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印刷版の表紙 |
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1. 特集:追悼 大友章三 〜CIL豊中20年の歩みと共に〜 2. ピアカウンセリング集中講座報告 3. 2012年 自立生活プログラム講座報告 4. 大盛況!! 2012年度クリスマスパーティー 5. 『からだのメンテナンス講習会』の報告 6. 4月から「障害者総合支援法」が施行されます 7. かんた〜んクッキングコーナー 8. “つながるサロン” |
広報誌編集部 事務局 事務局 事務局 事務局 事務局 どんぐり 事務局 |
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みなさんからの、投稿コーナー
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13. サロン便りだヨン 14. 事務所スタッフのつぶやき 15. サービスのご案内 16. 編集後記 |
TSW1 事務局 事務局 赤塚裕子 |
エコキャップ・プルトップ 去年一年間で集まったエコキャップ・プルトップは、上記のような量になり、 特にエコキャップは、かさばるのでとても多くなりました。 ご協力いただいた皆様ありがとうございました。 更に力を入れて集めている事業所へお譲りしました。 また、今後ともよろしくお願いします。 一応、季節的にバレンタインっぽい絵を入れてみました。 |
2012年10月15日、CIL豊中の前身、障害者自立生活援助センター・とよなかの設立者であり、現NPO法人CIL豊中の副理事長だった大友章三さんが、病気のため他界されました。57歳でした。
奇しくも今年は当団体設立20周年の節目にあたり、これまでの歩みも振り返りつつ、故人の追悼特集としました。なお、作成にあたっては関係者の方々に、対面またはメールでインタビューを行い、回答者の名前を敬称略で表記しております。
第一章:独身時代〜結婚生活スタートの頃 | (大友ともみ&牧口一二、対談) |
ともみ: 私は91年頃に、「おおさか行動する障害者応援センター」という所で章三さんと出会いました。あの頃の章三さんは一番、電動車いすで動いていたなぁ。
牧口: そんな大友君を横で見ていて、「キャー、カッコいい」とか思ってたん?
ともみ: ええ!? 私はうまく利用されたのかな〜?と(笑)。章三さんは両手が不自由で、私は自分でワープロを打つ。だから「僕の言う事を全部打って」と頼まれたり・・・。
牧口: なるほど!うまいこと騙されたわけや(爆笑)。僕が出会った頃の大友君はもっとスマートで、すごくイケメンでなぁ。だから、「こいつは女の人を困らしよる」と内心思ってた。そしたらともみさんと結婚したやんか。ほんでしばらくしたら、めっちゃ太ってたんよ!だからこれはともみさんの作戦やと。つまり、恋敵が出来たらかなわんやんか。だからもう女の人が見向きもしなくなる様に、太らせた(笑)。<ともみさん、爆笑しながらも必死で否定> でも、最近僕自身が肥えてきてなぁ(照)。特に煙草を止めてからかな?大友君は煙草は吸っていなかったよな?
ともみ: 吸っていなかったですが、付き合い始めた頃は吸っていました。文章を考える時は必ず、「くわえさせて」と言ってきて、煙草介護しましたよ、ホンマに。
大友ともみさん(左)と、牧口一二さん(中央奥) 右は吉村史生さん |
牧口: ああそう。けどその姿、板についとったか?<いかにも疑わし気に>
ともみ: ついてなかったですね。あんまりホントは煙草が好きじゃなかった。
牧口: そやろ!だからともみさんの手前、ちょっと吹かしてさ、原稿を目の前に置いて、作家気分やないけど、気取ってたんと違うか?カッコつけとるな〜(大笑)。大友君の実像がこれで分かってきたな。気取り屋、カッコつけ(笑)。ほかには?何か新婚の頃のエピソードとか、無いの?
ともみ: 章三さんは結婚前の自宅では、ベッドの上で全てが終わる生活だったんですよ。食事も洗面も着替えも仕事もトイレも。だから一緒に住み始めた章三さんの第一声は、「ご飯どこで食べるん?」でした。私が「どこって食卓でしょう!」って言ったら、「え?」って言ったきり固まってしまって。それで、「歯はどこで磨くん?」「洗面所で磨こうよ!」、「ベッドは?」「ベッドは寝る所!」章三さんは、「そうかぁ。普通はこういう生活をするもんなんやな〜」と。ベッドから違う場所へ移動して食事をするという感覚は、目からウロコだったんですね。
牧口: 面白い話やな〜!でも同時に、時代背景がよくわかる話や。
ともみ: 今でこそ単身用の福祉住宅も増えたけど、当時は単身入居は認められなかったんですよ。だから私と章三さんは、福祉住宅に応募するために先に入籍して・・・。
牧口: ほぉ!それじゃあ、ある意味作戦結婚やってんな(笑)。ほかに何かある?
ともみ: 人が好きだったし、介護者も月25人位入る様に組むんですよ。学校の先生や地下鉄の職員さんなど色んな人がいました。毎月、月末ギリギリで介護調整が終わって、必ず言った言葉が「これで来月1ヶ月も生きていけるな」。私は「ハー、すごいパワーやぁ!」と思って、「この人は付いていける人や」って感じましたよ。
牧口: へーえ!でもそれが大友君の遺言ちゃうかな。「色んな人と付き合えよ」と。
第二章:介護者の思い出も様々あります | (吉村史生、畠博思、馬渕敦士、根箭太郎) |
Q1.大友さんの介護に入っていて、最も印象深い思い出は?
吉村: 大友さんが最初に住んでた文化住宅で、特に日曜日が介護者いなくて、毎週入っとった。全体で四畳半ぐらいで、大友さんのベッドの横にビーチにある様なボンボンベッドがあって、それが介護者用やった。床は全面セメントで冬は寒かった!風呂も無いから近くの銭湯に行って、その時は二人介護やった。まだ入浴サービスが無くて、毎日入りたくても介護者二人確保が無理やった。一泊五千円の介護料が出てたけど、それをすぐカンパや言うて、自立センターに納めてたな(笑)。大友さんは凄いグルメで、味付けがめっちゃ細かかってん。「塩もう一摘み」とか(笑)。それと、新聞見んでもテレビ欄をぜーんぶ覚えてたんは凄い(笑)!
畠: 清水の舞台のライトアップを見に行った時に、大友さんは手動の車いすで、坂道をひたすら押しました。12月でしたが、着いた時は滝の様に汗が流れて、それを見た大友さんが、「畠君ってよう汗かくねんな〜」。当たり前やんか!こんなに押してきてんから(笑)。でも大友さんは、「自分は一度、清水の門から舞台まで歩きたかったけど、そこまでの介護が出来る人はいないと諦めていた。畠君のお陰で素晴らしい気分を味わえた」と喜んでくれたんです。あとは東京行動に行った時ですね。議員会館で、僕は大友さんの車いすを押してたんですが、電動自走で一緒にいたともみさんが、段差で転倒して大怪我をしたんです。その時は「僕が傍にいながら」という悔いが消えず、もうヘルパーを辞めようと決心して打ち明けようとした瞬間、大友さんのほうから「もし今回の事で『自分が悪い。辞めよう』と思ってるんやったら、それは違うで。畠君やったから逆にこのぐらいの騒ぎで済んだし、ほかに畠君を必要としてる人は沢山いる」と。結局僕は言いそびれたんですけど、それ以降、大友さんを介護の師と思うようになったんです。
馬渕: 初めてお会いした時、人生初の食事介護をした事ですかね(笑)。この瞬間、私の人生が180度変わったと思います。色んな所へも連れて行ってもらいました(あ、介護としてですよ)。一度飛行機で秋田県へ行ったことがあり、車いすの乗り換えから機内への移動までに非常に時間がかかり、ハイテク機さながらの超バリアフル感がありました。飛行機に限らず、そういった街に対する視点を変えてくれたのが大友さんですね。余談ですが、大友さんには色々と予言をされましたが、今のところ全て外れています。(髪の毛が○○る、糖尿病になる など)。
根箭: 大友さんの介護を通じて、国障年・障大連・行政などの人と面識を持てたし、ピアカン講座にも行って勉強出来た。私生活の大友さんは、食卓でずっとテレビ見て、ベッドに移ったらまたベッド前のテレビつけて見てた(笑)。最後はいつも、大友さんがイビキかいてるのを確認して、私が自分で消してたです(笑)。
Q2.「ああ、これが障害者の自立生活なんだなぁ」と感じた瞬間はありますか?
