広報誌「CIL豊中通信」Vol.10


も く じ


印刷版の表紙
1. 大阪大学、身体障害学生支援室を取材(後編)
2. 2004年度第一回市民講座報告
3. CIL豊中、2004年度通常総会報告
4. 2004年度点字講座(初級)のご報告
5. おしゃれを楽しみませんか?
6. ヘルパー養成研修修了(7月開講分)
7. 遠くなくても行きたい −太秦映画村−
8. えりとママの珍道中記
9. 学生無年金障害者の活動から part8
10. 地域の作業所の活動を紹介します −かるがも広場−
11. ぼくの日曜日
12. 支援費制度はこれからどうなるのか?
13. ベンチレーターと自立生活
14. CIL豊中近況
15. サービスのご案内
16. 投稿作品・お知らせとお詫び
17. 編集後記
広報誌編集部
事務局
事務局
事務局
事務局
事務局
西九条舞
えり
事務局
広報誌編集部
海帰優人
事務局
事務局
事務局
事務局
散歩人/岩国久美子
ま〜たれ



1. 特集:大阪大学、身体障害学生支援室を取材(後編)

広報誌編集部

はじめに

 前号の特集で、大阪大学(阪大)に設置されている、身体障害学生支援室を取り上げました。支援室の成り立ちや活動内容について、運営者である松原崇さんにお話を伺いましたが、今回は、実際に支援室を利用している障害者学生やその支援者に、取材をおこないました。さらに、阪大に障害者学生の支援体制ができるきっかけとなった卒業生にも取材を行い、在学時代を回想していただいております。
 今回は、吹田キャンパスにて取材をおこない、以下の5名の方がご協力下さいました。なお、卒業生の方については、本人の自宅にて取材しております。



1.福井雅行さん

 福井さんは現在、大学院の3年目で、人体の仕組みを解明することを目的とした研究科に所属しています。障害は聴覚障害で、普段は補聴器を付けていて、手話・口話はともに普通に使うことができます。大学は名古屋大学に在籍し、情報工学を専攻していました。

福井雅行さん


大学時代の支援環境は?

 入試のときは、自分の障害のことを告げずに受けまして、合格後に大学と相談しました。そして、講義中にはFM補聴器(先生がマイクを付けて話し、その声が直接補聴器に入る)を、英語と第二外国語の時はタイループ(ラジカセを聞くときのような、長いロープ状のもの)を、それぞれ支給されました。しかし3回生になった年から、財政状況が厳しくなったこともあり、容易には使えなくなりました。ただ私自身は、研究中心の生活となったので、ほとんど困らなかったですけどね。
 名古屋大学には支援室はありませんでしたが、各学年ごとにいる指導教官がしっかりしていて、相談にのってくれました。また、先輩で同じ聴覚障害の学生がいたほか、違う学部には障害者の講義保障に関して活動している教授もいました。更に車いすの学生もいて、介護者がつき、机も用意され、費用も恐らく大学が負担していたと思います。
 愛知県内には、耳の聞こえない学生同士の団体がありました。週一回集まって、講義保障などについて話し合い、メンバーの多くは日本福祉大学の学生でした。
  
阪大入学の時、支援室の存在は知っていた?

 入学した時点では、支援室の存在は知りませんでした。秋の学祭のときに支援室のPRがあり、一緒にいた聴覚障害の学生が松原さんを紹介してくれて初めて知りました。それ以来利用していますが、最初は大学時代の講義保障の情報を提供(?)し、阪大ももっと充実するよう、働きかけていきました。

阪大のバリアフリー状況は?

 聴覚障害の立場としては、“チャイムが聞こえにくい”、“緊急情報が伝わらない”という不安があります。また、キャンパス内の建物の配置がわかりにくく、学内の地図も文字があまりなくて、矢印ばかりなので分かりにくいです。地図が必要なときは、あらかじめホームページからダウンロードするようにしています。

支援室に寄せる思いは?

 今の支援室は松原さん一人で運営されており、松原さんに用事ができたときは誰もいなくなってしまうので、かなり苦しい状態です。あと二人はスタッフが必要ですね。もっと必要性をアピールし、大学側にも協力を求めていきたいです。
 ノートテイクに関しては、入学時の要綱に入れるとか、オリエンテーションの資料に入れるのがいいと思っています。また講義保障について、当事者学生がもっと声をあげ、お互いに情報提供をしていく必要がありますね。入学時はどういう講義保障があるかわからないのですから、当事者の在学生がもっと積極的に情報提供をするべきだと思います。松原さんにも、講義保障の具体的な定義や方向性を知らせてもらいたいし、待っているだけでは、なかなか体制は整わないのではないでしょうか。

これから入ってくる学生へのメッセージ

 大学の勉強に興味があったら、どんどん入ってきてほしいです。もし講義保障が十分でない場合は、講義保障は権利なのだから、待つだけではなく、自ら声を上げる姿勢が大切ですね。その上で、学内や学外の方にお願いしていけばいいのではないでしょうか。地域の障害者団体とのつながりを持つことも必要だと思います。
 それと聴覚障害者の場合、勉強ができないときに、果たして自分の努力不足のせいか、講義保障が十分でないからなのか、わからないときがあります。本当に講義保障が十分でないのなら、それは大学に要求しなければなりませんが、自分の努力不足が原因であるなら、まずは自分がしっかり勉強しなくてはならないですね。勉強ができるかどうかは、あくまでも本人の努力次第という気持ちを忘れないで下さい。



2.佐藤貴宣さん

 佐藤さんは現在、大学院の3年目で、人間科学研究課に所属しています。社会がどのように人、特に障害者の身体を意味づけたり扱ったりするのかを研究する、『身体論』を勉強しています。障害は視覚障害で、先天性黒内症という病気から進行して、だんだん見えなくなっています。現在は明るさはわかるということです。大学は京都精華大学に4年間、関西学院大学に2年間、それぞれ在籍し、京都精華大学では障害児教育を、関西学院大学では社会学を、それぞれ専攻していました。

佐藤貴宣さん


大学時代の支援環境は?

 私は最初、京都精華大学に入学したのですが、非常にリベラルで先進的な大学でした。先生方もできる限りの協力をしてくれて、点訳もボランティアではなく、学校の職員が業務の一環としておこなっていました。ほかの障害を持つ学生に対しても、積極的に受け入れて、サービスを提供していましたね。
 それに対して関西学院大学(関学)は、キャンパス内に点字ブロックを付けるのも嫌がるという姿勢で、私もよく喧嘩をしました。今は点字ブロックは付いたようですけど。点訳に関しても、語学の学科のみ行われていましたが、他の学科では一切行われていなかったのです。関学には、視覚障害の学生がもう一人いたのですが、その人は権利意識というものが全く無い学生で、「自分は関学に入れていただいてるのだ」という考えを持っていました。だから私が「テキストやレジュメの点訳が一切なされないのは問題ではないのか?」と言ったら、「それは視覚障害者のわがままだ」と返されてしまいましたよ。関学では社会学を専攻していましたが、学部の関係者が全力を挙げて私の支援をしてくれました。対面朗読もおこなってくれましたが、学校としては、それらは全てボランティアまかせという姿勢でした。

阪大入学と、支援室の設置

 私は松原君と同時に入学したので、支援室はできる過程からずっと見てきました。そういう意味では大変面白いですね。支援室は松原君がいたからできたのだと思いますよ。障害者の学生の数が増えてきて、支援をするようなところが必要ではないか?という話になってできたのですけどね。支援室が対面朗読のスタッフを調整してくれましたし、学校も予算を組んでくれるので、やりやすいと思います。

日頃学校生活をしていて思うこと

 障害者という立場から特に感じていることは2つあります。
 一つは、『誰にでも頼めるような些細なことは、誰にも頼みにくい』ということです。頼まれた人が「何で私に?」と思わないかどうか、すごく気になってしまうのです。もしかしたら、相手はそうは感じていないのかも知れませんが、私はすごく不安に思います。「これはこの人にしか頼めない」という場合は、“この人だから頼む”という必然性があるので、楽なのですよ。
 もう一つは、私の研究は障害者を題材としているので、『障害者が障害者を研究している』ということになるわけですが、健常者が研究する場合と障害者が研究する場合とで、発表したときの周囲の反応や受け止め方が全然違ってくるのです。つまり、本来なら発表の内容に対して、批判も出て議論がおこなわれるのですが、私が発表すると、「当事者がこう言っているのだから反論しないほうがいい。障害者である佐藤君が言うのだったら正しいのだろう」という受け止め方をしてしまうのですね。なにか批判するのを遠慮したり、当事者が言うことは全部正しいと解釈する傾向があるのです。これは、アカデミズムの中ではマイナスになると思います。アカデミズムとは本来、研究者の属性からは切り離されているべきだし、批判や意見が出て意味がありますから。「当事者が言っているから遠慮する」というのは、逆の意味で障害者排除にもつながりかねないし、大学に来ている意味もなくなるので、何とかして変えていきたいです。

阪大のバリアフリー状況は?

 入学して以降、キャンパス内に点字ブロックがつき、人間科学部のエレベーターや階段の手すりに点字がついたり、視覚障害者用のルーターがパソコンに入ったりしました。本をテキスト化する装置もつき、点訳の人員も配置されて、よかったと思います。日頃、学校内の移動では、それほどバリアは感じないですね。

支援室に寄せる思いは?

 今は支援室のために大学も協力してくれますし、何でも出来やすくなる段階だと思います。もっと学生などに、支援室の存在を知ってもらうことが大事ですね。潜在的なニーズはあるはずだし、特に軽度の障害者には、「こんな軽度なのに支援室を使ってもいいのかな」という遠慮があるのです。だから、「どんなに小さなサービスだろうと、要求してもいいのだよ」ということを、啓発していく必要があります。学生のみならず、教員に対するアピールも必要でしょうね。
 もう一つは、障害者について考えたことの無い人が、圧倒的に多いと思うのですよ。だから支援室が考える場になって、需要も増えていってほしいですね。

これからの入ってくる学生へのメッセージ

 大学に入ったら、人とのつながりが大切です。勉強は大切ですが、たまには飲みに行ったりして付き合いを作り、自分自身を豊かにしていって下さい。障害者の枠を取り除いて、障害者とではなく、私だったら佐藤貴宣という一人の人間と付き合うという気持ちを、誰もが持って欲しいです。
 一方で、高等教育を受けられる障害者は非常に少ないのが現状です。障害者に関わる研究は大抵健常者がやっていて、障害者は学力自体、そして大学という選択肢自体が、与えられていないのではないでしょうか。障害者は勉強できないのではないので、もっと人生の選択肢を拡げるために、学生生活をおくってほしいですね。



3.細谷恵美さん、浅川優美さん

 細谷さんと浅川さんは、ともに支援者として、ノートテイクの活動をしています。細谷さんは阪大大学院の2年目、そして浅川さんは大阪教育大学の4回生です。二人とも同じ学生のノートテイクをおこなっており、まだやり始めたばかりだそうです。

細谷恵美さん(左)、浅川優美さん(右)


ノートテイクを始めたきっかけは?

