」メールに書かれていたメール119通報専用アドレスを設定します。次に題名の欄に「救急」、「火災」、「その他」のいずれかの災害種別を入力します。そして本文に、@救急車、消防車が必要な場所を、町名から丁目、番、号、マンション名、号室、宅名まで、住所が分らない場合は目標となる建物や交差点、バス停など、A症状または災害の状況を、入力し送信します。(なお、送信した内容で救急車や消防車が必要な場所がわからない場合には、その場所を特定するため、豊中市消防本部から確認のメールが送られるときもあります。)

 送信されたメールは豊中市消防本部の指令室に届き、通報内容を確認した後、救急車または消防車が出動する、救急車や消防車が要請された人のいる場所に出動した、というメールが届きます。受信したらその場から動かず、安全なところで到着を待つということになります。

 今回取材しての感想なのですが、確かに全国的にも障害者を対象とした緊急通報システムは普及してきていますが、他の市町村のシステムを見れば、特殊な装置を使用したり、障害種別や障害等級によって使える人使えない人が決められていたり、申請手続きは市町村に書面を提出しないと利用が出来なかったりと、まだまだ不備な面があるかと思います。それに比べて、豊中の「メール119通報システム」は特殊な装置を必要としなくて、聴覚や言語に障害があれば誰もが使え、メールのやり取りだけで申請手続きが済むという三つの点からしてみても、かなり使いやすいシステムだと思いました。
 最後に取材に協力して頂いた豊中市消防本部のみなさん、ありがとうございました。これからも私たちの命を守り続けてください。

 
 通報位置を確認するモニター。
 極力正確な位置を把握出来るよう、かなりの精度になっています。


 なお、豊中市消防本部のホームページもご参照下さい。アドレスは下記です。
http://www.city.toyonaka.osaka.jp/toyonaka/shoubou/link130/mail119/mail119.htm
(上田)

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6. 学生無年金障害者の活動から −Part.12−
          〜大阪高等裁第一回裁判〜

事務局

はじめに
 今年1月20日、大阪地方裁判所において、学生無年金障害者大阪訴訟の判決が下されました。結果は、『原告の全面敗訴』。4年半の歳月を、障害基礎年金を支給して欲しいという、贅沢でも何でもない“ささやかな”願いのために闘ってきた原告団にとっては、血も涙もないとしか言いようのない判決でした。この不当判決の当日、原告団はただちに控訴。そして、舞台を高等裁判所に移しての、新たな闘いの火ぶたが切って落とされました。
 裁判は、7月7日(金)の、11:00より開始されました。冒頭、裁判長から、原告・被告双方への準備書面の提出を要求され、そのあと、原告団・弁護団の各意見陳述が行われました。以下、主な内容と発言者ごとに要約していきます。

知るすべはあったのか?
 Iさんは、21歳だった1986年6月、車で山道を走行中に事故に遭い、障害者となりました。当時は国民年金に加入しておらず(つまり無年金で)、そのため障害者になっても基礎年金が支払われないことが、事故後、役所に申請に行ってみて分かりました。ただちに申請に行ったのですが、役所は「本人の拠出能力が無いだろうからダメ。」の一言。そして親が代わりに拠出すると訴えても、「本人からの拠出しか認められない。」で終わりでした。結局、一人暮らしをするまでの数年間、未加入のままの生活を余儀なくされました。
 それにしても、Iさんが事故に遭った当時、国民年金へ加入していないと、障害者になったときに何の保障もないということを知っていた人が、果たしてどれだけいたでしょうか?
 実はIさんは事故当時専門学校に通っており、専門学校に関しては、国民年金は強制加入でした。それが事故2ヶ月前の1986年4月に、任意加入に変わったのです。ということは、Iさんは20歳になってから約1年間、強制加入の立場に置かれていたわけですが、そのことを認知する術は、全くありませんでした。例えば、年金手帳一つ届くことも、なかったのです。もし何らかの情報提供がなされていれば、確実に年金に加入していただろうに、残念でなりません。強制の対象でさえこの状態だったということは、任意加入の対象だった人にその情報が伝わっていた可能性は、なおさら低いことが裏付けられると思います。
 最近、社会保険事務所による、国民年金の不正免除問題が取りだたされています。本来免除対象でない人に対して、社会保険事務所自らが免除対象とした、という問題ですが、この問題は結果として、年金の免除申請が、本人以外の人によってでも出来るということを、証明してくれました。現在でも、世の中にはこの免除申請のことも知らずに、『自主的未加入』となっている人が少なくないと思います。そのような人は、何かあれば無年金状態になるわけで、本人に代わって社会保険事務所が免除手続きを取るというこのシステムも、もっと浸透して、拠出能力のない国民を救済する目的で機能してくれたら、いいなと思います。

手当をもらっても・・・・・
 Kさんは、1981年に統合失調症の症状が現れました。2年後、半年間にわたる入院生活を送りましたが、その当時は精神保健福祉施策も未整備の状態でした。そして、国民年金への加入率も、当時は完全に任意加入でしたから、100人に1人いるかいないかだったのです。2005年4月、特別障害給付金の支給がスタートしました。しかし、いわゆる福祉手当≠ナあるこの給付金をもらっても、納得はしていません。そもそも、“特別に手当をもらう”という時点で、既に年金受給者とは差別されているからです。本来は、年金の受給自体を認められるべきところなのに、あくまでも無年金対象者は対象者として残す≠ニいうような施策に対しては、依然不本意だという気持ちをもっています。

年金は、単にお金だけの問題ではない
 Sさんは、大学生時代、部活でアメフトをやっている途中にケガをして、胸から下が麻痺して車いす生活となりました。無年金となったため、親への経済的負担が大きくのしかかってきました。今ではいちおう自立を果たしてはいますが、いつ二次障害が起こるか分からない身体です。年金は、単にお金をもらえるという問題だけではありません。社会参加への道筋を作り、社会人として健康に活動できるという精神的効果をもたらします。この精神的効果こそ、人間として当たり前に生きていく上で、非常に大きなものなのです。
 無年金者が存在しているということは、それだけ日本の福祉水準が低いという証拠です。国民皆年金を謳っていながら、その実態は理念とは明らかに矛盾しています。

普通の市民にとっても・・・・・
 Tさんは、20歳になった直後の1970年3月、国民年金に入ろうとしたら、「適用除外だから入らなくていい。」と言われ、その際、障害年金との関係性については、一切触れられませんでした。1975年5月、交通事故で障害者になり、当時まだ学生だったので無年金となりました。また、年金をもらえる障害者の場合(たとえば20歳になる前に障害者になった人)でも、支給基準日を障害認定日にするか、初診日にするかについて、クルクル制度が変わり、それも当事者をはじめ、一般の国民には一切知らせず、全て隠密裏に行われたといいます。このようなやり方は明らかに権力の濫用にあたると思います。そもそも、欠陥のある国民年金制度をこのまま放置しておくこと自体が、権力の濫用です。
 前判決は、障害当事者として以前に、一市民として見ても、誠意も正義も、社会的品位も無い判決でした。このような判決を下すのは、時代錯誤も甚だしいと感じています。

