広報誌『CIL豊中通信』Vol.15


も く じ

1. 特集:高次脳機能障害について
2. ホームヘルパー養成研修3級課程・
      ガイドヘルパー養成講座(視覚課程)修了
3. 2005年度 第1回自立生活プログラム講座の報告
4. 体験講座の報告
5. 障害者の権利条約ベーシックセミナー報告
6. さんさんGOGOまつり
7. 電動車いすに乗って
8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第7回−
9. 地域の作業所の活動を紹介します −みとい製作所−
10. カジ論!? Part.3
11. 障害者自立支援法を考える
12. 日本臨床心理学会に参加して
13. メイちゃんのつぶやき
14. ぼくの日曜日
15. 事業活動報告
16. CIL豊中近況
17. サービスのご案内
18. 投稿作品・お詫びとお知らせ

19. 編集後記
広報誌編集部

事務局
事務局
事務局
上田哲郎
事務局
まし〜ん
広報誌編集部
広報誌編集部
カジ
大友章三
上田哲郎
メイちゃん
海帰優人
事務局
事務局
事務局
あい/一辺田正/トコトコ/
 岩国久美子
ねやたろー

印刷版の表紙



1. 特集:高次脳機能障害について

広報誌編集部

はじめに −高次脳機能障害支援モデル事業−

 みなさんは、高次脳機能障害というのをご存じでしょうか?高次脳機能障害とは、脳の中でも高度な機能である、記憶力・注意力・段取り組み立て・状況認識・感情コントロールといった機能を司る部分が、事故や病気などによって強いダメージを受けて残った障害をいいます。この障害については、まだ社会では十分に知られているとは言えず、CIL豊中としても、今後この障害をもつ利用者が増える可能性もあるため、より認識を深めておくことが必要となりました。
 2001年度より、全国12の地方拠点病院等と国立身体障害者リハビリテションセンターが参加し、高次脳機能障害支援モデル事業が実施されています。これは5ヶ年計画のため、今年度で終了となるのですが、その内容は、各自治体において、支援対策整備推進委員会を設置し、関係機関と連携して地域の実態を把握すると同時に、事業の実施状況の分析、効果的な支援手法、普及啓発方法等についての検討を行うものです。そして支援の拠点となる機関も指定して「支援コーディネーター」を配置し、対象者の社会復帰支援のための支援計画作成や継続的な調整を図ります。これによって、支援体制を全国に普及させていくことが、事業の意図です。
 大阪府では、堺市にある府立身体障害者福祉センターがその指定機関となっており、今回、そこに伺って、高次脳機能障害について取材をしてきました。 

1.主な症状とは?

 高次脳機能障害の症状は、脳のどの部分がダメージを受けるかによって、それぞれ違ってきます。全般として一番多く見られる症状は、記憶障害です。この記憶障害も、程度は人によってさまざまですが、最も重度になると、ほんの数分前の出来事も、全く記憶できないという状態になります。例えば、数分前に人から何か言われても、誰かから何かを言われたこと自体を忘れてしまったり自分が食事をしたことも思い出せない、といった具合です。いわゆる認知症と症状自体は似ていますが、認知症が老齢化にともない、脳が自然に萎縮していった結果起こるのに対して、高次脳機能障害の場合は、脳が明らかにダメージを受けて、記憶力を司る機能が損なわれた結果起こる、という大きな違いがあります。
 そのほか注意障害では、一つのことに集中できず、ぼんやりしていて、何かをするとミスばかりしたり、ふたつのことを同時にしようとすると混乱してしまったりします。また、遂行機能障害といって、仕事などで急に今までと違うことをやるように言われると(今日だけいつもと違う部署で働くなど)、それにうまく対応することができなくなり、細かい段取りを組んで、計画的に物事をおこなうことも困難になるため、人に指示してもらわないと何もできなくなることがあります。
 これ以外に、目は見えるのに物の色や形が理解できなかったり、人の顔が見分けられない、字が読めないといった失認症、音は聞こえるのに、他人の言っていることが理解できない、あるいはなめらかに話せない、言葉を全く出せないといった失語症があります。これらは本当に目や声帯に障害があるのではありません。脳の中の、『目が見えていますよ』『声を出せますよ』と認識をする部分が障害を負ったために、実際に目や声帯自体は正常に機能していても、それを脳が認識して本人の意識に伝えることが出来ないのです。本当に目自体が悪いのであれば、それは高次脳機能障害ではなく、視覚障害ということになります。同じように、声帯そのものが機能しなくなった場合は、言語障害ということなります。

2.見えざる障害 −最初は「良かったね」から始まる−

 高次脳機能障害による記憶障害は、最初は『ひどく物忘れが激しい』・『ド忘れが多い』という、当人や周囲の認識から始まります。そしてあまりにも忘れる頻度が高く、何を伝えても十分に伝わらないことから、「これはただの物忘れではない」と気が付き、専門医に診てもらったところ、事実が(つまり高次脳機能障害であることが)明らかになるケースがほとんどです。つまり、なかなか早い段階から分かるということが無いのです。では、なぜそうなるのでしょうか?
 この障害は、事故(交通事故)や、脳梗塞・くも膜下出血などによって、脳が大きくダメージを受けたことが原因となって起こります。特に事故の場合は、最初は外傷がひどく、意識も無い、瞳孔も開いているという極めて危険な状態で、救急車で病院に担ぎ込まれてきます。顔を見ても、本人かどうか判別が難しいほど変わり果てている場合が少なくありません。そして医師からは、死を覚悟するように言われ、一命を取り留めたとしても植物人間になる、といったことを宣告されるのです。この時点で、本人の家族がいかに絶望のドン底に突き落とされているか、想像に難しくありません。元通りに家の中で普通に歩き、ものを言う姿というのは、恐らく浮かんでこないだろうと思います。それだけに、懸命の治療やリハビリの結果、外見上は事故前と何ら変わらない状態となり、家にも帰ってこれた姿を見て、家族も「これで十分だ」「良かったね」と満足するのです。そしてたびたび物忘れをしても、「いいじゃないか、命が助かったんだから。そんなことぐらい。」となり、本人自身も、「体だってこうして元に戻った。記憶力のほうだって、今はちょっと後遺症が残ってるだけだ。すぐに戻るよ」と安心するのです。ところが、だんだん日が経つにつれ、「やっぱり前と違う」「おかしい」ということになってきます。ある程度症状が軽い場合は、本人自身も「私はものが覚えられなくなったな」と自覚できたりするのですが、一番重い症状になると、自分では自分の変化に気付くことがなかなかできません。そのため最初に“異変”を感じるのは、家族であることが多くなります。

3.知られていなかったために

 現在は、高次脳機能障害の存在も、少しずつではありますが、知られるようになってきています。マスコミでテレビ番組の特集として組まれたり、専門の医師などによって著書も出ています。しかし、まだ社会に全く認知されていなかった時代は、本人は周囲からいろいろ誤解を受け、辛い日々を送っていました。なかでもよく言われていたのが、「やる気がないから忘れるのだ」というものです。まさか『高次脳機能障害』なる難しい名前の障害を負っているなどとは夢にも思わないですから、『本人の怠慢・不注意が原因』というように取られ、家族からも、『何回同じこと言わせるの!』と怒られたりしていました。それでも最初のうちは、とにかく身体的な部分が治ったのだからということで、記憶の部分に問題があってもあえて問題視する必要はないだろうという解釈が、大勢を占めていたのです。そもそも当時は日本全体が、物質的な豊かさや進歩にのみ重点を置き、目に見えない精神的な部分の重要性は、あまり考えられないという時代でした。それが、時代の変化とともにだんだんと、『目には見えない』障害に対しても注目が集まるようになってきました。同時に研究も進み、結果として『高次脳機能障害』という分類が出てきたのです。
 この障害に限らず、学習障害、行動障害、情緒障害やアスペルガー症候群など、一見すると健常者と変わらないように見える障害の人は、最初は分からないが故に周囲から誤解を受け、『本人の心がけや親のしつけが悪い』と決めつけられてきた歴史があります。

4.職場復帰・再就労のために

 高次脳機能障害者の中には、その原因となる脳損傷に遭った時点で既に就職し、結婚もしている人が少なくありません。従って、一家の大黒柱となっている場合も多いわけで、それだけに職場復帰というのは、絶対に必要となります。しかし現実には、高次脳機能障害者の職場復帰への道は、大変厳しいものがあります。というのも、指示を出してもすぐ忘れてしまったり、言われたときはふつうに返事をしても、数分経ったら、返事をしたこと自体を忘れてしまうからです。また、先ほども述べたように、いつもと少しでも違う仕事、違う段取りをするように言われると、対応できなくて混乱します。そのような人は、職場ではどうしても『扱いにくい』と見なされ、たとえ元々重要な役職に就いていた人であっても、解雇されることが少なくありません。よしんば解雇は免れたとしても、非常に単調な仕事ばかりをやる部署に配属されます。本来、むしろそのほうが本人のためには良いのでしょうが、それでも本人が自分の変化をなかなか自覚できない場合は、「何でこんな部署に?」と大きなショックを受けることが多いといいます。
 ところで、元々の職場で引き続き働ける場合はまだいいのですが、解雇されてしまった場合は、当然再就職をしなくてはなりません。その際は希望する会社などに対し、自分の障害やそれによる条件、必要な支援などを、事前に伝えていかなくてはならなくなります。また、障害者就労支援センターなどの機関にも就職活動の支援をしてもらい、本人だけで出来ないときは、ハローワークの担当者やジョブコーチが同席して、一緒に伝えるようにしていきます。
 一方、就職活動に先立ち、障害者職業センターでワークトレーニングも行われます。そこで実際の仕事を踏まえての職能検査とか、就労に必要な心理検査などが行われ、その上で、どういう仕事が向いていて何ができるのか、どういう配慮が必要なのかということを、具体的にプランニングしていくのです。そしてハローワークに登録してもらい、係員に、「○さんは□というところに住んでいるから、こういう仕事があったら回して下さい」といった引き継ぎをやってもらうようにします。
 さて、現在高次脳機能障害者は、『障害者枠での雇用』というのがまだ認められていません。2006年度からは認められるようになるとのことですが、それまでは障害者枠からの就職活動はできないため、実際には記憶障害があって、配属や指示出しに際して支援が必要だということは、ハローワークや障害者職業センターの担当者が会社に伝えています。ただでさえ厳しい障害者の雇用情勢の中で、高次脳機能障害者の就労は決して容易なことではありません。それでも求職活動を通じて、一つでも多くの会社がこの障害の存在を知ることには、つながっていくと思います。これは長期的にみれば、大変有意義なことなのではないでしょうか。

