KSKS CIL豊中通信【アイエルちゃん新聞】Vol.65 2025年3月号

編集人 NPO法人CIL豊中 
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発行人 関西障害者定期刊行物協会
  大阪市天王寺区真田山町2の2 
 東興ビル4階   定価100円 


  特集:大阪関西万博開幕直前レポ
  -見たまま、歩いたまま、気付いたまま-

 来たる4月13日から10月13日まで、大阪関西万博が此花区夢洲で開催されます。今回の「アイエルちゃん新聞」は、万博開幕直前の時期に発行されることから、特集がその時期ズバリとなりました。とはいうものの、どのぐらい取材が出来て、記事の落としどころをどうするのか、悩んだのも正直なところです。開幕前ということで、取材出来る範囲は限られていた訳ですが、玄関口となる夢洲駅をじっくり観察し、サテライトのスポットも訪ねてきました。障害当事者からのコメントも聞いてきましたので、参考にして下さい。万博開幕に賛成の人も反対の人も、色々な人がいると認識していますが、現実に開幕まで1ヶ月を切った万博を、暫し思い浮かべてみては如何でしょうか。
 
夢洲駅散策記 
 2025年1月19日、大阪メトロ中央線(4号線)コスモスクエアから夢洲までが延伸され、夢洲駅が開業しました。大阪関西万博の玄関口として誕生した新駅ですが、開業日である1月19日に、根箭が早速現地を訪れました。一度では取材し切れず、1月26日に再度訪れましたが、この時は電動車いす使用の瀧本も同行しました。

え~き~は~広い~な~大きい~な~ 
 約2820万人が訪れると想定されている大阪関西万博。その玄関口だけあって、駅はとにかく広大でした。海の下にトンネルを掘って、埋立地の下に建設されたのが夢洲駅です。ホームに立つと、一見して近未来的な空間が広がっていました。空港の搭乗ゲートを思わせるデザインに、壁全体が黒色基調、正面の顔が宇宙船みたいな新型地下鉄も相まって、より「未来ステーション」に見えました。ホームドアも黒色でしたが、これは全国でも珍しいのだそうです。改札階に上がると、これまた広大なコンコースが視界に飛び込み、柱が一切無いので余計に広く見えました。万博で混雑がピークの時は威力を発揮すること間違い無しですが、閉幕以降はスペースを持て余すだろうと思われ、将来は休憩スペースか何かが設置されるかも知れないと思いました。

一基だけしか無いのか? 
 ホームと改札階を結ぶエレベーターは、広さは申し分なく、標準サイズの電動車いすも余裕で方向転換が出来ました。鏡も大きくて見やすかったですが、てっきり二基は造られていると思ったら、一基だけ・・・・・。万博開幕中は、外国人でも日本人でも、車いす使用の人もたくさん来ることは充分想定されるから、エレベーター待ちの行列が出来て大変になるのではないかと思いました。万が一エレベーターが故障した場合を考えても、これだけのスペースがありながら一基しか造っていないのは、勿体ないと思いました。エレベーターから改札口までの距離もかなり長いので、併せて気になりました。古くからある駅では、建設時点でエレベーターを設置するという発想が無く、後付けで造られたので、スペース的に一基が限界というのはよく解ります。しかし夢洲は全くの新駅です。当通信では過去に、合理的配慮をテーマに阪急電鉄を取材したことがありました。その際運輸部の方が、「点検を理由にエレベーターが使えないのも、本当はどうかと思う。ホスピタリティーの面から見ても、最初から二基備わっていることが必要」と述べていました。世界各国の人の目に連日触れることになる夢洲駅は、よりホスピタリティーが求められる存在になるかも知れません。

オールジェンダートイレ     
 開業初日の夢洲駅は、多くの人で賑わっており、聞こえてくる会話は当然ながら、駅で気付いたことについてでした。その中で特に多く聞こえてきた言葉が「オールジェンダートイレ」です。性別の括り無く利用出来るトイレのことで、「こういう発想が日本で取り入れられたのは画期的なことだ」と、特に若い世代の人たちが注目して熱く語っていたのが、印象に残りました。オールジェンダートイレは全部で6室あり、内2室は大便器のみでした。オストメイト用便器付きは2室あり、付いていない4室の内の2室には、ベビーチェアとベビーシートが設置されていました。4室には、着替え台とサニタリー用品(生理用品を指している)入れが設置されていました。このように、かなり細かくタイプが分かれていました。
★瀧本レポート☆
 私は電動車いすを使っているので、広めのスペースがあるオールジェンダートイレを使ってみました。すると、【扉閉める】のボタンを押して閉まるはずであるのが、コートの裾が安全装置に反応して、途中まで閉まった扉が開いてしまうことがありました。すぐ気付いたから良かったですが、そのまま閉まったと思い込んで、そのままトイレをやり始めていたら、大変なことになるところでした。