弁護団より
 この裁判は、昭和34年に制定された国民年金法における「国民皆年金」の意味と、昭和56年の国際障害者年以降に国を挙げて取り組まれた、障害者の所得保障を問う裁判となりました。国民年金の設立について資料を詳細に引用し、憲法14条の平等権に照らして、学生だけを年金制度から除外したのは平等なのかを言及していきました。2004年3月の東京地裁の後、たったの2週間で救済処置が出されたのは、いかにそれまで国に怠慢があったかというのが、ハッキリ証明されたことにもなると思います。
 被告(国)は、国民年金法で学生を被保険者としなかったことを正当化する裏付けとして、『保険料の掛け捨てを防ぐ必要があった』、『学生は拠出能力に乏しいから、制度の適用外にするのが合理的だった』ということを述べています。しかし、実際に国民年金法の立法当時年金局長だった、小山進次郎氏らによって作成された『国民年金法の解説』を丁寧に検証すれば、『掛け捨てを防ぐ』という点も、『学生は拠出能力に乏しい』という点も、およそ想定されていなかったことは明白です。むしろ小山氏は、『拠出能力の相違を問わず、すべての人を制度の対象とする』という立場を鮮明にしており、被告の主張、そしてその被告を支持する形となった前判決は、明らかに誤りということになります。学生は、年金制度の対象だったし、したがって免除の対象にもなっていたのです。
 そもそも社会保障とは、決して『拠出能力のある者のみ救済対象とする』という存在ではありません。本来の社会保障の理念に照らして考えるならば、むしろ所得が低く、拠出能力がない人ほど、保障が必要と言えます。さらに、成人の学生にいくら拠出能力が無いと言っても、就職して収入を得るようになるまで、そんなに何年もかかるわけではありません。学生が老齢年金対象の年齢になるまで、40年も拠出能力が無いというのは、通常ではおよそ考えられないことです。卒業して就職するまで、一時的に免除対象にするという処置をとるほうが、常識で考えても合理的だし、実は学生を適用外にしたのは、法成立の僅か1ヶ月前のことだったのです。そしてその理由も、年金制度総論の中では具体的に書かれていません。
 これらの点を、次の判決に向けては改めて訴え、合理性のある判決を求めていきたいと思います。前判決では、憲法14条について明確な解釈を示すよう訴えたにもかかわらず、結果は具体的な解釈が避けられ、代わりに25条の生存権の問題だけであるかのように扱われて、『生活保護制度もあるし、原告は生存¥o来る』とする解釈がなされました。その一方で、生存≠ヘ出来ても、では果たして原告がどのような生活状況に置かれているのか?という点については、一切触れられることはありませんでした。
 現在、憲法14条に関する主張と、憲法の学者による意見書を作成中です。7月までには弁護団のもとに届く予定です。前判決のように、「憲法14条については、25条があるのだから別に触れなくても構わない。」ということにはならないように、しなくてはいけません。

結び
 学生無年金訴訟、大阪高等裁第一回裁判は、12:00に閉廷しました。原告・弁護団側の陳述に対し、被告側は、「8月中に準備書面を作り、まとめて反論します。」と一言述べたにとどまりました。その後、場所を弁護士会館に移して報告集会が行われ、この中で、今回の裁判の勝算≠ノついて、みんなで予想を述べ合いました。弁護団曰く、「地裁の時に比べると、今回の裁判官のほうが人当たりは良さそうに思えるが、果たして勝てるかどうか、他のところの判決状況を見ていると、簡単ではないと思う。とにかく、憲法14条の問題を、他の問題とすり替えられることなく、ちゃんと論じられるかどうかが問題だ。」

報告集会のようす。左は弁護団からの報告です。


 またこれから、長い闘いが続くことになりました。国の不合理な言い分と責任逃れの態度を、法が公正に裁いてくれる日がいつかはやってくると、信じたいですね。
 なお、次回裁判は9月15日金曜、午後3時からとなります。ぜひ傍聴にお越し下さい。
(根箭)

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7. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第10回−
            〜頸髄損傷〜

広報誌編集部

 今回は、頸髄損傷(神経の伝導路としての脊髄機能が頸椎レベルで完全に又は不完全に遮断された状態。首から下が麻痺し、高位になると呼吸の筋肉も麻痺してしまう)をテーマに、当事者の赤尾広明さんと井上郁子さんに対談をして頂くことになりました。司会は、同じ障害の徳山が担当します。

司会: 「まずは、自己紹介をお願いします。」

赤尾: 「昭和44年生まれの36歳です。高校2年生の時、学校の体育の事故で首の骨を折って頸損になって今年で20年です。頸損になった時はなかなか受容できず、ひきこもりのような形で過ごしていたんですけど、あるきっかけがあって障害を受け入れられるようになったのは6年目位かな。積極的に外に出るようなことは無かったけど、色々なきっかけが重なって今のようになりました。今は、大阪頸髄損傷者連絡会と自立生活センターFREEの活動をしています。」

井上: 「昭和39年生まれです。年齢は計算しないってことで。22歳(看護学生)になって直ぐ、車でサーフィンに行く途中で事故をおこして頸損になりました。自損事故ということもあるのかな、頸損になったから落ち込むとか立ち直れないということはなく、泣いても治らないんだったら友達と楽しく過ごしている方がいいかなって思いました。今は、学生無年金裁判の原告です。あとは、一人暮らしを始めて13年になるので、自分がしてきたこと、持っている情報を同じ障害の人に教えてあげたいと思って、障害者ケアマネジメントの勉強をしています。そして、来年6月までARMロボ(後半で紹介)のモニターをする予定です。」

赤尾広明さん

☆君の身体は一生動かない、寝たきりです

司会: 「受傷時の状況と身体の状態は。」

赤尾: 「組み立て体操をしていて3メートル位の高さから頭から落ちました。落ちた瞬間から呼吸ができない、意識はあるけど身体が動かない、自分に何が起こったんだろう、このまま息ができなくて死ぬのかな、このまま死にたくないという思いが頭の中を駆け回り必死で深呼吸を繰り返しました。そして、救急車が来て助かりました。しばらくは、当然治るだろうという気持ちでいたんだけど、何日たっても身体が動かない。これからどうなるんだろうという不安は感じたけど、聞くことができない。星ヶ丘に転院後「君の身体は一生動かない、寝たきりです」 という宣告をされて愕然としました。」

