NPO法人CIL豊中通信 Vol.50 2017年10月号


こんな私でも夢を叶えた猛者に弟子入りしてみた。
漫画復活
投稿コーナーも大幅リニューアル!!
50号リニューアル記念特別振り返り企画「あの人は今」
新コーナー「豊中地域情報ばびゅーん!!」


もくじ

  事務所のつぶやき復活記念 玉井先生書き下ろし漫画!!
  特集 こんな私でも夢を叶えた猛者に弟子入りしてみた。
  2017年度CIL豊中通常総会報告
  全5回連続市民講座報告
  救命講習報告
  第1回スマサミ始動
  北摂「障害」のある子どもの高校進学を考える学習会参加報告
  「2017年度 対大阪府交渉に向けて」 総決起集会報告
  事務所のつぶやきZ
  豊中地域情報ばびゅーん!!
  あの人は今
  投稿コーナー
  哲珍の部屋
  ねやさんぽ
  サービスのご案内


4コマ漫画(事務所のつぶやき復活記念 玉井先生書き下ろし漫画!!)
タイトル「マンガ復活する中で、一番大変だったこと」

玉井「あ~ネタが全然思いつかない!どうしたらネタが出るの~?」(めっちゃ悩んでいる)
突然ブルゾンちえみ登場「大丈夫!最近の出来事思い出して」
玉井は思い返す・・・事務所であったあんなこと、こんなこと・・・・・・(職員の配置換えやら、入院やら、診断が出た事やら)
玉井・ブルゾンちえみ「濃すぎて描けない(キッパリ)」
(担当:玉井)



特集:こんな私でも夢を叶えた猛者に弟子入りしてみた

 夢…それは人それぞれ、プロ野球選手、宇宙飛行士、総理大臣、どんな夢だってそれはとても素敵なものです。それがあなたの人生の生きがいになるのなら、それは無限の輝きを秘めた原石。さて、自分の夢があるという3名の当事者スタッフが、実際にその夢を体現させている猛者のもとへ、弟子入りしたようです。はたして、スタッフの夢は叶ったのでしょうか。ご覧ください。

猛者 シェイク オブ ロック
             
夢は「ギターを弾けるようになる」

 私は昨年、縁あってギターを購入しました。夢はライブの場で、自分の歌の弾き語りをすること。しかし、いまだ上達への道は遠く、このままでは未完で終わる恐れあり(汗)。そんな夢を叶えるべく、ギターを背に、とあるバンドに弟子入りしました。そのバンドとは、尼崎を中心に活動されている、バリアフリーロックバンドこと、【シェイク オブ ロック】です。それでは先ず、このバンドについてご紹介しましょう。
             
表現の場を求めて結成

 シェイクオブロックは、2014(平成26)年に結成されました。
 メンバーは、普段は就労継続や一般就労で働いている人や、支援学校に通学している人で、障害者の自立支援を行うNPO法人「Shake hands握手」を利用しています。
 この法人の中村清仁さんの呼びかけで誕生したのが、シェイクオブロックです。ダウン症のだいきさんは幼少よりピアノが出来、バンドではリーダーになりました。ほかのメンバーは音楽は未経験だった、自閉症や発達障害、知的障害の当事者ですが、練習をしていく中で、楽器の演奏や歌を通じて自分を表現する喜びを知り、腕を上げていきました。
 今では障害者・健常者合わせて約十名によって構成されています。

テーマは、バリアフリー

 「シェイクオブロックのテーマは何ですか?」の問いに、中村さんは「バリアフリー」と即答しました。続いて、「でも、本当はそんな言葉が要らない「でも、本当はそんな言葉が要らないほうがいいと思ってるんです」とも。助け合いが当たり前になり、自然なものになれば、意識して「バリアフリー」と口にする必要は、なくなります。障害者への配慮が必要というのはもちろん正しいですが、突き詰めて考えると、「障害者」・「健常者」と区別する必要は果たしてあるのか?という疑問にも、ぶつかってきます。だから一番の本音はこうですね。
 「障害の有る無しは関係ない。皆で同じ舞台に立ち、力の限り音楽で表現する。その結果、聞いた人に認められたなら嬉しい」。

多忙な活動ペースの秘密

 シェイクオブロックの活動ペースは、なっかなか激しいですヨ。
 今年の春以降だけでも、ツアーを含め、十数回のライブをこなしており、7月9日には、阪神尼崎駅前で開かれた2つのイベント、【ONE for KINKI】と、【Tet tet Fes】の両方に出演しました。いずれも5曲ほど披露し、会場は大いに沸いていましたが、実はこの僅か1週間前には、静岡県の浜松駅前で開催されたバリアフリーコンサートにも出演しているのです。
 「一体どっからこんなパワーが出てくるんだ?」と驚きましたが、出演メンバーは、いつも同じではないということです。やはり心身に不安定なものを抱え、その日その日で調子が悪くなる人もいるので、無理なく参加出来るようにして、なおかつ出演の際は、当日集まったメンバーだけでもライブとして成立するよう、調整を図っています。当日、欠席者が出たときは、結びのメンバー紹介の際、欠席者の名前も大きな声で呼んでいました。曰く、「いなくても、思いは同じなので」。
 代表曲ともいえる「シェイクハンド」は、或る発達障害者が作成した詩が中村さんの目に留まり、「これは歌に出来る!歌詞にして曲を付けてみよう」と提案、完成したものです。私と同じ障害の方が作詞というのは、興味深い話ではありました。
                 
ギターを担いだ初心者「これから暫くはギターだぞ」

 そう思いながら、私がシェイクオブロックに弟子入りすべく、バンドの皆さんと初めてお会いしたのは、5月末日のことでした。ニコやかに迎えてくれた中村さんは、喜色満面でMyギターを語る私に「で、もうコードぐらいは大体覚えたん?」とひと言。それを聞いた瞬間思わず、ドキッとして顔面凍り付くの巻(笑)!
 ギターを弾いたことがある方は解るかも知れませんが、初めてギターの弦を押さえた時の〝指の痛み〟は、衝撃的なものです!!!それでも指が悲鳴を上げるぐらい、強く弦を押さえないと、およそ音色と言えるものは出てきません。これはもう、せっかくのMyギターも『大きな飾り』確定かな?と思ったほど。それだけではなく、コードを覚えようと一覧表をナンボ見ても、サッパリちんぷんかんぷん。「ギターってこんなに難しいの?」と、早くも壁を感じていたところでした。 
 正直に現状と自分の夢を打ち明けた私に中村さんは、「じゃあ、エアギターみたいな感じでいいか(笑)。」と鋭いジャブ。しかしその後すぐに「でも、せっかくだから、何か課題曲を与えますよ」と言って下さいました。
                 
課題曲は伝説的ロックバンドの名曲

 6月後半、いよいよ実際にギターを弾けるときがやってきました。そして、気になる課題曲は・・・・・、ザ・ブルーハーツの「青空」です!
 シェイクオブロックがライブ等で一番歌っているカバー曲が、「青空」なのです。私も学生時代に聞いた記憶がありました。
 ザ・ブルーハーツ、80年代から90年代にかけて一世を風靡した伝説のロックバンドですが、実はシェイクオブロックのドラムサポートとして、元ブルーハーツのドラマーである、梶原徹也さんがいるのです。一度、話をする機会もありましたが、何でも梶原さんが主宰されているドラムクリニックに中村さんが参加したのが縁で、一緒に活動することになったのだとか。
 今まではテレビや動画でしか見たことがなかった存在。人の縁というのは本当に面白いものですね。
                 
嬉しすぎるサプライズ
 今回、シェイク オブ ロックを全7回取材し、メンバーに教わりながら体当たりで課題曲に挑戦しました。ほんの少し形になりかけたとはいえ、まだまだ弾き語りをするには程遠いまま、最終取材日を迎えました。迎えるにあたり、シェイク オブ ロックからの嬉しすぎるサプライズがあったのです。それは、7月9日の『Tet tet Fes』で、まだ全くの初心者である私を、ライブに参加させてくれるというものでした!!!これは想定外のサプライズでしたが、「自分の未来予想図か?」という興奮を覚えました。当然緊張もしましたが、これからの自分の夢を考えると、いい切っ掛けになったと思います。
 中村さんはギター歴十年のベテランですが、最初に弾きたいと思った切っ掛けは、「自分たちの歌を歌いたいけど、ギターを弾ける人がいなかった」ということです。途中、ギブアップしそうになったことはありますか?の質問にも、「最後は(ギターの伴奏を付けて)歌いたいという気持ちが勝った」と返ってきました。やはりこの〝思い〟が中村さんを上達させた秘密なのでしょう。もう一人のギター担当のメンバーは、私の苦戦話を聞いて、「最初は誰でもそう。続けていればいい」との言葉をくれました。〝強い思い〟と〝続けること〟。これが夢を叶える近道なのかもしれません。
 この取材以降私は、たとえ少しの時間でも、毎日ギターの練習をするようになりました。以前から私の周りには、ギターの上手い人がたくさんいます。上達が早かった人も多く、だからつい焦りが勝り、気持ちが折れそうにもなったのですが、この体験を機に、焦らず、継続を手放さないよう、歩んでいきたいです。
                 
皆さんに聞きました
今回、メンバーの方々ともコミュニケーションを取ることが出来ました。シェイクオブロックに入った切っ掛けや、入って自分が変わったことなど、話を聞けたのでご紹介します。

