KSKS NPO法人CIL豊中通信【アイエルちゃん新聞】Vol.64
2024年11月号
編集人 NPO法人CIL豊中
豊中市蛍池中町2の3の1の203
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Email: ziritsu@ciltoyonaka.com
TEL 06(6857)3601
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発行人 関西障害者定期刊行物協会
大阪市天王寺区真田山町2の2
東興ビル4階 定価100円
特集:酒の肴に(?)道徳と人権! -多角的に考える-
「カタい話だって必要よ」。そんな【某スタッフの一言】で決まった今号の特集は、「人権と道徳について」です。日頃、人権問題に触れる機会が多い中で、道徳の存在に今一度スポットを当ててみることになりました。先ずは編集スタッフ同士でこのテーマについて対談を行い、それを踏まえて、多角的に考えるべく、次の3ヶ所(4名)を取材しました。
①大阪大学人文学研究科、臨床哲学准教授 小西真理子さん
②豊中市人権教育推進委員協議会(以下 人権協)代表、元教師、当事者の親 青木康二さん
③豊中市教育委員会、学校教育課課長 花山司さん・同主幹 川見ゆかさん
①は学識経験者の立場で「ケアの倫理」の視点から、②は民間の立場から、そして③は行政の立場から、それぞれ語って頂きました。紙面より厚く御礼申し上げます。内容が広範囲で難しいだけに、リラックスして、酒の肴のつもりで読み始めて下さい。
★スタッフ対談編☆
Q.道徳と人権の違いは?
瀧本 道徳は小学校で授業としてやっていた薄い記憶があるという感じ。この年まで生きてきて、何かぼんやりとして決められない、定まってないものというイメージ。人権はハッキリとルール決めをされているもの。
大岩 道徳は生きていく上での、善悪などの判断基準。時代によっての変化がある。人権は本来は普遍的なものだが、時代によって変化もしている。人権とは即ち権利であり、道徳は判断材料。そもそも質が違う。
根箭 人権とは、パッと思い付くのは条約や憲法や法律。国際レベルや政治レベルで決められるもの。道徳は人の感情とか価値観、その人が良かれと思っていること。例えば、お節介で要らんことする人がいたら、そのお節介もその人の中では道徳で、権利が建前的だとするなら、道徳は本音の部分。きちっと明文化はされないが、人間の心の、何か曖昧な部分が道徳の正体というイメージが、物心が付いた頃からあった。
川﨑 人権も道徳も、生まれた時から与えられると思うが、人権は一度与えられたら、死ぬまで変わりようが無いのに対して、道徳は生活する中で少しずつ育っていく感じ。
西村 人権はMUSTで道徳はBETTER。人権は絶対に揺るがないもので、道徳は「そうあった方がいいよね、こうした方が望ましいよね」というレベル。自分が培ってきた価値観とか、受けてきた教育によって作られていく。
根箭 人権が固体なら、道徳は液体というイメージ?
西村 ハハハ、難しいことを言う!でも、そうかも知れない。固体は絶対的で確定されているが、水分は流動的だから。
塚原 人権は誰でも平等に与えられている。昔は障害が重くなったら死なないといけないと思っていたが、今は人としての権利を主張して生きている。道徳は、その権利が行使されるための周りの考え方だと思う。
Q.道徳に関して、何かエピソードなどの思い出は?
根箭 小学校で道徳の授業で使っていた、「にんげん」という教科書を思い出す。普通は科目と教科書の名前は同じなのに、道徳だけ「にんげん」。6年になっても平仮名表記なのはとても不思議だった。道徳で初めて「部落」と「差別」という言葉を知って、豊中にも被差別部落があったという話をよく聞いた。障害者を意識しての道徳は?と言うと、配慮かな?配慮される側が「されて当然」と思い過ぎるのは良くないが、配慮することは他者の状況や気持ちを想像する力という意味で、道徳になる。
川﨑 小学校のときに道徳の授業が、勉強しなくていいから楽だな~と(笑)。大人になって今思うと、道徳は善意の押し付けとか、強制ボランティアみたいに映ってしまう。でも、道徳の授業が無かったら、それはまた良くないのかな?自分の子どもにどういう考え方を持ってもらおうかな?とか。教え方も難しいと思う。
西村 例えば電車に乗るとき、「困っている人がいたら助けようというのが道徳」というイメージは大きい。駅員がスロープを用意してくれるのは、道徳というよりは、安全に乗れるための権利に近いかな?
根箭 ああいう対応は、マニュアルや研修もあるだろう。
西村 マニュアルがすごく、いい面も悪い面もあって、鉄道会社によっては「絶対乗車時間15分前には改札に着かないといけない」ということも言われる。それは安全に乗車させるために決めたルールかも知れないけど、窮屈さを感じてしまう。権利や安全や保障を主張し過ぎると、得てして過剰なルールが増えていきがちな世の中なので、私は権利よりも道徳的に、人が人を思う世の中がいいなと思う。
瀧本 車いすで走っていて、ちょっと携帯の操作をしていたら「大丈夫ですか?」と訊かれたことは多々ある。何か困っていると思われた。
大岩 道徳は生きていたら常にある。さっき根箭が想像力と言ったのが凄くしっくりくる。やはり相手のことを想像して、思いやる、その中で自分が取るべき行動を考えるから。
塚原 私は昔から言語障害があって、子どもを産んでから車いすの生活で、保育所や学校は配慮があったと思う。
★道徳・人権、大いに語る!