井上: 「私の場合は山での居眠り運転だったんです。車が落ちる瞬間は「あっ」って目覚めたんですけど、また意識が無くて、気がついたら車から放りだされて下に転がっていたという状況でした。起きあがろうと思っても起きあがれなくて、その時、「一生このままなのかな」って漠然と思ってました。唯一良かったなと思うのは、助手席に乗っていた友達が無傷だった
ことです。救急車で運ばれる時、息苦しさはあったので、多少知識があるから「苦しいからアンビューバックしてくれ」と言うと救急隊員のおじさんが、この当時は本当に運ぶだけの救急隊員さんで「ごめんな、やり方わからへん」とすごく申し訳なさそうに言ってくれた。あとは、救急で運ばれたので服とか切られるじゃないですか。でも、あの時お気に入りの服だったので「切らんといて」とか、牽引するのに、頭剃るって言われて「剃らんといて」って言ったら「髪の毛くらい生えてくるでしょ」って婦長に怒られたりとか。先生からの宣告は無かったけど、頭に穴を開けて牽引したので、脊髄を痛めているんだろうなって思いました。両親の話しを聞いたら、初めて私の状況説明するからって先生に呼ばれた時「今晩がヤマです」って言われて、その日クリアしたら「3日がヤマです」、その日クリアしたら「1週間がヤマです」って言われたそうです。また、「足の方から麻痺してるから、下から腐っていって内臓とかも腐って亡くなる」って言われたそうです。それを、両親が私に言うから、私大笑いして「そんなわけないわ」って。私は同席していないので、どういう説明があったか分からないけど、両親はそうとらえたみたいです。」

赤尾: 「僕は、始め呼吸器をつけてました。それから、外すための練習が始まったんですけど、僕の中では治ると思ってたから、しんどいことはしたくないって、呼吸器外して苦しくなると直ぐにやめていたんです。でも、ある看護師さんが、僕の性格を見抜いていたんでしょうね、途中でどっかに行ってしまうんです。30秒、1分たって「もう無理」って言っても助けてくれないんです。そうしたら、必死で深呼吸するんです。それを繰り返しているうちに時間がどんどん延びていくんです。2ヵ月位で呼吸器を外せました。今、思っても奇跡だと思います。」

井上: 「良いスタッフに恵まれて良かったですね。呼吸ができないって一番恐怖ですよね。」

☆この子死ぬんじゃないか

赤尾: 「痰が詰まるのが恐いです。風邪引いたら極力外に出ない。風邪の病み上がりの時はいまだに一人で出かけるのは恐いです。」

井上: 「痰が詰まった時は、どういうふうにするんですか?」

赤尾: 「ベット上に寝て胸を押してもらいます。なので、外で痰が詰まっても出せないので、家で寝ています。でも、今までに1回だけ、外でどうしても困って、通りすがりの人に「すいません、痰が出せないので押してください」って頼んだことがあります。言われた人はけっこう困ってましたね。でもやってくれたんです。それで、こんなこと頼んでもやってくれる人がいるんだって多少気持ちが楽になりました。」

井上: 「ある時、リハビリの先生が横隔膜を持ち上げるみたいにお腹をくうっと上げてくれた。そしたらいとも簡単に痰がとれた。あーやって痰を出してもらえた時には、本当に天国、こんな簡単に出るんやって思いました。」

赤尾: 「慣れてる母親や介護者だと、タイミングが合って出しやすいけど、合わないとでないから、慣れって必要だなって思います。」

井上: 「あと、話をしていて何か喉に引っかかって咳き込んだ時に、はたから見てて「この子死ぬんじゃないか」っていう位のむせ方をするんで、ビックリされたりすることもあるから極力気を付けながら話すようにするんですけど。」

赤尾: 「その悩みはつきないですね。」

☆夏は寒い、冬は暑い

井上: 「体温調節とかはどうですか。」

赤尾: 「全然だめ。常にエアコンをガンガンつけています。夏は寒い、冬は暑いって家族には嫌がられますね。」

井上: 「私は体温が下がりやすいから、夏の方が楽で、冬は極端に弱いです。最近やっとカイロを使うようになって、膝掛けの間に貼ったり、火傷が恐いから首や肩の感覚があるところに貼るよう気をつけてます。冬は、カイロの買いだめしてます。」

☆じょくそうをつくったことが無いのが自慢でした

司会: 「じょくそうも悩みの種ですよね。赤尾さんは長いこと入院したんですよね。」

赤尾: 「僕は、13年間じょくそうに苦しみました。頸損になって4年位で座骨の所が赤くなり、みるみる大きくなって「入院しなさい、手術が必要です」って言われて手術をしました。それからは再発しては手術を繰り返す日々でした。途中で先生が代わり、前の先生は何でもかんでも「手術しましょう」でしたが、新しい先生は慎重派でなかなか何もしなくて、結果的にはそれが良くて、半年後に手術をして、一発で前の時よりもキレイに治りました。それから6年ほど何もなくて、2001年位から、今の活動始めるようになって出かける回数が増えて再発しました。入院はしたくないので皮膚科の先生に往診頼んで治してたんだけど、2003年位からさらに出かける頻度が増えてどんどん悪くなってきました。2004年に先生から在宅で治すにも限界があるって言われて、病院を紹介してもらい1ヶ月半入院したらキレイに治りました。でも、「赤尾さん、これから先2時間以上座ったらいけません。同じ所4回手術してるから、今度再発したら次はもう手術できないですよ。それから、腹筋から筋肉をそのまま持ってきてるから、次は持ってくる筋肉は無いです」と言われました。退院後半年間は全く車いすに座らない生活をしていました。その秋、アクセスインターナショナルという会社の人と知り合って、シーティング(車いすに座る姿勢を正しく調整して、快適な乗り心地を実現する技術)と出会い、生活が一変しました。それまでは、1分1秒でも早く帰って横になりたいと思って生活していましたが、今は、じょくそうの心配なく心の底から楽しめるようになりました。」

井上: 「良かったよね。何が一番嫌って、じょくそうが一番心配。私は、じょくそうをつくったことが無いのが自慢でした。でも、シャワー用の車いすを作って、それが合ってなくて悪化させてしまって。主治医の所に入院覚悟で行って、先生には「できるだけ、自力で治したい」って言ったら「時間くれるんだったら」って。そして8ヶ月入院して、自力で肉盛り上げて治したんです。手術しても、表面だけキレイになって、中が治ってなかったり、菌が残ってたりして悪化し、繰り返している人を見てきたし、何よりも質の良い肉で治さないといけないなって思ってたから。」

☆日本では私が初めて

井上郁子さんとARMロボ



司会: 「最後に、ARMロボについて教えてください。」

井上: 「オランダ製で、1年間モニターをしてます。オランダでは実際に使われていて、これでご飯も食べれるし介護の手が離れて自立できている人もいるそうです。」

司会: 「家で使ってますか?」

井上: 「まだ練習中です。でも、動き方が人間の手に近く微調整がきくので、食べた後のお皿を運んだり、水につけたり。水が入っててもこぼさずに運べます。」

司会: 「どうやって動かすの?」

井上: 「ジョイスティック系とキーパッド操作系の切り替えが可能です。電源は、家の電源からもとれるし、車いすのバッテリーからもとれます。ライトを付けるくらいの電力だそうです。ベットサイドに固定したら、布団を掛けたり、落としたリモコンを拾ったりもできます。」