・「楽しそうだったから、このバンドに入った」
・「中村さんに誘われて、入ろうと思った」
・「昔、韓国の太鼓を習っていたので、自分も出来るかも!と思った」
・「みんなと一緒に(音を)合わせることが一番楽しい」
・「バンドに入る前は一人でいるのが好きだったが、今は仲間といるのが楽しい」
・「カホンを通じて、自分も皆を引っ張っていけるようになろう、と思うようになった」
・「気持ちに張りがある」
・「高卒後の活動の場があるのがいい」
・「ずーっと、このメンバーで活動を続けたい」
・「シェイクオブロックを大勢の人に知ってもらいたい」

 障害者・健常者関係なく、生き生きと表現しているのがシェイクオブロックでした。メンバーの志も高く、あれほど盛況だったライブパフォーマンスも、メンバーに感想を訊くと、「まだまだ」という答えでした。

 これからも活動・発展を応援していきます。今回は貴重な時間と機会を、本当に有難うございました。
(担当 根箭)


猛者  金夢太郎飴
                 
いよっ、やっさん・・・オーラ、たっぷり、愛嬌たっぷり・・・

「舞台の上で何かを演じる」昔はそんな夢もありました。この特集が決まり、私は何をしようかと考えていたら、偶然にも、ばったりと街で井上さんに会ってしまいました。彼こそ夢を叶えた猛者だったのです。まるで天からのお告げのようでした。
                 
 金夢太郎飴というアマチュア劇団をごぞんじでしょうか?
 この記事を書いているときは8月19日の舞台公演に向けてのお稽古中だったので、そこにお邪魔してきました。まずは発声練習からです。早口言葉のリレーで、はっきりと声も聞き取れ素晴らしいと思いました。続いて演技指導。演出家の先生が手をたたく音にも熱意が感じられました。
 劇団創始者山口正和さんと車椅子俳優の井上康さんにお話をお聞きしました。
                 
いつまでも平和を謳っていきたい ~創始者の思い~

 劇団を始めたきっかけは、40年前の能勢ナイキミサイル基地建設の反対闘争だったそうです。能勢を含めて全国で4箇所ナイキ基地建設が予定されていて、能勢は唯一自衛隊が断念したようです。そんな当時、豊中の学校の教職員組合が平和を願って2月11日の建国記念日に各学校の先生が動員されて劇をしたのが始まりで今年が31年目になります。当時は「金夢太郎飴」ではなく、「金太郎飴」という名前で活動されていたそうです。名前の由来はどこへ行っても誰でも同じ人間なんだよっていう意味ですが、同じ「金太郎飴」という飴屋さんから苦情がきて、真ん中に夢という字を入れられたようです。
 毎年2月と8月に毎回違う作品で公演されていて、主に人権、平和をテーマに憲法9条、狭山事件(部落の人の冤罪を取り上げた)などを題材にしたお芝居が多く、まじめな所もあるけど、プッと笑える所もあるようなのです。今は学校の先生のみではなく、役者としても色々な人が関わっていて、8月19日にされる公演「想稿・銀河鉄道の夜」(北村想)は大学生が特に中心で、車椅子の人やそのヘルパーさんも一緒にお稽古されていました。
 これからの課題は、若い世代への世代交代、そして今、平和がだんだん受け止められにくくなりつつある風潮にあるけれど、いつまでも平和や人権を意地になってでも訴えていかれることでしょう。
                 
車椅子の「やっさん」は、舞台俳優

 知る人ぞ知るという感じの電動車椅子の井上康さんは、ここの俳優さんでもあるのです。
 劇団との出会いは、施設にいた時に劇団の人と知り合い、公演を観に行ったのがきっかけでした。その後、施設を出て豊中で自立生活を始めた時に、舞台に出演していた人たちがよくボランティアとして泊まりに入ってくださっていたそうです。井上さんにとってはスター的な存在の人たち。うれしくて、ご自身も「出たい」と言っていた記憶があるといいます。夢がかなって、17~18年前から舞台に出演されている井上さん。弁護士、裁判員、自衛隊員、オカマバーのママなどの役を好演されておられます。
 その他、演出などに関わる人が一人一人の個性を引き出して活かすような上手い台本を書かれたり、役作りに関しても一人一人の意見を大切にしていることが、「すごい」と井上さんは感じておられます。一度、舞台の上で頭が真っ白になってしまい、次のセリフを3ページくらいとばしてしまったことがあるといいます。その時に、相手役の人もセリフをとばしてくれて、みんなでカバーし合っているのが嬉しかったようです。さらに、お客さんを演技でだますことも楽しいと、井上さんは言われておられます。
 辛かったことをお聞きしますと、「お稽古に岡町の豊中人権まちづくりセンターへ、行く時が悪天候だったりすると、大変です。」と車椅子ならではの悩みも話してくれました。ベテラン俳優の井上さんでも緊張することがあるのか伺うと「緊張とかは客席に知ってる顔があると、すごく緊張します。」とのことでした。井上さんはご自身なりに役作りを楽しんでおられ、さらには劇団仲間との連帯感や客席からの反応をも楽しんでおられて、まさしく余裕たっぷりの舞台俳優さんです。
 最後は石の役でいいから、できるだけ長いこと出ときたいそうです。きっとその石にも素敵な演出がつけられ、素敵な井上さんの味のある石になるでしょう。
                 
なろうと思えば、あなただって舞台俳優…

 今回の取材を機に私も女優として舞台デビューがしたかったのですが、時期的に難しかったのと、一度だけの弟子入り体験では舞台には立てないと思ったので断念。
 最後に障害当事者の方でも舞台に立てますかと山口先生にお聞きしました。
 「全国的に障害当事者が出ている劇団があります。たとえば、障害ということを美しく見せる劇団『態変』などが有名。昔、箕面のある方が、十三で知的障害者の方と健常者の方とのお芝居をされていたなどがあるし、そこに障害者がいる必然性があるお芝居には、障害当事者も出演されておられます。」とのことでした。

 8月の公演にはこの広報誌は間に合わないけれど、今度は来年の2月公演です。出し物は、まだ決まってないそうですが山口先生が台本を書かれます。興味のある方は覚えていて観にいきましょう。もちろん私も8月から楽しみにしています。

 取材のご協力ありがとうございました。初めは体験を考えていたので、井上さんと演出の先生がいろいろとお気遣いをいただいていたみたいで、申し訳ありませんでした。感謝です。
(担当 塚原)

猛者  佐藤仙務 社長
                 
はやく社長になりた~い
 今回の特集のお話しをいただいた時、私は自分の夢は何なのかを考えてみました。なになに…?夢を叶えた猛者に弟子入りできるとな…?こんなチャンス逃してはならない!!自分に正直になろうと決めた私は、心を落ち着かせ、自分のやりたいことと向き合った。私の夢…それは……

「社長になってその上大金持ちにもなって更にモテモテになること!!!」

 …はいッ!!
 私が今回決めた夢は「社長になること」です。実はこの夢、ふざけるなと怒られそうですが、結構リアルだったりするんです。と言いますのも、私のような重度の身体障害を持った者は仕事がしたくても就職が難しい現実があります。就職が難しいとなれば、起業して社長になるしかない!と、本気で悩んでいた時期があったのです(こんな私でも)。なので、今回の特集は楽しみで仕方がありませんでした。そこで、猛者を探したのですが、意外とあっさりすんなりすんごい猛者が見つかりました(有名な方だったので)。それは、私と同病を持ちながら19歳で起業を果たし、「寝たきり社長」として現在バリバリ活躍中の株式会社仙拓 佐藤仙務 社長です。仙拓はホームページや名刺、スマホアプリ等を作っている会社です。障害者雇用の推進にとても力を入れており、仙拓のスタッフにも様々な障害当事者の方が働いています。
                 
才能と出会い、起業した
 佐藤さんが仙拓を始めた時の事を振り返ると、18歳まで遡ります。その頃、就活をしていた佐藤さんですが、なかなか就職する場が無かったといいます。佐藤さんの障害であるSMA(脊髄性筋萎縮症)は、進行性の難病で、だんだんと身体が動かなくなってしまいます。現在の佐藤さんはストレッチャータイプの車椅子で寝たきりのまま仕事をされています。先にも書きました通り、そのような重度の身体障害を持つ人が就職をするというのは本当に難しいものです。就活が上手くいかない中、佐藤さんが思い立ったのが起業をすること。
 佐藤さんには幼馴染に同病を持った松元さんという方がいました。松元さんは学生時代からクリエイティブな才能が光っていたそうです。松元さんの夢はウェブデザイナーになること。幼い頃からその才能を間近で見ていた佐藤さんは、同じく就活で困っていた松元さんを見て、〔障害者、健常者に関係なく、こんな技術を持っている人が仕事をせずに家にいるというのはもったいなすぎる。〕と思ったそうです。自分の人生で松元さんほど頼れる障害者はいないと確信し、「一緒に会社をやろう」と声をかけました。佐藤さんには営業や経営の才能がありました。タイプの違う二人が上手くはまり、仙拓は大きくなっていったわけですね!
 お話を聞いていて、自分の過去と重なることが多く、恐れ多いですが、すごく親近感がわきました。やはり仕事という面でぶつかる壁は同じ、だけどその壁にぶつかった時にどう行動するかでその人生は大きく変わります。悩むだけではなく、佐藤さんのような行動力が必要なのだと思いました。
                 
順調だったわけではない
 株式会社仙拓も起業した当初はなかなか仕事もなく、大変だったといいます。当時19歳だった佐藤さんはこの状況を打開すべく、あることを決意しました。それは、本を書くこと。ビジネスにおいては障害者というだけで、まだまだマイナスに見られてしまうことがある上、19歳という若さから信用を得ることはとても難しかったそうです。
 そこで佐藤さんは、今自分に一番求められていることはなにかを考えました。それは、「知ってもうこと」、「信用してもらうこと」、「応援してもらうこと」。この三つのことを目標に、本を書く決心をしました。外へ出て活動することは身体的に決して楽ではなく、効率的に知ってもらうには本を書くしかないと思ったそうです。自費出版では意味が無いと、出版社を探しますが、なかなか見つかりません。この時のことを本当に大変だったと振り返る佐藤さん。しかし、努力の甲斐あって、偶然と偶然が重なり、奇跡的に出版社を見つけることができました。本を出版してからはメディアにも数多く取り上げられるようになり、着々と目標を現実にしていっておられます。今も本を書いているところのようで、今後の仙拓の活躍にも目が離せません。
                 