上田 道徳と人権を考える際は、先ず人権に焦点を当てることが重要。人権とは、障害の有無に関係なく、全ての人が平等に持てるべきもの。道徳の授業では、障害者を可愛そうと思うようにアプローチしていたが、それはかえって障害者に対して、「特別感」を強めてしまう。対等であるためには「お互い様精神」が必要。これは、困っている人を助けるのは自然で、「お互い様やん」という感覚。
大岩 「お互い様精神」は、人権的というよりは道徳的な視点のように感じる。
上田 障害者というレッテルを消して、人間同士として平等に接するために、「お互い様精神」が必要かな?と。社会が変わるためには、人権を基盤とした考え方が不可欠。ただ、権利を主張するだけでは、真の理解を得るのは難しいかな?人権の土壌が不充分なまま、障害者の環境だけを一般学校や一般就労に変えると、かえってお互い無理があるかも。
根箭 人権的なアプローチから始まるのが大事だけど、その更に前に道徳的な感覚が必要なのかな?
大岩 例えば障害者が権利を主張したとき、それが我がままと見なされてしまうことがある。これは運動の背景にある、当事者が主権を奪われていた歴史を、社会が理解していないからだと思う。昔は偏見や差別がより露骨で、その中で「権利を主張しようじゃないか!」という流れが出来たけど、その主張ばかりが独り歩きしたがために、「じゃあヘルパー付ければ?」「専門職の人にやってもらえばいいやん」となって、人同士としての道徳的な部分が薄れてきた。
根箭 権利の主張は自分のことが中心だが、道徳は周りのことを考えることから始めると思う。例えば公共の場所ではマナーを守るとか、他人の迷惑を考えるとか。「道徳心が薄れてきた」というのは解る。
大岩 その一方で世の中には、利他的な面もあると思う。「多くの人が幸せになるのがいいことだ」という考え。ただ、この考えには裏があって、「多数のためなら少数が犠牲になっても仕方ない」という思想が内在している。これは優性思想にも繋がりかねない。
上田 道徳教育が強調される一方で人権教育が軽視されると、個人や集団が特定の価値観に従うことが求められ、個々の権利や多様性が充分に認められない現象が起こる。人権教育も重視しつつ、道徳教育とのバランスを取って社会が進んでほしい。
根箭 人権と道徳は、どちらも必要ということで。
Q.私たちはどう生きたい?
瀧本 自分の道徳心が間違っていることもあるかも知れないが、その都度見直しながら、自分らしく生きていきたい。根箭 道徳が流動的なものである以上、間違えた方向に社会が傾くことも有り得る。もしそうなっても、方向を正すようにして生きていきたい。
丹田 日頃、相談員をやっているが、或る人がいて、本人は「困っている人を助けるのは当然」という道徳心から、親族の人にお金を貸している。でも、実は親族の人は、自身が遊びで使うためのお金を、本人から騙し盗っているだけ。この状況を権利擁護の視点で見れば、当然本人の財産を守りたい。
塚原 難しいけど、これからも私なりに生きていきたい。
西村 人権と道徳を意識するときは何かを注視しないといけないときで、時に白黒付けるかも。これからも日頃支えてくれる人を大切にして生きていきたい。(担当:根箭)
※対談風景の写真と、「にんげん」という教科書の写真があります。
大阪大学 臨床哲学准教授
①道徳とケアの倫理
道徳の一般的イメージ:「かわいそうな人がいて、何かしてあげなければならない」という考えが、多くの人に共有されています。
キャロル・ギリガンのケアの倫理:人々は他者に対する責任を持ち、ケアが必要であるという視点を提示しています。
エヴァ・フェダー・キテイの主張:重度の障害者との関わりを通じて、自身の価値観の狭さに気付き、「障害のある人も人間である」と強調しています。
②ケアと障害者運動の対立
障害者運動の視点:障害者は権利の主体であり、自立を求める運動を展開しています。
ケアの問題点:「かわいそうだから助ける」という、上から目線の姿勢。
③道徳とケアの倫理
ケアを提供する側が主体となり、被ケア者(障害者)の主体性が軽視される。
ケアと自立の相性の悪さ:ケアの手間が掛かり、ケアラーが疲弊することで、ケアラー自身が「かわいそうな人」として見られる問題が生じます。
④ケアラーへの社会的視線と免責の問題
介護殺人や虐待の免責傾向:ケアラーが加害者となった場合、「大変だったのだから仕方がない」という社会的同情が生じ、行為が正当化される傾向があります。
優生思想との関連:この免責の背景には、障害者の命の価値を低く見る、優生思想が潜在していると指摘されています。
⑤合理的配慮とわがままの認識
合理的配慮の課題:申請プロセスの複雑さや時間の掛かる手続きの問題。教員や周囲の人々の理解不足により、配慮が「わがまま」と受け取られる場合がある。
当事者間の葛藤:障害を持つ人々の間でも、配慮の程度や要求に対する意見の相違が見られています。
⑥ケアのコミュニキエーションとニーズのすれ違い
ケアの失敗と学習:ケアを提供する側が被ケア者のニーズを完全に理解することは難しく、失敗を通じて学んでいく必要があります。
教育の重要性:お互いのニーズを理解し合うためには、コミュニケーションと教育が不可欠であり、障害を持つ人々が、その負担を強いられる現状があります。
⑦社会構造と効率性の問題
負担の偏り:ケアや教育の現場で、効率性が重視されるあまり、個々のニーズに対応できない状況が生まれています。
