広報誌『CIL豊中通信』Vol.13


も く じ


印刷版の表紙
1. 4月から外出支援サービスと居宅介護の一部が変わりました
2. 特集:障害者グループホーム Part.2

3. 2004年度第二回ILP講座報告
4. 2004年度第二回市民講座報告
5. ガイドヘルパー養成講座修了
6. 学生無年金障害者の活動からPart.10
7. ぼくの日曜日
8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 ー第6回ー
9. メイちゃんのつぶやき
10. 地域の作業所の活動を紹介します −あさひ会−
11. 遠くなくても行きたい −宇治平等院−
12. カジ論!? part1
13. アンケート集計結果報告
14. CIL豊中近況
15. サービスのご案内
16. 投稿作品・お知らせとお詫び
17. 編集後記
事務局
広報誌編集部
事務局
事務局
事務局
事務局
海帰優人
広報誌編集部
メイちゃん
広報誌編集部
西九条舞
カジ
広報誌編集部
事務局
事務局
北摂の兄貴/岩国久美子
ま〜たれ



1. 4月から外出支援サービスと居宅介護の一部が変わりました

事務局

豊中市障害者外出支援サービス(豊中市委託事業)
利用対象者、運行曜日、利用回数、特定施設が変更になりました。

利用対象者:
利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。

@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
   65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
運行曜日:年末年始(12/29〜1/3)を除く毎日
利用回数:月2回まで
特定施設:大阪警察病院が追加

支援費制度居宅介護
行動援護という類型が新設されました。
身体介護・移動介護(身体を伴う)の単価が改定されました。

【行動援護の新設】
行動援護とは、知的障害により行動上著しい困難を要する知的障害者(児)であって、行動する際に生じ得る危険を回避するために必要な援護及び外出時における移動中の介護等(予防的対応、制御的対応、身体介護的対応)をいいます。利用は1日1回まで。移動介護との併給はできません。身体介護、家事援助との併給はできます。単価は「5時間以上単価」16,340円が上限で、5時間以上実施されるような場合は「5時間以上単価」になります。
ヘルパーの資格要件は[介護福祉士、看護師、ヘルパー1〜2級、知的ガイドヘルプ研修修了者]で知的障害者(児)の介護経験2年以上です。
【身体介護・移動介護(身体を伴う)の単価改定】
1時間30分を超える30分単価が家事援助と同じ830円になりました。

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2. 特集:障害者グループホーム Part.2

広報誌編集部

はじめに

 みなさんは、グループホームをご存知でしょうか?
 グループホームとは、おおむね4〜7名の利用者が、世話人とともに、地域の中にある一軒家やマンションなどの一室で、共同生活をおこなう住居です。
 原則一人一部屋を持ち、みんなが交流できるスペース(居間)があります。
入居者は、昼間は通所授産施設等で働き、そこで得る給料や障害基礎年金などで家賃や食費・光熱水費などの生活費を負担し、自立生活を送っています。
 日本では、グループホームは原則的に知的障害者の施策として位置づけられています。そのため身体障害者のグループホームについては、実施していない自治体が多く、政令指定都市である大阪市と横浜市のみでの実施となっています。
 大阪市には独自の制度である身体障害者グループホーム制度があり、11の身体障害者グループホームがあります。今回はそのうちの一つで、社会福祉法人あいえる協会が運営されている、『グループホームほんわか』を取材しました。
 なお、『CIL豊中通信』では、2003年2月に発行したVol.4において、「豊中市の障害者グループホーム」を特集として取り上げ、豊中市内にあるグループホーム5ヶ所を取材しております。そしてその当時オープン直前で、現在、NPO法人であいの郷市民委員会によって運営されている、『グループホームであい』にも、今回取材に伺いました。ここでは、療育手帳を持った重複障害の方も入居されてます。それでは、その『であい』のようすから先に紹介していきます。

1.であい

 阪急三国駅から、歩いて10分くらいの所にある市営三国住宅の一室が、グループホームであいです。部屋に入ると、入居者の方が描いた絵が飾ってあったり、折紙やみんなの写真が飾ってあったりと、温かい部屋だなと感じました。取材におじゃました時は、入居者5名と世話人との、とっても楽しいお茶会の時間でした。

「であい」ができるまで

 豊中の障害者関連の団体が、行政と話し合う中で、市営住宅をグループホームにできないかとの声をあげていました。府が、府営住宅をグループホームにしていいとの条例を作り、市も市営住宅をグループホームにしていいとの条例を作りました。しかし、空きのある市営住宅がない状態が続いている中、震災がおこり被災者向けの対策の1つで三国に市営住宅が新設されることになりました。そこで、入居される方が決まった時点で空き室ができ、そこを使って、グループホームを始めることになりました。重度の人でも、地域で生活できる、実践の場として、重複の障害者が入居するグループホームとなりました。
入居者5名(脳性マヒの重度重複障害の男性2名、女性1名・知的障害の男性1名、女性1名)

3/27 NPO法人であいの郷市民委員会主催で行われた、第9回であいサロンのようす
グループホームの実態について、オープンに語り合われました。


生活の様子

 7時:起床。世話人と洗面や着替えなどをします。
 8時:朝食。迎えのバスが来て、デイサービスや作業所に行きます。
日中:デイサービスや作業所ですごします。
 16時:それぞれに帰宅し、みんなでお茶を飲んだり、お菓子があるときは、みんなで食べたりとのんびりすごします。
 18時半:夕食
 21時:着替え、洗面等就寝準備
 22時:就寝 

 入居者が5人の時は、3人の世話人と、週末などで入居者が少ないときは、2人の世話人と過ごします。部屋は、それぞれが1つの部屋を持ち、食事などの時には、居間に集まって、一緒に過ごしています。また、誕生会を開いたり、クリスマス会をしたりと、楽しい行事もあります。
 世話人の方に話を伺うと、始めから楽しい雰囲気だったのではなく、お互いに慣れるまでは、おどおどとした落ち着かない表情だったり、思いが伝わらず、ぶつかり合うことも多かったようです。でも、毎日の生活の中で、少しずつお互いに分かり合う中で、自然に笑顔がでてきたそうです。コミュニケーションをすごく大事に考えているとのことでした。取材中も、入居者と世話人との楽しいやりとりが、ずっとみられました。
 一人一人のこだわりも大事にしながら、楽しくみんなで、一緒にすごす温かい雰囲気がとっても素敵な「であい」のみなさまでした。
 それでは、入居者の楽しい表情の数々をご覧下さい。
 



2.ほんわか

 大阪市内の長居公園から、商店街を通って、15分位の所にあるマンションの1室が「ほんわか」です。部屋に入った感想は、「あれっ、普通のお家だ!」でした。玄関を入り、両端にそれぞれの部屋があり、奥には、みんなで使うリビング。取材はこのリビングで、入居者とヘルパーの方にお話を伺いました。

ほんわかができるまで

障害者の生活作りに取り組んでいこうと、ウィル作業所(現、ライフ・ネットワーク作業所)内にお風呂や台所を設置しました。専従障害者の入浴体制・健康管理の取り組みを行っていき、さらにこれを発展させ、障害者の地域での自立を作っていくために「グループホームほんわか」の設立が始まりました。

入居者   身体障害者(車いす利用者) 
生活の様子

  8時:1対1でヘルパーが入り、個々に朝ご飯を作ったり身支度をします
 10時:出勤
 17時:それぞれのヘルパーと待ち合わせをし、22時まで買い物に行ったり、家で、夕食を作ったりと自由に過ごします。
 22時:翌朝8時までは、1人のヘルパーが泊まり、必要な時に援助します。
    (呼び出しにブザーなど必要な方は、日常生活用具の申請をして取りつけているそうです)

 部屋を拝見させてもらうと、大好きな芸能人のポスターや人の写真が飾ってあったり、自分で作ったジグソーパズルが飾ってあったりと、その人その人のこだわりがみられました。また、共同生活ということでは、「冷蔵庫には名前を書いて入れる」、「洗濯機をまわすのは、何時まで」など、様々なルールもあるということでした。「ほんわか」では週に1度、みんなでリビングに集まり、今困っていることや、みんなのルールを見直したりする時間を作っているそうです。
また、「ほんわか」には施設からの『自立』ということを考えて、入居する人が多いということでした。この日取材させて頂いた入居者も、施設で長く過ごし、運営団体であるライフ・ネットワークに出会い、『グループホーム、自立』という目標をたてられたそうです。グループホームでは施設と違い、ヘルパーに24時間のサポートを受けながら、「自分は何をしたい」「どこに買い物に行きたい」「朝ご飯は何を食べたい」「そのためにはどんな介護が必要なのか」など、一つ一つ自己選択・自己決定しなくてはなりません。自立に向けての大切な経験を、障害をもつ仲間と共に楽しんで実践しながら、一つ一つ重ねていけるということでした。自分で作り出す生活だからこそ、自分で決めて、大好きな買い物にたくさん行けたり、夜には居酒屋に行って美味しく飲んだりできる!ということでした。中には、経験を重ねることで、自分に必要な支援といらない支援がみえてきた人もいるそうです。1人1人が、自分の生活を自分で決めて、毎日の生活をキラキラと輝いている「ほんわか」のみなさんでした。