吉村: 介護者は自分以外に何人もいるから、介護者同士の交流会があったんよ。それでありとあらゆる話をしてすごく面白かったわ。大友さんも健常者の悩みを聞いていたし、介護者同士で相談や助言をしたりしてな。大友さんが、どんな意見の人とも付き合って、色んな人を受け入れるタイプやったのが良かったなぁ。
畠: 自分で介護のシフトを組んでいる姿を見た時は、大変やな〜と感じましたね。特に体調を崩して仕事を休む時など、そのために色んな人に連絡して急な介護の調整をして、それを自分も身体がしんどいのに、やらないといけない。もしやらなかったら、例えばトイレが出来ないとか、命にさえかかわってくるから。その現状を目の当たりにした時に、重度の障害者の自立は大変やと思いました。
馬渕: ありそうでないです。普段そういうことを考えて介護をしていなかったせいでしょうか。ただ、「自立生活のための介護」という点はよく考えました。特に、利用者さんの生活に入っていく中で、「どこまでが介護なのか」という部分です。介護保険と違って、障害者自立支援法ではいわゆるグレーゾーンが多いのです。そのあたり、縛りがきつくなると利用者さんは使いづらい制度になってしまうけど、ヘルパー側としてはどこで線を引けばいいか判らなくなる。そこのとこに関しては私自身も悩みましたし、現在も悩んでるヘルパーさんが多いはずです。
根箭: 介護が終わった時、制度の記録を付けるじゃないですか。健常者の生活だと、例えば枕元にいきなり書類とか事業所のファイルが置かれている事は無いので、そこで「障害者の生活」を感じました。妙な表現ですけど、寝室の隣が制度の管理室みたいな?でもその制度も、障害者が運動で勝ち取ったものですよね。
第三章:CIL豊中誕生秘話(?!) | (入部香代子、大友ともみ、吉村史生、原和恵) |
Q1.設立のきっかけは何ですか?そのための勇気や力の源は何だったのですか?
入部: 20年前、障害者の介護と就労は、豊中ではまだまだ成っていなくて、私がまあ、立場上動けない部分もあったんで、大友さんに、「もっと行動を起こしてほしい」と呼び掛けたんよ。そしたらやってくれるって言うんで、人を集めるための集いも何度も開いて。それと、当時私の介護にずーっと入ってた原さんって人がいて、その3人で動き始めました。介護に関しては、アメリカから来たCILというのがあって、それを豊中でもするんだっていう事で、かなりいっぱい呼び掛けて、何人かの健常者も手を貸してくれたから、今があるんです。元々大友さんはすごく大人しい人で、こっちがハッパを掛けて強くなってきたという(笑)。だから大友さんが最初に手を挙げたというよりは、そういう動きの中で、大友さんも親身になって動いたというのが現実かな。原さんもすごくパワーがあったしね。
初代事務所の前で |
ともみ: 親が介護出来なくなってきたのが一つだよね。それとやっぱり豊中で、自立する障害者のための拠点を作りたいとずっと言ってたので、その思いが力になりました。あとは国の動きがちょうどリンクしてきたんですよ。市町村生活支援事業が立ち上がって、ピア・カウンセラーを置かなあかん、ILP講座をやらなあかん、権利擁護も必要。今まで障害者は抑圧されてきたという事を伝えるために、動き出さなあかん。だから自立センターを立ち上げるんだってね。
吉村: 当時、青い芝の会という団体が、障害者が自立するための介護者募集に力入れてたけど、個人個人で集める形やったんでなかなか難しくてね。それでも青い芝の会から障害者が自立したという先例があったので、大友さんは刺激を受けたんやと思う。あとはやっぱり組織的にやっていかなあかんという事やったね。
原: 入部香代子さんより呼びかけがあり、数名の障害者、健常者が集まって設立準備に入りました。当時の状況、障害者の仲間の状況から考えて、豊中に障害者の自立を総合的に支援するセンターが必要だと、強く実感されたのだと思います。
Q2.立ち上げの頃の苦労や夢、本人の胸中について、ご記憶の事はありますか?
入部: ただひたすら介護者がいなくてね。24時間介護が必要やから。昼間は仕事してる人が入ってたから、身体壊したらエライ事やという感じで。大友さんの友達も入ってたね。制度も何も確立してない時代やから、ボランティアに近い。本人の胸中はねぇ、あまり大友さんはそういう事を口に出さない人だったですよ。
ともみ: 最初の仕事場が家と兼用で、仕事中もプライベート丸見えの部分がありました。でもそういう中でやっていく覚悟を持たなあかんかったよね。電話も自宅の番号にしてたから、介護者は真夜中でも電話が鳴ったら起こされて、何時間も受話器を持つのは大変やったと思います。そんな中で、独立した事務所を持つことが夢やったかな?委託事業も取らなあかんってすごく頑張ってたと思うんやけど、章三さんの夢は、小さい所で輪になってやっていきたいというものやったね。
吉村: やっぱり制度でもって、地域で生きていくという事をせんといかんという気持ちで、人の話を聴くという大友さんの人柄もあって、続いたんと違うかな。それとこれは介護者の愚痴になってしまうんかも知れんけど、大友さん、夜中に仕事のレジュメとか作っててな、僕介護入ってて夜寝られへん(笑)。
原: 人材も財源も何もない、ゼロどころかマイナスからのスタートでしたので、すべてが手さぐりでした。また、スタッフ間の考え方の違いをどうまとめていくのか、苦心しておられました。大友さんご自身の自立生活のスタートと同時進行でCILの活動も進めておられたので、大変だっただろうと思います。
Q3.立ち上げ当時先端だったという行為、そして後世に伝えたい事はありますか?
入部: 大友さんの交渉術っていうのかな。とても丁寧にものを言うし、あの頃は障害者でそういう特技を持ってる人は、なかなかいなかったと思うよ。話術に長けたところがあったから、これも昔は珍しかったけど、学校などで講演活動したり、行政との交渉でも特技は発揮された。それが無かったら、今は無いで。
ともみ: 今、資格制度がどんどん出てきて、それは大切やとは思うけど、一番伝えていきたいのは気持ちですよね。障害者の生活を見てない人から、いきなり「勉強してきました!」と言われると、障害者は何も言えなくなっちゃう。そうじゃなくて、「こういう生活をしてる人と今から関わっていくんやな」という気持ちで来てほしい。章三さんもそれを伝えていきたかったんと違うかな?それと、若い障害者を育てられなかったという悔いが、章三さんの中では残ってたみたいですね。
吉村: 大友さんはよくスーツとネクタイを着用してたね。やっぱり自立センターの中心で、結構講演にも呼ばれてたし。背中にファスナーが付いて着脱しやすいスーツになってて、これは新しいなと。あと、浴室にある、浴槽への移動用リフトも、当時はまだ世界でも少なかったかな?後世に伝える事は、障害者の人も、大変な事を敢えてやる人が出てきて欲しい。ある意味今は頑張らんでもええ時代になってきたから、もっと自分たちの意志を持って行動する次の代が育って欲しい。
原: 障害者が運営主体となって事業を展開する事は、当時ほとんど行われていないことでした。ピア・カウンセリング、自立生活プログラムという言葉すらほとんど知られていませんでした。今後も状況がどう変わろうと、重度の障害があっても地域で自立生活を送れるよう、諦めずに地道に取り組み続ける事だと思います。
第四章:CIL豊中職員・理事・広報誌編集員に聞きます | |
(徳山辰浩、山口博之、馬渕敦士、根箭太郎、塚原佳子、川崎高弘、赤塚裕子、上田哲郎、ま〜たれ) |
Q1.大友さんと初めて仕事をした時の印象は、何かありますか?