司会: 「値段は?」

井上: 「300万円。オランダでは助成金がでるそうです。今年の年末頃には、支柱がもう少しコンパクトになって、値段も120〜130万円になるそうです。」

司会: 「使ってみての感想は?」

井上: 「日本では、お店とかも狭い所が多いから、このARMロボの腕がもっとコンパクトになって、斜めとかも動くようになったらいいなと思います。日本では私が初めてなので、いろんな所で見せて知らせていきたいとおもっています。」

司会: 「今日は、お二人ともお忙しい中有り難うございました。」

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8. 地域の作業所の活動を紹介します −第12回−
     〜お互い空気のように自然に居られたらいいなぁ〜

広報誌編集部



作業所全景。教室と廊下の仕切りが撤去され、
広々としています。

 今回お邪魔したのは、新千里南町の並木豊かな道路沿いに位置する、『なごみ作業所(社会福祉法人 NAGOMI)』です。この作業所は、市立南丘小学校の敷地内にあり、2004年4月に開設しました。本誌Vol.16でご紹介した『きらら作業所』とともに、小学校の空き教室を活用して開所した、作業所の例となっています。

★1年間の試作期間の末・・・・、こだわりのクッキー☆

 なごみ作業所では、クッキーが自主製品となっています。2004年の開設時から行われているのですが、最初の1年間はひたすら試作期間でした。“見た目の体裁もよく、食感もよく”というのが、目標だったということです。現在は、4種類のクッキーに加えて、クラッカンバーと呼ばれる、見た目はクッキーにそっくりで、スリランカの穀物種を加工した製品を販売されています。各種類の内容と値段は、以下のとおりです(内容量はすべて60gより)。

 ・プレーンクッキー、胡麻クッキー=いずれも一袋200円
 ・レモンクッキー、ショートブレッドクッキー=いずれも一袋250円
 ・クラッカンバー=一袋280円





 クッキー作りにあたっては、衛生面で十分気を遣っていることはもちろん、原料にもこだわりを持っています。小麦は国内産の物のみを使い、卵も特定のものを使用しているとのことです。バターと牛乳は四つ葉から購入、胡麻も有機栽培で、レモンは表面の黄色い部分のみを取って、レモン汁と一緒に生地を作るということです。ちなみにレモンも国産です。味のほうも、市販の物に負けない味にしたいと、日々意欲を燃やしています。

★母校で「懐かしいなぁ」☆

 クッキーは、『なかまの店』で販売されているほか、事前に連絡をくれれば、随時作るということです。完全無添加ゆえに賞味期限の問題があり、前もって大量生産するのは、なかなか難しいようですね。販売ルートとしては、他団体がバザーを開く時に出展させてもらったり、作業所がある学校(南丘小学校)にも、昼休みに売りに行ったりしているそうです。また、同じ建物の3階には福祉公社の事務所もあるので、そこの職員も買っています。そのほか、メンバーの方々にとって一番楽しみになっているのが、彼らが卒業した母校への販売です。かつての友達やなじみの先生と再会し、「懐かしいなぁ」と声をかけ合えるからです。


クッキー作りのようす



★メンバーの一日☆


 現在、なごみには29名のメンバーが通所されています。そのうちの9割が自閉症の方で、療育手帳Aの方が21名、Bの方が8名です。就労時間は10:00〜15:00(昼休み1時間を含む)ということです。仕事内容は、クッキーの製造以外に、つり具の部品の一部を取り付ける作業と、紙袋の持ち手部分のひもを付ける作業があります。クッキーを作る担当は8名で、つり具の取り付け担当が11名、袋のひも付け担当が10名となっています。
 





★お互い空気のように自然に居られたらいいなぁ☆


 NAGOMIは南丘小学校北館1階にあります。2階は、南丘コミュニティルーム、南丘公民分館、子ども広場南丘、3階は豊中市福祉公社が利用しています。出入口も北館専用になっています。
 NAGOMIの作業場の窓を開けていると、通りすがりの生徒さん達と声をかけたり掛け合ったり、手を振ればふりかえしたりという光景がみられます。夏になると、プールの授業があり、生徒さん達がプールに行くルートと、NAGOMIが送迎や納品・搬入などで利用するルートが重なっているので、時間の調整については、学校と話し合っています。
 和やかに、自然に地域にとけ込んでいけたらと思っています。

クッキー各種。一番左から、プレーン・胡麻・レモン・ショートブレッドの各クッキー。一番右はクラッカンバーで、見た目はあまり
クッキーと変わりませんが、色は濃く(ちょうどココアのような色)、スティック状になっています。

※作業所連絡先:06−6833−0028
(根箭)

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9. 自立支援法が始まって・・・。

事務局

 障害者や家族、作業所、介護に関わっている。人たちのかつてない反対運動の中、4月より「障害者自立支援法」(支援法)が始まりました。

 今回は、ホームヘルプや社会福祉法人などが経営している授産所や作業所にかかる費用、入所施設の食費などの費用そして、一部の医療費に定率の負担が利用する人にのしかかってくるようになりました。
 それによって、ホームヘルパーに来てもらって、ご飯を作ってもらう日数を減らして、その分出前や残り物で食事をすます人、毎日お風呂に入っていたのを一日おきにする人、週末に毎回、ガイドヘルパーと出かけていたことを月に2回にする人もあらわれたり、毎日作業所に通っていた人が、負担が払えないことで、作業所をやめて、家の中で閉じこもったりしている人もいると聞きます。私自身、昼間(作業所をやっている時間)に町中で知的障害の人を見かけるようになりました。

こんな事件が起こりました。

 福岡県で、法人が経営している授産所に通っている知的障害の方が、支援法になることで負担が大きくなり、ヘルパーも付けられず、授産所にも通えなくなりました。お母さんは、家で本人の介護をしてきたのですが、お母さんにかかる肉体的な負担と精神的な負担が大きくなり、将来を悲観してしまい、子供の首を絞めて殺してしまった。今のような制度(支援費制度、ホームヘルパーの派遣、作業所制度の確立など)が出来る前には、このような事件が各地でみられ、障害児の人権や制度の確立を行政などに訴えるため私たちの先輩たちが立ち上がり、障害者運動を展開し始めました。それが今から約40年ぐらい前の事でした。現在になって、このような事件が起こることは、悲劇であり、これまで障害者運動をやってきている私たちに、警鐘を鳴らすものだと言えます。