細谷:松原君と同じ講座を受けていたので、支援室の活動のことは知っていました。それで松原君から声をかけられて、やってみようかなと思いました。
浅川:視覚障害者の阪大院生である佐藤貴宣さんと知り合いで、佐藤さんを通じて支援室の活動を知り、やってみようと思いました。

ノートテイクの具体的なやり方は?

 私たちが今やっているのは、情報科学研究科の大学院生のノートテイクです。インターネットやコンピューターの、電話回線に関して研究をおこなうのですが、講義はスライドで内容を映しながら行い、それを見ながら手書きでノートテイクをしています。利用者が紙を用意してくれて、二人で4枚づつ交替の体制でやります。パソコン入力によるノートテイクは、今のところやっていません。

日頃苦労する点や工夫点は?

 自分自身の専攻とは全然違う分野なので、言葉が分からないときや聞き取りにくいことも多く、学生さんには申し訳ないと思っています。一度つまずくと、次の書き始めをどこからにしたらいいか分からなくなるし、スピード面ではなかなか追いつけないですね。同じ学部だったらその点はよかったのかも知れませんが、その場合は講義の時間自体が重なることにもなるから、難しいです。少しでも速く書くために、ペンもどういうものが最適かを考えたり、何回も同じ単語が出るときは略して書いたりしています。いかに要点を押さえて書くかが肝心ですね。

この活動を通じて何か気付いたことは?

 普段意識しない、聴覚障害者の問題を感じ取れたというのが、大きな収穫だったと思います。いかに普通の授業で苦労しているかが初めて分かったし、ノートテイクが本当に必要なのだということが認識できました。

支援室に対する思い

 もっと組織的な、学校としてのサポート体制を充実させていくべきだと思います。今のままでは松原さん一人で大変だし、支援室の外側と内側とで、うまく連携を取ることもなかなかできません。また、一人の人に支援に入ってもらっても、その人がなかなかうまくサポートできないことがあるので、もう少しサポートする側も気付いていったらいいなと感じています。それと、支援活動の中で知ったことに対する守秘義務もまだ徹底しているとは言えないので、もっと徹底したほうがいいと思いますね。

今後の抱負は?

 まだ始めたばかりですが、コミュニケーションは難しいと思うので、新しいやり方を編み出したいです。ノートテイクをマスターすると、普段の聴覚障害者との会話のときに使えたり、応用も利くと思うので、これからも続けていきたいですね。



4.上根正万さん

 上根さんは、2003年3月に阪大を卒業しました。現在は在宅生活を送っています。障害は筋ジストロフィーで、人工呼吸器を使用しています。
 
入学が決まるまで 
 私は1999年4月に阪大に入学しました。入試の際は、別室を用意してもらい、時間延長もしてもらいました。私はもともと奈良の人間で、最初から阪大を目指していたわけではありませんでした。成績もそんなに高いとは言えなかったですし。だけど、勉強している内に入れる可能性が出てきて、できる限りのことをやってみようという気持ちになりました。家から近いところの大学に通うことも考えましたが、せっかく合格できる可能性もあるのに受けないのは、もったいないという思いが出てきて、阪大を受けることにしたのです。

入学時のこと ー支援体制ができるまでー

 私が合格した後、初めて大学が支援のために動きました。阪大にとっては、重度の障害があり、支援が必要な学生が入学することは前例がないようでした。だから、大変だったみたいです。まず市役所に相談し、市役所から『障害者自立生活援助センター・とよなか(今のCIL豊中)』を紹介されて、そこから介護者を派遣してもらうことになりました。奈良から出てきてやっていけるか自信はなかったけど、家を借り、家族やCILに支援をしてもらいながら、やっていきました。そして家族も、介護の費用負担などに関して大学にどんどん働きかけてくれて、これがプラスになったと思います。結局介護の費用は出ませんでしたけどね。
 入学初期の頃は、教務課が唯一の窓口で、教務の人が、自動車から車いすへの移乗をしたり、休憩室を提供してくれたりしました。ただそれ以外の、トイレ介護などの人的援助というのは、学内には、組織としては一切存在していなかったのです。

支援室との接点

 支援室は、私が4回生のときの10月にできました。その直後に長期入院をすることになり、その後卒業したので、結局私自身が支援室を利用したことはありませんでした。支援室ができる動きがあることは、同じ学部の聴覚障害の学生から聞いて知っていました。そしてちょうど入院するときに研究室の教授から、支援室ができたと聞きました。入院中、松原さんが3回ほどきてくれたことがあります。病院内でヘルパー派遣の制度が使えないことから、誰か大学からボランティアに来てもらえないか相談したからです。そのときに、支援室の運営などを詳しく聞きました。

今後の支援室に望むこと

 今まで障害者を支援する拠点が全く無かったことを考えると、支援室ができたのは大きな前進です。もうちょっと規模が大きくなってほしいですね。今の状態だったら、うまく支援できるかどうかはそのときでないと分からないですから。もっと組織ぐるみで運営されたほうがいいし、大学側も協力するべきだと思いますね。 

これから入学する学生へ

 これからの学生は環境がいいと思います。私のときは、相談する窓口さえ正式なものはなかったですから。どんどん横のつながりを作っていって、人の中へ出ていかないといけないと思います。周囲や学校に自ら働きかけることが大事ですね。

おわりに

 今回は5名の方にご協力いただき、いろいろと深い内容の話を伺いました。みなさんの意見はさまざまでしたが、全員に共通していたのは、『今の支援室は松原さん一人で運営しているから大変だ。もっと大学が協力して、組織として運営されるようになるべきだ』という見解です。
 2回の取材を通じて、支援室に寄せる利用者・支援者の期待がいかに大きいかということが、よく伝わってきました。今後のますますの発展を祈念しつつ、この特集を終わりにしたいと思います。
 最後になりましたが、協力して下さった5名のみなさん、そして前号に続いて調整を計って下さった松原さん、本当に有難うございました。        
(文責:根箭)
 

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2. 2004年度第一回市民講座報告
 〜知的障害を持つ人に配慮したバリアフリーデザイン〜

事務局

 7月3日(土)、13:30から16:30まで、2004年度第一回市民講座が、蛍池駅ルシオーレ4階ホールで開催されました。今回のテーマは、『知的障害を持つ人に配慮したバリアフリーデザイン』で、当センターとして初めて、知的障害をテーマとして取り上げました。
講師は、有限会社プラネットワーク代表取締役で、社会福祉法人ポポロの会理事、更には元京都教育大学講師でもある、二井るり子さんです。講演では、二井さんがスウェーデンで見学された、知的障害者のためのさまざまなバリアフリーデザインをスライドで紹介されましたが、みんな日本では全然見たことがないアイデアの数々に、興味津々でスライドを見ておられました。
 以下、講座の内容を、簡単にではありますが、振り返ってみたいと思います。

講師の二井るり子さん 参加者の反響も相当強いものがありました。


◎抽象的な概念を理解しにくい

 知的障害を持つ人は、例えば時間に関して、「あと何分ぐらいで仕上げて」と言われたり、お金に関して、「この金額で大体買えるだけの物を買ってきて」と言われたりすると、理解に苦しみます。何故なら、目には見えない抽象的な感覚を働かさなくてはならないからです。この問題を解決させる手段として、クウォーター時計(写真1)や、お金の概念を理解する道具(写真2a,2b)が紹介されました。

写真1:自分がやろうとする行為を始める
時刻を書いたカードを、この機械に差し込みます。
すると、等間隔で丸い部分が一つずつ白く点灯し、
時間の経過が視覚的に分かります。
写真2a=左、写真2b=右
左は紙幣の写真を貼った財布です。そして、このお金で具体的に何を買えるか、
主な品物の写真とその金額を、財布の裏側に貼ったのが右になります。


◎少しでも変化があると対応しにくい


 知的障害を持つ人は、一日の日課が少しでも予定より変わると、時にはパニックを起こすなど、混乱する場合があります。学校で、急に時間割が変更になったときなど、その情報を視覚的に伝えるためのツールとして、木札にピクトグラムを貼った、カレンダー型スケジュールボード(写真3)が紹介されました。
 また、そもそも一週間、一ヶ月といった時期の違いや、曜日の違いというのも、知的障害者にとっては大変理解しにくい感覚です。そのために考案されたのが、曜日ごとに色分けしたカレンダー(写真4)です。

写真3:ピクトグラムを貼った木札を、
カレンダー型スケジュールボードに引っかけます。
一番左にぶら下げている大きめの札が、
今現在おこなうべきことです。
ボードに掛けられている木札のうち、
今は関係ない予定が表記されているものは、
裏返しにしておきます。
写真4:曜日ごとに色分けした
カレンダーを使うことで、
毎日の生活が曜日によって
区切られているという感覚を、
よりはっきりと得ることができます。


◎余計な情報をなくす

 多くの情報が周りにあふれているときに、その中から適当なものを抽出する作業というのも、知的障害を持つ人にとっては困難なことです。そのため、例えば何か一つの作業に集中しなくてはいけないときは、ヘッドフォンを付けて周囲の音を遮音するなど、余計な刺激が入ってこないようにしています。

◎危険を取り除く

 認知力の弱さや、運動機能の遅れから、知的障害を持つ人はいろいろな事故に遭う危険性も高く、そのためあらかじめ危険を取り除くということも、大変重要なことです。例えば階段の手すりを連続してつけたり、段差をなくすなどです。ただ段差に関しては、逆に必要とする人もいます。段差があることで、建物のどこが何をする場所であるかという区別ができるからです(例えば、玄関と部屋の区別)。しかし、車いすの使用者がいる場合など、段差を取り除かなければならないときは、床の色をハッキリと区別して、何をする場所であるかを区別します。

◎心地よさを感じる

 知的障害を持つ人は、概念的論理的に物事を理解することが難しい代わりに、五感から働く感性というのは大変強いものがあります。そのため、五感を刺激して感性に働きかけ、心地よさを感じる環境こそ、彼らの気持ちの安定や文化的生活の向上には欠かせないものとなっています。
 スウェーデンの施設では至るところに、五感を心地よく刺激するための、さまざまな工夫がなされています。今回紹介された中で大変印象に残ったのは、重度の重複障害の人が、床に敷かれたレールの上を走行し、コース上にわざと天井から物をつるしておいて、本人が『ぶつかる』体験をできるようにした物(写真5)です。

写真5:施設の床に、
重度障害者が自由に移動するために
レールが敷かれています。
※この写真だけ白黒となってしまい、
申し訳ないです。

 
 日本では、知的障害を持つ人のバリアフリーというのは、まだ一般には浸透していません。しかし、一部の企業では、今回ご紹介したようなアイテムを、実際に製造するところも出てきています。これから先、知的障害者がより当たり前に、社会に出られる時代になればいいと思います。

(文責:根箭)


