KSKS NPO法人CIL豊中通信Vol.66 2025年7月号
編集人 NPO法人CIL豊中
豊中市蛍池中町2の3の1の203
H P: http://www.ciltoyonaka.com/
Twitter: @ciltoyonaka
Email: ziritsu@ciltoyonaka.com
TEL 06(6857)3601
FAX 06(6857)3602
発行人 関西障害者定期刊行物協会
大阪市天王寺区真田山町2の2
特集:さあ!さあ!夏です!みんなで一緒に楽しんじゃおうよー!!
猛暑の7月に発行ということで、今回の特集は一番解りやすい「海」としました。あ、海が嫌いな方、ごめんなさいね。でも今回の特集発信の狙いの一つは、「出来ないと思い込んでいたことが出来たら、人はきっと変化する」ということを感じて頂くことだと思っています。海は飽くまでも一例として受け止めて下さい。なお、今回は運営団体の取材のみですが、後日、取材担当者が実際に海水浴を体験する予定です。その報告は次号にて。乞うご期待♪。
♪♪それは、海、海、海~♪♪ 【須磨ユニバーサルビーチプロジェクト】 夏号の特集は、海、海水浴です。皆さんの中で、今までに海水浴に行かれた事がある方はいますか?ちょっと、そこのあなた、自分は車いすだから無理だよなと、頭からあきらめていませんか?そういう私も二足歩行ができていた若い頃は、行きたいと思えば、いとも簡単に行けていましたけど、完全なる車いす生活の今の私は、遠くの海をながめているだけでした。今の世の中、何もあきらめることはありません。私達だって海水浴を、友達や家族と一緒に楽しめますよ。私は目から鱗でしたけど、読者の皆さんの中には、知っていた方もおられるかもしれないですね。全国規模で海水浴場のユニバーサルデザインを目指して取り組んでおられる、「NPO法人須磨ユニバーサルビーチプロジェクト」を、このたび取材させていただきました。対応して下さったのは、事務局長の土原翔吾さんと、代表理事の木戸俊介さんです。
お二人の出会いは、やがて大きーい出会いの輪となって、ユニバーサルビーチ!
「みんなのできないをできた!に変える」を合言葉に、障害のある方や,小さいお子さんから高齢者までみんなで楽しめるユニバーサルビーチを全国に普及させる活動をされています。立ち上げは2016年で、きっかけは木戸さん自身さんが交通事故に遭って、車いす生活になられたことでした。事故後、故郷である神戸に戻って「これから何をしようか?」というときに、リハビリのために訪れたオーストラリアで、ゴールドコーストという海岸の砂浜にビーチマットが敷かれてあり、その上を水陸両用車いすが行き来して、老若男女様々な人たちが海を楽しむ光景を見て、「あー、これだ!これを日本でも是非やりたい!まずは地元神戸の須磨海岸で始めよう」と思ったのだそうです。
ちょうど神戸の街も、大きく変わっていこうとしていた時でした。木戸さんは、行政が主催した、「どういう神戸に変わったら嬉しいか?」、市民の声やメッセージを聴くための会に参加したのですが、そこで土原さんと偶然出会いました。当時、学校教員だった土原さんはこの出会いを機に、「地域でこのような活動をしてもいいかな」と思うようになったということです。そして、木戸さんや、地元神戸にゆかりのある人たちが発起人となって団体を立ち上げ、そのタイミングで土原さんも関わるようになりました。
最初は何もなかった!
普通の車いすに乗ったままビーチで動くことは不可能で、車いすで海に遊びに行きたいなんて思えないのが当たり前だから、最初はビーチに車いすの姿は、全く見られませんでした。団体にとっても、資金もないし、ビーチマットも水陸両用車いすもない、なにもないところからのスタートでした。障害者、海の家の店主、ライフセーバー、行政マン、サラリーマン、看護師、デザイナー、記者など、立場の違う有志の仲間たちが、いろいろとアイデアを持ち寄りました。とにかく何でもやってみようと、自分たちでビーチマットを作ってみては、その検証会をやっていたそうです。でも、そのどれも安全性に問題があり、断念。クラウドファンディンクに挑戦し、お金を集めてアメリカ製のビーチマット(113万円)を購入しました。そして寄付金で水陸両用アウトドア車いすヒッポキャンプ(フランス製)を購入、最初は、ご自身たちで更衣のためのテントを張ったり、漁師さんが、水を温めておけばシャワーになるというタンクを持ってきてくれたりして、何でも自前のものでされていたそうです。今は神戸市が仮設の建物を建ててくれているそうです。いろいろな人たちが無理なく助け合うからこそ、ユニバーサルビーチは持続できるということです。
強みのビーチマットをもって、人と人との輪ができる!