スタッフ不足と過重労働:福祉現場では、ケアの必要性が高まる一方で、人員不足により適切な対応が困難になっています。
★分析と考察
ケアの倫理と障害者の権利主張が、複雑に絡み合う現状を浮き彫りにしています。ケアを提供する側と受ける側の間で生じる摩擦や、社会的な構造による問題点が、詳細に描かれています。
ケアの主体性と被主体性:ケアが一方的な行為になりがちで、被ケア者の主体性が損なわれるリスクが、指摘されています。
社会的認識の歪み:ケアラーの行為が免責される一方で、被ケア者の行為が厳しく非難される不均衡が存在します。
制度と現場のギャップ:合理的配慮などの制度があっても、現場での理解や実践が追いついていない現状があります。
(担当:大岩)
※小西准教授の写真があります。
人権協代表 元教師
教師時代の或る失敗談から
青木さんは定年まで40年以上、学校の教師をしてきましたが、長い教師生活を通じて、忘れられない失敗体験があります。それは学校行事で全校生徒が集合していた時のことで、整列後、お喋りをしていた生徒に「静かにしろ!!」と怒鳴ったのです。あとで先輩教師からすごく怒られました。「怒鳴られて静かになる子どもは、最後まで怒鳴られて静かになるしかなくなる」。先生に怒られたら恐いというだけの理由で従うことを覚えると、自分で考えたり意見を述べたりする力が削がれてしまいます。生徒は何故喋っていたのか?もしかして行事の内容が面白くなかったのか?それを考える上でも、大切なのは、子どもたちからの自発的な動きを導く教職員の知恵や、待つ姿勢をどれだけ我慢して創り出すかが問われているということでした。
挨拶は命と命の確かめ合い
守るべきルールはありますが、ただ「守れ!」だけではなく、「何故?何のために?」を知る権利が、誰にでもあります。一例として、挨拶は何故するのでしょうか?青木さんは、「カタい言い方をすれば、命と命の確かめ合い。自分はここにいるよというサインを、無視ではなく、お互いに響き合えるような関係が挨拶」と語っていました。
家の外に出たら障害者
青木さんは障害のある子の父親ですが、我が子について一言。「家の外に出れば障害者」。一歩玄関から出れば、社会環境で障害を感じさせられる場面が多々あるということです。「この子の存在を知ってもらうことが、周りから支えられやすくなることに繋がる」と考え、とにかく色々なところに連れて行きました。そんな姿を見て、間違って「お父ちゃん頑張ってるなぁ」と言う人も多かったとか。
ヘルパーさんって・・・・
長年、色々な障害者と接する中で、多くのヘルパーとも出会ってきました。ヘルパーは、その殆どが社会人になってから初めて障害者と出会っています。そのため接し方がマニュアル的となり、「きちっとした介護をしなくては」と思い込み勝ちになりやすいそうです。結果、極めて管理的な接し方となり、本人に寄り添おうとする姿勢が本人の願望と異なることが、多く見られるとのことでした。本人の命を守るのは勿論前提ですが、同時に生活の質を大切にし、自由を尊重することは必要です。ヘルパーとしての「道徳観」が、かえって本人の権利を否定してしまったら、本末転倒になりますね。
自分を晒さないと進めない
最後に人権協の立場から、パワハラやセクハラなどの被害について言及しました。被害者の多くは、そこから立ち直って問題解決に向かうために、或る覚悟を持たなければならない状況に追い詰められます。それは、自分の姿を公に晒すということで、そうしないと、組織の責任者に訴えても、事実を揉み消されてしまうのです。このような在り方は果たして正しいのでしょうか。なぜ、被害当人が自分を裸にして訴えなければならないのでしょうか。人権協は市民団体ですが、豊中で何か起こった場合は、人権政策課や市長に物申していかなければならない、と話していました。
(担当:根箭)
※青木さんの写真があります。
教育委員会 学校教育課
道徳の授業と教科書について
現在の小中学校では、道徳は国語や算数と同じ「教科」と位置付けられていますが、「にんげん」という副読本が使われていた時代は「教科」ではありませんでした。人権教育の副読本は都道府県ごとに違っており、「にんげん」は大阪府で作られたのです。半世紀以上前は教科書も存在せず、学校ごとに先生が地域の人たちから地域での暮らしの聞き取りをし、それを手書きのプリントにして教材としていました。ただ、地域ごとにバラバラだと、他地域の情報は入らず、自分たちの地域に人権問題があっても、外とは共有出来ません。そのため、都道府県ごとに教材を作る体制となり、その動きが、現在の大阪府の人権教育の軸となりました。
切っ掛けは大津市での事件
道徳が「教科」になる大きな転機となったのは、2011年に起こった、大津市内の中学校でのいじめ自殺事件です。この事件が大々的に報道されたことで、国としても何の対策も立てていなかったのはいけないだろう!となり、「特別の教科道徳」となりました。教科になったことで、道徳は評価が付くようになりました。
道徳と人権はリンクしないと
