も く じ |
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1. 特集:障害者制度の移り変わり 〜今なぜ障害者自立支援法なのか?〜 2. 2005年度 クリスマスパーティーの報告 3. 知的障害者ヘルパー勉強会報告 4. すてっぷフェスタ2005に出展しました 5. 大阪大学バリアフリーマップ事業 6. 豊中保健所シンポジウム参加報告 7. 「おおいに語ろう!」ピア対談 −第8回− 8. 地域の作業所の活動を紹介します −きらら作業所− 9. カジ論!? Part.4 10. 学生無年金障害者の活動から Part.11 11. メイちゃんのつぶやき 12. ぼくの日曜日 13. さろんだより 14. CIL豊中近況 15. サービスのご案内 16. 事業活動報告 17. 投稿作品・お知らせ 18. 編集後記 |
広報誌編集部 事務局 事務局 事務局 上田哲郎 事務局 広報誌編集部 広報誌編集部 カジ 事務局 メイちゃん 海帰優人 事務局 事務局 事務局 事務局 逢夢(あいむ)/北摂の兄貴/岩国久美子 ねやたろー |
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はじめに
今年4月から、障害者自立支援法が始まります。2003年4月に支援費制度が始まってから3年、またもや障害者福祉の制度は大きく変わることになり、多くの当事者・関係者の間で不安が広がっています。そして同時に、「難しくて分からない」、「進むのが速過ぎて付いていけない」といった声も多く聞かれるようになっています。特に日ごろ社会との接点が少ない障害者には、なかなか情報が届かないのが現状です。「もう一度、一連の制度の動きについて頭の中を整理したい。」そんな思いでいる方々のために、このたび本誌では、改めて過去約3年間の制度の動きとその背景を、項目別にまとめてお伝えしたいと思います。従って読者によっては、「既に知っていることばかり書かれている」と思う方も多いかと存じますが、あらかじめご了承下さい。なお、記事作成にあたっては、大阪府障害者社会参加促進センターにお邪魔し、障大連事務局長である古田朋也氏にご協力をいただきました。
1.措置制度から支援費制度へ
日本の障害者福祉制度は、もともとは措置制度と呼ばれるものでした。これは、行政がサービスの量や種類を一方的に決め、障害当事者には全く選択権が無い、というもので、言わば上から下への一方通行でした。ホームヘルプの時間も非常に少なく、週2回、1回2時間までという状況がありました。そして、ヘルパーを派遣出来る機関も、行政かその関連機関に限られ、毎日ある一定時間以上介護が必要な人は、施設に行くしかないという状態だったのです。そんな中、行政だけではなく、もっと民間の活力も取り入れ、ヘルパー派遣に関して規制緩和をしようという動きが出るようになりました。これが、『社会福祉基礎構造改革』です。2003年4月に始まった支援費制度は、この改革の流れの中で誕生しました。支援費制度では、当事者が自らサービスを選んだり、事業所と契約したりすることが出来るようになりました。最も初めのうちはその事業所の数自体が少なく、「サービスを使いたくても事業所がない。」という批判が多く出ていたのですが、障害者が主体的にサービスを選べる時代が、ようやくやってきたのです。
2.支援費制度への評価、そして介護保険との統合案
措置制度の時代を思えば、支援費制度は画期的な制度でした。何よりも、これまで福祉サービス自体が無い自治体が多かった、知的障害者のガイドヘルプ(移動支援)が認められたことで、全国の6割以上の自治体で、知的障害者のガイドヘルプが行われるようになりました。しかし、サービスの支給時間の上限が各市町村で決められるため、地域格差が激しく、また、精神障害者が対象から外れているという、納得のいかない点もありました。
一方、国は全く違う側面から、支援費制度を問題視していました。即ち、予想外のサービス利用による予算不足です。初年度であった2003年度、支援費は128億円の赤字となりました。そして2年目には170億円にまで赤字が膨れあがる見込みとなり、この時点で厚生労働省も財務省から、「こんなに赤字が出る制度を作ってどうする気だ?何とかしろ。」と詰め寄られたのではないかと思われます。支援費制度の財源は、全て税金によってまかなわれていました。そのため厚生労働省は、支援費制度を、先に誕生していた介護保険制度と統合させ、財源の半分を保険によってまかなうようにしようと考えました。それが2004年5月です。国(厚生労働省)は支援費の赤字増大について、「知的障害者がサービスを使い過ぎたから。」としていますが、先ほども述べたように、もともと福祉サービスそのものが無くて外出も自由に出来なかったのが、支援費制度でようやく出来るようになったのです。従って、サービスの利用量が多くなるのはむしろ当然で、それを予測することは出来たと思うのですが、国は「利用量は大して増えない。」と見積っていたのです。そして、「総合的に見ても、このままでは支援費は破綻する。」と、介護保険に組み入れようとしました。
一方、介護保険のほうも、予算不足が深刻になっていました。2003年度には5兆円規模であった給付額が、このままいけば20年後には20兆円になるであろうということになり、こちらも破綻が視界に入ってきている状態だったのです。そのため介護保険では、現在保険料を40歳以上の人から徴収しているのを20歳以上に下げよう、という案が出て、統合案(正確には支援費の保険化案)が世に出ました。
古田朋也氏 |
3.障害者の生活とは相容れない保険式制度
支援費制度が始まって僅か1年数ヶ月後に出された介護保険との統合案には、障害者福祉の関係者が猛反対しました。その理由は、『保険制度そのものが、障害者の生活にとっては合わない制度だから』です。
以下、主な合わない点≠列挙します。
(1)応益負担
応益負担というのは、「障害があって介護は必要なのは、その人の自己責任であり、サービスを受けた量に応じてサービス料金の何割を負担しなくてはならない。」というやり方です。これは、個人の所得の多少にかかわらず、「サービスを受けたからには自己負担をしろ。」という意味であり、社会環境上、就労することが難しく、結果、所得を得ることがなかなか出来ない障害者にとっては、生活の危機に直面するものとなりました。『所得と貯蓄があることが前提』であり、年金しか収入のない人が多い障害者に対しては、本来導入すべきではないやり方ということになります。そもそも応益負担は、サービスを受けることは『利益』という発想に基付いています。
「介護を使って食事をしたり、トイレをするのが利益か!」との声が多くありました。介護なしでは生きられなくて、「いかに介護など、様々なサービスを使って、自分らしい自立生活をしていくか。」という障害者にとっては、全く相容れないものです。ちなみに支援費制度では、利用料負担は本人の所得に応じた負担、つまり応能負担になっていました。
(2)縮小されそうなガイドヘルプサービス
介護保険には、ガイドヘルプ(外出介護)という項目が存在しません。それで自立支援法では、ガイドヘルプは介護給付から外され、「市町村まかせ」の地域生活支援事業の中に入れられてしまいました(後で改めて述べます)。市町村まかせにされることで、サービスが低下しないか心配されています。
人が社会で生きていく上で、外出することは不可欠です。そもそも支援費制度でも、毎日の通勤・通学でのガイドヘルプ利用は認められておらず、それがおかしいという声が、これまでにも多く聞かれてきました。
(3)『障害程度区分』認定
介護保険では、介護の必要度を6段階に分けて判定しています。『要支援』と『要介護1〜要介護5』ですが、このやり方は、「対象者は要介護度や、介護自体が必要か否かに関して、それほど変動がない。」ということが前提となっています。障害者も6段階の『障害程度区分』が設けられますが、特に知的障害者や精神障害者の場合、日によって、介護が必要か否か、大きく波があります。たとえば、急にてんかんなどの発作が起きたときは、その時だけ介護が必要になります。また身体障害者の場合も、天候や気温によって手足にシビレが生じ、普段は電動車いすでの自力移動のところ、この日は手動車いすにしか乗れないから介護(車いすを押す人)が必要、となる場合があるのです。従って介護保険の『要介護度固定#F定』は、障害者の実態には当てはまらないものとなります。
(4)180度異なる『要介護』観
介護保険の世界では、『介護は要らないのが理想』とされています。つまり、『介護が必要な状態が否定的に捉えられている』ということで、この考え方がハッキリ表れているのが、最近よく聞かれる『介護予防のための筋力トレーニングの奨励』だと思います。障害者は、『いかに介護を使って、自分らしい自立した生活を送るか』を目指してきました。地域で自立生活を送ることと介護を使うことはそのままイコールであり、介護保険の考え方は180度当てはまりません。
4.実態は『第二介護保険制度』:障害者自立支援法案
支援費と介護保険との統合案は、結果的には白紙撤回となり、当事者側の訴えが伝わったかに見えました。しかし、実は政界や財界の人たちも、統合案に反対しており、その理由というのが、「障害者が青天井にサービスを使うのではないのか?そしたらそのための保険料で、余計お金がなくなる。」というものだったのです。国はこの主張により、統合案をいったんストップしました。しかし介護保険との統合を諦めたわけではなく、障害者のサービスを切り詰めた上で介護保険に入れてもらおう、と考えてきました。それで打ち出されてきたのが、障害者自立支援法案です。最初、『改革のグランドデザイン案』と呼ばれていた障害者自立支援法案は、中身は介護保険制度に合わせたものとなっています。そのため全国の当事者は、「私たち抜きに私たちのことを決めるな!」と、大規模な抗議行動を繰り返しました。結局法案は2005年10月に可決されましたが、総じて障害者の自立生活を否定する内容です。一方で、支援費では対象外だった精神障害者が対象に入ったというプラス面はあります。しかしこれも、支援費の時点で国がワザと$ク神障害者を対象から外し、今回セールスポイント≠ニして入れたのではないか?精神障害者が使えるサービスも、ほとんど無いのではないのか?と囁かれています。