今やひと夏に、障害者の方と一緒に、友達、家族の方、ヘルパーさんなど付き添いの方も入れると、平均で年間450人~500人が須磨海岸に遊びに来るそうです。海岸に車いすがないなんて嘘みたい!みんなバリアがあったから来られなかっただけなのです。
ボランティアとしてかかわる人も増えています。例えばビーチマットは重くて手間がかかり、だからこそビーチに敷くには多くの人の力が必要です。非常にありがたいことに、ボランティアの人が知り合いや友達を連れてきてくれて一緒に手伝ったり、参加者と共に海にも入ってくれるそうです。運営する側としては、人、コミュニティを大切にして、「いかに楽しく過ごせるか」に注力しているということです。
このように、人が人を呼び、口コミやネットで評判か広がり、この7~8年で200件の雑誌やテレヒなどのマスコミ取材も来て、認知度はどんどん高まりました。人の輪が拡大していく一方、海の環境保全と多様性ダイバーシティを兼ね備え、地に足をつけて活動していることで、多くの地元企業や自治体からの応援・協賛を得ているそうです。
「海は初めて!」や「久しぶりなの!」の人でも大丈夫!
神戸市が夏の期間だけ建ててくれる更衣室は、仮設の建物ですが、バリアフリーで、多目的トイレや、赤ちゃんのおむつ交換のためのスペースやシャワーを完備されているそうです。飲食スペースも完全にとは言えないけどバリアフリーになっています。海を楽しむことは海水浴だけではなくて、砂浜を歩いて潮風を感じることも、海の景色の中でかき氷を食べることも、また楽しみですからね。
安全なサポートで海を楽しんでもらうために、事前に念入りにアンケートをとられているようです。身体のこと、障害のこと(例えばてんかん発作の有無、気管切開の有無、体感保持力や座位保持や意思疎通のための表現方法など)を、細かく本人(または家族)に聞いた上で、海に入ってもらうようにしています。いろいろなボランティアスタッフや作業療法士・理学療法士、その他いろいろなスペシャリティー(強み)をもつボランティアスタッフに協力してもらっています。即ち、アクションに挙げている「みんなでつくるユニバーサルビーチ」の「みんな」とは大勢のこと、いろいろな個性やスペシャリティー、強みを持っている方々が関わることで、それぞれの強みをいかしながら、みんなで海を楽しんでもらいます。ただ、無理やり入れることはないです。波打ち際まで行って帰ってくる人もいます。海水浴や夏の海に少しでも関心があれば、波打ち際で遊ぶのも、また楽しいかもしれないですね。
こんなエピソードを聞きました。一人のおじいさんが参加して、波打ち際までしか行かない予定だったのですが、みんなが入ってるのを見たら、「ワシも入りたい!何で俺を入れてくれへんねん!」と怒り出したとか。みんなが楽しそうに入っていたら、そういう気持ちにもなってくるのでしょうね。
駐車料金などの実費はもちろん別ですが、ユニバーサルビーチへの参加は無料です。
チャレンジと多様性を心がけたい!
一度体験してみないと、個人的には水に浮く車いすがあるなんて正直信じられないですけど、「水陸両用車いすヒッポキャンプ」という名の車いすは、海水浴だけではなく、木登りや山登りをも可能にしてくれるそうです。海から山へ、アクティビティーの範囲がどんどん広がってきますね。乗馬の体験コーナーもあるということで、去年は99歳のおばあちゃんが、乗馬を体験しました!
海に入ること自体は些細なことかも知れませんが、海で楽しめたら、今度は山にも行ってみたくなりませんか。一つのチャレンジが次のチャレンジを生み、そこで付いた自信はその人の自己肯定感となって、もう一つ大きなチャレンジへとつながっていきます。そんな場面を垣間見れたことが、9年間活動してきて一番良かったことです。立ち上げ当初は、まさかこんなにボランティアが集まってくれるとは思っていなかったし、参加者も増え続けていて、毎年4月ごろに決まって申し込んでくる「固定客」もいるようです。
参加を通じて本人が変わったのを見て、親御さんが泣いて喜んだということもあったし、最初は参加者だったのが、途中から運営側に関わってくれるようになった人もいます。また、この活動のボランティアを体験したところ、そもそも多様性を認め合うコミュニティなので受け入れてもらえて、自分の居場所を見付ける結果になった方もいます。その人は学校生活もなかなか難しい感じだったのですが、自分の役割を見付けて、学校に行けるようになったということです。
「最初は躊躇したり勇気が必要でも、ここに来たら、受け入れてくれる人や、挑戦を一緒にしてくれる人がいるから、一度来てみてください」と土原さんは伝えていました。
そして全国の海へのチャレンジです
全国各自治体や地元企業から、「ぜひうちの地域でも」という要望や「講習会をしてほしい」という依頼がよく来るようになり、これまでに31都道府県56か所で、イベントを開催したそうです。その結果、現在までにきょうだいプロジェクトが全国に二十箇所誕生し、各地で一緒に協力してユニバーサルビーチをする人がいるところまできました。その上で、今後も全国の色々なビーチを、いかに持続可能にしていくかというのが、課題です。この活動をしていると、神戸の土地柄を感じることがあるそうで、やはり神戸は歴史的にも、日本の開国以降最初に開港した五都市の一つであり、外国人居留地があったり華僑の人も住むなど、多様な人や文化を受け入れやすい土壌が、できていたと思います。さらに阪神大震災によって、地域で何か活動をすれば、企業や行政が応援してくれる、ボランティアの土壌というのが育まれた印象です。それが、全国どこでも同じという訳ではありませんが、47都道府県に兄弟プロジェクト設立を目指して頑張っています。今、奈良や岡山からも、2~3時間かけて須磨まで来る人もいるので、もっと近場で体験できる拠点があればという思いがあります。
夢は、神戸の街をアドベンチャーワールドにしていきたい!