シャチョーになるには…
 私の夢は「社長になること」。そして大金(ry。勝手に弟子になった私は、こんな私でも社長になれるのか聞いちゃいました!すると佐藤さんは社長になることはオススメしないというのです。
 そもそも佐藤さんは就職がしたくて就活をしました。しかし、そこには厳しい現実があり、最終手段として起業しかなかった。社長の業務は決して楽なものではなく、昨年も営業活動の無理がたたって入院をされたそうです。何かやりたいことがあって、その結果社長になるのであればいいけれど、やはり社長という責任ある役職は身体的にも精神的にも大変で、そう簡単にできるものではないといいます。佐藤さんは自分の経験から、もっと自然に障害者を雇えるような社会にしたいと考えており、その思いが現在の活動に繋がっているといいます。
 その活動の一つに「仙拓レンジャーズ」というものがあります。これは、障害者雇用推進の一環で行われている事業で、「仙拓レンジャーズ名刺」を販売して、注文をとることや、注文通りの名刺を作ること等を障害を持つ方々が働く作業所へ委託するというもの。その売上の30%は作業所に寄付し、作業所で働く方の賃金を少しでも高くしようとする試みです。仙拓レンジャーズでは、LINEスタンプの販売もやっています。障害を持った方が使いやすいスタンプが多く、私もかなり多用させてもらっています。
                 
夢を叶える秘訣
 それでも「社長になる」という強い信念がある私は、さらに夢を叶える秘訣を聞きました。佐藤さんはこの質問に迷うことなく、「夢は言葉に出すのが一番大事」と教えてくれました。言葉にすると、自分の中で言った以上やらなくてはならないというプレッシャーがかかります。これが行動力の追い風となるわけですね。夢を言葉にした時に、「それは無理だよ」と言われると佐藤さんは嬉しくなるといいます。今まで無理と言われてきたことを全て現実にし、これからもそうしていくのだそうです。しかし、それは言葉にすればいいだけではなく、それを実現しようとする多大な努力があってこそ掴めるものです。そうした努力から、それを見る人達が応援してくれ、さらに夢へと近づいていけるといいます。

 今回の取材で佐藤さんの猛者具合をすごく感じることができました。私もこの取材で得たヒントを活かし、自分の夢を追いかけようと思います。
 では早速、私も改めて自分の夢を言葉にしたいと思います。
 私の夢、それは すぅー…

「モテモテになりたい !!」
 はい…夢は変わってません!!根本的には同じです!!佐藤さんに教わったことを実践して、どんな無謀な夢でも叶えられることを証明してやるんだ!

 佐藤さん、取材のご協力、本当にありがとうございました。

(担当:大岩)

 以上、特集をお届けしました。皆さん、いかがだったでしょうか。
 【猛者に弟子入り】。50号記念ということもあり、本誌初の試みを行いました。弟子入りをした3人は、一様に相当な手応えを感じたようですね。これからの人生を変える力になれば素晴らしいと思うし、読者の皆さんも、どこかでこのような体験が出来る機会があればいいな、と思います。
 「わたしゃ夢なんかないよ」という方も、これを機に何か夢を持たれてみてはいかがでしょうか?
 最後に、「ウチはこんなことやってるから、ぜひ体験しにきてや~」というアピールも、喜んで承ります。またスタッフが【弟子入り】するかもですよ(笑)。


CIL豊中 2017年度通常総会報告
事務局 
 去る6月18日(日)、当法人事務所にて特定非営利活動法人CIL豊中2017年度通常総会が開催されました。10時30分に開会宣言、徳山理事長による開会挨拶の後、徳山理事長を議長として審議が始まりました。各議案の朗読・説明・質疑を経て議案は全て原案どおり承認可決され、12時20分に閉会しました。

議事
 第1号議案 2016年度事業報告及び決算の件
 第2号議案 定款変更の件
 第3号議案 役員選任の件

報告事項
 2017年度事業計画及び予算

《2016年度事業報告及び決算》
 2016年度は、障害者総合支援法における在宅福祉サービスとして、居宅介護、重度訪問介護、同行援護、計画相談支援、地域相談支援を行った。地域生活支援事業として、移動支援、豊中市障害者相談支援事業を行った。児童福祉法における在宅福祉サービスとして放課後等デイサービス、児童発達支援、障害児相談支援を行った。介護保険における在宅サービスとして、訪問介護、介護予防訪問介護、訪問看護(医療保険含む)、介護予防訪問看護を行った。また、豊中市障害者外出支援サービス事業、豊中市障害者給食サービス事業アセスメント及び利用調整、点字名刺事業、自立生活体験室、豊中市障害者基幹相談支援センターの相談事業を行い、障害を持つ人の地域生活の支援を行った。
 4月から、長年望まれていた障害者差別解消法が施行されました。この歴史的施行に伴い、障害者の人権・尊厳を守る勉強会や啓発活動が全国で盛んに行われ、新たな時代へのスタートとして新年度は始まりました。ところが、7月に相模原市の入所施設で46名の障害者が殺傷されるという前例のない極めて残虐な事件が起こりました。容疑者は障害者に強い差別意識を持っていたと報道されています。この事件を受けて、障害当事者・家族・すべての関係者は大きな衝撃を受け傷つきました。障害者差別は絶対に許さない意識を持ち、共に生きる社会をいかに進めていくか、一人ひとり改めて問われていると言えます。
 また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いだ。

■豊中市障害者相談支援事業(豊中市委託事業)
障害者及びその家族等が地域生活をしていくための相談及び支援
相談・支援件数 2,547件
・市民講座「みんなで語ろう相模原事件から見た命」
・自立生活プログラム講座 全4日
■自立生活体験室
宿泊利用3泊、デイ利用73回
■豊中市障害者基幹相談支援センター相談事業(豊中市委託事業)
相談支援専門員1名派遣
■豊中市障害者給食サービス事業アセスメント及び利用調整(豊中市委託事業)
実施数2件
■豊中市障害者外出支援サービス事業(豊中市補助事業)
運行回数2,367回
■点字名刺の作成販売
作成枚数1,500枚
■障害支援区分認定調査
調査件数3件
■計画相談支援    利用者数41人
■障害児相談支援   利用者数7人
■地域相談支援    利用者数1人
■障害者総合支援法介護サービス
派遣時間129,379時間
■放課後等デイサービス
通所回数1,553回
■児童発達支援    通所回数23回
■介護保険法介護サービス
派遣時間5,539時間
■訪問看護サービス
訪問回数4,860回
■介助サービス(制度外)
派遣時間698時間
■クリスマスパーティー
参加者160人

《定款変更》
介護保険法改定等にともない定款の変更が必要になりました。
特定非営利活動法人CIL豊中定款を下記の通り変更する。

第5条のうち(10)から(12)を削除し、次の(10)から(14)を追加する。

(10)医療保険に基づく訪問看護事業
(11)介護保険法に基づく居宅サービス事業
(12)介護保険法に基づく介護予防サービス事業又は第1号事業
(13)介護保険法に基づく居宅介護支援事業
(14)その他、この法人の目的を達成するために必要な事業

《役員選任》
 理事会推薦による次の6名が選任された。

  理事 徳山辰浩(再任。互選により理事長)
  理事 山口博之(再任。互選により副理事長)
  理事 馬淵敦士(再任)
  理事 吉村史生(再任)
  理事 大田立子(再任)
  監事 坂 龍雄(再任)

《2017年度事業計画及び活動予算》
 障害者総合支援法における在宅福祉サービスとして、居宅介護、重度訪問介護、同行援護、生活介護、計画相談支援、地域相談支援を行う。地域生活支援事業として、移動支援、豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業、豊中市障害者相談支援事業を行う。児童福祉法における在宅福祉サービスとして放課後等デイサービス、児童発達支援、障害児相談支援を行う。介護保険における在宅サービスとして、訪問介護、
介護予防訪問介護、介護予防・日常生活支援総合事業訪問型サービス事業、訪問看護(医療保険含む)、介護予防訪問看護を行う。また、豊中市障害者外出支援サービス事業、障害支援区分認定調査、豊中市障害者給食サービス事業アセスメント及び利用調整、点字名刺事業、自立生活体験室、豊中市障害者基幹相談支援センターの相談事業を行う。
 障害児通所支援事業所「ボーイズ&ガールズ」を今年度から重症心身障害児(者)多機能型通所事業所として再出発し、年齢の垣根を超えたサービス、送迎サービスの開始、リハビリ担当職員の配置など、新たな内容の充実に努め、重度障害児(者)の充実した地域生活を支える。
また、豊中市で長年課題としていた、重度障害者の入院中のサポートが、豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業として施行された。これを受けて今年度から、この事業を開始する。また、介護保険法改正に伴い施行された、豊中市介護予防・日常生活支援総合事業訪問型サービス事業を新たに開始する。
 また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに引き続き委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いで行く。
 本年度予算は約520,000,000円。

 2016年度・17年度、CIL豊中主催の市民講座は全5回を予定しており、障害者の「命」という共通テーマを基に様々な立場の方と語り合う内容となります。
3月12日と、5月14日にその第1回と第2回が、豊中市立蛍池公民館で行われました。まずはその第1回を報告させていただきます。