多目的トイレ、トイレ利用状況案内        
 夢洲駅のトイレは、改札口から見て一番右奥にありますが、手前から順に、多機能トイレ・オールジェンダートイレ・男性トイレ・女性トイレとなっており、車いす対応の多機能トイレは、一番手前になります。手前である分すぐに入れるし、設置は2ヶ所ですが、中のスペースは充分でした。ベビーベッドの位置も低めで、サニタリー用品入れは2ヶ所ともありました。そしてもう一つ、トイレで目新しく映ったのが、液晶パネルによるトイレ利用状況案内表示です。各トイレの各個室(便器)が現在空いているか使用中か、トイレの中まで入らずとも一目で判るようになっており、「空いている便器は幾つ」という数字も表示されます。大変判りやすくて助かると思いましたが、このパネルは人気スポットと化していたので、パネル前自体が混雑して通路が塞がる状況でした。なお、トイレスペースの廊下を挟んだ隣には、ベビーケアルームも2室設けられていて、それの利用状況も表示されていました。

片空け抑止機能     
 夢洲駅ホームのエスカレーターを見た時、乗り口付近の段で、緑色の線や模様が動いていました。丸いマークも左右に2つ現れて、「謎の模様だ」と思いましたが、これは「片空け抑止機能」であることが判りました。日本では長らく、エスカレーターは片側だけに立って、もう片側は歩く人のために空けるのが一般的でした。近年、両側2列に立ち、歩かないことが奨励される様になってきたので、そのための自動誘導動線なのだと思います、但し下りエスカレーターや、改札階から地上(会場ゲート前)に上がるエスカレーターには、誘導動線はありませんでした。

デジタルサイネージ
 夢洲駅で一番の目玉スポットと言えるのが、壁一面に広がる巨大な電子看板です。デジタルサイネージと呼ばれるこの電子看板は、縦が約3m、横が実に55mもあり、一度に全画面を視界に入れることは極めて困難です。そんな圧倒的大画面にて、夢洲駅の特徴や注目箇所を余すところなく紹介しているほか、大阪メトロの未来へ向けた取り組みや、人工島夢洲の建設の歴史も、資料写真と共に紹介していました。夢洲は1977年に建設工事が始まったそうです。先程紹介したエスカレーターの片空け抑止機能も、この電子看板を見続けている中で登場してきたので、判りました。

カームダウン・クールダウンスペース       
 元気に万博見物を楽しんだものの、人酔いなどで帰りにパニック発作を起こす人もいるかも知れません。改札階の奥の方には、カームダウン・クールダウンスペースというのが設置されていました。小さな四角い小屋のようなスペースで、真ん中の入口通路を境に左右2つの個室がありました。見ていた限り、立ち止まって注目していたのは、中高年の世代の人が多い様な気がしました。
★瀧本レポート☆
 カームダウン・クールダウンスペースという、例えば発達障害や知的障害、精神障害による症状を持つ人が、外部の刺激を遮断して、気持ちを落ち着かせるためのスペースが設けられていました。このスペース内には、ゆったり座れるソファーが2人分ありましたが、車いすに乗ったままでは中に入れませんでした。
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 今まで見たことの無かった新しい設備で、画期的な発想だと思いますが、定員が4人なので、あと2ヶ所は設置してほしいと感じました。現状だと取り合いになる可能性も無きにしも非ずだし、遠慮するタイプの人(国民性)、全然遠慮しないタイプの人など、様々な人がいると思います。車いす用スペースも、別途設けてくれたら幸いですね。
2基じゃ足らないだろう!
 ここからは改札の外の散策です。ズラリと16列も並び、車いす対応の幅広型が中央にあった改札口を出ると、左に万博会場入口へ上がる吹き抜け式コンコースが広がっていました。ここも混雑を充分想定したと思える、広~いスペースでしたが、一言物申したい箇所がありました。
★瀧本レポート☆
 私が気になったのが、改札から地上に上がるためのエレベーターホールはかなり広いのに、エレベーター自体は2機だけで、世界規模のイベントなのに混雑しないのかな?と思います。
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 一千万単位の来場者数が見込まれる大イベントでありながら、エレベーターが2基しか無かったのは、正直不安を覚えました。写真を見る限りでは、エレベーターはあと2基は充分、隣に造るスペースがあるように見えます。内部は、車いすが2台は充分乗れる広さがあるので、あとは電動三輪車や歩行器、ベビーカーなどのためにも、エレベーターは最低4基は必要ではないでしょうか?
 厳寒疾風の中、鋭意建設中の会場ゲートを見ていると、早く暖かくなって、一度は記念に万博を訪れてみたい気持ちにもなってきました。