5.改めて検証:障害者自立支援法の主な内容
(1)応益負担・定率負担(負担上限)
この法律は介護保険に合わせたものであるため、応益負担方式が再び導入されてきました。負担率も同じ1割で、毎月利用した時間数に対して、1割負担が課せられることになります。支援費制度ではほとんど本人所得からの負担だったのに対し、今回の法律では世帯所得からの負担となったため、抗議の声が多く上がりました。これについては若干修正され、現在では、親の扶養から外れている人は本人または配偶者の所得による負担、ということになっています。負担上限額は、一般上限額は40,200円とされていましたが、37,200円に下げられました。現在決まっている上限額と対象者は以下のとおりです。
●一般:37,200円・・・・対象は、本人または世帯の内の一人以上が、市民税課税に届く収入がある場合。 ●低所得者2:24,600円・・・・対象は、本人または世帯全員の収入が、市民税非課税の範囲で、なおかつ額が年80万円以上の場合。 ●低所得者1:15,000円・・・・対象は、本人または世帯全員の収入が、年金や福祉手当も含めた上で、年80万円以下の場合。 |
ちなみに、介護保険での負担上限も、37,200円、24,000円、15,000円となっています。自立支援法の負担上限は、あくまでも介護保険の上限を根拠に設定されたもので、障害者の所得状況は根拠とされていません。それだけではなく、この上限は介護給付(後述)と訓練等給付(後述)からのサービスに限って適用されるので、それ以外のサービス(地域生活支援事業=後述)や、自立支援医療費・補装具・日常生活用具などについては、全て別口負担となるのです。
(2)負担の減免措置
所得の少ないところへ何重もの支払い義務を課せられる結果、多くの当事者は生活保護を申請するようになり、それに対して国は、応急の減免措置を講じました。具体的には、グループホームや施設に入っている人は、申請すれば個別減免が出るとか(現時点では3年の経過措置の予定)、社会福祉法人のヘルパーや授産所を利用する人には、法人減免が出る(法人が負担する。実施するかどうかは各法人次第)とか、障害者が2人以上いる世帯には高額障害福祉サービス費が支払われる、などです。対象者の生活状況や利用するサービスによって、減免方法はバラバラです。
この背景には、国が生活保護自体に対しても危機感を募らせているというのがあります。昨年も見直しが行われようとしたのですが、現状では障害年金より高い生活保護費を、年金額にまで引き下げようとしているのです。また、生活保護を取らずに済むように負担上限額のランクを下げる、『生活保護の移行予防措置』もあります。
(3)授産施設に通所、グループホームに入居も応益負担対象
応益負担では、授産施設への通所やグループホームでの入居も、『サービスを利用している』と見なされ、利用料1割負担が課せられます。これは非常におかしな話で、グループホームは家賃をはじめ、水光熱費、生活費を全て払って自立した生活を営む家≠ネのです。それなのに、「サービスを受けているのだから」と位置付けられ、応益負担を課せられることになりました。また、授産施設に通所する人は、働いた見返りに給料(工賃)をもらっているのですが、その額は非常に少なく、給料の何倍もの金額を、逆に授産施設に行くことそのものに対して、支払わなければならないことになります。
(4)福祉サービスの類型
福祉サービスは、大きく3つの類型に分けられます。
まず一つ目は『介護給付』で、これは介護保険のサービスに統合していこうとする部分です。対象となるのは、居宅介護(ホームヘルプ)、重度障害者等包括支援(人工呼吸器が必要なALSの人など、極めて重度の障害者の介護等のサービス)、行動援護(一部の重度知的・精神障害者)、入所施設、重度訪問介護、重度障害者のグループホーム(ケアホームという名称になる)などです。
二つ目は『訓練等給付』で、これは就労や自立に向けた訓練メニューに近い内容となっています。訓練等給付に含まれるのは、自立訓練(リハビリテーション)、就労移行支援(就労をするための支援)、就労継続支援(就労事業)、中軽度障害者のグループホーム、授産施設などです。
三つ目は『地域生活支援事業』ですが、介護給付と訓練等給付が国の義務として運営されるのに対して、地域生活支援事業は市町村の裁量において運営されます。対象となるのは、ガイドヘルプ(2006年9月までは経過的に国が運営)、コミュニケーション支援(手話など)、相談支援事業(ピアカウンセリングなど)です。また、障害者の日中活動を支援するための新しい福祉サービスとして、『地域活動支援センター(創作・生産活動をおこない、地域との交流をする場)』が誕生したのですが、これもこの類型の対象となります。
(5)三障害一体
これまで福祉サービスは、障害種別ごとに違っていました。これは障害によって、ニーズも配慮すべき点も違うのだから当然なのですが、国はこの『配慮すべき当然の違い』を無視して、障害程度区分を判定しようとしています。三障害とは、身体・知的・精神を指し、支援費では対象から外れていた精神障害が、結果的に対象となりましたが、障害の違いを考慮せずに、一括の調査で済まそうとしているのです。
(6)障害程度区分
介護保険と同じく、自立支援法でも6段階に分けて『障害程度区分』が判定されます。『区分1〜区分6』という言い方になり、区分6が最重度です。まずは認定調査が行われるのですが、三障害一体の考えに従い、どの障害に対しても全く同じ項目で行われます。質問は全部で106あり、この内の79項目は、身体介護の必要の有無についてで、日常動作などが出来るか出来ないかを答えます。残る27項目は、いわゆる問題行動を起こすかどうかというものなどで、知的・精神障害者が主な対象ですが、その人が置かれている背景や必要とする支援については、一切関心が持たれず、単に行動を起こすかどうかだけを聞かれます。
ところで区分判定に際しては、『判定ソフト』というコンピューターソフトが開発されます。幾つかの自治体では、試行調査事業も行われたのですが、結果は散々なもので、精神障害者の3割が『非該当』、つまりサービス不要と判定されたり、現在介護を受けている障害者が非該当と出たりしました。これは、身体機能をみる79項目だけでコンピューター判定をしたことによるものですが、1次判定の後、2次判定ではいきなり区分が3段階も上がったというケースがあったそうです。体調面などで極めて変動性の高い障害者の要介護度を、一律の判定項目で判定すること自体がまず無理と言えます。なお、いったん出された判定を不服とする場合は、不服審査にかけることになりますが、審査は都道府県の不服審査会によって行われます。
6.気になる『これから』
(1)サービス支給額(区分標準額)
2005年12月7日に、大阪府障害者社会参加促進センターで取材をした時点では、サービスの具体的な支給額は明らかではないとのことでした。額は先ず、区分ごとに国庫補助基準額が出され、それで足りない場合は市町村が負担することになります。国が出す基準額は、恐らく介護保険なみの金額に下がるであろうと思われています。従って、これまでのサービス水準を維持しようと思えば、市町村の負担は大幅に増えることになります。なお、各サービス類型ごとの単価も、取材時点では明らかではありませんでした。追ってお伝えしていきたいと思います。
(2)ガイドヘルプ(地域生活支援事業)
ガイドヘルプは、市町村の裁量による地域生活支援事業の中に組み込まれますが、
国からは、全国の市町村に対して包括払いで(一束で)、2006年は半年分の200億円が支給されることになっています。従ってこの200億円が、先ず全国の各都道府県と各市町村に配分され、それをさらに事業内の各サービスで分配することになるのですが、この中からガイドヘルプなど、全ての事業のための予算を捻出することとなり、引き下がりが懸念されています。特にサービスの時間数が多かった市町村では、水準維持に向けて非常に深刻な事態となります。
ところで大阪(府)は、ホームヘルプの利用量が、一番低い県に比べて6.3倍だったということで、これに対して国から贅沢であるかのような宣伝をされました。しかしこの6.3倍というのは、地域での利用に限っての量で、大阪府は積極的に地域施策に重点を置いてきた自治体なのです。従って入所施設の経費は全国平均よりむしろ少なく、地域+施設での全体の利用量も、平均を少し上回っているに過ぎません。国はそれを知ってか知らずか、地域でのサービス利用量だけに目を付け、「大阪は贅沢をし過ぎ。」と苦言を呈したのです。
(3)作業所・授産施設
作業所については、通所者20人以上の法人団体になるよう、国が仕向けてくる可能性があります。現在、10人規模の小規模福祉法人団体も数多く存在していますが、それを2つ合体させたらいい、という考え方すらあります。その上で新しいサービス類型に移行したら良いと言われているのですが、何故20人以上なのかというと、『少しでも一つの組織を大きくした方が効率的とされていく』ためです。国からの補助金も、具体額はまだ分かりませんが、かなり減るのは確実です。
一方、市町村による運営の地域活動支援センターへの移行も検討されましたが、これは補助金が、現在小規模福祉法人に対して出ている1,100万円よりも低く示されてきました。『訓練等給付』内で新しい類型に移るほうが、予算は多く出るようです。
(4)グループホーム