 第1回のテーマは「みんなで語ろう 相模原事件から見た命」。今の時代になぜあのような事件が起こってしまったのか。障害者の「命」を考える上で最も重要なことがあるのではないかと思います。
 講座は二部構成になっており、第一部は立命館大学先端総合学術研究科教授の立岩真也さんによる基調講演です。
 立岩さんは相模原事件の問題点や今後我々に出来ることはなにかを詳しく話してくれました。まずメディア等で多く取り沙汰された精神障害者の措置入院についてです。立岩さんはこの事件は事前に「犯罪」として対処できたことなのではないかと仰います。それなのにも関わらず、「支援」という言葉で措置入院の強制を行う動きは止めなければならないといいます。
 今回起こってしまったような福祉関係者が障害者を危める事件は過去にも存在するようです。その中でも親や身内が加害者となる事件は多く、時代によってはそういった事件に対して減刑を求める声もありました。しかし、70年代になると障害者の主張は「俺たちを殺すな」に変わってきたといいます。ここからの運動の成果で少しずつ制度が作られていったわけですね。
 この事件や時代の流れを受け、今後のことを考えた時に立岩さんは、一歩一歩かえていけることがあるといいます。その一例を述べられました。元々、結核患者のために作られた国立の療養所は、結核が減ってくると、そこに重心障害者を入所させました。その一つに筋ジストロフィーの入所者たちがおられます。彼らは何十年もその施設に入っていますが、自分の希望で入所されている方ばかりではありません。制度を使えば地域に出られるし、出たいとも思っているのです。では、なぜ出ないのか。それは、その可能性を知らないからだと話されました。この40年の障害者運動で得てきた制度があるにも関わらず、それを知らないことで、使えてない人がまだたくさんいるといいます。ここはかえていくことが出来るだろうと立岩さんは強く仰いました。

 休憩を挟み、第二部に入ると障がい者支援施設「みずほおおぞら」の管理者である平中葉さん、重度心身障害者のご家族である長村与志彦さんを交えたシンポジウムが行われました。
 平中さんは施設で働いていた職員が起こしたこの事件を受けて、管理者として危機感を強く持っていると仰いました。職員の研修等だけでは解決出来ないものを浮かび上がらせた事件だといいます。
 長村さんは障害を持つ娘さんの親として、日頃から「気づかない差別」を感じるところは多々あるそうです。加害者の考え方というのは、加害者だけが持っているものなのか。「気づかない差別」を知らず知らずにやってしまう世の中、まだまだこの問題についての課題は多そうです。

 第2回のテーマは「みんなで語ろう めばえた命」です。第1回の講座を踏まえ、ライフステージに沿って考えていただくために、4名の講師をお呼びし、出生前から就学前を取り上げることにしました。まずは大阪母子医療センターの金川武司先生に様々な賛否に割れる出生前診断について話していただきました。出生前診断といえば、優生思想など、暗いイメージですが、本当の目的は赤ちゃんの命を救うことだといいます。赤ちゃんの病気を早い段階で見つけ、胎児治療や出生後の準備をする。こうすることにより、救われる命があるそうです。しかし、その思いとは裏腹に胎児に障害があるとわかると、中絶を選択する人がいます。
 出生に関わる医療従事者が診断の前にしっかりとカウンセリングを行うことで、この選択を減らしてもらい、本来の目的で出生前診断が行われればと思います。
 続いて話してくれたのは豊中市保健所、所長の松岡太郎さんです。松岡さんはもともと市立豊中病院の小児科医として働いていました。その時のことや医療的ケアが必要な子供たちの地域医療について話してくれました。中でも松岡さんが力を入れて話してくれたのが、ダウン症候群などの染色体異常についてです。染色体異常の原因を話しながら、生まれてきた命の周りには多くの生まれてくることができなかった命があると教えてくれました。障害の有無に関わらず、生まれてきた命は生まれることができる力があり、タフであると仰います。その他、松岡さんは市立豊中病院にいたころから地域医療に力を入れ、医療的ケアが必要な方が24時間365日対応可能なシステムを作ったり、レスパイト入院も積極的に受け入れたことも話してくれました。今では立場は変わりましたが、松岡さんの思いは何一つ変わっていません。全ての命が地域で当たり前に暮らせる社会を目指します。
 続きまして、新居真理さんのお話です。新居さんには優太郞さんという現在17歳になる、息子さんがおられます。優太郞さんはコミニケーションを瞬きだけで取られます。出産時の事故で障害を持ちました。人工呼吸器を常時つけ、医療的ケアも必要ということで3歳まで病院で過ごすも新居さんの「家へ連れて帰りたい」という強い思いから、呼吸器の操作や緊急時の対応等をしっかり教わり、退院が実現することになりました。医療的ケアが必要ということから学校で差別的な発言をされたりすることもあったそうです。しかし、新居さんは学校や教育委員会との話し合いを繰り返し、優太郞さんが当たり前に学校へいけるように動きました。優太郞さんは、みんなと一緒にほとんどの行事に参加することも出来、学校生活を楽しめているそうです。
最後に話してくれたのは、入江まさ子さんです。入江さんには現在、自立生活をしている48歳の知的障害をお持ちの息子さんがおられます。入江さんの出産は、2日間の微弱陣痛、回旋異常等、大変なものだったといいます。出産後も産声を上げず、すぐに蘇生処置に入り、その後、息子さんは新生児センターへ入院します。しかし、三週間後には退院することができ、発育もよく、すくすくと育ったそうです。女の子にも間違われるほど可愛い子だったと写真を映して話してくれました。1歳2ヵ月くらいから、元気が良すぎることに少し違和感を感じたといいます。周りから、「呼びかけても反応がないから、耳が聞こえていないのではないか」と言われ、耳鼻科に連れて行きました。そこから色々な病院を回り、最終、脳波を調べると出産時に仮死状態で生まれたことが原因の知的障害とわかりました。入江さんが一番傷ついたのは身内からの差別的な言葉だといいます。心配して言ってくれているとはわかっていてもつらかったそうです。
 豊中のあゆみ学園に通いはじめ、やっと同じ障害の子供を持つ親御さん達と出会えました。先日、長いつきあいだった同じ障害の子が亡くなった時に、その親御さんと子供が親より先に死ぬことをどう捉えればいいのか話し合ったといいます。自分が死んだあと、障害を持つ子供達がどうなるかわからないから自分より先に死んでほしいという意見は多く耳にします。しかし、入江さんは出生前診断など、障害の有無がわかる医療が進んだとしても、障害者が安心して生きていける社会であれば親は自分の子供に先に死んでほしいなんて思わないと強く話してくれました。入江さんの息子さんに対する思いは、自分亡き後も幸せな生活を送って、自分の寿命を全うしてほしいといいます。
 休憩を挟んでシンポジウムでは、出生前診断がビジネスを目的としてやっていることがないのか等、突っ込んだ質問も出ました。その他、レスパイトのことや出産時、障害を持った子が生まれた時の医療従事者のぎこちないファーストコンタクトの事などかなり深いシンポジウムになったと思います。
 第2回の講座を終え、やはり医療の技術が進むスピードでは障害者の命を考えることは進んでいないことを感じました。どんな障害がある方も地域で当たり前に暮らすためには家族だけではなく、地域全体で命を大事にする必要があります。そのためには住民の意識を変えていかなくてはならないのかもしれません。
 
 第3回、第4回はライフステージに沿って「学校」、「大人」について語り合い、第5回にもう一度「相模原事件」について取り上げます。その報告はまた次号をご確認ください。
(担当:大岩)


現任者研修(救命救急講習会)

 今年の7月にヘルパー現任者研修としての普通救命講習が、豊中市消防本部救急課を招き団体講習が行われました
 豊中市は、救命講習修了者数の人口割合と、救急隊数・救急救命士数の市域面積割合が、いずれも全国トップレベルにあり『救命力世界一』を宣言しているということで、参加者は熱心に聞いていました。
 講習では、心肺蘇生(心臓マッサージ)や人工呼吸の方法、AED(自動体外式除細動器)の使い方を習いました。心肺蘇生は、真剣にすると息が上がり、汗がびっしょりになるほど体力を使います。
 『救命救急の方法を知っているか、知らないか?』
 この違いが、目の前で意識を失い、倒れている人の命を救えるか救えないかの結果を分けるのです。
 大切な命の灯火を消さないために、私たちが身につけておかねばならない知識だと思いました。ガイドヘルプなどでいろんなところに出掛けた時、AEDがどこにあるか確認するように心がけたいと思います。
(担当:能城)


第1回〝スマサミ〟始動 -SMAのあるあるを早く言いたい~♪-

 SMA【脊髄性筋委縮症】の患者の割合は、10万人に一人と言われています。その数の少なさから、なかなか同じSMAの人と出会う機会がありません。そんな中、今年の5月5日、日本で初めての『SMAサミット(スマサミ)』が豊中市蛍池公民館で行われました。なにを隠そうこの私自身もSMAですので、今回のスマサミで「SMAあるある」を語り合いたいと非常に楽しみにしていた一人なのです。今回は9名の方達が集まることが出来ました。遠くは九州から来られた方もおられたりと、やはりみんなスマサミを待ち望んでいたわけですね。みんなあるあるが言いたかったんですね!!
 スマサミはピアカンのようにSMAの人達だけが部屋に残り、「あるある」を語り合いました。普段、人に言ってもなかなか共感されない、もしかして世界で自分だけなんじゃないかと思っていたことでも、このスマサミではみんな「あるある」の共感の嵐。
 さて、お待たせしました。みなさんにもSMAのあるあるを早く言いたい!!はっきり申しまして時間が足りないんです!!初めて会うのに共感が多い人ばかり。生活のことや悩んでることがあっても目からウロコなアドバイス!!そりゃ話したいことが止まらないわけですよ。話を進める中でピアの大切さを改めて実感することが出来ました。スマサミの可能性は共感だけに止まらず、今後なにか新しいことに繋がる力があると確信しました。また、スマサミが第2回、第3回と続いていくことを切に願っております。

