2006年12月20日(水)、西宮のメインストリーム協会主催による、『障害者の権利条約
勉強会』が、西宮市総合福祉センターで行われました。
この年の9月に、全国に先駆けて、千葉県で『障害者差別禁止条例』が制定されました。
また世界に目を向けても、国連において、『障害者の権利条約』が採択され、いま、障害者の権利への関心が、世界的にも高まっています。
今後、この問題に対してより関心を深めてもらおうと、この勉強会が行われたものです。
講師は、国連障害者権利条約特別委員会日本政府代表団顧問で、ヒューマンネットワーク熊本の代表、さらに弁護士でもある、東(ひがし)俊裕さんでした。
講演の中で東さんは、
「権利条約を作ったというだけでは、絵に描いた餅。」
「これからが正念場。当事者の声が高まらないと出来ない。条約の内容=社会の実態となることは、絶対に有り得ない。」
「一人ひとりが、何が差別か?を再考し、今までの固定枠に捕らわれない『差別観』を、新たに養っていかなくてはならない。」
「『生まれながらにして人権』というのは、ハッキリ言ってきれい事でしかない。人権は自分たちで勝ち取って初めて人権となる。」
という話を、厳しい表情でしていました。
また、障害というものが、“メディカルモデル”と、“ソーシャルモデル”に分けられるという概念を紹介し、
「メディカルモデルは、身体的などの機能障害を、ソーシャルモデルは、社会のシステムや、社会が求めるノルマ(つまり健常者の機能基準)による障壁を指す。この2つの概念は常に対立している。」
と、解説していました。
講師を務めた、東(ひがし)俊裕さん 歯に衣を一切着せない明快な講演で、ユーモアも交えていて、面白かったです。 |
さらに、『配慮』と『差別』の違いというものについて、
「車いすの人が階段を上がるのに、何も手助けをしなかったら、平等な扱いですか?」
「一方的に乗車拒否をするのは、必要な区別ですか?」
などの疑問を、スライドによるいろいろな事例も交えて説明しました。
「障害=社会にある障壁である。自立支援法があんなにバタバタとたたかれたのは、権利性が弱いから。」
「施設の人に、人生の選択は無い。これは体制的な分離である。『人間死ねば同じ』と言わんばかり。」
「世界ではどんどん権利条約ができてきているのに、日本政府は何もしない。」
「日本には、憲法14条で基本的平等権があるが、その中に、『障害者』という文字は一度も出てこない。」
と、手厳しいコメントが続いていました。
講演中に上映されたスライドの一例。 これは、障害理念対立について述べていたときのものです。 |
参加者たち(会場前半分です)。 |
この勉強会を通じて、法律というものの持つ力が、思いのほか弱いのではないか?と思ってしまう面もありました。
そして、昨今行政が、合理的配慮の名のもとで実は余計な区別を強いたり(たとえば教育基本法改正)、差別撤廃の名のもとで、むしろ配慮を許さない策を採ったり(たとえば三障害統合)している現実を、実に分かりやすく指摘しているという印象を受けました。