2006年11月11日(土)、曽根にある市民会館にて、シンポジウム「どこ行くん?豊中の福祉」が開催されました。
障害者自立支援法が施行されて1ヶ月あまり、不安視されていた、福祉サービス利用の断念がどんどん現実のものとなっている中、豊中でも、市民からさまざまな声が上がっています。
これから、市民はどうしていったらよいのか?そして改めて、地域に根ざした福祉サービスの在り方とはどうあるべきか?それらについて、パネラーの人たちも招いて考えてみようという思いから、開催されました。
主催は、『どこ行くん?豊中の福祉』実行委員会です。
パネラーとして招かれたのは、国障年副代表の入部香代子さん、関西学院大学教授の牧里毎治さん、障大連事務局長の古田朋也さんの3名です。
コーディネーターは、『そよ風のように街に出よう編集長』の、河野秀忠さんが務めました。
当日は、天候的には恵まれなかったのですが、たくさんの人が参加しました。
開会の司会を務めた、井上康さん 隣に立っているのは手話通訳の人です。 |
コーディネーターの河野さん(一番左)と、 パネラーの、左から古田さん、牧里さん、入部さん |
最初に入部香代子さんが講演し、
「障害者自らも、福祉サービスの受け手ではなく、作り手になろう、という思いを強く持っていた。」
「昔は自分の周囲でも、障害者の生活に関して全然知らない人、特に『障害者には介護が必要』ということを分からない人が多かった。」
「障害者であるが故に、差別用語が出されてきた事もあったが、今ではそのような事もなくなり、社会を見てみても、バリアフリー問題などに真剣に取り組むようになっている。」
と、述懐していました。
あまり天候がすぐれなかった中、それでも沢山の参加者がいました。 |
続いて、牧里毎治さんが講演し、障害者と地域社会との関わりについて、
「自立というものを、もっと広い視点から捉えたほうがいいのではないか?経済的自立、親からの自立というのはもちろん大事だが、最終的には、自己決定が一番大事なことで、障害者が自己決定できる社会にならなくてはならない。」
「障害者の持つ才能を、もっと開く社会にしていかないといけないと思う。」
「サービスを使って何をやっていきたいのかを、どんどん社会に訴えていってほしい。」
「障害者が自分のありのままの姿をどんどん見せて、自分の存在を訴えていって、そこから何か仕事を得る、というのが大事なのではないか。」
と述べていました。
同じ画像に見える2枚ですが、左は牧里さんの講演中、右は古田さんの講演中のようすです。 |
最後に講演した古田朋也さんは、開口一番
「ほんまに、何回東京と大阪と往復させたら気が済むねん。こんなことして、結局JR東海が儲かるだけと違うんかい?」
とまくし立て、館内を爆笑の渦に包みました。
これまで度々、制度を巡る学習会などで講演してきた古田さんは、今回も細かい資料を示しながら、
「20数年、運動を続けてきましたが、今まで積み上げてきたものが、ここにきて一気に崩されるような情勢になって、本当に憤りを感じています。」
「年金だけで、工賃も僅かな中で、『サービスを使うんやったらこんだけ払え。』グループホームでも、家賃とか食費とか全部払ってるのに、『さらに利用料を払え。』というような形で、応益負担が覆い被さっている。」
と、怒りを込めて訴えていました。そして、最も肝心な結論;
「自立支援法は、介護保険に入れてもらうがために、全て介護保険に合わせているものでしかない。1割負担も介護保険そのままで、障害者の所得の実態のことなんか、最初から何も考えられていない。」
の一言も、ハッキリ言っていました。そして、
「20年前に、国が『施設利用徴収』という法律を出そうとした。そのときに、施設から利用料を取るのは問題だ!と訴えて、結果、施設から利用料は取らないということを、国に認めさせたことがあった。また、親からの負担も取らない、ということも国に認めさせたのだが、今回、それらが一方的に反故された。」
と、今まであまり多くの人が知らなかったであろう、過去の歴史について言及していました。施設利用料徴収と世帯負担の問題が、過去にも一度論議されたことがあったのですね。
「国は、応益負担の影響を受けている人は、0.3%しかいないと言っているが、これには裏があって、ごく一部の自治体のデータだけをピックアップしているのと、『お金を取られるから』サービスの利用を止めると明確に言った人しか、カウントしていない。」
と暴露して、国側の口車に乗らないよう、呼びかけていました。
最後にコーディネーターの河野さんが、
「元気の出ない内容の話もあったけれど、それでも現実は直視しないといけない。」
と結んでいました。古田さんの、いつもながらの明快でパワフルな訴えを聞いて、それをまた力にしていければいいと思いました。
当日、パネラーとコーディネーターを務めたみなさん、そして司会や手話通訳を担当したみなさん、お疲れさまでした。