自立したい!
障害児と親、どう向き合うの?
〜ちょうどええ親子の距離感って何やろか?〜

講演会を開催しました。

2012年5月30日(水)、12:30〜14:30まで、『障害児と親、どう向き合うの?』講演会を行いました。
当センターはこれまで、当事者を対象とした講座(講演会)を、色々と実施してきましたが、親や家族だけを対象とした講座は、一度も実施した事がありませんでした。

以前から、「うちの子は障害が重度だから自立は無理だ」、「親が責任を持って最後まで抱える」といった親の言葉(=間違えた考え)を聞いた事は多くありました。
そんな親たちに対して、事業所目線ではなく、同じ親としての目線で、少しでも親の気持ちを楽にさせる話をお届け出来ればと、今回、自立していない障害者の家族を対象に講演会を行いました。

当日は講師(話し手)として、2人の方にお越し頂きました。
一人は、箕面市にお住まいで、自立している重度重複障害者(身体・知的)の親、井上千都(ちさと)さんです。
もう一人は、豊中市にお住まいで、自立している重度知的障害者の親、入江まさ子さんです。













☆☆井上千都さん★★
井上さんは、車いす使用で歩くことは出来ない、26歳の息子がいます。
知的障害としても重度で、手帳は身体障害1級と療育手帳Aです。現在は、日中は箕面市内の生活介護施設に平日、通っており、市内のマンションを借りたケアホームに入居しています。
週末はガイドヘルパーを付けて、実家に帰ってくるということです。

まだ息子が幼い頃から、井上さんは漠然と自立について考えていました。
2歳になった時に療育施設に通い始め、そこで既に親子分離という事を体験したそうです。
療育施設を出た後は保育所に通うので、保育所で過ごせる様になるために、一日一定時間、母子分離という時間が設けられました。

実際に保育所に通うようになると、そこで色んな人に育ててもらいました。
息子自身も人が大好きだったので、井上さんはその姿を見て、「いずれこの子が大人になったら、家から離れて、人の中で生活出来る様になったらいいな」と、将来を描いていました。

その後、地域の小学校に進みましたが、ここでも井上さんは、将来我が子が親離れする事を見据えて、とにかく、色々な事を体験させる様、心掛けました。
例えば、子ども会に入って、同学年の他の子どもや先輩と活動する様にする、などです。
また、学校以外に、井上さんが所属する親の会で行われた、子どもの宿泊体験に参加させたりもしていました。
ただ、宿泊といっても当時はまだ小学3年生。
宿泊先から翌朝小学校に通うのは体力的にキツかろうと、夜には家に帰ってくる様にしていたのですが、息子はしばしば、「楽しいからこのまま泊まっていく」と言っていたそうです。
ボランティアのお兄さんたちなどと、大変仲良くなったからでした。
年に6〜7回、公共交通機関を使って外出していた事もありました。

これらの経験を通じて、息子はヘルパーを利用する時も、とてもスムーズに利用出来るようになりました。
気持ちの面でもかなりしっかりしてきて、「親の都合のイベントには行きたくない。宿泊体験は自分の気持ちで行くから楽しい」と、親にハッキリ言っていたそうです。

井上千都(ちさと)さん 会場全景。8名の申込みがあり、当日は7名が
参加されたほか、当団体の職員も参加していました。


月日は流れ、高校生になると、ホームヘルパーに来てもらい、入浴介護を受けてもらう様にしました。
当時、息子は体重も軽く、家族だけで入浴介護は出来たのですが、やはり早くからヘルパーとかかわる体験をさせたいという、親の思いがありました。

『自分は息子の事で、いっぱい人に支えてもらわないといけない』
そういう気持ちから井上さんは、父母の会にも積極的に関わっていきました。
そこで一番大きかったのは、先輩の親から子育てに関するアドバイスをもらえた事で、例えば、「こういう風に育てたい、と思っていたら、子どもが大きくなったら実際にそうなるよ」と言われて、非常に心強い思いがしました。