え?SMAのあるあるを早く言えって?
 …言いたいのは山々なんですがピアカンで話し合った内容は口外してはならないのです。ごめんなさい(^∀^)テヘッ

スマサミについてのお問い合わせ先
メール:imaimayagi@gmail.com 今井

(担当:大岩)


《北摂「障害」のある子どもの高校進学を考える学習会 参加報告》

 2017年7月8日、吹田市交流活動館にて、【第32回 北摂「障害」のある子どもの高校進学を考える学習会】が開催されました。
 前半は、大阪府教育庁支援教育課主席指導主事の久郷正征さんによる、基調講演。後半は、豊能地区進路保証協議会事務局の齋喜慶三さんと荒井瞬さんの対談の予定が、齋喜さんが欠席し、荒井さん一人による講話となりました。
 久郷さんの講演では、障害がある子どもの高校進路の状況について、平成23年度以降、支援学校高等部より、一般高校への進学のほうが多くなり、その差はどんどん開いているそうです。一般高校では、【自立支援コース】と【共生推進教室】があります。
 自立支援コースでは終始一般高校に通学し、卒業も一般の高卒扱い。共生推進教室では、普段の教室は一般高校の中にあるが、所属は支援学校在籍です。そのため卒業は支援学校卒の扱いとなり、一般高校で一緒に学んだとして、就学証書が授与されます。
 共に学ぶことを通じて、健常者の生徒から「障害のある子どもと関わったから、気付けたことがある。成長出来た」という声が寄せられるそうです。
 荒井さんは、豊中市立第二中学校に現在勤務し、教員14年目です。10年以上前、初めて支援担当になったときは、障害をもつ生徒にすごく気を遣いましたが、周りの生徒が適時的確にその生徒をサポートするのを見て、逆に学ばされたそうです。
 また、「学校によって対応に違いはあるが、入学する前から必要なことをどんどん(入学高校に)相談してほしい」と助言していました。 
その後、〈大阪府公立高等学校入学者選抜における配慮事項〉を紹介し、学力試験時間の延長や代筆回答が認められることなどが説明され、最後に「高校合格の報を聞くのは嬉しかったが、後に『この高校に入って良かった』と聞くのがもっと嬉しかった」と語っていました。
 2人の話を通じて強く感じたのは、「共に学ぶことの意味を教えてくれるのは、子どもたちだ」ということです。「大人の理屈で議論するより、子どもたちの行動を教材とせよ」と、私自身も言いたいですね。 
(担当:根箭)
 

《2017年度 対大阪府交渉に向けて》
  総決起集会報告
障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(障大連)は、毎年、この季節に大阪府との直接団体交渉を実施しています。
 2017年7月10日、大阪市の中央区民センターにて、障大連主催の「総決起集会」がありました。この集会は、大阪府との直接団体交渉に向け、障害当事者自身がアピール行動する大切な1日でした。

 声を挙げなければ、福祉制度は後退してしまう 
 今年4月から差別解消法が施行されて、これまでより施策が充実し、個々人が望む暮らしがグンと近づきそうなものです。 
しかし、現実には、来年度からの「障害者総合支援法の見直し」に向けた議論が主です。
  居宅の家事援助では、国制度から各市町村施策とされ、十分なお金が回らなくなり、介護派遣事業所の経営を圧迫します。
 グループホームの入居者要件見直しは、支援区分2以下の人に対して「自立生活援助」という新たな制度を作って、地域で生活を送るため、相談支援が対象者宅を巡回するというイメージですが、例え支援区分が2以下でも常時見守りを必要とする障害者もグループホームで生活されています。区分2以下の人はグループホームに住めない事態を招きかねません。
 これらは、高齢化社会を見越した社会保障費全体を抑制したいという国の方針(財政健全化の一案)によるものです。しかし、そのために私たちの暮らしが脅かされないよう、国は、何を削るべきかを再考するべきです。その為にも私たちの運動は貫徹されなければなりません。

デモ行進には500人が参加
 集会では、大阪府に提出した要求書の内容と、当日の重点項目についての解説と戦術について、参加者との意見交換を行いました。その後、シュプレヒコールを全員で唱和して、いよいよ府庁庁舎を目指してデモ行進を開始しました。
 炎天下の中、延々と隊列が商業都市大阪のビジネス街を進みました。沿道のスーツ姿の会社員や通行人の視線を受けながら、彼らに自分たちはどの様に映っているのか、私は例年以上に気になるのでした。
相模原事件によって、日本社会に根深く「優生思想」が浸透していると感じていた私は、今回のデモ行進中に、沿道からヘイトスピーチを投げかけられたら、と内心恐れを抱いていました。幸いにも、どの隊列にもそうした事は起きなかったようです。
行政による制度後退の方針が進む程、相模原事件のような一方的な憎悪や憎しみが起きやすくなるのではないか、私の思い過ごしであってくれと願いつつ隊列に従っていました。
総括集会でそれぞれの思いを表明
 約3時間のデモ行進は、大阪城公園入口で総括集会をして終了解散となりました。
気温が猛暑日にまでなったこの日、総括集会では参加者が感想や交渉に向けての決意表明など、トラメガを使って表明しました。上の写真はその時の様子を写したものです。年々若い障害当事者が増えてきています。私たちの運動や闘いが確実に次の世代にバトンを繋いでいきたいです。

 最後に言いたいこと
2017年は「障害者差別解消法」が施行された年です。行政に対して「障害」を理由にした差別を禁止し、合理的配慮の提供を義務づけています。
ところが、事実は個別のサービス利用のニーズに対して、時間数の上限を設けたり、色々理由をつけて利用そのものを制限したりする市町村だらけです。大阪府にはそうした自治体に、障害当事者の声を聴く様に働きかけることを、国には、まず、行政が障害者差別を止めて、合理的配慮を完全実施できる制度設計と財源確保をするよう求めます。
 (担当:大東)


事務局のつぶやきZ
リクエストにお応えして、マンガ復活してみました。
タイトル「電話対応あるある」

インカムとは、ヘッドセットを使用し、ハンズフリーで電話対応を行える。当センターでもピアカウンセラーが電話対応のため使用している
所変わって、事務所風景。眼鏡の男性スタッフが業務に追われている。背中合わせで、インカムをつけたピアスタッフがパソコンで仕事をしている。
電話が鳴る。
眼鏡の男性スタッフが、慌てて電話をとる!
その瞬間、「ビクン!」
「はい、おまたせしました」インカムに自動転送され、慌てて電話対応をするピアスタッフ。
「あ」眼鏡の男性スタッフが振り返って、気づく。

このような状況が時々おこるのだ。この現象を「電話テロ(ハート)」と呼ぶ。


豊中の情報ばびゅ~ん!!
蛍池子ども食堂 全てはマスターの思いから

 近年、こども食堂は、豊中市社会福祉協議会が『とよなか子ども食堂MAP』を作成するほど増えてきました。今回、当センターから数件隣で開催されている『蛍池こども食堂』へ取材に行ってきました。

100%民間で

 蛍池こども食堂の主なメンバーは、『カレーハウス ガラム』マスターの榎本さん、豊中市会議員の宮地さん、ラジオパーソナリティなど様々な仕事をされている備後さん、蛍池食堂実行委員会事務局代表でインパクト英会話の宮原さんという、多彩な4名です。
 食事代は大人300円・こども200円を頂きますが、助成金など一切無く100%民間で運営。毎回、現品、カンパがあり、ボランティアにも助けられているそうです。カレーは、大人用・こども用を用意。大人用は、辛いのが苦手な私でも、食べる事が出来る辛さです。

きっかけは雑誌の特集

 2~3年前、雑誌(毎日夫人)に子ども食堂の特集が載っていたのをマスターが読み「これなら僕でもできるんじゃないか?」と思ったのがきっかけ。その思いを宮地さんなどに相談していく中で、先にこども食堂を開いていた、ぐーてん子ども食堂さんや、宮原さん、備後さんなどと繋がり、28年11月28日、第一回開催に至りました。
 宮地さん曰く、ぐーてん子ども食堂を開催する時に『周知』と『保健所の許可』が難点だったそう。そこで、周知は、近所の小中学校の校長先生経由で児童へ伝えていただき、保健所の許可は、飲食店が提供するので省略できたのが良かったと語られました。

こども同士の口コミで

私も、6月19日に蛍池こども食堂へ行ってきました。
 入店すると、まず食事代を先払い。先にカレーを食べるか?遊ぶか?各自が選びます。今日の遊びは『空気砲の的当て』で、こども達は熱心に『自分の的当て』作りを楽しんでました。この日もJAL関係のボランティアさんからサクランボやジュースの差し入れが。
 こども達に話を聞くと、「学校で今日(こども食堂へ)行くかどうか、友達と話したりする。」「家でゲームや好きなテレビ見れないし、ここに来る方が楽しい」などもりもり食べながら答えてくれました。店内もバリアフリーなので、車いすの方も入りやすいのがいいですね!

 蛍池こども食堂は、各メンバーが出来る事を楽しみながら運営し、こども達も安心して食べに来ている姿が印象的でした。また、蛍池らしい演出がこども達の「また来たい!」に繋がっているように感じました。

蛍池こども食堂
場所:蛍池ルシオーレ南館3階
    カレーハウス ガラム
開催日時:毎月1回(月曜)
 17時から20時
(担当:玉井)


豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業が始まりました!!