今の夢は、神戸の街を障害者・高齢者・子ども、みんなが楽しめる、アドベンチャーワールドにしていくことです。神戸は全国でも珍しいぐらいの、平野が小さい街で、こんなに平野が小さくて150万人の都市はありません。つまり、海と山が互いに近い距離に存在しているということで、「海に行ったら山にも行ける、時間を掛けずして海にも山にも行ける、日本で一番楽しい街って神戸」ということになるのです。
海や山があるからおいしいものもあるし、多様な人たちや文化を受け入れて、異国情緒たっぷりの暖かい街、神戸ですね。
今の私は海水浴なんて冗談でしかなかったのですが、何故か須磨に海水浴に行きます!!日本製はまだ無いみたいなのですが、今度水陸両用車いすに乗るのが楽しみです。車いすで浮かびながら、何を思うのでしょうか。
取材ご協力ありがとうございました。
※ボランティアが集まりやすいという理由から、水陸両用車いすやビーチマットを利用される方については、営業日が土曜・日曜・祝日のみとなります。ご理解・ご注意をお願いします。
(担当:塚原)
須磨ユニバーサルビーチプロジェクト
問合せ:080-3782-4405
Eメール:sumauniversalbeach@gmail.com
写真5点掲載
①ユニバーサルビーチプロジェクト事務所外観、②③土原さんと木戸さん、④⑤須磨ビーチにて塚原さん
2024年度市民講座報告
2025年3月16日(日)、豊中市中央公民館にて、当法人主催の市民講座を開催しました。テーマは精神障害です。「8050問題(80歳代になった親が、50歳代になった精神当事者の我が子を介護する)」というのがありますが、この背景には精神障害に対する世間のネガティブなイメージや無理解があります。そんな実情を受け、当事者と支援者の生の声を聴く機会を企画しました。講師は大阪精神障害者連絡会(ぼちぼちクラブ)の山本深雪さんと、社会福祉法人北斗会さわ病院の中島憲行さんに務めて頂きました。
山本さんによる講演「当事者の視点から」
現在72歳の山本さんは、18歳頃から精神的な困難を感じ始めました。元々漠然と、日本社会のいわゆる「右へ倣え」みたいなやり方には馴染めないと感じていました。23歳の時、踏切での列車事故により入院しましたが、その療養生活の中で「のんびりする時間の流れ」を体感できた一方、措置入院扱いだったため、怪我が治ってくると即退院するよう、主治医から勧められました。その後は大阪で、3軒長屋での共同生活をしていましたが、ある日町内会から「火の後始末の不安」を理由に突然退去を求められました。「ガスの元栓確認は必ずしている」と反論しましたが聞き入れられず、「何故急に?」と疑問を投げたところ、「最近不審火があったから」。発生時刻からしても、自分たちが犯人というのは有り得ないと訴えましたが、「もう自治会で決定したことだ」の一点張りだったといいます。仕方なく引っ越しをした後は、「足が宙に浮いたような気分」でした。生活のため仕事を探しますが、差別も経験した当事者として、「自分を守ってくれるものは法律だ」という思いがあり、法律事務所の事務員の仕事に就きました。やがて電話相談の仕事も経験しますが、それが切っ掛けで、のちに大和川病院事件に関わっていくことになります。大和病院事件とは93年に入院患者が何人か亡くなり、その身体から明らかに虐待の痕が見られたというものです。一歩一歩真相究明に近付くべく、退院した元患者からの聴き取りも行い、やがてはマスコミにも知られるところとなって、元患者の遺族による提訴にまで発展しました。このような、継続的な取り組みの結果として、障害者差別解消法などの法律も整備されていったと、山本さんは感じています。
中島さんによる講演「支援者の立場から」
中島さんは45歳、さわ病院で20年近く勤務していますが、元々は全く畑違いで、システムエンジニアだったそうです。その後偶然、「精神保健福祉士に転職した人の話」を聞き、自分も資格を取ってみようと思ったところから、現在の中島さんがスタートしました。支援することを「アートかデザインか?」で表現し、「アートは自分が創ったものを人に認めてもらうものだが、デザインは相手のニーズを聴いて、それに沿ったものを創っていくこと。支援はデザイナーでありたい」と語りました。精神障害者への偏見が生まれる背景について中島さんは、メディアの影響、正しい知識の不足、過去に当事者と絡んだ中での否定的な経験などを挙げました。偏見を無くすためには、交流を深める、しっかりした(ゴシップではない)情報を掴むなどが大事だと述べました。精神科医療については、「閉鎖的で怖い場所」という偏見に対し、面会や外出は基本的に可能で、退院支援は病院の責任で行われている普通の医療であると伝えていました。家族への支援に対しては「家族は支援者ではなく飽くまで家族」、「家族自身も自分の人生の主役」と提言していました。当事者本人に対し、飽くまでも本人が自分で決めて行動していけるようにする自立支援を、最も基本にして支援をしているということでした。