個々の利用者の工夫が反映された浴室 玄関のようす
本当に入居者の個性が表現されている部屋ですね。
壁の上のほうに掛かっているのは、絵ではありません。
ジグソーパズルです。

 
最後に

 今回、知的と身体のグループホームをそれぞれ取材して、障害をもっても、地域で楽しく生活していることを知りました。運営団体や障害の違いで、グループホームのもつ雰囲気はそれぞれ違いましたが、地域で楽しく暮らすというのは、共通だなと感じました。しかし、この地域で暮らすという形が崩されてしまいそうな障害者自立支援法というものが、急にあらわれてきました。今、反対の勉強会やデモがあちこちでおこなわれていますが、自立支援法が通ってしまうと、グループホームの形も、今のままというのが難しくなるだろういうことです。笑顔の入居者さんの顔を見ていると、これからも、こんな温かい場所がたくさん増え続けてほしいなと強く思います。

(文責:潮ア)

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3. 2004年度第二回ILP講座報告

事務局

 今回の自立生活プログラム(ILP)講座は、“自分の生活を考えよう~〜マイライフプランをつくろう〜”ということをテーマに開講しました。
さて内容は、まず最初に、地域で自立生活をしている先輩の話を聞き、知らない世界をちょっと見て、好奇心が芽生えてきたり、“そんなこともできるんだ〜”と発見できたり、なんらかプラスになったのでは・・・。
 参加者は男性一名、女性二名で、今は自宅で家族の方と一緒に住んでいる人たちで、いずれは一人で住みたいんだ!将来的には、一人になりそう?などなど。今の生活スタイルとは変わる・変わりたいとの思いのある三名が参加してくれました。

 今回のテーマは、今・自分がしたいことは?・この先どうしようかな〜??・その目標のためにはどうしたらいいのかな〜???という?≠見つめよう!と、みんなで語り合いました。
 話をする中で、?≠ノ気づいた人、変わった人、色々でした〜。
今回の講座の中で、『マイライフプランの為に動いてみようよ!』というテーマがあったのですが、達成できなかった・・・というより次々に?≠ェ出てきたり、他にも見つかったりで、この先も続きそうです。

先輩の話を聞き、思い巡らしてるよ〜 講座最終日の語りあってるようす


 一旦講座は終了という形になり、みんなに感想をもらいました。

【おじん】
 今回の大きなテーマは、「自分の暮らしを考えよう」ということで、おじんは「自宅の玄関が狭いので、自分一人で電動車いすを外へ出せない」ということをテーマにあげて、色々話し合いました。
おじんの知っている住宅改造を行っているNPO団体に相談したり、講座のリーダーたちの意見を聞いて、改造できるものであれば改造するつもりです。でも、一番の問題は資金のことです。行政の制度も「一度使えば使えない」、障害が重くなれば住宅も改造が必要。蓄えがない。これが一番の問題です。うまく行政の制度を使う方法などをこの講座をきっかけに障害者同士が勉強になればと思います。

【あや】
 初めてこの講座を受けました。車いすに乗っていて、普通の住宅では生活しにくい障害者でも、支援費制度を利用したり、住宅改造をしたり、いろんな制度を利用し、地域で生活していることを知りました。私も車いすに乗っていて、今住んでいる家では、車いすで家に入ることはできません。家の玄関を電動車いすで出入りできるようにしたいと思い、住宅改修相談事業所に行きました。車いすを使用している重度障害者の人でも生活しやすい町になっていけばいいと思っています。

【けいこ】 
 今回の講座は二度欠席ということになってしまいましたが、現在、私たちの日常の中で困り、疑問に感じている問題についてそれを解決するためにいろんな方法、方向から考えたりして意見を聞くことができたのでまた勉強になりました。
みんなこの講座で、何か感じることができ、前に進めたんではないかと思います。



  ゆっくりでいい つらい時も 苦しい時も あせらずに ゆっくりと 生きて行こう

 上の言葉は、受講者が友だちとおしゃべりをしている中で、書き留めた言葉だそうです。

 ILP講座というのは、なかまと会い、なかまの話を聞き気付いたり、勇気づけられたり、普段なかなか経験できないことを自分のペースで進みながら体験する場です。
 この言葉にあるように、ゆっくりと自分のペースで歩んでいって欲しいと。。。 
 この講座が終われば“おしまい”ではありません。何かあれば、また一緒に動きましょう〜!悩みましょう〜!!待っていま〜す。
 何ができるか分からないけどなにかやってみたい人・この先のことが分からない、不安な人、一度参加してみませんか?事務所に来てみませんか??

(文責:ま〜たれ)

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4. 2004年度第二回市民講座報告

  [どうなる障害者の生活 〜障害者自立支援法って何?!〜]

事務局

 去る3月26日土曜日、2004年度第二回市民講座が豊中市立障害福祉センター・ひまわり3階体育室で開催されました。今回は「どうなる障害者の生活 〜障害者自立支援法って何?!〜」をテーマにして最新の障害者施策についての現状と課題について取り上げました。参加者は70名あまりで、当事者はもちろんのこと、親御さんや市議会議員の方、遥々和歌山からの参加者もおられました。
講師には、大阪出身で、自立生活センター・ナビ運営委員や大阪市立大学非常勤講師等も勤められているDPI日本会議の事務局長である尾上浩二さんに講演して頂きました。

 当日のスケジュールは2部構成で行われ、1部では尾上さんによる「グランドデザイン −どうなる障害者の地域生活?−」というタイトルで講演され、その講演を聴いた中での疑問や、直面している日頃の課題等を2部で、講座に参加頂いた方々からの質問として、直接尾上さんが答えるといった形式の質疑応答コーナーを設けました。


 講演では、閣議決定済みで、国会審議待ちである「障害者自立支援法(案)」の概略と国の基本方針を説明して頂き、実際に支援法が施行された場合の私たち障害当事者や家族の状況を述べて頂きました。
 尾上さんは最初にこれまでの経過を話されました。昨年の10月に「今後の障害者保健福祉施策の方向(改革のグランドデザイン案)」が突然出されて、3ヶ月余りの議論で国会に上程されたものが、「障害者自立支援法案」になったようです。

終始厳しい表情を崩さず、熱心に講演されていた、講師の尾上さん


 障害者自立支援法案の概要については、三つの基本視点があるとして、障害保健福祉の総合化、自立支援システムへの展開、給付の重点化や公平化を打ち出しています。一見概要だけをみれば良い法案であると思われるのですが、尾上さんは、この法案をじっくり理解していくと「障害者に対して、自分のできないことも自分でやりなさいという意味での制度」だと述べられていました。
 この障害者自立支援法案に対して全国の障害当事者団体が決起し反対の意を込めて集会(大行動)を行い、10月の大行動では台風直撃で悪天候にも関わらず、2000人が集まって行動を起こし、12月にも900人が集まり、厚労省や国会議員に対して訴えていた模様なども尾上さんは話されていました。

 そしてその訴えが次の7つの要望項目となります。

1.私たち抜きに、私たちの生活に関することを決めないでほしい! 
2.当事者の要望・自己決定を尊重したサービス決定を守ってほしい! 
3.障害者の地域生活・社会参加の基本的サービスとしての移動介護を!
ガイドヘルプを引き続きこれからも充実させるべきである。 
4.実態と施策の整合性をもった負担の仕組みにし、必要なサービスを得られること!
重度の障害があっても、必要なサービスを得られるような負担の仕組みにすべきである。 
5.障害者の地域生活・自立生活を重視したサービスのあり方の検討を!
グループホームを、今後3年の間で重度と中軽度の障害によって降り分ける案も出てきているようなので。 
6.「谷間の障害者」問題を解決する総合的な見直しを!
今の障害者手帳の程度区分外である、自閉症、てんかん、難病等の方々のサービスもいっしょにするような見直しをしてほしい。
7.必要な事業費には全額国庫補助を、地域生活基盤整備の財源確保を!
8.公聴会で私たちとの十分な話し合いの設定を!
というような要望項目を今もなお訴え続けています。

参加者の方々も、硬い表情は崩れませんでした。


 また尾上さんは、グランドデザイン以後、「ノーマライゼーション・自己選択・自己決定」という言葉がまったく使われなくなったことを、強い口調で語られていました。今までノーマライゼーション理念に基づいた自己決定の仕組みが、障害者個人の努力だけを求める時代に逆行し、ノーマライゼーションや自己決定の考え方は崩されようとしています。
 最後に尾上さんは、私たちにできることは何ですかという質問に対し、「今後地元選出の議員を伺い、今のこの自立支援法案における課題を伝えていくことこそが、一番大事」だと述べておられました。その他にも、地域からの意見の大切さや、たくさん知らないことがあるという意見や感想がありました。
 