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3. CIL豊中、2004年度通常総会報告

事務局

 去る6月6日(日)、豊中市立蛍池公民館にて特定非営利活動法人CIL豊中2004年度通常総会が開催されました。午後2時に開会宣言、徳山理事長による開会挨拶の後、徳山理事長を議長として審議が始まりました。
 出席者から、開催しているヘルパー養成研修修了者の何割ぐらいがCIL豊中で活動しているのか、ヘルパーは足りているのかとの質問がありました。これに対して、ヘルパー養成研修では約5割、ガイドヘルパー養成研修では現に他の事業所等で活動している人が多いので少数です。利用者の派遣ニーズが高くヘルパーの確保は常に必要ですという回答がありました。また、事業計画での支援費と介護保険の派遣時間の増加と介助サービスの現状維持の理由についての質問がありました。これに対して、支援費と介護保険は現在の派遣時間と新規見込みと利用者個々の増加分を勘案した結果であり、介助サービスについては殆ど支援費に移行しており、増加していないためという回答がありました。また、外出支援サービスの運行回数についての質問がありました。これに対して、今の委託では現運行回数が限界です。しかしながら、利用者の市への要望により新たな特定施設として大阪府立大手前整肢学園が加わりましたという回答がありました。また、バリアフリーマップ事業についての質問がありました。これに対して、事業費内容は国の緊急雇用対策に基づいているため殆ど人件費です。情報の提供方法は、製本は残念ながら認められていなく、豊中市のホームページに載る予定です。更新については豊中市に決まった方針はなく、生活支援事業を行っているCIL豊中として協力しますと申し出ているという回答がありました。また、コーディネーターが変わるとき等のヘルパー及び利用者への連絡や紹介について、きめ細かくしてほしいとの要望がありました。
 以上のような質疑を経て議案は全て原案どおり承認可決され、午後5時に閉会しました。

議事 2003年度事業報告及び決算の件
報告事項 2004年度事業計画及び予算

総会を進行させる徳山理事長


《2003年度事業報告及び決算》

 障害福祉が措置から支援費制度に移行した初年度であったが、障害者のニーズに合った介護サービス社会基盤は不足しているのが現実であった。当法人は、人材の確保及び養成等サービス提供体勢の強化を図り、出来る限り地域の障害者の介護ニーズに応えてきた。
 豊中市障害者生活支援事業では、支援費制度の情報提供及び相談等利用援助に力を入れると共に、利用者がエンパワーメントして主体的に生活が出来るよう支援活動を行った。また、講座及び広報誌及びホームページを通じて地域の福祉や障害者の生活について情報発信、啓発を行った。
 豊中市障害者外出支援サービス事業は、引き続きニーズが高く初年度を超える利用があった。イベントとしては、クリスマスパーティを行い、多くの参加者に楽しんでもらうと共に参加者間の交流も深められた。また、点字名刺事業では、点字名刺を通じて多くの方に視覚障害者に対する理解を深めてもらえた。
 12月から始まったバリアフリーマップ作成等事業は、次年度も継続して行われる事業であるが、障害当事者とサポーターが精力的に活動を行った。

(1)豊中市障害者生活支援事業(豊中市委託事業)

 障害者及びその家族等が地域生活をしていくための相談及び支援
総相談・支援件数 580件
市民講座 「自由に安心して移動できる街をめざして」
 2月22日(日) 蛍池公民館 総参加者50名
自立生活プログラム講座
 第1回自立生活プログラム講座 
  「まずは自分から。自分にとっての介助ってなーに?」
  7月6日〜8月24日 全5回 参加者4名(肢体4名)
 第2回自立生活プログラム講座
  「自立生活体験ルームを使ってみよう」
  2月28日〜3月27日 全4回 参加者2名(肢体1名、重複1名)
自立生活体験室
 宿泊利用16回(総宿泊数41泊)、デイ利用64回
広報誌、ホームページ等にて情報提供
 広報誌「CIL豊中通信」 4回(5、8、11、2月)
  各約900部(点字版、音訳版、メール版含む)発行
 冊子「支援費制度」配布

(2)支援費制度居宅介護

 支援費制度による居宅介護 総派遣時間61,066時間

(3)介護保険訪問介護

 介護保険による訪問介護 総派遣時間2,070時間

(4)介助サービス

 自立生活支援を目的とした、登録制市民互助活動 総派遣時間3,201時間

(5)豊中市障害者外出支援サービス事業(豊中市委託事業)

 リフト付自動車を運行し、障害者の外出を支援 総運行件数575回

(6)バリアフリーマップ作成等事業(豊中市委託事業)

 豊中市のバリアフリー実態調査 駅舎など

(7)イベント企画開催

 障害者の社会参加及び交流を深めるためイベントを企画開催
クリスマスパーティ:12月21日 センターひまわり 総参加者109名

(8)ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成研修

 ホームヘルパー及びガイドヘルパー養成研修の開催
ホームヘルパー2級課程  修了者 32名
 ホームヘルパー3級課程  修了者 25名
 ガイドヘルパー全身性課程 修了者 94名
 ガイドヘルパー視覚課程  修了者 32名

(9)点字名刺の作成販売

 ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売 総作成枚数22,183枚
              収支計算書(総括)
          2003年4月1日〜2004年3月31日

収入 支出
科目 決算額 科目 決算額
事業収入 215,181,077 事業費 179,665,391
会費収入 112,000 管理費 1,531,288
補助金等収入 577,845 固定資産取得支出 11,386,890
寄付金等収入 1,020,094 敷金等支出 3,875,000
雑収入 73,746
借入金返済支出 1,600,000
敷金等戻り収入 660,000 繰入金支出 1,764,750
繰入金収入 1,764,750 税金引当額 14,100,000
前期繰越収支差額 8,928,498 支出合計(B) 213,923,319
収入合計(A) 228,318,010 収支差額(A)-(B) 14,394,691


《2004年度事業計画及び収支予算》

 二年目の支援費制度居宅介護を昨年度と同様、身体障害者、知的障害者、児童で、身体介護・家事援助・日常生活支援・移動介護全ての類型を行う。介護保険訪問介護及び市民互助活動介助サービスも引続き行い、障害者の地域生活の介護のニーズに応えてゆく。
 豊中市障害者生活支援事業、豊中市障害者外出支援サービス事業、2003年12月から始まったバリアフリーマップ作成等事業を引き続き豊中市と委託契約を締結して行う。バリアフリーマップ作成等事業については今年度で終了する。
 また、社会参加・交流事業、人材育成事業、点字名刺事業を行う。人材育成事業としてホームヘルパー及びガイドヘルパー養成研修を行い、人材の育成、確保に努めると報告されました。
 本年度予算は約288,000,000円。


(文責:徳山)

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4. 2004年度点字講座(初級)のご報告

事務局

 2004年4月17日(土)から6月26日(土)までの毎週土曜日、点字講座(初級)を開催しました。当センターでは、初めての試みであり、講師は私(和田伸也 視覚障害ピアカウンセラー)が担当させていただきました。
 講座は、毎週土曜日、14時〜16時、蛍池駅前隣接ビル「ルシオーレ」内にて、全10回行いました。受講された皆さん、毎回熱心に取り組んでいただき、8名の方が終了されました。
 講座の大まかな内容ですが、50音から始めて、基本的な仮名遣いや数字、文章の読み書きを練習しました。その上で、オリジナルの点字名刺を作成したり、点字の手紙文を作成したりしました。点字のルール、中でも文章の書き方などは難しい部分もあったかとは思いますが、皆さん、楽しみながら点字を学んでいただけたのではないかと思います。
 一方、視覚障害者に対する理解を深めていただくために、私の実体験も交えながら、視覚障害に関する基礎知識についても毎回お話しました。点字を学んで、ただ単に読み書きができるようになるだけではなく、視覚障害者のことについて、私を通じてですが、いくらかは身近に感じていただくことができたのではないかと思います。
 以上のような講座でしたが、受講生の方の中からお二人に講座を受けての感想をいただきました。以下に、その感想を掲載いたします。

講座風景
受講生同士も、積極的にディスカッションを交わしていました。
終始爽やかな笑顔を絶やさなかった、
講師の和田伸也さん


潮ア貴子さん(当センター 支援スタッフ)
 初めて点字を見たときは、なんて打ってあるのか全く分からず、本当にいつかこの「ぶつぶつ」が読めるようになるのかな?って不安でした。
  でも、講座で点字のからくりというか仕組み(例えば、点字は「あいうえお」が基本となっていて、ローマ字のように母音にある点を足すと『か行』に、ある点を足すと『さ行』になる等)を習うと、回を重ねるごとに本当に打てる点字や読める点字が増えてきました。嬉しいっ(この頃からは読めるのがとにかく楽しくて、デパートや駅で点字を見つけると、立ち止まって実力を確かめてしまっています
 講座は終わってしまうけど、これからも何らかの形で点字に関わっていきたいと思っています!!先生も優しく、一緒に点字講座を受けたメンバーもとてもパワフルでおもしろく、毎回ワイワイ楽しく勉強できました。ありがとうございました。
 
井岡潔美さん
 今回の講座で初めて点字にふれあう機会に恵まれました。自分も車いすを日常使用している中途障害者ですが、私が日常に不便を感じることと、視覚障害の人が感じる不便さには違いもいろいろあるでしょう。点字を学ぶことでまた新しいコミュニケーションの輪が広がるといいなと思い参加しました。
 講座は視覚障害者用のオセロを使ってすすめられ、分かりやすく楽しく受講できました。点字が少しずつ分かるようになっていくのも嬉しいことでしたが、共に受講する人たちと知り合い、いろんな話ができたことも楽しみの一つでした。また、点字だけでなく視覚障害者の生活についてのお話(彼らにとっての危険物、情報源など)も講座内容に盛り込まれており、興味深く聞かせていただきました。
 最終回は受講者で互いに手紙を出しあうというものでした。和田先生も仲間に入ってくださったのですが、その点字を打つスピードの速さといったら…雨音のように途切れなく続く音に感心するばかりでした。視覚障害者の方にとって点字は情報を伝える貴重な手段。「読める、書ける」のはその一歩であり、そこから先何を伝え合えるかが大事なんだな─。そんな当たり前のことを改めて感じる音のように思いました。
 長い講座をありがとうございました。

 以上、お二人の感想でした。
 講座の最終日には茶話会も行いました。今回の講座は、受講生の皆さんのおかげもあって盛り上がり、大成功に終わったのではないかと思います。しかし、講師として私自身、力量不足な面もあったと思いますので、もしまたこうした機会があれば、今回の経験を活かしていきたいと考えています。
 今回、受講していただいた皆さん、本当にありがとうございました。

(文責:和田)

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5.おしゃれを楽しみませんか?