パネルディスカッション
山本さんからは大阪府の入院者訪問支援事業の予算制約による課題を、中島さんからは病院スタッフが地域に出向いてケアを提供する理想的な体制について発言がありました。山本さんは「当事者の声に耳を傾け、具体的な配慮を積み重ねることで、状況は改善できる」。中島さんは「メンタルヘルスの課題は社会で発生するものだから、社会で考え、解決するのが当然」。
講師のお二人、参加者の皆さん、有難うございました。
(担当:大岩)
講師の山本深雪さんと中島憲行さんの写真を1枚ずつ掲載
2024年度ILP講座報告
2025年2月22日(土)、当センター主催の自立生活プログラム講座を開催しました。今年度は一日完結型で、テーマは「自立だョ!全員集合」。4名の受講生が参加し、自立生活について楽しく学びました。
他己紹介
講座は「他己紹介」から始まりました。受講生が、先ずはペアになって自己紹介を行い、その後全体に対して他己(相手)を紹介する形式です。これで緊張を和らげつつ交流を深め、「自由に恋愛したい」「自分で稼いで生活したい」など、自立の理由や夢を語り合って共感を得ていました。
先輩の話
当センター職員の瀧本による講義では、自立に向けた取り組みや家探しの苦労、家具・家電のレンタル活用法などが紹介され、参加者は真剣に聞き入っていました。恋愛に関する体験談も共有され、参加者からは生活のリアルな質問が飛び交いました。
座学(人権、制度について)
座学では、障害福祉制度を「自分の生活を形づくる権利」として学びました。介護サービスや就労支援についての解説があり、参加者は制度を選んで使う意識を持ち始めていました。
デートプランゲーム
午後は参加型ゲームを通じて、他者との関係づくりを学びました。「デートプランゲーム」では、条件に応じた理想のデートプランを考え、互いのプランの良い点を称え合いました。
もしものとき対応ゲーム 「もしものとき対応ゲーム」では、生活上のリスク対応を話し合いました。多様な意見が交わされ、異なる考え方を尊重する空気が生まれました。
振り返りとまとめ
最後の振り返りでは、「具体的な方法がわかって参考になった」「楽しかった」との感想が多く、参加者は笑顔で満ちていました。今回の講座は、知識と実践をバランス良く学べる場として成功しました。今後も楽しみながら自立生活を考える機会を提供していきたいです。
(担当:大岩)
受講生の集合写真を2枚掲載
バレンタインチョコを作ってみよう‼イベント
クッキングに挑戦したいという利用者のリクエストにお応えして、2月8日(土)にプチILP講座として、20代から30代の利用者3名とスタッフ2名で、手作りチョコレートにチャレンジしました。
当センター事務所内の調理家電を使って(火は使わない)自分でも作ってみようと思える簡単レシピを考え、手順書を作ったり 備品を揃えたり準備を進めました。
当日、自己紹介の後、早速市販の板チョコを細かく刻んでいく作業を一人ずつ挑戦。「家では包丁使用は禁止されているのでドキドキする」と言っていた参加者も刻み終わる頃には「やった!出来た‼」と良い顔になっていました。刻んだチョコを、ポットのお湯を入れたボールの中で湯せんして溶かしていきます。これが結構根気のいる作業で、ゆっくりした手の動きで優しく混ぜていきます。3名が交代しながら「いい匂~い」とうっとり。
溶かしたチョコを可愛い容器に流し込み、固まる前にトッピング材やチョコペンで飾って、●アルミカップチョコ
●推しうちわ風チョコ
●チョコグラノーラの3種類の、世界に一つだけのオリジナルチョコを作ることが出来ました。ご自身で用意された「いつもありがと」のメッセージシール付きの袋に入れたチョコを当センター職員の机にそっと置いておられる姿にウルウルしちゃいました。当日初めて会ったメンバーなのに、お互いの苦手な所は補い合って楽しく完成させることが出来ました。一緒に取り組むことで会話も弾み、すっかり仲良くなって、冷蔵庫で冷やし固めている間の振返りでは「次回はホットプレートを使って何か作ろうよ」など、アイデアが沢山出ていました。
不定期でもリクエストにお応えしていきたいと思っております。乞うご期待‼
(担当:片山)
チョコ制作中の写真2枚と、完成後の写真1枚を掲載
わくワークみっけ!!