モビリティータウン散策記 
 万博の会場は夢洲以外に、サテライトとして「イーメトロモビリティータウン(e METRO MOBiLiTY TOWN)」という会場が、森ノ宮に設置されます。入場券も夢洲と共同扱いになるということで、森ノ宮駅から徒歩約8分、地下鉄の車庫に隣接しています。夢洲本会場に先立ち、2025年1月11日にオープンしました。
元地下鉄車両が未来体験館に モビリティータウンでは、地下鉄の廃車となった車両が衣替えして、未来都市の風景やシステムを、立体画面でバーチャル体験出来るシアターと化していました。別の車両は車窓の外に、大阪の街と交通の歴史が映し出されるタイムトラベル館となっていたほか、飲食・休憩用の車両もありました。
自動運転バスに乗車    
 将来の実用化を目指している物の一つが、自動運転バスです。モビリティータウンでは自動運転バス体験コーナーがあり、乗車してみました。運転席には案内スタッフが座っていましたが、ハンドルが終始自動で、発車や停車時にやや尖った感じの小さなショックを覚えたところに、有人運転との違いを感じました。システムの作動状況は、車内のモニターにも表示されていました。
アバター、空飛ぶ車     MIRAI STATIONという小さな建物に入り、案内されるがままに頭上の小さなカメラに目を向けた瞬間、「はい、撮れましたので隣の部屋へどうぞ」。「?」と思って進んでみると、壁一面の画面で、アバターと化した私が手を振っていました。何故顎髭が生えているのかがどうしても謎でしたが、万博では自分のアバターがバーチャルで、未来大阪の街を闊歩出来るそうです。そしてサテライト会場で最後に訪れたのは、空飛ぶ車についての展示館です。アメリカでは、航空機ライセンス無しでも空飛ぶ車を操縦出来るそうですね。左下の写真に写る広いスペースが、空飛ぶ車の離着陸を想定した場所だということで、万博を機に、新しい移動手段として普及していくのでしょうか。

最後に障害当事者の声 
◆住之江で活動しているから地元だけど、万博に行こうという声はあまり聞かない。
◆交通機関の混雑が心配。特にニュートラムは車両が小さいから。普段の通勤に影響しなければいいが。
★eスポーツをやっているので、万博を通じて認知度が上がるのではないかと期待している。eスポーツは吉村知事も強い関心を持っているし、将来性もあると思うので、是非現地にも行って、色々な「未来」を体験したい。

※掲載写真の内容(掲載順に)
・夢洲駅ホーム
・大阪メトロ新型車両
・駅改札階コンコース(3点)
・エレベーター内部
・オールジェンダートイレの表示と中の様子
・トイレ前の通路
・トイレ使用状況のパネル
・エスカレーターの誘導動線
・デジタルサイネージ
・カームダウンスペース(2枚)
・改札口
・地上へ上がるエスカレーターとエレベーター
・改札口を出た横のスペース
・工事中の万博入口
・サテライトスペースに展示されている地下鉄
・自動運転バス
・アバターの体験館
・未来の街体験館
・空飛ぶ車の離着陸場


わくワークみっけ!!
クリエイター系就労へのチャンス ONEGAME豊中 
070-8335-1536 豊中市中桜塚1­2­5山田ビル2~3階

 阪急岡町駅で電車を降り、岡町商店街に入って間もなく、右手に真新しい看板が見えてきます。【就労継続支援B型事業所 ONEGAME豊中】。今回はこちらを取材し、代表の川合昌樹さんにご協力頂きました。

〇eスポーツですよ!!
 2024年12月1日に開業し、取材時点でまだ開業2ヶ月目だったONEGAME豊中。その主たる事業はeスポーツで、非常に目新しい取り組みです。何故eスポーツを選んだのか?川合さんは元々、地域の空き家対策に関わる活動をしていました。その関係の集まりに参加した際、eスポーツを就労に取り入れようとしている企業の人と出会ったのです。「今の就労B型では、スキルを身に付けても内容が限られているため、一般就労での選択肢が増えない。では、増やすために何があるのか?今はデジタル、ITの分野が世界的にも伸びしろがある。eスポーツは欧米では既にメジャーで、日本でも自治体や大手企業が参入しているから、取り入れる」。この話を聞いたのが切っ掛けとなりました。

〇色々な体験コース
 eスポーツがどうやって収益に結び付くのか?そういう疑問を、親御さんからもよく持たれると言います。先ずは見学からということですが、希望者には体験コースがあり、3日間のプログラムとなります。1つ目のコースは「選手コース」で、コーチの手本を見ながら、ゲームでプレーヤー(選手)を体験します。「昔はゲームは遊びだけでしたが、今は選手としてプレー出来る時代なので」と川合さん。2つ目は動画編集で、動画の切り取りやテロップの貼り付けを体験します。そして3つ目は声優コースで、アニメの声優や、ゲームの実況MCを体験します。利用にあたっては、パソコンの初心者ならキーボードを叩くことから覚える等、それぞれのレベルに応じていきます。

〇多様な就労へのチャンス
 就労B型としての目標は飽くまでも一般就労で、eスポーツも、パソコンのスキルを上げて就職視野が広がるための手段ということです。もしもゲームで腕を上げて大会で優勝したりすれば、「この人は凄い」ということでスポンサーが付くようになります。そしたらスポンサーの企業に入社して、社員兼ゲーマーの生活を送る可能性が出てきます。動画編集で腕を上げれば、企業から広告用動画の作成依頼が来て、その報酬が収入になったり、ウェブデザイナーの会社から声が掛かって就職するチャンスも出来ます。声優部門だと、VTuberのような司会業に就けたり、声の吹き込みなどを仕事とする会社に就職するチャンスが出来ます。デジタル分野は日本だけではないので、日本に在る外国企業から就職の声が掛かることも考えられます。

