『目の不自由な人たちからのメッセージ』 〜白杖と盲導犬が語ります〜

− CIL豊中主催 市民講座を開催しました −


2012年7月1日(日)、2012年度第1回CIL豊中 市民講座を開催いたしました。
世の中でバリアフリーが叫ばれ始めてから約10年、この間、視覚障害者に配慮したバリアフリー設備も、徐々に増えてきていると思いますが、果たして当事者の視点としては、どの様に映り、どう受け止められているのか?
見える人と見えない人の視点は、常に合致していると言えるのか?
そして、視覚障害者の移動と安全を語る上で、重要な存在の一つとなっているのが盲導犬ですが、この盲導犬を育成する現場からの声というのはどんなものなのか?

今回は、視覚障害当事者で、『自立生活センターFlat・きた』の野々村智子(ののむらさとこ)さんと、盲導犬訓練に長年携わってこられた、日本ライトハウスの田原恒二(たはらつねじ)さんに、講師としてお越しいただきました。


野々村智子さん

「皆さん、視覚障害者と聞くと、どの様なイメージを持たれますか?」
会場に問い掛けるところから、野々村さんの講演は始まりました。
会場から返ってきた答えは、「社会で暮らしていく上で、やりにくい(当事者参加者)」「記憶力がものすごく優れているというイメージがあるので、その術を習いたい(晴眼者参加者)」「自分は中途の視覚障害者だが、見えていた時は、視覚障害は先天性のみだと思っていた」などでした。

視覚障害者は、厳密には、矯正視力(眼鏡を掛けている人は掛けた状態)0.3以下の人を指します。
その中で、全盲と弱視に分かれ、全盲の人はさらに、光だけは判る人と、全く判らない人に分かれます。
野々村さんは弱視(正確には求心性視野狭窄)で、部屋のイスの並び具合とか、参加者の服の色とか、人の座っている位置は判るという事です。
ただ、顔立ちまでは判らず、その微妙な見える∞見えない≠フ違いが、普通に見える人からはなかなか理解してもらえず、友達を失うなど、悲しい体験もしたそうです。
視野は、左目は全く見えず、右目が中心から40度ほどの範囲です。
他の弱視の人はそれぞれ違う見え方をしており、十人十色、そして全盲:弱視の比率は、大体3:7だという事でした。

さて、街中で視覚障害者と聞いてピンと来やすい、そしてバリアフリーの代表格と言えるものは、『点字表記』だと思いますが、当事者の全てが点字を読める訳ではなく、寧ろ識字率は低いほうとうのが実態です。
また、例えばバスターミナルに行くといろんな路線図が表示されていますが、白黒の濃淡でしか物が見えない色弱(色盲)の人がいて、その人にとっては、カラフルな路線図が一番のバリアになってしまうとの事でした。

色の濃淡と言えば、例えば白いご飯を白い茶碗に入れたり白いしゃもじで掬ったりすると、今どのぐらいの量があるのか大変判りづらいという事で、黒い茶碗や黒いしゃもじというのが作られています。
そして白い食材を調理する場合のための、黒いまな板もあります(片面が白色で片面が黒色)。

会場全景。今回はルシオーレホールを使用しました。 野々村智子さん


◆中途視覚障害者が感じる試練◇
人生の半ばで視力を失った人は、症状こそ先天性の人となんら変わりませんが、内面的な違いは相当なものがあります。
特に急な理由で視力を失った人は、つい最近まで普通に見えていて何でも出来ていたのが、突然視界が不自由な生活に変わり、「こんなにも不便なのか!」と愕然とすると共に、「もう自分はダメだ」と落ち込んでしまう人も少なくありません。
また、特に高齢になってから視覚障害になった人は、なかなか点字を習得出来ません。
点字は読めない、だけど墨字も読むのは難しいという人のために、録音ボランティアというのがいます(日本ライトハウス盲人情報文化センターなどに)。
そして、例えば録音してもらったもの(例えば本など)を再生するための機械として、プレクストークという物があります。

◆日常生活用具給付事業の壁◇
各自治体では、日常生活用具給付事業というのがあり、あらかじめ給付の対象が決められています。
視覚障害者が使う音声時計とか弱視用眼鏡は給付の対象になっているのですが、一方で『身体障害者手帳1・2級の者が対象』という決まりがあります
野々村さんは手帳は3級なので対象とはならず、本当は必要な物は全て自費で購入しています。
あまり対象を限定しないで、柔軟に給付してほしい」行政に対する正直な思いです。