10月がキーポイントになります。

 支援法が始まって、4ヶ月になろうとしています。ホームヘルパーなどを使っている人は、負担を払いはじめているのです。障害程度区分の認定調査や認定審査が本格的に行われ調査をする人たちは、お休みも返上して、障害者の家に訪問したり、そこで出た調査項目を整理し、パソコンに入力したり、調査項目では、描けなかったことを「特記事項」として、文章にして、認定審査会に提出をしているのです。
 10月からは、地域生活支援事業が始まり、各市町村で行う事業(移動支援、相談支援事業、コミュニケーション支援、日常生活用具の給付及び貸与など)が市町村の裁量で行っていくことになります。もちろん国から地域生活支援事業に使う経費の一部を貰うことが出来ます。その額は、2006年度半期分(10月から来年の3月まで)で200億円となっていて、それを人口比で分配することになるのです。豊中市の場合その額は、1億円足らずでそれをオーバーすれば、豊中市の予算ですることになります。
 ちなみに1年間のガイドヘルプでつかっている額は、3億円ともいわれています。そうなると国が出すお金だけでは、ガイドヘルプもまかなえなくなるのです。あとは、市のお金ですることになり、何らかの規制がかかることも予想されるのです。
 最近の情報では、地域生活支援事業のガイドヘルプと日常生活用具に定率の負担をかけようと大阪府が案を作り、市町村に流し、それを市町村同士の担当者の会議で論議され、10月から始めようとしています。それは、ガイドヘルプでは、一般が月4,000円、低所得者が月2,000円というもので両方とも上限の利用の場合となっています。日常生活用具は、同じように24,000円と12,000円になっています。これは、日常生活用具の中に入っている人工膀胱の袋や人工肛門の袋にも適用され、1ヶ月ずつの負担となり、これはかなり大きいものになっていくのです。地域生活支援事業は、市町村の責任で行うもので、他の市町村と同じようにやっていくのは、支援法の考え方(市町村の裁量で行う)からは、逸脱するものがあり、このことに対して私たちは、「地域生活支援事業に負担を付けないでほしい、障害特性にあわせた事業の運営、事業を行うことを市民に周知するための時間設定や方策を当事者と一緒に考えること」などの要望を市長に対して提出すると同時にこの動きを市議会に対して伝えるロビー活動をおこなってきました。

大阪府庁を障害者市民のチェーンで囲みました。

大阪府庁を囲んで行われた、『ヒューマンチェーン』


 7月4日の日でした。あつい日差しが照りつけて、支援法に対して反対運動を行っている障害者、家族、その関係者の人たちが大阪城に集まり、各団体からのアピールや来賓の人たちのアピールがあり、その後でそこに集まった2,200名が大阪府庁を「人間の鎖」ヒューマンチェーンを組み、「サービスの切り下げ反対!」「大阪府は、府としての毅然とした態度を示し、私たちと一緒に国に対して訴え、府民の生活を守れ!」 というようなシュプレヒコールをあげました。
 その後日に大阪府は、国に対して、かなりつっこんだ要望書をあげたそうです。
 私たちの動きは、まだまだこれからです。みなさんの動きや声によって、より大きくなっていきます。生活を守るために命をかけてがんばらなければ・・・。
(大友)
 


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10. ピア・カウンセリングを考えてみる

大友章三

 私たちが行っている自立生活センターの活動には、次のような大切な部分があります。
情報提供・相談事業・自立生活プログラム(個別、グループ)・啓発活動(講座の開催、広報誌の発行)・専門機関の紹介・介護サービス(ヘルパー紹介と派遣)そしてピアカウンセリング(PC)があげられます。PCは、自立生活センターの基本的な活動であり、それは、どのような障害があってもやっていける活動なのです。

●ピアカウンセリング(PC)の起源、日本にいつ来たのか?

 PCの起源は、アメリカでアルコール依存症の人たち同士で、お酒を止めるために自分の気持ちを出して、話し合い、お互いに力強くなり、他の仲間たちに支援することから始まったといわれています。障害者の人たちで始まったのもアメリカで、カリフォルニアにある大学で学生の障害者が大学を卒業した後にどうなるかが不安が高まっていき、同じ境遇の人たちが集まり、障害者同士のPCが始まっていったそうです。その人たちが集まって、アメリカの自立生活センターの起源ともいわれています。
 日本では、1980年代になって、ミスタードーナツで行われた「障害者リーダー・アメリカ留学」に参加したメンバーがPCを知り、日本で広めようとしました。そして、1985年に東京八王子でアメリカよりPCリーダーをしている人たちに来日してもらい、日本で始めてのPC集中講座が行われ、当時の受講者によって、東京から拡まっていきました。
 大阪では、私たちのCIL豊中の前身である。「障害者自立生活援助センター・とよなか」が12年ほど前に集中講座を行い、現在、障害者運動をしている人たちがこの講座によって、PCのすばらしさを知った人たちが、各地で講座を開き多くの人に伝え続けています。
 
●PCのすばらしいところは…。

 障害者はこどものころ自分から発言をする機会がなかったのです。なかったというより奪われてきたのです。悩み事や困った事、親とか教師から差別的なことを言われても我慢することしかできなかったのです。ただ我慢して、泣いて忘れてしまったり、介護をしてもらう人や勉強を教えてくれる人、自分の障害を治そうとしてくれる人の顔色を見ながら生活をしてきたのです。PCはそういう抑圧をもっている障害者の話を同じ経験を持つ障害者が同じ視線に立ち時間を分け合って、気持ちを出し合い話を聞き合うのです。その時には、相手の話をさえぎったり、アドバイスをしたりしないでただ前にいる仲間の話を聞くのです。もし、その時に相手が怒り出したり、泣き出したりしたらそれもさえぎらないで、気持ちが出しやすくすることが、ピアカウンセラーにとっては、絶対必要なことなのです。気持ちが出るということは、自分のことを主張する一歩になります。そして自分が好きになり、自信が出てくるのです。それが「エンパワーメント」なのです。
 PCによって、自分に自信ができ、自分の気持ちが言え、またほかの仲間の話が聞けるようになっていくのです。それが活動につながり自分自身も強くなり、自立していく、その変わっていく姿を見て仲間も変わったと思うようになり、PCは、自分の「エンパワーメント」だけではなく、ほかの仲間の「エンパワーメント」にもつながっていくのです。
 そういう人々が多くなっていき、それが社会を変えることにつながり、障害者などにとって暮らしやすくなっていくのです。これは私たち自立生活センターが目標としているバリヤ(障壁)がない街になって、障害者も社会の構成員になるのです。
 PCは、ある時はカウンセラーとなり、またある時はクライアント(相談者)になるのです。それは、相手の話を聞くだけでは、カウンセラーは疲れ切ってしまい、自分に溜まりすぎたものをはき出すことも必要なのです。今、自立生活センターなどで活躍しているピアカウンセラーはお互いに話しを聞きあえる仲間を持っています。そうでないと自分が疲れてしまい、つぶれてしまうこともあります。