利用者の気持ちの伴走者として 空(くう)
豊中市庄内西町319 18 06-6335-4937
阪急庄内駅南側、踏切の前から延びている商店街を数分歩くと、左手にレンガ色の建物が見えてきます。そこは【就労継続B型 空(くう)】。前号に続いて、商店街の中に在る事業所を訪ねてきました。対応して下さったのは、管理者の荻野真紀子さんです。
〇一番されると困る質問
「ここは何をしている事業所なのですか?」
空にとって、これが一番、訊かれて困ることです。通常、就労継続の事業所というと、「ウチはこういう事業で、こういう内容の仕事をしている。これを出来る人や興味のある人募集」という話になるかと思います。しかし空の場合は、最初は何も決まっていない、言わば無色透明のキャンバスという状態で、そこに各利用者が、自分の好きなことや特技といった「色」を付けていくことで、それがその人の仕事となるのです。
〇過ごし方は四十人四十色
空は2023年2月に開所して、現在3年目です。最近、近くに2箇所目も開所したということで、2箇所合わせて40名の、精神または療育の手帳を持つ当事者が利用しています。最年少は21歳、最年長は74歳ということです。「利用者自身が自分のやりたいことを見付ける」というスタイルなので、過ごし方はまさに「四十人四十色」。具体的には、絵を描いている人が何人かいます。内1人は絵本を出版し、出版記念パーティーもやったそうです。図柄を描く人も居て、大島袖の反物にして着物を作ったり、Tシャツや帽子にも描いた絵をプリントしています。ペーパークラフトやビーズで物を作ったり、レジン(樹脂)でペンダントを作る人もいて、これらの作品を販売して、工賃に還元するようにしています。因みにこの日は豊中駅北改札前にある、福祉の店「なかま」の当番の日で、取材の後、「なかま」にも立ち寄りましたが、パズル画・ポーチ(いずれも700円)や、ミニカバン(500円)、ピアス・イヤリング・ドリンクカバー(いずれも300円)、それにコースター(200円)やストラップ(100円)などが販売されていました。
〇仕事をするだけではない 例えば、手先が器用でない人もいるので、物を作る以外の仕事として、チラシ折りや塗り絵、シール貼りなどがあります。シールは空のチラシに貼る物ということですが、納期は一切ありません。ほかには、音楽を聴いたり、ゲームやパズルをする人もいて、必ずしも仕事をするだけが過ごし方ではありません。ユニークなところでは、釣りが趣味で、釣り具の仕掛けを作っている人がいるほか、今の時代らしく、スマホのAIで画像を作り、それを模写して画を作成している人がいます。
〇シフトも存在しません
空では、勤務シフトという概念も敢えて取っ払い、開所時間としての10時~15時の範囲で、「来られるときに来てもらう」という形態にしています。また、勤務日数も週1日~5日まで、変幻自在です。定員は2箇所合わせて50名ということなので、あと10名は入れますね。利用者の心境の変化にも柔軟に対応しており、週1日からのスタートだったのが、その内3日、4日と増えたり、最初は「朝に弱いから」と午後のみ出勤で始めたところ、いつの間にか朝から来るようになった人がいるということです。
〇「出てくる」こそハードル
就労継続支援は、本来は一般就労を目指す上でのステップとして位置付けられるので、一定の利用期限があります。しかし空は「居たいだけ居て下さい」。というのも、心に何らかの事情を抱える人にとっては、家から外へ「出てくる」だけでも相当なハードルなのです。対人恐怖や対異性恐怖、過去の社会経験ゆえの引きこもりから立ち直るには、3年や5年というスパンではとても足りません。加えて、何かあればたちまちフラッシュバックが起こります。「世の中、嫌な人ばかりではない」という実感を得るには、最低でも10年は掛かるかも知れないと考えています。一方で、一般就労を目指している人もいるので、その人に対しては就労を見据えた支援をします。また、高齢の利用者については、もう一線で働いて定年退職した後だし、のんびり過ごしてもらいたいと考えています。「身体と違って、心の傷にバンドエイドは貼れません」。取材終盤に荻野さんが話した一言が、深く印象に残りました。
(担当:根箭)
空(くう)外観の写真1枚と、商品の写真2枚掲載
豊中地域情報ばびゅーん!!
日本リンクオート
豊中市桜の町、細いバス通りに面して、一見小さなガソリンスタンドという場所があります。しかしそこはガソリンスタンドであると同時に、全国でも数少ない、福祉車両専門の整備・販売店なのです。今回ご紹介するのは「日本リンクオート」で、代表の谷本篤俊さんにお話を伺いました。
これをやってもらえると助かる!