徳山: 最初に出会ったのは二十数年前の、開設間もない障害福祉センターひまわり。電動車イス(当時は珍しくて初めて見た)、丸い体格と笑顔、活力に満ちている印象だった。仕事もプライベートも実に精力的、体調悪そうやから休んで下さいと言っても「じっとしている方がシンドイねん」とよく言っていた。外部会議の委員など、対外的な活動を積極的に引き受けてくれて、体力の無い私にとってはすごく助けになった。
山口: 大友氏と出会ったのは約35年前です。大友氏は「やさしい調整役」の様に思え、何かを行動して立ち上がる様には思えません(失礼!)でした。しかし、豊中市を拠点とした自立生活援助センターを3名で起こしたのにはびっくりしました。大友氏のそれ程の覚悟・思いっ切りの良さが行動となって現れたのですから。
根箭: 思い出すのは、初めて外出介護で豊中市役所に行った時の事です。大友さんが障害福祉課の課長と、障害者生活支援事業(現相談支援事業)について協議していました。これは豊中市委託事業で、この半年後にスタートしたのですが、駆け出しで24歳だった私は、これから大きな事が始まるのだとワクワクしましたよ。
塚原: 最初に出会ったのが何か思い出せないけど思い出は限りなくあります。大きな存在の方。何か困った事があれば、すぐに相談できた方でした。無理難題をいってもニコニコと話を聴いてくれ、解決の糸を探って下さり、ありがたかったです。
川崎: 福祉の世界に足を踏み入れて右も左もわからないときに、大友さんの介護に入っていろいろ勉強させてもらいました。一言で言えば優しい人だと感じましたが、介護については妥協せず、適切に指示を出してくれました。
赤塚: ピア・カウンセリング集中講座に初めて参加した時に会場で、ひときわ「デン!!」とかまえていた車イスの男性が目につきました。まるでトドのような存在…実際に名札には「TODO」。まさにその通りだったのをしっかり覚えています。そして対談相手になって下さった時、優しい目にひきこまれる様に、抑圧されてきた苦しみや悲しみが自然にあふれ出して泣きそうになるのをこらえていると、「泣いていいんだよ!」と言われ、いっきに涙がこぼれてしまい、それからは心が晴れやかになったのが今でも忘れられません。
上田: 器の大きさは全然及ばないけど、どこか同じ匂いを感じました。
ま〜たれ: 最初に会った時はリハビリに通っていた病院で、お昼ご飯一緒に食べよう≠セったかな。今思えば初めて食事介助をしました。今みたいにヘルパーとか介助という言葉も知らなかったから、自然とできたと思う。何年か経って私が歩きにくくなり、電動3輪車に乗って生活をこなすのが限界になったころ、また会って、手伝ってくれへん?≠チて言われてこの世界(笑)に入ったのが経緯です。その頃【共に生きる】って言葉があって、いいな〜って思ったんだけど,,,。
Q2.皆さんがCIL豊中に入ってから今まで、何が一番大きく変わりましたか?
徳山: 団体として一番の転機は、2003年に行われた障害制度の措置から利用契約への大変革だと思う。運動プラス事業を行う自立生活センターとしてこれに対応すべく、任意団体からNPO法人、自主事業から指定サービス事業、仲間内組織から公益的組織など、多くの対応を求められた。
山口: 一番大きな転機は、一つのサークル的なものから始まり、多くの当事者や家族の信頼により、NPO法人格や豊中市委託事業としての、担い手になった事だと思います。「障害者なんかに何が出来るか!」という偏見が多い時から始めた事が、社会的に認められた事だと思います。また、続いている事業の多くに健常者が関わり、当事者の生活理解を広めてきた事も大きいと思います。
支援センターのさろんにて |
馬渕: 事務所が変わりました(笑)。大きく変わったのは比重ではないでしょうか。運動体としての機能から事業所としての機能へ。その転換期が一番大変でした。運動体の機能を残しつつ事業所を運営していくのは、楽なものではありませんでした。ぶつかり合い、譲り合い、協力し合って今のCIL豊中が出来てきていると思っています。転機となったのは当然2003年の支援費制度が始まったときです。
根箭: 15年前、初めて初代の独立事務所に入った時、ガレージ程のスペースで職員は7人程、パソコンも1台だけでした。それが今では職員約60人、事務所も広くなって事業所も3つと、最初の頃を思えば浦島太郎ですわ。法人格も取り、事業も増えて責任が重くなりましたが、大きな転機となったのは国の制度開始ですね。
塚原: 入部さんの選挙運動と市会議員当選で、良い方向に変わったと思います。大友さんを中心に頑張りました。燃えていました。あんなに燃えたことないぐらいに。
川崎: やはり支援費制度が始まってから大きく変わったと感じます。それまでは利用者さん・ヘルパーさん・職員も少人数でのんびりとした雰囲気でしたが、制度が始まって利用者さんが何倍にも増え、日々追われるようになりました。
赤塚: CILが段々大きく成長していくたびに担う負担が膨れ上がって、しんどくなってたのと同時に、若いスタッフが育たないという面が残念でなりません。
上田: 私はこの事務所になってから入職なので、あまり変化は感じなかったと思います。個人的には昨年から大友さんの後を継ぐ形になった事です。なってみて気づく事が多すぎて、甘えていたんやなと今になって実感しています。
ま〜たれ: 自立支援法が始まったことかな?クリスマス会の参加人数が変わった。事務所が大きく綺麗になり、職員が急に増え、前向いてみんなで進んでる気がした。
Q3.これからのCIL豊中について、思いを馳せている事があれば、どうぞ。
徳山: CIL豊中は「どんな重度の障害があっても地域で生き生きと自立した生活ができる社会の実現」のために存在します。全ての活動や事業は、その目的に必要であり、大切なものです。今のCIL豊中は、その日々の努力の結果として形作られたと言え、全国でも有数の事業規模の自立生活センターとなっています。事業規模は安定的な運営をしていくためには非常に重要です。しかしながら、ただ大きいだけでは意味はありません。「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたか」であることを忘れずに、障害当事者と健常者スタッフが力を合わせて一歩一歩進んでいきたいと思います。
山口: ヘルパーや職員の「自立」と「当事者の自立」という足元をきっちり見つめていく必要を感じています。何故なら、新たな意識の見つめ直しが無いと、職場だから・・・・とか、面倒見てもらう所だから・・・・という様な簡単な決め付けによる、思考停止や馴れ合いに流される恐さが有ると思えるからです。
馬渕: すいません。たくさんあり過ぎます。あえて一つ課題をあげるならば、「事業体という組織の中で、どこまで運動体を残していけるか。」ですかね。奥が深いと思いますが、一人ひとりに考えてほしいことです。
根箭: 全体で何かをする時は、一体感を持って取り組む事を心掛けたいですね。事務所が大きくなりましたが、最初の、あの倉庫みたいな事務所の頃を忘れずに、色々環境が恵まれてきた事には感謝したいです。かつて草の根だった頃の、お互い何もかも掛け持ちが当たり前という感覚は、忘れてはいけないけど、身体の事を思いやれば、『縦割りにならない役割分担』が出来る環境は不可欠でしょうね。
川崎: 支援費制度〜自立支援法と、利用者さん・派遣時間とも増え続けています。どんなに重度の障害を持っていても地域で普通に暮らしていけるようにという理念の通り、少しでも多くの利用者さんの力になりたいという思いと、規模が拡大するにつれて昔のようなこじんまりして和気藹々とした雰囲気が薄れていくジレンマ・・・。どんな形であれ、地域の福祉に少しでも貢献し続けたいと思います。
赤塚: やはりもっと若いスタッフを育ててほしいと願っています。もっと早くに若いスタッフが入っていれば、大友さんの負担も軽くなり、この様な結果にはならなかったのではないかと、非常に残念無念な想いです。
上田: CILの理念と豊中の歴史、二つ重なる所で働ける意義を大事にしたいです。本当の意味で、共生社会の実現と差別からの解放、古いけどまだまだです。ここが一番近い場所だと思っています。ひとつでもやり遂げていきます。頑張ります。
ま〜たれ: 制度も変わりすぎ、先が読めない。どこに向かっているかわからない。???