 私たちにとって、地域生活が危ぶまれようとしています。今後私たち一人ひとりが障害者施策を含めて国の方向性を真剣に見守る必要があると思いますので、協力し合って障害者の地域生活を守っていきましょう。   

(文責:上田)

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5. ガイドヘルパー養成講座修了

事務局

 2月12日、19日、26日の3日間にわたり、「CIL豊中ガイドヘルパー養成講座(全身性課程)」が行われました。
 総勢20名の受講生が参加され、年齢層に多少ばらつきがあったにもかかわらず、和気あいあいとした雰囲気で行われました。
 今回は、ホームヘルパー3級養成講座も同時に開講しており、介護の経験がないという方も多く、障害当事者の講師の方やスタッフに対しても積極的に質問され、理解を深めるいい機会となったようです。
 3日目の交通機関利用等の介助演習では、川西能勢口へ出かけ、車いすでのショッピングやレストランでの食事、また公共施設の身障者用トイレの見学など実際の外出を想定した演習を行いました。
 3日間という短い期間ではありましたが、内容の濃い講座となり、修了生の今後の活躍が期待されます。
 ちなみにホームヘルパー3級課程は3月19日に修了します。

実習風景。和気あいあいと進んでいました。講師の方も、ユーモアたっぷりに教えていました。

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6. 学生無年金障害者の活動からPart.10
  〜 結 審 〜

事務局

はじめに

 この広報誌のVol.3(2002年11月発行)から始まった、『学生無年金障害者の活動から』の記事連載も、いよいよ10回目となりました。
 今回は、3月18日(金)に行われた結審の報告です。18回目の裁判となったこの日は、出席していた11人の原告から、結審を迎えるにあたっての最終陳述がなされました。陳述の中で各原告は、これまでの裁判を振り返っての感想や、被告(国側)の態度に対する今の心境を語り、また裁判長に対しても、どの点を重視してどういう判決を出して欲しいという、最後の訴えを行いました。本当は11人全員の陳述別に詳しく述べていきたいのですが、紙数の都合もあり、各陳述の内容をまとめた上、お伝えし、弁護団のコメントも紹介したいと思います。


『人生的終身ペナルティー、無年金』

 原告は、みんな20歳を過ぎた学生の頃に障害を負い、以来数十年にわたる、長い無年金生活を強いられてきました。この間、特に精神障害者の中では、絶望のあまり自ら命を絶った人も多くいます。障害者は就労しても、決して健常者と全く同じように仕事をすることはできません。そのため、収入を得るための就労を果たすのも困難を極めます。また、障害ゆえの出費というのも半端ではなく、これまで親や家族には多大な負担を与えてきたし、経済的に行き詰って『死』を考えたこともありました。原告ももう、30歳代後半〜60歳代となりました。ということは、その親たちというのは、さらに高齢になったということです。既に亡くなっている親も何人かおり、生きている親も80歳以上がほとんどで、我が子の世話をすることは不可能になりつつあります。年金がもらえないばっかりに、普通の人間らしい、有意義な暮らしができず、同年代の働いている人に対して「妬ましい」という感情を持ってしまったり、たまたま19歳以下で障害者になって年金をもらっている人を見て、矛盾を感じたりしました。障害者が地域で自立した生活を送るためには、年金という所得保障が絶対に不可欠で、先の広島判決同様、ただちに不支給処分を取り消してほしいと思います。一体いつまで無年金という、“ペナルティー”を背負わなければならないのか?このような状況は、原告の代で終わりにしてほしいです。

『特別障害給付金への思い』

 本年4月1日より、『特別障害給付金』が支給されます。これは、全く何の救済措置もなかった時代のことを思えば、本当に暗闇に一筋の光が差したという思いで、嬉しく思っています。ただ、この給付金制度には、以下のような問題点があります。
 一つは、この制度はあくまでも、年金制度とは別枠で設けられた、『福祉的救済措置』であり、原告が求めている、『年金制度枠での不支給処分取り消し』にはなっていないということです。
 二つ目に、支給される額が障害基礎年金と比較して低いということです。支給額は月額最大で5万円ですが、障害基礎年金の場合は、支給額が低い障害2級の人でも、月あたり約66、200円が支給されます。また、無年金だった期間に、もし年金を受けていた場合の合計金額が全て保障されるというわけでもありません。
 三つ目に、この制度は福祉的措置でありながら、一方で障害基礎年金にも準じた性格をもっているのです。すなわち、老齢年金や遺族年金などを受けている場合は、その受給金額分は差し引かれ、トータルで最大5万円となるように支給される仕組みになっています。例えば、老齢年金を月額4万円支給される場合は、給付金は1万円のみの支給となります。老齢年金が5万円を越える場合は、給付金の支給は自動停止されるのです。ちなみに老齢年金というのは、『受給者は健常者の高齢者である』という前提で支給されるので、障害ゆえの出費がかさむ“障害高齢者”にとっては、生活を支えるに足るものではありません。これまでの年金不支給に対する救済措置として給付金制度ができたことを思うと、ほかの年金の金額分が差し引かれるというのは、はなはだ納得しかねる話だと言えます。
 この特別障害給付金制度は、救済措置を求める長い運動と裁判が後押しした結果として生まれたもので、無年金の会の事務局には、関係者の方から感謝の声も多く寄せられています。原告の運動がなかったら、この制度すらも存在はしなかったことでしょう。しかしこれで解決したことになるとは、決して思っておりません。

『国側(被告)の態度に思う』

 今回の無年金裁判の中で原告がもっとも失望したことは、被告である国側の態度です。長い裁判の中で原告は、「国側のこの問題に対する考えを聞きたい。何が(誰が)悪いと思っていて、訴えの内容に対してどのように感じていているのか?そして国民皆年金を謳っていながら、現に無年金障害者が存在するという実態をどう受け止め、どう解決しようとしているのか?それをはっきり、生の言葉で聞きたい。」と思っていました。しかし、国の態度は終始一貫して、裁判開始前に提出した事前書面を指して、「ここに書かれてあるとおりです」というのみで、裁判官が直接の発言の機会を与えても、弁論・反論することは一切ありませんでした。原告が、裁判官に気持ちをより訴えるため、そしてたくさん来ている傍聴者により分かりやすく伝えるため、30分の時間をもらって、口頭で、事前提出書面の内容を読み上げていたのとは、およそ対照的でした。これには強い失望を感じるしかないですが、その一方で、実は国(厚生労働省)の内部には、建前とは別に、上から下まで、原告の訴えに同感している人も多数存在していました。古い話になりますが、約20年前に原告の一人が、旧厚生省の、当時の年金局長と懇談したことがありました。そのとき、局長は次のようなアドバイスをしてきたのです。
 「私も学生時代は年金未加入だった。無年金障害者の問題意識も持っている。しかし省として自発的に問題解決に動くということは、反対勢力のほうが強いので不可能だ。唯一の希望は三権分立の司法の場に訴えて、裁判で勝つことであろう。」
 1989年に、『無年金障害者の会』が結成されましたが、その何十年も前から、この問題に対する国の役割について常に問い続けてきました。94年になってようやく、「無年金障害者の所得保障について検討する」という付帯決議が出されるも、その後一向に救済への動きは進みませんでした。裁定請求(決められた様式で、年金の請求をする手続きのこと)も棄却され、もう裁判に訴えるしか手段がないという思いに至って、訴訟に踏み切ったという経緯があります。
 さらに、上記の談話で局長自身も認めていましたが、国会議員の中にも、学生時代は任意加入制度に入っていなかったという人が多数存在しているのです。それなのに、この裁判の中で国は原告に対して、「任意加入をしていなかった方が悪い」という態度を取り続けました。このように、きわめて不誠実な態度で、真剣に取り組もうとしないのは、結局被告自身がこの訴訟に負い目を感じ、内心不条理を認めているからに他ならないのではないでしょうか。

『裁判官さんへ』

 年金制度の谷間に置き去りにされている、原告のような“被害者”が出ない制度に改められるよう、真摯で公正な判断をお願いします。真に国民が納得のいく年金制度が今後確立されるか否かが、この判決にかかっていると言っても過言ではありません。裁判官の判断が、国を変える大きな力にもなるのです。社会的弱者に思いを馳せ、三権分立の司法としての責務を果たし、正義のある断を下すようお願い致します。

『これからへ向けての思い』

 現在国会においても、与野党それぞれが、社会保障制度全体の見直し・改定が必要であると認識しています。セーフティーネットとしての社会保障制度の根幹には、人が障害を負うなどの困難に直面したときは、誰もが漏れることなく、必要最低限の支援が行われる社会的な仕組みが必要です。無年金障害者が存在するということ自体、日本の社会福祉の水準がいかに低いかということを、世界に示しているようなものです。障害者に年金が必要であることは、誰もが理解できるのではないでしょうか?