最近のガソリンスタンドは、セルフサービスが殆どなのだそうです。ドライバー自らが車から降りて、給油等の操作を行うのですが、これは体力や身体の動きにハンディーがある人にとっては、相当酷な環境となります。「ウチは給油はスタッフがやっています。運転自体は問題無く出来るのに、付属する動作のことで壁があるのは勿体ない」。と谷本さん。価格も豊中付近では一番安いだろうということで、ちょっとした「出来ない」を埋め合わせてくれるのは有難いですね。
ある間違いが切っ掛け 日本リンクオートは、元々は普通の車屋として、1996年に開業しました。福祉車両専門店に転向したのは2014年ですが、その切っ掛けは実はある間違いでした。ある時、通常通りに中古車を購入したところ、内1台がボタン操作で座席が車外まで出てくる福祉車両だったのです。「これ、どうしよう?」と最初は思ったのですが、もう一つ、決定的な偶然がありました。この時期、谷本さんの父親が病気で身体に障害が残り、車の乗降が大変な状態になっていたのです。それならばと、福祉車両に父親を乗せてみたところ、「これは乗りやすい!」と、介護をしていた母親共々、大喜びでした。この出来事を機に、福祉車両専門の道を歩むことに決めました。
改造は出来るけど・・・・
日本リンクオートは福祉車両が専門ですが、一般車両の車検や整備・点検も、依頼があれば引き受けています。福祉車両への改造工事では、ドライバーの身体に合わせて、ウインカーレバーやアクセル・ブレーキの位置を変えたり、屋根上に、車いすを折り畳んで積むための台を造る、などをやったということです。ちなみに車いすは、リモコン操作によって屋根上に積みます。ただ、既存の車に後付けで工事(改造)をするのは、最初から取り付けられている新車を買うよりも、費用が数倍掛かるそうです。例えば、回転昇降シートを後付けで取り付けると約200万円掛かるのですが、最初から取り付けられている新車を買うと、原価+約50万円で済みます。
代車があるのが強み!
日本リンクオートの大きな強みとして、点検・修理期間中の代車を用意出来るというのがあります。自動スロープ付きなどの福祉車両は、通常の車両よりも点検・整備に時間を要します。点検箇所そのものが多いことに加え、スロープやリフトなどは福祉機器の範疇になるので、車の業者では取り扱い方がよく判らない場合も多く、福祉の専門のところに渡す、という流れになるのです。福祉車両の台数自体も通常の車両よりは少なく、修理に出すと代車はほぼありません。福祉事業所の車などで、ボディーがボコボコのまま走っているのをよく見掛けますが、谷本さんは「ウチのことを知っていたら、代車も出せるし修理も出来る。この点をもっとPRしていきたい。これからの課題は認知ですね」と意気込んでいました。
最後に、ちょっと深イィ話
福祉車両専門になって、需要の多さと共に、谷本さんが気付いたことが一つあります。それは利用する際のお客の理由に関してで、「昨日まで走り回っていた子が事故でもう歩けない」など、当人にとって辛い理由もあるのです。そのため言葉を掛けるに当たっては、気配りが必要とのことでした。そして、「日本は高齢化社会ですが、将来同じ道を辿る国はあるだろうから、介護や福祉でこうすればいいという見本に、日本がなってほしい」。車と社会は切っても切れない縁。車から良いヒントが生まれるかも知れませんね。
(担当:根箭)
所在地:豊中市桜の町3-1-8
電話:06-4865-2727
営業:8時~20 時(土曜は19 時)
定休日:日曜・祝日
写真3枚掲載
①ガソリンスタンド全体のようす、②谷川さん、③福祉改造車の中でチェックをする谷川さん
小説【雅人の一日⑤】〜
~辛夷ひらくT字路に~〜
上半身を右に傾げて電動車いすで歩いていると、三丁目のT字路でぼくの頬はしらずしらずに緩み、目尻が下がっていたにちがいなかった。今日にかぎっては黄砂もPM2.5も漂ってはいない、すこしもの憂げな夕暮れのはずだった。
このT字路はぼくにとって、特別な意味をもっている。
気乗りしなかった会議の帰りに、どこか無理をして笑顔をつくってしまった立ち話のあとに、小さな公園を曲がると、燻っていた煩わしさも、人波にまかせながら拾い上げたぎこちない充足感も、わが家までの数分つづくほぼ誰とも遇うことのないだろう住宅街で、無意識のうちに鎮まっていく。
「まさとさん、お元気ですかぁ⁈」
「元気いっぱいで〜す!こどもさんも、大きぃならはったでしょ?」
つばひろの麦わら帽を斜めにかむった初老のご婦人が、彼女にとっての全速力で、前傾姿勢のままママチャリで風を切っていった。
聴き覚えのある声ではなかったし、老いはじめた動体視力では追いきれない速さだった。まったく、記憶から抜け落ちているご婦人だった。
それにしても、とっさに口を突いた出まかせのデキの良さは、なかなかのものだった。
『知ったかぶりは一番アカン!バレたら、信頼関係無くしてまうでぇ!』けさも鼻息荒く、大学を出たばかりの新採さんに説教を打っていた。
おなじ口で知ったかぶっている自分がいる。まんざらでもなく思う自分がいる。
ふいに、やりきれなさがこみ上げてきて思わず視線を泳がせると、古ぼけた時計台のそばのコブシが思い思いに白い花弁を開いていた。
(北のグリエゴ)
IL活動を訪ねて三十里 [スクラム編]