第五章:私も自立が出来ました! | (井上康&徳山辰浩、対談) |
Q1.大友さんと出会う前(自立前)は、自分の将来をどう描いていた?
井上: 京都の施設で28年間生活していた。このまま施設で生き絶えるのかなあ・・・・と思っていた。
施設時代の井上さん |
徳山: 15歳の時にケガで障害を持ち、3年間入院、退院後は豊中市の自宅で母親が介護してくれていた。自宅改修の話も出たが、玄関の階段数が多くて諦めた。介護制度も無いに等しく、2〜3ヶ月に1回父親の友人などに手伝ってもらい外出するぐらい。9年程そんな生活だった。勿論、地域で生きる障害者に会う事もなく、親が看れなくなれば施設かと漠然と思っていた。
Q2.大友さんと出会い、自立を果たしていく中で感じた事は?
井上: 豊中での一人暮らしを選んだのは、豊中なら、僕が死なない程度に介護者を集めてくれると思ったから。始めるまで4〜6ヶ月間しかなくて、入部さんや福祉公社のヘルパーチーフなど、多くの人が支えてくれた。豊中での自立を中心で考えてくれた一人が大友さんだった。自立を勧める人には「あ〜せい!こ〜せい!」という人が多いが、大友さんは違った。ある時期から、殆ど何も言わなくなった。わからない事は聞いたら丁寧に教えてくれるけど、それ以外は何も言わない。
『井上さんはほっといた方がカラーを出しよるし、伸びるやろな。』と(本人に聞いたことはないが)思ったのかもしれない。僕にはほんまにそれが助かったんや。
徳山: 1990年頃にひまわりの送迎(移乗介護付き)を利用しないかという声掛けがあって行くようになり、そこで大友さんと出会った。介護の制度を使って、車いすの重度障害者が自立生活していると知った時は、衝撃的。そういう世界を知らなかったので、凄い!凄い人だと、羨望の眼差し。何回か顔を合わせる内に、一緒に活動しないかと誘われ、研修等にも行き、段々こういう世界があると分かってきた。大友さんはあ〜やこうや言わないタイプだが、僕はあ〜やこうや言う方なので、運営委員会などにも出る様になった。踏切横の事務所時代の話だが、クリスマスパーティー前日、大友さん夫婦から『家に泊まりにおいでよ。大友さんのベッドを空けるから』と軽く声をかけてくれた。そこで初めて、寝る時に母親がいないという状況を体験した。これがもの凄いきっかけ(他人の介護を受ける)となった。大友さんならではの人との関わり方であり、親しみやすさかなあ。
Q3.それぞれの自立について語ってください。
井上: 少しだけ僕を知る人は、「井上さんは凄いやん」と言うけど、僕の本意ではない。一人でいたいって思うのは、誰でも同じだと思う。でも僕が家で一人だと、トイレとか何もできないけど、外へ出たらなんとかなるやん。行動派やないし、気が小さいし、しょうもないおっさんやというのが正直なところ。当たり前のことをしてるだけ。一人で外へ出ると子どもが手を振ってくれるけど、ヘルパーさんといると良くも悪くも町の人が遠慮する。そんなんじゃなく、皆が構えずに、この町で介助を受けながら生きてますと言える空気を作りたい。
対談風景。部屋が小さく感じます |
徳山: 大友さんから、自宅近くの単身者向けの市営住宅へ応募してみないかと言われ、当たらないと思って締切日に応募したら、一発で当ててしまった(苦笑)。心の準備も何もなく、慌てふためいて稲津のILPルームへ一週間泊まり、初めての風呂介助を受ける体験をして、すぐ入居。あまりにも急すぎて部屋には何もない。テレビも一ヶ月後に設置、リフトも引越し後に申請した。でも、生活を作っていくのも楽しかった。両親も心配はしたけど強い反対はなかった。親としては、実際に自立している当事者がサポートしているので安心だったのかも。実際一人暮らしをして不安だったのは、最初の一週間程度だった。それに、母親が僕の介護からやっと解放されると思うと、不安があっても嬉しかった。今では母親も一人暮らしに感謝してくれている。
☆改めて、大友さんに掛ける言葉をどうぞ。
井上: 一言ではいえないところだけど。「じゃあ、また。」
徳山: これしかない。「豊中にいてくれてありがとう。」
第六章:大友さんが最後に立ち上げた、WAOに寄せる想い | (畠博思さん) |
2012年10月1日、服部本町に『NPO法人WAO』という事業所が開設されました。内容は障害者(児)相談支援、ヘルパーステーション、ケアプランセンターです。
畠: CIL豊中が北の方にあるから、南の方で相談支援事業を立ち上げたいと、大友さんは3年ぐらい前から語ってたんです。最初は正直、軽いノリって感じだったと思うんですが、肺の病気になり、どんどん悪くなるにつれて『これ、今やらんかったら何時やるねん』という気持ちになったんでしょうね。ある日、「力貸してくれへん?」って声を掛けられて、「これ断ったら大友さんと仕事出来るチャンスは無い」と思ってOKしたんです。そしたら、「やってくれるか。じゃあ具体的に名前とかを決めていこう」と言ってきて、『この人本気なんや』と。で、名前は、喜びの感情表現と『地域に輪を、仲間に輪を』から、WAOになったんです。それで僕が障害・高齢両方の経験があったから、「重度の障害者が高齢になった時のための、障害に特化したケアプランセンターをやろうじゃないか」となったんですね。
おわりに:
以上、大友章三さん追悼特集でしたが、紙数に比べ、皆さんから頂いた話はあまりにも多く、今回登場した方以外にも、故人と親しかった方は大勢おられます。
これも故人の人脈の広さゆえ。今一度、大友さんに言葉を掛けたいと思います。
長い間お疲れさまでした、有難うございました。またね〜!