『弁護団のコメント』

 今回の裁判のポイントは、1959年に最初に年金法が制定された時点で、20歳以上の学生を強制加入から除外することに対する客観的な根拠が、実際に存在していたのかどうかということです。裁判の中で国側が示してきた見解というのは、実際に年金法が施行されて以降に付けられた根拠、つまり後付けの根拠なのですね。先に根拠も固まらないまま何かを決めて、それに対して後から「こういう根拠で決めたってことにしましょう」と話をまとめたということです。しかし後付けではなく、立法当時、つまり実際に法を作っていたときに客観的根拠が存在していたかを確認することが、必要だったのです。結論は、存在していませんでした。もとよりきちんとした議論が行われた形跡もありません。国側は後付けの根拠を、さも最初からの根拠であるかのように、原告に対して言っていたことになります。判決の際には、この『後付け』の根拠に惑わされないことが先ず大切です。そして、今回始まった特別障害給付金制度についてですが、これは『特別枠』で救済するわけですから、原告を『特別扱い』することを意味します。しかしこういう『特別』扱いというのは、実は差別的な扱いと言えます。では何故差別的な扱いをするのか?それは、対象がマイノリティーだからです。そもそも法の不備が、『20歳以上の学生』というマイノリティーを生み出したのであって、これが一番の問題なのです。その後、実際に法が改正された(1989年に)のが何故なのか?その理由を考えるべきです。


おわりに

 この裁判の後、東京高裁において不当な敗訴の判決が出されました。原告の方々のショックや無念さも、いかばかりかと存じます。大阪の判決では是が非でも勝利をものにできるよう、そして国が上告しないよう、切に望みたいと思います。

(文責:根箭)

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7. ぼくの日曜日

海帰優人

「歩く」

 高田渡が逝った。彼は、僕の人生の枝ぶりを大きく拡げてくれた人のひとりだった。

 70年安保前後、多くの人が政治に関心を持ち、それぞれの理想を抱いていたころ、大正時代の演歌師、添田唖蝉坊の、社会や権力者たちを風刺した流行歌や、気骨ある貧乏詩人、山之口獏の作品に、アメリカ民謡やオリジナルのメロディーをつけ、彼は唄い始める。彼を反戦的なフォーク歌手として一躍有名にしたのは、「自衛隊に入ろう」だけれど、少なくともぼくがライブに足を運んだここ十五年ぐらいの間、この歌に一度も出会わなかったし、一番彼らしくない「自衛隊に入ろう」を彼の代表曲のようにしてマスコミがとりあげているのを見るたびに、とても残念に思った。

 アイスクリームよ/あたしの恋人よ/アイスクリームよ/あたしの恋人/あんまり ながくほっておくと/お行儀がわるくなる

 前奏も含めて、三十秒あまりの「アイスクリーム」というこの歌がいちばん好きだ。機関誌のページを開くと、高田渡の歌声がきこえてくればいいのだが、そんな不可能なことを言ってみてもしかたがない。彼はとても簡素なメロディーにひとつひとつの言葉をのせる。そこには彼にしか作ることのできない「間合い」が存在する。
 いつも権力の反対側に腰をおろしていた。自分のファンを幻滅させたくないからといって、古い長屋に住みつづけた。酒が彼の寿命を短くさせたのかもしれないけれど、酒が彼の作品や歌声に、彼にしか醸し出すことのできない。深い味わいをもたらしたにちがいない。
「酔い」がきわまってろれつが回らなくなったり、眠りに入ってしまうこともあった。けれど高田渡の「居眠り」に出会うことはひとつの「幸運」のように思えたし、不愉快になる人は誰もいなかった。
 ぼくはそのとき、舞台にぶつかるほど「かぶりつき」にいた。どんな内容だったかは忘れたが、毒気のあるジョークにのけぞっていると、硬直のせいで、彼には「一生懸命」笑っているように見えたらしい。突然、彼はぼくに向かって、こう言った。「お客さん、そんなにいっしょうけんめい笑わなくてもいいのに」「救急車を呼ぼうか」まわりのお客さんが、どっと笑った。ぼくはうれしかった。ふつう、障害者を笑いのネタにするなどタブーのような、屈折した偏見が世の中にはあると思う。渡さんにはのけぞって笑う僕の姿はちょっとこっけいに映ったのかもしれないけど、「障害」のことなど、どうでもよかったにちがいない。それから、いよいよファンになってしまった。
 渡さんが京都や大阪に歌いに来ると、夜の会議があっても、都合のいいウソをついて、ライブに出かけたことも何度かあった。自分をちょっと正当化させたくて、「こんど行っとかないと、渡さんがあの世へ行ってしまったら後悔するもんな」などと、いつもつぶやいていた。ぼくにとっての最後のライブも夜の会議と重なっていたけれど、そのときは、正直にこっちが大切だと言って、京都へ飛んだ。
 楽屋と舞台を結ぶ通路にいたぼくを見つけて「また来たね」と言って、握手をしながら、ゆっくり渡さんは唄う「場所」へ歩いて行った。

大ファンだった高田渡の、在りし日の姿。
豊中市の服部緑地にライブに来たとき、
よく一緒に聞きに行く知り合いの人が撮りました。

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8. 「おおいに語ろう!」ピア対談 ー第6回ー

広報誌編集部

 ただいま季節は、春(でもこの広報誌が皆様の元に届くころには、季節は、春から初夏に装いを新たにしていることでしょう。)と、いうことで、今回のピア対談のテーマは、進学です。障害者の自由な進路決定は、まだまだむずかしいです。ご登場いただく方たちは、今、バリバリの現役大学生のひろっちぃ〜さんと、今春大学院を卒業された上田さんです。目標を持ってがんばっておられる若い方たちの話に、耳を傾けてください。
 
 
大学は、どこ?

ひろ: 「はじめまして、ひろっちぃ〜です。よろしくお願いします。」

上田: 「はじめまして、上田です。今ここCILで、働かせていただいています。よろしくお願いします。」

司会: 「おふた方ともお若い方なんで、夢がいっぱいですね。」

上田: 「夢ですか〜。普通に生活することが夢かなって自分は思います。自分の自立の概念が古いのかも知れませんが、自分で稼いで、自分で家賃払って、自分で何でもして。ADLの自立が、今の自分の夢なんでしょうかね。」

司会: 「普通に生きることは、私たちにはすっごい難しいことですよね。」

ひろ: 「今、大学で福祉の勉強をしているんで、将来は福祉の仕事に就きたいです。今、大学二年生。一応、大学が上限が10年だけど7年か8年ぐらいで卒業できたらいいかなって。」

上田: 「大学は、佐賀県にある西九州大学で自分も社会福祉を4年間学んだつもりだったんですけど。今、考えるとつもりだったんで・・・、これじゃーあかんなと思ってて、大学を卒業しても仕事もなくていろんな厳しさを知って2年経って、岡山の吉備国際大学院でまた2年間福祉を学んで、この3月に卒業しました。」

ひろ: 「私の大学は、NHKの放送大学というところで、私の通っているところは天王寺にあるんですけど、そこの大学はスカイパーフェクトTVで講義を送ってきて、テレビを見ながら勉強するんで、だから学校自体に行くというのは、スクーリングの時と、テストの時しかなく、学校に行く回数が少ないから、同じ学校に通っている人達とも会う時がなくて…。やっぱり普通の大学生の年齢というよりも、お年寄りとかの人がいっぱい通ってるんで、友達になって遊んだりはあんまりない。」

司会: 「放送大学って、例えば今の私でも入れるんですよね?」

ひろ: 「えっと、たとえば・・・一応福祉だったり色々と選択することができて、全部の科目を勉強する全科履修生(高校を卒業した人)と、自分の勉強したい科目を一個か二個だけ勉強する科目生というのがあって、高校卒業していなくても自分がやりたかったら、資格みたいなのを取るのだったかな?。放送大学に入るのは、ほんとに勉強したいという意思があったら、だれでも入れる。」


学校や福祉を選ばれたきっかけは?