グループホームは2種類に分けられ、重度障害者が入居するところはケアホーム、軽度障害者が入居するところはグループホームと呼ばれるようになります。グループホームに入る対象者は、非該当と区分1の人のみで、区分2以上の人は全てケアホームの対象になると言われています。そして、ホームヘルプの利用が大きく切り詰められ、生活支援員と入居者の比率も、ケアホーム・グループホームともに1対10になるだろうということです。報酬の面でも、これまで年間300万円がグループホームでは出ていたのが、今後は200万円に下げられる可能性もあり、2ヶ所運営しないと世話人一人分の人件費を確保するのが厳しくなる恐れが出てきています。
このように人員や予算が削減されるのは、基準値を入所施設に合わせようとするためです。グループホームは、地域生活のための有効な手段として注目されてきましが、自立支援法のもとではミニ施設化≠ウれようとしており、密室化することも懸念されています。しかも、病院や施設の敷地内での開設も認めていこうという話も出ており、地域の中の家≠ニいう姿からは程遠くなっていきます。
さいごに
以上、長い記事となりましたが、制度の移り変わりから障害者自立支援法の内容についてお伝え致しました。まだまだ未確定な部分もありますが、これからも読者の方々にとって参考になる情報を、ご提供したいと思います。
この法案を巡って、これまで以上に団体間で横のつながりが出来、国の思惑とは違うところで、『三障害一体』、『統合(バラバラでやってきた団体の草の根統合)』が起こったことは、結果として前進であると思います。これかも政策の議論などをしっかりやっていけば、まだまだ運動はこれからだと思います。暗い内容の記事でしたが、希望は持ち続けたいものです。
日本という国は福祉に対して、『介護が要るか要らないか?』という側面からしか、物事を測れない傾向があります。そして、『介護が要らないのが自立』という固定観念も、いまだ根強く残っているものがあります。もっと福祉に関して広く豊かな国になることを祈念しつつ、この記事の結びといたします。
(担当:根箭)
昨年12月18日(日曜日)に、障害福祉センターひまわりにてCIL豊中のビッグイベント「クリスマスパーティー」を行いました。当日は雪がちらつく天候の中、約130名程の参加者が集まってくれました。参加者のなかには講座で知り合った方、サロンで知り合った方、さまざまな出会いがあり、再び出会いがあることに感謝感激でございます。また、この日のために、ステキなドレスを着て参加してる人もいましたね。(主催者側からはホントに嬉しいです)
では、クリスマスパーティーに至るまでの経過と当日はどんな様子だったのか報告しま〜す。
会場にかわいいワンコの絵やサンタさんの壁画があったの覚えていますか?毎年、職員が苦労して描いているのですが、今年は参加される方にも一緒に手伝ってもらおうと思い、秋頃からサロンにくるメンバーで作成に取りかかりました。どんなデザインにしようか四苦八苦、人それぞれ十人十色、思い思いに描いていきました。
昨年に続いて登場した、垂れ幕とトナカイ。 |
さて、パーティーの当日はどんな様子だったのでしょうか
会場にまだざわめきがある中、司会のCIL豊中の仲良し!?コンビの息の合った声でスタートしました。会場を見わたすとクリスマスらしくサンタやトナカイなど仮装した職員がいました。しかし、なぜか車いすに乗ったピエロ、子どもを泣かすほどのメイクをしたドラキュラ、デジカメを持ってうろついている林家ぺーなどクリスマスにはな〜んも関係のないキャラクターがゾロゾロ。普段から仮装をするのが趣味なんでしょうかねぇ・・・。
いいキャラクターを出していました! 司会コンビ(写真は閉会の時です)。 |
な〜んかイケてない『林屋ペー仮装』(左)と、 参加者の方(中央)、スタッフ(右)。 |
今年のライブの出演者は、豊中市を中心に、いろんな場所でコンサートを開催している「ハートフルサウンド」さんと「戸梶賀世子&ラブリーサウンド」さんでした。
みんなが良く知ってる楽しい曲から心に響く温かい曲までたくさんの曲が歌われました。途中で参加者のところまでマイクが回ってきて、ワンフレーズごと順番に歌う曲もありました。急にマイクを向けられると、初めはビックリ。でもマイクを向けられた人はみなさん大きな声で楽しく歌ってくれました。
美声を聴かせてくれた、ハートフルサウンドさん。 |
そして、今年もでました!ダンシング。曲に合わせてというよりは、身体の中から湧き出てくるようなそれぞれのリズムで楽しく踊ってくれました。
また、大道芸は大阪芸術大学の学生サークル「芸大パフォーマンスドール」さんが来てくれました。テンポのいい曲に合わせて、ピエロのような格好をしたお姉さんやお兄さんが、ヒモや棒を使って、コマ・棒・コーンなどを操ったり、固いボールでお手玉したりとたくさんのジャグリングパフォーマンスをしてくれました。たまに、失敗することもありましたが、一生懸命がんばってくれましたね。
芸大パフォーマンスドールのショー。 |
そして最後は、シャンシャンシャンという鈴の音と共にサンタさんが来てくれました。あれ??サンタさんの隣でお手伝いをしているのはピンクや緑のゴレンジャー?!CILのクリスマスパーティは、本当に愉快です。
また来年も会いましょう。では!
byドラキュラ様(古川)
2005年11月19日(土)蛍池ルシオーレホールにおいて、登録ヘルパーさんを対象にした「知的障害者ガイドヘルパー勉強会」を開催しました。
当日は登録ヘルパーさんや介護職員など計10名が参加しました。まず知的障害とは何かという講義が行われ、その後グループに分かれて、いくつかの事例についてそれぞれ意見を出し合いました。休憩をはさんで後半は、参加者同士で普段ガイドヘルプをしている際に困ったことや、こんな場合にどうしたらよいかなどの意見交換を行いました。普段ヘルパーさんどうしが交流する機会が少ないので、活発に意見が出ていました。最後に知的障害を持つ人が自立して生活している様子が収められたビデオを鑑賞して、講座を終了しました。
参加者からの声として、身体障害・精神障害など他の講座もあれば是非参加したい、参加人数が少なくて残念、他のヘルパーさんの意見が聞けてよかったなどのアンケートが寄せられました。今後はそれらを参考にいろいろな講座を開催できたらと思います。
講師を務めた、コーディネーターの川崎さん | 「あ、それ私も経験ある。」 他のグループの意見を見て、 思わず感想が飛び出しました。 |
グループ別にまとめた意見を、 ボードに書き込む参加者。 |
すてっぷフェスタとは、11月26・27日と《つながろう・ふかめよう・ひろめよう》を合言葉に市民とすてっぷの協働ですすめられたお祭りです。会場は、豊中駅隣接ビル「エトレ豊中」5階6階にあるとよなか男女共同参画推進センターすてっぷ内や「豊中駅」駅前広場で行われました。
当日は、いい天候の中、駅前広場では、和太鼓・南京玉すだれ・よさこいソーランやエイサーなどのパワフルな催しがありました。すてっぷ内では、豊中で活躍している市民が集まり、ハワイアンフラダンス・コーラス・演劇等の日頃の成果の発表があったり、絵本読み聞かせ等のイベント、教育問題や俳句・木工作品等の展示、手作りパンやクッキー・沖縄物産・エスニックフード等の販売と様々な分野にわたり盛りだくさんの内容となりました。
今回、CIL豊中では、たくさんの人に点字にふれてもらえる機会になったらいいなと“自分で点字名刺を作ってみよう”というコーナーを出展しました。点字は、どうやって打つか知っていますか?この広報誌でも何度か紹介しましたが、手で打つ場合には点筆と点字版を使って、裏側から針のようなものがついた点筆で一点一点穴を開けていきます。参加してくれた人は、初めて点字をうつという人が多くて、点筆で紙に穴を開けていくのに思った以上に力が必要でとまどう姿が見られましたが、慣れてくると点字の50音表を見ながら、すいすいと打ち始めていました。特に子ども達は慣れるのが早く、友だちの分や家族の分と楽しそうに作っていました。点字のしくみが分かり、みなさん得意気に嬉しそうに点字名刺を持ち帰ってくれました。広報誌を読まれている皆さんも、こんな機会がありましたらぜひ参加してみてくださいね。
担当:潮ア
皆さんこんにちは。上田です。さてさてこの記事が皆さんのお手元に届く頃には、すでに完了していなければならない事業に携わっています。題名にもでかでかと載っている大阪大学バリアフリーマップ事業です。正式には「阪大バリバリプロジェクト」と言います。大阪大学の2学舎、つまり豊中学舎と吹田学舎のバリアフリー調査とインターネット上でのバリアフリーマップの公開が主な作業です。その中で私は、学内の点検および改善点の指摘に関するバリアフリー推進コンサルタントという役で昨年の4月から週2回の割合で関わっています。
大阪大学は、10学部・10研究科、5つの大学院独立研究科、5つの附置研究所、2つの附属病院、附属図書館、16の学内共同教育研究施設、2つの全国共同利用施設が、吹田と豊中の学舎に分かれて置かれています。
吹田学舎の敷地面積は約100万u、豊中学舎の敷地面積は約45万uで合わせると145万uであり、甲子園球場が約4万uらしいので、甲子園が36個分となります。相当広いです。特に吹田学舍はひとつひとつの建物の間が開いており、端から端まで私が歩いたとすると、それだけでへとへとになる程です。しかし両学舍ともに緑も多く、構内や最寄りの駅や両学舍を結ぶバスが走っており、食堂や売店もたくさんあり、生協には電化製品からパック旅行までありとあらゆる品々があり、夕方以降は酒類の販売もしてるとか…、小さな町になっているような感じがします。
そもそも大阪大学となぜ繋がっているの?と思われる方もおられるでしょう。大阪大学には障害を持った学生が少なからず在籍しており、その障害学生が学生生活上で支援を担う為に障害学生支援室が設けられています。CIL豊中の事業を障害学生の方に提供をしたのがきっかけで、大阪大学との繋がりが出来たわけです。尚、障害学生支援室の事をもう少し詳しく知りたいという方は、当広報誌のバックナンバーVol.09に特集記事を載せているので、そちらをご覧下さい。