「道徳心のある人」と評価されるには、どうすれば良いのか?これはなかなか判断が難しいと思います。「周りの空気を読み取り、相手の求めに応じて臨機応変に動ける人イコール道徳心がある」なのか?教育委員会はそうは考えていません。「子どもたちが、自分の考え方や友達との付き合い方等について、今一度考え直す機会となるのが道徳ではないでしょうか。話は変わりますが、人権教育については文科省が、『子どもたちにどんな力を付けてもらいたいか』を示していますが、それによると、人権教育で育てる資質能力として、知識的側面・価値的態度的側面・技能的側面の3つの力を示し、自分や他人の人権を守る態度を身につけて欲しいとしています。このうち価値(観)や態度の側面は、道徳教育で育てられると考えています。だから道徳と人権は相反するものではなく、互いにきちっとリンクされるべきだ」との話でした。
変わりゆく人権問題
人権問題は時代と共に変化してきており、昔なら人権課題とは全然見なされなかった事柄が、今では問題の一つとして認識されているものがあります。人権感覚は、今では若い世代にとっても学ぶ機会が多いので、その分研ぎ澄まされている場面もあるのではないか?と考えています。寧ろ人生のベテラン世代で、人権感覚が昔のままの人もいるので、一概にどちらがどうとは言えないというのが、花山さんが抱く印象です。また学校現場では現在でも、いじめや不登校の問題が多く存在しています。行政が、スピード感を出して対応するのがなかなか難しい中で、当の子ども達自身が何とかしようと動き出して、子ども同士で話し合ったりしている事例もあるそうです。学校はそんな子どもたちを支える存在であって欲しいし、学校現場の力が大変頼もしく感じられます。不登校に関しては、色々な選択肢が権利として認められるといいですね。
主張と喧嘩は違う!
取材の最後に花山さんより、「今の子どもは、自分の意見や主張をぶつけ合うことをしない傾向がある」という話がありました。先生同士でも、意見をぶつけ合うことが出来ない人がいるようです。意見のぶつかり合いそのものが良くないという風潮が生まれ、主張の衝突を避けようという流れになっているとのことでした。乱暴な言い方や暴力が伴う喧嘩はいけないですが、互いの意見をぶつけ合う体験をして初めて、「次から伝え方を変えてみよう」とか、「先ずは相手の意見を聞いて考えてみよう」とか、「このやり方では相手に伝わらないから、違うやり方を編み出そう」と考えるようになり、それが学びとなります。権利主張が即ち喧嘩と思う風潮が、人権教育をするのを凄く難しくしているのかも知れません。周りとの意見交換を良しとしない雰囲気だと、一人が全てを囲って抱え込んでしまう危険性が生まれます。道徳教育と人権教育を進めていくのは勿論、孤立化という問題を防ぐためにも、人と共に過ごし、人に思いを伝える機会は、失われてはなりません。
(担当:根箭)
※花山課長と川見主幹の写真があります。
豊中地域情報ばびゅーん!!
ミュージアムカフェ「坂」
ミュージアムカフェ「坂」は、知的好奇心を注がれる空間です。
秋といえば、芸術や読書、知識欲が増していき、そのかたわら食欲の秋でもあります。そこで私は、こんなところに行ってきました。
わが豊中のまちは今から六十年前、柴原の待兼山丘陵、大阪大学豊中キャンパス内の新校舎建設中の現場から、ワニの化石が発掘されて、ワニ(マチカネワニ)で有名になっていたようです。この総合学術博物館の玄関に、本物のマチカネワニの化石の骨が私たちを迎えてくれます。
❣ マチカネワニのカレーでぇす!
ここは、博物館の中のカフェです。博物館に来られた方のための休憩処で、コーヒーや紅茶はもちろん、ケーキ、焼き菓子、軽食、日替わりランチなど盛りだくさんにあります。中でも、焼きカレー、マチカネワニカレー(土曜日限定販売)は、ここにしかないものだとか。かわいらしくご飯がワニ型にされていて、美味しそうです。
🌸しかも安いんです❣
メニューを拝見しましたが、どれを拝見してもボリュームがあり、美味しそうです。しかも低価格です!ここは、豊中、吹田、箕面にまたがる大規模な総合大学で学生食堂もあるけど、カフェやコンビニまでもあり、学生のための生活協同組合があり、そこに加入しているから安いのだそうです(ただし組合員以外は10%上乗せとか、でもやっぱり安いんです)。この豊中キャンパスでは、あと2か所のカフェ(カフェ「カルチェ」、カフェテリア「かさね」)が加入してるそうです。その他のキャンパスにも、吹田に3か所、箕面に1か所カフェがあります。
一日に平均30名から40名の人たちが、博物館を見学した後のひと時をこのカフェで過ごします。春休みや夏休みなど学校の定期休暇中は、子どもを連れた家族連れが多いのも頷けます。中にはショップがあり、阪大限定グッズや博物館オリジナル商品などが売られています。
🌸落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりとコーヒーを!
静かでゆっくり落ち着いた雰囲気の中で、おいしいコーヒーやケーキに舌鼓を打ちながら、考古学や科学の歩みなどの話に花を咲かせるのもよいし、暖かい季節には、テラス席で物思いに一人でふけるのにも最適な場所です。
取材の後、博物館も見学しました。マチカネワニは、今どんな気持ちで人間たちを見ているのでしょうか?もしかしたら、人間たちの未来を知っているのかもしれませんね。久しぶりの博物館でしたが、私なりに空想の世界に浸れて楽しめました。館内はバリアフリーですが、博物館玄関前が傾斜のきつい坂になっていますので、特に車いすの方は、お気を付け下さいね。
皆様も学識の秋を楽しみ、そのあとカフェ「坂」で、おいしいひと時を過ごされてみては?