上田: 「今思えば、障害者だから福祉に行ったというのは否定はできないと思う。自分高校3年生の時とか、まだ先のこととかはまだ全然考えてなかったんですね。いろいろ思いがあったような気もするけど、ただ自分が大学で福祉を勉強したいなって思った理由は一つだけあるんですよね。
 高校3年の時に、たまたま兵庫県の障害者を対象にした公務員試験があって受けにいったんですよ。そこでなんか試験を待ってる時間が長くて、いきなり『おたくはどこの養護学校なの?』って聞かれて、それが自分自身にとってかなり腹ただしいことだったんですよ。やっぱり障害者=養護学校というイメージを持っているから、そういう聞き方をしたんやと思うんです。養護学校が良いとか悪いとかじゃないけど、自分はその時、公立の普通校に通ってて、反抗期もあったりして・・・この考えを変えるには、どうしていけばいいのかなっていうことを考えてみて、やっぱり大学に行って自分のことを知ってもらうことから始まるのかなって思い、大学を目指しました。まー、そんな感じです。」

ひろ: 「私はとりあえず、高校を出ても勉強を続けたかったんですけど、私自身あんまり体調管理とかがうまくできないし、暑いのも寒いのもダメなんで、普通の大学っていうたら通信制でも週一回とか行かないといけないとか、夏休みとか冬休みに面接授業を受けるために、遠かったら泊り込みでも通わなければいけないというのもあったし、やっぱりそのころ大学の勉強とテストの勉強と両方を続けていくことは難しいかなと思ったんで、私の選んだ大学だったら、テレビで講義を送ってきてくれるんでビデオに撮ったりして、自分の好きな時、時間のある時にできるし、自分の卒業するまでの目安が10年間で期間もあるから、自分のペースで勉強できるかなっていうのがあったんで今の学校を選びました。」

上田: 「僕はまじめな気持ちもあったと思うけど、自分も二十歳ぐらいでしたからね〜、大学に入学という時それはみんなと一緒の思いで、半分はやっぱりいろんな人との出会いを求めていたんちゃうの?・・・と言われたら否定できません。」

ひろ: 「私は、予想はしていたけど、やっぱり実際行ってみないと、同年代の人が実際どれだけいるか分からないし、学校の雰囲気とかわかんないから、ちょっとは期待していたけど、あんまり人との出会いは、期待してなかった。」


入試、テスト、ノートテーク、そして、学生生活・・・。 

上田: 「僕は高校を卒業して、2年浪人をして入ったんですよ。一年目は、昼間は職業訓練校に行きつつ、夜間は予備校に通ってたんですけど、どっちつかずになりまして、2年目は一本に絞ってやったんですけど。それでもやっぱり高校までは、今思うたら頭をなでられながらだったから、なでられてきた分だけ、勉強もここまででいいからって感じで。そういう教育を受けてきたから、どうしても勉強の力も学力的に劣ってしまう。それで、一般入試は全部落ちてしまいましてね。ボランティア入試(ボランティアを何日間か何週間かわすれたけど、して、それが試験にはいりまして、小論文で採点)というので、最後の最後でようやく合格をもらったところが九州なんですよ。
 現役含めて、三年間で結構な数の大学を受けたんですよ。中には、時間延長とか拡大コピーをこっちがお願いすると、やっぱり試験会場は別に・・・とか、時間延長は無理です・・・といった福祉系の大学もありました。
 授業中のノートは、書くことはできるんですが、でもやっぱり、二つ言わなければいけないことが・・・。 一つは、本当に早くて書けないという理由もあれば、やっぱり怠け心で書かなかった。半々ぐらいですかね?でも確かに大学って、多い人はびっくりするくらい書く人もいる。そんな先生の授業は友達に後からみせてもらったり、コピーしてもらったりしてた。」

ひろ: 「私の放送大学は勉強したい意志があれば誰でも入れるので、入試はなかったんですけど、その代わり普通の大学と違って、出席日数とかテストができなかったら、はいレポート書いてがなくて、テストの結果とスクーリングなので、だからレポートを書いて点数をもらえるというのがないので、テストでいい点を取れないといけないので大変。テストはたまに論文みたいに自分の考えを書くというのがあるんだけど、ほとんどがマークシート方式なんで、私は自分で書けるんだけども、自分で書いたらはみ出したりするから、マークシートははみ出たら機械が読み取ってもらえないんで、書くのはお母さんに手伝ってもらっているんで、困っていることはないかな。それと、試験の時間を延長してもらっているから 科目を選ぶ時に試験の日程や時間の事を考えて選ばなきゃいけないのが大変です。」

上田: 「今まで学生生活の中で一番楽しかったことは当時付き合っていた彼女と一日中まったりと海を眺めていた時。」

 
周りの応援があったらばこそ

だんだん熱く語り出すお二人

ひろ: 「私は、高校の時の先生に、最初は市役所かなんかでお母さんが大学の生徒募集のパンフレットをもらってきたらしくて、養護学校の先生に、こういうとこに行かせたいって言ったら、私は養護学校やったんで先生が、大学にいきたいんやったらって、普通の通信制のパンフレットを色々とくれたりして、自分もやっぱり普通の通信制の大学やったら通うのも大変やったりするから、お母さんと話し合って今の大学に行くことになりました。養護学校だったので勉強してない科目は、いっぱいあって大学入っての勉強は大変やろなって思ってたら、やっぱり大変やったんですけど、それは大学入ってからいっぱい勉強しました。」

上田: 「僕も、普通校には通ってたんですが、進学校とはかけ離れた学校やったから、そこから大学に行くことはその当時大変なことだったように思います。自分も論文の指導はたまたま担任が国語の先生やったから、論文の指導はしてもらえた。」


後輩に伝えたいこと!

上田: 「これから先、もっと障害者にとって、しんどい時代が訪れると思うので、知識をつけて国を動かしていくような人になっていって欲しいです。」

ひろ: 「今から大学に行って勉強したいと思ってる人がいたら、通信制で行くというやり方もあるので、がんばって勉強してください。」


ありがとうございました。障害者に限らず、だれでも本当に勉強がしたいという気持ちさえあれば、どんな方法でもあるんですよね。私もいい勉強させていただきました。                          

(文責:塚原)

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9. メイちゃんのつぶやき

メイちゃん

 ゴールデンウィークも過ぎて、季節が良くて、動きやすくなってきましたね。
でも今年は、スギや檜の花粉がよく飛び、くしゃみの大合唱が聴かれたり、街を歩いている人たちは、顔半分以上のマスクをして、ゴーグルをつけて大変だったようです。うちの家の「トドロ」も目がかゆかったり、鼻水をぐずぐずと言わしていると思えば、家の屋根が飛びそうな大きなくしゃみをしていました。
 「トドロ」の癖は、くしゃみをした後に必ず「くそ!」をつけるのです。例えば「へくしょん。くそ!」というような感じです。
読者の方やお友だちにもそんな人が、いませんか?一度、くしゃみコンテストをしてもおもしろいかもしれません。その時の審査委員長は、ぜひとも「トキ理事長」にしてもらいましょう。ちなみに「トキ理事長」のくしゃみは、「ひっくしゅん」で大変かわいいくしゃみです。


街の人気者・・・。

 1月のことでした。「トドロ」は、住んでる地域の小学校にまねかれ、5年生の人に話をしに行きました。その時には、「トドロ」だけではなく、「かじ丼」も一緒に行き、車いすでの生活やバリアフリーの事、子ども達が障害者に対して、どんな事ができるのかなどを話しました。
 5年生の皆さんからも質問があり、例をあげれば、「どんな家で暮らしているの?」「お風呂はどうやって入っているの?」「車いすで街を歩いているときにどんなことが困るの?」そして「トドロさんは、どんな仕事をして、他の障害者の人にどんな事をしてあげているの?」 など鋭い質問がありました。それを丁寧に「トドロ」と「かじ丼」は、答えていて、学校を出て、帰っていく時にそれを聞いていた子ども達から声をかけられたそうです。
 今でも、「トドロ」が街を歩いているときに可愛い小学生からこえをかけられて、街の人気者になったような勘違いをしているようです。


桜咲く かわいい挨拶かわしながら 暖かい風 ここちいいなあ〜〜


また趣味(道楽)が増えました。

 人には、趣味を持ってる人が多くいます。
 例えば、「やっさん」は、商店街歩き、「ネヤロー」は、相撲、「ドライバー」は、ビリヤード(ほんまかいな?)とあるものです。
 我が家の「トドロ」も趣味がたくさんあり、料理やお酒(カクテル)を作って友だちに食べさせたり、飲ませたりすること、また、鉄道時刻表を見て旅行した気分になったりしています。
 最近では、プラモデル作りが、再発したのです。
 昨年の暮れに我が家に来ているヘルパーさんが、「梅田のキディーランドで街の道路で走っている自動車のラジコンプラモデルが、あったよ、それもマイライフとよなか号と同じハイエースもあったよ。」と言った瞬間に「トドロ」に火をつけてしまったのです。
 「トドロ」は、もうそれが欲しくなり、いてもたってもいられなくなったのです。
 時間をみつけて、梅田に行き、やっとの思いで1台、買ってきました。車種は、ホンダのオデッセイというもので、高速用モーターが付いて、ナンバープレートも作ることができて、値段は、なんと1500円だったそうです。
 買ってきたその日のヘルパーさんが、「ちょんまげさん」と言い、その人もプラモデルを作ることが、大好きであっという間に作り上げてしまいました。でき上がったものを携帯電話のカメラで撮り、待ち受け画面にしたそうです。
 それからこの家には、ラジコンカーが増え、今では、3台になっています。「トドロ」は、時間があれば、ラジコンカーを家の中で走らせてニタニタほほえんでいます。その光景をみて、「ピドレッド」は、あきれた顔をして、あきらめている様子です。このラジコンカー病は、いろんな人に伝染し、一緒に働いている「ふるぴー」も1台買ったし、我が家の近くに住んでいる「ごめんな」も1台買ったそうです。


ラジコンカー 桜の絨毯 滑走する


 プロ野球が始まり、今年は、開幕から阪神は、好調ですね。そのかわり巨人は、不調が続いているようです。2年前のように、強さがいつまでも続き、今年こそセリーグはおろか日本一になって、「トドロ家」でビールかけが、したいものです。この夢みたいなことが、いつまでもつづきますように阪神ファンの皆さんシュプレヒコールをあげて頑張りましょう。

