相談支援専門員としての障害者差別解消法の理解

〜よき権利擁護者であるために〜


2016年3月16日(水)、13:00〜15:30まで、基幹相談支援センター主催による相談支援専門員に向けた上記研修会が、障害福祉センターひまわりにて行われました。
講師を務められたのは、東俊裕法律事務所弁護士、東俊裕(ひがし としひろ)さんです。
以下、研修会の内容です。













★障害者差別解消法は具体化する法律

2016年4月1日より、障害者差別解消法が施行されています。

そしてもう一つ、障害者に対する差別禁止法として忘れてはならないのが、改正障害者雇用促進法です。
これは差別解消法と同じような枠組みですが、むしろ差別解消法よりも効力が強いといえます。
差別を禁止する文言は障害者基本法にも基本原則として書かれています。
しかしこれでは理念としか受け止められず、具体的な事案を解決する根拠となる法律としては認められません。
そこで差別解消法は「具体化する」という意味で重要といえます。
裁判所が差別と判断する根拠となる法律となるわけです。

★定義規定

この法律の定義規定に何が差別となるのかは書かれておらず、これではあまり実効性を持ちません。
では、どうするのかと言えば、政府が基本方針を作り、その中で何が差別にあたるのか基本的な考え方を示します。
差別の類型として「不当な差別的取り扱い」「合理的配慮の不提供」があげられています。
この二つが差別解消法上の差別となります。
「不当な差別的取り扱い」は、行政機関、民間事業者ともに「してはならない」となります。
「合理的配慮の不提供」に関しては、行政機関は「提供しなければならない」となり、民間事業者は「提供するよう努めなさい」と努力義務に止められています。
これは、本来は民間事業者も合理的配慮を義務づけるべきですが、そもそも合理的配慮について国民の理解が進んでいない現在、いきなり義務化とするのは混乱を招きかねないという考えから、まずは努力義務とすることになりました。

★「不当な差別的取り扱い」とは

障害者に対する差別の国際的な類型は3つあります。

この中で障害者差別解消法の「不当な差別的取り扱い」ではどこまで含まれるのか。国会での回答では、直接差別を中心的に念頭におくと言っていますが、間接差別、関連差別については事例の集積を待って解釈するというような表現になっています。
しかし、これらはどちらも「不当な差別的取り扱い」として考えていいと思います。

★「合理的配慮」とは

合理的配慮は障害者権利条約に規定があります。
簡単に説明すれば、その人が困っている社会的障壁を除去する手段となります。合理的配慮という言葉に特別な意味があるわけではなく、何に困っているのか、その事をどうすれば解消できるのか、それを考えればその中身が合理的配慮です。

★上乗せ条例

千葉県条例では「合理的配慮の不提供」について、行政機関、民間事業者ともに「提供しなければならない」となっています。
つまり差別解消法よりも強い内容です。通常、条例は法律に違反することはできません。しかし、この法律では条例の上乗せを可能にしています。初めてできた差別解消法の弱い部分を地域の条例により埋めていき、実効化していこうというわけです。

★社会モデルの考え方

WHOは1980年の国際障害分類で障害の状況を分析できるツールだと高く評価されましたが、障害者団体からは強く反発されました。このモデルでは疾患から生じる機能障害によって、能力障害となり社会的不利を受けるという説明です。
例えば階段がある建物で上の階に上れないのは疾患による能力障害があるからだということです(医学モデル)。しかし、そもそも健常者だって垂直移動能力はありません。だからこそ社会は建物を作るとき、階段を作るわけです。
つまり健常者が困ることに対しては必ず利用できるような仕組みを提供してきました。ところが、障害者に対しては、障害者が使えないものを作り、これが使えないは障害者が悪いと言っているのです。
こういった便利な仕組み、社会を作るときに、そもそも障害者の存在を想定していません
障害者団体は、そういう社会の在りよう自体が障害者を無力な存在にしているといったのです。
『社会の在りようによって障害者がどういう生活を強いられるかが決まる』という要素が、国際障害分類のモデルには含まれていないことを批判しました。そこから派生した主張が、学者も含めた議論の中で「社会モデル」と呼ばれるものになっていきました。
これを受け、WHOは2001年、「ICF(国際生活機能分類)」に環境要因を入れる形で社会との相互作用を書き入れました。