5.障害の受容、そしてメモリノート

 重度の記憶障害が残った高次脳機能障害者が、仕事に限らず、日常生活を送っていく上で何らかの手段で記憶力を補うことは、やはり必要となります。そこで一番有効な手段とされているのが、メモリノートです。自分が今発言したことや聞いた話、思ったことなど、あらゆる情報を書き留め、記憶をつなげていくものです。特にパソコンの操作法など、長期的に覚えていなくてはならないものは、こと細かに書き留めるようにしていきます。メモリノートを取ることで、社会復帰への道が大きく開かれるのですが、最初の内は、取ることを拒否する人もいます。というのも本人の気持ちの中で、障害の受容というのがまだ十分に出来ていないからです。「何でノートを取らないといけないんだ?自分は前と変わらないぞ」と言う人は少なくありません。それでも、実際に日常生活を営んでいくと、忘れてばかりいる、先ほど聞いたことも思い出せなくて困る、という事態に直面し、「やっぱりメモリノートが必要なのだ」という結論になるといいます。そういう意味では、メモリノートを取ることが障害の受容の第一歩になる、という言い方も、できるのではないでしょうか。
 今回取材した施設では、自分でメモリノートを取ってそれを使いこなせるようにするため、前に聞いたことをもう一度訊いてきても、職員はあえて教えないようにしています。教えてしまうと、自分でメモリノートを取って記憶力を補うという習慣が、つきにくくなるからです。本人自身がメモリノートの必要性を感じるということが、社会復帰と自立への大きなステップとなるため、施設としては、『敢えて困ってもらう。そして困ったという体験を積んでいく中で学習してもらう』という方法で、本人が気付いていくための支援をおこなっています。
 ここでひとつ課題となってくるのが、家族の人にいかに協力をしてもらうか、ということです。家族の人は、どうしても本人との関係をギクシャクさせたくないという気持ちが先に立ち、同じことを何度訊かれても、その都度教えてしまいます。しかしそこをあえて、施設にいるときと同じ対応をしてもらい、どんなときでも自分でメモリノートを使う習慣がつくよう、本人への働きかけをしています。
 「厳しいようではあるけど、これも社会復帰の第一歩です。会社とかだと、『忘れる』という失敗ばかり繰り返していると、クビになってしまいますからね。施設の中だったら同じ失敗をしても許されるので、最終目標が何かという意識をしっかり持って、がんばってもらいたいですね。」職員の方は話しておられました。

6.より広い社会的認知を求めて −手帳の問題など−

 かつて高次脳機能障害の存在が知られていなかった時代、本人の家族の間では、脳に何らかの損傷がある人がいるという認識が既になされていました。そしてそういう家族が集まって『脳損傷を持つ人の家族会』ができ、脳を損傷した若い人もいるという理解を、社会に求めていくようになったのです。やがて高次脳機能障害の存在が明らかになるにつれ、脳損傷の中に、『高次脳機能障害もあるぞ』という内容の運動に発展していきました。地道な運動によって社会的認知が進んできた中で、来年度から新たに改善されることになったのが、手帳交付の基準です。
 現行の障害者手帳区分では、高次脳機能障害者は、主に身体的な部分で症状が出ている人は身体障害者手帳を、精神の面で出ている人は精神保健福祉手帳を、それぞれ取得している状況です。このどちらもが非常に軽い人は手帳の対象とは見なされず、従って手帳が必要な福祉制度も、利用することができません。しかし現実には、高次脳機能障害という障害は存在しているのだから、手帳の交付が認められるよう、運動がなされてきました。国も5ヶ年のモデル事業の成果として、「高次脳機能障害診断基準」を策定し、高次脳機能障害が精神障害の範ちゅうと見なされることから、精神保健福祉手帳がより容易に取得できるよう、行政処理を行うことにしています。今後は、福祉サービスを利用できる高次脳機能障害者が、より増えていくものと思われます。 

おわりに

 以上、高次脳機能障害について特集いたしました。筆者が一番印象に残った話は、最初は事故による重傷から奇跡的に回復してみんなで喜ぶのが、その後「何かが違う」と気が付き、最終的には障害の存在が明らかになって新たな苦労が続くという、語られざるドラマだと思います。冒頭で紹介したモデル事業を機に、少しでもこの障害の人が復帰しやすい社会になってほしいと、感じる次第です。
 最後に、今回の取材にご協力下さいました、大阪府立身体障害者福祉センター、高次脳機能障害支援モデル事業、支援コーディネーターの辻本幹雄さんと鈴木明善さんに、末筆ながら厚く御礼申し上げます。              
(根箭)

この記事の最初に戻る     もくじに戻る


2. ホームヘルパー要請研修3級課程・ガイドヘルパー養成講座(視覚課程)修了

事務局

 去る7月22日に開講したホームヘルパー養成研修3級課程、及び7月23日に開講したガイドヘルパー養成講座(視覚課程)が8月に修了しました。

 ホームヘルパー養成研修では、障害をお持ちの方や医師などの専門職を講師に招いた講義や、食事介助や排泄介助などの基本的な介護実習を行いました。また、実際に介護現場での実習も行い、ヘルパーさんの仕事に触れていただく機会もありました。

 ガイドヘルパー養成講座では、アイマスク体験による視覚障害の方の手引き方法を体験していただきました。また、公共交通機関を利用しての外出では、実際に視覚障害をお持ちの方を想定し、アイマスクのまま食事をされている受講生もおられました。

 今回のホームヘルパー養成研修では、総勢10名、ガイドヘルパー養成講座では23名の方が受講されました。皆さんの今後の活躍が期待されます。
 最後になりますが、皆さん暑い中本当にお疲れさまでした!
(澤崎)

ホームヘルパー養成研修のようす この2枚は視覚障害者ガイドヘルパー講座での外出実習です。
ご覧のように、電車での移動もレストランでの食事も、
実際にアイマスクを着用したままで行われました。

もくじに戻る


3. 2005年度 第1回自立生活プログラム講座の報告

事務局

「自分で決めて出かけてみよう!!」

 みなさんは外出する時、道に迷ったり、遊園地やレストランなどに到着すると定休日で、予定通りにいかなかったり、また、車いすを利用している方は、目的地の駅にエレベーターがなくて困った経験をしたことはありませんか。そこで、今回の自立生活プログラム講座は「自分で決めて出かけてみよう!!」というテーマで、身体に障害がある人を対象に、外出の計画を立て自信をつけてもらうように5回の講座でプログラムを作りました。

◆内 容◆
1回目−外出に関して様々な体験をもっている方を招き、体験談を聞こう。
2回目−行きたい所、そこで何をしたいのか自分の目標をつくる。
3回目−インターネットや地図などを見て、行きたい所への交通手段等を調べる。
4回目−目標を実行する
5回目−今までの講座をふり返って、これからの目標を考える。

◆参加者◆
 友人から勧められて参加してみました。外出するのに目標を決め、計画を立てれるようにしてみたい。              (30歳代 男性 フジッこ) 今まで行きたい所があってもいろんな人から反対されることもあった。そこで、このテーマを見て自分が決めた所に行ってみたい!という思いがあり参加してみました。                     (80歳代 男性 キドさん) さて、どのような講座になるのか期待と不安のなか、始まった自立生活プログラム講座はどうだったのでしょう・・・。
 1回目の講座は吹田市在住のキョンシーさんに来てもらいお話を聞きました。キョンシーさんは車いすで海外旅行やスキューバーダイビングの経験があり、そのときの体験談を話してくれました。人生経験豊富な80歳代のキドさんも自分の体験を話したいようでしたがキョンシーさんの話を真剣に聞いておりました。
 2回目以降は自分の行きたい所にどのようにして行くのか考えていきました。さて、お二人はどの場所で何をしたいのでしょうか・・・。

◆目 標◆
 大阪道頓堀の極楽商店街の雰囲気を感じて、いろんな物を食べてみたい(フジッこ)
 近郊の温泉に行き、露天風呂に入って夏の会席料理を味わいたい(キドさん)

◆感 想◆
 自転車に乗っていた頃は、六甲山に初日の出を見に行ったり、舞子浜に明石大橋を見に行ったりしましたが、今はヘルパーさんと外出をしています。まだ、電動車いすに慣れていないので家の近くから出かけようと思います。今まで目的もなく出かけていましたが、これからはパソコンで地図を出し、出かけようと思います。(フジッこ)     
 当初は亀岡市の湯ノ花温泉の日帰り旅行に行く予定でしたが露天風呂に行くまでに車いすで移動することが困難なことが分かり、急きょ行き先を有馬温泉に変更しました。シャワーキャリーを持って行きましたので、のんびり温泉気分を満喫、食事は山の幸、海の幸をおいしく食べることができました。一日楽しい思い出ができ、出かける自信につながりました。(キドさん)

※後ろはボランティアのイノッチさん
お世話になりました。
温泉の後はサッパリしますね〜。

 今回のプログラムは、受講者が少なくて少し寂しかったかなあ〜と思いましたが、その分、内容の濃い〜ものになったと思います。今回の二人が自分で計画を立てて、楽しい外出ができて、それが他の人にも影響するようなものになって欲しいと思います。
 せっかく地域で生活するのだから楽しい生活をつくっていきましょう。たまには、ハメをはずして・・・。                 
(TODO・ふるぴ〜)

自立支援センター主催講座に戻る      もくじに戻る


4. 体験講座の報告
〜新米でおにぎりづくりに挑戦!〜

事務局

 『新米でおにぎりづくりに挑戦!』の呼びかけをしたところ、7名の方が参加してくれました。「おにぎりを作ったことがない」、「変わったおにぎりを作りたい」、「おにぎり食べるの大好き」などなど参加動機は、さまざまでした。
 初めて出会った人が多かったので、最初は、緊張してるのかなっという様子も見られましたが、ゲームなどが進む中で、徐々に笑顔や笑い声もでてきましたね。

 いよいよ、おにぎりづくりの食材を考えることになり「おにぎりの中身は何がいいですか〜?」の呼びかけに「たかな」「さけ」「こんぶ」などなど、大きな声で話してくれました。また、「しいたけ!」とシブ〜イ意見を言ってくれたセキオさん、講座の雰囲気を和ましてくれました。そして、近くのスーパーに行き、紙に書いたお目当ての食材を探して、売り場をキョロキョロ。見つかった頃には、お腹もペコペコ。

材料が揃ったところで、さぁつくろー! 
 まずは、お米の量を計って洗います。順番に、お米の粒を感じながら手でまぜました。水が白く濁ってきたら、お米がこぼれないように水を流します。
 ご飯が炊けた!おにぎりをつくろう!手で三角形のおにぎりを作ったり、おにぎりの型やゼリー型など、いろんな型を使ったり、作り方もみなさんさまざまです。初めは「ゼリーの型で作れるの?」と思っていたけど、ラップを使うと、意外に簡単できれいにできます。みなさん、色とりどりの好きな具を入れ、さまざまな形のおにぎりを作りました。
さ〜て、おにぎりが完成しましたぁ〜。オリジナルおにぎりと一緒にハイポーズ!