事務局

 2004年5月30日 日曜日に、おしゃれ講座を行いました。
 今回は、「おしゃれ」がテーマの初めての企画ということもあり、どんな人達が参加してくれるのかなぁ・・・と、こちら側もドキドキ楽しみにしていました。
 当日は、元気いっぱいの女性、8名の参加でスタートとなりました。

講座風景
写真は開始前、理事長があいさつをしている時

 
 まず、ゲストである障害当事者である斉藤雅子さん(肢体不自由)、小島あやこさん(視覚障害)から、ご自分のおしゃれについてお話をして頂きました。

斉藤雅子さん: 車いすにのっていると、どうしても年齢より幼く見られてしまうことが多かった。化粧をすることで年相応に見られるために化粧を始めた。

小島あやこさん:“もてたい”という気持ちが、おしゃれのきっかけになった。服や化粧、髪型をおしゃれにすることで外に出ていくことが多くなった。

先輩方のお話を、皆さん、真剣に聞いていました。
その後、少し仲良くなるためにみんなで順番に自己紹介をしました。

さぁ、待ちに待ったメイクタイムのはじまり、はじまり。
机にかわいい布をひき、花を飾ったり、音楽をかけると、講義の時とはまた違う部屋の雰囲気になり、そして机の上にあるたくさんのメイク道具を見るだけでもうワクワク。
たくさん色を用意して頂いたので、自由に、目の前にあるカラフルなポイントメイク(アイメイク・シャドー・口紅・マスカラなどなど)の中から、好きな色を選びつけたり、

『この色はどうかなぁ ちょっと濃い もう少し薄いピンクにしよう』と、いつもはつけない色にチャレンジすると、新たな発見があったり、

『あ〜○○ちゃん 可愛くなった!』
お互いに可愛くなった顔を見合わせ、話しかける中で、初めて会ったメンバーたちも少しずつ距離も近づき仲良くなっていく姿も見られました。

また、プロのメイクアドバイザーに実際に、メイクしてもらうと、いつもとは少し?かなり?綺麗になった自分の顔に、
思わずにっこり。少し恥ずかしそうににっこり。大満足でにっこり。

ワクワクドキドキだったメイクタイム


そして、素敵な顔ができたら、ポラロイドカメラで『パチリッ』
モンローのようなセクシーな表情で「パチリッ。」全身を使っての「ハイ ポーズ!」
思い思いの好きな表情やポーズで撮影をして、記念に出来たての写真を嬉しそうに持ち帰られました。みんな とびっきりの素敵な写真 誰に見せたのかな???
 
 男性職員カメラマンの顔も、ゆるみっぱなし。 みんな 本当に綺麗でしたよ!!

 最後には、「楽しかった! またしたい。」「今度は、おしゃれでヘアーをして欲しいな」などの色んな声も聞こえてきました。また、みんなで楽しい時間が過ごせたらいいなと思っています。
「こんなこと あんなことがしたいなぁ」という気持ちや声、どんどん聞かせてください。また、新しいことや楽しいこと、みんなでやろうねぇ〜! やりた〜い!! 
最後になりましたが、講師をして頂きました斉藤雅子さん、小島あやこさん、
お手伝い頂きましたナリス化粧品のメイクアドバイザーの皆様、本当にありがとうございました。

(文責:潮ア) 

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6. ヘルパー養成研修修了(7月開講分)

事務局

 7月の上旬より始まったヘルパー養成研修(ホームヘルパー3級課程・ガイドヘルパー全身性課程・視覚課程)が、8月7日の3級課程の修了式をもって滞りなく修了した。今回の修了人数は、3級課程18名・全身性課程21名・視覚課程20名であった。

 3級課程を含め、今回も定員を大幅に上回る応募があり、多くの方の申し込みをお断りするのは心苦しい限りである。多くの人に受講してもらいたいという気持ちはあるのだが、内容の質を維持するために現行の定員でしか行えないということをご理解いただきたいと思う。主催者側としても、今後とも質の向上に向けて努力していきたい。また、倍率が十数倍になった全身性課程については、8月末より追加の講座を行うことを決めた。(募集は8月20日で締め切っている。)

 全講座を通して言えることであるが、毎回受講生の年齢層は幅広いのだが、皆短期間で仲良くなっていく。特に今回の全身性課程は、7月17日〜19日の3日間という本当に短い間にもかかわらず、最終日の実習では和気あいあいと外出を楽しんでくれていた。修了という皆同じ目標に向けてがんばっている中で、講座の内容以上のものを学び取ってくれていると感じる。修了生の今後の活躍に期待したい。

 次回の全身性課程の申し込みは10月上旬より開始する。


(文責:馬渕)

視覚障害者体験での歩行 ショッピングセンター散策を体験する
阪急バス本社にて、バス乗降の体験 講師の話を真剣に聞く受講生たち


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7. 遠くなくても行きたい

西九条舞

その28 太秦映画村

 今年のNHKの大河ドラマは「新選組」と言うことで、新選組ゆかりの地の紹介…と言いたいところですが、1ヶ所というわけにはいかず、行き方の説明がかなりややこしくなるので断念し、時代劇の撮影スタジオである、映画村にしました。(ただ、現在、映画村内で「新選組展」のパネル展示をしています。)

A 阪急沿線の方(往路)

 宝塚線に乗って十三で京都線に乗り換えます。特急で桂まで行き、桂から急行(終点の河原町まで各駅停車ですが)に乗り換えて大宮で降ります。
 大宮では先頭車両の後ろのドア付近にエスカルがあるのでそのあたりに乗るのがいいと思います。改札を出るとトイレがありますが、トイレの奥にある階段の右側にエレベーターがありますので、地上に上がります。
 エレベーターを降りると斜め向かいに京福四条大宮駅(写真a)があります。地元では「嵐電」と呼んでいますので以後嵐電と呼びます。
 嵐電に乗り、太秦で降りてください。

写真a:嵐電四条大宮駅。阪急大宮駅の斜め向かいにあります。


B 北急沿線の方(往路)

 少々遠回りにはなりますが、一旦、梅田まで出て阪急に乗り換えて大宮まで行ってください。南方からでも阪急に乗れますが、地下鉄ではエスカレーターを反転してもらう必要があり、阪急ではスロープの鍵を開けてもらう必要があります。また、大宮に行くのに茨木市で特急に乗り換え、桂で急行に乗り換えなければならないのであまりおすすめできません。
 大宮からは太秦まで嵐電に乗るのは同じです。

C モノレール沿線の方

 蛍池に行って宝塚線に乗る方法と南茨木から京都線に乗る方法があります。南茨木廻りの場合、普通に乗れば茨木市で、急行に乗れば高槻市で特急に乗り換えて桂で急行に乗り返して大宮に行きます。運賃は千里中央・少路の方は南茨木廻りの方が、柴原の方は蛍池廻りの方が安いようです。大宮から太秦まで嵐電に乗るのは同じです。
 嵐電はワンマン運転ですので一番前に乗るのがいいでしょう。また、出口も前側です。
 太秦駅から映画村まではすぐなのですが、道が狭く、交通量が多いので、気をつける必要があります。
 ほとんどの観光客は太秦駅を降りると広隆寺のそばの歩道を歩くのですが、途中でこの歩道が狭くなるので、敢えて、交通量の多い三条通を歩きます。太秦駅を出て目の前にある三条通を渡ると、右京消防署があります。そこを右に曲がり、左手にある簡易裁判所を越えた信号を左折します。そこも歩道はないのですが、一方通行で道幅があるためまだましでしょう。ここからすぐに映画村の入口(写真b)に着きます。

写真b:映画村入口。入口の近くにあるトイレは、車いすトイレもあります。


 映画村の入口を入るとすぐに昭和30年代の京都の下町の街並みがあったり、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のパネルや衣装などの展示があります。そのエリアを出ると時代劇のセットがあります。
 中村座(写真c)では大道芸やチャンバラ劇が数回行われています。車いすスペースといったものはないのですが、横から舞台を見ることができます。あと驚いたことに、撮影は自由です。(特別なイベントでは撮影禁止にするとは思うのですが)
 時代劇のセットの中にはないのですが、ロケーションスタジオでも時代劇のアクションシーンが見られます。
 映画文化館には映画に関する資料が展示されています。1階・2階が展示場ですが、2階へはエレベーターがあります。そのエレベーターの近くにある車いすトイレは他の場所にある車いすトイレとは違い、ユニバーサルベッドが設置されています。(写真d)他の車いすトイレより面積は狭く、キレイではないのですが既設トイレに設置しているのは珍しいのではないかと思います。

写真c:映画村の中にある、中村座。この中でチャンバラ劇を見せてくれます。 写真d:映画文化館の裏手にある車いすトイレ。
車いすトイレは他にもありますが、ユニバーサルベッドが
あるのは、映画村内でもここだけ。


D 復路について

 太秦駅から四条大宮に行くのはホームが狭い上に電車とホームとの段差がありますので嵐電に乗ることはおすすめしません。
 帰りは別のルートになります。
 JR嵯峨野線で京都まで行き、京都から大阪までJR京都線に乗り、梅田から帰る方法です。
 映画村を出ると左に曲がるとすぐに踏切があります。踏切を渡り、最初の信号を左に曲がります。そのまま真っ直ぐ進むと嵐電の踏切があります。それを越えると右側に府立嵯峨野高校があります。そのまま進むと左側に仲野医院があります。それを越えるとすぐに左に曲がります。看板がありますし、右手に田んぼがあればOKです。そのまま真っ直ぐ進むと踏切がありますが、その踏切は渡らずに右折したらJR太秦駅です。ここから京都行きの電車に乗るときは改札口と京都方面行きホーム(1番線)は同じ高さなので問題はないのですが、京都から電車に乗り、太秦で降りる場合1時間に1本ぐらいしか1番線に到着せず、残りは階段だらけの2番線に到着するので、JR太秦駅を利用する場合は帰りのみ利用してください。
 同じ建物でも表と裏では別の店だったり、屋敷町のセットの大きさには驚かされました。
 さて今度はどのイベントのときに行こうかな?

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8. えりとママの珍道中記

えり

ママの大しっぱい のまき

ある日のよる、ママにじけんがおこった!
それはママがごはんを作っている時におこった。
ママがかぼちゃをたいていたその時だ。
ママが目をはなしているすきに、かぼちゃがこげてしまったー!
ギャーッとママのこえ。それをみた私はびっくりした!
ママはかぼちゃをこがしてしまったのかー!と思った。
あーあこがしちゃった。
ま、しょうがないか、ガマン ガマン
と思ったのもつかのま、こんどはお魚をこがしてしまったー!
もうわたしは、きぜつしてしまいそうだった。
今日はあまりおいしいごはんは食べられないなーと思った。
私が思ったことはほんとうだった。
かぼちゃもお魚もあまりいつもよりおいしそうではなかった。
でもがまんしてわたしは食べた。


ママがこわれちゃったのまき

土曜日にバレーのレッスンが終わったあとに、ママがうめだに行ってばんごはんを食べようと言いました。
だからわたしたちは、うめだに行きました。そしてわたしは言いました。
「ママーうめだのお店のおもちゃを見ていいでしょー。」
でもママはちょっとこまっていましたが、OK。
でもママはだんだんおなかがすいてきてしまって、こんなことを言った。
メシクワセー!!と言った。
わたしはびっくりしたのでこうさん。
食べもの店さんに行くことにしました。
チャンチャン

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9. 学生無年金障害者の活動から Part 8
  〜学生無年金障害者・大阪裁判の報告〜

事務局

◎東京訴訟は勝訴判決

 全国9ヶ所で提訴している学生無年金障害者訴訟の中で、3月24日に東京地方裁判所で4人の判決が出ました。東京の訴訟では、国は「法の下の平等」を唄っている日本国憲法第14条に違反していると認め、原告3名に対し、各500万円の慰謝料(原告の請求額は2000万円)を支払うように下し、あとの1名の原告には、障害基礎年金の受給資格があると認定し“支給しない”という決定を取り消しました。