〇在宅勤務(オンライン)も可
 ONEGAME豊中はビルの2階と3階に在り、急な階段しかないため、車いすの人の通所は難しいですが、在宅勤務が可能なので、オンラインでなら働けます。一つリスクを挙げるならば、特に動画編集ではデータ量が凄く重いため、自宅のパソコンだと容量的に対応出来ない可能性が出てくるということです。事業所の中には、ハイスペックなパソコンが20人分備わっています。
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   現在、メンバーは4名いますが、2月には7名になる予定です。定員は20名なので、まだまだ募集中です。就業時間は10時~16時で、20~30代の知的・発達障害者が多いですが、年齢上限は設けていません。スタッフは5名で、内1名はいわゆる職場カウンセラー的な役割だということです。商店街という立地を選んだのは、地域との交流を盛んにして、仕事で地域に貢献したいからです。また、引きこもりの支援にも関わっており、eスポーツやゲームが、引きこもりから脱する切っ掛けになれば、と思っています。(担当:根箭)

※掲載写真の内容
・ONEGAME豊中の外観と内部
・eスポーツの画面
・DJ体験スペース


IL活動を訪ねて三十里【夢宙編】

 今回取材したのは、大阪市住之江区に事務所を構える「自立生活夢宙センター」です。代表の平下耕三さんにお話を伺いました。2002年に「誰もが地域で当たり前に活動できる拠点をつくる」ことを目指し設立され、今年で23年を迎えます。その活動の背景には、平下さんの揺るぎない信念がありました。

 平下さんは、先天性骨形成不全症という障害を持ち、兄も同じ障害を抱えています。胎児の時点で障害が判明した際、父親からは「障害児は一人で十分」と言われましたが、母親の「生みたい」という強い意志によって、生まれてくることが出来ました。障害の有無を理由に「生まれてくる」権利が左右される社会において、平下さんの存在自体が、自立生活運動の根底にある「すべての人が生きる権利を持つ」という理念を体現しています。

 平下さんが目指す自立生活センターは、障害のある当事者が自らの人生を選び、輝くためのエンパワーメントの場です。その原点は、中学生時代に手術のため施設に入った際、身体が思うように動かなくなった自分を支えてくれた、脳性麻痺と知的重複の先輩との出会いでした。施設の中で、その先輩を初めて見た当時は、「ずっとここにいるなんてかわいそう」と思っていた平下さん。しかし、自身の身体が動けなくなったときに、声をかけて励ましてくれたのは、その先輩でした。この経験が、平下さんに「本当の居場所とは何か」を考えさせ、自立生活運動の礎となったのです。

 夢宙センターの大きな魅力は、当事者一人ひとりが主体的に生きるための「居場所」をつくることにあります。居酒屋「ごりら」を運営しており、そこを通じて地域の人々が交流できる場も生まれています。社協や区長、地域のインフルエンサーが店を訪ね、安いし美味しいという評判も広まっています。

 夢宙センターでは、ヘルパー派遣、相談支援、生活介護などの多様な事業が展開されていますが、平下さんは「事業を運営すること自体が運動につながる」と語ります。これは、メインストリーム協会の廉田さんから学んだ考え方で、「毎年新たな自立障害者を生み出せば、社会の景色が変わる。そうすれば、必ず事業も回り、さらに多くの障害者が自立生活を送ることができる」といいます。つまり、事業と運動は切り離すものではなく、互いに支え合う関係にあるということです。

 この話を聞いて、私はハッとさせられました。日頃、事業とIL活動とのバランスに悩み、事業か運動か?という二項対立で考えてしまっていました。しかし、事業もまた運動の一環であり、その中にこそ自立生活運動の本質があるのだと、このとき気付かされました。まさに灯台下暗しでしたね。

 平下さんはIL活動について、先輩である尾上浩二さんからも、多くを学んだといいます。厚労省前での大規模集会では、尾上さんが交渉を担当する「知能班」として動き、一方で平下さんは「体力班」として外でシュプレヒコールなどを行っていました。長年にわたる運動の現場で培われた経験が、今の夢宙センターの活動やパワーの基礎となっています。

 夢宙にはバンドマンのヘルパーもいるということで、ライブをやったり、何かオモロイことが出来る個性のある人が、たくさんいてるそうです。これらの活動から生まれるエネルギーが感じられました。平下さんは「カリスマ的なリーダーがいるわけではなく、同じ意識を持った仲間が集まっているのが夢宙」と語りますが、私は、平下さんだからこそ人が集まるのだと感じました。その人間性とリーダーシップは、尾上さんや廉田さんといった先輩方から受け継がれ、夢宙センターの文化として根付いています。

 夢宙センターの取り組みは、障害者がただ「守られる存在」ではなく、自らの生き方を選択し、社会と関わりながら暮らしていくためのモデルを示しています。その活動は、社会全体に自立生活の可能性と温かな連帯感を広げています。これからも挑戦は続いていくでしょう。その歩みは私たちにとっても、自立生活とは何か、運動とは何かを見つめ直す切っ掛けとなるはずです。
(担当:大岩)