(根箭、上田、塚原、今津、瀧本、大東)
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★年譜で見る、CIL豊中20年の歩み★
※当サイト内、年譜のページより抜粋しました
1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 2000年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2011年 2012年 |
『障害者自立生活援助センター・とよなか』設立準備委員会発足 『表現のつどい(現在の自立生活プログラム)』開催 『障害者自立生活援助センター・とよなか』発足 介護者派遣事業、第一回介護者養成自主講座、第一回クリスマスパーティー開催 第一回ピアカウンセリング集中講座、第一回ピアカウンセリング長期講座開催 服部南町に初代独立事務所開所 機関紙『マイライフとよなか』発行開始 点字名刺事業開始 稲津町に事務所移転、自立生活体験室開設、豊中市障害者生活支援事業開始(豊中市委託) 介護保険ヘルパー派遣事業、豊中市障害者ホームヘルパー派遣(自薦型)事業開始(豊中市委託) 日本財団から寄贈された『マイライフとよなか号』によるリフトカーサービス開始 第一回ホームヘルパー3級養成講座開催 法人格を取得して『特定非営利活動法人CIL豊中』となる 豊中市障害者外出支援サービス事業開始(豊中市委託) 広報誌『CIL豊中通信』発行開始(機関紙『マイライフとよなか』より移行) 支援費制度ヘルパー派遣事業開始、稲津町事務所閉所(蛍池中町に移転して、2つに分かれる) 蛍池中町に『ヘルパーステーションCIL豊中』開所(ルシオーレ3階) 〃 に『豊中市障害者自立支援センター』開所(ルシオーレ3階) 蛍池南町に自立生活体験室開設(稲津町より移転) ホームヘルパー2級+ガイドヘルパー(全身性・視覚)養成講座開催 バリアフリーマップ作成等事業開始(豊中市委託) 豊中市障害者給食サービス個別アセスメント事業開始(豊中市委託) 大阪大学バリアフリー推進コンサルタント実施 『ヘルパーステーションCIL豊中』移転(ルシオーレ3階から2階に) 障害程度区分認定調査開始(大阪市委託)、障害者自立支援法ヘルパー派遣事業開始 豊中市障害者相談支援事業開始(豊中市委託)、指定相談支援事業開始 『訪問看護ステーションCIL豊中』開業 児童デイサービス『ボーイズ&ガールズ』開業 指定一般相談支援事業、指定特定相談支援事業、指定障害児相談支援事業開始 |
※この記事に登場した方々の概要: | |
大友ともみ・・・当センター元職員で大友さん夫人/牧口一二・・・当センター元代表/吉村史生・・・当センター理事/畠博思・・・大友さんの元介護者でWAOの管理者/馬渕敦士・・・当センター理事で元職員/入部香代子・・・当センター元代表代行/原和恵・・・当センター元職員/井上康・・・当センター元副代表/徳山辰浩・・・当センター代表/山口博之・・・当センター副代表/塚原佳子・・・当広報誌編集員/赤塚裕子・ま〜たれ・上田哲郎・・・当センターピア・カウンセラー/根箭太郎・川崎高弘・・・当センター職員 |
訂正とお詫び:
畠博思さんのお名前が、印刷版(冊子版)では畠博志と表記されていますが、正しくは博思です。お詫びして、当Web版では訂正しております。
2. ピアカウンセリング集中講座報告
私は去年の7月に自立支援センターのスタッフになりました。
そしてすぐに、ピアカウンセリング集中講座の案内ビラをもらいました。その中に「障害があることで何かを諦めたり、目をそらしたりしていませんか?私たちは誰かを助けることができ、社会を変えていくこともできるのです。これまで押し込めていた気持ちに気付き、感情を少しずつさらけ出して、あなた自身の持っている素晴らしい力を取り戻していきましょう。」という言葉がありました。今まで色んな事を諦めてきた私も、これで変われるかもしれないと思い、参加を決めました。
講座は、大阪の舞洲障害者スポーツセンター「アミティ舞洲」で行われ、参加者は男性7名、女性は私も含めて3名でした。
講師は、自立支援センター・ヒューマンネットワーク熊本でピアカウンセラーとして、活動されている山下紘史さんでした。
始めはみんな緊張した表情で、講師の山下さんに注目していました。優しく素敵な笑顔で、講座がスタートしました。
まず、みんなの緊張をほぐす為に簡単なゲームから始まり、緊張が解けた頃からそれぞれペアになって、色んなテーマごとにセッションを行いました。
例えば、「今日1日の中で嬉しかった事」や「今までで一番辛かった事」を相手に話してみるというセッションです。みんなの話を聞いていると、私が今まで経験してきた事に似ていると思いました。
障害のある仲間同士の傷の舐めあいではなく、「ふれあい」「話し合い」は今までにない事だったので新鮮でした。
相談者には確実な答えを提供しないといけないと思っていた私は、この講座で話を聞くだけも、ピアカウンセリングになるんだと知って感激しました。相談者の中には答えを求めている場合と、話を聞いてもらって気持ちがすっきりする場合があるんだと気付きました。
講座を終えて思った事は、一人で悩んでも解決には繋がりにくい、友達や相談できる仲間が大切だと思いました。この講座で出会った仲間や、この先出会う人とどんどん繋がっていきたいと思います。
今後、またこのような講座があれば、ぜひ参加したいと思います♪
ありがとうございました。
(瀧本)
今回は講座期間と各講義の順序を見直し、半年間を3ヶ月間とし、堅い話と軟らかい話を上手くあわせて進めていく事にしました。
第1回「一人ひとりを守るためにできる事」
過去の障害者の立場、悲惨な大規模収容施設の事実、当事者運動ありきの地域生活の充実、法律や制度で守られている事、障害者権利条約の三つの差別規定、絶え間なく行動を起こし訴える事の重要性を、お伝えしていきました。
第2回「先輩のお話を聞いてみよう」
毎日新聞社の視覚障害である佐木理人さんと、自立生活センターFlat・きたの骨形成不全である大代朋子さんをお招きしました。佐木さんは、高校時代に親元を離れ東京で青春を謳歌した話や、ホームから転落し地下鉄にひかれて重傷を負った事で、ホーム柵設置訴訟を起こした話等をして下さいました。大代さんは、結婚が自立生活の出発点だった事や、お母さんとの暮らしの中で、介助者と母親の関係が時間を掛けるにつれ改善されていった話、更に夫婦共に介護者を利用する家庭ならではの話等、それぞれ地域で楽しく生活されている話をして下さいました。
第3回「在宅福祉サービス・年金・生活保護」
障害者自立支援法、障害年金制度、生活保護制度を中心に、それぞれ基本的なしくみの説明と、一人暮らしをしていくにあたって、必要な箇所を掘り下げて話を進めました。難しい内容でしたが、受講生とも共通する部分の生活を題材に、出来るだけわかりやすくお伝えしていきました。
第4回「これは使える!福祉用具」
まずは受講生の皆さんや当事者スタッフが使っている身近な福祉用具を発表してもらう事から始めました。補装具・日常生活用具・自助具の種類と役割をクイズ形式で再確認し合い、福祉用具の活用方法や入手手段を説明し、肩に巻き付けられる傘等のユニバーサルデザインな福祉用具や、介護ロボットスーツやキャタピラ式の車いすといったアイデア商品の情報提供も行ないました。
第5回「人間関係って大事よね」
挨拶や会話が豊かな関係を築く事、感情や意思の説明、共感について、距離の取り方、言葉遣いや気配り等を、人間関係、コミュニケーション、マナーに分けてお話ししました。ロールプレイも、バス乗務員の対応や、スーパーで買い物をする時のヘルパーへの指示出し、一人暮らしを始める時の親への説得方法と、3パターン用意してやりました。
第6回「交通手段を利用してみよう」
事前に受講生に記入してもらった、交通に関して知りたい事や、受講生自身の体験談を聞くところから進めました。「(女性なのに)女性専用車に乗せて貰えない」事や、「かえって、一般の方よりも駅員さんとコミュニケーションがとれる」という話などがあり、歩道の段差、バスや電車の車内設備、タクシーの予約方法、飛行機の予約方法や搭乗手続きの流れ等をお伝えしました。
第7回「一人暮らしを始めるには〜住居の選び方〜」
「自由な時間が出来る」といった、一人暮らしの良いところと「精神的な不安や寂しさが出てくる」といった悪いところの比較から始め、自分に合う部屋の探し方や一ヶ月の生活費、部屋の借り方の注意点、不動産屋との契約について、更には、公営住宅の申込み方法、住宅改修制度について、お話ししました。
第8回「自分で食事と健康管理してみよう」
一日の食事内容を聞くところから始め、赤(体を作る)・黄(体を動かす)・緑(調子を整える)の3色の栄養素が食事には必要である事を学び、各々の食事に3色入っているかどうか確認し合いました。また、一日に必要な野菜の量については、受講生がすでに知っていて会場が驚く場面も。最後は可愛い絵を用いて健康状態はうんちを見れば一目で解る事を説明し締めくくりました。
●受講生からの感想
全体的に一日の中で難しい話と軽い話があり、聞きやすかった。一番印象に残ったテーマは、先輩の話と自立支援法の話、人間関係とマナーの話。近くに刀根山病院があるので、病院・施設から地域移行する過程の話を聞きたかった。
終わりに
今回は全体的にコンパクトにまとまり、受講生にとっても来やすい環境だったのではないでしょうか。あくまでも第一歩です。また後押しが必要ならいつでも来て下さいね。お待ちしています!