◆白杖で移動するときに・・・・・◇
野々村さんは白杖を利用して生活していますが、誰にも気兼ねなく、一人で外出が出来るというメリットは感じています。
ただ、危険が伴う事もあり、例えば、危ないところに来たからといって、白杖が急に動かなくなる分けではありません(笑)。
ましてや、道を教えてくれる分けでもないので、迷ったり、どこかから転落したり、といった体験もする場合はあります。


★★★視覚障害者にとっての情報って?そして一言メッセージ☆☆☆
見える人にとっての情報というのは、当然ながら視覚がある事が前提の情報となります。
だけど視覚障害者にとっては、
今、この場所がどういう状況で、物の配列がどうで、人の立っている向きがどっちでというのが情報となります
例えば結婚式に行って、今参列者はどちら方向を向いているのか、一人だけ逆方向を向いているのは恥ずかしいし、そういった事を間違い無く知れるのが、“情報”という事になります。
あと、よく道などを歩いていて、「危ない!」と言われる事があります。
でも、正直その一言だけでは、自分がどっちに行ったら危なくて、どうすれば危なくなくなるのか判らず、戸惑ってしまう事があります。
「もしかして、私が危ない人なんかな?」とか(笑&冗)。

今後、社会のバリアフリー化は進んでいくとは思いますが、ハード面だけでなく、いざとなったら人による対応が可能な環境である事、一口に視覚障害と言っても、その見え方には人の数だけ違いがあるのだという事、見た目の印象だけで決め付けたり、一面的な物差しから勝手に決め込んでしまわない事、何よりも当事者の言葉に耳を傾けること、これが、本当の意味でのバリアフリー社会ではないかと思います。


田原恒二さん

「今日は皆さんにデモンストレーションをしようと、ボルトという盲導犬(デモ犬)を連れてきています。」
と、先ずは同伴していた盲導犬の紹介から始まりました。
既に多くの参加者やスタッフの目に触れており、終日大人気だったボルトちゃんでした(笑)。

さて、田原さんは先ず、日本ライトハウスの成り立ちから説明しました。
元々日本ライトハウスは、創立者の人が、自らが視覚障害者だった事から、見えない人のための教科書を作ろうと思い、自宅を利用して制作活動を始めたのが、日本ライトハウスの原点でした。
そして、教科書を皮切りとして、もっと視覚障害者を総合的に社会に送り出そうとする活動を始め、白杖での歩行訓練、中途視覚障害者のための生活訓練、さらには就業訓練へと広がっていきました。
その過程で、職場へ通うための移動を支援する手段として、白杖のほか、盲導犬の訓練を行う様になりました。
従って、最初から盲導犬の訓練をしていたのではなかったわけです。

田原さんは、1970年頃に盲導犬訓練所がスタートした頃から活動しているのですが、最初は視覚障害者の気持ちは全く解っていませんでした。
ただただ、犬とかかわる仕事をしたかったというだけで(笑)。
でも、実は子どもの頃の田原さんは、犬には近付けなかったのです。
中学生まで犬を触れた事がありませんでしたが、お兄さんが飼った犬をしつける様に、お兄さんから言われまして、初めて犬と接している内に、気が付いたら訓練士になりたいと思っていました。
なかなか面白い経緯です(笑)。

◆丸っきり、見える人の目線だった◇
先程も少し触れましたが、この仕事をやり始めた当初は、盲導犬や視覚障害当事者の気持ちを全く理解しておらず、完全に『見える自分としての、見える目線で』訓練をしたり、ものを伝えようとしたりしていました。
そのため、どんなに頑張って説明などをしても上手くいかず、その上さらに間違えた方向に頑張り過ぎて空回りを繰り返したため、身体も壊したほどでした。
ある時、歩行訓練で一緒に行動していた視覚障害者から、「田原さんは説明をし過ぎるからうるさい。私の質問にだけ答えるようにして」と言われました。
それでも最初は言われた事と逆の行動に出てしまいましたが、やがてコミュニケーションのピントが合ってくるにつれ、いかに自分だけを中心にして人にものを言ってきたかという事に、非常に遅ればせながら気付いてきました。

犬の訓練士になるからには、やはり犬好きである事は必要だとは思います。
それでも、犬ばかり見ていてはいけません(笑)。
実際に犬を使うのは視覚障害者で、当事者の意志が反映される分けですから、当事者に、『自分は犬を使うんだ』という心構えをもってもらう事が大切です。

田原恒二さん スペシャルゲスト(笑)、ボルトちゃん。カメラ目線?(^^)