「ICF」の関係者は、「ICFは全ての共通言語である」といいます。つまりどんな分野に当てはめてもこれで考えられるというのです。
しかし、「ICF」の目的は個人・障害の分析であって、社会そのものの分析ではありません。
人権問題として考えるならば、これは個人の問題ではなく、社会との関係の問題です
社会を分析しなければ人権が保障されているかはわかりません。だからこそ障害者権利条約では、「社会モデル」の考え方を据えました。


ここで、東さんは例題をあげ、人権問題の考え方を参加者に問いました。

≪例題≫
とある田舎の学校の近くにある信号機前で白杖を持つ全盲の方が雨風のせいで車の音の聞き取りができず、ずっと立っていました。しかし、その学校の生徒達は全盲の方に声をかけずに横断歩道を渡っていきました。それを見ていた先生は後日、その生徒達を集めて視覚障害の特性、信号の切り替わりが見えないことや白杖の説明、思いやりの心などを指導しました。これは生徒達の原体験となり、良い教育といえるが、この教育は人権教育といえるのでしょうか。


信号機というのは健常者にとっては何の苦も無く使える命の安全を守る社会的システムです。しかし、こうした社会的システムを視覚障害の人は利用できないという社会的不利を負っています。
先生はこの指導で社会的不利の原因を「信号の切り替わりを判断する視覚能力が無いからだ」と言っています。これは丸きり医学モデルの考え方です。
なぜ信号機というものが存在するのか。それは、発展する車社会を容認する反面、それによって発生する危険を減らす、国民の命と憲法を守るための国の義務です。生命の権利というのは最高の権利です。だから、この人権が侵されないように国としては交通政策で、命の安全を守ることを行っています。
そこで、視覚障害者の扱いはどうなっているのかを考えます。

健常者は子供でも車が向かってきているか目で見て判断ができます。そういった自己防衛能力を持っている人のためにさらに安全を確保するため、全国に交通信号機を広げています。
かたや、視覚障害者のことは後から把握し、音の出る信号機を作りますが、全国に広げる予算がないので、都会から広げていくことをやっています。つまり、田舎までは広がっていないと言うことです。

命の平等という観点で言えば、健常者に対しては必ず行い、視覚障害者に対しては予算があれば考えましょうというこういった不平等な扱いの結果として、例題で言えば全盲の方は信号機の前でずっと立ち止まっていたのではないでしょうか。それこそが全盲の方がずっと立たざるを得なかった社会的不利の原因なのです。
学校の先生はこの社会の問題に一切触れず、個人の問題に焦点を当てて説明しています。学生達にとって忘れられない思い出となるだろうけれど、同時に障害者の存在は「能力的に差がある人間」というイメージが固定化されていきます。

社会的不利の原因を考えるとき、医学モデルと社会モデルでは見えてくる世界は大きく違ってきます。
人権の保証は、福祉サービスで解決するものではありません。例題の場合は信号機自体を変えないといけません。こういう政策の遅れからくる社会的障壁を除去する大きな手段として合理的配慮があります。
差別解消法で行政は合理的配慮を「提供しなければならない」となりますから、要求していかなくてはなりません。それこそが人権擁護の立場として活動した事といえます。設置することが難しいのであれば、警察官に信号機の代わりをやってもらう。それがこの場合の合理的配慮になります。

人権の問題や合理的配慮を考える過程で、『福祉サービスの枠組みありき』という発想も、変わらなくてはならないでしょう。そうして視野が広がる方向へ導いたことが、日本で差別解消法と障害者雇用促進法が出来た意味だと考えてください。


さいごに・・・・・。
東さんのお話はとてもわかりやすく、これまで人権の問題を難しく捉えすぎていたかも知れないと、思い改めることができました。
差別解消法の施行を機に、もっと『社会モデルの考え方』が日本に浸透していくことを望みます。



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