所在地:豊中市待兼山町1-2
電話:06-4708-5210
営業時間:11時半~14時
定休日:日曜・祝日
(担当:塚原)
※カフェの内部やメニュー、ミュージアムの内部の写真があります。
わくワークみっけ!!
人と、人として働き、生きることで楽しむ
楽(らっく) 豊中市立花町1-2-8
06-6845-9123
阪急豊中駅から西へ徒歩約6分。3階建てのクリーム色のマンションが見えてきます。今回は就労継続支援B型の「楽(らっく)」を取材させていただきました。代表社員である村上敏幸さんが出迎えてくれました。
〇楽しめるをモットーに
楽(らっく)はサニーハウスというマンションの1階にあります。仕事を黙ってひたすらに・・・というのがしんどい人もいるので、低めの音量でポップスを流しながら、私語もOKというスタンスで作業をしています。楽(らっく)に来るまでは引きこもりがちだった人も、周りの人と話せたり仲良くしゃべれる人ができたことで通い続けています。
〇切っ掛けは精神の方の働く場作り
村上さんが、楽(らっく)を始めたきっかけは、独り暮らしのお姉さんの精神状態がしんどくなって、家族から「気持ちの問題だから頑張れ」と無理解な言葉掛けをされたために、仕事を辞めざるえなくなったことです。今はパートの仕事に復職しているとのことですが、お姉さんが離職した頃は精神の方が働く場は少なく、一般企業で働けない人のために何かできないかと強く思われたとのことです。
ネットで就労継続支援B型の存在を知って、2020年の8月1日から楽を立ち上げました。
〇楽(らっく)の作業にノルマなし
在籍利用者は現在19人で、季節の変わり目で調子を崩す方もいて、平均で毎日10人の方が通っています。約半数が精神障害の方、残り約半数が知的・発達障害の方です。近所の方は歩きや自転車で通いますが、送迎の車で通う方が多いとのことです。皆さん隠れ家的な場所として、和やかに作業をしています。オリジナル商品としてパラシュートコードを使ったアウトドア用やスマホのストラップ、シリコンチューブを切って、袋の輪っかにしたり、レターセットの袋入れ、金具の加工・バリ取りなど内職作業もしています。内職作業もノルマはなくて、その人その日のペースでやっても、待ってもらえる所を搬入先にしているそうです。作業工賃は平均で1日500円です。
それぞれの方の特性に合わせて、テリトリーやその日のプログラムを工夫しています。
〇新商品の開発をしています
もともと楽(らっく)はネットショップで、海外から仕入れたユーズドの衣服などアパレル商品を、国内向けにサイズ変更する仕事をしていました。販売サイトで注文を受ける仕事は在宅でもできるので、委託・独立した方もいます。
今も在宅ワークとして続いているそうですが、若者のオーバーサイズ志向もあり、独自のデザインで介護用ワンピースやパンツ等、バリアフリー服を開発して、ネットでの受注にチャレンジしています。
股の部分がジッパーやボタンになっていて、動きやすく機能的ですし、そのまま外出しても、バリアフリー服とは分からないほどオシャレなものでした。ジモティーで募集をして、なるべく安価にリメイクして販売しようとしています。ぜひヒット商品にして欲しいですね。
〇就労継続でもレクを楽しむ
お互いが支援し合える関係を築いていくために、お花見やクリスマス会、今月はバーベキューを企画しています。
また楽(らっく)のことをより知ってもらうために、年1回バザー品として、ストラップやミサンガ、アイロンビーズで作った商品を販売したり、アニメキャラの絵などを展示しています。
〇豊中にこういう場所がある
豊中市の就労継続支援でも、精神の方を中心とした居場所は限られているので、連携している事業所さんもあります。閉じこもってしまう方は多いので、周りで一緒に働く人でも職員でも、「わりと仲良くしゃべれるよ」と言える人を見つけて欲しい。一緒に楽しんでほしいとのことでした。ぜひ一度見学してみて下さい。週1日から利用が可能です。
サービス提供時間は平日月曜から金曜の10時~16時。週内に祝日があれば、土曜もあり。
(担当:たった)
※楽(らっく)の外観や内部、本文で紹介された商品の写真があります。
「ぼく松島を知っているか」
~納豆の日を知っているか~
ぼくの名前は松島だ。生年月日は7月10日(納豆の日)だ。
生まれつきCFC症候群という疾患を持っている。CFCとは、Cardio(心臓)、Facio(顔)、Cutaneous(皮膚)に先天的に特徴が現れる疾患だ。
苦手な音があり、例えば、工事の音は×××。木を切る音も×××だ。
趣味は、競馬の実況、パソコンだ。毎月、福祉センターひまわりの、ダンベルエクササイズと、ひまわりボッチャ講座に参加している。
ぼくはよく夢をみるので【夢事件】と名付けている。
■悪の夢■
・工事の日が迫る夢。
・カラスに噛まれる夢。
・歯医者の日が迫る夢。