昨年の2月までの1年半、豊中市の公共施設や駅のバリアフリーマップを作成する事業で私は責任者として勤務していました。その経歴を生かされたのか、バリアフリーマップ作成事業が完了した時期が偶然にも重なったのか、2月の中旬に障害学生支援室の代表である松原さんから連絡を頂き、「阪大バリバリプロジェクト」に関わるようになったのです。
近頃では、「バリアフリー」という言葉もようやく一般的になってきました。その言葉の背景のひとつには「改正ハートビル法」や「交通バリアフリー法」という法律の施行にあると思われます。「ハートビル法」とは、高齢者や障害者等が気楽に利用できる特定建築物を増やす事を促し、人にやさしい建築・住宅の整備を推進することを目的とした法律です。先の改正では学校や工場や共同住宅も新たに特定建築物に指定されています。大阪大学でもハートビル法の特定建築物に指定されたという事になります。
大阪大学には大学憲章という基本的な原則が定められています。その条文の中に「大阪大学は、その活動のあらゆる側面において、人種、民族、宗教、信条、貧富、社会的身分、性別、障害の有無などに関するすべての差別を排し、基本的人権を擁護する」という項目があります。この項目の条文に基づくと、大学側は大学で学ぶ障害のある学生の就学環境を整備するために継続し努力しなくてはなりません。その整備の中で欠かせないひとつとして、学内の物理的環境の整備があげられます。この「阪大バリバリプロジェクト」の真の目的は、大学のなかにある建物や歩道を点検することを通し、バリアフリーな環境作りを進める事なのです。
昨年の3月から徐々に仮ミーティングを重ね、障害学生支援室でボランティアとして関わっている学生に声をかける事から始まりました。仮ミーティングでは、阪大のバリアフリーの現況、松原さんの思いや一年間の大まかな計画を少しづつ伺いました。学生ボランティアに対する声かけのほうは松原さんの提案で、インターネット上でのメーリングリスト(電子メールを同時に特定の人たちに送信する仕組み)を活用していく事になりました。
3月中はボランティアの学生が一人関わり、コミュニケーションを取りながら、主に豊中学舍の校舎を徐々に下見を行っていきました。阪大の広大な広さを感じながらも、年間計画や模擬的なバリアフリー調査研修の実施とそれに伴う様々な道具の準備をどうするか等を論議していました。
5月の半ばまで松原さんの方が多忙であったようで、阪大には足を運ばなかったものの、インターネットでバリアフリー関連のホームページを検索したり、前職で手掛けた豊中のバリアフリー情報をくまなく見返したり、いつ連絡が来てもすぐにいける状況にしていました。
文頭にも書いたのですが、松原さんは障害学生支援室の代表です。しかし彼は阪大の院生でもあられ、他大学で非常勤講師もされており、ボランティア論や社会心理学を専門としている、おおらかでユーモアのある青年です。
その松原さんから5月の中旬にメールが届き、そこから本格始動です。大まかに言えば、調査の準備→調査→ホームページ作成・報告書作成という行程で作業を進めていきます。そして最後の行程までを9ヶ月、すなわち3月中に完了しなくてはなりません。この頃はさすがに9ヶ月で終わるのかという事が心配でした。
まずは調査の準備という行程から始める訳ですが、館内図・調査用具・調査表・撮影表といった調査道具や調査マニュアルを最初に揃えなくてはなりません。
館内図は各部局から調達できるので、おおよそすぐに集まりました。調査用具に関しては傾斜測定器・巻き尺・画板等が必要であると伝え、あらかじめこちらで用意していたものもあったので徐々に集まりました。
準備段階で一番時間を費やしたのが調査表と撮影表です。調査表とはスロープの有無やトイレ手すりの高さ等を書き込む表で、撮影表は撮影時に画像を撮った順に番号を付けていく表です。豊中のバリアフリー事業で作成していた調査表を手直ししようと考えていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。既存の調査表は公共施設の調査を念頭に置いていたので、項目は幅広く、その他の付帯設備(例えば車いすでも使用可能なATMの有無等)まで項目を設けていました。しかし今度は学校です。利用者は公共施設のように不特定ではなく、ある特定の目的を持った集団なので相当な規模を有します。トイレや教室などの数は半端なものではありませんから、先に一つの校舎で調査表を使って模擬調査し、その都度改善していくという作業を繰り返し行いました。そのため大学版の調査表と撮影表を完成させるまでには2ヶ月ほどかかってしまいました。
作成した調査表・撮影表と各調査用具の説明をはじめ、この事業の目的や内容や意義、調査の方法や手順等を盛り込み、この事業全体が一目でわかるようにマニュアルも完成させました。
そして次はいよいよ調査です。数人のグループでは短期間で広大な学舎の調査は不可能であるということから、夏休みを利用して学生アルバイトを募集することを提案しました。大学側と交渉し、アルバイトに使う資金は提供して頂けることになったので募集をかけ、集まった順に研修をしました。研修ではマミュアルを用いてこの事業の目的や内容等を説明し、実際に校舎に出向いて、調査表・撮影表の書き方や各調査用具を使った計測方法を指導しました。この段階を怠ると事業全体に一番影響が出る事は過去の経験から把握していた事もあり、研修時にトイレの便器や洗面台の高さ等細々した箇所の調査方法も丁寧に教えました。
調査は計画どおり夏休みの終わりと同時期9月末で無事に完了しました。それはそれは膨大な画像と調査済みの調査表になりました。画像に関しては吹田学舍だけでもCD5枚以上で、調査表の方は1校舎平均15枚、それが何十校舎とあるのですから数百枚にもなるのです。
さていよいよ最後の段階であるホームページと報告書の作成に入ります。この事業に最初から関わりを持っている学生さんや障害学生支援室に関わっている学生さん、バイトがきっかけで関わるようになった学生さんが中心となって作業を進めていくのですが、ホームページ作成はかなりの予備知識が必要になります。そこで豊中のマップ事業時に技術主任をしておられた北村さんを講師に招き、作成に関するノウハウを学生さん達に学んでもらいました。画像を選別し編集する係、ページの大枠を作成する係、各校舎の校内図を作成する係等に分かれ作業は進み始めました。
私はというと、もうひとつ大きな作業である大学側に提出する報告書作りを夏場から徐々に始めていました。各校舎ごとに、出入口・エレベーター・教室等の調査表に基づいた項目に沿って、各部の結果をまとめ、分析を行い、意見を書き出すという作業です。自身の記憶と調査表と画像を見ながらの作業なので、どうしてもその三つが照らしあわない校舎もあり、再度訪れる事も必要になります。
現在(1月末日なのですが)、ホームページ作成のほうが3分の1、報告書のほうは3分の2を終えている感じなのですが、3月の上旬には大学の職員さんを対象にしたバリアフリーについての講義と結果報告も引き受けていますので、そのプレゼンテーションの資料も準備もしなければなりません。
2月は阪大の事業だけでなく、様々なイベントが重なる月でもあります。後2ヶ月で全部終わるのかとついつい弱気になったりもしますが、それを乗り切り、マップと報告書を完成する事により、阪大と私たちCIL豊中の繋がりが今後一層深めるためにも頑張りたいと思います。
(上田)
平成17年12月14日、保健所にて「医療的ケアの必要な慢性疾患児の在宅療養を地域で支えるために」という内容のシンポジウムが開催されました。シンポジストとして、CIL豊中の利用者のK君(呼吸器使用)とご家族、市立S保育所の保育士さん、保健所の担当保健師さん、阪大の医学系研究科N先生が参加されました。当事業所からは、コーディネーターの中村百合、松本康代が参加しました。印象に残った点をそれぞれ報告いたします。
*ご家族より・・・在宅生活を始めるにあたって、訪問看護師さんの心強い協力と支え、保健師さんの訪問による情報提供やアドバイス、ヘルパーによる介護の軽減、日常生活用具の高額な出費など、良かったこと、苦労したこと等を話されました。また、なによりもK君が愛情いっぱいに包まれている生活ぶりが伝わってきました。
*保育士さんより・・・K君が通園することで、子供達や周りの大人達も命の大切さを改めて感じ、K君を思いやる優しい心が育ってきて、とてもいい刺激を逆にもらっている事など熱く語られました。
*保健師さんより・・・いろいろな社会資源や制度の紹介をし、在宅生活をより良いものにできるように訪問されていた事、また今後同じように在宅生活を希望する疾患児の問題点や課題を把握したいとの思いを話されました。
*阪大N先生より・・・在宅生活を希望する医療的ケアの必要な疾患児の現状と今後の課題、地域ケアシステムの重要性などを説明されました。
*コーディネーターより・・・介護の現状として、重いバギーの二人対応での移動、見守り、入浴のお手伝い、通院付き添い等の説明、また今後ご家族と相談しながらもっといろいろな援助を増やして介護の軽減を目指したい事など発表しました。
参加者は、医療職、行政、保育所、介護事業所等で、皆さん、熱心に耳を傾けていらっしゃいました。まだまだ、課題は山ほどありますが、こうして地域の様々な関係機関が、力を合わせて、一人でも多くの疾患児やそのご家族が、住み慣れた家で幸せに暮らせるように、努力していきたいと全員の方々が思われたと信じています。また、当日寒さにもかかわらず、K君も会場にみえて、私達に強く訴えてくれているように思いました。
(中村)
この原稿を書いているときは、新春の1月。私たち障害者にとって、大変な年の始まりになりそうなのだが、何とかみんなで元気になって生きたいものである。
今回、このページでは、「追っかけ」をテーマに、お二人の元気な女性に語っていただき、読者の皆さんに、元気を分けてもらいましょう。まあさんとジュジュです。
誰を追っかけてるの〜!?