●PCは障害者だけのものではありません

 ここでは、障害者のPCを取り上げましたが、同じ境遇にある人同士はピア(仲間)な関係なのです。同じ悩みがある人には安心して愚痴や悩みが言えるのです。例えば、ヘルパーさん同士、子育てしているお母さん同士、上司と部下の板挟みになっているお父さん同士・・・など。今の社会は、競争ばかりで、自分が嫌いになったり、相手を落とし入れようと伺っているような気がします。そこでお互いが認め合って話しをしあい、また聞き合うことでお互いが気持ちを出せれば、もっと自分が好きになり、楽しい社会になって行くと思うのです。
 CIL豊中では、大阪市東淀川区にある。「自立生活センターFlatきた」と共催で11月25、26日、12月2、3日(両日とも土日)に豊中市内でピアカウンセリング集中講座を行います。通い形式になっていますので、仕事とか子育ての関係で宿泊形式の講座に出られないかた達などには受講しやすくなっていると思います。詳しいことは、豊中市障害者自立支援センターに連絡してください。(この講座は障害者を対象にしたもので健常者は受講できません) くどいようですが、PCは自分を取り戻し、自分が好きになり、地域で自立生活を作っていく基本となるものです。障害当事者がいる自立生活センターにしか、障害者のPCはできません。お互いに信頼しあって、話ができたり、聞けたりする環境を作っていくこと、PCのいいところを多くの人々に知らせて行くことが自立生活センターの大きな活動と言えるのではないでしょうか。
(大友)

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みなさんからの、投稿コーナー

 このコーナーでは、みなさんからの作文・詩・短歌・俳句など、投稿作品をご紹介していきます。
 作品は随時募集しておりますので、投稿されたい方は、編集部までどしどしご応募下さい。
 なお、作品数が多くなった時には、繰り越しで2号先の広報誌に掲載させていただく可能性もあります。作品の内容によって考慮は致しますが(季節がテーマの場合など)、あらかじめご了承下さい。

 みなさまの応募を、お待ちしています。













11. 詩:空

つらいことがあったら
青空を見てごらん?
苦しいときがあったら
夜空を見てごらん?
寂しくなったら
星空を見てごらん?
泣きたくなったら
空を見上げてごらん?
きっと涙がこぼれてこないから

あい



12. ぼくの日曜日

行きつ戻りつ

海帰優人

 「今日はついてる」と感じることはめったにないのに
 「今日はついてない」 と実感することはなんと多いだろう。
 遊びほうけて、ヘルパーさんとの待ち合わせに間に合いそうにないとき、必ずといっていいほど信号は赤に変わる。同じように電車が出て行くのならまだ許せるけれどそういうときにかぎって、駅員さんがお客さんの対応などで来れなくて乗り遅れたりすることもよくある。
 しまいに僕は「なんてついてないんやろう」と悔やんでいる自分を、遠くからながめて楽しんだりするようになってしまった。さて、この間から「ついてないぼく」を象徴するようなできごとが二度あった。天六にある「豚一」は、ラーメンオタクたちが集うサイトでだれひとりとしてケチをつけるようなコメントを書きこまれない評判の店らしい。「らしい」ということは、もちろん賞味したことがない。
 山田での仕事帰りに立ち寄った。月曜日だった。店の入り口にデカデカとはり紙がしてあった。“本日より月曜定休とさせていただきます。”
 会議のために帰りが遅くなる水曜日、早く仕事が片付いたので「豚一」へ向かった。5:30に店を出れば、十分会議に間に合う。しかし、店の前のデカデカとしたはり紙に僕は思わずふきだしてしまった。
“本日より、水曜日のみ5:30開店とさせていただきます。”「ちゃんと調べてきたらいいやん」という人がきっといるだろう。時間のムダを指摘したい人がいるかもしれない。だがラーメンごときで哲学じみたことを言うなということご批判をおそれずに申しあげれば「これにこそ人生の醍醐味、筋書き通りにいかないからこそ楽しい」のではないだろうか。おととい、4:30ごろ腹が減ったので、なぜか「豚一」へ向かった。ヘルパーのFさんと「本日より4:30から開店させていただきます」なんてことがないかなあ?などと、どしゃぶりの中を梅田から歩いた。店の前には、「支度中」の木札がかけられてあった。仕方がないので、中崎町の「名物、シチューうどん」 の店に入った。そして、シチューうどんは注文せずに430円のかもなんばと450円の天丼を食べた。かもなんばは、かもではなくかしわだったけど、天丼のエビが思いのほか立派だったこととあわせ、値段のわりにとても幸せな気持ちになることができた。
 ほんとうに行きつ戻りつはおもしろい。    


13. カジ論!? Part.5

カジ

 皆さんお久しぶりです。前号では都合により休ませて頂いたので久々に記事を書かせてもらいます。これからも“カジ論!?”をよろしくお願いします。
 さてさてドイツで行われたワールドカップが終わり、はや数ヶ月がたちますね。日本代表は惨敗に終わり、世界との差を見せつけられる結果となりましたね。その他にもワールドカップ決勝戦でのイタリア代表マテラッティ選手のフランス代表ジダン選手への侮辱発言、それに対してのフランス代表のジダン選手の頭突きには驚かされましたね。とにかく数々のスーパープレイなどに感動したりと、あっという間の一ヶ月だったような気がします。
今回のカジ論はそのドイツワールドカップについて話したいと思います。とは言っても僕が話したいのはサッカーのプレイについてではなく、ワールドカップのスタジアムにおける記事を読んで感動したことについて、話したいと思います。

 今回のワールドカップの開催地であったドイツ他ヨーロッパやアメリカのスタジアムなどでは、やはり日本よりバリアフリーが進んでいるという記事を、とある雑誌で目にしました。街中を電動車いすで走り回っていて、サッカー・野球などスポーツ観戦が趣味の僕は、食い入るようにその記事を読んでました。記事の内容は車いす座席の手すりが可動式で取り外しなどが可能だったり、観戦する人の背丈にあわせて“手すりの位置が変えられる”というものでした。これは僕も含めて、車いすで観戦する人にとって非常に“うれしいこと”だなぁーと感じました。なぜなら日本のスタジアム(大阪でいうと万博競技場、長居陸上競技場、大阪ドーム)などは、車いす座席の手すりが固定されてしまっているので、どうしても視界の邪魔になり、プレイが観戦しにくくなってしまいます。僕もこの点は、いつもスポーツ観戦をする際に気になる点です。しかし記事をさらに読んでいると、驚いたことに、今回のワールドカップ開催地のドイツ、他ヨーロッパやアメリカなどでは、車いす座席以外の普通の座席でも、ある程度車いすの観客が観戦できるように広いスペースが保たれ、座席一つ一つにゆとりがあるつくりになっているとのことでした。


 これらのコンセプトには、“障害がある人そうでない人すべての人が、平等に観戦を満喫出来るようにと”、スタジアム設計段階から考えられ取り組んでいるとのことでした。ドイツならびヨーロッパ、アメリカなどでは当たり前だそうです。この記事について感動をおぼえ、純粋にうらやましく思いました。