□良い夢□
・チアリーダー、アイドルと記念写真などを撮った夢。
【CILでの活動】
・CIL全職員アナウンサーアンケートCEO。
・全チャンネルアナウンサ ー評価責任者。
・騒音評価責任者。
(松島)
追悼:牧口一二さん
去る2024年9月26日、当法人の前身、障害者自立生活援助センター・とよなかの二代目代表である牧口一二さんが、病気のため他界されました。87歳でした。
牧口さんは、車いすを使用する障害当事者として、1970年代から「誰でも乗れる地下鉄の会」の代表を務めるなど、障害者運動に尽力。こんにちに至る、交通機関のバリアフリー化に繋がりました。また、阪神大震災を機に設立された「ゆめ風基金」の代表を、初代として長く務められ、NHKの番組「きらっといきる」のパーソナリティーとして、テレビでもお馴染みの存在でした。講演なども数多くこなされ、軽妙でユーモア溢れる語り口は人々を笑いに誘い、温かい人柄が滲み出ていました。
ここに謹んで深く、ご冥福をお祈り致します。
(事務局)
※牧口一二さんの写真があります。
CIL豊中 2024年度 通常総会報告
去る6月22日(土)、蛍池公民館にて特定非営利活動法人CIL豊中2024年度通常総会が開催されました。14時10分に開会宣言、徳山理事長による開会挨拶の後、徳山理事長を議長として審議が始まりました。各議案の説明・質疑を経て議案は全て原案どおり承認可決され、14時40分に閉会しました。
議事
第1号議案
2023年度事業報告及び決算の件
報告事項
2024年度事業計画及び予算
《2023年度事業報告及び決算》
2023年度は、障害者総合支援法における在宅福祉サービスとして、居宅介護、重度訪問介護、同行援護、生活介護、計画相談支援、地域相談支援を行った。地域生活支援事業として、移動支援、豊中市重度障害者入院時コミュニケーション等支援事業、豊中市重度障害者等就労支援特別事業、少路障害者相談支援センター事業を行った。児童福祉法における在宅福祉サービスとして、放課後等デイサービス、児童発達支援、障害児相談支援を行った。介護保険における在宅サービスとして、訪問介護、介護予防・日常生活支援総合事業訪問型サービス事業、訪問看護(医療保険含む)、介護予防訪問看護を行った。また、豊中市障害者外出支援サービス事業、大阪府医療的ケア通学支援事業、障害支援区分認定調査、点字名刺事業、自立生活体験室を行い、障害を持つ人の地域生活の支援を行った。
5月から新型コロナの感染症法上の位置づけが5類感染症(季節性インフルエンザと同分類)に変更され、少しずつ新型コロナ禍前の日常を取り戻した1年であった。休止していたCIL豊中主催イベントも新たな形で再開できた。
老朽化により自立生活体験室を5月で閉鎖した。新しい自立生活体験室は物件を複数検討したが、間取りや段差等の理由でまだ見つかっていない。
事業に欠かせないマンパワーを確保することが年々厳しくなってきている。最近では特に、重症心身障害児者通所施設のスタッフの確保に苦慮している。
また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いだ。
■少路障害者相談支援センター(豊中市委託事業)
豊中市障害者相談支援事業及び豊中市障害者基幹相談支援事業
相談・支援件数 2,999件
自立生活プログラム講座「他者へのコミュニケーション」
■自立生活体験室
宿泊利用2泊、デイ利用6回
■豊中市障害者外出支援サービス事業(豊中市補助事業)
運行回数2,629回
■点字名刺の作成販売 作成枚数600枚
■障害支援区分認定調査
調査件数40件
■計画相談支援 利用者数48人
■障害児相談支援 利用者数5人
■地域相談支援 利用者数0人
■障害者総合支援法介護サービス
派遣時間105,757時間
■生活介護
通所回数1,127回
■放課後等デイサービス 通所回数250回
■児童発達支援
通所回数43回
■介護保険法介護サービス
派遣時間4,530時間
■訪問看護サービス
訪問回数6,499回
■大阪府医療的ケア通学支援 送迎回数35回
■介助サービス(制度外)派遣時間34時間
《2024年度事業計画及び活動予算》
障害者総合支援法・児童福祉法・介護保険法及びその他事業を2023年度と同じく行う。
4月から障害者差別解消法が改正され、それまで努力義務であった事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化された。障害のある人もない人も互いにその人らしさを認め合いながら、共に生きる社会の実現を目指していかなければならない。閉鎖中の自立生活体験室については、引き続き利用可能な賃貸物件を探して再開したい。事業に欠かせないマンパワーの確保に特に苦慮している。重症心身障害児者通所施設については、地域でも希少な事業所なのでなんとか継続していきたい。