司会: 「まず自分が追っかけている人の紹介をお願いします。」
まあさん: 「私は、1948年5月25日生まれの沢田研二さんを35年前から追っかけをしています。ソロになってから。タイガースのころも気にはなってたけど、グループサウンズが好きでそこでは井上大介さんのファンでした。私50歳。ジュジュさんはおいくつですか?」
ジュジュ: 「46歳です。元宝塚の鳳蘭様(ツレちゃん)を追っかけて33年ぐらい。」
司会: 「宝塚の時代からですか?劇場にはよく行ってた?」
ジュジュ: 「はい。宝塚時代からファンです。出ておられる月には5.6回は、行ってましたよ。中2か中1くらいからかな?」
司会: 「まあさんの追いかけたいと思ったきっかけは?」
まあさん: 「ソロになってから。事件起こしたでしょう、新幹線暴力事件とか。自分を持っている人だなあと思った。ジュリーは、ほかのいい子ちゃんしてるスターと違ってた。私は何かがある人が好きだから。ジュリーの持っている性格、持ってる何かを好きになった。そのときは在宅で、家には車いすはなかったの。あったとしても寄付でもらったもので、足を下げたら痛くなるので普通の足下ろして座る車いすは乗れなかった。だから特別注文の車いすができる二十歳になるまでは行けなかった。だから、通販でテープを買ったり、プロマイドを買ったり。テレビで見たりラジオで聞いたり・・・・。」
司会: 「レコードに穴があいてる時代?」
まあさん: 「そうそう。私はもっぱらカセットテープを買いました。針をおくのができなかったので。ラジオから流れてくる曲を、カセットに吹き込んだりしました。」
恋していたの。
まあさん: 「初めてコンサートに行ったのは二十歳。同じファンの仲間の中から介護してくれる人を捜して一緒に行ったの。手動の車いすで。そのころは在宅。」
司会: 「そのころコンサートに車いすで行っていた人いた?介護的に困ったことは?」
まあさん: 「大阪フェスティバルホールね。昔から階段があった、階段ばっかり。車いすトイレないし、そのころは通路に座らされた。8時すぎるまでは、ちゃんと座って聞いているというおきまりがあった。8時すぎたらみんな興奮して立ってしまうので見られなかった、でも人の合間合間に見えたの。」
ジュジュ: 「私は、昔は一人で歩いてて。少しは、よたよたしてたとは思うけど。でも、入り待ちとか出待ちもしていたの。今も昔も、おそばに行きたくって。一度なんて、ツレちゃん出てきはって、ほかの人もみんな「わー」と押し寄せてきて、ツレちゃん「みんなおさないで〜」と私の手をつかんで花の道を歩いてくれはったの。そのときは、何がなんだかわからずにいてて、駐車場で別れてから、いや、どないしようと思った。」
司会: 「一人で行ったの?」
ジュジュ: 「特に大学の時なんかは一人で行く、行くと言うよりは通うっていう感じ。」
司会: 「宝塚にはいろんな人いてるのに、なんでらんさま?」
ジュジュ: 「舞台の上では男役に魂がひきこまれていった。恋していた。オフでは、優しいし、おもしろいし、温かい人、とにかく大好き。」
私たちのエネルギーの源!!
まあさん: 「新春とか コンサートツアーがあるので。年にせいぜい4〜5回、初めは関西ばっかりでした。地方に行くようになったのはここ10年くらい。」
司会: 「芝居とか見ての感想は?」
まあさん: 「何ともいえない色気、オーラがある。元気づけられるし、エネルギーをもらえる。歌を聞くことによって、芝居を見ることによってエネルギーもらえる。」
司会: 「家族の反応は?」
まあさん: 「あきれてるというか、あきらめてるというか、昔からずーっとジュリージュリーといってたので認めるというか認めざるをえないというか。もう離婚したけど、結婚した当初からずーっとコンサートにも行ってたし、旦那も何も言わなかった。家には台所にポスターを貼ったり、押入半分以上にビデオとかCDが埋まっていますけど。」
ジュジュ: 「私とこは娘も大ファンで、親子の会話のもとになってるわ。でも、むずかしいギリシャ悲劇のお芝居とか見ると、質問が大洪水のように来て、大変だったりするけど、大きくなるにつれて、楽しい。」
司会: 「娘さんとジュジュさんの中では、らんさまも家族になってる?」
ジュジュ: 「娘もおなかの中にいた頃から歌聞いてたし、保育所で「ろくでなし」をくちずさんでいて 保母さんををびっくりさせてた。今は、ふたりの元気のもと。」
うわー、きゃー、うれしー、おおいに興奮して
まあさん: 「7年前くらいかな、大阪の茶屋町ホールで、車いす席が舞台と同じ高さになって、両端にあって ジュリーが歌いながらきてくれて、にこにことうんうんとうなずいてくれて、もうパニック状態になりました。また歌いながら来てくれたときに、ジュリーのバランスがくずれて、ちょっと危ないと思ったときにとっさに出た手に触ってもらえた それがすごく印象にのこってます。」
司会: 「他にも知ってるよ。あばれすぎて 車いすからおちたんだよね・・・。」
まあさん: 「大阪フェスタは 電動から手動に乗り換えないとだめで。電動を運ぶのがしんどいということで。ふつうの車いすで暴れすぎて落ちてしまいました。係の人が来てくれて、どうにかこうにかあがれたの。広島ではアンコールの時みんなの力でみんなで前にいった。そのころは警備も少なく、まん前に行って近くでみれた。次の年から警備がきつくなりましたけど・・・。」
ジュジュ: 「私は、おとなしくしているつもりよ(笑)。でも車いすでおっかけてたら、人の足引いちゃうのよね。悪いことしてるなって思う。けど行きたいのよね。」
司会: 「先ほどの写真はどういう時の?」
ジュジュ: 「後援会(ファンクラブ)の行事に参加したときに、娘が小さかったから、ツレちゃんのところに遊びに行ってお膝に座ってしまったの。」
司会: 「偶然にという感じだね。このときの気持ちは?」
ジュジュ: 「いろんなことがあって、子どもが小さかったし、こんな会に行くのも久しぶりやってん。私のことおぼえててくださったみたいで、とっても嬉しかった。」
なんとしてでも、いきたい! 行きます!!