大阪市大正区三軒家東、大正駅からも程近い所にある「自立生活センタースクラム」を訪ねました。対応してくれたのは、事務局員・ピアカウンセラーの酒井建志さん、通称けんぼーです。では、先ずはけんぼーさんの略歴から。
けんぼーさんは現在35歳、スクラムの職員になって13年になります。スクラムとの出会いは、実家に住んでいた時代、家族による介護からヘルパーサービスを使う生活に切り替えようと思い、制度の取り方等について地元の相談センターを訪ねた際、スクラムを紹介されたことが切っ掛けでした。そして姜博久さんと出会い、ピアカン講座の受講を勧められたのです。
○まず「抑圧」に気付いた
ピアカン講座を通じてけんぼーさんは、自分の中の「抑圧」に気付きました。それまで健常者の中で生活をしてきたというけんぼーさん。小学校からずっと地域の学校に通い、自分が障害者だというイメージを持つことはありませんでした。大学を出ると就職活動をし、何社も受けるが内定には至らず。その原因が自身の障害であるということを、当時は受け止めていなかったといいます。ピアカン講座を通じてけんぼーさんは、「自分には障害がある」と自覚できるようになり、「この社会が生きにくい」と実感できるようになりました。そしてピアカンや障害について一生懸命勉強し、当事者の自宅も見学したのですが、「こうすれば生活出来るんだ。自分も早くしたい!」という思いに駆られ、文字通り勢いで自立生活に踏み切りました。で、いざ始まってみたら「お金ないなぁ」。姜博久さんに相談すると、「ウチで働かへん?」
こうしてスクラムの職員になり、今では常勤です。
○担当を分けている
現在のスクラムは基幹も併設しており、曰く「ピアカン・ILPの担当と計画相談の担当は、分けてやっている」。
ただ、ケースによってけんぼーさんも他の当事者職員(合計6人いる)も、ピアカン担当にもなるし、相談業務担当にもなるということです。そのため両方に対応出来る必要がありますが、基幹の仕事は書類がメインなので、障害者にとっては負担も大きいとのことです。就業時間等に関しても、行政からの縛りがあるのですが、当事者だからこそ出来るIL活動の仕事も、大切にしていきたいと考えています。
○ピア・スクールやりました
昨年11月~今年3月まで、全8回でピア・スクールを行いました。ILP講座の大きい版ということで、テーマは「ピアに於けるリーダーシップを学ぶ」だったのですが、これから自立したい人も受講可でした。さまざまな年齢・障害・性別の人が13名参加してくれました。スクラムは常に、大阪市内の他事業所と文字通りスクラムを組んで、「新しく自立したい人がいる」「若手の当事者が入ってきた」などの情報交換をしています。自分の団体だけで抱えず、近隣他事業所に呼び掛け、巻き込んで、合同でやるというこのスタイルこそ、スクラムの最大の強みなのではないかと感じました。「自分たちだけでは限界があるので、他団体との繋がりありきで仲間を増やしていくことが必要で、それを一番大事にしている」。この言葉を聴いて、CIL豊中も襟を正すべきかも?と感じました。
○自分が橋渡し役
在職14年目、今年で36歳になるというけんぼーさんは、「自分(の世代)が、IL活動の重要さを伝える上で、世代間の橋渡し役になる」と感じています。初めて先輩から、青い芝の会についてなど、障害者運動の話を聴いたときは、「恐い!」と感じました。しかしスクラムで一緒に活動するのを通じて、「障害者が声を上げても何も響かなかった時代の運動があるからこそ、今の自分の生活がある」と実感するようになりました。その経験から、「取り敢えず一緒に活動しようや!」と、若手には働き掛けていますが、運動の重要性を若手が実感を伴って理解しているのか、疑問に感じることもあるそうです。なにもわからず運動に参加したところから、その意味の重要性がわかり始めて、主体的に運動できるようになった変化の経験をしたという意味で、けんぼーさんは過渡期の世代と言えます。
○朝礼でニュー&グッズ
スクラムでは毎日朝礼を行い、必ず一人一回は発言をするそうです。その内容は「最近のニュー&グッズ」。けんぼーさん曰く、「トラブルなどがあっても、素敵なことやいいことは必ず隠れていて、それに気づくことが大事」。今年9月にピアスクール第二弾を行うそうで、5月中にチラシも完成するので、是非参加して下さいということです。また、ヘルパーの担い手を確保すべく、大学とのパイプも築くようにしています。
(担当:根箭)
けんぼーさんの写真1枚と、取材者も含めたスタッフの集合写真を掲載
運転免許取得[極秘]プロジェクト
私の苦手な座学の時間が50分間あり、ここでは運転者の心得や交通ルールなどを勉強しました。座学と実技講習は、自分で時間割を見ながら次に講習を受ける日を申し込んで帰ったと思います。
それから学科と実技講習がスムーズに進み、仮免前学科効果測定を受けることになりました。この仮免前学科効果測定は、学科と実技の空き時間にパソコンでテストをしました。その一回目のテストは残念ながら不合格でした。そして、間違ったところを考えていたら所長さんが来て下さり、丁寧に教えてくれました。その後、テストをすると合格できました。