※掲載写真の内容
・平下さんと大岩の対談風景
・居酒屋ごりら入口


豊中地域情報ばびゅーん!!
トトロの台所

★誰でも楽しめる居酒屋さん見っけ(^o^)
 今回は、豊中北部は春日町に在る、昼は食堂、夜は居酒屋さんの「トトロの台所」。でも小さいお店なので私の大きい車いすが本当に入れるかなと疑いましたが、入り口にスロープが付いていて難なく入れました。確かに古くて狭い点で、ハード面ではバリアフリーとなるのは難しいけれど、スタッフ側のちょっとした心遣い次第でだれでも入れて、気軽にサービスを楽しめる店になるのです。ここ「トトロの台所」のママさんは、日中はヘルパーをしている方なので、ごく自然に色々な人と関われて、自然な心遣いを気負わずサラッと出来てしまう谷川さんです。このお店は、28年前に彼女のお父さんが始められて20年間続け、高齢で体が悪くなってくるも限界まで頑張ったのち引退、そのあと娘の谷川さん夫婦が受け継いで、8年になるそうです。

♥みんなおんなじ、食べて飲んで!ガ、ハハハハハ
 この広報の編集員の瀧本さんは、ヘルパーさんとして谷川さんを紹介され、相性も良く合い、利用者さんとヘルパーさんの関係だけでなく、お客としてお店に来ているそうです。ほかにも、いろいろな方が来られていて車いすのお客さんも来られるとのことです。やっぱり居酒屋さん、トイレは大事。トイレの手すりは必須だと判断して手すりを付けたり、トイレのドアも中に開く造りだったのが、車いすが回転困難になるので外開きに改造したそうです。またこんな話もされていました。中途で障害を持たれて自分の障害を受容出来ずにいる方がトイレに行くのは物理的に難しくて、来る前に用を足してきても次のトイレまでには帰るという方に、谷川さんは「からのペットボトル渡そうか?後の処理はしとくわ」と、何気なく声を掛けたそうです。わざとらしくなく自然に声を掛けられて、お客さんはうれしかったようです。
確かに障害者も健全者もなくみんな同じ人間、おいしいものを食べたりおいしいお酒を飲んだりしたいですよね。時間がたつのも忘れておしゃべりを楽しめる、そんな楽しい誰でも行ける居酒屋さんなんです。

★あなたも私も居酒屋 
  デビュー  !! (^o^)
 取材当日、ちょうどお昼になったので、ランチの定食(ラーメン、お惣菜、ごはん)を頂きました。ラーメンのスープのまろやかで優しい味わいに思わず聞いてしまいました。「何の出汁ですか?」貝汁なんですって。ほかにもうるめ、いわし、しいたけ、こんぶなどがかけあわせられて、なんか大人の味わいを感じ大満足でした。煮物の大根がこれ、また味が染みていておいしかったんです。夜来たら、おでんがあるとのこと。居酒屋さんのおでんをまだ食べた経験があまりないけど、お酒を飲みながら食べるおでんは、最高においしいのではないでしょうか?私自身も夜におでんと熱燗を、そして楽しい谷川さんのしゃべくりを求めて行ってみたくなりました。最高に心が紅潮してきたところで、最後にこれからの抱負をお聞きしました。「店は小さくて狭いけれど、いろいろな人に来てほしい」とのことでした。ランチタイムもいいと思いますが、今度は絶対夜に、酒の肴を味わいたいです。いかかですか?皆様も!
  (担当:塚原)

所在地:豊中市春日町2-3-14
    -102
電話:06-7709-5447
営業:11時~14時、17時~24時
定休日:毎週火曜、第4月曜

※掲載写真の内容
・店の外観
・谷川さんと娘さんと塚原のスリーショット
・塚原が食べた定食


今年もやりました!ハロウィンパーティー報告

 2024年10月27日13時半~15時半まで、障害福祉センターひまわりにて第2回ハロウィンパーティーが開催されました。昨年度に初めて開催したところ、気候的にも暖かくて参加しやすいと好評だったことから、今年度もハロウィンパーティー開催となったものです。
 今年もテーマを決め、「任天堂キャラクター」となり、腕に覚えのあるスタッフが、たくさんの任天堂ワールドの作品を作り上げました。僅か一日限りの展示にするのが勿体ないぐらいでしたね。
 さて、パーティーの一発目はフラダンスのライブでした。出演されたのはカパリリというフラサークルで、代表の糸洲亜弥さん等8人が、鮮やかな赤の衣装で、ゆったり穏やかなハワイアンダンスを披露されました。
 南国ムードでリラックスした後は、背筋ピーン(笑)!しっかり身体を動かすエアロビタイムです。森口さとみさんと松代和子さんによるエクシャサイズは5年前のクリスマスパーティー以来で、ここはダンスが得意な皆さんの出番!ノリ良くキレ良くテンポ良く、心地良い汗を掻きながら踊りました。
 浸る音楽と参加する音楽を堪能し、お次はジルバ中井さんによるマジックショータイム!参加者にも出演してもらいながら、次々と鮮やかに手品が繰り出されました。
 休憩を挟んで、メインプログラムである仮装コンテストが始まりました!事前に参加者を募ったところ、今年も多数の応募があり、実に12のグループの登場となりました。
 スーパーマリオ、アナと雪の女王、ドラミちゃん、キノピオ、働く細胞、ピーチ姫と仲間達たちetc。スーパーマリオブラザーズを基本のモチーフとしたグループが5つあり、任天堂キャラクターの中でも人気が高いことが窺えました。BGMに合わせて入場する際は、観客に愛想を振りまく人、ちょっぴり緊張気味の人、至ってマイペースな人など、様々でした。今回は審査員に加え、客席の参加者も審査員となって一票を投じ、優勝グループには賞品として、米5kgが贈呈されました(現物は後日発送)。
 今年も沢山の方々に参加・協力をして頂きました。本当に有難うございました。
 (担当:根箭)