まあさん: 「私は、話したことはないです。恐れ多くって話せません。話せる機会があっても想い入れが強すぎて緊張が強くて固まってしまいます。私も十何年前から入り待ちをするようになって、3.4時間くらいずーと待ってたり、夏も暑い中、ず〜っと。北海道、大分とか東京都とか全国各地からみんな来ているので、どこ行っても同じ顔もあって、ジュリーが縁で全国の友達もたくさんできて。コンサートに一人で行っても、泊まりがけで行っても友達感覚で手伝ってくれる。大体みんな同じ年代ですね。」
司会: 「どこまでいくの?」
まあさん: 「ついつい最近までは、東京 名古屋 広島 河口湖までいきました。」
司会: 「全国渡り歩いているから、お金もかかるよね。」
まあさん: 「年金とかをためてて、捻出。服とかを買わないで節約。」
ジュジュ: 「私は子どもがいるから、地方には行けないけど、年に一回後援会の旅行があるし、夏休みとか冬休みとかに東京で公演があったりするときには、行ったりすることもある。旅行になるとお金もかかるけど、私も節約、節約して。」
司会: 「介護者は一緒に行くとき、チケット代とかは?」
まあさん: 「途中まで介護者がいてて 中に入ったら友達がたくさんいてます。」
ジュジュ: 「介護者と行ってるけど、見てる間は介護者は外に出ていてもらうけどね。」
司会: 「同じ趣味をもった人と行きたいと思うこともある?」
ジュジュ: 「今は、娘が相棒やからね。でもインターネットのホームページを通じてお知り合いになったり、実は、30年前からあなたのこと知ってましたよ、と、言われて、エーって驚いたり・・・・。」
司会: 「法律が改正になって、これから行けなくなる可能性ありますよね。」
(二人): 「なんとしてでも行きます。一人で行きます。ネ、行くよね。(頷きあう)」
司会: 「二人にとって、ジュリーとらんさまはどんな存在?」
まあさん: 「エネルギーを与えれてくれ、教師であり、恋人でもあり、旦那でもあり、信者ではないけど、教祖様かな 大教祖。」
ジュジュ: 「私にとっては優しく見守ってくれる人でもあり、元気をくださる人。近頃、話しかけられると、返事が一言でも返せるようになってきたし、目と目が合わせられるようになってきたし、夢はこんな雑誌で対談して、私が書けたら死んでもいい。」
司会: 「読者にいいたいことはありますか?」
まあさん: 「何かひとつ、自分の中で信じるものがあれば、オーバーだけど、生きていけるのでは。食べるものでもファッションでも、何でも良いから自分の中でこれやっというものがありさえすれば何でも、私は宗教はあまり好きではないけど宗教でもいいかなと。できるならば娯楽に近いものを自分の中で持っていけたらいいな。」
私も同感です。よく人から、そんなに好きな人がいてて幸せね、と、言われますが、本当にそうですよね。体の痛みなんて、忘れてしまうんですもの。みなさまも、そういうのを見つけてみましょう。まあさん、高槻から、ありがとうございました。仕事に、追っかけにおたがいにがんばりましょうね。
(つかはら)
今回は、豊中の北の端、大阪モノレール「千里中央」駅下車、緩やかな坂をあるいて15分、きらら作業所です。ここは、北丘小学校の敷地内にあり、とってもきれいな作業所というのが、私の第一印象でした。
お話を聞かせていただいたのは、施設長の宮ア知代さん。広々とした、明るい食堂で伺いました。
ここの作業所、設立されて二年と、まだ新しいです。現在メンバーさんは、30名(身体障害と知的障害の重複障害者が19名、中軽度の知的障害者は11名)で、お弁当作りや、配達、パン粉作り、クッキー作り、まだ商品化はしておりませんが、紙すきや内職などの仕事をしています。
☆あったかお弁当作り☆
なかでも気になったのが、お弁当。あつかましくも、見せてくださいとお願いして、厨房から出来たてを出してきてもらいました。保温する容器にいれてあって、色とりどりの野菜がおいしそう・・・。ちょうどお昼前で思わず、唾をごっくん・・・・・。「注文しといてもらったら、食べてもらえてんけど、ネ」と、宮アさん。
健康でおいしいお弁当 |
全部とは言えないけれど、学校の裏の畑で作っている菜っ葉類や豆、プチトマトなどの自家製野菜を加えて、全部国産品の食材を使って、野菜中心のヘルシーメニュー(毎月違うメニュー、700Kcal以下)、しかも、400円で、安い。そういうお弁当を厨房のメンバーさんが作り、2階のメンバーさんが配達する。今は南丘小学校のなごみ作業所や系列の授産施設に配達したり、時々学校の先生が買ってくれたりもします。車で30分以内の範囲で配達できます。パン粉作りは、服部の無添加のパンを作る「らくだ」さんの食パンの耳を、機械にかけてパン粉にする作業をしています。一袋240gです。クッキーも、そのパン粉で作っているそうです。このパン粉、無添加パンなので原料的にも安心で、両方とも一袋150円で、豊中作業所の店「なかま」、また、バザーもやっていて、年末夏季物品、黒豆茶(整備資金積立のため、550円、)靴下(400円)とともにおいているようです。
パン粉作りのようす | 完成したパン粉 |
☆就業時間☆
就業時間は、厨房は午前10時で自力通勤ですが厨房以外では、午前10時半から午後3時までで、バスで送迎をしています。送迎バスは、豊中の南のほうまでも行っているということです。
☆自慢のトイレ☆
作業所内も見せていただきましたが、まさしく学校の教室という感じで、でも、日の光あふれる、明るい感じでした。エレベーターが構造上つけられず、身体障害の人には1階で作業してもらっているようですが、車いす用のトイレは自慢されていました。大概の車いすトイレは入り口と便器の間は、広く取られているんですが、便器と奥の壁が狭いのです。ここのトイレは便器と壁の間も広く、手すりのバーも低くしてあり、利用者が、介護者に全体重を預けて介護者が体を仰け反られるように、双方にとって、楽な姿勢でいられるように考えてあります。
便器と壁の間のスペースを広く取り、 介護者がバーに凭れながら体を反らすと、 利用者も体重を預けやすくなります。 |
☆将来への夢☆
学校の敷地内にあるということで、きらら運営委員会には校長先生、教頭先生、PTA関係者、地域の人もはいっています。また4年生の体験学習や行事やイベントを通じて小学校の子どもたちとの交流はあるが、ふだん何気ない交流はあまりないのが、残念ですとのこと。
夢は、生活の場グループホーム『やすらぎの家』があるんですが、もっとたくさんの生活の場を作ること。親が高齢化していく中で、子どももそばでいてほしいという要望がありますから・・・・・。
ありがとうございました。これから新しい法律のもと、私たち障害者には、試練が待ち受けていますが、いっしょにがんばっていきましょう。 ※作業所連絡先:06-6836-5800 (つかはら)
今年も「カジ論!?」をよろしくお願いします。今回の「カジ論!?」は、昨年の12月10日、11日に国際交流センター(大阪市天王寺区)で行われた作業療法士協会の全国研修会について、話したいと思います。今回の研修会では、全国各地から作業療法士の先生が来られていました。
なぜ僕が参加したかというと、僕が小さい頃からリハビリで一番信頼している先生が講師として講演されるということで、参加させてもらいました。講演の中で一番勉強になったことは、先ほど述べた先生の仕事に対しての取り組み方です。先生は、「向上心を持つことの大切さ」を話されていました。先生は作業療法士の仕事を約20年されていますが、常に技術を磨きたいと思っているそうです。そのためには、まず「相手を理解する気持ち」が大事であり、そのことが信頼関係につながっていくと話されていました。
この他にも、経験を積んでいく中で、「常に謙虚な気持ちを持ち続けていられるか」ということも話されていました。そのためには、広い視野を持つことを心掛けることが大事だそうです。時には自分の間違いを素直に認める気持ちも大切であると話されていました。このような話を聞いて、僕はとても勉強になりました。作業療法士向けの講演ではありましたが、僕にも通じるものがありました。
ところで、シンポジウムを通じて、多くの先生と交流を持つことができました。その中で、特に印象に残っていることは、茨城県鹿嶋市の病院から来られている僕と同世代の若い先生と親しくなれたことです。休憩時間に僕が一人でいた時に、その先生は声をかけてくれました。その先生は、僕が介助者なしで行動していたことが、疑問に思い驚いたようです。僕が一人で豊中から3つの電車を乗り継いで会場まで来たことや、普段の自由奔放に電動車いすで走り回っていることを話したら、さらに驚かれていました。
しかし、これらのことは、僕にとって当たり前のことなので、逆にこちらが先生の反応に驚きました。聞くところによると、茨城県の鹿嶋では、一人で電動車いすに乗って街に出かける人がほとんどいないそうです。医療的な面でも、情報は県庁所在地である水戸に集中してしまいがちだそうです。
このような話を聞いて、僕は小学校から高校まで統合教育の中で育ってきたことや、現在も自由奔放に街の中で活動できていることを、今まで以上に幸せに思うと同時に、豊中で生活できていることを誇りに思えました。このことが、今回の学会に参加した中で、一番勉強になると同時に、普段なかなか交流をもつ事のできない人達と交流できたことにより、“新たな物事のとらえ方”ができるようになりました。こうしたことからも“自分なりに外の世界へふれることの大切さ”を再認識させられた僕でした。
この記事をみなさんに読んでもらっているときは、少しずつ暖かくなって春が近づいている頃でしょう。春になれば、新しい出会いもあると思うし、相変わらず僕は街を走り回っていることでしょう。今年も色々な人に出会えるようになればいいと思っています。みなさん、僕を見かけたら声をかけて下さい。今年もこんな僕をよろしくお願いします!