◎原告たちの主張

 大阪、兵庫、奈良、和歌山の原告が11名おられ、4月から7月にかけて本人尋問が行われました。
 今回の報告は原告の方々の内、5名の様子を知らせします。
裁判では、裁判長が新しく替わったため、原告11名の障害になった経緯、障害の状態、国民年金に加入してなかった理由と、裁判までの経過の説明がありました。

◎年金不支給は憲法14条違反

 原告の中には、20歳になって20日目に、大学のラグビーの試合中に事故にあってしまい、障害を負うことになった人がいます。もちろん20歳になって、20日目なので国民年金の滞納はしてないことになります。20歳未満で障害になった場合は、障害基礎年金の支給があるのですが、20歳を過ぎてからだと障害を負った時点に未加入であると障害基礎年金の支給がない点で、大きな違いがあります。これは憲法14条に違反しているというものです。
また、学生については強制加入ではなかったのです。そのため、ほとんどの学生は国民年金に入っておらず、それでも入りたいと考える学生については「任意加入」という制度がありました。「任意加入」制度については、ほとんど広報・宣伝されていませんでした。なかには、役所の窓口に「任意加入」の手続きに行ったところ、「卒業し就職した時には厚生年金に加入するので、学生は入る必要はない」との返事があった人もいたそうです。
このように、国民年金に加入していない学生時代に事故や病気で障害者になると、加入条件を満たしていないために、障害基礎年金を受給することをできない人を「学生無年金障害者」と呼ばれ、全国に4000人程度いると推定されています。
 このように、任意加入制度の説明が不十分と、国民年金法の制度的欠陥によって「学生無年金障害者」が存在するわけです。
本人尋問のやり方としましては、原告の代理人(弁護士)が原告に現在の状態、障害になった経緯、年金の支給が無くどんな点に苦労をしているのか等の質問を行い、原告は事実を証言し、裁判官に訴える形で進められました。最後に反対尋問として、被告(社会保険庁)から原告に質問をする形で行われました。弁護士と原告とは、あらかじめ打ち合わせがあったと思いますが、弁護士と原告のやり取り、裁判所の静けさ、張り詰めた緊張感など、まるでドラマのワンシーンでも撮影しているような感じがしました。

◎家族の協力があった、でも年金があれば…

 まずは本人尋問の一番手として、Iさんの尋問が行われました。
 昭和61年、当時看護学生でした。そのときに、友人と山道をドライブ中に崖から転落事故を起こし、第五、六の頚椎を脱臼骨折。そのために重度の障害が残り、日常生活全般的に介助が必要となってしまいました。事故の知らせを聞いて駆けつけた両親は主治医から“死を覚悟するように”と言われたそうです。その日から母親が病院に泊まり込み、24時間気を抜くことなく介護をされ、事故4日目、頚椎固定手術を受けた際、人工呼吸器をつけたために、痰の吸引や氷のうの氷を換える介護などで、睡眠もろくに取れない状況が続いたのです。そのために母親は体力的、精神的にも疲れきったうえ、さらに、医療費の請求額が2週間で250万円。入院費以外にも装具や医療器具、交通費など、何の保障も無くすべて両親が納め、経済的にもかなりの負担でした。
 その後、約3年間の入院生活を終え、自宅へ戻りましたが、退院後も法的な支援も経済的な不安から解放されることもなく、体力的、精神的にも疲れ果て“この子を殺して私も死のう”と考えられたそうです。現在は生活保護を受け、朝と晩にヘルパーさんに来てもらいながら一人暮らしをされています。
最後に弁護士から望むことを聞かれ、「経済面でつらい事ばかりだった、心身ともに疲れ果て心中も考えた。あの時死んだらよかったと思うときもある。その保障をして欲しい」と訴えられていました。

◎早く在宅で生活をしたい…

 Dさんは大学時代、ラグビー中心の生活をしておられました。そのときに、ラグビーの試合中の事故で第五頚椎を損傷、1年7ヶ月の入院をし、リハビリも行いましたが重度な障害が残りました。寝返りもできず、日常生活全般にわたって、介護が必要な状態です。退院後の生活を考えたとき障害年金も出ないし、今の身体状況では、母親と二人での暮らしを考えてみれば、在宅生活をあきらめて、施設で暮らす事にしました。
身体面の悩みとして、「床ずれ」ができやすい体質であり、以前にはお尻に骨が見えるほどの状態となり、手術を2回したこともあります。そのためにも長時間車いすに乗らないようにしているそうです。最近はベッドで過ごすことが多くなり、食事やパソコンもベッド上ですることが多くなりました。「これからは、寝たきりでつまらない人生になる」と思い、ケガをしたことを悔やみ悲しみました。
 施設の生活費は、公的な援助もなく、66歳の母親のパートでの収入に頼っています。母親の収入の3分の1が施設生活費で、全て母親が負担しており、もし障害年金があれば母親の苦労が減ったことでしょう。また、本人の仕事の面に関しては、自宅で仕事ができるようなものはないかとハローワークに相談も行ったそうです。しかし、車いすに長時間座ることも難しく、なかなか仕事もみつかりません。職業リハビリセンターでパソコンの技能を取得しましたが、パソコンを購入したくてもお金も無く援助もなかったのです。
 ようやくパソコンを買える援助ができ2年前に購入をしましたが、現在の収入は微々たるものです。将来的には収入をもっと増やして家で生活をしたいと考えています。現在の施設生活は自分のスペースがないなどの問題があり、いち早く家で過ごすことを希望しています。
 最後に国は公正な判断をして欲しいと訴えていました。

◎裁判は疲れました…

 Kさんは精神障害者(統合失調症)です。症状は幻聴、妄想があり、また、引きこもりや食欲不振、眠れないこともあります。現在は、幻聴、妄想の症状はなくなっています。
高校時代は早退や登校拒否もありながらも卒業し、大学4年生の時に就職活動での緊張・不安で軽いノイローゼの状態になりました。家族から「具合が悪いのではないか」と指摘されても本人は自分の事をおかしいと思わなかったようです。
昭和56年2月に本人の希望通りの会社に内定が出ていたのですが、3月に病院に行ったところ”統合失調症”と診断が出ました。主治医からは「就職は辞めた方がいいよ」と言われ、就職を断念することになりました。その時本人の気持ちは「やっと休める・・・」とホッとした、と当時は思ったようです。
現在の悩みとしては投薬治療を行い、症状を抑えているが、それの副作用で頭がボッーとしたりします。薬を止めると病気(幻聴・妄想)が再発してしまうのです。
仕事は今までアルバイトをいろいろとし、自助努力をしたのですが、根気がなく続きませんでした。今はパソコンを使い、精神福祉の雑誌にコラムを書いたり、講演などを行い単発的な収入を得ています。弁護士から「定期的な収入のある仕事には就かないのか」との質問には「傍らにベッドがないと困難だろう」と答えていました。
精神障害は見た目には、わからない障害なので、社会や家族はその病気を理解しにくく、本人もいつか治るだろうと、障害を受け入れることができずにいます。このように精神障害者の悩みを訴えており、「裁判は疲れませんか」との質問には「かなりしんどい・・・」と言い、緊張して不安な様子も見られました。最後に「年金をもらえない多くの仲間たちがいる、その仲間たちの為にも一緒に活動を行っている」と訴えていました。約1時間の本人尋問が終わりKさんの緊張も無くなり時より笑顔が見られました。  

◎小泉さんも無年金障害者になったかも…

 本人尋問を行っている期間内に、年金未納の国会議員が次々に発覚し、毎日のように新聞やニュースで報道されていました。
 原告側から国会議員の年金未納問題について指摘があり、小泉首相のように知識がある方でも“学生時代は年金制度について知識が無かった・学生時代は任意加入であり年金未納ではない”と国民年金未納の理由としていました。「小泉首相や厚生労働省の副大臣らでさえ手続きを知らなかった欠陥制度、一般市民が知らないのも当然で、一日も早く救済するべきだ」と原告代理人が訴えていました。

◎任意加入の相談に行ったのに…

 Tさんは「無年金障害者の会」が活動する前から無年金障害者に対して救済を求める活動を行っておりました。
Tさんの場合は、母親から国民年金の任意加入ついて知らされており、市役所に知り合いも多く、家族から相談するように言われ、20歳になる1ヶ月前に国民年金課の窓口に問い合わせをしました。その時の対応で“大学生はいずれ厚生年金などに入るので、現在は加入しなくていい”と言われました。またその時、任意加入せず障害を負ったときに、どのようなことになるのか、不利益についての説明は一切なかったようです。
Tさんが障害になった経緯は墓参りに行くため、家族と共に自動車を運転していた時に、車が15メートルの谷に転落してしまいました。Tさんは背骨を骨折し、脊椎損傷になりました。事故後、市の窓口で障害年金について問い合わせたところ、取り付く暇もない対応で門前払いをされてしまい、市から年金制度の説明不足の謝罪も一切なかったのです。
 Tさんの活動では、無年金障害者の救済を求めて、厚生労働省に請願書を提出、また同じ目的をもった「無年金障害の会」に昭和63年に入り、共に裁判に踏み切ったのです。最後の言葉に「私は事前に相談に行った、任意加入に入ってない場合のリスクの説明をきちんとして欲しい。これは国の制度の間違いである。」と訴えていました。

◎福祉的な措置ではなく年金として支給をするべきだ!

 11名の原告の最後は「無年金障害者の会」代表のHさんの尋問が行なわれました。当時、大学4回生で卒業後は大阪市の教員に内定を受けていました。Hさんは横断歩道を渡っている時に、交通事故に遭い、頭と胸の骨を折る大ケガを負いました。その結果、車いす生活を余儀なくされることになり。事故から一年後、周りに障害年金をもらっている人が多いので、役所に年金がもらえるか聞きに行くと“任意加入していないので年金が出ない”と言われ大変なショックを受けました。しかし、就職もでき、不安がなかったと当時は思っていたようです。
これまで国民年金制度はさまざまな改善を行い、外国人、主婦、学生などたちに対象が拡がってきました。無年金障害者たちは、制度を改善する引き金になっても、自分たちはその恩恵を受けることがないのです。そんな理不尽なことは納得できず、政府に障害基礎年金を支給するように求め運動をしてきました。
その結果、国も国民年金制度の欠陥を認め、学生等についても強制加入となり、また、「学生納付特例制度」も導入されることになりました。よって、保険料を払っていなくても障害基礎年金が受給できるようになりました。でも、この改正前の学生無年金障害者はそのままでした。
今まで国は全く何もしてくれませんでしたが、福祉的措置で支給する案がでました。しかし、「福祉的な措置ではなく年金として支給をするべき」とまだまだ不満な点が多いのです。また、もともと無年金障害者の運動は、すべての無年金障害者の救済と無年金を生み出さない年金制度を目指して始めたものです。全国12万人いるといわれている無年金障害者の足がかりをつくって欲しい。“勝訴は国を動かします”と力強く訴えていました。最後にHさんの好きな言葉で、1975年国連で採択された障害者の権利宣言の中に“障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、同年齢の市民と同等の基本的人権を有する。このことは、まず第一に、可能な限り通常のかつ十分みたされた相当の生活を送ることができる権利を意味する”と訴え、大阪裁判の11名の本人尋問が終了しました。

◎これからの動き。めざせ!全員勝訴!!