※掲載写真の内容
・任天堂キャラクターの写真(2点)
・会場エレベーター内の飾り
・フラダンス
・エアロビ
・マジックショー
・仮装コンテスト全員集合(2枚)


小説【雅人の一日】〜
~なんでもない午後に~〜
                          
 「まさとさん、ごめん、きょうも来てしまったわ」
  強情なまでに重たい玄関ドアを開ける音がして、いきなり、カーテンの隙間から日焼けした童顔がひょっこり覗いた。
 「冷蔵庫に紅茶が冷やしてあったと思うんやけど、最近のぼくのお気に入りやにゃあ」
 「青いボトルのアールグレイだよね。まさとさんがイチオシするから、おためししてみたの。なかなかイケたし、うちの旦那にも飲ませたら、気に入ったみたい。近所のスーパーで手に入るのも、働く主婦にはありがたいしね」
 「ノドが渇いてるし、いっつもより、ぎょうさんめにたのむな」
  日焼けした童顔は、すべすべのほっぺたを部屋の明かりにひからせながら、ウインクで応えてくれた。
 「そこらへん、洗濯物やら、書類やらでごった返してるさかい、つまずいて、こけたりせんといてやぁ」
 「心配されたら、ムッツリするくせに」
  あっけらかんとした返しは、パンチの効いたサイダーのノドごしみたいだ。
 わけもなく、なつかしい気分になった。
  コロナで引きこもりがちになったヤバイ時期に、彼女は夕食づくりと掃除・洗濯をメインに、わが家の一日に腕を振るってくれるようになる。
お気に入りのラジオに耳を傾けた午後があった。
  『そんなこともあるよね』と、いっしょに煤けた壁を見つめた午後もあった。
 もちろん、十八番のビーフシチューであったまった夜もあった。
 「つくづく思うことがあるんや」
 彼女は陶器調のマグカップをサイドテーブルに置いて、パイプいすに深く座り直した。
 「探しもんがすぐに見つかって、思わずニンマリすることがあったりな、甘いもんの誘惑に誘われて、羊羹ふた切れ食べてしもたこと、グジグジ掘り返してみたりな、そんなちっぽけな自分を大切にしてやりたいて思うようになったんや」
 「あいかわらずコテコテでめんどうくさいオジサンだけど、遠く近くで応援してるから」
  お気に入りの頬杖ポーズをサービスしてくれた。
 なんでもない午後に乾杯!
 (北のグリエゴ)


