2004年度 第二回市民講座を開催しました


どうなる障害者の生活
〜障害者自立支援法って何?!〜


2005年3月26日(土)、豊中市障害福祉センター・ひまわり体育室にて、2004年度第二回市民講座が開催されました。
今回は、先般国会に上程されました、『障害者自立支援法』について、その具体的内容と国が掲げている方針、そしてこの法が施行された場合、障害者国民の生活はどうなるのか、言い換えれば、法が障害者やその関係者の生活にどのように影響をもたらすのか、真実をありのままに語っていただきました。

講師として来て頂いたのは、DPI日本会議事務局長で、自立生活センター・ナビ運営委員をやっておられる、尾上(おのうえ)浩二さんです。


参加者の方々。自分たちの生活にかなり切迫する問題だけに、多くの方々が来られました。


今、現実に起こっている状態を赤裸々に語られた、講師の尾上浩二氏


尾上さんは、「この自立支援法は本当の意味で障害者の自立を支援する制度ではなく、障害者に対して、自分の出来ないことも無理矢理自分でやれ、という意味での制度です」と述べられました。つまり、障害者(当事者)サイドに立った自立支援法ではなく、あくまでも健常者の本位に基づく、『障害者に健常者と同じようにしなさいという』制度であるということです。
これは更に言い方を変えれば、障害者が『する』自立ではなく、健常者(というよりも国)が『させる』自立に、法という形によってしよう、ということになります。
この案は、今まで築いてきた障害者の地域での自立という考えが、大きく後退することを意味します。

また、サービス利用料の支払いについても尾上さんは、「現在の支援費制度では、個々の所得に応じて、払える人は払わなくてはいけないが、事情があって払う力の無い人は払わなくてもよいという、『応能負担方式』になっている。しかし新法案では、払えようが払えまいが、サービスを使ったからには1割負担しなさい、という、『応益負担方式』に変わる」と述べられました。
障害者は、ふつうに就労することも難しく、苦しい生活状況を余儀なくされているというのに、そこへ一方的に応益負担を強いられるというのは、大変不条理な話です。


ところで、ここ数年、障害者の地域での自立生活の拠点の一つとして、グループホームが注目されています。支援費制度でも利用の対象となっていますが、このグループホームも大きく変わる、と尾上さんはおっしゃっていました。
具体的には、障害の程度(重軽度)によって、グループホームとケアホームの2つに分かれます。
グループホームは、比較的軽度の障害者が入居するものとされ、ケアホームは、比較的重度の障害者が入居するものとされます。
そしていずれも、外からヘルパーを派遣するというヘルパー制度が、使えなくなります。
言わば世話人が、外出も含めた、入居者のサポート全てをしなくてはならないという事になり、地域からいろいろな人が関わるグループホームというよりは、ミニ施設に近い状態に、なるものと思われます。


当日の参加者は、70名余りでした。 結びのあいさつをする大友章三(左)と、
総合司会を務めた上田哲郎(右)


障害者自立支援法では、個々の障害の違いを考慮せずに、一律に、しかも財政面の責任を全て国から市町村に転換した上で、扱われることになります。障害者の実態を全然知らない人たちによって等級(介護保険でいう要介護度と思えばよい)を与えられ、実に限られた、柔軟性のない支援を受けざるを得なくなる、という事なのです。

『各障害の垣根を越えて、どんな障害の人でもみんなが同じように使える支援制度にしよう』

という国の言い回しは、これだけを聞くといかにも進歩的なものに聞こえますが、実際には個々の障害によって、また障害者も人間である以上、一人一人において、ニーズ(特に時間数)やサービスの内容は違うのだ、という当たり前の考え方を、消してしまうものです。

縦割り的な分け方をせずに平等に扱う、ということと、ただ一緒くたにしてごちゃまぜに扱う、ということは、全然違います。

この点を、何故国は分からないのか?尾上さんは問いかけていました。そして、最初と最後に述べられた、一番訴えたい一言:


「私たち抜きで、私たちのことを決めないで下さい」


「この法案の中で、今まで使われていたのに使われなくなった言葉があります」と尾上さんはおもむろに語られました。
その言葉とは、『ノーマライゼーション』・『自己選択・自己決定』です。
完全に、かつての、まだ障害者が地域で平等に生きるという概念が受け入れられていなかった状態に、時代が逆行する内容になってしまいました。このことに、私たちはこれからも強く抗議するべきだと思います。


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