『作るのが好きです。しいたけを中に入れた三角おにぎり・サケを中に入れた俵おにぎり・シーチキンを中に入れたプリン型おにぎりを作っておもしろかった!
みんなで作れて良かった。また、こんな講座があったら来たいです。』       〜セキオさん〜
『サケを入れたおにぎり作りました。うまくできました。 丸や四角、三角の形のおにぎりを作り楽しかったです。
     一生懸命作った!』
   〜スーパーヒーロー様(伸介)〜
『おいしかった。サケがおいしかった!』    〜綾子〜
『おにぎりたくさん上手につくれました。とってもおいしかったです。たのしかったです』   〜桂子〜
『おいしかった。おにぎりに顔をつくってかわいかった。』   〜佳子〜
『おいしかった。たのしかった。
  ゼリーの型でも意外とうまいこと作れるんやなぁ〜』 〜たけし〜
『シーチキンのおにぎりがおいしかった。手を水でぬらして、手でにぎった。おかあさんへのおみやげができてよかった。』    〜美喜〜
☆味は、言うまでもなく、とっても美味しかったです。初めての体験も、みんなで挑戦すると楽しくできました!次は、何に挑戦しようかな(潮崎)
☆にぎるのは難しいかなぁと思っていたけど、そんなのぜんぜん、ほんとに楽しい顔で、思い思いに、にぎにぎ。こっちまで楽しい気分になりました!おいしいよーっ!ていう気持ちでにぎれば、食べたときのおいしさは格別!ご飯のようにほんわか、あったかーい心に満たされた受講者とおにぎりに感謝です。ありがとう。 
(赤塚)






もくじに戻る


5. 障害者の権利条約ベーシックセミナー報告

上田哲郎

 障害者権利条約という言葉をみなさんは聞いたことはあるでしょうか?一見ありそうなこの条約ですが、実はまだ存在しておりません。しかし4年程前より国連がようやく本腰をあげて作成に取りかかり始めています。日本からも代表団が参加して権利条約作成に携わっています。私たちもひとり一人がこの動きを十分知っておく必要があると思うのです。そこで去る9月14日13時から15時半まで国際障害者交流センター「ビッグ・アイ」にて、社会福祉法人日本身体障害者団体連合会主催により、障害者の権利条約ベーシックセミナーが開催され、参加してきました。セミナーは2部構成になっており、前半はDPI障害者権利擁護センターで所長をされている金政玉さんが、「障害者の権利条約はなぜ必要か」という題目で講演され、後半を、東京大学先端科学技術研究センターで特任助教授をされている長瀬修さんが、「障害者の権利条約の交渉の現在」という題目で講演しました。

 金さんの、「障害者の権利条約はなぜ必要か」という講演で、まず障害者の権利条約とはどのような条約なのかを話され、国連の人権条約では、市民としての基本的自由を守るための自由権、教育や労働や社会保障等の社会権が二本柱となっていることから、この二つが障害者権利条約のメインになるという事になります。また条約は国際的な約束事になるので条約を守ると決めた国には条約内容を国内で実行する義務が生じるそうです。次に障害者の権利に関する国際的な状況を話され、全世界に6億人の障害者がおり、その8割が政策や環境による差別を受け最低限度以下の生活を送っており、多くの差別的な取扱いが放置されています。これまでも「国連障害者の10年」等から「障害者の機会均等化に関する基準規則」で差別禁止や自立と社会参加への方向性は示されたものの、あくまでそれは努力するための指針であったためその効果か少ないのが現状だったので、条約制定へと方向性が導かれたそうです。
 長瀬さんの、「障害者の権利条約の交渉の現在」という講義では、今作成されている草案を中心に1つ1つの条文に対して詳細に説明されていました。条文は次の通りです。


前文 第1条:目的 第2条:一般的原則 第3条:定義 第4条:一般的義務 第5条:障害者に対する積極的態度の促進 第6条:統計とデータ収集第7条:平等及び非差別 第8条:生命の権利 同じく第8条【注】:緊急時の保護 第9条:法の下の平等 第9条【注】:司法へのアクセス 第10条:身体の自由及び安全 第11条:拷問並びに残虐な、非人間的、又は品位を傷つける取り扱い又は罰 第12条:暴力及び虐待からの自由(第12条【注】:医療行為(入院)とインフォームド・コンセント)第13条:表現及び意見表明の自由並びに情報へのアクセス 第14条:私生活、家庭及び家族の尊重/(プライバシーの尊重)(第14条【注】:家庭及び家族の尊重)第15条:自立生活及び地域への包含(第15条【注】:障害を持った女性)第16条:障害を持った子供 第17条:教育 第18条:政治生活及び公的生活への参加 第19条:アクセシビリティー 第20条:個人のモビリティー 第21条:健康の権利 第21条【注】:リハビリテーションの権利 第22条:労働の権利第23条:社会保障及び相当な生活水準 第24条:文化的生活、レクリエーション、余暇及びスポーツへの参加 第24条【注】:国際協力 第25条:モニタリング


となっています。
 なお、【注】の各条文は、これまでの議論で独立の条文を設けることにつけば合意か提案があったものだそうです。しかしこの草案まだまだ完成とまではいっておらず、完成し採択されるにはまだ数年かかるという事でした。今の草案の論議課題の一部を書き出してみます。

 まず第2条の一般的原則では、条約全体をみるなかで、ここに国際協力とか男女平等、障害者自身の自己決定等のどういう原則を盛り込むべきか。第3条では障害をどう定義するのか。第5条において肯定的態度の強調は保護者的にならないか。第7条では合理的な配慮を提供しないことが、かえって障害者の中では差別となるのではないか。第8条では中絶の問題をどうするのか。第9条では、法的能力が重要ではないとみなされたときにどのように権利を守るか。第17条においては、全体的にはみんなが一緒というのが大原則。しかし、日本政府が追い付かないのは、教育のところ。日本政府は抵抗を示している。18条では投票のバリアフリー。22条では雇用率の特別措置を支持するのがいいか。24条においては障害者だけのスポーツをどう位置づけるのか。等といったように、世界中の意見を取り入れなけれならないのですが、その作業には宗教や民族、風土や文化や自然環境、更には経済格差等の違いがあるためにたくさんの難題があるそうです。

 今後の見通しとして、国連では2007年までには遅くとも採択に結びつけ、それに関連して日本では2009年に障害者基本法の見直しがなされ、本格的な障害者差別禁止法が整備されていくとの事でした。
 障害者自立支援法が来年の4月から施行されますが、私たちにとっては到底満足のいく法律とは思えません。日常生活をお金で買わないといけない福祉サービスは理念自体に歪みが生じてきていると思います。国の福祉に対する方向性のズレを変えて行くためにも、早期の障害者権利条約の採択そして批准、そして最後には障害者差別禁止法を成立させなければなりません。そのためにも皆さんひとり一人が国際条約にも積極的に目を向け、声を上げていきましょう。
(上田)

もくじに戻る


6. さんさんGOGOまつり
〜点字名刺体験コーナーを出展して〜

事務局

 10月16日(日)、障害福祉センターひまわりにて、寒くもなく暑くもなく、ちょうどいい気温のなか、『さんさんGOGOまつり』がありました。
 さんさんGOGOまつりとは、『障害のある人もない人も、それぞれ気のおもむくまま、集いの場に“三三五五”集まれるように』と名付けられた祭りです。
 1階では、バザーや輪投げなどのゲームコーナー。2階では焼きそばやあんころ餅などの食べ物コーナーが出店してました。そして、同じ2階の奥に、陶器や編み物などの作品展示コーナーがあり、そこで、CIL豊中は「点字名刺体験コーナー」を出展しました。
 コーナーでは、点字をどのように読むのか、どのように打つのかを勉強しながら、実際に自分の手で点字入り名刺を作ってみようという、企画で行われました。

  さて、10時半の開始と同時に、家族連れの方や子どもたちのグループが次々と訪れました。
 今回は、「点字って学校でやったことある」という小学生の女の子たちや、点字に

興味を持って来てくれた人もいて、特に子どもでは、自分から点字を打ちたいという人が目立ちました。
 以前に比べ、点字を知っている人が大分増えてきたなという印象で、大変嬉しかったと思います。
(古川・根箭)