2006年1月20日、前年3月18日の結審から丸10ヶ月、長いブランクを経て、ようやく学生無年金障害者大阪訴訟の判決が出されました。2001年7月の提訴以来4年半、長い闘いの決着を見届けようと、大勢の傍聴者がいる中で判決が言い渡されたのですが、結果は『全面敗訴』でした。それも呆気なさ過ぎるぐらい呆気ない言い方による敗訴≠セったのです。深く祈る思いで判決を待っていた原告団、弁護団、支援者、そして傍聴者たちは、ただただ「・・・・・・?」というような心地に包まれました。「いったい今、何が起こったのだ?」という感じで・・・・・。
裁判長(西川知一郎氏)は、11:00の開廷と同時に、早足で慌しく入室してきました。そして席に着くが早いか、これまた恐ろしく早口で、「原告の訴えを全面的に棄却します。その理由については諸事情により、ここでは詳細を申し上げかねます。(2〜3秒間を置いて)閉廷します!」と言い渡し、次の瞬間、まるで突風のごとくサッと退室して行ったのです。『逃げ去った』と表現する方が正しいような足取りで、裁判長の在室時間は10〜12秒でした。
「実際の判決って、こんなものなのか???」
頭の中で、ぐるぐると疑問や疑念、そして虚無感のようなものが巡りました。法廷はシーンと静まり返り、しばらくは席を立とうとする人もおらず、ため息とすすり泣きが、いたるところから聞こえていました。ここに4年半にわたる、大阪地裁での裁判は終わりました。
開廷前、ちょうど入廷に向けて、報道陣がカメラを構える前で列を組む原告団の姿を見ていました。その表情は実に晴れやかで、希望と解放感に溢れているという印象でした。それが判決後には一転、沈痛な空気に包まれることになったのでした。
入廷前の原告団。 この時は笑顔も見られていました。 |
入廷する原告団とカメラで追う報道陣 |
退廷後、原告の一人から、「裁判長が判決理由を何も話さなかったのは、傍聴者が非常に多く、自分の発言に対してクレームが飛んできたらヤバイからだそうだ。」という話を耳にしました。「何だ?それは。」と思いました。自分の下した判決に自信があるのなら、そのような逃げの構えは取らなくてもいいはずです。
12:30から、場所を弁護士会館に移して記者会見が行われました。席上、原告団の原静子代表は、「血も涙もない判決。結審から10ヶ月以上も待たされて、何らかの希望の持てる判決が出るのかと期待していた。見事にバッサリと裏切られた気持ち。悲しいし無念。支持して下さったみなさんにも申し訳ない。」と、涙に声を震わせながら語っていました。そしてほかの原告や弁護団の人たちも、一様に「判決は到底納得できるものではなく、遺憾だ。制度の不備があったことが全く認められなかった。直ちに上告したい。」と決意を述べていました。
記者会見が始まる前、裁判長が書いた判決要旨が、全員に配られていました。しかしその要旨は文章ばかりがやたらと難しく、理屈をこねた書き方で、中身≠ヘ全く無いものでした。曰く、
『この問題は国も国なりにいろいろ考えているのだから、憲法の解釈も国に任せればよい。今回の年金不支給は、憲法違反になっているとは言えない。だから国に賠償請求をする理由はなく、国に対して法の不備があったことを認めさせる理由もない。国民年金制度ができた時点で、生活保護制度だってあった。』
これは、被告であった国の言い分を、そのままコピーしたものに過ぎません。そもそも裁判所というのは、国の定めた憲法や法律の過ちを正すために存在しているはずです。こんな判決要旨で許されるのなら、この世に裁判所は要りません。記者会見に続いて行われた報告集会では、原告と弁護人が口々に、「こんな判決のために10ヶ月も待ったのか。時間のムダだった。これだったら結審の翌日にでも判決を下せば良かったのだ。あの裁判長は、公正に物事を考察して判断する能力がない。そんな裁判長にあたった我々が不運だった。これは冗談だが、裁判長指名制度があればいいのに。」と語っていました。
記者会見に望む原告団と弁護団。 手元には判決要旨があります。 |
無念の表情で、記者団の質問に答える原告団。 |
原告団は即日控訴し、今度は高等裁判所での新たな闘いが始まります。最高裁までいくことを覚悟している人も、少なくはありませんでした。このシリーズの記事がこれで最終にならなかったことを、筆者としても大変残念に思います。
(担当:根箭)
海帰優人
「ウフフフフ」
そのラーメン屋は、こぎれいな焼肉屋とセブンイレブンの間にある。そのラーメン屋は、看板もちゃんと出ているし、目立つようにワンコインラーメンと幕を貼っている。それでも、ついつい通り過ぎてしまいそうになる。そのラーメン屋は、わが家から片道15分あれば行くことができる。そのラーメン屋の白ラーメン(豚骨)は、ワンコイン(五百円)で飲食店が出すものの中で最上級だと言い切ることができる。そのラーメン屋のチャーシューはあまり上等ではない。それなのに、そのラーメンには「これしかない」と思わせる不思議な力を秘めている。なんといっても、そのラーメン屋の豚骨スープは、近ごろはやりのWスープ(豚骨+魚や鶏がらなど)ではないけれど、わずかな臭みも感じない。あっさりしているのにコクを持っている。そのラーメン屋のご主人は、寅さんの脇役に出てきそうな風貌をしている。そのラーメン屋のご主人とぼくの合言葉は「グラッチェ」「グラッチェ」である。
ぼくがラーメン屋めぐりを始めたのは、食通で知られる介護者F君と365日行列の絶えない梅田の有名ラーメン屋へ行ったことから連なっていた。絶対の自信を持って「おいしいやろ?」と問いかけるぼくに、F君はすこし躊躇しながら首を横にふった。ぼくも「食通」を自負するだけにかなりショックな出来事だった。
その後、一年半あまりのあいだに40軒足らずの店を訪ねた。構造的にぼくの車いすが入らない店も何軒かあったけれど、グルメ本を参考にしながら周ることが多かったので、飛び込みで入った江坂のYという頭文字の店以外は、それなりの味というか、そのつど感動したことも何度かあった。
しかし、4日前、そのラーメン屋に出遭ってしばらくラーメン屋めぐりを中断したくなった。正確に言えば、ぼくの家から片道15分くらいで行くことのできるもう1軒のラーメン屋とその日の気分で使い分けることにした。ちょうどプロ野球の有名現役投手で例えれば、本格派松坂と技巧派渡辺俊介というか、絶妙の制球力が持ち味の三浦と力勝負の久保田というか…。
というわけで、2006年春からは「蕎麦屋」をめぐろうと思う。もともと、ラーメンよりも蕎麦派だったのをふと思い出した。とびきりうまい蕎麦屋が見つかったら、常連になり、出汁をわけてもらい、カレーに入れるとものすごいカレー丼ができそう。
楽しみやね。
6/4 いろんな友だちと出会えて楽しかったです 6/18 トランプ楽しかった。もう少し人が来てくれたら嬉しいなぁ 7/2 次はもっとトランプします 7/16 仕事をがんばります 8/6 初めて。緊張しています 9/3 図書館で本を借りてその絵を描いて楽しかった 9/17 すごろくで変なところに止まって、歌を歌ったりしておもしろかった 10/15 みんなで相談して色を決めて塗ったのが良かった 11/19 初めて来て楽しかったです 12/3 クリスマスの飾りを作りました。楽しかったです 1/7 成人式が楽しみです。 |
このコーナーは、当センタ−ホームページの「CIL豊中近況」というところから抜粋しました。事務局のようすが少しでも分かっていただけたら嬉しく思います。
なお、今回はサーバーのエラーにより、ほとんどの過去データが消えてしまっておりますので、編集員のほうで思い出しながら再現いたしました。
≪12月≫
2005/12/3 さろんでクリパ準備
今日はさろんの日。参加者の人たちと一緒に、クリスマスパーティーの飾り作りをやりました。絵を描くのが得意な人、切り絵を作るのが得意な人、それぞれ本領発揮。いろいろな特技が集まると本当に助かります。
2005/12/17 何と夕方には終了した前日準備
今までは、どんなに早くても夜の8時まではかかっていた、クリスマスパーティー前日準備の作業。今年は何と、夕方5時頃には全部終わってしまいました。これは、会場となる場所を予め予約していて、午後からすぐ作業にかかり、なおかつ人も予想以上に集まってくれたのが理由です。準備が終わった後、また事務所に戻るなんて、何だか不思議な心地でした。
2005/12/18 2005年クリスマスパーティー
さてさて、今年も盛大に行われましたクリスマスパーティー。昨年に比べるとやや静かなムードでしたが、みなさん盛り上がりました。プレゼント交換の曲(恋人はサンタクロース)が鳴り始めると、「ああ、もうこれで今年のクリスマスも終わりだ。」と、寂しくなってきました。
2005/12/28 仕事納め
今年もいろいろありましたが、今日で仕事納めです。来年から始まる障害者自立支援法に向けての様々な反対運動や勉強会に明け暮れた一年だったような気がします。果たして来年、どうなってゆくのでしょう?みなさん、一年間お世話になりました。
≪1月≫
2006/1/4 今年もよろしくお願いします
今日から仕事始めです。まだ世間では休みのところも多いせいか、4日平日にしては電話の件数が少なかったような印象を受けましたが、早速取材もおこなわれるなど、忙しい一日でした。2006年もCIL豊中をよろしくお願いします。
2006/1/7 年明け最初のサロン
今年最初のサロンが行われました。一回目は、みんなでトランプをしたり、ある人は広報誌の原稿を書くことになっていて、パソコンに向かっていました。そのほか、みんなでその場でいろはカルタを作って遊んだりしました。
2006/1/11 制度学習会
本日午前中、障害福祉課の方が支援センターに来られ、職員対象の制度学習会が行われました。特に減免措置の手続きについて、詳しい資料が掲示され、豊中市としての方向性も一部話されました。