哲珍の部屋
 前号の原稿を書き終え、次の事を考えたり、どうすればやる気が起きるのか悩んでみたり、翌日のイベントにワクワクしていた十一月一日。
 少し遅めに帰途につきマンションの駐車場に車を停めて裏口から玄関に入ろうとしたところで、脚がもつれて右に傾きフラフラっと転けてしまった。普段と変わりなくゆっくりこけた感じだったけれど、転けた瞬間に折れたねと感じて痛みが出る前にアスファルトに横たわりながらひとり119番。
 幸いマンションから消防署まで徒歩1分なので、夜空を見ながら音で実況を頭の中で描きつつも、5分足らずでほんとに来てくれたのは良かったけど、隊員さんにうまく伝えようとすると全身に力が入り右足に激痛が。痛み→動く→→不随→痛い・・・とある意味負のスパイラルで十四年前にお世話になった系列病院に救急搬送された。
 ゆっくり転けたから一箇所かなと思いきや、右膝下だけなのに五箇所折れてて捻れて転けて螺旋骨折と。ざっとしたセルフ見積もりで手術込みで3ヶ月やろうなと感じながら、入院後一週間は浮腫で手術できず激痛、負のスパイラルと過ごしてひたすら痛い思い出を。手術は骨の支えを外に出すか骨の中に埋めるかは開いてみての判断ですねと言われどちらにしても恐怖しかない見えない玉手箱状態だった。
 術後十日間は汚物垂れ流し状態で、その後1ヶ月間は足を床に付けるのが恐くて右足が緊張で引き上がり、面会もできず入浴も月2回。介護職や看護職がいくら良識人であっても人員配置等の環境で人権感覚は制限される。初対面でのハコモノとはそんなもんだ。
 急性期で一月過ごし回復期に移る事になり、そこはやはりいつもリハビリでお世話になっている病院へ二月ちょっと過ごした。五箇所も折れているとそりゃ元に戻るかという不安もなかったわけでもないけど、それ以上に毎日夕食後、親子入院の方々が一階ロビーで歩行練習している姿を見る事で、自身のネガティブな感情も吹き飛んでいた。
 そして今日は退院前日の夜、一階ロビーに居座りこの原稿を書いている。親子で入院されてるお母ちゃんお父ちゃんが子どもの為にと一所懸命歩行器で歩かせたり独歩の練習させたり、親としての役割を果たそうとしている。もちろん健常な身体に近づくわけでもないとは理解の上であろうけど、身体は柔軟な事に越したことはないと感じているはずだし、ウエダの経験上、身体は柔軟な事に越したことはないと言える。
 そんな親御さんらの背中を見ていると、自身が子どもの頃母親におぶられてここに来てた頃の背中を思い出す。今の自分に何ができるかをこの場で考えてしまうのもいささかおかしいけれど、それでも障害を持った大人や脳性麻痺との関わりがない親御さんを思うと、経験を伝える、見守る、寄り添う、見てもらう、知ってもらう事は出来るかなと思うて2ヶ月欠かさずこの場でコーヒーを片手にパソコンを。
 今回の入院でも、何人ものお母さんお父さんと仲良くなって連絡先を交換させて頂いた。何もしていないのにお礼の手紙やメールを頂いたり。何かひとつでもホッとしてくれていたらそれだけでウエダは嬉しい。
 少しは役に立っているはずだ!怪我の功名というやつだ!
(上田哲郎)

※掲載写真の内容
・骨のレントゲン写真
・見舞いに来た子ども2人と一緒に車いすに乗っている筆者
            
            
運転免許取得[極秘]プロジェクト 

 前回は教習所に入会手続きに行き、いよいよ今日から教習開始‼緊張しながら行くと、所長さんが館内の案内や講習の流れについて説明して頂きました。
 次に所長さんが案内してくれたのが、私の車の所でした。そして、車の名称の説明やエンジンのかけ方を教えてもらった後、すぐに運転をすることになってびっくりしました。私自身が勝手に、最初は座学で基本的なことを学んでから実技講習をやっていくと思っていたので、思わず所長さんに「え?もう運転するんですか⁉」と言うと所長さんは「大丈夫、大丈夫。電動車いすを操縦しているから~(心の中では大きさが違い過ぎるのになぁ)」と言いながら館内に入っていかれました。
 そして、車で待っていると最初の教官が助手席に乗車され、運転指導が始まりました。まず、教習コースに出る前にその教官から「助手席にある補助ブレーキがどのくらい効くのか知りたいから一度だけブレーキを踏ませてほしい」と言われ、車を発進させました。その後に教官が言ったことを考えると、私の車が教習車とは違っていて教官もブレーキの効き具合を知って、危ない時に命を守らないといけないんだなぁと思いました。
  最初はアクセルをどれくらい踏んだらいいのかわからず、ほとんど踏めなかったのでスピードはノロノロだったと思います。あと、私の車は私が運転できるように改造した持ち込み車両で、ハンドル操作をジョイスティックで操作しなければいけないんですが、どのくらいジョイスティックを倒せばハンドルが回り、車がカーブしていくのか分からず、最初のうちは車が蛇行していました。その時、教官に冗談で「車でダンスしてるのは初めてだ」と言われて、私は大爆笑をしてしまいました。
 また、ある教官に「1日にまとめて2~3時間講習を受けた方がうまくなるよ」と言われたことがありました。そうしてしまうと、ハンドル操作をしているジョイスティックを掴んでる手が疲れてしまい、力が入らなくなってしまう可能性があることをその教官に説明しました。車のジョイスティックは電動車いすのジョイスティックのように柔らかくなく、大きくて少し重く感じていて左右(特に右側)に倒すのに力が必要だと思っていました。その時に思っていたことは、こんなでかいジョイスティックを自由自在に動かせるようになるのか不安だということでした。
 (瀧本香織)

※掲載写真の内容
・運転の学科教本


どんぐりのひとりごと〜
 
 私、年齢がついに65になっちゃいました、あーもうほんまのくそばばあになっちまったー!いつどこで、年取ってくるんだか、わかりませぬけどー。どうしましょ。って言うたところで、どないにもなりまへん!現実を見つめながら生きていかなければなりません。