メイちゃんとラジコンカー

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10. 地域の作業所の活動を紹介します ー第7回ー
    ーただいま和太鼓に生きています!!ー

広報誌編集部

 3月上旬、冬の寒さの中にも、春の日差しを感じながら、あさひ会作業所におじゃまさせていただきました。玄関を入る時頭の古い私は、公共施設の中にあるのかと言うような感じがありましたが、ちがうんですよね、その明るいきれいな3階建ての建物自体があさひ会さんだったのです。
 

心に響きました〜

 今回は、和太鼓のあさひ会さんです。そうなんです、和太鼓です。先日豊中市社会福祉協議会主催の「ボランティアフェスティバル」の催しに和太鼓を叩かれるとお聞きしたので、行ってきました。実に楽しそうに、生き生きとして叩かれていて、聞いている私までもがいっしょに躍って叩きたくなるような、「心が躍る」そんな太鼓でした。隣でいっしょに聞いていた小学生の娘は聞き終わって、一言「アー、心に響いたわ」とつぶやいていました。
 


和太鼓「これはいけるな」と感じて

 施設長の登さんにお話を伺いました。もと学校の音楽の先生で、まとめ役にふさわしい素敵な方と個人的に思ってしまいましたが、ここに来て7年目との事。
 あさひ会作業所は15,6年前からやっていて、現在知的障害者のメンバー20名、スタッフ7名が働いています。最初は内職からの出発で、やはりしんどい部分もあり、メンバーの持っているもの、健全者にはないような感性を引っ張りだしたいという思いがあり、袋折りなどの内職と合わせて染め物(のり染め)、レザークラフト、習字、絵描きなどもしています。そんな中で、和太鼓を最初に出すと、メンバーが殺到してきて、反応がすごくあって、「これはいけるな」と感じました。
 もちろんほかの所でもやっているようなのですが、ここの太鼓は、明るく元気に、自由でのびのびしていたいという願いを込めています。メンバーがどんなふうに出てきても受け止められるスタッフになりたい。もちろんスタッフが恥かしがったり沈んじゃうと、メンバーも沈むから、その点に気をつけていますね。と、登さん。メンバーのリズムを重視し、アレンジしていくという方法でやっています。


「ひまわり」で練習します

 練習は、月に一回は必ず障害者福祉センター「ひまわり」の体育室で、メンバーとスタッフでやっています。それと公演前のリハーサルと、スタッフだけの練習もします。この場所にきて一年になり、この建物の前の空き地では練習したいのですが、まだできません。何かイベントがあり、オープニングでたたきたいなーという夢を持っています。


いろいろなところに出ています

 宣伝活動は、特にしていないのですが、いろいろな催し物(なみはや国体、ビッグアイ、梅花高校の文化祭など)に公演しているうちに有名になってきています。また豊中市内でも、障害者フェスタ、岡町商店街、ボランティアフェスティバル、千里のヒューマンカーニバル(11月3日)、さんさんGOGOまつりなど、どんどん出ています。いろいろなところに出るからには演目も、少しずつ変えています。登さんがもと学校の先生ということもあり、そのつながりで、以前は小学校によく呼んでもらっていたのですが、だんだん知ってる先生が定年退職でやめられていて、最近は少なくなってしまっています。子どもたちにも大うけですよ。
 お金の事を言えば、一回公演すると、1万〜3万もの収入になるのですが、太鼓は一台40〜50万円、皮の張り替えにも1枚7万円かかります。バチは千里ライオンズクラブから本物バチをいただく前までは百円均一のコーナーで買った麺棒で叩いていたし、上に着ていたはっぴは、メンバーの親御さんたちからのプレゼントですが、すそは、ここで染めました。

作業所内での内職のようす



夢は、太鼓もって、キャンプして、全国を回りたいな

 糸をかし作業所のちんどんともタイアップして、夏祭りなどしてみたいと思います。公開稽古をとかも言われているけど、なかなかできないのが現状で、これからの課題は、ほかの知的障害者との交流と地域の人との交流と理解でしょう。と、いうことでした。
お忙しいところ、ありがとうございました。


 読者の皆様も全身全霊で叩く太鼓、ほかとちょっぴり違う感動を呼ぶ太鼓、そして素直に生きている太鼓の音を、お聞きになりませんか?きっと、あとからもう一度聞きたくなりますよ。

(文責:塚原)

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11. 遠くなくても行きたい

西九条舞

その31 宇治平等院

 ある日のこと、久しぶりに宇治に行きたいと思いました。理由は自分でもよく分かりませんが、のんびりと休日を過ごしたくて宇治を選んだことだけは確かです。
 そこで今回は私が行った宇治を案内したいと思います。


A 阪急沿線の方


1 河原町経由

 阪急沿線の方は河原町まで行くルートがいいと思います。
宝塚線で十三まで行き、京都線に乗り換えます。十三から特急に乗って終点である、河原町に行きます。
 河原町駅では一番後ろの車両の前のドアにエスカルがあるのでここにいたほうがいいでしょう。
 エスカルで改札階まで上がると改札を出て駅のサービスセンターを越えたところに7番出口があります。そこからスロープを上って高島屋(西館)の入口を入りエレベーターで1階に上がります。
 1階に上がるとすぐに出口があるので店外へ出ると目の前は四条通りです。それを右に曲がってください。
 高島屋の建物を右に見る形になっていると思います。四条河原町交差点を越え、阪急百貨店を越え、四条大橋を渡ります。四条大橋交差点で南座側に渡ると南座の向かいに京阪四条駅のエレベーターがありますので四条通りを渡ります。エレベーターで地階に下りると京阪四条駅です。
 四条駅で淀屋橋行きの特急に乗り、中書島で降ります。
 ここで後ろから3両目の後ろのドアにいると乗換駅となる中書島で宇治行きの先頭車両の前のドア付近に乗り込め、宇治駅では1番前に出口があるのでお勧めです。
 宇治駅の改札を出ると左手にエレベーターがあるので地下に下り、そのまま通路を通ると左端の突き当たりにエレベーターがあり、それで地上に上がります。
 宇治駅前(写真a)のロータリーの近くに宇治橋(写真b)があります。その橋を渡るのですが、先に橋の上流側の歩道(つまり、道路を渡る)にいたほうがいいでしょう。

写真a:京阪宇治駅。宇治橋の近くに駅があります。 写真b:宇治橋(東詰)。写真左側の歩道が上流側です。



 宇治橋を渡り、宇治橋西詰交差点を左折し、鳥居の左の道(写真c)を通って平等院表参道(写真d)を通り、平等院に行きます。

写真c:宇治橋西詰付近にある鳥居。
この鳥居の左側を通ってください。
写真d:平等院表参道。
この通りにお茶屋さんが多く、迷ってしまいます。


2 京都経由

 梅田からJRに乗って京都駅まで行き、奈良線の電車に乗って宇治まで行きます。
 宇治駅では4両編成で4枚扉の場合、前から2両目の前から3番目のドアにいるとエレベーターが近くにあり、便利です。(3枚扉の場合は真ん中のドアで、6両編成の場合は前から3両目になります。)
 JR宇治駅(写真e)で降りると目の前に宇治橋通り商店街入口(写真f)がありますがこの商店街の中は車の抜け道になっているので個人的にはお勧めしません。(と言ってもこちらのほうが商店が多いので楽しいですが) JR宇治駅前の信号を渡ってすぐ左に曲がってください。宇治橋に向かって右側の歩道を歩くことになります。宇治橋までの歩道はこちら側のほうが歩きやすいためです。
 宇治橋西詰交差点を右折し、鳥居の左の道(写真c)を通って平等院表参道(写真d)を通り、平等院に行きます。

写真e:JR宇治駅。この駅もエレベーターができました。 写真f:宇治橋通り商店街入口。ここを左に曲がってください。



B 北急沿線の方

1 淀屋橋経由

 御堂筋線で淀屋橋まで行きます。淀屋橋から京阪電車に乗ります。淀屋橋駅は改札階からホーム階までエレベーターができたので地下鉄から京阪電車の乗り換えはエレベーターで行けるようになりました。
 特急に乗り、中書島で降ります。
 ここで注意をしていただきたいのは本来、中書島駅では前から6両目の後ろの扉が乗り換えするエレベーターに近く、車いすスペースがある(ことが多い)のですが、ホームの幅が狭いので2ドアなら前の扉に、3ドアなら真ん中のドアにいるのがベストでしょう。
 跨線橋を渡り、宇治行きのホームに着くと先頭車両の1番前に乗ってください。宇治駅で出口に近いのでお勧めです。
 京阪宇治駅からは先述の通りです。