(上田)
※写真沢山の詳しい報告は、こちらのページで公開中!
2012年12月16日(日)、今年度CIL豊中クリスマスパーティーを開催しました。今回は、当日の一ヶ月も前に定員の120名に達し、残念ながら参加お断りをする方が多くなってしまったのですが、大盛況のパーティーでありました!!
オープニング一発目のバンドは、初登場のBloom*Broomさん。アフリカンミュージックを中心に活動されているゴスペルグループで、ジャンベと呼ばれるアフリカの太鼓がメインで演奏されます。今回は、パーティー開始と同時にミュージックスタート!
これはBloom*Broomさん自らのアイデアで、結果は大成功でした!最初はゆったり聴いてもらう曲から最後はヒートアップ、踊れや騒げやの大盛り上がりで会場を包み込みました。参加者にアフリカの太鼓を体験してもらうコーナーもあり、客席行脚をしていましたね。素晴らしいパフォーマンス!コスチュームも斬新!
ニューフェイスで会場が熱くなった後は、これまたニューフェイスの登場です。豊中四中の大道芸部の皆さんによる、大道芸が披露されました。9人の中学生によるパフォーマンスは、リーダーの人もすごくしっかりしていて、初々しさが随所にあり、大好評でした。人の手から人の手に渡るリレージャグリングなど、なかなか難易度の高そうなワザも披露してくれましたね。大道芸はこの後、常連のP-Cubicさんにも登場してもらいました。内容はバルーンアート。毎年、完成した作品を貰えるのを楽しみにしている子ども達がいるので、今年も外したくないな〜と思って(^^)v。
休憩時間を挟んで、恒例のビンゴゲーム大会!今回はちょっと早く景品が出払ってしまいました。その年によって、なかなかビンゴの人が出ない時もあれば、ビンゴが続くな〜という時もあって、時間配分が難しいのですが、今回は続々とビンゴの方が誕生したんですよね〜。おめでとう!!
お次の演し物は、これも今回初登場、というより、プログラムとしても初めて盛り込んでみました。漫才です!二組のコンビが出演され、コントを繰り広げました。最初はちょっと参加者も雰囲気を掴みかねている場面がありましたが、次第にウケる人も出てきました。だけど早口言葉の応酬の様なボケとツッコミ、手話通訳さんは大変でしたよ(^^;。どうもお疲れさまでした。コントの後は二組計4人によるフリートークでしたが、ここで何人かの、ギョッとする様なコスプレをしていたスタッフを、笑いのネタにしていたので、場内も盛り上がっていましたね。
パーティーもいよいよ終盤、ここからはスタッフによる演し物で盛り上がってもらいました。昨年までのスタッフの余興は大好評につき(?!)、正規のプログラムに格上げです。先ずは児童デイの利用者による音楽遊びを披露。これは実際に児童デイで日頃行われているもので、今回はより多くの利用者が集合して、暫しのホッコリタイムを楽しんでもらいました。そしてその後ですよ!今回のパーティーの、大いなるクライマックスであります。ザ・ダンスタイム!!
ダンスタイムは、コーディネーター・事務職員・介護職員・登録ヘルパーの女性陣、計10名から成るダンスチームによって披露され、チームはこのクリパのために特別に結成されました。3曲を披露しましたが、キレ良しノリ良しテンポ良し、動けばプロに近いぐらいピタッと揃う、スマイルもバッチリ!身内が褒め過ぎるのもなんですが、素晴らしいパフォーマンスでした。3曲目は参加者も一緒に踊ろう!のコーナーで、ものすごい熱気ムンムンになりましたよぉ!ダンスチームの中には、もう間もなく退職するため、ある意味最後の大仕事という意気込みで臨んでいた人もいて、その人は終了後、感極まって涙を流していましたね。
最後はお待ちかね、プレゼント交換!トナカイが床を這うようにリアカーを引いて登場し、サンタの手によって、皆さんにプレゼントが配られました。
今回のクリスマスパーティーは、特に飾り付けなど、昨年より一層グレードアップしたものとなりました。そのため、準備片付けに要する時間も大幅に増え、スタッフも総力を使い果たしてのパーティーとなりましたが、年に一度のイベントですので、これからも楽しんで頂けるパーティーを創っていきたいと思います。皆さん、有難うございました!お疲れさまでした。
(担当:根箭)
5. 〜2012年度 CIL豊中現任者研修〜
『からだのメンテナンス講習会』の報告
事務局
9月29日(土)19時から21時、豊中市立ルシオーレホールにて、現任者研修を行いました。今回は整体セラピー『HANA*花』の白田雅子先生を講師にお招きしました。当センターの登録ヘルパー、職員対象に募集をかけ、17名の人が参加、全身のメンテナンスについて、レクチャーに耳を傾けました。
照明を落として、室内オレンジ色のリラックスムードの中、少しのスペースで、空いた時間に出来る体操を、2時間たっぷり行いました。
先生の心地良い声の誘導で、ゆっくりゆっくり、ゆーらゆら、からだに負担のないよう無理のないポーズで、肩をほぐし 〜 腰をほぐし 〜 骨盤を矯正し 〜 日頃の疲れをほぐし 〜
とてもリラックスしてきたので、皆さんアクビの連続です。アクビが出ると、この体操は大成功!!仕事の疲れが抜け、ウトウトしながら、さらにゆ〜らゆら。私達スタッフも一緒に参加しましたがとても気持ち良く、ついつい完全にOFFモードになっていました。。。
日々の生活の中で、何も考えずに自分の体に向き合う時間はなかなかとれない方も多いかと思いますが、今回とても良い時間が過ごせたかと思います。今回レクチャーしてもらった体操を、日々のちょっとした時間に取り入れ、自分の体をいたわり、スッキリした心と体で援助に取り組んでいって欲しいと思います。
雨の中、白田先生、そして参加して下さった皆様、ありがとうございました。
(担当:祝井谷、衞藤、大谷、坂田)
事務局
平成25年4月1日から「障害者自立支援法」が「障害者総合支援法」に変わります。
主な内容は下記の通りです(一部は平成26年4月1日から)。
【平成25年4月1日から変わるもの】
<制度の名称>
「障害者自立支援法」→「障害者総合支援法」
<障害者の範囲(障害児の範囲も同様に対応)>
「制度の谷間」を埋めるべく、障害者の範囲に難病等を加える。
☆難病患者等で、症状の変動などにより、身体障害者手帳の取得ができないが一定の障害がある方に対して、障害福祉サービスを提供できるようになる。
【平成26年4月1日から変わるもの】
<障害程度区分を障害支援区分に変更>
「障害程度区分」について、障害の多様な特性その他の心身の状態に応じて必要とされる標準的な支援の度合いを総合的に示す「障害支援区分」に改める。
<重度訪問介護の対象拡大>
重度の肢体不自由者に加え、重度の知的障害者・精神障害者に対象拡大。
<ケアホームのグループホームへの一元化>
共同生活でのケアが柔軟にできるよう、ケアホームをグループホームに統合する。
<地域移行支援の対象拡大>
施設入所障害者や精神病院に入院している精神障害者に加え、保護施設、矯正施設等を退所する障害者などに対象拡大。
〓施行後3年を目途として、以下について検討し、所要の措置を講ずる〓