 また観客一人一人のモラルや思いやりの違うと記事には書かれていました。例え手すりなどの設備がなされていたりスペースが保たれていても、その前や付近の観客が立ちすぎると、ぼくも経験があるけれども、当然視界がさえぎられ全くプレイを観戦することができなくなってしまうものです。記事の最後には何事も、サッカー観戦、日々の生活すべてに人を思いやる大切さを書いて記事は締めくくられてたのですが、まさかワールドカップの記事からこんな事を感じさせられ、感動させられるとは思いませんでした。そしていつの日か、ヨーロッパやアメリカで一度スポーツ観戦を夢見る僕がいました。

※以下の3枚の写真は、外国のスタジアムの、車いす席の例です。
 なお、この3枚の写真はいずれも、ホームページ『Travel for All(車いすでの旅行)』
アドレス=http://www.kijikiji.com/ の画像を使わせていただきました。

スペイン、バルセロナのサッカースタジアム。
車いす席からの撮影。前に視界を遮る
物が無く、見やすい。
アメリカのニューヨーク、メッツにある
シェアスタジアムの車いす席
ドイツのヘルタ・ベルリンにある
スタジアムの車いす席



14. 哲珍の部屋

哲珍

 皆さん、はじめまして。哲珍と申します。私、2歳から豊中に住み、20代前半を九州で過ごした以外、ず〜っと豊中で学び豊中で育ち、今年から三十路街道走ってます。車いすには今のところ乗っていませんが、障害当事者です。この号よりいつまで続くかわかりませんけど、私の考えや経験、更には私が感じた世の中に対する疑問なども、少しでもたくさんの方に知ってもらえれば嬉しいと思い、投稿させて頂く事になりました。どうぞ宜しくお願いします。

「ともに生きる」に終始一貫

 さて、初回に何を書こうかと迷ってしまいましたが、題名の通り私が進むべき方向や目標は、先輩や学校の先生たちが創り上げてきた「ともに生き、ともに育つ」方向性を豊中で維持しつつ、全国に広げていくことだと思っています。
 豊中では障害をもつ子どもがその種別や状態に関わらず、校区の小・中学校に通えて、養護学級ではなく普通学級で同じだけ同じ時間を共有することができて、それが当然であり、一般化しています。このことに関しては、豊中市の障害児教育基本方針に『「障害」をもつ子どもたちが、クラスの中でいきいきと生活できるような「子どもたちの関係」をつくるために』という言葉が記載されているのです。
 文頭でも触れましたが、私は豊中育ちです。養護学校に小学2年間在学し、その後校区の小、中学校で生活を送り、高校は隣りの市にあるやんちゃな高校に通いました。高卒後職業訓練校生をしながら予備校にも通い、大学を目指し、結局2年間浪人して九州の大学で学生生活を送ってました。大学時代を九州で過ごしたことで、障害当事者のおかれている環境が地域によって違うことを肌で感じ、豊中という地域を客観的に観れるようになったと思います。

 次回は大学時代の子どもに関わるボランティア体験から、「ともに生きる」に関することが書けたらよいかなと思っています。読みにくい文章ですが、次回も是非読んでやってください。


15. 小説:双眼鏡@   

あすか

「どのくらい来たのだろう・・・。ずいぶん寒くなってきたものだ。」
ヒッキーは思いました。素敵な風景を描こうと、家を出て、かれこれ6時間。家から見える風景を描きつくしてしまい、旅に出ようと決めて、自転車を走らせ、目の前に広がる果てしない地平線を眺めているうち、夜になってしまっていたのです。
「ん・・・。夜の野原もいいものだなぁ。」そう思ったヒッキーは、ここで描こうと決めました。ところが、突然、風がきつくなってきたのです。汗をかいて熱くなっていた体も冷えてき、ヒッキーは洋服のボタンをしめ、もう一度、はるか向こうの地平線を、双眼鏡でのぞきました。
「おや?さっきはあんな森、なかったぞっ!」 ヒッキーは双眼鏡をはなして、目をこすりました。
「あれ?見えないなぁ・・・。」
 そうです。双眼鏡をのぞくと、森が見えるのです。すると、スケッチ道具と手に持っていた以外のものが、風に飛ばされてしまったのです。ヒッキーは、双眼鏡をのぞきながら歩いて行くことにしました。
 ヒッキーは、森の見える方へ ずんずん進んで行きます。しかし、森は、いつも同じ大きさにしか見えません。ずいぶん歩いたヒッキーは、夜が明けてお腹がすいてきたので、作ってきたお弁当を食べながら、ひと休みすることにしました。
 「不思議だなぁ・・・。どうすれば、あの森へたどり着くことができるのだろう。」 ヒッキーは考えこんでいました。気がつくと、太陽が真上に昇っていました。どうやら眠っていたようです。起きてすぐに、双眼鏡をのぞいてみました。やはり、昨日と同じ大きさです。ただ一つ、違うことがありました。それは、森の前に、アーチが入り口のようにあることでした。ヒッキーは、増々、その森に行きたくなりました。持ち物が風にとばされて、身軽になったのと、不思議な森への好奇心を胸に、また、双眼鏡をのぞきながら、歩いて行きます。ですが、やはり、双眼鏡をのぞきながらなので何度もつまずいてしまいます。
 「うわっ!」 突然、大きな何かにつまずきました。
 「何だ!」 双眼鏡を落としてしまいましたが、何もありません。ところが、なんと、目の前には、双眼鏡で見ていたあの不思議な森の前のアーチがあります。
 やっと、森への入り口にたどり着きました。            〈つづく〉


16. 短歌

わたくしの 
ために生きると 
言いし君
そのお言葉が 
女の本懐

伊丹市 岩國久美子


17. 詩:東海道本線

黒い緞帳を引いた様な闇の中を
夜行列車は一握りの客を乗せて
東京へ向けて走っていく
時折聞こえる踏切の鐘の音と
鉄橋を渡る音の他は隣の男性の
寝息が耳に入るだけだ
窓の向こうは流れる車のライトで
互いの存在感を示してくれる
軋む線路の先には、なにが待っているのか
期待と不安、希望と寂しさを乗せて
夜行列車は暗闇の中を走る

北摂の兄貴


投稿コーナー終了


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18. さろんだより

事務局


この日は新しい参加者が2人きました。「またきてね〜☆」

 昨年6月から始めたさろんも、“祝”1年がすぎました。パチパチパチ。始めの頃は、「今日さろんに、誰か来てくれるかな?」とドキドキハラハラ不安な気持ちでさろんの日の朝をむかえてました。しかし、この1年、晴れの日も雨の日も参加者ゼロの日はなく、いつもさろんは、ワイワイにぎやかです。さて、最近のさろんで盛り上がったゲームは、古今東西ゲーム♪
ルールは、例えば「色の名前」がテーマだと、パンパンという手拍子で「赤」「青」と思いつく色の名前をいっていくゲームです。盛り上がるのは、2週目以降!どんどん思いつく色が少なくなる中、「ブラック」など、ただ英語に直しただけの答えや、「薄い水色」など、こんなのありかな?っと笑ってしまう答えも続出しました!