 入院中でも慣れた介護者を利用したい、長い間の悲願がいよいよ実現できるのか。国障年豊中市民会議と豊中市の間で、数年来に渡り『入院中の介助保障の実現』のため話し合いを続けてまいりました。28年10月中旬、漸く『入院時コミュニケーション事業』の骨子案が、豊中市より呈示され、29年1月1日より『豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業』が実施されました。
 本人の意思を伝えやすくなった

 このサービスは、重度障害のため意思疎通に支援が必要な方が、医療機関へ(精神科入院は除く)入院した際、医療機関の許可を頂き、コミュニケーション支援員を派遣して医療従事者等と本人との意思疎通を支援します。
 対象者は、18歳以上で①障害者支援区分認定調査項目で《コミュニケーション 日常生活に支障が無い状態》又は《説明の理解 理解出来る状態》に該当せず②障害福祉サービス(一部を除く)の支給決定を受けており③家族等の意思疎通支援者がいない方ですが、同等の状態だと認められる場合は利用出来る場合もあります。
 支援を行う人は、指定障害福祉サービス指定を受けた事業所に所属し、本人との意思疎通に熟達した方です。
 利用者負担は無料。利用時間の上限は月50時間以内。1日1事業所のみですが、利用回数や利用時間数に制限はありません。
 利用希望者は、市へ申請し、市が検討して可否を決定します。『受給者証』ではなく『決定通知書』での利用になることだけ留意が必要です。
 具体的には、入院したときに医療機関スタッフの説明などを本人に伝える役割と、本人の状況などをスタッフに伝える役割が想定されています。

 重度訪問介護の『訪問先拡大』にも繋がる
 一方国の『総合支援法の見直し』作業が進む中、入院中の重度障害者(支援区分6に限る)に、『重度訪問介護』の介護者の派遣を、可能にする動きがあります。 厚労省の改正法案概要によりますと、訪問先での支援内容として「利用者ごとに異なる特殊な介護方法(例:体位交換)について、医療従事者などに的確に伝達し、適切な対応につなげる』「強い不安や恐怖等による混乱(パニック)を防ぐための本人に合った環境や生活習慣を医療従事者に伝達し、病室等の環境整備や対応の改善につなげる」とあります。
 前者は身体(難病等)障害者を後者は知的(発達)障害者を 、想定していると思われます。入院中の障害者のことをよく理解している支援者が、介助の方法やパニックを避ける方法などを、医療従事者に伝えるという役割が予定されているようです。ヘルパーが看護師に介助の方法を実演して見せ本人に合った介助術を伝達するという事でしょうか。
 この豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業でも、衣服の着脱・食事・トイレなどの介助については触れられていないのは、この国の動きに添っているように感じます

 これからも、声を挙げていきたい
  入院中にコミュニケーションに限った事とは言え、何時もの介護者が側に居るという事は、本人にとって全く駄目な事では無く、気持ちも楽になる等良い事に変わりはないです。
 入院中に限らず、日常生活を送る上で必要な介護保障の要求を、私達は今後も続けていかなければなりません。
(担当:大東)


あの人は今 -九州に行った介護職員-

 みなさん、こんにちは。広報誌が記念すべき第50号を迎えることになりました。そこで、昔CIL豊中で働いていた懐かしいある職員に連絡を取り、当時その方と共に働いていた職員にも集まってもらって昔の話や、近況などを話してもらいました。
今回、連絡を取った職員というのは、澤田康之さんです。澤田さんはまだCIL豊中の事務所が稲津町にあった頃に介護職員として働いていました。現在は三重県で看護師さんとして働いています。
 そして、徳山辰浩氏(当法人理事長)、馬淵敦士さん(ベストウェイケアアカデミー)、柴田有起さん(同)、根箭太郎氏(支援センター)にも集まってもらいました。

久しぶりやなぁ
馬淵 全然変わってないな。
柴田 いくつになったん?
澤田 40です。
柴田 40!?めっちゃ若いなぁ。
徳山 いつからいつまで在籍(CIL豊中に)したか覚えてる?
澤田 2003年4月から2004年3月の1年間ぐらいしかいなかったですね。
馬淵 支援費制度の初期を知ってるよね。
根箭 送迎サービスのドライバーもしてたもんなぁ。
徳山 全部忘れてるわ。
根箭 送迎サービスが豊中市の委託になって、川島さん(現ボーイズ&ガールズ送迎ドライバー)だけでは忙しくなって澤田君も運転することになったんよね。
柴田 川島さんが師匠やねんで!

CILに入ったきっかけ
徳山 うちに来た理由はなんやった?
澤田 介護保険制度が始まって、ちょっと興味があったのでヘルパー2級を取って、家からそんなに遠くなかったので。
徳山 うち来る前はなにしてた?
澤田 前職は自衛隊です。
柴田
根箭 そうや!思い出した。
馬淵 ほんとは自衛隊の看護に行きたかってんね?
澤田 はい。希望しましたけど叶いませんでした。適正とかで分かれるんですけど、最終的にはヘリの整備をしてました。
馬淵 元自衛隊で体力あるから無理言ってどんどん介護に行ってもらってたけど、ちゃんとこなしてくれて本当助かった。
澤田:そんなことないです。しょっちゅう困って電話してました(笑)

当時の職員の印象
徳山 澤田君から今いるメンバーそれぞれの当時の印象を言ってもらおうか。
澤田 馬淵さんは当時から見た目もみんなとの関係性も変わってないなと。当時からしっかりされていて、すごいなというのはありました。事務所の要みたいな。
徳山 よく見てるな。柴田さんは?
澤田 柴田さんはそのサポートで。
柴田 (笑)
澤田 はい。馬淵さんを助けながら、こうなんて言うんですかね。さらに細かい仕事をされてたような。
柴田 今も一緒やん(笑)
徳山 柴田さんに嫌な印象はなかった?
澤田 いや(笑)そんな接触なかったんで。
柴田 私は澤田君との思い出はめっちゃありますよ。あとでとっておきのネタを出します(笑)
澤田 根箭さんは名刺を作っていただいて、いろいろ話しかけて下さったり、優しい印象ですね。
徳山 わりとしゃべった部類?
澤田 はい、だと思います。電話番号をまだ残してくれてたので、すごいなと。
根箭 13年経っても番号が変わってなかったという。
澤田 徳山さんはやっぱりボスって感じですかね。馬淵さんの後ろに控えている。
根箭 背後霊?(笑)

看護学校~現在のこと
徳山 あるとき看護師になりたいと言って急に熊本?に行ったよね。
澤田 急と言ったら急でしたよね(笑)看護学校の准看護科に2年、その後少し空いて夜間の看護科に3年行きました。
徳山 地道に頑張ったんやなぁ。
澤田 自分はいっぺんには無理なほうなんで。その後福岡に8年ぐらいいて、今は三重県の病院で働いています。奨学金もまだ細々返しています(笑)
全員 大変やなぁー。
徳山 今は精神科の病院?
澤田 はい。単科なんで病院自体は小さいですね。
徳山 男女分かれている?
澤田 今は一緒ですね。たぶん今はそういう所がほとんどじゃないですかね。九州にいた時はばっちり分かれている所はありましたけど。

とっておきのネタ
徳山 さっきの爆弾ネタは?
柴田 みんな覚えてない?
馬淵 稲津の時に泥棒入ったやん。
柴田 朝出勤したときに、先に澤田君が来ててパソコンをいじとったんやんか。でなんか金庫の鍵が入ってる引き出しがおかしいと思ったら、別室の金庫が破られとってん!でも澤田君はカチカチパソコンをやってんねやんか(笑)。私は手が震えながら徳山さんと警察に電話して。で、みんなが出勤してきて、警察が来て、初めにおったのは誰ですかって聞かれて、澤田君が疑われてんな(笑)
徳山 重要参考人。
柴田 そんなに現金があったわけじゃないけど、みんな指紋採られてな。
澤田 なんか指紋採られました(笑)

CILでの1年とは
徳山 澤田君は看護の仕事をし出してだいぶ長いけど、うちにおった1年ぐらいはどうだった?
澤田 1年おらせてもらったのがたぶん今のベースになっていると思います。
徳山 人生のうちでだいぶ印象に残ってる?
澤田 残ってますね。看護のほうに行こうというきっかけもここであったんで。利用者さんの吸引研修を刀根山病院でさせてもらって、こういう仕事もあるんだって思ったのがきっかけでした。
徳山 こっちに戻ってくる予定とかは?
澤田 そうですね。また九州に戻りたいかなと。看護学校時代の友達もいるので。
全員 今日はわざわざ三重から来てくれて、ありがとう。
澤田 いえいえ、こちらこそ時間を作っていただいてありがとうございました。当時の話が聞けて、楽しい時間が過ごせましたし、大変懐かしくもありました。また機会があれば声をかけて下さい。

対談を終えて
 広報誌の記念号ということで、なにか昔を懐かしむ企画をしたいという思いで、今回の対談が実現しました。
 当時介護の仕事をしていて、ふとしたきっかけで看護の道へ進んだり、豊中で福祉を目指す人を養成したり、今もCILで働いていたりと、みんなそれぞれ違う道を歩んでいます。今はこういう仕事して頑張っていますよという人がいたら、ご連絡お待ちしてます。取材にうかがうかも!?
 澤田さんのとっておきの写真、クリスマスパーティでの女子高生姿が見つかりましたが、紙面の都合上割愛しました(笑)どうしても見てみたいというかたは、CIL豊中ホームページ版の広報誌第50号に載せていますので、是非ご覧下さい。
(担当:川﨑)