次には技能試験があり、教習所内の車の運転のテストでした。その試験コースは教官が助手席に乗ってきたときに、「このコースで行って下さい。但し、道順(曲がる場所)が分からない場合は教えます。」と言われ、試験がスタートしました。その後、試験終了後にその教官から合格と言われました。これで仮免許を取得したことになり、次からの技能講習は一般道を走行することになります。
【教官との談笑】
無事に仮免が取れましたーと報告した後に、「今度の一般道の講習の時に私の車に乗って下さいね~」って言うと、教官が「防護服を準備するわ~(笑)」と言われました。
(瀧本香織)
ねや散歩Part.19 ねやたろう
行って初めて判る、行こうとして初めて判る、いろいろ、想像以上が万博だ。
会場内周遊バス、ヨルダン館「赤砂体験」、大阪ヘルスケア館「心筋シート」、大屋根リング上段通路からの眺め、大屋根リング支柱の各写真
日本館「ごみは、いのちのはじまりだ」・「CO2でなに作ろう?」、ガンダム、パソナ館「立体映像によるネイチャーバースショー」・「iPS心筋シート」の各写真
フューチャーライフヴィレッジ「重さ80.5kgの隕石に触れる」・「月の隕石」、カナダ館「タブレットでバーチャルカナダ旅行」、ポルトガル館「海の視点」、日本館「火星の石」の各写真
夢洲駅地上エレベーター前・改札階ホーム行きエレベーター前、アメリカ館「月の石」、電力館「可能性のタマゴたち」の各写真
楽しみ多き万博だが、課題もある。夢洲駅のエレベーターが少ないため、特にベビーカーの行列が絶えない。地上では直前地点でエレベーターに乗る人を振り分けるため、通路がごった返す。車いす送迎の運転手が、「事前講習を受けないと会場前駐車場に入れない」と、現地で急に言われたという話も聞いた。利用者を降車させるための講習が何故敢えて必要なのか?そういう点が改善されれば、バリアフリーな万博が実現する。
哲珍の部屋
上田哲郎
9月から12月までイタリアに海外逃亡をしようとしている上田です。行程としては3ヶ月間イタリアの3都市で1月ずつ過ごし、地域の風土や人を感じ、精神保健施策と共生教育を観に行こうと思ってます。
いずれ結婚するであろう「結婚資金」数百万円の切り崩しも良いかと、結婚は50歳超えたらまた考えればと、イタリア逃亡に注ぎ込んでいく意義は十二分にあると判断しました。
なぜ逃亡を考えたのか言えば、理由は大きく二つあります。
一つは豊中に2校目の支援学校の設置計画がある事を知ったからです。それにより一層障害者の社会からの分離分断が進むのではないかととてもとても危惧しているのと、1970年代から共生教育が進み始め、草の根運動的に障害児が地域の小中学校の普通学級で学ぶ環境は少なからず確立されてきたものを、いとも簡単に支援学校の教室が足りないから作る、上から言われたから渡すという考えへの寂しさと怒りからです。要因として豊中支援学校が定員超過しているからそれを補おうという府教委の思惑と、市内の小中学校を統廃合し、使わなれなくなった中学校の跡地の活用方法に困っていた市の思惑が一致したのではないかと思われます。
二つ目は2022年に日本政府が障害者施策に対して国連から受けた勧告に、分離教育の中止と精神科への強制入院を可能にしている法律の廃止を特に強く求められました。厚労省は少なからず動きは見せているものの、文科省は政府が障害者権利条約に批准してるにも関わらず国連勧告に対して遺憾と公言している始末です。この二つの強い勧告を豊中の現状に置き換えると、分離教育の中止に関しては少なからず一緒に過ごせる空間をどの学校でも提供出来ていますが、精神科への強制入院を可能にしている法律の廃止に関しては、未だに450病床を構えている精神科病院が2箇所ある状況があります。
イタリアでは1970年代に障害児学校と精神病院入院病床を9割9分無くし、障害児は普通学校に通い、精神障害者は支援体制が強化され地域で過ごすようになり、今ではその環境が当たり前なのだそうです。
豊中で育った当事者としては、地域の学校を拡充すれば支援学校はいらないと感じますし、分けられて育てば理解も広がらなくお互い忘れられますし、忘れられたら孤独で淋しいと感じます。隣の芝生は青いではありませんが、日本からみてイタリアは障害児学校も精神科病院の入院病床もほぼ閉鎖され、羨ましく思われているけれど、本当のところはどうなのか、その地の実際を知るために3ヶ月間滞在しようと思います。
追悼:山口博之さん
去る2025年4月14日、当法人の前副理事長で、自立支援センターの精神障害ピアカウンセラーである山口博之さんが、病気のため他界されました。74歳でした。
山口さんは、精神障害当事者として、関係多方面に亘って活動され、多くのメッセージを発信してきました。当センターに於いても、色々な相談者やその周囲の人との接し方を模索する上で、重要な助言を与えてくれたと思っています。福祉職の人は、「福祉である」ということを意識するあまり、どうしても、「相手に冷たいと思われてはいけない」、「相手にとって絶対親切でなければならない」と気を遣うと思います。特に新しい人は、「冷たいと思われる=失格」と捉えがちですが、そんな時、「相手が間違っている時は間違っていると言って良い、断るべき時は断れる」と指針を与えてくれたのが、山口さんでした。言葉の厳しさの裏にはしかし、心の優しさもありました。
感謝すると共に、心よりご冥福をお祈りします。
(事務局)
生前の山口さんのオフショットを1枚掲載