7/1のさろんは、七夕の飾りを作り願い事を書きました。
〜みんなの願い事はどんなのかな?〜 みんなの願い事が叶いますように!!



7月の窓の飾りで〜す。
通りかかる子どもたちに大人気でしたよ!


☆もっとおいしいごはんが作れますように
☆健康でいること   ☆家族仲良く
☆15sやせて10pおなかがちぢまりますように
☆(阪神タイガース)久保田がケガなおったら出てください
☆MACコンピューターが早くできるように頑張ります
☆もっと信頼される人になりたい

 
  
 「さろんって何?行ってみたいな」と思った人は、
気軽にどんどん遊びに来てくださいね。 
 時間内は、出入り自由です。  
 日時:毎月第1週目と第3週目の土曜日の13時〜16時
 場所:障害者自立支援センター(阪急蛍池隣接ビル ルシオーレ南館3階305)
 問い合わせ:06−6857−3601

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19. サービスのご案内  

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

障害者自立支援法介護サービス
障害者自立支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護・介護予防訪問介護サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
◇対象者 原則豊中市在住の障害者
◇介助料
 【一般介助】  1時間       1,200円
 【宿泊介助】        1回(10時間以内) 8,000円
  いずれも実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
 【旅行介助】       1泊(24時間)  16,000円
延長分は6時間(4,000円)単位で加算。
  介助者の交通費及び宿泊費は利用者負担です。
◇キャンセル料 
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座
 ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座の開催(随時)。


※ケアプランセンターは休止しました。再開については今のところ未定です。


豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602

豊中市障害者生活支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピア・カウンセリング      ◇専門機関の紹介
自立生活体験室
 障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
豊中市障害者外出支援サービス
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
 @身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
 A療育手帳Aを所持している人。
 B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
 注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
   65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福   祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月2回まで利用できます。
◇利用料 4q未満300円〜20q以上2,500円
◇利用区域
 豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
 特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園・大阪警察病院
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
◇同乗者について 必要に応じて家族・介助者の同乗をお願いします。
点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。※送料は一律270円
◇既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
  

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20. CIL豊中近況/お知らせ

事務局

 このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪6月≫
2006/6/9 センター会議
 今日、今月1回目の支援センター会議が行われました。今回、特に真剣に議論となったのは、ILPルームの利用のしかたでした。今までの提供のしかたで果たして問題は無かったのか?今後、より利用者の方に目的意識を持ってもらって、有意義に利用していただくためにはどうしたらいいのか?これまでを振り返って反省点を挙げると共に、いろいろな意見がまとまりました。

2006/6/17 満員御礼
 今日はサロンの日でしたが、事務所が満杯になるほどの人数で、サロン始まって以来の大盛況でした。久しぶりに全員が自己紹介を行い、それもそれなりに時間がかかるというものでした。介護者を含めると、全員で10人以上が参加。しかも悪天候の中ときてますから、余計に嬉しかったです。これからもこの調子で盛り上がって欲しいですね。

2006/6/23 支援センター会議
 午後からセンター会議が行われました。今回の議題としては、クリスマスパーティーのことが先ず挙げられ、「昔事務所が一つだった時代は、みんなでパーティーを作っていたが、2つに分かれて年月が経ち、全体で作るという感覚が伝わりにくくなっているのでは?」という意見が相次いで出されました。昔の状態に戻すのは難しいとしても、改めて、「全体で作り上げるイベントなのだ」という思いを共有していけるように、働きかけるのが良いという認識で一致しました。ほかは、ILPルーム利用の手引きについてや、対府交渉の内容などが協議されました。

≪7月≫
2006/7/1 手話講座
 今日から手話講座が始まりました。初回の今日は、まず自己紹介をして、そのあと物当てゲームなどを、いずれも手話で行いました。普段は声を出して話をする講師の人も、あえて手話だけで講座を進め、独特の緊張感がありましたが、文字による解説も交えて、分かりやすく教えてくれました。

2006/7/5 大阪のつどいX
 7月4日午前中、好天&酷暑の中、『大阪のつどいX』が行われました。暑さをものともせず、気合いを入れて闘う姿が見られたと思います。参加者は2,100名を超えました。詳しくはホームページ上でもアップ致します。

2006/7/21 認定調査
 最近、CIL豊中では区分認定調査を一部請け負っています。
 その関係で、担当となっている職員は事務所から抜け出す形で現場に赴き、普段の仕事と、調査に関する仕事を掛け持ちしています。本当に忙しい日々が続いています。

2006/7/28 第一回クリパ会議
 今年度の第一回クリスマスパーティー会議が、10:00〜11:00まで行われました。ヘルパーステーションからも、5名の職員が参加し、久しぶりに、両方の事務所が合同で何かをするんだなぁという気持ちになれました。CIL豊中全体の大きなイベントなので、どちらの職員も力を合わせて、作り上げていきたいと思います。














お知らせ

 今号より、また少し広報誌が変わりました。
 まず、表紙の『NPO法人 CIL豊中通信』の文字の上にルビを打ちました。これで表紙の文字は、全てルビ入りとなりました。
 次にもくじのページにも変更点があります。投稿作品のコーナーを、枠で囲んで、ほかの記事とは字体も変えて表記しました。これで、投稿作品だけ一目見て分かるように、なったかと思います。
 投稿作品は、これまで編集後記の直前に掲載し、最後に『お知らせ』を書いていましたが、今回からはこのように、投稿作品を少し前に載せ、『CIL豊中近況』と『お知らせ』を一緒に載せる形にいたしました。
 これからも、より読みやすい広報誌を目指して、一同、努力して参ります。 

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21. 編集後記

編集長代行 ねやたろー

 今年の夏は、前半はとにかく梅雨が長く、連日連夜豪雨の滝。本当に「いつ明けるねん?」という毎日でした。それが、いざ明けると一転、猛暑の疾風。当たり前のことですけど、暑い暑〜い夏でした。まだ、今しばらくは残暑が厳しそうですね。
 前号のスポーツ(ゴールボール)に続いて、今号は障害者の演劇活動を、特集として取り上げてみました。記事内でも案内しておりますが、来たる9月21日〜23日まで、扇町公園にてテントを張っての公演が行われますので、みなさま、振るってお出かけ下さい。きっと印象深い一日を過ごせると思いますよ。
 これから秋が来たら、すぐに冬になってしまいます。最近、春と秋が短いですからね(私だけがこう感じるのかな?)。CIL豊中では、早くもクリスマスパーティーに向けての準備も、進めております。次の号が届くまでには、みなさまのお手元に案内のビラが舞い込むかと思います。
 その、次の号ですが、晩秋の11月末に発行予定です。落ち葉にも少し近い色の表紙をしている『CIL豊中通信』を、ぜひまたご愛読下さい。
 ではではみなさん、ご機嫌よろしゅ〜。

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