◇常時介護を要する者に対する支援、移動の支援、就労の支援その他の障害福祉サービスの在り方
◇障害支援区分の認定を含めた支給決定の在り方
◇障害者の意思決定支援の在り方、成年後見制度の利用促進の在り方など
7. かんた〜んクッキングコーナー |
どんぐり
みなさま、寒い冬、いかがお過ごしでしょうか。でも、この広報誌がお手元に届くころには、少しずつ春めいていることでしょうね。
さて、このコーナー毎回何を載せようかと、悩みまくるんです。そして聞きまくる。あははは。みなさまも誰でも食べやすくって、簡単にできておいしいお料理をおしえてくださいね。よろしくお願いします。
今回は、インターネットで見つけた、炊飯器でホットケーキミックスを使って簡単にできちゃうケーキを、紹介しますね。これ、ほんまに誰でも失敗なくできますよ。
「炊飯器でできるバナナチョコレートケーキ」
《材料》卵 1個 / 牛乳 80cc / バナナ 2本 / ホットケーキミックス 150g/ ココアパウダー 大さじ3 / 板チョコ 2枚 / ミックスナッツ 1/2カップ程度
《つくり方》
@ ボウルに卵と牛乳を入れ、泡立て器でよく混ぜる。ここにバナナ1本分を手で細かくち ぎりながら加え、さらによく混ぜる。
A @にホットケーキミックスとココアパウダーをふるいながら入れ、細かく刻んだ板チョコと砕いたミックスナッツを加える。粉っぽさがなくなるまで、全体をサックリと混ぜる。
B 炊飯釜の底に輪切りにしたバナナを並べてAを流し入れ、炊飯器にセット。炊飯ボタンを押して焼く。
C 炊飯終了後、生地に竹串をさして抜いたときに、生地が付いてこなければ焼き上がり。焼けていない場合はもう一度炊飯スイッチを押す。
D 焼きあがったら釜から取り出し、網の上などにのせて冷ます。
以上、ヤスナリオのレシピより引用。
アドレスは、http://winegohan.seesaa.net/article/298682534.html
ほうら、簡単でしょ?
で、私は、材料をキッチリ計るのも面倒くさく、買ってきた牛乳1パック 200cc、卵1個、わが家のテーブルの上にあった乾燥カシス、スライスアーモンドを、ホットケーキミックス200gの中に混ぜて、炊飯を押してみました。
あっさりしていてなかなかおいしくいただけました。でも、溶かしたバターを少し入れてもよかったかも、と思いました。
黒豆の煮豆や甘納豆、サツマイモの甘煮、林檎とレモンの甘煮を作って刻んで、いろいろな物を入れて、楽しいケーキにしてもいいと思いますよ。そこは、工夫次第です。(炊飯器の機種によっては、できないものもあるみたいですので、取扱説明書を読んでから、してくださいね。)
8. |
豊中市障害相談支援ネットワークえん≠フ活動の一つとしてはじめた“つながるサロン”、皆さん、行かれたでしょうか?
昨年4月より千里文化センター「コラボ」の2階交流カフェスペースで、“つながるサロン”を開催しています。
障害のある人も無い人も地域生活の延長で相談できる場所として、ひらいております。お気軽にお立ち寄りください。
日々の悩み相談、友達作り、ほっこりした時間を楽しんだりして、自分の好きなようにお過ごし頂けますよ。
見ているだけ、聞いているだけ、お茶の時間を楽しむだけでも勿論OKです。
開催場所 :豊中市千里文化センター「コラボ」
コラボ2階交流カフェスペース
豊中市新千里東町1−2−2
開催日 :毎月第2金曜日
開催時間 :午後2時〜午後4時まで(出入りは自由)
参加費 :無料(喫茶利用の場合は実費)
「コラボ」カフェスペース | 入口の様子 |
【問合せ先】 豊中市障害相談ネットワークえん
事務局 豊中市障害福祉課 06−6858−2747 |
このコーナーでは、みなさんからの作文・詩・短歌・俳句・小説など、投稿作品をご紹介しています。
作品は随時募集しておりますので、投稿されたい方は、編集部までどしどし投稿して下さい。
なお、作品数が多くなった場合は、繰り越しで2号先の広報誌に掲載する場合もあります。作品の内容によって考慮は致しますが(季節がテーマの場合など)、あらかじめご了承下さい。
みなさまの投稿を、お待ちしています。
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湯の里で
買い求め来た
イヤリング
手のひらにのせ
病い哀しく
伊丹市 岩國久美子
10. ぼくの日曜日(番外編)
海帰 優人(うみき まさと)
ぼくと謙さん
年末年始にテレビを見ることが多かった。ラグビーや駅伝や興味のあるスポーツがやたら並ぶ時期だからだ。そんな中で、気になるCMがしきりに流れていた。なぜ気になったかというと、自動車の横に立って正装で話す熟年俳優が駅のエレベーターを利用したときに、鏡に映し出される『ぼく』にそっくりに思えたからに他ならない。その男優はかなり風格を漂わせていたし、大手自動車会社のCMに起用されるほどの人物だから、誰彼なしに無防備に尋ねると「こんな有名人も知らへんの!」と、しかめっ面をされるに違いない。
リアクションが少なくて、無口なヘルパーさんの夜に運よくCMが流れた。
「なぁ、これ誰だっけ?」
「渡辺謙やけど」
「こんな歳をとったんか!でも、ちょっとぼくに似てへんか?」
「べつに…」
物静かな彼だけに愛想もクソもなかった。それで話は終わった。
でも、考えさせられることは多い。「独眼竜正宗」の主役を張っていた頃の渡辺謙と、あまりにも変わり果てていたこと。確かにあの頃と比べれば、味わいは遙かに深くなっている。ただ、男前の代表格だった面影は感じられなくなっていた。その代わり、無限大といっていいほどに熟成された渋みが増していたけれど。
それから、物静かな彼の「べつに…」。
ぼくの視覚はおかしいのだろうか?禿げ方だけではなく、いろいろなパーツの雰囲気や並び方もそっくりに思えた。ものの見え方もそれぞれだなあと実感した。
そういえば、芸能界に疎いぼくでさえ謙さんが大病を克服した事は知っている。渋さが無限大に増した謙さんは、病の中で何に出会ったのだろうか?今どう生きようとしているのだろうか。とても興味が湧く。謙さんと並べるのはおこがましい。確かにおこがましいが、謙さんを遙かに凌ぐほど、ぼくは変わってしまった。
べつに今さらモテようなどとは思わない。だけど、ナルちゃんなぼくとしては鏡に映る自分に渋さや苦みを漂わせていたい。そんなテーマを抱えながら2013年を始めようと思う。
夜の会議に備えてコンビニ弁当とロールケーキを買いに行く。
どんぐり |
2月のバレンタインも終わり、チョコレート、山ほどもらって「どうしよう・・・・」って思われている方、おられませんか?最近は、義理チョコ、友チョコと、女の子同士でも、チョコレートの交換をしあうようです。うちの娘も、もらうから返さなければ、と言って、少し大変そう…。スーパーとかには、1月15日ごろからいろんなチョコレートがならんでいて、中にはおもちゃのようなものもあったりして見てるだけで面白くて楽しいですよね。でもこのチョコ、健康に良さそう。
チョコレートって、皆さんにとっては、どんなイメージですか?