1階の、輪投げコーナーのようす
CIL豊中の点字名刺コーナー。子どもも大人も興味を示しました。

もくじに戻る


7. 電動車いすに乗って

まし〜ん

 私は絵を描くのが好きです。動物や植物の絵を描いています。“おいしいスイーツが食べたいなぁ。天気がいい日は外に出たいなぁ”と思っていたら、神戸スイーツハーバーのことを教えてもらって行ってみたいと思いました。でも、電動車いすで行けるか心配だったのでパソコンを使ってアクセス方法を調べました。降りる駅にエレベーターがあることが分かりました。
 初めに西宮市大谷美術館に行きました。梅田から阪神電車に乗り、西宮で乗り換え、香櫨園で降りました。駅から美術館までの道のりは、歩道がなくて車がくると危ない道だったけど、車をよけながら美術館への方向が示してある看板を見つけて進みました。動物や風景の絵がきれいな色で描かれていました。見にきてよかったです。
 次にスイーツハーバーに行きました。電車に乗って高速神戸で降り、現地へ。
 お土産を見ながら、食べたいケーキを探しました。6種類のフルーツがトッピングしてあるケーキを食べました。桃やメロン、パイナップルがおいしかったです。
 他にもチョコレートのケーキやミルフィーユ、いろんなお菓子がありました。お土産を買って、スイーツハーバーを後にしました。
 美術館もスイーツハーバーも電動車いすで行くことができ、よかったです。
おいしそうなケーキ!
私は左上の6種類のフルーツのケーキを食べました。
酸味があっておいしかったで〜す。
このケーキどうやって作ったのだろう?
食べるのがもったいないよ〜

もくじに戻る


8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第7回−

広報誌編集部


 今回のピア対談のテーマは自動車の運転です。今回は交通事故で障害を持たれ、車いすで学生生活を送られている田尾さんと、前にCIL豊中でピア・カウンセラーとして活躍されていたおなじみのキョンシーさんに、色々なエピソードをざっくばらんに話して頂きました。

☆運転免許を取るにあたって苦労したことは?

キョンシー: 「苦労っていうか。健常者が取る時間よりは時間がかかったぐらいかな?別に教習所に行こうと思って、判定を受けるために門真に行った時も、すっと行ったし。教習所も障害者が随時来てる教習所で、さほど苦労は無かったかな。」

田尾: 「僕は、豊中の教習所でしたが、取りに行くまではそんなに苦労はしなかったです。ただ乗り移りが不安だったですね。慣れるまでは。受けだしてからも、シュミレーターがあったんですけど、それを見てるだけで意味無くおわりました。あとは困ったことはなかったですね。親切にしていただいて。」

司会:
 「自分は10年前に通おうとしたけど、豊中と服部教習所には、車が無いから無理って断られ、吹田教習所でやっと「いいよ!」って。まだ差別があるのかな?って、ちょっとショックでした。それと門真の検査を受けた時に、アクセルは左にしてくれといわれて、最初の車は左アクセルに。それが苦労かな?て思います。改造とかで、大変やなって思ったことあります?」

キョンシー: 「自分も、左アクセルなんですよ。右足が緊張したらピコッて、膝がなかなか曲がらへんから、ペダルがちゃんと踏み込まれへん。右に本当のアクセルがあって、左に鉄の棒が伸ばしてあってペダルがついてる。結局左でも右でも運転できるという改造で、障害からして緊張したら右足が上がるからアクセルを踏んじゃうやんか。それではとても運転できへんから、教習所で免許をもらって車を買った時に右アクセルを切りたいって言うたんよ〜。相談したら、改造車にはならへんから、車のナンバープレートが緑になり特殊な車になるんで、なんかややこしかったから、考えた末に右アクセルの方に鉄板のカバーをかけて改造したんや。」

田尾: 「改造は左手でアクセルとブレーキを操作するタイプで、引いてアクセル、押してブレーキのやつで、入院中に、業者の人が頻繁に来てて、免許を取る前からいろんな話をしてて、そんなに困ったことはなかったですね。僕の損傷は、首やなくて胸椎らへん。みぞおちまではいけるけど、そこから下はちょっと分からないんです。事故してその辺のこと考えて、手術した先生が車の手段を話してくれたんです。」

☆自動車を運転して変わったことは?

司会: 「18歳まで自転車に乗れなかったから、友だちの後ろにのって行動してたんやけど、それだけじゃあ主体的に行動できんかった。車の免許とって運転して変わったことは、行動範囲がいっぺんに広くなった。」

田尾: 「行動範囲が広がったというのは同じことなんですけど、事故前に習い事に行ってたんですけど、それにまた通えるようになったのが、良かったことですかね〜。」

キョンシー: 「行動範囲が広がったプラス、時間を気にしなくてすむ。終電が間に合わへんかと急いで帰らんでよくなったことがすごく良かった。車で走りながら、でっかい声で歌をうたうことが出来たし。」

☆自動車を運転してよかったことは?

司会: 「一番聞きたかったことなんやけど、自分は、異性の話になっちゃうんやけど、高校の時好きな子がおって18歳やったから車は大人の雰囲気をかもし出すと思ってて、車があるから女の子を誘える。なんかすごい力を自分は持ったんだと思ったことがうれしかった。」

キョンシー: 「よかったこと・・・まあ、いいことにしろ、悪いことにしろ、車の運転が出来たから、味わうことができたことかな〜。これはいい話ではないねんけど、友だちに車を貸してたとき、友だちは右アクセルやから、鉄板のカバーを取って乗るやんか〜。で、返ってきたときに鉄板をしてなくて、自分も確認しなかったのも悪いけど、そのまま運転した訳やね。そしたら、結局両方にアクセルがあるから、ブレーキを踏もうとしたのに、右のアクセルとブレーキを同時に踏んだから、スピードは全然でえへんけど、ゆっくり前に行くやんか。そやから警察で事情聴取を受けたときがあって、警察ってほんまに差別の塊やなって感じた。それかって、車を運転したから味わったことやんかー。」

田尾: 「車を運転してよかったというより、車を持ってよかったと思うんですけど。トイレの無いところとかに行くことがあったりする時に、ちょっと汚い話ですけど、しょうがないからって、カーテンで隠して車の中で。トイレ無いところでトイレ行けるようになったのはいいことだな〜と。」

司会: 「田尾さんは障害を持たれてどれくらいですか?」

田尾: 「今年の9月で丸2年ですね。」

司会: 「障害をもたれる前も運転は?」

田尾: 「してないです。二輪免許をもってたんで、そっちで移動してた。」

司会: 「移動範囲は、車とバイクではあんまりかわらへん?変わった?」

田尾: 「変わらないです。元々物ぐさだからそんなに動かないんで・・・。」

☆自動車を運転して悪かったこと嫌なことは?

キョンシー: 「悪かったこと・・・そないにないな〜、悪かったこと。」

田尾: 「僕も悪かったことはないけど、事故は怖いと。あるんですか?」

司会: 「あるよ。首を痛めたこと。車運転しててバックで車を入れようとした時、後ろを向いた時に力が入って手がしびれたことも。車を運転してると、首にくるのが早いのかな?って。」

キョンシー: 「それはしゃあない。車いすに乗っててもあるで!他はなんか?それだけなん?」

司会: 「キョンシーは今は車に乗ってないんですか?」

キョンシー: 「もう車に乗らへんようになって8年くらいかな〜。だんだん障害の方が重くなってきて緊張が多くなってきたから、これで事故したら、責任取られへんし。車とか物は別にかまへんねんけど、人やそれこそ、小さい子供とか傷付けたらその子の一生が変化してしまうし。そやからもう車を電動車いすに変えた、そんな感じかな。」

司会: 「すぐ、決断できました?」

キョンシー: 「心残りはあるねん。今でも緊張さえなかったら、乗りたいなっていう気はあるし、車の運転も結構好きやねん。でもなぁ〜、仕方ないし・・・。」

司会: 「自分なら考えられへん、簡単には。車は難しくなるんやろうな〜って簡単には思えるけど、実際に車のない生活というのが想像できへん。田尾さんは障害は固定されてるけど、今から車がない生活は考えられる?」

田尾: 「しんどいですよねー。一個一個の行動に、移動に時間がだいぶかかっちゃうんで。電車とか交通機関とか・・。」

司会: 「やってのけてるんや。」

キョンシー: 「やってのけてるというよりも、状況が状況やから・・・。うん。君(司会)とは障害的に一緒やから、近いうちになりうる可能性が高いけど、田尾君は中途障害やし、年とっても運転はしてると思うからねー。」

田尾: 「できる限りやりたいです。」

☆車に乗れるようになって、最初に一番したかったことは?

キョンシー: 「ガンガンスピード出して、走りまくりたかった。」

田尾: 「学校にいくことですかね〜。」

      「なんとか歩けてて、だんだん歩きにくくなった人と、
      いきなり歩けなくなった人との差もあるかな〜」


☆困ったことや、不便やな〜って思うことある?

キョンシー: 「そやな〜。車で運転してて駐車場とか高速道路って自動券売機やんかー、あれってめちゃくちゃとりにくいよな〜。なんで手配りにしないんかな〜って思うねんけどな〜。」

司会: 「自分もしにくい。ETCつけたけど、たまにないとこがある。自分はまだ歩けて、近くまで行き降りたらできるけど。その辺の大変さは感じるし。そんな時はどうする?」

田尾: 「僕は思いっきり寄せます。頑張って何回かバックしながら。後ろからプ・プーって鳴らされるけど、しょうがないですし。」

キョンシー: 「障害者用の駐車スペースによく柵とかあるやんか〜。あんなん意味ないやんな〜。」

司会: 「意味ないわけじゃないけど、一般の人が停めるから・・・」

キョンシー: 「それは分かるけど、停めたいなって行っても停められへんやんな。」

司会: 「空いてるけどポールが立っていて停められへんのと、一般のお客さんが停めてて停められへんのではどっちがいい?」

田尾: 「まだ、ポールとか置いてる方が、人と一緒の時はどけてもらえるけど、そっちの方がいいですね。停められてるとどうしようもない。」

司会: 「個人的には、車いす用の駐車場ってよく書かれてたら、”あいつ歩けるやんか”っていう見かたをされる。もっと理解もして欲しいと思ったり。ありませんでした?」

   最近、当事者が乗っていない時にも停めたりする人も多いと聞くから、余計に歩
  けてると“違うのに”っていう眼はきつくなってるんじゃあないかな〜。車いすシールを
  貼ると、どこにでも停めれる、どこに停めてても怒られないやって思い違いかな?
  【特権】だけど【得】じゃあないねんけど、その差がね〜。 ズレてるのか・・・


司会: 「モラルがない・・・」

キョンシー:
 「そやな〜。」

☆後輩に伝えたいことは?