 今回の本人尋問で原告の人たちの生活の状況や年金制度において、国の不作為が明らかになったといえます。これから新潟や仙台などで判決が出てくることになります。
大阪ではこれから学識経験者などによる証人尋問が計画されていますが、被告側は「不利になってはいけない」と思い、反対の姿勢をもっています。原告側は証人尋問で、国の不作為によって、学生無年金障害者を生み出した違法性を明らかにし、来年の夏までに、原告全員勝訴を目指しています。
私たちもそれを見据えてこの活動を応援していくと同時に、国の違法性と不作為を多くの人に訴えていきたいと考えています。
また、動きがあればこの紙上で明らかにしたいと思います。

(文責:古川)

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10. 地域の作業所の活動を紹介します−第4回−

広報誌編集部

地域の作業所を紹介するコーナーの第3回目。
今回はかるがも作業所にお邪魔してきました。


この日は、あいにく・・・
私たちが、お邪魔した午後は、とても天気になり暑かったのですが、朝は雨が降り、この日は『公園の掃除(収入源の一つ)』が中止になったようです。そのため少々力の余ったようすのメンバーが迎えてくれ、何人かは、市役所にお使いに行かれてました!

さて商品の紹介から

〜 定番商品  〜
万能茶・・・・・価格  一袋 500円   
販売場所・・・・・事務所・なかまの店

この商品は、認知度も高く固定客もかなりいるとのこと。

一番人気! 万能茶


〜その他の商品〜

 卸業をされている方とのつながりから、B級品の商品を回してもらえ、事務所前にて、ショーウインドーに並べて、展示販売!
これはB級品のためかなりお買い得なので、近所の方も通りすがりに見られるのを楽しみにされている人も多く、営業手段の一つで商品をこまめに並べ替えるという商売戦略を。時には、メンバーの方が売り込みの声がけをされるそうです。このメンバーは、とても頼もしく、値切られるお客様にも十分太刀打ちしてるようですよ。
 ところで、これらの商品もこの先ずっとという物ではないらしく、バザー品などで補っていくそうです。
この他、寄付形式の棚もありました。
 棚の上に並べられた物の中に、お気に召す物が見付かったら、ご自由に“寄付”と言う形で、お金を入れていただけるようなシステムに。。。ユニークですね。

ショーウィンドゥに並ぶ、サングラス・財布・コップ・灰皿・爪切りなどの商品。
このほかにも、手さげバッグ・お皿・キッチン便利3点セット・ベルト・バンダナ・タイピン・カウスボタン
といった商品が並んでいました。
値段はお客様次第。 「カンパお願い」
なかなか面白い発想ではありませんか?


他にはどんなことを・・・?
 ある日は、料理をしたり、水泳に行ったり。
作業としては、『ぱど』の配布をされています。
去年残念なことに、ある滑り止めの商品の作業が、工場停止になり受注がなくなったそうです。
 この地で7年目という『かるがも』さん。
 地域的に、ボランティアに活発な地域だと言うこともあるようですが、事務所の前で商品を飾ることで、地域の方にもここに作業所があるということがわかることができるので良いと思います。実際、私たちがお邪魔させてもらった間にも、何人もの方が、足を止められみておられました。ほんとに自然に居られる空間でした。
 それでは、最後に代表の方から一言。
「これからも、より地域に根ざした作業所を目指します!」

(by ま〜たれ)

これはメンバーが使うハサミなのですが、
使ったあと、元に戻すときにどこが所定の位置か分かりやすいように、
かける板の上に、そのハサミの絵が描かれています。
知的障害者のためのバリアフリーとも言えるデザインですね。

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11. ぼくの日曜日

海帰 優人

恋すること
老いること

 実は、ぼくは無類の女好きだった。施設にいたころはよく持てた。一方で、ぼくは無類の小心者である。いつも、相手から声をかけたくなるようにしむけたりした。
 しかし、そういうときはほぼ百パーセント失敗するのである。さっき「ぼくはよく持てた」と書いた。矛盾しているように思われるかも知れないが、たいがい思わぬところから声をかけられたのである。ぼくは気が弱い。断るでもないし、断らないでもなしにおつきあいが始まる。最初は相手が一方的に熱心なのだが、だんだんぼくもその気になる。ところが、施設という枠組の中ではどの恋も完結にはいかなかった。「臆病者」などと自身を罵ったこともあった。

 一人ぐらしを始めて、すっかり持てなくなった。ぼくは何も変わっていない。しかしその原因は分析できる。ぼくの持っている「優柔不断さ」が施設にいるときは「吉」と出て、いまは「凶」と出ているにちがいないのだ。つまり、だいたいのことに順応し許してしまうところが、管理される側にいるときは「ふところの深さ」になり、自立生活をしていると「決断力不足」に映ってしまうのだ。
 というわけで、ここ三年ぐらいはフリーである。もちろん誰からも声をかけられた憶えもないし、好意を寄せられた憶えもない。確かに、さみしいときがある。人恋しい時もある。晩春の夕暮や夏の終りには、空を見上げて泣きそうになったりもする。只、瞬間的に「ええ女やなー」と行づりの人にときめいたりすることはあっても、世間一般でいう「男と女の関係」には到ることはないだろう(あくまでも将来を予知することはできないけれど)ぼくがそういうことに煩わしさを感じるようになった理由が二つある。一つは、ぼくの生活形態から発している。恋愛のおよその終着点は家庭を持つことだろう。そこまで辿り着くか着かないかは別にして、深いおつきあいになれば大方はそれを目指す。ぼくにはどんな生活形態になったとしても「介護者」が必要である。つまり家庭を持っても「二人暮し」には落ち着く術などない。最初はよくても長い年月を経るとしんどさが増してくるのは確実である。
 もう一つの理由は「老い」である。つい先日、49歳を迎えた。若いころは病気や痛みとはほぼ無関係だったのに、いまは慢性的に腰が痛い。食べ物が喉に引っかかると、簡単には咳払いで飛ばせなくなった。物忘れやかんちがいも頻繁におこる。
 現時点ではぼくにとって老いることはマイナスとしか認識できていない。だんだん思うように行かなくなるぼくに誰かを寄り添わせるのはとても辛いのである。それから それから、何よりも「一人」が好きなのである。

 先日、この春に大学を卒業したばかりの若い娘さんと梅田を歩いた。(仕事の流れで)。放置自転車をすり抜けながら歩く電動車いすの後ろから彼女は声をかけた。「この放置自転車に腹が立ちませんか」ぼくは「べつに」と応えた。彼女は去年の夏に一ヵ月ほど車いす生活をしたらしく、それまでみすごしていた放置自転車を急に腹立たしく思いはじめたとのことだった。ぼくが腹を立てない理由が二つある。ぼくにとって、放置自転車が歩道をふさいでいる光景はあまりにも日常的だから。いらいらしたり、あわてているときは電動車いすで蹴り倒しながらつき進む。たおれた自転車がよけいに行手をふさいだりする。
それでも「まぁ しゃーないか」などと人が通るのを待ったりする。

 もう1つの理由は、駐車場などの社会的な整備の遅れを感じることとあわせて「自分だったら」を思うからである。もしいまの状況で行きあたりばったりが得意なぼくが自転車に乗っていたら、放置する側に立っていたかも知れない自分に自信が持てないことを、他人がやっているからといって責めることはぼくにはできない。
 「ぼくが自転車に乗る立場やったら同じことやってるかもしれへん。怒れへんやん。」ぼくがそう言うと彼女は何度かまばたきをして「素敵です。」と応えた。彼女があまりにも真剣な顔だったので、少しドキッとした。しかし、ぼくのツボに入ってしまったのは一呼吸おいて続けた彼女の言葉だった。「すごいとか、えらいとかじゃなくて、とても素敵です。」ぼくは言葉が終わるか終わらないかうちに、彼女の反対方向に視線を移した。要するに、照れくさかったのである。「ガンコ」の看板に向かって「おっさんをからかったらあかん」などととりつくろった。彼女はまだ「真面目です」などと続けていた。
 いい人生を送ってほしいと思う。

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12. 支援費制度はこれからどうなるのか?
   
6.9介護保険統合化反対全国行動に参加して。

事務局

 2003年4月、それまでの行政執行による「措置制度」から、障害者の自己選択、自己決定を進めることと、「ノーマライゼーション」(共に生きる)の考え方の下「支援費支給制度」(支援費制度)が始まりました。


 障害者の生活において、様々な要望(ニーズ)に答える意味では、画期的な制度と唱われ障害者団体も制度を推進していくため、宣伝活動や制度を使う時に支援をしたり、ケアプランを利用者と一緒に作ったりして、地域で快適に生活が営めるように展開してきました。
 その結果、それまで制度としては、身体障害者の制度でしかなかったガイドヘルプサービスが、知的障害者にも枠が広げられ多くの当事者が利用しだし、余暇の時間を楽しく過ごしたり、社会参加する人が増えました。他にも障害を持った子ども達が親ばかりではなく、ヘルパーさんと遊びに行ったり、家で過ごしたりする時間もできるようになり、それが親たちのリフレッシュにつながることになりました。


 厚生労働省(厚労省)が「地域移行・脱施設」の考え方を打ち出し、その象徴として、各地域にはグループホームが作られ、そこで暮らす障害者も増えてきました。これも支援費制度が作られたから生じたものです。
 制度が始まって、半年を過ぎたころ厚労省は、「支援費制度がこの状況で進められると一年たった時には、100億円を越えるぐらいの赤字になってしまうと」言いだし、「税金でまかなっている制度が破綻してしまう」という発表をしたのです。このことは、制度が始まるまえの計算が甘く、障害者の生活が支援費制度によって、広がりができることが考えられなかった厚労省に、大きな責任があるといえます。それだけ措置制度の時代に我慢を強いられてきた障害者やその家族の実態を感じられなかったのも原因の一つなのです。
 厚労省がこの状況下で考えたことは、一つは支給単価の引き下げです。でもこれには、居宅支援事業所から強く反対が起こるのは必至だし、利用している当事者からも「安心して介護が受けられないし、支援費をする事業所がなくなったらどうするのか」というような声も上がってくるのです。よって単価の引き下げには限界があり、「焼け石に水」になりかねないのです。
 そこで、税金でまかなえないのなら、国民から負担をしてもらおうという考えを起こし始めたのです。
 2000年に65歳以上の高齢者や一部の障害者の中で、介護が必要な人たちに対して、国民から保険料を徴収し、それを財源にし、介護などの費用をまかなう為の介護保険制度が始まったのです。それが5年経ち、そろそろ見直しの時期に来ているのです。 それに乗じて、支援費制度も介護保険に統合させようという考え方が起こりだし、厚労省の中にそれを考えるプロジェクトチームも作られました。それがきっかけになり、厚労省の内部、特に支援費を担当している部局では、統合化にむけて進められるように加速をつけて動きだしたのです。