投稿コーナー

みなさん、こんにちは!このコーナーでは、俳句・川柳・コラム・自立生活レポート・大喜利・写真で大喜利など、みなさんからの投稿作品をご紹介しています。今回はすごくたくさんの投稿作品が集まりました。なんとその数70作品!!投稿して頂いたみなさま、本当にありがとうございました。各カテゴリで一番面白かった作品には「☆」が!?
※全ての作品をご紹介できない場合がございます。あらかじめご了承下さい。

短歌・俳句

○まずしさも 痛いも我の 敵でない 生きぬくための 愛し道ずれ
〈岩國久美子 さん〉


○ずぶ濡れに なって涼しい 夏の雨
〈藤田ニコル さん〉

○年の暮れ 障害持ちし 我が身には 唯一娯楽は ラジオとテレビ
〈阿志賀俊範 さん〉

☆漱石の こころを読める 我もまた 心に深き 罪を負ひけり
〈吉村史生 さん〉

川柳

☆菅田将暉 ジジイの耳には さだまさし 

○蛍池 派手なオヤジは ほぼしまらー 

○CIL 半年前から クリスマス…

○冷酒と 親の小言は 後で効く…
〈オッパーかんなみstyle さん〉

○さあ会議 繋ぐぞ!繋ぐ 脳回路
〈ねや@どこぞの編集長 さん〉

○交差点 アクセル踏んだら エアバッグ 

○天邪鬼 カラダにいい事 居心地悪い

○競馬場 ダートの向こうは ゴミ処理場
〈藤田ニコル さん〉

○築地から 豊洲に移転 真鯛かず

○このハゲー テレビで見てて 怒りわく 

○藤井四段 キムチ大好き 余談かな 
〈クッキングPAPA さん〉

コラム

 僕はヘルパーをしてますが、実際にあった、おもしろい話を紹介します。これは、軽度の認知症の利用者様の話ですが、自宅で韓国ドラマを見ていた利用者様が、「ドラマの内容が理解できない」と言われました。僕は「認知症が原因」と思い、利用者様に、どのように対応すればいいのかがわからず、困り果て、とりあえず一緒に韓国ドラマを見てました。すると、日本語の字幕表記が不自然な事に気付きました。よくよく調べてみたら、テレビの画面が「ズーム」になっており、日本語の字幕が一部しか表示されない状態になってました。日本語の字幕は、テレビ画面の下に表示されます。長い字幕は、2行(上下2段)で表示されますが、上の段しか表示されてませんでした。短い字幕の場合は1行なので、下の段のみに表示されるので、テレビ画面には全く表示されてませんでした。これでは、話が理解できるはずか有りません。そこで、リモコン操作でズーム機能を解除して、字幕が全部表示される状態にしました。利用者様も、ドラマの内容が理解できるようになったとの事です。
 先入観を持たず冷静に現状を分析する事が大切だという事を実感しました。       〈クリオネ さん〉

僕の日曜日
 心がつたわる店
 庄内駅の賑わいからすこし離れた線路沿いに、その居酒屋は赤ちょうちんを出している。店に入ると、心地よい薄暗さが広がる。
 たまに夜に会議があるぼくは、ちょっと膨らみはじめた「おなかまわり」と血液検査のたびに、上限あたりをウロウロする悪玉コレステロールや血糖値を案じて、早めの夕飯をとろうとする。そんなぼくにとって、仕事場と会議が行われる会館のちょうど中間にある「赤ちょうちん」は、とても魅力的な存在だった。
 いつ頃からか、ぼくは臆病になっていた。施設を出てひとり暮らしをはじめてしばらくは、旨い店を探してどんどん知らない扉を開けた。その時期に一緒に行動したボランティアさんたちは「不思議やわぁ。やっさん(ぼくのこと)が行く店はいい人ばっかりや」と口をそろえた。確かに、入店拒否どころか、店の人からもお客さんからも幅をとる電動車いすで居座っても、いやな顔をされたことはほとんど記憶にない。
ただ、障害者がまちへ出る頻度が高くなるにつれ、それぞれの対応がネットで話題になったり、障害者差別解消法といった法律が産まれたことによって問題が起こることをおそれたりするあまりに「面倒くさい存在」として、ぼくのような人を遠ざける空気が強まっている。シャイであまり波風を立てたくないぼくは、ひたすら顔見知りの確実に「旨い店」しか行かなくなっていた。
何日か夜に会議が続いた。思いきって、縄のれんをくぐった。もう1年ほど前のことなので、くわしい記憶は残っていない。でも、通いつづけようと思った理由ははっきりと覚えている。それは、スジコンやサンマ寿司のような和食にもどこか「洋」の雰囲気が漂っていること。とくにサンマ寿司は後口がさっぱりとして、その季節になれば必ず〆に注文せずにはいられない。
もうひとつ、その居酒屋には「ちょっとうれしくなって、眠りにつくまでずっとうれしい」ことがある。
ご主人は、お客さんが店を出るたびに玄関で見送る。
「ありがとうございました」
その言葉からは、お客さん一人ひとりへのお礼の気持ちがまっすぐに伝わってくる。ふり返れば、まだ頭を下げておられるときがある。日々の些細な喜怒哀楽に揺れるぼく自身が、どこか恥ずかしくなる。
ニンニクの天ぷらが楽しみな季節になった。今日もブレないで行こう。
〈海帰 優人 さん〉

どんぐりのひとりごと
 みなさーん、お元気でしょうか。今、どんぐりは寄る年波と夏の暑さに負けじと頑張って(時々、動物園の白熊のようになまけながら)生きております。いや、ほんまに・・・
 この夏、とってもショックなことがありました。私が行きなれたスーパーが閉店になりました。22年の間、週に何回か通いつめました。行き始めたころは、まだ車いすを押して歩けていたと思います。私の人生の中でのたった一度の子育てが始まり、一人娘の離乳食に鯛の刺身を買ってきて、くつくつ炊いて食べさせたことが、昨日のことのように思い出されます。少し大きくなったころ、娘を車いすに乗った私の膝の上にのせて買い物に行きました。かなり大きくなるまで乗っていました。そして小学生、習い事の送り迎えのついでに買い物に行き、娘にカートを押させていました。店員さんと娘は、仲良くなって、行くたび言葉を交わして和気あいあいとして、とてもいい雰囲気でした。娘が中学生になって買い物についてきてくれなくなっても「娘さんは・・・?」と、聞かれることもありました。
 その間、大手のスーパーが新装オープンしたり、町の様子が変わってくるのが、鈍感な私の目にもわかりました。でも、おいしいもの、食の安全、安心を求めて通い続けて、遠くに引っ越してまでも行き続けておりました。一年ほど前には、店内もさみしくなっているのを薄々感じていました。そして、ついに営業終了となりました。形あるものはいつかなくなるんだと実感しています。このお店が、そこにあったからこそ、私は子育てが心豊かにできたと思います。とっても幸せでした。
 思い起こせば、いろんな思い出があります。ご迷惑をおかけしたことも山ほど・・・。電動車いすに乗り始めたころは、棚にぶつかっていき、小さい娘が謝ってくれたりした場面も今は、気恥ずかしい思い出です。そういえば、何回かお客さんにもぶつかっていって、本人は謝っているつもりでもヘルパーさんが怒られたり、にらまれたりしました。一度なんて買い物に来たのはいいけれど、ふと見るとお財布がないのです。ヘルパーさんと慌てふためきました。漫画のサザエさんも負けるでしょう。
 おいしくこだわった食材や総菜があり、中でもお寿司やお弁当がおいしくって安心して食べられて、小さい娘とよく遊びに行くときにとても重宝していました。・・ここでしか買えない食べ物たちに最敬礼!!おいしく楽しかった思い出は尽きません。
 でも思い出ばかりに浸るのは、もうやめときましょう。これを涙ながらに書いていて、そう思いました。膝の上で抱きしめていた娘も来年には社会人。無我夢中の子育てを終えて少し寂しくもある今の私にも、心が熱くなる事との出会いがきっとあるはずと信じて、がんばります。
〈どんぐり さん〉

大喜利

お題①
「こんなヘルパーは嫌だ」

○四季を通じて半ズボン    
〈猫 背太郎 さん〉

○ヘルパーのヘルパーが必要なヘルパー
〈クリオネ さん〉

○作り過ぎた料理の残りを家に持って帰るヘルパー      
〈藤田ニコル さん〉

○ツイッター画面の、シートヨ6の2の画像の様なひと
〈オッパーかんなみstyle さん〉

☆力を入れる時に「よいしょ」と 言わずに「ぬぅ~」と言う  
〈ダモすずき さん〉
お題②
「千里川にヌートリアが
住む本当の理由とは」

○話題作りにと        
     豊中市から依頼された
〈猫 背太郎 さん〉

○シンプルにエサがうまい!  
〈千鳥の○ブ さん〉

○時給が高い         
〈ダモすずき さん〉

○大阪空港から貨物便等に潜り込 み故郷に帰るチャンスを伺って いる。           
〈藤田ニコル さん〉

☆川沿いにシェフカワカミやロー ソンがあり買い物に便利だから
〈オッパーかんなみstyle さん〉

写真で大喜利

お題①
○新種のインコ        

○彼氏とデートなうに使っていい よ             
〈オッパーかんなみstyle さん〉

○待てど暮らせど       
〈ダモすずき さん〉

☆ちぇるちぇるらんどの港でコン テナの中から見つかった破壊力 ハンパないヒアリ      
○CDTVをご覧の皆さんこんばん は。ゲスを極めてセカイワオワ タのボーカルきゅん死郎です。
〈Oh~♪YDK さん〉