2 京都経由

 こちらも梅田からは先述の通りです。


C モノレール沿線の方


 モノレール沿線の方は蛍池か南茨木で阪急に乗り換えるルート、千里中央から北急に乗り換えるルートがありますが、門真市から京阪に乗るルートが乗り換え距離が短いと思います。
 門真市で京阪に乗り換えますが、萱島行きの普通に乗り、萱島で準急に乗り、枚方市で特急に乗り換えて中書島で宇治行きの電車に乗り換えることになります。萱島・枚方市駅では同じホームの反対側の乗り換えになりますがわずらわしいのが欠点かもしれません。
 京阪宇治駅からは先述の通りです。

 平等院に入ると砂利道になるので自分で手動の車いすを扱う方は辛いかもしれませんが、キャスターが埋まって動けないと言う状態ではありません。
 現在、鳳凰堂(写真g)は本尊阿弥陀如来坐像修理のため、内部拝観は停止しています。(もちろん、外からは見れます。)
 しかし、鳳凰堂内部は段差だらけなので、本尊阿弥陀如来坐像以外は現在、同じ敷地にあります、平等院ミュージアム鳳翔館で見ることができます。こちらのミュージアムは段差なしで見学できるため、車いすの方の場合、修理期間中である今のほうが展示品を見れるのかもしれません。
 さて、宇治と言えばお茶の産地です。平等院表参道(写真d)にはお茶屋さんが多くあります。
 私はあるお店で抹茶(写真h)をいただき、宇治の街を堪能してきました。
 これを書いている間にまた宇治に行きたくなりました。

写真g:平等院鳳凰堂。10円硬貨を手にしてみてください。 写真h:あるお店でいただいた抹茶と団子。
団子の上にかかっているのは砂糖入りの抹茶です。


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12. カジ論!? part1

カジ

 よくテレビや、本の物語などで、“人の人生何処でどうなるか分からない”と言うフレーズを耳することがある。 
僕はこの言葉の意味を身をもって実感させられる出来事が去年の暮れに起きた。
 僕は、電動車いすを利用して生活を送っていて街へ出かけたり、人と話をする事が大好きで落ち着きがなく、犬が恐いというあかんたれながらも、好奇心旺盛な二十一歳の男である。

 さて、自己紹介はこれくらいにして、本題の身をもって実感させられた話をしよう。
 この日僕は、休日を利用し、大阪市内の他団体の先輩の所へ会いに行かしてもらっていた。出来事は、その帰り道、駅に向かっている最中に起きた。
 僕にとっては、地元の土地ではないこともあり、先輩がわざわざ最寄り駅まで送って行ってくれていて楽しく談笑しつつ向かっていると若い男性四人が僕達二人の事をからかいだし、進路を妨げようとしたので僕が、「そんな事したらあかんで」と、別に怒るわけでもなくごく普通に言った。
 すると、進路を開けてくれたので進み出していると今度は四人が、自転車に乗り、僕を追い越しざまに僕に対して、つばを吐き、爆竹を投げつけきたのだ。幸いにもつばは、ほっぺたにかけられたものの爆竹は膝にかすれる程度だった。
 とはいえ、僕は一瞬何が起きたのか理解できないでいると、先輩が猛スピードで四人を追いかけてくれた。(申し遅れたが先輩も電動車いすを利用していて先輩は、僕よりだいぶスピードの出る電動車いすに乗っている。)たまたま追いかけてる際に、運が良い事に警察官が通りかかり、四人はご用となった。 話を聞けば、四人は中学生との事で驚いた。
 状況説明や調書作成のため僕と先輩は警察署へ向かった。中学生四人組の男の子達もまさか警察沙汰になるとは思わなかったようで、車いすに乗っているから逃げ切れると思っていたようで、ある意味、互いにまさかの出来事だった。
 警察署では、四人の男の子ともそれぞれに話をした。その中で、先輩も僕もごく普通に、「当たり前の事だけど障害者も健常者も生きる権利があり、君達と同じように生活しているんだよ、立場の弱い人達などに優しくなれる人になってね。」と話をさせてもらい、その後それぞれの親御さんとも同じような内容の話をさせてもらい、中には泣きじゃくって詫びてくれる親御さんもいて何とも言えない気持ちになった。
 この日は結局、いろいろかかったため自宅へ帰った頃には、日付が変わっていた。
 僕はその晩、なかなか眠れずベットの中で、
『僕は、今日いつも通りに街へ出かけただけやのになー、大変な一日やったよなー、
人の人生何処でどうなるかわからないし、やっぱり僕は障害者なんだなー、明日から車いすに乗る事が恐いなー。』こんな事ばかり考えてしまっていた。

 一夜明け、男の子達の通っている中学校の先生から僕の元に連絡があり、謝罪したいとの事だった。しかし、もう済んだ事だし男の子達反省していたので、僕も返答に困っていてもなお、言ってこられるので僕が苦しまぎれに、
「そしたら一度僕がそちらの中学校にお伺いさせて頂いた上で、お話させて頂く
というのはどうですか?」
 僕は内心断られる事を期待していた。しかし、「是非お願いします。」僕のおもわくは外れてしまう形となり、一瞬焦ったけれど、これから僕が生きていくのに、良い経験になり、自分にプラスになることは間違いないと思い、不安な気持ちが強いながらも引き受ける事にした。怖さもあるけれど前向きにとらえ、話をどのように進めていくか、考える自分がいた。我ながら単純な男だなと感じるのと同時に、あのような出来事から話がふくらんでいき、いわゆる『講演』を僕がさせて頂くなんて、本当に人の人生どこでどうなるかわからない!と感じずにはいられない僕であった。
 学校の先生と打ち合わせる中で、僕らしく自然体でという事で、僕自身もなんせ中学生相手に話をする事が、今までに経験が無かったので迷いもあったが、中学生の先生の、“僕らしく自然体”でという話をしてくれて何だか楽になった。
 話のテーマは、シンプルに僕の希望で、【電動車いすで生活して街で生きる】にしてもらった。とにかく僕としては、これといった知識も無いけど、一生懸命伝えようとした。

 聞く所によると、今回講演させて頂いた中学校にも、障害をもった生徒さんがおられるのだが、毎授業他の生徒さんと同じ教室で受けるのではなく、一週間のほんの数時間だけ健常者と同じように教室で授業を受けているらしい。これは少し話がそれてしまうが、僕の生活している豊中市では、統合教育が進んでいるため考えられないし、僕も実際、小中学校全て全授業をクラスの中で過ごしてきた。この事は豊中市の誇れることだろうし、僕の場合、高校も「人とのつながり」を考え、普通高校への道を選択したのだが、自分としては、当たり前にしてきた事が、誇れる事だったり、周りの環境や人々に感謝しないといけない思いに改めて実感した。
 当日の講演でも、『僕もそうなんだけど毎日同じ事の繰り返しではその有り難みに気付きにくい。今回この中学校の出会いかたは残念だったかもしれないけど、話をさせて頂く事になり考える中で、ずるい気持ちやダメな気持ちになったりするけれど、基本的には明るく、優しく考えたりする事によって自分にも帰ってくる』という僕の持論を話しさせてもらった。
 他にも、僕は小学校五年生の時に、口ばかりだから自分でやれる事もしないから、“おまえは都合のよい障害者だからもう何も手伝わない”と友達から言われ、僕が泣いて謝った話。この事が今の僕となり、決して障害者だからしてもらって当たり前ではない事の話や、僕は人と話す事が大好きだし、街中に出て友達やいろんな人達と過ごす事も大好き。だからこそ、電動車いすに乗って生活することは、健常者の人よりも危険があり、不便が多いかもしれないけど、楽しく毎日を過ごしたり、日々生活していくこれらの事がごく当たり前であり、たとえ危険であってもそれをこえる楽しさがあるし、酔っぱらいに当て逃げされ転倒してしまい、救急車で病院に運ばれたこと等、あらいざらい話をさせて頂いた。
 そして講演の全体を通して、『僕は自分が好きです。これは変な意味じゃなく、自分が一番自分を応援してやる。またいろんな意味もあるし、どんな形であっても素直に思いを伝える事の大事さ』を伝えた。僕のまとまりのない話にも関わらず、静かに耳をかたむけてくれていて大きな拍手をくれた
 そして僕の初めての講演は終わった。まとまりが無く反省点もあったけれど、決して調子に乗るとかでは無いのだが、とても気持ちよくすがすがしく思えた。

 後に話を聞いてくれた中学校の生徒から、僕宛に感想文が届いたのだが、一番多かった感想が、「鍛治さんが言ってた障害である前に一人の人間であるという言葉が強く印象に残りました、当たり前の事ですよね」とか、「かっこ悪い所を話をしてくれた、自分の事を好きなことはすごいと思う、私には言えない」などである。
 僕はあらいざらい格好つけずに伝えてよかったと思うし、人一人一人にとっても当たり前の事はそれぞれ違うだろうし、僕はこんな事を述べておきながらたくさん気付けづにいるのだろう。
 そんな事を考えるとまさか去年の十二月の出来事から、いろんな事を学ばせてもらいこんな気持ちになるなんて、本当に“人の人生どこでどうなるかわからない”と実感すると同時にばかげた話とつっこまれるかもしれないけど、こんな自分と僕の周りの人達の事が好きになった。だって僕はいろんな人に力もらっているからである。