また、障害者自立支援協議会や相談支援等連絡会、障害支援区分認定審査会、医療系会議などに引き続き委員として参加し、地域福祉の充実に力を注いでいく。
本年度予算は約596,000,000円
活動計算書
2023年4月1日~2024年3月31日(単位:円)
Ⅰ 経常収益
1.受取会費 84,000
2.受取寄付金 10,000
3.受取補助金等 18,285,076
4.事業収益 544,062,349
5.その他収益 987,210
Ⅱ 経常費用
1.事業費 556,789,138
2.管理費 2,551,435
Ⅲ 経常外収益
経常外収益 4,818,000
Ⅳ 経常外費用
経常外費用 3,595,600
税引前当期正味財産増減額 5,310,462
当期法人税等 2,683,800
当期正味財産増減額 2,626,662
前期繰越正味財産額 160,231,053
次期繰越正味財産額 162,857,715
(徳山)
哲珍の部屋
「団長」
梅雨の終わりが近づいていたある日の夜、福岡のボランティア団体(福岡県南青少年の船)《以下「船」》で暑い熱い夏に向けての会議を進めているだろうなと思いながら、月初でたまたま残業していると一本のライン電話が。
スマホを見るとまさしく「船」の重鎮の一人(大学時代に初めて船に関わった時に面談してくれはった方)からで、開口一番「てつ、今年お前が団長して!みんな総意やけんが」と。率直にはただ驚いたのと、今更ながらみんなに認められて貰ってるんやなと。少ししてから、40人の子どもの命を預かるという事の重圧も出てくるんだろうな、と。
27年「船」に関わって、少なからず色んな団長の動きもチラチラ見てきた。役割は言うまでもなく最終判断をして責任を取ること。子どもに何かあれば一生その罪を償うことだと思う。数日考えて皆の総意と認められている思いを裏切らんようにと謹んで引き受けた。
この「船」福岡県南青少年の船とは、「団体生活やレクリエーション活動を通じ友情を深め、研修をともにして視野を広げ、たくましい青少年として地域社会で活躍できるよう研修する」事を目的とし、福岡県南部の市町村の子どもを公募して沖縄や奄美群島に出向き、自然体験や海洋研修を行い、5日間集団で過ごすもの。
「船」との関わりは通っていた大学が九州で、その縁で卒業後も27年続けている。長い27年も続けると団員として乗っていた子がスタッフで帰ってきたり、スタッフ同士で結婚し子どもが団員で乗り、そしてスタッフになったりと。巡り合いの中でやなと。
事前研修で団員と保護者に初対面。団員募集にも顔出してたからか、そんなに驚きもなく団員からは「あっ、この前いた人や」 「去年おったてっちゃんやん」、保護者の中には「(保護者が)子どもの時に乗ってたてっちゃんだ」という心の声もちらほら。団長として紹介され前に出た時は、「お~~」(やや希望)や「ほ~~」(やや期待)や「そ~~」(やや不安)な表情が心の声としてたくさん聞こえてきた。やや不安そうにしていた一部の表情は周りにいるスタッフ陣の動きが打消してくれる。出来るとこは支えずに、出来ないとこだけスタッフの誰かがサッと寄って支えてまた捌けるという動きをみたら、団員も保護者も不安は少しスッとした感じに見えた。
例年なら団員の子の班に付き、班長のサポートしながら子どもらに絡んで障害の事知ってもらうのが役割やと思ってたけど今年は全然違った。
どこの班に付く事もないから帰れるところがなくて寂しいなとか、なるべく関わりたいけど団員に何かあれば責任は上田にとか、多くの事を考えるともうそれは何とも言えない緊張感が五日間。振り返ってみても例年よりは笑いの質や笑顔の数、子どもらに積極的に絡む回数は少なかっただろうなと。
責任感と緊張感がある重たい五日間ってわけでもない。後半はええ話をいっぱい書こうと思う。
(上田哲郎)
※ボランティア団体の活動風景の写真があります。
運転免許取得
[極秘]プロジェクト
前号で埼玉県のミクニ ライフ&オートに行き、改造するための打ち合わせをしました。それからしばらくして、埼玉県のミクニ ライフ&オートの担当者から車の改造がすべて終わったと連絡がありました。これからは改造の終わった私の車を教習所に輸送してもらうことになっています。
そして、教習所に車の改造が終わったことを伝え、納車のお願いをしました。その時に、最初に言っていた車種とは異なるので、トヨタのシエンタになったことも説明しました。
いよいよ私の車が大阪にやってくるー!!なので、納車日に立ち会うことにしました。それで、トヨタの営業の人に私の車で自宅に来てもらい、電動車椅子と私を乗せて摂津市の「サンドライビングスクール吹田茨木」へ向かいました。
そして、到着して私専用の駐車場を案内されて、駐車してもらいました。これで、無事に納車完了しました。もう後は教習所に通い、免許証取得するだけ・・・・頑張るぞ!!