田尾: 「まずは行ってみることですかね〜。教習所に問い合わせとか。それなりに対応してくれるとか思うんで。無ければないで、近くに知ってるところはあるかないかとか。それなりには教えていただけると思います。あと門真で適正検査受けるときに、自分の住所を言えば車いすの人とか、障害者の人が免許とれる教習所は何箇所か家の近くで探していただけるんで。他の人に話してみることですかね。自分ひとりでは、情報が全然集まらないんで。」

この後も対談?は続いたのですが、司会者として参加したのですが、色々な見方や考え方があるんだなと気づくことがたくさんありました。
(上田)

この記事の最初に戻る     もくじに戻る



9. 地域の作業所の活動を紹介します −第9回−
−地域の中で理解しあっていっしょに生きていきたい!!−

広報誌編集部

 今回は、みとい製作所におじゃましてきました。 
 阪急電車の岡町で下車して歩いて20分ほど、いかにも作業場らしい建物でした。
お話と案内をしてくださったのは、職員の池田さん、お名刺がとっても個性的なんですよ。なつかしい「メンコ」をイメージして、わざと紙質悪く分厚く、お写真も、レクリエージョンで映画村にいったときに、衣装を着て撮った写真とのこと。

何ともインパクトの強い、池田さんの名刺。
実は2枚微妙に違いがあるのです。

☆メンバーさんのペースに合わせて

 ここは、精神障害者の40数名の人たちが登録し、働く授産施設。仕事は、主に下請けが多く、ファイル加工、紙袋や封筒加工、シールはり、菓子包装などなど。また、自主製品としては製菓、木彫りなどの木工品、手すき紙で、ハガキや名刺を作っています。でも、すべての作業を毎日行っているのではなく、やりたい人がいるとき、納期のあるとき、資材のあるとき、注文の入ったときなどにしなければならない作業を中心にしています。労働時間もメンバー一人一人の体調にもよります。
「午前中だけで帰られる方もいれば、午後から来られる方もいます。」と、池田さん。
一人一人のメンバーさんの体調を見ながら、仕事の調整をしたりしながら、やっています。作業場の横には、喫煙コーナーや喫茶コーナー、静養室などもありました。

☆バザーなどに向けて、お菓子も作ります。


 菓子製造許可も取って、クッキー、マドレーヌ(季節によっては、コーヒーゼリー、水ようかんなども)つくって、年一回、泉丘公民分館主催文化祭のバザーに出したり、老人保健施設に定期的に購入していただいています。作れるときには、多めに作って所内で販売もします。ただ、人ごみが苦手なメンバーさんもいるので、大きい祭りには出ていないとのことです。
クッキーはセットで500円、マドレーヌは1個100円
 所内には、木彫りなどの木工作品がズラリっと並べられてありました。どれも手の込んだ作品ばかりで、1個300円とは、作品を仕上げた方に悪いような・・・。

バラエティー豊かな木工作品

 はがきは、3枚セットで100円で、筆で描く水彩画の絵手紙に適しています。木彫りとはがきは、ローズコミュニティー緑地の「さぼてん」にも置いています。行かれるついでのある方は、見てくださいね。名刺も片面刷り単色で、100枚2000円以上でやっています。ただし、メンコ型の名刺はここの職員だけのものとか。自主製品については、これからもこのペースなのですが、ほかの仕事、下請けの作業が冬には忙しくなってきています。私たちの取材日も食堂では、真っ白い帽子に、マスク、白衣に身を包んで、ボール状の風船ガムの色分けの作業中でした。例えば菓子などの場合、容器に入れたり、詰め合わせたり、シールをはり(製造所固定番号を取得)りぼんをかけるなどの作業で、特にバレンタインデー、クリスマスの時期が、忙しく稼ぎ時とか。また、その隣の部屋でも、忙しく作業しておられていました。

風船ガムの色分け作業のようす

みとい製作所には、ホームページも作っておられるので、お問い合わせはここからでもできます。
(アドレス:http://www13.ocn.ne.jp/~mitoi/

☆精神障害をもっともっと理解してほしい!!

 ここができて23年。できた当初の精神障害者の状況は、通所施設もなく入院するか、在宅するか、のいずれかでしかない状況。今もまだまだ社会の目は冷たく、改善されたとは言えない。もっともっと理解してほしい。地域の中で啓発活動していき、地域との関係も広めて、生活、産業をも地域の人たちと支えていけたらいいなと言うことを、おっしゃっていたことが、印象に残りました。
 ありがとうございました!!
ゆ〜っくりと、自分のペースで働けて、仲間と集える場、作業所って、そういうところなのですね。来年春から施行されるという改悪な法律のもと、どうなっていくのでしょうか、不安です。                      
(塚原)

もくじに戻る


10. カジ論 Part.3

カジ

 僕にとってこの9月に大きな出来事がありました。その出来事とは検査のため病院にレントゲンを撮りに行ったことです。なぜレントゲンを撮りに行ったかというと、二次障害のことを考え、今の自分の体の状態を把握するためレントゲンを撮りに行きました。数年前から訓練の先生などにはレントゲンを撮ることを勧められていたけれど、病院への恐怖感もありなかなかレントゲンを撮りに行くことができないでいました。しかし、最近少しずつ自分の体の変化(体力の衰え、体の痛みなど)もあり、しぶしぶ病院に行くことにしました。病院へ行く際にはガイドヘルパーさんに付いて来てもらうことを考えていました。

 病院は緊張することが多いので、できれば僕のことを理解していて安心できる人がいいなと思っていました。そこで僕の頭に浮かんだ人が一人いました。その人とはN君です。N君とはガイドでもプライベートでも仲良くさせてもらっていて、僕より一つ年上です。僕がこのコーナーでもふれたことのある、初めて講演に行ったときもガイドヘルパーとして同行してくれたり、僕がガイドにおいても、プライベートにおいても信頼している人です。

レントゲンは股関節、背骨を撮るわけでN君にもその写真を見てもらわなければなりません。普段のガイドやプライベートなとき僕は体のはなしをしたことがなかったし、僕自身も必要性がなかったので話をしたことがありませんでした。レントゲンを見てもらうということは、曲がった背骨やゆがんだ股関節を目の当たりにするわけで、いきなりなんの説明もなしにN君に見てもらうということはいけないし、気が引けたし、本当にN君のことを信頼しているのだから、なぜ病院に行くのか、今の体の状態、そしてなぜN君ではないとだめなのか話をすることにしました。話をするにあたって、曲がった背骨を見てもらうために僕はILPルームで一緒にお風呂に入りました。曲がった背骨を初めて見てもらったり、僕が話をするとN君は真剣に聞いてくれたし、僕もいつになく真剣に話しました。正直、話をする前僕は不安な気持ちでいっぱいでした。僕自身も話してる途中でどういう感情になるかわからなかったし、僕も医者じゃないのでうまく説明できるだろうか、そしてN君にどう思

われるのかという不安な気持ちでした。背中を見てもらったり説明する中で僕もN君も緊張し合う中でなんとか説明し、また理解してくれうれしかったです。
話し終わるとN君が、「話してくれてうれしかったし、全部理解できたと言ったら嘘になるけど、話してくれたK君(僕のこと)の気持ちがうれしかったし、話してくれてありがとう。」と言ってくれて、僕は思わず泣きそうになるぐらいうれしかったです。
検査中も思ったより緊張せずに検査をすることができました。検査が終わり病院を出てから改めてN君に今日の感想を聞いてみました。するとN君が少し間をおいて「正直、レントゲンの写真を見て感じたんやけど、あそこまで背骨が曲がってるのにびっくりしたし、K君が普段そういう素振りを見せないし、だからよりびっくりした。」と話してくれた。僕は正直に話してくれてうれしかったです。
僕とN君は普段からどうしてもプライベートなときも、ガイドのときも馴れ合いになってしまうため、まわりの人から「あんたらはお互いの傷をなめ合ってるし、けじめがなさ過ぎる」とよく言われてしまうのですが、今回の出来事がきっかけで利用者、ヘルパー、友達としても、より信頼し合うことができるようになり、また成長できてよかったです。

今回のことで一番僕がうれしかったのは、N君が「俺は医者じゃないから全部K君の体のことは正直わからへん。でも友達やし俺もいろいろ助けてもらってるし、だからK君が仮に寝たきりになっても俺は友達やし助けるから、そのつもりでよろしくやで。」と言ってくれて、僕は帰り道一人になったとき泣いてしまいました。
病院に行くことを決めたときまさか最後にこんなにうれしい気持ちになるなんで思ってもみませんでした。病院に行けたことも大きな出来事だったし、それ以上に大きな出来事は、友達って大切だなと思えたことでした。

もくじに戻る



11. 障害者自立支援法を考える
〜これでは自立生活ができない!!〜

大友章三

 前回の「CIL豊中通信」Vol.14で書きましたように、多くの問題を含んでいる「障害者自立支援法」が動き出そうとしています。

◎これをそのままにしておくと大変だ!!

 障害者が生活していくうえで必要な制度・サービスに対して1割の負担を利用している人から取ろうとしています。これは、ホームヘルプやガイドヘルプ、デイサービス、ショートステイなどに対して課せられるもので上限はあるもののサービス量が増えれば増えるほど負担が多くなっていくのです。
 負担料の上限は、生活保護を受けている人はありませんが、障害基礎年金が2級(年額78万円)の人は15,000円、1級(年額98万円)の人は24,600円となります。これは、あくまでも年金収入だけで生活をしている人で、この他に仕事をして収入がある人や配偶者の収入がある世帯は40,200円の負担を課せられることになるのです。
 ホームヘルプは自立支援法の考え方でいくと、国の制度として行うと言っています。ガイドヘルプは地域支援事業といって、市町村がやらないといけなくなるのです。これにも市町村が決めた負担額が発生すると言われています。よって、ホームヘルプとガイドヘルプを使っている人は、両方から負担を取られることになると思われます。これだけではすみません。自分の身体にあった車いすを作ったり、電動ベッドやパソコン、点字タイプを制度を使って手に入れたりした人も、これからは負担がかかってきます。

◎作業所で工賃をもらってもそれ以上に負担がある!!