◆悩みは盲導犬の不足、理由は大きく2つ◇
現在、日本ライトハウスでは年間20頭の盲導犬を作っていますが、このペースを維持するのが精一杯だという事です。
今、全国では10ヶ所の盲導犬訓練所がありますが(内3ヶ所が関西)、年間に作られる頭数は合わせて120頭ほどで、盲導犬使用を希望している人数4,700人と比較して、あまりにも少ない頭数しか作られません。
その最大の理由は、訓練するスタッフの慢性的な不足です。
もう一つは、テストの結果盲導犬になれる、“合格率”の低さです。
産まれてきた犬(盲導犬候補)の内、最終的に盲導犬にまでなれるのは、大体3割〜4割ぐらいです。
生後1年になるまでは一般家庭(パピーウォーカーといいます)に預けられ、成犬にるとテストを受けるのですが、その内容は、『音に驚かないかどうか』、『環境に順応出来るかどうか』です。
テスト期間は大体1週間ですが、訓練士は犬に対して、『無い力を与える』ことは出来ません。
飽くまでも、『元々その犬が持っている力を引き出す』のが仕事となります


最初のテストに合格した犬は、その後6ヶ月間の訓練に入り、その期間中にも次のテストがあります。
その内容は、アイマスクをしたボランティア(訓練士と違う人)と一緒に、公道を歩いたり電車に乗ったりするというものですが、その中で、例えばエスカレーターにうまく乗れないとか、どうしても克服出来ない苦手があると、落第となるのです。

全てをクリアして盲導犬として働き始めた後は、定期的にユーザー(視覚障害者)からレポートを送ってもらい、何か問題が無いか報告をしてもらう様にしています。

◆今後への課題は?◇
盲導犬のユーザーは、ガイドヘルパーの利用が出来ないと断られてしまうケースが多々あります。
断る理由としては、「盲導犬がいるのだから、いいじゃない」との事。
だけど、犬は目的地まで誘導する事は出来ても、そこで例えば
書類に記入したり、書類について質問したり、という事は出来ません
人間の目がどうしても必要という場面はあるのです。

もう一つは、ユーザーの高齢化問題があります。
何十年も盲導犬を使ってきた人が、いきなり使わない生活になるのは大変難しい事であり、健康維持のためにも使う方がいいと思うので、高齢化への対応をいろいろと検討しています。


★★★盲導犬って、こんな力があるんですよ!☆☆☆
田原さんは言いました。
「自分がこの仕事を長く続けて来れたのは、ユーザーのほうが犬とのコミュニケーションが上手かったからです。
自分が犬の歩行訓練をした時には、どうしても犬に対して力を加えてしまっていて、その犬が何を感じているのか掴めていませんでした。
人間は常に反復練習をしないと、個々のケースに対応したやり方を忘れてしまいますが、犬は1秒で思い出す力があるのです
一般には、盲導犬はペットの犬よりもストレスや疲労が大きく、短命であると思われていますが、実は寧ろ長生きするんですよ。
何故かというと、ユーザーが犬の健康にものすごく気を遣って、常に犬のためにベストの食事を与えているからです。
そのため引退した時、健康診断をしたら、胃腸が本当にきれいなんです。」
犬の持っている素晴らしい魅力と能力を引き出す、その上でユーザーも穏やかな気持ちで犬と接する様にする、これが、盲導犬育成の基本なのですね。


このあと行われた質疑応答では、
「ある視覚障害者から、通勤や通学では障害者の制度を利用出来ないと聞いた。もし急に中途失明になった場合、その人はどうやって通勤・通学をしたら良いのか?」
「一般の人に対して、盲導犬に関してこういうルールがあるから知って欲しいとか、こういう事にもっと世間は興味をもってほしいとか、いうことはあるか?」
といった質問が出されました。
これに対して、
「日本では、一部の例外を除き、視覚障害1級だけが、盲導犬取得が認められる対象になっている。外国ではその様な制限は無いところが多いので、日本ももっと制度が変わって欲しい。」
「原則、通勤・通学には制度は使えないが、過去にある盲導犬ユーザーの勤務先が変わったところ、新しい勤務先の道を覚えるまでの一定期間、制度の利用が認められたという事例がある。だから、条件付きとはいえ、制度を使える場面もあるので、最初から全部ダメだと諦めないでほしい」
との回答がなされました。

質疑応答での講師のお二人 思わず夢中で撮ってしまったボルトちゃんの写真をもう一枚(笑)


今回は、あいにくの悪天候に見舞われてしまいましたが、それでも約35名の方が参加して下さり、視覚障害当事者の方からも高い関心が寄せられたと思います。
講座修了後には、参加者とデモ犬のボルトちゃんとの触れ合いの場面も、暫し見られました。
講師のお二人と参加者の皆さん、それに今講座のアイドル(?!)、ボルトちゃん、本当に有難うございました。



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