2006/1/14 今年最初の支援センター会議
今年最初の会議が行われました。今日は土曜日なのですが、昨日、人が出払っていたために、今日に変更になりました。今回は、来月5日に開催される市民講座について、当日の役割分担や準備の進捗状況などが話し合われました。
2006/1/20 学生無年金訴訟不当判決
2001年7月に提訴された、学生無年金障害者大阪訴訟の判決が今日出され、傍聴に行ってきました。結果は不当判決でした。しかも、ほんの10秒余りという、まるで冗談かと思うような短い開廷時間でした。詳しくは広報誌で報告します。
2006/1/28 支援センター会議
前回に続き、今回も土曜日の会議となりました。今日は市民講座に向けての最終調整が行われ、来年度の事業に向けての具体的な話し合いがなされました。また、自立支援法開始により、支援センターの役割が非常に忙しくなる旨が報告され、一同認識を新たにしていました。
ヘルパーステーションCIL豊中
ケアプランセンター CIL豊中
TEL06(6840)8195 FAX06(6840)8196
支援費制度居宅介護サービス(4月からは障害者自立支援法)
支援費制度によるホームヘルパー、ガイドヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市及び近隣地域
◇サービス提供時間 24時間365日
介護保険訪問介護サービス
介護保険によるホームヘルパー派遣。
◇サービス提供範囲 豊中市
◇サービス提供時間 24時間365日
介助サービス(4月改定)
障害者自立支援を目的に、地域のささえあいに基づく登録制市民互助活動です(公的福祉制度外のサービス)。
◇対象者 原則豊中市在住の障害者
◇介助料
【一般介助】 1時間 1,200円
【宿泊介助】 1回(10時間以内) 8,000円
いずれも実費交通費(市内上限800円)を負担していただきます。
【旅行介助】 1泊(24時間) 16,000円
延長分は6時間(4,000円)単位で加算。
介助者の交通費及び宿泊費は利用者負担です。
◇キャンセル料
前日まで無料。当日は半額です。(上限10,000円)
※条件の合う登録介助者が見つからず、御希望にそえない場合があります。
ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座
ホームヘルパー・ガイドヘルパー養成講座の開催(随時)。
介護保険居宅介護支援サービス(無料)
ケアマネジャー(介護支援専門員)によるケアプランの作成、サービス事業者との連絡や調整、申請や更新の代行など。
豊中市障害者自立支援センター
TEL06(6857)3601 FAX06(6857)3602
豊中市障害者生活支援事業(無料)
障害者やその家族等の相談等支援をします。
◇ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイなどの利用援助
◇社会資源を活用するための支援 ◇社会生活力を高めるための支援
◇ピア・カウンセリング ◇専門機関の紹介
自立生活体験室
障害者の方が、自立生活を体験してみる部屋です(介助者の方は無料)。
◇宿泊利用 1泊1,500円 ◇デイ利用 1回(5時間まで)750円
豊中市障害者外出支援サービス
車いす対応車を運行し、一般交通の利用が困難な障害者の社会参加を支援。
◇利用対象者は豊中市に居住し、次に該当する人です。
@身体障害者手帳1・2級(下肢、体幹、視覚、内部)を所持している人。
A療育手帳Aを所持している人。
B腎臓機能障害で透析治療を受けている人。
注 15歳未満で車いすを使用していない人は利用できません。
65歳以上で車いすを使用している人は利用できません(豊中市社会福祉協議会の「ほのぼの号」を利用 (6841−9393)。
◇利用日時 午前9時から午後5時(年末年始12/29〜1/3を除く)。
◇利用回数 月2回まで利用できます。
◇利用料・区域
@豊中市内 片道 500円 往復1,000円
A特定区域(豊中市隣接)・施設 片道 1,000円 往復2,000円
特定施設は星ヶ丘厚生年金病院・大阪府立大手前整肢学園・大阪警察病院
◇キャンセル料 当日キャンセル500円
◇同乗者について 必要に応じて家族・介助者の同乗をお願いします。
点字名刺
ノーマライゼーションを目的に点字名刺の作成販売。※送料は一律270円
◇既存名刺への点字打ち込みの場合 10枚150円
◇片面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚300円
◇両面名刺印刷と点字打ち込みの場合 10枚350円
ロゴ・イラスト又は写真入りの場合は10枚につき50円の加算となります。
1.障害者の自立生活に関する相談及び支援事業
(1)豊中市障害者生活支援事業(受託事業)
障害者やその家族等の相談支援。
○相談支援件数 599件
○第1回自立生活プログラム講座「自分で決めて出かけてみよう!」 全5回 受講生:肢体障害2名
○パンサークル ○サロン
○自立生活体験室 宿泊利用17回(総25泊)、デイ利用5回
○広報誌「CIL豊中通信」13、14、15号発行
(2)豊中市障害者給食サービス個別アセスメント(受託事業) 23件
2.障害者及び高齢者の介護等在宅福祉事業
(1)支援費制度居宅介護(身体・知的・児童)
支援費制度によるホーム・ガイドヘルパー派遣。76,399時間
(2)介護保険訪問介護
介護保険による訪問介護。3,052時間
(3)介助サービス
地域の支えあいに基づく介助者派遣(登録制互助活動)。1,582時間。
(4)介護保険居宅介護支援
介護保険によるケアマネジメント。延95名
3.障害者の移動支援事業
(1) 豊中市障害者外出支援サービス事業(受託事業)
リフト付自動車を運行し、障害者の外出を支援。794回
(2) 大阪大学バリアフリー推進コンサルタント
4.福祉に関する人材育成事業
(1) ヘルパー養成講座
@ホームヘルパー養成講座3級課程 修了者10名
Aガイドヘルパー養成講座
・全身性課程 修了者22名 ・視覚課程 修了者23名
(2) ヘルパー養成講座実習生受け入れ 延56人
5.点字名刺事業
(1) 点字名刺
点字名刺の作成販売 12,730枚。
春風
春風さ一ん! 何処から来たの?
ワシは遠い遠い南の国から来たのじゃ
何を持って来たの?
虫たちを起こす目覚まし時計と 花の香りのする香水と
緑や黄色いろんな色のクレパスを持って来たのじゃ
なぜこの町に来たの?
この町にも春の模様にしようと思ったのじゃ
いつこの町を離れるの?
五月の下旬じゃよ
若く熱い夏の風がやって来てワシを追い出すのじゃ
「年寄りの出る幕はもう終わった」と言ってナ
ワシはさみしいよ
何処へ行くの?
寒い冬の風を追って 遠い国へとまた旅に出るのじや
一年後にまたこの町に帰ってくるぞ
ハプニング(送別会)
少し濃い目のコーク・ハイ
酔ってしまったのか 慰める言葉見つからず
君が涙ぐむなんて思ってもいなかったから
ただじっと涙拭く君見つめてた
「さよならがこわいの」「それがさみしいのよ」
何も言わない君だけど
頬をつたう涙が そっと教えてくれた
PN/「逢夢(あいむ)」
ワンシーン
それは映画を見ているようだった
重く垂れ込めた西の空の雲の
切れ間から一筋の光が海面に
向かって降りてきた
まるで天使を導くかのように
一瞬そこに静寂が生まれ
再びなにもなかったように
貨物船が動き出した
北摂の兄貴
初春(はつはる)に 空に向(むか)いて 祈ること
君の幸せ 世界の平和
伊丹市 岩国 久美子
このコーナーでは、みなさんからの短歌、俳句、詩などを募集しております。詳しくは編集長 ま〜たれまで。
みなさまどんどんご応募ください。
【お知らせ】
前号でもお知らせしましたが、今号より、再びホッチキス止めにて発行することが出来るようになりました。それに伴い、広報誌の発行形式が、これまでの『KSKS』から『KSK』に変わることになったので、ここにお知らせします。
『KSK』とは、『関西 障害者 刊行物』の略号で、これまでに付いていた最後の『S』は、最初『KSKP』(P=ペーパーの略)からスタートした刊行物が、発行数や細かい種類が増えて、一つの符号では裁き切れなくなったことにより、ローマ字順にQ、R、S(現在はTまで)増えたものです。
『KSKS〜』が織り込み・新聞形式であるのに対し、今回以降の本誌は冊子形式となり、記号も『KSK』だけとなります。この変更により、ページ上にあったヘッダーがなくなり、ページ番号が下に移設しております。ご了承下さい。
前号に続いて、編集長代行を務めました、ねやたろーです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
今年の冬は本当に寒かったですね〜。ホント、大寒冬≠ナした。毎朝出勤するのと、夜遅くに帰路に着くのが、マジきつかったっす〜!
さて、今回の広報誌は、初っぱなかなり長い特集で、しかも内容が非常に重く、深刻なものとなってしまいました。私自身、書いていて「どこまで重くなっちゃうんだろうな?」と思っていたのですが、やはり制度の内容が内容なだけに、しんどいものに仕上がってしまいました。(>_<)
でも、まだまだ障害者の地域での自立生活を守る運動は、始まったばかりです。法律が通ったら、それでもうおしまいというわけではありません。制度に対する思いは様々でしょうが、暗い状況の時ほど横を見て、誰か一緒に支え合える人たちが見付かったら、その人たちはきっと、みなさんにとってパワーになると思います。
次号では、たぶん初夏日和でホッとしているでしょう。では・・・・。