○こんにちわ赤ちゃん 私がママよ
〈藤田ニコル さん〉

○「空前絶後のぉー!!」     
〈猫 背太郎 さん〉

お題②
○天竺川=豊中のガンジス=で、沐 浴しています。        
○手と手を合わせて「仕合せ=幸 せ」            
〈藤田ニコル さん〉

○旧種のサルのおもちゃ    

☆ホームレス夜間中学生    

○素っぴんでごめんなさい 知らん がな!!            
〈オッパーかんなみstyle さん〉

○実は寝てます        
〈クリオネ さん〉

○五里霧中          
〈ダモすずき さん〉

○ラッスンゴレライ説明してねッ

○ぱねぇ!このおっさんマジ 神 
〈Oh~♪YDK さん〉

○ミャンマーから登録ヘルパーがきた
〈猫 背太郎 さん〉
《投稿作品大募集》   
CIL豊中通信では、みなさんからの投稿作品を大募集しております。

◆俳句・短歌    応募番号1  
 テーマは自由
◆川柳       応募番号2  
 テーマは自由 
◆コラム      応募番号3  
 400字から1200字
◆自立生活レポート 応募番号4  
 400字から1200字
◆大喜利      応募番号5  
 お題 iPhone20に搭載される新機能とは?
◆写真で大喜利   応募番号6  
 お題

《応募方法》      
郵送、FAX、メール、Twitterのいずれかの方法で、ご応募いただけます。
必要事項 ①お名前 ②ご連絡先 ③応募番号 ④投稿内容
郵送での応募 ハガキまたは手紙に必要事項をご記入の上、下記の送付先までご郵送下さい。【送付先】〒560-0033 大阪府豊中市蛍池中町2-3-1-305 豊中市障害者自立支援センター CIL豊中通信投稿コーナー係
FAXでの応募 用紙に必要事項をご記入の上、次のFAX番号までお送り下さい。【FAX】06-6857-3602
メールでの応募 お使いのメールより必要事項をご記入の上、下記メールアドレス宛てにお送りください。【メールアドレス】tuusin@ciltoyonaka.com
Twitterでの応募 CIL豊中のアカウントをフォローしていただき、ハッシュタグ(#シートヨ〔応募番号〕※俳句の場合は #シートヨ1 となります。)を付けてツイートしてください。【アカウント】@ciltoyonaka


哲珍の部屋
~あくまでも自己主張、されど自己主張~   
 先日、養護学校時代の先生に何十年間かぶりに再会しました。私の小学校1?2年生時のエピソードを結構話してくれたのですが、意外や意外な事実が。
 当時は本当におとなしい純粋な子供だと冗談抜きに思っていたのですが、先生と意見が食い違い「教室から出て行きなさい」と言われると、その気になって教室を出て行っていたそうです。しかも何回も何回も。自己主張が強いのは今に始まった事ではないようです。
 
 前置きはその辺として。今年度、市民さんを対象にした啓発講座を例年以上に多く開催しています。市民さんだけではなく、他の部門や市内の相談支援事業所やら居宅や日中活動系の事業所まで、幅広く宣伝させてもらったのですが、どの講座も市民さんの方が多く、障害福祉事業従事者は一握りでした。内容としては相模原の事件から、それぞれのライフステージで、出生前から、教育やら、生活までを辿って、命を考え語り合おうというものにしています。
 これまでの参加者の中で障害福祉関係者、特に相談職の方々が一握りだったのは、なぜなんだろうかと思ってしまいます。市民講座というネーミングなのか、宣伝不足なのか、日曜日に開催したからか、その程度なら理解しているからだろうか、無関心さか、興味がないからだろうか、なんて頭に色々浮かんできます。
 「この人たちの生活の支えになる」そういう気持ちがあるなら、もっと学んで欲しいものです。ここ豊中で相談職として働くのであれば、府の研修や福祉士や介護経験だけでは力不足でしょう。
 親御さんやら、作業所時代の職員、昔の市職員、学校の先生、当事者の市職員や当事者議員がみんなで、障害者施策の基盤を築き上げてきました。豊中の生い立ちとか背景を知らないでソーシャルワークはできません。無知は偏見を生み差別をつくる、そして暴力で優しく抑えるという構図に相談職がならないように。
 相談職の理解なくて、障害当事者やその家族は当たり前な普通な生活なんて送れません。まだまだ、障害があるが故に不便な社会、そんな不便な社会を、豊中の相談職が変えていって欲しいものです。
 もちろん、私は変えていきます。自己主張、いや、自己実現楽しいし。
(担当:上田)



ねや散歩 part.4
 ねやたろう
北大阪急行電鉄の各駅にホーム柵

 今年7月中旬、北大阪急行電鉄の千里中央駅ホームに、可動式ホーム柵が設置された(左写真、撮影は7月時点)。この記事を書いている8月現在、ホームドアはまだ使用開始されていないが、9月より供用開始とのことなので、予定の変更がない限り、今は使用が始まっていることになる。
 北大阪急行電鉄では、全3駅(千里中央・桃山台・緑地公園)に可動式ホーム柵を設置することを2016年12月5日に発表し、翌6日には一部新聞記事でも掲載された。それによれば、千里中央は前述のとおりで、桃山台と緑地公園については、2018年3月中に、設置完了予定ということである。
 なお、地下鉄御堂筋線との境目となる江坂は、地下鉄の管轄であるため、今回は設置対象にならない。
 今年7月中旬、桃山台と緑地公園の両駅をチェックしてみたところ、ホームドア設置の準備であろう目印を確認出来た(下写真の〇印部分)。大阪では、地下鉄千日前線・長堀鶴見緑地線・今里筋線の全駅、御堂筋線の心斎橋・天王寺の2駅でホーム柵が設置されている。
 また、JR大阪駅でも今年になって、6番線と7番線にホーム柵が設置されたが、JR以外の私鉄の駅ではまだ1ヶ所も設置されておらず、今回の北大阪急行が第一号となる(阪急では十三駅3・4・5号線で工事準備中)。
 北大阪急行では、2020年度に路線延長を予定しているが、その際に誕生する新駅もホーム柵付きとなる。そのため、在来3駅もホーム柵を先んじて設置し、よりバリアフリーな鉄道を目指していくのであろう。
 次号では、今触れた路線延長について、お伝えしたいと思う。

 
☆☆☆サービスのご案内☆☆☆

ヘルパーステーションCIL豊中
訪問看護ステーションCIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196

障害者総合支援法介護サービス
障害者総合支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護・総合事業訪問介護相当サービス  
介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス
 障害者(豊中市在住)の自立支援を目的とした、制度外サービス。
◇介助料
 【一般介助】1時間1,200円【その他】旅行介助
  介助者にかかる交通費及び宿泊費等は利用者負担です。
◇キャンセル料 当日キャンセル半額
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
訪問看護サービス
看護師等が家庭に訪問し、在宅療養の支援をします(医療保険、介護保険)。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜~土曜9時~18時

ボーイズ&ガールズ
TEL06(6843)5580 FAX06(6843)5590

重症心身障害児(者)多機能型通所事業所
 放課後等デイサービス・児童発達支援・生活介護
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 児童通所11:30~17:00 生活介護10:45~15:30
休み:日曜・木曜、祝日、年末年始
豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602

豊中市障害者相談支援事業(無料)
 障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇福祉サービスの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピアカウンセリング  ◇権利擁護   ◇専門機関の紹介
自立生活体験室
 障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
計画相談支援・障害児相談支援・地域相談支援(無料)
 サービス等利用計画の作成、地域移行支援、地域定着支援等。
豊中市障害者外出支援サービス
 車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は、豊中市内に住所を有し、次のいずれかに該当する15歳以上65 歳未満の人、概ね6歳以上15歳未満で車椅子使用の人、65歳以上で豊中市 高齢者外出支援サービス『ほのぼの号』の対象にならない人です。
 ①身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
 ②療育手帳Aを所持している人。
 ③腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
 ※入院、入所中の人は利用できません。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29~1/3を除く)。
◇利用回数 月4回まで利用できます。
◇利用料 4㎞未満300円~20㎞以上2,500円
◇利用区域
 豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
◇キャンセル料 当日キャンセル300円
点字名刺(送料は一律270円)
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚400円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚500円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。


編集後記
編集長 根箭太郎

 今回のCIL豊中通信、一目見て「え!」と思われた方も、おられるかも知れませんね。
 インターネット上では、かねがねツイッターでも発表しておりましたが、当広報誌は今回で50号の節目となり、それを記念して印刷版では、大幅にリニューアルを致しました。初めて表紙をカラーにし、誌面の紙のタイプも変更、新コーナーを登場させたり、投稿コーナーのバリエーションを増やしたりして、まさにフルモデルチェンジを図ったのであります。

 読まれてみて、感想はいかがでしょうか?
 本年3月に【広報誌変更プロジェクト】がスタートし、担当のスタッフを中心に、試行錯誤しながら作業を進めて参りました。
 
 今年は、NPO法人CIL豊中が発足してからも15周年となり、さらに前身の団体である「障害者自立生活援助センター・とよなか」の設立準備委員会が発足してからも25周年で、何かと節目が重なる年となりました。
 これまでの歩みを振り返りながら、法人の広報である本誌も、進化・改良を重ねていきたいと思います。新たに始めたツイッターと併せて、これからも、どうぞよろしくお願い致します。
編集人 NPO法人CIL豊中   
豊中市蛍池中町2の3の1の305
H P: http://www.ciltoyonaka.com/
Twitter: @ciltoyonaka 
Email: info@ciltoyonaka.com
TEL 06(6857)3601  
FAX 06(6857)3602

発行人 関西障害者定期刊行物協会
大阪市天王寺区真田山町2の2 
 東興ビル4階  定価100円



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