 障害者の中で仕事をして、給料をもらい生活をしている人はごくわずかです。ほとんどの人が障害基礎年金だけか、作業所で仕事をして得たわずかな工賃だけが収入になるのです。そのような状況の中で、負担が強いられることで生活に影響をきたし、ヘルパーなどの利用を控える人が出てくるのです。これは自分の生活の幅を狭くし、昔のように我慢する生活になっていくのです。2003年に支援費制度ができ、障害者も当たり前にヘルパーと外出したり、余暇の時間を楽しんでいたのに、これによって生きるだけの生活になってしまうのです。また、重度の障害をもっている人は、時間数が抑制されると生命の維持すら難しくなり、地域ではなく、施設か病院での生活に戻っていくことになるかもしれません。
 この法案は、衆議院の厚生労働委員会で論議されてきました。この間、私たちは障害者の地域生活の重要性を議員の人たちに解ってもらうためロビーイング(議員と話しをすること)を行ってきました。でも、与党(自民党・公明党)の議員さんの数が多く衆議院を可決してしまいました。
 この時、国会の外でビラまきやアピール活動をしていた人たちは、大声をあげて叫んだり、泣いていました。また、抗議のために車のクラクションを鳴らしたりしていました。それだけこの法案に問題があり、障害者の生活に影響を与え、危険なものだといえます。論議は参議院に移ったのですが、小泉総理は「何がなんでも郵政法案を通したい」という思いから参議院の本会議で郵政法案が否決された時に衆議院を総理大臣の権限で解散させました。

◎小泉さんは、国会を解散させました。でも、法案はのこりました

 同時に、自立支援法案も衆議院の解散によって、廃案となりました。
これによって、一息ついたと思った瞬間に尾辻厚生労働大臣が「自立支援法案は選挙後再度国会に提出し、一日でも早く成立させ、法律として効力を持たせたい」といい厚生労働省として成立の意欲を見せ、障害者の言い分なんて聞かない姿勢を示しました。
 私たちは、この衆議院選挙に立候補した人たちに対して、この法案の問題点や現在の障害者の生活状況、障害者の地域での自立生活の意義やその思い、そして、2003年から始まった支援費支給制度の説明をする「話し込み活動」を行いました。 候補者本人に会えたり、秘書や選挙対策の担当者と話をし、地域での自立生活の重要性やそれによって、他の人たちに対して(特に子どもたち)よい影響があることをわかってもらえたと思います。ただ、与党の候補者は、やっぱり予算の事や本部の考え方があるので、踏み込んだことが言えない様子がみえました。

◎豊中市で「支援法を考える会」がおこなわれました。

 この時期に豊中市では、多くの障害者団体、親の会、作業所、グループホームをしている団体などが集まって、「自立支援法を考える会」を立ち上げ、大阪府や豊中市などに対して、「このまま法案が通ってしまうと障害者の生活に大きな影響を与え、家族が共倒れになったり、長時間の介護が必要な人は、生命の維持に問題を生じる危険性がある。そこで、自立支援法を考えて、市民に対してアクションを起こそう。」という意味から1回目の集会を豊中市民会館で行いました。この時には、400人以上集まり、会場がいっぱいになり、外にも人がいる状態となりました。
 この集会では、吹田市で障害者の自立生活運動をしているリーダーが来られ、自立支援法の問題点や地域に及ぼす影響、これからの障害者の生活がどうなるのか。以前より暮らしにくくなり、施設での生活を余儀なくされる人が多くなるなどの話をされました。そして、豊中市で生活をしている障害当事者や親、グループホームの入居者と世話人、精神障害をもちながら活動をしている人などのコメントがあり、将来の不安や障害を持った子どもに対する思いなどが話されました。

8月23日に豊中で行われた、『障害者自立支援法を考える集い』

 9月11日投票日、この選挙によって、障害者がこれからどんな生活を強いられるのか、現状維持か後退するのか関連するので、今回に関しては、投票行動をした障害者が多かったように思います。
 同じ日の夜に投票の結果がわかり、与党の圧勝となりました。野党(民主党、共産党、社民党など)は、各地で票が取れず負けていったのです。私たちの障害者運動に理解を示してくれていた候補者もことごとく落選していきました。
 これによって、自立支援法の成立に拍車がかかり、再度、国会に上程されてからは、あっという間に、参議院を通過しました。

◎大阪で公聴会。支援法に問題ありの意見が多いのに・・・。

 この間、大阪では、自立支援法に関する地方公聴会がおこなわれ、各政党から推薦された公述人が、障害者の状況や家庭状況、自立支援法の問題点などを話しました。
 自民党から推薦された精神科の医師は、「自立支援法によって、精神科の医療を受けている人は、医療費1割の負担から始まり、3割負担までいってしまう。そうなれば、医療にかかり、薬を飲まないと生活ができない人は、負担が大きくなり、経済的な面で問題が生じ、医者にかからなくなる。よって状態が悪くなり、病院でいる期間が長くなり地域生活ができなくなってしまう。精神障害というものを多くの人に理解してもらわなければいけないのに、この法案によってそれが難しくなる。」と発言していました。
 また、共産党から推薦された知的障害の子どもを持つお母さんが、「これは、自立支援法ではなく、『自立阻害法』です。作業所で仕事をし、工賃をもらってもそれ以上の負担を取られてしまう。グループホームで暮らしていてもそこは、地域ではなく施設になってしまう。国は、施設から地域へとか地域移行を進めると言っているが、ここで言っている『自立支援』とは、何なのか。」と涙ながらに訴えていました。
 自立支援法を推進している自民党の公述人からも問題視だという意見が出るほどこの公聴会の開催に意義は、あったと思います。ただし、公明党から推薦された公述人(障害者就労に関する法人の理事長)は、「自立支援法によって、障害者就労が進み、障害者も負担を払って、制度やサービスを使えばよい。そして、将来的には、一人前の納税者になって、国に貢献すればよい。」と言い、あとの4人とは、全く逆のことを言っていました。これは、今の障害者就労の現状を認識していない発言だと思うのです。健常者も就職難で仕事がなく、フリーターやニートがたくさんいるのに、障害者は、障害者雇用促進法(一般企業は、法定雇用率《全従業員の1.8%》によって、従業員数が決められています。それをクリアしない企業は、罰金を払えばいいのです。いわば、罰金を払う方が、企業としては、楽なのです。この公述人は、その状況をわかっているのでしょうか。わかっていてこういう発言をするのは、悪質だと思うのです。
 雨の中、公聴会が行われている会場の外では、多くの仲間たちが、アピール活動やビラまきをびしょ濡れになって、がんばっていました。

◎与党圧勝!!法案は、復活しました。

 今回の衆議院選挙で与党が大勝し、衆議院もあっという間に法案が通ってしまう事は、確実です。でも、これは、骨組みだけで、肉付けは、全然できていないのです。これから、厚生労働省から政省令(具体的な内容)がたくさんでてきます。これに対して、私たちは、流されることなくおかしいものは、おかしいと言えるようになっていくことが、必要です。
 そうでないと厚生労働省(行政)のための障害者自立支援法になってしまい、私たちの障害者自立支援法でなくなります。
 大阪の御堂筋で10月におこなった、3000人のパワーを持ったパレードを忘れることなくこれからもがんばっていきましょう。
(大友)

『10・18御堂筋大パレード』のようす

この記事の最初に戻る     もくじに戻る


12. 日本臨床心理学会に参加して

上田哲郎

 みなさんは「インクルージョン」という言葉を聞いたことがありますか?直訳すれば「包み込む(包括)」ということです。豊中では障害を持つ子どもも分け隔てなく普通校に通える保障がされていますが、全国的にはまだまだ保障されていないのが現状です。しかも国は新しい障害児教育のあり方を検討しているようですが、豊中の水準とまでいってないようで、かえって豊中の「共に生き・共に育つ」教育の理念が後退する恐れもあります。そこで障害児教育の新しい世界的な考え方についての講演が、9月17日(土)の、日本臨床心理学会の最終日に公開特別講演と全体会シンポジウムとして行われました。

 講演では、スウェーデン国立イエテボリ大学のインゲマール・エマニュエルソン氏を講師に招き、「インクルージョンの時代」という題目での講演でした。ノーマライゼーションとインクルーシヴ教育の実践的・理論的リーダーである彼は、学校や教育、社会全体にとって、インクルーシヴ教育がゴールであり、民主主義に基づいて決定されたもので、スウェーデンやその周辺諸国での研究と実践から得られた経験に照らし、インクルーシヴ教育に関する重要な展望について明らかにしていきたい、と語っていました。またインクルージョンを理解するための主要な概念は、「過程」「挑戦」「ニーズ」「目的」であり、現在特殊教育の中で伝統的に用いられている排他的な方法に代わって、包括性を獲得することによって、長期的展望を求めることが重要だ、とも述べていました。インクルーシヴ教育とは、学校をサポートするときに、排他性を不必要にして、ニーズに沿った支援を提供することを意味しており、決して方法論的な問題で、特殊な、偏った、そして診断された個々の児童をどうするのか、といった問題ではなく、全てにとって統合された共生に向かう過程を意味しており、それはジレンマを伴う中でこそ、より豊かな実りをもたらすと述べていました。

 全体会シンポジウムには、文部科学省特別支援教育課で、調査の島治伸さん、大阪市立大学教授の堀智晴さん、大阪市立小学校の藤田修さん、「障害」児・者の生活と進路を考える会の鈴木留美子さんをシンポジストとして招き、乙訓若竹苑の亀口公一さんがコーディネーターとなって、「日本におけるインクルーシヴ教育への課題」という題目で語りました。