 介護保険は、40歳以上の国民に対して、徴収を原則として行われていますが、見直しではその年齢を大幅に下げて、徴収率を上げようとする考え方が起こり始めました。それも障害者介護を介護保険でという考え方に拍車がかかったのだと思われます。
 支援費制度が介護保険に統合されると、障害者の地域自立及び自立支援という考え方が消えていく可能性があります。介護保険は、高齢者を持つ家族に対する支援の考え方が前面にあり、限られた年月の中で、いかに快適に暮らし、施設などを利用するかが根底にあるのです。
 障害者は、これから長い時間、地域で生活するし、また多様なニーズを持っているのです。介護保険の尺度で障害者の生活を考えられてしまうと、そのニーズに対して応えていくことができない。介護保険の居宅支援に利用できるホームヘルパーの派遣時間数は最大でも、一日3時間を超えることができない。そしてガイドヘルプというものが考えられていないのです。


 厚労省の考え方では、障害特有の制度は介護保険に上乗せをして、その部分は税金で考えていくと言ったりしているのです。いわば、2階建方式の制度を作ろうとしているのです。また、介護保険制度を使えなかったら支援費制度自体を地方分権の名の下に都道府県、市町村に移行しようという、考えも見え隠れしています。これは、「国は、障害者のことはできませんしお金も出せません。後は県と市でやって下さい」という意味です。これをしてしまうと、今でも問題となっている、支援費の地域格差がより大きな問題になっていくのです。これは問題を大きくしてしまうことが明かで、その「ツケ」は利用する当事者やその家族にまわってくることは間違いないのです。
 いわば、障害者のことを真剣に考えていない市町村は、障害者の自立生活なんて考えられなくなってしまい、そういう障害者は施設入所が待っていることになってしまうのです。
 これは、時代の逆行であり、支援費の考え方から逸脱してしまうのです。
そのような中、私たちは、6月9日に支援費の存続と障害者の地域自立をより強力に進める為に多くの団体が、厚労省に対して「介護保険統合化反対、地域生活移行、脱施設化の推進」と総務省に対しては「支援費の一般財源化反対」を打ち出し全国各地から東京厚労省前に集まったのです。
前日まで雨が降り続き、雨の中の行動かなと思い覚悟はしていたのですが、当日はみんなの力が天に届き、雨が降ることがなく集会所の日比谷公園に全国から1200名を越える仲間たちが集まったのです。
 大阪からは350名ほど集まり、思いおもいのプラカードやアピールを書いたのぼりやゼッケンを付けていました。
私は、支援費が始まる前に、厚労省が「ホームヘルプの時間数に上限を付ける」というのに対して、「裏切り行為」(当初は上限は設けないという約束)の発言をしたときに寒い中、1500名ほどの人たちが全国から集まり、厚労省に対して行動を起こし、その「裏切り行為」を撤回させたことを思い出していました。
 今回も厚労省の部長が「障害者団体の人たちが反対することは、進めることはできない」と私たちの前で発言したにもかかわらず、また「裏切り行為」をすることは断じて許せないという思いから集まったのです。


 日比谷公園での集会では、全国各地での障害者の生活状況が発表され、障害が重度になればなるほどヘルパーの必要性が高いと語られました。また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)でベンチレーター(人工呼吸器)を使用している人たちは、「ヘルパーの時間数が少なくなり、誰も来ない時間があったりすると数分で死ぬことになるだろう・・・」というような訴えが文字盤を使って発表されました。
 知的障害をもつ仲間からは、「支援費ができて、ヘルパーさんと買い物に行ったり、野球を見に行ったりして、楽しいことができているのに時間が少なくなるとまた我慢をして家に閉じこもってしまう。そんなんおもろない!」という発言もありました。
 この集会の後、隊列を組みデモ行進を行い日比谷公園から霞ヶ関を通り、永田町へつづきました。隊列は厚労省が入っているビルを取り囲み参加者は声を合わせて「介護保険統合反対!」「一般財源化反対!」「知的障害者が暮らすグループホームを増やせ!」「障害者の地域での自立生活を真剣に考えよ!」などのシュプレヒコールをあげてアピールをしていました。
 一部のメンバーは衆議院、参議院の議員会館に行き、この行動の説明と嘆願書を渡しに行きました。国会が終わりほとんどの議員は地元に帰ったりして、不在でしたが一部の議員と会うことができました。その中で自民党の議員が「この問題は厚労省の中の障害福祉の担当するものの計算が甘く、こういう事態になることは見えてたはずなのに、それを介護保険に無理矢理に統合させるのはおかしい、自分たちも国会のなかで言っていくのであなたたちも頑張ってください」と言ったそうです。


 この問題は、自民党の議員もおかしいと言っているし、厚労省の中でも意見が分かれているようです。
 この記事が広報誌に載り、皆さんの手元に届く頃には、この問題はどうなっているのかわからない状況です。
 ただ、厚労省の動きはスピードに加速がつき、統合化へ流れようとしています。私たちは、その流れをくい止めるために以前にも増した大きな闘いをしていかなければなりません。せっかっくできた障害者が決定権をもつ制度、障害者が地域の中で当たり前に暮らしていける制度を潰さないために・・・。

(文責:大友)

日比谷公園での集会風景。みんな力強いです。
厚労省前に集まりました。このときは静かだけど、怒ったら怖いで。


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13. ベンチレーターと自立生活
   
ベンチレーター国際シンポジウムから

事務局

ベンチレーター(人工呼吸器)とは

 ベンチレーターのことをみなさんご存じでしょうか?テレビのドラマでよく患者さんに取り付けてる機械を見かけることがあります。今からベンチレーターを家の中で使い、また外出の時も使って自立生活をしている状況やベンチレーター自体がどんなものなのかを紹介します。また、ベンチレーターを使っている人達などで組織している「ベンチレーター使用者ネットワーク」(JVUN)が6月27日に大阪市住之江区で行ったベンチレーター国際シンポジウムの様子を報告し、重度障害者の自立生活を考えて行きたいと思います。
 ベンチレーターとは、肺に空気を送り込む道具です。自分で呼吸ができない人または、昼夜を問わず補助呼吸の必要な人が使う物です。
 障害の種別を問わず、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、筋ジストロフィー、ポリオ、頸髄損傷(高位置なもの)、脳性マヒ、睡眠時無呼吸症候群などの障害を持つ人が使っています。
ベンチレーターは歩けない人が電動車いすを使うのと同じように障害者のためには、便利な道具なのです。よって、ベンチレーター使用者は決して「患者」ではないのです。
テレビなどのマスコミでベンチレーターと聞くと「生命維持装置」というイメージが強く、大変なものでそれを着けている人は「重病だ」と思われるのです。
最近では、ベンチレーターは健康保険の対象となり、リースもあったり、周辺機材などは負担なしで手に入れることができます。



ベンチレーターの種類としくみ

 最初は冷蔵庫ほどの大きいものしかなく、使う人は病院か施設でしかいませんでした。 ベンチレーターを使うことは、家では生活ができないものだと思われていました。80年代後半になり小型のベンチレーターが作られ、在宅生活向けに販売されるようになりました。次の4種類のものが今の主流になっています。

・ボリュームベンチレーター(従量式陽圧人工呼吸器)

 これは、一回に送り込む空気の量を設定してその量を肺に送り込むものです。在宅人工呼吸器の主流です。

・バイレベル従圧式陽圧人工呼吸器(BiPAP)

 これは肺に空気を送り込むときの圧力によって呼吸量が決められます。二段階の圧力設定ができるベンチレーターです。おもに夜間の補助呼吸に使われます。

・持続性従圧式陽圧人工呼吸器(CPAP)
持続的に一定の陽圧を肺に与えることで気道が塞がるのを防いだり、自分で呼吸するのを補助するためのものです。おもに睡眠時無呼吸症候群などの呼吸補助に使われます。

・胸郭外陰圧式人工呼吸器

 前の三つとは違い、肺に陰圧(体内よりも低い圧力)をかけて呼吸させるものです。「アメリカの自立生活運動の父」と呼ばれるエド・ロバーツさんはこのタイプのベンチレーターを使っていました。別名「鉄の肺」と呼ばれ、体全体や胸の部分を器具ですっかり覆って陰圧をかけます。このため、外出などは困難で、行動の自由がなくなってしまいます。エド・ロバーツさんは、「鉄の肺」を着けながら困難に負けず外出や連邦政府などと交渉し、また、海外へ行き障害者の自立生活運動を広めて行きました。その時には、大掛かりな装備を着けていました。

・インターフェイス

 ベンチレーターから送り込まれる空気を取り入れる気道の部分と器具を「インターフェイス」といいます。日本語では「換気連結器具」と言うそうです。
呼吸障害の状況によって、気管切開、口腔、鼻腔となり、気管切開には気管カニューレ(切開した部分に入れるチューブ)、切開しない場合、口にはマウスピースやマスク、鼻にはネイザルマスクやネイザルピローという物を使います。どれにするかは、それぞれの呼吸障害と換気方法と、とても密接な関係があります。



語句の説明

カニューレ

・気管カニューレ

 気管切開をしたところに入れるチューブのことです。カニューレとはドイツ語で「管」を意味します。この気管カニューレを通してベンチレーターから空気が送り込まれます。
気管の大きさに応じて、太さの違うカニューレを使用します。カフ(チューブのまわりに付いている風船のように膨らませることのできる弁)付きのものとカフなしのものがあり、カフ付きは誤嚥やリーク(空気漏れ)を防ぐためにあります。
カフ付きカニューレでは発声することはできませんが、同じカフ付きカニューレでも、カニューレの上部に穴を開けて発声を可能にする「カフ付きスピーチカニューレ」というものもあります。カフなしカニューレだと気管切開をしても数ヶ月で発声が可能になります。

・カフなしカニューレ

 発声が可能となり、カフ付きに比べ気管への圧迫感が少なく、カニューレ交換が比較的簡(出血の可能性痛みが少ない)。デメリットとして、誤飲・リークを防ぐ事ができない(あらかじめリークを想定して一回換気量を増やしておくことである程度解決できます。)ことなどが挙げられます。