 これからも自分に正直に、涙したり、落ち込んだりしながら僕らしくやっていきたいと強く思う僕である。

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13. アンケート結果報告

広報誌編集部

 いつもCIL豊中通信をお読みいただきありがとうございます。
 Vol.10にて、読者アンケートを行いました。
 アンケートにお答え頂きありがとうございました。

 ご報告が遅くなりましたが、アンケートの結果と致しましては、回収率(6%)が少なく数値などにてご報告出来ない次第ですが、要望などお声が少ないということは、一応みなさまに読んで頂けているものだと思います。記事の人気もさまざまでした。一人ひとりそれぞれ違うように、いろんな方がおられ、いろんな場面でお読み頂き喜んでもらえるよう、今後もさまざまな記事を掲載したいと思っております。
 お声の中で、ルビがあり読みづらいとの声がありましたが、ユニバーサルデザインの名のもと、どなたでも読んで頂ける形のものとし、ルビ付きで提供を致しております。何とぞ、ご理解頂きたいと思います。

 以前、紹介を致しましたが、CIL豊中通信は、墨字版以外にも提供の形があります。今一度ご紹介します。

CIL豊中 ホームページ上 http://www.ciltoyonaka.com/
音訳版・・・声にてカセットテープでの提供
点訳版・・・点字での提供
以上です。

なお、ご不明な点やご相談などございましたら、下記までご連絡ください。

豊中市障害者自立支援センター
Tel06−6857−3601
Fax06−6857−3602

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14. CIL豊中近況

事務局

このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪3月≫
2005/3/2 まだ賑わい健在
 バリアフリーマップ事業が終わり、ピアカンルームも今日からひっそりするかと思いきや・・・・・、みなさん、後片づけ等をやるため出勤されたので、今日は賑やかでした。明日以降も、ぜひお気軽に遊びにきて欲しいです。

2005/3/7 ボランティアフェスティバル見学
 昨日(3月6日)、曽根の市民会館にてボランティアフェスティバルが行われ、何人かの職員が見学に行きました。いろいろ催しが行われましたが、中でも午後からの1番目のプログラムだった和太鼓の迫力はものすごかったです。

2005/3/16 ゆにばっぷ訪問
ILP講座の一環として、ゆにばっぷを訪問しました。ゆにばっぷは障害者のための住宅改造を請け負うNPO法人で、今日は自分の家の改修について相談しました。

2005/3/26 市民講座
 2005年度第二回市民講座が、本日ひまわり体育室にて行われました。講師はDPI日本会議事務局長の尾上浩二さん、題目は「どうなる障害者の生活?障害者自立支援法って何?」でした。今後、いかに障害者の地域での生活が守られにくい世の中になっていくか、現状を力強く訴えておられました。

≪4月≫
2005/4/1 電話回線よりSOS
 今日は、自立支援センターの電話が一日パンクしていました。昨日限りで、豊中市が発行していたタクシー券の制度が廃止になり、その利用者が当センターの送迎サービスを利用するよう、市からの通達があったためです。一日中、送迎依頼の電話が鳴りやみませんでした。

2005/4/2 電話回線よりSOSA
 今日は土曜日ということもあり、昨日ほどではありませんでしたが、それでも送迎サービス登録申し込みの電話が多くかかってきました。なかなか電話がつながりにくい状況が続いているようですが、今しばらくご辛抱願います。

2005/4/4 電話回線よりSOSB
 週明けの今日、予想通り、いや、特に午前中はそれ以上に、電話の嵐でした。ここまですさまじい電話ラッシュも、そうそうは経験出来ないものかも知れません。今日一日で、また一段と送迎サービスの登録申込者が増えましたが、少ない車で、果たしてどこまで回していけるか、不安も募っています。

2005/4/5 特別開所
 火曜日は通常、ヘルパーステーションは開所していますが、自立支援センターは定休日となっています。しかし、今月に入って以降の、外出支援サービス登録依頼の電話に対応するため、特別に職員が出動していました。
 果たして午前中は電話が殺到していましたが、夕方になると、すっかり落ち着いてきました。外出支援事業担当の方、連日の激務お疲れさまです。m(__)m

2005/4/17 お花見
 事務局の職員、ならびにその家族たちが集まり、お花見が行われました。時間が経つと、いいとこ「やれやれ」ムードだった大人とは対照的に、子どもたちは『ハッスルハッスル』。激を飛ばすつもりで(?!)、野球あり、長縄あり、そして最後はハンカチ落としで盛り上がりました。大人にとっては実に懐かしい遊びでした!(^o^)

2005/4/26 落ち着いてきた・・・・・
 年度変わりの慌ただしさからも解放された今日このごろですが、今月になってから猛烈に忙しかった外出支援サービスの対応も、ひとまず落ち着いてきたような状況です。しかしこれだけ爆発的に増えた利用者の絶対数に、こちらの体勢は常に追いついておらず、市の急激な方針転換に目の色を変える日々は、まだまだ続きそうです。

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15. サービスのご案内

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中
ケアプランセンター CIL豊中


TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

支援費制度居宅介護サービス(身体・知的・児童)  
支援費制度によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
サービス提供範囲 豊中市
サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
対象者 原則豊中市在住の障害者
介助料
 【一般介助】  1時間       1,050円
 【宿泊介助】        1回(12時間以内) 7,200円
  いずれも実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
 【旅行介助】       1泊(24時間)  12,400円
延長分は6時間(3,100円)単位で加算。
  介助者の交通費及び宿泊費は利用者負担です。
キャンセル料 
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座
 ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座の開催(随時)。
介護保険居宅介護支援サービス(無料)
 ケアマネジャー(介護支援専門員)によるケアプランの作成、サービス事業者との連絡や調整、申請や更新の代行など。


豊中市障害者自立支援センター

TEL06(6857)3601  FAX06(6857)3602

豊中市障害者生活支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
●ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
●社会資源を活用するための支援 ●社会生活力を高めるための支援
●ピア・カウンセリング      ●専門機関の紹介
自立生活体験室
 自立生活をめざしている障害者の方が、実際の生活に近い環境で、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
●宿泊利用 1泊1,500円 ●デイ利用 1回(5時間まで)750円
*デイ利用の場合、ご利用出来る時間帯は9:00〜18:00です。
豊中市障害者外出支援サービス(2005年4月1日改定)
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
  65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
利用回数 月2回まで利用できます。
利用料・区域
@豊中市内           片道 500円  往復1,000円
A特定区域(豊中市隣接)・施設  片道 1,000円  往復2,000円
 特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園・大阪警察病院
キャンセル料 当日キャンセル500円
同乗者について 必要に応じて家族・介助者の同乗をお願いします。
点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。
●既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
●片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
●両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
送料は一律270円です。

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16. 投稿作品、お知らせとお詫び

その一

記念日

あなたが生まれた日は、雪の日だった
あなたが成人した日は、五月晴れの日だった
あなたが結婚した日は、桜が満開だった
あなたが涙した日は、息子が誕生した日だった
あなたが怒った日は、息子が反抗した日だった
あなたが喜んだ日は、息子が彼女を連れてきた日だった
そして、あなたが天国に旅立った日は、奇遇にも息子の
三〇歳の誕生日だった

北摂の兄貴



その二

魅かれ合う
心を重ねて
育くまん
君と我れとの
さわやかな恋

伊丹市 岩国 久美子


このコーナーでは、みなさんからの短歌、俳句、詩などを募集しております。詳しくは編集長ま〜たれまで。
みなさまどんどんご応募してください。


●お知らせ・お詫び

この4月から北大阪急行、緑地公園駅前歩道と、駅地下改札階を結ぶエレベーターが、やっと使えるようになりました。ただし、北行き改札階と千里中央方面ホームを結ぶスロープがまだ工事中で、服部緑地方面から電車に乗る方は、遊歩道を道なりに進むと北行き改札階へ直進するため、遊歩道へは進まず、駅ビルの前の道を目指して進んで下さい。
2003年12月から豊中市の委託事業で調査しておりましたバリアフリーマップがようやく3期生からなる調査スタッフにより、完成致しました。
6月以降に豊中市ホームページより掲載されます。

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17. 編集後記

編集長 ま〜たれ

 今年は、梅雨はほとんどなかったけれど(おかげで早くから暑かった〜)、時折降る雨の量が半端でない。おまけに夜も寝苦しい日が続いていますが、みなさんバテていませんか?食事はキチンと取れていますか??
 暑い中・編集スタッフは、たくさん笑い・たくさん食べながら、切り抜けました!!?
 でも、夏が終わりに近づくとなんとなく心残りで・・・。
 心残りのないよう、思い思いの夏をお過ごしください。
 お出かけの際、何か困ったりみんなに教えたい新情報を見つけられた方、是非お知らせください。カメラを持って調査に向かいま〜す。

 前号で予告してましたように、今回アンケートを実施致します。
 みなさまのお声をお聞かせください。

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