 はじめに島さんが、「特別支援教育とは何か」という題で話されました。特別支援教育の仕組みについて考えると、日本の教育は、「等しくその能力に応じた」義務教育=学校教育というのが基本であり、学校教育=教科教育中心という考え方のもとに成り立ち、教育を受ける権利による制度的な保障で支えられている。つまり子どもにとって教科教育が受けられるかどうかによって、学校が決められる仕組みだそうです。しかし小・中学校での教育を受けることが困難な子どもは、盲・聾・養護学校で障害に応じた専門的で手厚い教育を受けることが適当であるという考え方ですが、知的障害養護学校とその他の特殊学校とでは明らかな仕組みの違いがあります。その他の特殊学校は、小学校や中学校に準じた教科教育を中心とした教育課程ですが、知的障害養護学校おいては別立ての教育課程が用意されています。しかしその他の特殊学校は、知的障害を併せ持つ子どもに対して知的障害養護学校の教育課程を適用させることが出来る、と述べていました。

 次に堀さんが「特別教育でなくインクルーシヴ教育へ」という題で話されました。堀さんは現場での実践に学んできた経験から、特別支援教育ではなくインクルーシヴ教育(障害のある子もいる教育)を目ざす必要があると考えているそうです。堀さんは障害児保育・教育の歴史を認識した上での実践に期待したいと考えているそうで、排除から始まり分離教育と進み、統合教育へと発展して包括教育に至るプロセスがあるということを述べられて、インクルーシヴ教育を実践するために、@教師の意識革命を:なぜともになのか?A子どもの居場所となる教室・学校に。B子どもの問題解決を:ここの主体を尊重し合いながら、学び合う子どもへの信頼を。C障害のある子もいる教育(学習)方法と教育(学習)内容の創造を。Dさらなる論争と地道な息の長い実践研究を。という5つの提案を打ちだしていました。

 更に藤田さんは「インクルーシヴな学校教育へ転換するための課題」という題で話をしました。その中で、藤田さんの経験からして、養護学校にできて普通学校にできないことは何もないと断言できると述べ、人手や人材は、養護学校がなくなれば普通学校が受け皿となることが可能であり、施設面や運営面の転換は、後からついてくるものだと語っていました。

 最後に鈴木さんが、「息子に教えられともに生き、ともに学ぶ教育」という題で話しました。鈴木さんは息子さんとともに過ごした経験談から、息子の小・中学校、定時制高校での生活を見てきて、「障害」の有無に関係なく子どもは子どもたちの中で育っていくのだと確信し、障害のあるなしに関わらず、自分の意志で意欲的に学び取っていくことのほうが、「生きる力」として大切なのではないかと問いかけ、まずは教師の都合で子どもを分けないこと、分けなくても一人ひとりのニーズを大切にしていく教育を考えるべきだと熱く語っていました。

 その後の質疑応答では、教育関係者の方が、「豊中は共に生きる教育に取組み、子どもたちも教師も意味を理解してきているが、国は分離教育を基本としている以上、インクルーシヴ教育はできない。どうしたらよいか?」という質問をエマニュエルソンさんにされて、「闘い続けること」という返答が返ってきていました。

 今回参加して感じたことは、豊中の教育の素晴らしさでした。しかし私たちにとって生き難い時代になろうとしている今、共生共学の必要性を再認識すると同時に、それを行ってきた豊中が、今以上に発信源になるべきではないでしょうか?
(上田)                    

もくじに戻る


13. メイちゃんのつぶやき

メイちゃん

 永い間、みなさんとお話しができませんでした。
 この間、春から夏が来て、秋も過ぎて冬になろうとしています。
 私の仲間たちは、みんな元気で、忙しく仕事をしたり、遊んだりしています。
でも、「トドロ」は、歳が半世紀を向かえて、少し疲れがとれにくいようです。7月の誕生日には、お友達がたくさん来てくれて、楽しいパーティーが、あったそうです。

◎「ヒューマ」登場・・・。

 みんなからお祝いのメッセージやプレゼントももらったりして、「泣きそうになってしまった。」と言って、しわが多くなった顔をクシャクシャにしながら喜んでいましたよ。この日から、「トドロ」家に仲間がもう一体、増えました。それは、プラスチック製で色は、白黒、エネルギー源は、単1電池4個、特徴は、目が光ったり、口笛を吹いたり、叫び声をあげたりします。また、機嫌がいい時は、ロックの音楽にあわせて「パラパラダンス」をしたりするのです。ご機嫌が、斜めの時は、そこにあるものをけったり、物を投げたりして、電池をぬかないと止まらなくなるのです。
 この人は、名前を「ヒューマ」といい、今では、「トドロ 」家のリビングにどっかりと座っているのです。
 「トドロ」も「ピドレット」もこの人に会うなり、一人で歩いたり、物を投げたりするところを見て、「私らよりADL(日常生活動作)ができるやん。でも、ラジコンで操作をしないといけないけど。」とつぶやいていました。
 私は、「ヒューマ」にあまり近づかないで距離をたもってつきあっていこうと思っています。だって、もし反抗したら、踏みつけられたり、投げられたら、身体がちぎれてしまうもん・・・。

横断歩道は手をあげて渡りましょう! トドロ家の居候たち

◎「トドロ」40度の発熱で、救急車出動・・・。

 9月のことです。「トドロ」は、忙しく、休む暇もありませんでした。ある日のことです。いつものように仕事に行き、夕方近くになりました。「ピドレット」は、友だちと会議の後で、夕食を外で済まそうとしています。その時です。「ピドレット」の携帯に緊急電話が入り、「トドロの熱が、38度を超えている。すぐに帰ってきて欲しい。」とのことでした。せっかくおいしい夕食をと、思っていたのに家に帰ってみると、「トドロ」は、ベッドに横たわっていて、呼吸も荒い様子です。その時のヘルパーである、「ほ」に聞くとご飯もたべんと寝たそうです。その時に熱を計ったら40度近くになっていて、「トドロ」は、半分、意識がない状態で 「救急車を呼んでくれ。」と叫んだのです。「ピドレット」は、慌てて119番に電話をし、電話を切ったとたんに家の外で「ピーポーピーポー」の音が聞こえました。

◎ヘルパー「ほ」が、嬉しそう・・・。

 「ほ」は、「救急車に乗るのは、20年ぐらい乗ってない。」と嬉しそうに話をしていました。救急隊の人に担架で運ばれて、救急車に乗ったのです。「トドロ」だったら3人がかりでいけるのに、「ほ」だったら何人の人で担架に乗せて運ぶのかな〜。と思ってしまいました。
 2005年もあと1ヵ月あまりとなりました。「トドロ」一家にもたくさんの友だちができてマスマスにぎやかになり、声が大きくなり、近所から「静かにしてください!」と言われそうです。
 みなさんも「トドロ」一家に遊びに来て、そのにぎやかさを体験してみてください。
楽しいですよ。

 今回の一句
 秋になり 「トドロ」と「ほ」は ふとりすぎ。

 もう一句
 クリスマス 今年の仮装は どんな顔。

 来年は、戌年です。犬のように好奇心旺盛で、面白いことをたくさん見つけられるような行動をして、友だちをたくさんつくりたいと思っています。
 2006年もみなさんよろしくお願い致します。

もくじに戻る


14. ぼくの日曜日   

海帰優人

「ちょっと気になること」

 ある日曜日の朝、左目のすぐ前にうっとうしく黒い一本の線が垂れていた。ぼくは、目があまり良くないので、なにか病気にでもなったのかと思った。
 黒い一本の線は、いつまでもぼくの左目の視野の左端から離れなかった。
 もしかしてと、よぎることがあったので、ヘルパーの石居さんに聴いてみた。「左の眉毛に、村山首相か宇野重吉みたいな一本長いやつが生えてへんか?」
 石居さんはニコニコしながら、「はいはい、あります」と応えた。要するに、長い眉毛が視野に入ってきていただけだった。
 しかし、不思議に思うことがある。なぜ、数本だけ異様に長くなる眉毛は年配の人に多いのだろう。若者にあの眉毛を生やした人を見かけたことがない。科学的な根拠がどこかにあるのだろうか。とにかく、目の前がスッキリしたのでよかったけれど、ひょっとしたら、ぼくも「老い」に近づいているのではないかと、すこし滅入る気持ちになってしまった。そういえば、ひげにも、体毛にも、白いものが混じるようになった。
 「ちょっと気になること」は放っておくと、短時間の間にすごい勢いで膨張して、何も手につかない状況にぼくを追い込んでしまうときがある。
 このあいだ、むかしの彼女のことを「ふと」思い出していたら、二人が大好きだった作家のことが頭に浮かんだ。けれど、名前が出てこない。夕食を食べるどころではなくなった。文化系のツレたちに電話をかけまくった。一応は得意そうなツレにしぼったのだが、作品名を言っても、特徴を伝えても違う名前しか出てこなかった。疲れてしまったので、夕飯は後回しにして、ベットに上がることにした。
 横になったとたん、思い出した。「寺山修司」だった。鼻の穴に南京豆を突っ込んで取れなくなってしまったとき、苦労して、苦労して「フン!」としたら、勢いよく5mほど弾け飛んでいった。それによく似た感触だった。
 つまらないことにこだわりながら、ぼくは生きている。
 でも、ぼくは、ぼくのことが、大好きだ。

もくじに戻る


15. 事業活動報告

事務局

1.障害者の自立生活に関する相談及び支援事業
(1)豊中市障害者生活支援事業(受託事業)
  障害者やその家族等の相談支援。
  ○相談支援件数 464件
○第1回自立生活プログラム講座「自分で決めて出かけてみよう!」 全5回 受講生:肢体障害2名
○パンサークル ○サロン
  ○自立生活体験室 宿泊利用17回(総25泊)、デイ利用5回
○広報誌「CIL豊中通信」13、14号発行
(2)豊中市障害者給食サービス個別アセスメント(受託事業) 18件
2.障害者及び高齢者の介護等在宅福祉事業
(1)支援費制度居宅介護(身体・知的・児童)
支援費制度によるホーム・ガイドヘルパー派遣。50,369時間
(2)介護保険訪問介護
  介護保険による訪問介護。1,940時間
(3)介助サービス
  地域の支えあいに基づく介助者派遣(登録制互助活動)。1,312時間。
(4)介護保険居宅介護支援
  介護保険によるケアマネジメント。延59名
3.障害者の移動支援事業
(1) 豊中市障害者外出支援サービス事業(受託事業)
リフト付自動車を運行し、障害者の外出を支援。487回
(2) 大阪大学バリアフリー推進コンサルタント
4.福祉に関する人材育成事業
(1) ヘルパー養成講座  
@ホームヘルパー養成講座3級課程  修了者10名
Aガイドヘルパー養成講座
 ・全身性課程 修了者22名 ・視覚課程 修了者23名
(2) ヘルパー養成講座実習生受け入れ 延38人  
5.点字名刺事業
(1) 点字名刺
  点字名刺の作成販売 8,090枚。