・マウスピース、ネイザルマスク

 口や鼻を覆い、口呼吸や鼻呼吸をしやすくするマスク、気管切開をしていない人で睡眠時などに呼吸補助をするもの、今では口と鼻を両方覆うような物もあります。


シンポジウムのようす


「ベンチレーターを着けると声が出せない」は昔の話


 ベンチレーターのイメージは、気管に穴を開け、ベッドの上で一生機械につながれているというイメージがあります。ベンチレーターを使用すれば補助呼吸だけでよい場合や夜間のみの使用の場合は気管切開をしない鼻マスクからの呼吸になります。この場合はもちろん発声をすることができます。カニューレやバルブを使うことでほとんどの人が発声でき、食事を自由にしたり講演で講師をしたり、カラオケにも行くことができます。
 6月27日に「ベンチレーター使用者ネットワーク」主催、「全国自立生活センター協議会」共催で「ベンチレーター国際シンポジウム」が大阪市住之江区のオスカーホールで行われました。このシンポジウムは、札幌、東京、大阪で開かれ、当日はベンチレーター使用者、自立生活センターの関係者、家族、一般の人々を含め、350名を超えました、会場に入りきらない人は2階席にも行ったり、ホールの外で聞いていました。 
 基調講演は、ジョーン Lヘドリーさん(国際ベンチレーター使用者ネットワーク事務局長)が「世界のベンチレーター使用者とつながりあって」というテーマでお話をされました。アメリカで自立生活運動に関わっている彼女はポリオの障害があり、ベンチレーター使用者とのつながりを作っていくことが重要であると言います。子どもの頃、同じ障害を持つ友だちが「鉄の肺」のために行動の自由がなく、病院の中で生活し、人生を終えていくのを見てきたそうです。今、必要なのはベンチレーター使用者同志のピアカウンセリングであり、当事者やその家族、そして医学に関係する人たちが互いに情報提供やピアサポートをして、ベンチレーター使用者の自立生活を現実的なものにしていくことが必要であると訴えておられました。
 特別医療講演として、アメリカのエドワードA.オッペンハイマーさんが、医学者の立場から人工呼吸法の説明をされ、スライドや写真を使いながらベンチレーターの機械の説明や周辺機器の紹介などがありました。また、気管切開をする場合としない場合の違いや在宅でベンチレーターを使用するときには本人、家族、ヘルパーは、何を注意したらいいのかという説明があり、トラブルが起こったときにいかに落ち着けるか、医療機関などとの連携をいかにとるかが重要であるとおっしゃっていました。
 後半では、カナダ・トロント自立生活センターのオードリー・キングさん、スウェーデン・ストックホルム自立生活協同組合のアドルフD.ラツカさん、日本ALS協会の熊谷 寿美さん、ベンチレーター使用者ネットワークの富田 直史さん、そして基調講演をしたヘドリーさんをパネラーにパネルディスカッションが行われました。
 キングさんはベンチレーターを付けて列車や飛行機、ボート等を使って、世界のあちこちに行っているそうです。それは、「健常者がエベレストに登ったり、サハラ砂漠を横断するのと同じくらいのもので、その時の達成感は素晴らしいもので、そのスリルや興奮を体験して下さい。」と言われていました。
 ストックホルムのラツカさんは、スウェーデンにおけるパーソナル・アシスタント・サービス【自分にあった介護者を自分で雇うことができ、その人達はヘルパー級などの資格は限定されない。また、雇用者(介護を必要とする障害者)は介護者を解雇することができる。それにかかる費用は、国から直接、雇用者に支払われる。これをダイレクトペイメントシステムと言います。】があり、ベンチレーター使用者もこのシステムを使っていると話されていました。
 健常者と同じように暮らし、愛する気持ちをもち、そして仕事をする上で私たちに不要なものは、

過度の保護
生活場所の特別な解決策として病院やその他の公共施設を挙げること


必要なものは、

優れた医療サービス
住宅を含む全ての生活基盤におけるアクセシビリティー(車いす対応力)
パーソナル・アシスタンス・サービス


 ラツカさんは、「パーソナル・アシスタント・サービスがあるから、ベンチレーター使用者が自立生活をし、海外旅行も信頼できる介護者と行くことができる。日本では、まだ支援費制度で止まっている。ただ、ベンチレーター使用者ネットワークがある札幌市は自立生活がしやすいと思う。もし、大阪のベンチレーター使用者が安心した自立生活をするのなら札幌市に引っ越し、そしてスウェーデンに亡命すればいい。」と笑いながら言っていました。
 ALS協会の熊谷さんは、気管切開をしているために会話をするのに口の動きで作動させるパソコンを使っています。今回は、ご主人が側につかれて、サポートをされていました。尼崎市に住み、支援費制度が始まる前は、ご主人が帰宅するまで一人のため、機械に不都合があった時は死に直する危険もあったとか。いわば”命がけの留守番している”と言われていました。今では、自宅で一人の時間帯にはヘルパーさんや訪問看護師さんが派遣され、食事やトイレ、入浴、そして吸引もしてもらうことができるようになった。でも、夜間や土日は、家族介護になってしまっている。最近、楽しかったことは大学での講演の後、ご主人やお孫さん達と一緒に温泉に行き旅館で一泊し、久しぶりに湯船に入ったことだそうです。
 ヘルパー事業所によっては、ベンチレーターを使っている人への派遣を断ったり、
吸引とか排痰の介護を断ったりすることがあります。熊谷さんは「吸引は、安全で誰でもできるのです。小学校3年生の孫でもやっているのです。もちろん、家に来るヘルパーさんはできるし、看護師の学生よりも安心です。医療的ケアを断る事業所は、介護の意味を考えていないのではないだろうか」と言われていました。そして、最後に寿美さんからこの時集まった人たちに次の様なメッセージが送られました。

『不自由でも楽しい人生です 』

 私は、このシンポジウムに参加して、ベンチレーターのことがよりいっそう認識できたような思いがしました。
 どのような重度な障害があっても、ベンチレーターという道具を使うと自立生活ができる。医学や機器がもっと進んでいけば、外出もなんの心配なくできるし、楽しい生活が想像されると思います。そして、自立している重度障害者が安心して生活できるような制度を作らせていくのは、私たち障害者がするもっとも大きな仕事ではないかなと思いながら帰ってきました。  

(文責:大友)

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14. CIL豊中近況

事務局

このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。

≪6月≫

2004/6/12 初めて見学、点字講座
 4月から行われている点字講座、初めて見学しました。人数が少なかったのですが、楽しい雰囲気で、みなさん積極的に質問も出していました。
 講師の人も、至ってリラックスした様子でした。

2004/6/18 会議詰め
 今日は午前中は広報誌編集会議、午後からは支援センター会議が行われ、ヘルパーステーションでもステーション会議が行われました。特に支援センター会議は、約4時間におよびました。

2004/6/25 今日も会議日和
 午前中は、ヘルパーステーションと支援センターの合同会議が行われました。近く行われる市民講座・ヘルパー講座などについて確認がなされました。
 一方、午後からはピアカウンセラーによるケース会議が執り行われました。

≪7月≫

2004/7/9 阪急バスビデオ協力
 阪急バスの、教習用ビデオ作成の協力のため、阪急バス本社に行きました。
 電動車いすの職員がモデルとなり、社員の方々が熱心に撮影していました。
 ビデオの完成を楽しみに待ちたいです。

2004/7/17 夏期休暇の希望を募るも・・・・・
 7月も後半に入り、各職員は夏期休暇の希望を出す時期になっています。
 しかし、介護に編集に、どちらの事務所も仕事が忙しくて、果たして思うように取れるのやら、と気をもむ今日この頃です。

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15. サービスのご案内

事務局

ヘルパーステーションCIL豊中

TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

支援費制度居宅介護サービス(身体・知的・児童)  
支援費制度によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
●サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
●サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
●サービス提供範囲 豊中市
●サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 介助が必要な方の自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
●対象者 原則豊中市在住の障害者
●介助料(謝礼)
 ・一般介助  1時間       1,050円
 ・宿泊介助         1回(12時間以内) 7,200円
  延長分は上記一般介助で計算。
*いずれも介助者の実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
 ・旅行介助        1泊(24時間)  12,400円
  延長分は6時間(3,100円)単位で加算。
  交通費及び宿泊費は利用者負担です。
●キャンセル料 前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)



豊中市障害者自立支援センター

TEL06(6857)3601  FAX06(6857)3602

豊中市障害者生活支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
●ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
●社会資源を活用するための支援 ●社会生活力を高めるための支援
●ピア・カウンセリング      ●専門機関の紹介
自立生活体験室
 自立生活をめざしている障害者の方が、実際の生活に近い環境で、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
●宿泊利用 1泊1,500円 ●デイ利用 1回(5時間まで)750円
*デイ利用の場合、ご利用出来る時間帯は9:00〜18:00です。
豊中市障害者外出支援サービス(2004年4月23日改定)
 リフト付自動車を運行し、一般の交通手段を利用が困難な障害者の外出を支援します。
●利用対象者は豊中市に在住し、次に該当する人です。
 @下肢・体幹障害1・2級で車いす等を使用している人。
 A四肢障害1級で車いす等を使用している人。
 B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
●利用できる日時
 午前9時から午後5時(火曜日、日曜日、祝日、年末年始12/29〜1/3を除く)。
●利用目的
 社会参加を目的としますので、特に制限はありません。
●利用回数 月4回まで利用できます。
●利用料・区域
 @豊中市内     片道 500円  往復1,000円
 A特定区域・施設  片道 1,000円  往復2,000円
[特定区域は池田市・吹田市・箕面市・尼崎市・伊丹市・大阪市(淀川区・西淀川区・東淀川区・北区・旭区・城東区・都島区・此花区・西区・福島区・中央区・浪速区・港区)] 特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園
●キャンセル料 当日キャンセル500円
●同乗者について
 必ずしも必要ありません(利用者の必要に応じて同乗をお願いします)。
点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。
●既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
●片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
●両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
送料は一律270円です。

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16. 投稿作品、お知らせとお詫び

その一

カナリヤ

君はやってきてくれた
僕のもとへやってきてくれた
遠いとおい向こうから安らぎを連れてきてくれた

永遠だと信じてたあの日の誓いは
なんてはかないものなんだろう

今、君は教えてくれた
困難に立ち向かう勇気と信じる心

つらい時、くじけそうな時、しんどい時、
一緒に歩んでゆけるのが真のパートナー
未来へ羽ばたこう!
君と一緒なら、もう何も怖くはない

散歩人



その二

淡々と ただ淡々と 日を生きて
たどり着きたい君の満心

伊丹市 岩国 久美子



●お知らせ

 ・10月17日(日)、豊中市立障害福祉センターひまわりで、さんさんGOGOまつりが行われます。障害のある人もない人も、ともに作る祭りということで、当センターも、点字名刺体験などを企画し参加します。みなさんも、遊びに来てください。
 ・今年度のクリスマスパーティーの日程が、12月19日(日)に決まりました。
 腹話術のポポル・伊佐さん。バンドのフッテワイターズさん、パジャマキッズさんの三組が楽しませてくれます。是非、お誘いあわせの上お越し下さい。
 この会の事前準備や、当日力を貸してくださる方を探しています。一緒に作り上げ、楽しみましょう。

●お詫び

 ・前号でご紹介した、緑地公園駅のバリアフリー情報ですが、改札を出てからの手段においては、工事が遅れており、【階段昇降機】の利用方法のままです。完成につきましては未定のため、ご確認後お出かけ下さい。こちらでも完成がわかり次第、ホームページなどでお知らせ致します。


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17. 編集後記

編集長 ま〜たれ

 今年は、梅雨はほとんどなかったけれど(おかげで早くから暑かった〜)、時折降る雨の量が半端でない。おまけに夜も寝苦しい日が続いていますが、みなさんバテていませんか?食事はキチンと取れていますか??
 暑い中・編集スタッフは、たくさん笑い・たくさん食べながら、切り抜けました!!?
 でも、夏が終わりに近づくとなんとなく心残りで・・・。
 心残りのないよう、思い思いの夏をお過ごしください。
 お出かけの際、何か困ったりみんなに教えたい新情報を見つけられた方、是非お知らせください。カメラを持って調査に向かいま〜す。

 前号で予告してましたように、今回アンケートを実施致します。
 みなさまのお声をお聞かせください。

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