【教習所】
以前からお願いしていた「サンドライビングスクール吹田茨木」に通い始めようと思ったところ、母親に言ってなかったことを思い出しました。そこで、教習所へ行く直前に母に「車の免許を取りに教習所へ行ってくるね~」って言うと、「あんた、運転できないやん」って言われました。そして私が「私が運転できる改造した車を作ったから運転できるのよ」と言って、入学手続きのため、教習所へ向かいました。その時思った事は、母から猛烈に反対されるだろうな~と思いながら入学手続き説明を聞いていました。その数日後、意外なことに応援してくれる母がいました。そして母も以前は運転していたので、車の運転あるある話や、母が教習所に通っていた頃の話をするようになって、親子の会話が増えました。
(瀧本香織)
※車の写真があります。
小説【雅人の一日】
~真夏のシルクスイート~〜
「何回も味見したから、ぼく的には自信があります」
ベッドに横たわったまま、上半身だけ軽く伸びをしていると、食器をカタカタゆらしながら、月山くんが油絵風の富士山の描かれている暖簾をかき分け、ぼくの部屋へ入ってきた。
「そらぁ、楽しみやなぁ」。
すこし身をよじって笑顔を伝えるぼくに、彼は力こぶをつくって応えてくれた。
「初任者研修の担当の先生は『利用者さんのモノを味見するなんて、言語道断です』って、言いきってたけどね。ヘルパーが材料費を出しているわけじゃないし、調理するんだったら、スマホでレシピを調べたらいいって、考え方なんだ」
「一理はあると思うけど、おたがいのやり取りの中でうまれるストーリーがたまらんオモロイのやな」
「そういえば、肝心のまさとさんに味見してもらうのを忘れてましたね」
「ええのや、単純に忘れとっただけで、ヘルパーやからて、特別に意識してへんかったやろ?」
「ズボシです。さすが、するどいですね。信じられないぐらいイメージどおりに味つけできたから、舞いあがっちゃったんです」
耳たぶを赤らめて頭をかいている童顔に、フワフワしたうらやましさが身体のあちらこちらへ降りてきて、たちまちどこかに消えていった。
「ところで、なんかひと手間かけたんかぁ?」
「みそ汁の仕上げに、まさとさんの好物を2滴、3滴垂らしておいたんで、ゆっくり味わってくださいね」
「ラム酒は、わが家には置いてなんかいいひんしなぁ」
「正解はゴマ油だったんですよ」
月山くんは、生真面目そのものだった。
『やきいもぉ、石焼きいもぉ〜、おいも。あまくて、とろけるシルクスイートだよぉ〜』
神社の木立ちのざわめきの向こうから、季節はずれの売り声が割りこんで、思わずぼくと月山くんは顔を見あわせた。
「真夏にやきいも屋って、初めてだなぁ。しかも、シルクスイートかぁ・・・」
まるでテレビドラマに登場する老舗旅館の女中のように、左腕一本で小皿と小鉢とお椀のひしめき合った古めかしいお盆の重心を釣り合わせながら、ずんぐりむっくりな背中は柱時計を確かめていた。
「まだおかずもアツアツなんで、やきいも屋を追いかけてもいいですか?さっくりゲットできたら、まさとさんにもおすそ分けしますから」
その目の表情と舌っ足らずな言葉に、ぼくはヒジから曲がって耳のそばでモゾモゾしていた左手で、ゴツゴツしたオッケーマークをつくって応えた。
腕はふるえていても、親指とひとさし指がうまく組み合わさって、上出来なオッケーマークになった。
ベッドサイドに準備された小机に白いトレイを置くと、月山くんはチョコンと頭をさげた。
サワサワとゆらめく昼ごはんの湯気に見送られながら、ずんぐりむっくりした背中にあどけなさが綻んでいた。
「言語道断かぁ・・・」
ドアを閉める音と重なって、曇ったひとり言が聞こえたような気がしていた。
(北のグリエゴ)
ねや散歩 Part.17
実家で飼っていた愛犬ハナが亡くなって3年、犬に癒やされる時間は、日常からレア体験へと変わってしまった。そんな私が注目したのが、犬カフェ。かつて猫カフェには何度か行ったことがあり、何匹か懐いてきて楽しかった。猫も好きだが、犬に触れてみたい気持ちも強かった。初めて行った犬カフェは、吹田市千里山に在る「COCOMO」である。予約は不要。阪急関大前駅と千里山駅の丁度間ぐらいにある。飛び出し防止の低い柵をまたいで店内に入ると、勢いよく数匹の犬が駆け寄ってきた。取り敢えず席に座って注文をしたが、座るが早いか、一匹の犬が私の傍に駆け寄ってきた。トイプードルの、名前は「あられ」。ほかにもポメラニアンの「わかめ」や、スムースダックスの「なな」といった犬たちと、遊んだり引っ付いたりして過ごした。床の上でゆっくり過ごすためのスペースもあり、久し振りに犬が自分の膝上で寝そべった気分は、最高だった。何人かのお客が入って来て、自分の犬を連れてきた人もいたが、私の足元に駆け寄ってきた犬がいて嬉しかった。
2件目に訪ねた犬カフェは、ミナミのド真ん中は道頓堀に在る、「豆柴カフェ」である。その名の通り、犬たちは全員柴。実は私が生涯で縁のあった犬の多くは柴犬で、従って柴犬への愛着は強い。そこで嬉々として豆柴カフェに行ったのだが、ここは要予約。エラい急な階段を上がって2階で受付を済ませ、さらに階段を3階まで上がって暫し待機。「行列の出来る犬カフェ」状態だった。1回あたり利用時間が30分という制限があり、実際、アッという間に30分が過ぎてしまった。終始豆柴大合唱&駆けっこ状態だったが、何せ外国人客の多さが目を引いた。ゆっくり触れ合うという点では、正直物足りなかったかな?
豊中市内でも一箇所訪ねたが、ここは正確に言うとドッグカフェ。実は犬カフェというのは元々お店の犬がいて、お客が犬と触れ合うための場所を指す。ドッグカフェは、自分の飼い犬を連れてくる場所で、そのためドッグランを併設している店が多い。山ノ上町に在る「うくっぴ」というカフェにも、庭ほどのドッグランがあった。店内は交流会よろしく賑わっており、何匹かの犬はすぐに懐いてきて、飼い主も快く犬に触らせてくれた。この店も予約は不要。これからも、犬と過ごせるカフェを是非訪れたい。
(ねやたろう)
※犬カフェの外観や、本文で紹介された犬の写真があります。