息子は現在、グループホームで自立生活をしていますが、グループホームに入る事になった切っ掛けは、今から10年前に起こったある出来事でした。
北摂7市2町の父母の会で、能勢町に寮母施設を作るという事で活動があり、その時に、定員的に入れない利用希望者がいて、その人に対する受け皿として、グループホームを箕面にて立ち上げる事になったのです。
ちょうど息子が二十歳の時で、良いタイミングとも思えたので入居を希望し、入ることが出来ました。

これまで色々と経験していた息子も、
いざ入居するとなった段では、内心不安もあった様ですが、少しずつ慣れていってもらうという事で、周りもサポートし、引っ越し(入居)のための買い物などにも、息子自らが一緒に行動し、主体的に選択する様にしていきました。
いざ入居生活がスタートすると、息子は意外と早く慣れていく事が出来たという事です。

さて、グループホームでの生活の経済的な面ですが、障害者年金が1級でグループホームの場合は特別障害者手当が支給されるため、合わせて月10万近くの収入があります。
それと、通所している生活介護施設の工賃として、月5,000〜8,000円もらっています。
ケアホームの各種利用料は、合計で月4万円前後という事で、通所施設の利用料は給食代3,000円ぐらいです。

最後に自立についてですが、井上さんはよくいろいろな人に、「うちの子は重度の障害があるから、自立なんて無理や」と言われます。
でも、そうではなくて、必ずその人に合った自立の仕方があると思います。
親以外の人から介助を受ける、子どもが自分の意志を表す事が出来る、そういう事が自立の基本だと思うし、親も、自分たちの周りに人の輪を作って、親の会などに加わり、行政を動かす力を持つ事が大切だと考えています。













☆☆入江まさ子さん★★
入江さんは、重度知的障害の、42歳の息子がいます。
言葉によるコミュニケーションは出来ません。
現在、豊中市内の一軒家を借りて、24時間ヘルパーが付いて自立生活をしています。
月に2〜3回、ガイドヘルパーを利用して実家に帰ってきます。

2人の息子がいずれも知的障害で、次男のほうは言葉もあり、長男に比べると軽度です。
次男は箕面市内で授産施設に通い、グループホームで生活していますが、ここでは特に自立を巡って色々大変だった、長男について話をします。

長男(以下、息子と称す)は、走り回ったりブランコでフルスイングをしたりするのが好きな、ヤンチャな少年時代を送りました。
中学3年生の頃、夜に一睡もせずに、家の中に在るありとあらゆる食べ物を、食べ続ける現象が見られる様になりました。
最初はその原因が分からず、両親はとにかく、『寝かそう』『食べさせないでおこう』と思っていろいろ策を練ったのですが、うまくいきませんでした。

後になって、学校で同級生からのイジメに遭っていた事が分かりました。
言葉が存在しない息子は、それ以外の手段で、親に対して必死に、今自分が置かれている状況を訴えたかったのだと思います。
卒業後、養護学校に入っても辛いことは続き、精神的に行き詰まった入江さんはある日、ドライブで箕面山に行った時、『このカーブを曲がらずにまっすぐ行けば、そのまま山から転落して死ねるかも知れない』と思ったそうです。
同乗していた次男に「死のうか?」と声を掛けた入江さん。
次男の「死にません」という一言を聞いて、自殺を思い留まりました。

入江まさ子さん

息子は1985(昭和60)年3月に中学を卒業したのですが、当時の親の会というのは、義務教育修了後の進路を考えるだけで精一杯でした。
そんな時代背景の中で、親の会はバザーを開いたり、そのための商品(作品)を作ったり、内職を請け負うなどして資金を集め、卒業後の行き場となる作業所を創りました。
そうして開設した『通所授産所よ〜い・ドン』に、息子も高校卒業後、通所する様になりました。

そのあとも、息子は安定剤や入眠剤の服用し、量も増え続けていきます。
親も年々しんどくなっていく中で、
作業所よ〜い・ドンも、自立に向けての勉強会を、定期的に行う様になりました。
やがて全体の中で、ある共通の思いが芽生えます。それは、
『実際に誰かが自立をしてみないと、話だけを続けていたって分からないよね』
という事。