私にとっては、甘いから虫歯になりそう、太りそう、たくさん食べると、鼻血が出そうなどでした。ところが違うんです。
活性酸素って、聞かれたことありますか?体内の細胞をさびつかせ(酸化させて)、細胞の正常な働きを失わせる悪いやつなんですが、シミやしわなどの老化現象やいろいろな病気が起こる原因のひとつといわれています。この悪い活性酸素の働きを抑えるもののひとつが、このチョコレートにはあります。それはポリフェノールです。ポリフェノールと言えば、赤ワインが代表ですが、それだけではなくいろいろな種類があります。私もびっくりしましたけどね。ここでは、チョコレートの原料、カカオ、カカオポリフェノールの効能を、少し調べてみました。
1、動脈硬化の予防 6、チョコレートでは太らない
2、がんの予防も期待 7、カカオに虫歯を防ぐ成分あり
3、ストレスに打ち勝つ 8、香りが精神活動を高める
4、アレルギーやリウマチにも効果を発揮 9、ミネラル類が豊富
5、ココアは病原菌を抑え、傷の治癒にも効果あり
そういうことが書かれてありました。
私は、何年か前にテレビで、ココアはインフルエンザ予防に良い効果があると聞いて、それ以来夏も冬も毎日欠かさず豆乳ココアを作ってもらい飲んでいます。そして偶然かもしれませんが、娘が風邪やインフルエンザになって同じ部屋で寝ていても、だいじょうぶみたいなのです。ありがたいことです。
もうあと少しで寒い冬ともお別れですが、バランスよく何でも食べて、仕事や活動の合間ほんの一息つくときに、一口のチョコレート菓子や一杯の温かいココアをおいしく楽しくいただく、それが心も体も元気になる秘訣なのではないでしょうか?
上田哲郎
最近、実家に帰ると母親と昔の話をする事が増えました。
養護学校か地域の学校か。障害者の入所施設は必要か不必要か。障害児の親は障害児から経験を奪っているのかいないのか等で、高校時代から、当事者対親のスプーンが飛び交うような白熱するバトルを繰り広げてた事もあって、今はまあまあ冷静に議論が出来ています。
そんな中で先日、『あなたをおんぶして聖母整肢園(長居公園近くのリハビリ施設)に行った帰りに天王寺駅で、車いすに乗った方々(たぶん青い芝の会)が「親は敵だ」って街宣してたのよ。その時は「何言うてはるの?この人達は??」って呆然として理解が出来なかったけど、最近になって「あっそういう意味だったのね」って気付いたのよね』って話していました。
最近、障害者の親御さん達の集まりが、豊中市内に入所施設を作って欲しいと豊中市に要望しているそうです。豊中市もそれを受けて次の障害者計画に入所施設を作っていくような文言が盛り込まれようとしています
今まで入所がない豊中は凄いでしょ?とか、豊中の教育は素晴らしいといっておられた親御さんが、今更入所施設作って欲しいって。矛盾を感じてしまいます。
地域でともに学び、ともに育ち、ともに生きてきた結果が、入所施設ではダメなんですよ。
豊中の障害者の親の問題だけじゃすまないし、豊中でそんな事があったんなら他県や他市でも悪い方向に変わりかねないですし。
「あんたは動けるからええねんとか、あんたは出来るからええねん」とか、たまに親御さんから言われますけど、違いますよ。しんどいところはたくさんあるし、たくさん嫌な思いもしてきました。だから差別とか偏見をなくしてく方法として、地域で生きるという事を発展させていかないといけないと思って、やっているのです。
手遅れだと思わずに、入所施設を作るのではなくて、介護時間数や社会資源を拡充させる方向性で考えないと、親は敵になりかねません。
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投稿コーナー終了
13. サロン便りだヨン
皆さんこんにちは。サロン便りです。 10月は大好評だった。わらび餅作りをしましたよ。ちょうど粉もあったし。(嘘付け。TSW-1がわらび餅の粉が多い目に買ったからちゃうの?←N・Tの声) そうです。多く買ってしまったである。(--:) TSW1の企画でやったわらび餅作りでしたが、作り方を当日、忘れてしまって、一瞬だけ、混乱した様子でした。TSW1は冷や汗でした。 作り方を思い出して再度わらび餅を作りました。 1回目、2回目、3回目と作っていく内に、おいしいわらび餅ができましたよ。 |
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11月〜1月はトランプ・人生ゲーム・福笑い・坊主めくりをやったけど、ゲームに入った時は、人の性格がコロッとわかり、一生懸命にゲームする参加者の様子を見たら、面白い。 自分が勝ちたいなーと思う人は、思わず熱くなる。また、黙って勝つ人もいる。 ゲーム中も、たまには会話をするよ。 |
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坊主めくり。別名「山○めくり」と 言われた(身内しか解らない)。 |
両手に福笑い。お好みの顔をお選び下さい。どちらも嫌、なんて言わないで・・・・。 | |
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良かったら、1・3の土曜日13:30〜15:00、CILの3階事務所でサロンをやっています。来てください。 TSW1より |
14. |
『隊長のつぶやき』はお休みしますが、どこかで登場しています。皆様の感想を今回も頂けたらな〜☆どしどし教えて下さい。
次回もゆる〜くつぶやくかも?温かく見守ってくださいませ。
(今津)
ヘルパーステーションCIL豊中
訪問看護ステーションCIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196
■障害者自立支援法介護サービス
障害者自立支援法によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
■介護保険訪問介護・介護予防訪問介護サービス介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
■介助サービス
障害者(豊中市在住)の自立支援を目的とした、制度外サービス。
◇介助料
【一般介助】1時間1,200円 【その他】宿泊介助、旅行介助
介助者にかかる交通費及び宿泊費等は利用者負担です。
◇キャンセル料 当日キャンセル半額
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
■訪問看護サービス
看護師が家庭に訪問し、在宅療養生活の支援をします。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜〜土曜9時〜18時
ボーイズ&ガールズ
TEL06(6843)5580 FAX06(6843)5590
■障害児通所支援(放課後等デイサービス・児童発達支援)
重度障害児(医療的ケア就学児等)に、通所による療育支援。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 月曜〜土曜13時30分〜17時30分
祝日、年末年始、第1・3木曜は休み
豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602
■豊中市障害者相談支援事業(無料)
障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇福祉サービスの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピアカウンセリング ◇権利擁護 ◇専門機関の紹介
■自立生活体験室
障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
■特定相談支援・障害児相談支援・一般相談支援(無料)
サービス等利用計画の作成、地域移行支援、地域定着支援等。
■豊中市障害者外出支援サービス
車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 TEL6841−9393)。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月4回まで利用できます。
◇利用料 4q未満300円〜20q以上2,500円
◇利用区域
豊中市及び隣接市(大阪市南部を除く)及び特定施設
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
■点字名刺(送料は一律270円)
◇既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
〜追悼〜
・・・生前をしのび その死を悼み悲しむこと・・・
CIL豊中を設立された大友章三さんがなくなられました。思い出されるのはいつもふくよかでデンと存在感があり、皆さんを惹きつける笑顔があふれていたことです。
サポート役の大友さんがもういないんだな…という寂しさもありますが、この特集を読み返しながら残してくれたCIL豊中を、私たちがしっかりと引き継いでいかねばならないと思いました。
大友さん、本当にありがとう!そして空からずっと見守っていてください。
みなさま、これからもCIL豊中をよろしくお願いします。