    もくじに戻る


16. CIL豊中近況

事務局

 このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪8月≫
2005/8/31 あ〜
夏も終わりだなぁ・・・・。

≪9月≫
2005/9/2 第一回クリパ会議
 本日10:30から、ヘルパーステーションと合同によるクリパ会議が行われました。担当分けやプレゼント交換の方法など、かなり活発に協議されました。

2005/9/3 開放サロン
 本日午後から、開放サロンが行われました。今日もたくさんお客さんが来られ、盛り上がっていました。特にトランプの時は非常に熱くなっていましたねぇ。

2005/9/10 めちゃ静か
 今日は支援センターの職員がほとんど出払っており、職員はほぼ終日2人だけ。めちゃくちゃ静かな一日でした。
 ヘルパーステーションのほうも、あまり人がいなかったです。

2005/9/17 ダジャレ大暴走サロン
 本日、4名の参加者が来られてサロンが行われ、みんなで自己紹介をするなど、盛り上がりましたが、エライ事になってしまいました。
 某T○(←丸印)D○(←丸印)という方が、約2分に1つの割合でダジャレを連発。あまりの暴走振りに、最後は横にいた介護者も半分サジを投げている様子でしたが、それにしても何とも言えない空気でした。


2005/9/24 パンサークル、ピアカン講座
 今日はパンサークルが行われ、初めてあんぱんが登場しました。あんはあらかじめ家で作ってきていたようですが・・・・。美味しかったです。そして同じ時に、ピアカン集中講座も行われていました。この間からこの近況で話題になっている某職員も入っていたようですが、またダジャレを連発していたみたいです・・・・。

2005/9/26 朝から夕まで
 今日は本当に送迎の予約が忙しい一日でした。電話の前で、一息つく間もほとんどありませんでした。一方、ヘルパーステーションに新しい職員が来られました。

≪10月≫
2005/10/12 お菓子ドッサリコ
 今日は午前中、職員2人がクリスマスパーティーのお菓子の買い出しに行きました。台車一杯、ドッサリコと積まれたお菓子が事務所にやってきました。仮装の話も、ちょっとずつ出てきています。

2005/10/18 御堂筋大パレードに参加
 好天にも恵まれたこの日、『障害者自立支援法反対、御堂筋大パレード』に参加しました。去年の御堂筋デモと同じ位に、声を枯らしてシュプレヒコールを唱え、既に成立してしまった“改悪法”の反対を訴えていました。一つ印象として残った点と言えば、事前に『パレードだから目立つ格好で参加を』と呼びかけられていたのが、実際にはみんなそんなに目立つ格好(衣装など)ではなかったということです。

2005/10/24 急に冷えてきて・・・・
 「いつまで暑いんや?」と思っていたら、急に涼しくなりましたね。一年で一番風邪を警戒しなくてはいけない、厄介な季節です。今日は特に送迎が忙しかったです。広報誌の原稿もぼつらぼつら書き上がってきています。

2005/10/29 おにぎり講座
 今日は初めての『おにぎり講座』が行われました。いろいろな年齢層の方が参加され、みんなでゲームもしながら賑やかに作りました。中には作り方に結構詳しい人もいて、積極的に教えたりしていました。なかなか美味しく仕上がったようです。

もくじに戻る


17. サービスのご案内

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中
ケアプランセンター CIL豊中


TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

支援費制度居宅介護サービス(身体・知的・児童)  
支援費制度によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
サービス提供範囲 豊中市
サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
対象者 原則豊中市在住の障害者
介助料
 【一般介助】  1時間       1,050円
 【宿泊介助】        1回(12時間以内) 7,200円
  いずれも実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
 【旅行介助】       1泊(24時間)  12,400円
延長分は6時間(3,100円)単位で加算。
  介助者の交通費及び宿泊費は利用者負担です。
キャンセル料 
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座
 ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座の開催(随時)。
介護保険居宅介護支援サービス(無料)
 ケアマネジャー(介護支援専門員)によるケアプランの作成、サービス事業者との連絡や調整、申請や更新の代行など。


豊中市障害者自立支援センター

TEL06(6857)3601  FAX06(6857)3602

豊中市障害者生活支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
●ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
●社会資源を活用するための支援 ●社会生活力を高めるための支援
●ピア・カウンセリング      ●専門機関の紹介
自立生活体験室
 自立生活をめざしている障害者の方が、実際の生活に近い環境で、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
●宿泊利用 1泊1,500円 ●デイ利用 1回(5時間まで)750円
*デイ利用の場合、ご利用出来る時間帯は9:00〜18:00です。
豊中市障害者外出支援サービス(2005年4月1日改定)
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
  65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
利用回数 月2回まで利用できます。
利用料・区域
@豊中市内           片道 500円  往復1,000円
A特定区域(豊中市隣接)・施設  片道 1,000円  往復2,000円
 特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園・大阪警察病院
キャンセル料 当日キャンセル500円
同乗者について 必要に応じて家族・介助者の同乗をお願いします。
点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。
●既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
●片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
●両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
送料は一律270円です。

もくじに戻る


18, 投稿作品・お詫びとお知らせ

「風」

明日へ吹く風
私に希望をあたえてくれる
そこから1つの愛が生まれ
私の心は幸せでいっぱいになる
風が吹けば季節が変わる
季節が変われば生き方も変わる
明日へ吹く風よ
ずっとずっと吹き続けて下さい。

ーあいー


「ありがとう」

あなたにもう逢えないけれど
ずっと胸に残っています
落ち込んで泣いてる時
いつも笑顔で元気くれたね?
その笑顔が今でも思い出します
今までそばにいてくれて
「ありがとう」

ーあいー



きみの歌

   一辺田正     

手もあしも、指一本さえ
動かぬきみと湯につかる
風呂の中にはだれもいなくて
みているものは湯気だけ

音のしないラジオに
きみは耳をそばだてる
きみだけにしか聞こえない
放送局があるのはすばらしい

きみの動かぬ体は
ぼくの腕を動かし、あしを動かす
簡単明瞭このうえなし
かわいそうと五文字で片付けるより
すこしはましといえるだけ

きみとともに生きてきた犬がいる
すでに十歳年老いて
毎日猫のように眠りこけ
きみに愛撫されるわけでもない
それでもきみのそばから離れず
そのうえ愛犬ぶることもない

きみの額に汗がひとすじ
それが湯からあがるしるし
きみの体はそのように
ぼくにきちんと意志をつげる
ほかにもいっぱいのやりとりを
きみはその身でおしえてくれる



永遠のクリスマス

君が来たのは15歳のクリスマス
プレッシャーでつぶれていた、15歳のクリスマス
ソファーの座布団に埋まりそうなほど、ちいさくて
モコモコしたその毛は、切なくなるほど柔らかくて
こちらを見るその目は、クリリとして愛くるしくて

僕の疲れは一気に癒され
君は人生で絶対の伴侶
辛かった青春時代、君がいたから生きてこれた
ダークグレーだった青春時代、君だけを支えに生きてこれた

君が旅立ったのもクリスマス
僕がパーティーに出ていた頃
君は最後の力を振り絞っていた
パーティーにいるのは辛かった
でも、あのオチャメで楽しいキャラクターは
きっと君が呼び寄せてくれたんだね

君は僕が休みの日に旅立った
僕が休みになるのを待って旅立った
だからゆっくり見送ることができた
ビッグな恩返しをありがとう!

2つの永遠のクリスマス
生涯最高だった、15歳のクリスマス
僕は絶対に忘れない、一生・・・・・
今年もまたクリスマスがやってくる

   トコトコ
     




病床の 窓から雲を 見上げれば
母に見えたり 君に見えたり
 
  伊丹市 岩国 久美子
 


 
このコーナーでは、みなさんからの短歌、俳句、詩などを募集しております。詳しくは編集長 ま〜たれまで。
みなさまどんどんご応募ください。

 
【お知らせ】

・2006年2月5日(日)に、2005年度『市民講座』を開催致します。場所は障害福祉センターひまわり3階の体育室、テーマは『障害者自立支援法学習会 −これからの障害者の生活はどうなる−』です。講師には、県立広島大学助教授の横須賀俊治先生に来て頂きます。みなさまのご参加をお待ち致しております。
・今回の広報誌は、諸事情により、ホッチキス止めでの発行ができず、輪ゴム止めでの発送となります。誠に申し訳ございませんが、次のVol.16より、またホッチキス止めと致しますので、よろしくご了承願います。

投稿作品の最初に戻る     もくじに戻る


19. 編集後記

編集長代行 ねやたろー

 いつも広報誌をお読み下さり、ありがとうございます。
 ただいま、編集長であるま〜たれ≠ェ、体調的な理由により、しばらく休職いたしております。そのあいだ編集長代行を、わたくし、ねやたろーが務めさせていただくことになりました。何をやらせてもドンくさくてヌケてばっかりの、頼りのない編集長代行なのですが、みなさん、しばしよろしくお願い申し上げます。
 このページに書くのも初めての体験で、チョー緊張しています(笑)。
 私は、漢字で書くと非常に難しい名前(名字)をしておりますので、多分1回か2回しか登場しないであろうこのコーナーでは、ひらがなの名前で通すことにしました。
 もうすぐ寒い季節になります。夏好き冬嫌いの私にとっては、嫌な季節の到来です。これからも、寒さに縮みながら(涙)、より読みやすく、より興味深い内容の広報誌の作成に、全力を注いで参りたいと思います。
 末永いご愛読を心よりお願いして、今号の結びといたします。

もくじに戻る


広報誌「CIL豊中通信」に戻る  |  豊中市障害者相談支援事業に戻る  |  トップページに戻る