かねてより家庭の中で、親子ともども追い込まれる状況に陥っていた
入江さんは、「自分の息子を自立させたい」と意思表示をします。
それに対して
作業所は、「全面的に支援する」と、支援を表明してくれました。
当時、息子は20代半ば、あまり年を取ってから環境を変えるより、順応性がある若い内の方がいい、と、自立に向けて動き始める様になりました。
よ〜い・ドンには、お世話になっている不動産屋が一件ありましたが、ある日、息子が暮らすのに丁度好さそうな物件を見付けてくれました。

1995(平成7)年9月、半ば見切り発車で自立生活がスタートしました。
丁度阪神大震災の年で、物件が不足していた中、家の契約をし、よ〜い・ドンのスタッフ始め、いろいろな未経験のボランティアに支えられて、息子の新生活が始まりました。
その後、生活保護と介護の費用が出ることになり、先立つものが後から追い付いつく格好になったのです。

未だ制度も無く、『障害者の自立=身体障害者に限る』という考え方が当然だったこの時代、のちに先駆的とも言われるようになる、【重度知的障害者の自立】を成し遂げた入江さん。
しかしある親から、「あなたは自分の子どもを捨てて、自分だけがいい思いをしている」と心ない言葉を投げ掛けられ、ショックと悔しさで落ち込みました。
その一方で、
「思い切って自立をさせたんだね(良かったね)」と、涙ながらに声を掛けてくれる親もいました。

最後に、「親は何でも解っていて、親がいないと子どもはどうしようもない」という気持ちが、子どもの成長を妨げてしまう場合もあります。
障害者でも、素晴らしい生きる力を持っていて、つたないながらも人とコミュニケーションを取る事で、他人と生活する能力が高まってくると思っています。

最初の内、とにかく大暴れに暴れていた息子は、今は別人の様に穏やかに暮らす様になりました。
言葉が無いので分かりませんが、息子は今の生活を受け入れていると思います。













☆☆グループワーク★★
後半は2つのグループに分かれて、将来我が子を自立させる上で、今何を語りたいか?そして聞きたいか?テーマを決めてグループディスカッションをしてもらいました。
その中で取り上げられた話を、以下に列挙します。

・ケアホームについて、制度が変わっていくので、どうなるのか不安。
・子どもの思いが、周りにうまく伝わらない。何をしてほしいのか上手く掴めないのは、コミュニケーションを考えると不安。
・子どもの調子が悪い時、良くしようと思っても逆にどんどん悪くなっていく事がある。
・ヘルパーに質によって、本人の楽しい時間も嫌な時間に変わってしまう場合がある。ヘルパーの対応力も気になる。
・家の借り方が、まだよく分からない。
・グループホーム(ケアホーム)に入るには、療育手帳がいるという事が初めて分かった。
・情報を得るためには親の会に入るなど、仲間とのつながりが必要だと再認識した。
・自立をするための生活費として、年金を活用出来、介護料は別途出るという事を初めて知った。
・通所施設の定員って、どこも一杯なのかな?増えるといいなと思う。
・親同士の団結力って、やっぱりすごく必要。

グループワークのようす


今回は、冒頭でも述べたように、初の試みとして、当事者本人ではなく、その親や家族を対象とした講演会を実施しました。
当初の予想より、参加者は正直、多いほうとは言えませんでしたが、それでも皆さんから、「参考になった」「思いを共有出来た」「グループワークの時間が足りなかった」といった感想を頂き、開催した目的は、それなりに果たせたのではないかと自負しています。

自立は一人では出来ません。
お二人からの講話を通じて、周囲からの協力がいかに大事か、そして子ども自身が色々な体験を重ねる事がいかに力になるか、身にしみて分かった様な気がします。

今後、またこういう講演会を開いて欲しいというニーズがありましたら、是非その声に応えたいと思いますので、皆さん、どんどんご意見・ご要望をお寄せ下さい。
井上さん、入江さん、そして参加者の皆さん、当日はお忙しい中、本当に有難うございました。



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