 私は2、3年ほど前から、腸ねん転の恐怖におびえ悩まされ続けておりました。一度捻転を起こすと繰り返すようですが、私がどんなに気を付けていても年に二回は救急搬送されなければならなかったんです。最初の時は、強い痛みに我慢できなくなり助けを思わず求めてしまいました。病院では、肛門から内視鏡とやらを入れ、捻転した所をまっすぐにし、一度はそれで収まるんですが、やっぱり5回繰り返しになってしまい、6回目になったときは命まで危なかったようです。行き着くところまで来たという感じで以前から勧められていた手術を受けざるを得なくなり、約一か月半の長い入院生活になってしまいました。
最初の一週間は意識がありましたが、だんだん夢なのか現実なのか、わからんような領域に入ってしまい、今思えばとても面白い世界でした。そんな状態の中でも食いしん坊でした。病院と森永製菓会社が隣接していて、桃のネクターやクッキーとビスケットの詰め合わせを買ったり、コンビニでチョコレート系の飲み物を点滴に入れてもらったりなんかしてたり、かと思えば、ベッドで空を飛んで北海道のホテルに行ったり、九州に行ったり、でも、そこの病院で寝てるんですよ。これはいったいどういうこと?!って思っている第三者の私もいるんです。名探偵コナンみたいな人が現れ、特に入院中言語障害で意思伝達方法に悩む私に、「今日から、あなたの念じる言葉を皆さんに伝えてあげましょう。誰かに伝えたいことがあったら、あなたの体をどこでも三回タッチして、その言いたいことを強く念じてみてくださいね」と言われたから、本当にやってみたら伝わっていました。これは私にとって、救世主の到来かと思いました。その夢の中で私は私を演じ、主役の大女優でした。あっ!そうそう、私のあこがれの鳳蘭様からメールが来たりして、かなり有頂天の私でした。    

 夢の中で娘はいつも泣いていました。それは娘の小さい頃の泣き声と重なってしまいました。なぜ泣いているのかわからず、どうしよう、どうしようと思いながら、生きて頑張らないとあかんと思いました。今の私なりに、元気にこつこつとやっていきたいです。そして切実に思うことは、生きていると色々なことを体験するのですが、逃げないで戦っていくことは大事でもあると気がつきました。
 生きているのだから、年を重ねていくのは当たり前です。華麗に年を重ねていこうではありませんか。
 (どんぐり)


松島の人気感・存在感

「毎日日が暮れるのが早い。冬は12時で日が暮れる。春は2時で日が暮れる。夏は3時で日が暮れる。秋は1時40分で日が暮れる。」

「明日歯医者だから、その歯医者の瞬間の時間を乗り越えよう。帰りのバスに乗れば、至福の時間。」

■プロジェクト
バリバラの後番組の取材希望
メンバー(松島・大岩・川﨑)

■好きな芸能人
男性
1位 池上彰(討論・ニュース)
2位 宮根誠司(情報)
3位 所ジョージ(ラジオ)
4位 サバンナ高橋(将棋番組)
5位 草野仁(競馬)
6位 東幹久(競馬)
7位 土井善晴(料理)
8位 田原総一郎(討論)
女性
1位 高田秋(競馬・グルメロケ)
2位 朝日奈央(昼の情報)
3位 宮島咲良(競馬)
4位 ゆきぽよ(グルメロケ)
 5位 横山ルリカ(競馬)
6位 松村沙友理(グルメロケ・報道)
7位 須田亜香里(情報・報道)
8位 菅井友香(競馬)


ねや散歩Part.18 
 「ラー活」という言葉がある。ラーメン好きの人が使う言葉で、私もしばしばラー活を楽しんでいる。決して通とは言えないが、ラーメン好きではあるのだ。地元に一軒、長年贔屓にしてきたラーメンがあった。その名は「南蛮亭」。バス停の真ん前に在って便利だし、何てったって焼飯が旨い(いや、ラー活の話やろ?)。勿論ラーメンも旨くて、店の通称がメニューの名前でもある「白ラーメン」だったことから、私もほぼ毎回、白ラーメンを注文していた。大体が私はどの店に行っても、何か一つメニューを気に入ると、何年も同じメニューばかりを頼む傾向があり、私の性格上の特徴と言える(障害特性?)。でも、味噌ラーメンも旨かったのは覚えているぞ(笑)。その「白ラーメン」こと南蛮亭が、突然閉店してしまった。今年1月12日頃、店の窓に「1月20日閉店」というデッカイ張り紙がなされた。「え!ウソやろ、しかも直ぐやん」!!地元の住民の割には、正直行った回数は実は少ない。というのも、いつ見ても行列ばかりで、私は並ぶのがあまり好きではないため、つい避けていたのだ。昼よりも、夜遅くのほうが並ばずに入れたので、私が食べるのは専ら晩御飯だった。つまり、それだけ商売繁盛していたのに閉店。告知も僅か10日程前。勿論何か事情があってのことだろうし、それを窺い知る由は無いが、お客の減少・売れ行き悪化が原因でないことだけは確かだと思う。私は知能的にも、世にいう「大人の事情」は汲み取れない人間なので、仮に何かあったとしても、想像は出来ないだろう。ただ、やはり残念である。焼飯の「味濃い目」というのが特に逸品だったのだ!岡町商店街にもう一店舗あるということなので、地元からは少し離れてしまうが、是非行ってみたいと思う。
 (ねやたろう)

※掲載写真の内容
・南蛮亭外観
・白ラーメンと焼き飯
・営業最終日の行列