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CIL豊中通信【アイエルちゃん新聞】Vol.63
2024年7月号
編集人 NPO法人CIL豊中
豊中市蛍池中町2の3の1の203
HP: http://www.ciltoyonaka.com/
Twitter: @ciltoyonaka
Email: ziritsu@ciltoyonaka.com
TEL 06(6857)3601
FAX 06(6857)3602
発行人 関西障害者定期刊行物協会
大阪市天王寺区真田山町2の2
東興ビル4階 定価100円
特集:こちら“ニュー北大阪急行”バリア(?)調査隊
今年3月23日、北大阪急行電鉄(以下、北急)が、千里中央から箕面萱野まで延伸され、間に箕面船場阪大前駅も開業しました。当該地域の団体であるCIL豊中にとっても大きなニュースとなり、そのため今回は北急の延伸区間を、当事者スタッフが訪ねて、気付いたことや発見したことをレポートしてきました。53年振りに途中駅となった千里中央にも、変化が感じられるか訪ねてきました。ぜひ街ブラ感覚でお付き合い下さい。
★西村泉編☆
新駅「箕面萱野駅」の開通は、買い物好きの私にとって「みのおキューズモール」に行きやすくなった!と嬉しいニュースでした。オープンして6日後に早速、足を運びました!(足!?いや、車イスです 笑)
「箕面萱野駅」に到着し、『わぁ、キレイやん!』と、ウキウキ。ホームの天井の一部が木を使ったデザインで温かみがあり、箕面の街並みが見渡せる開放感、そしてホーム自体が広く、車イスを片手で押せるんじゃないかと思うくらい床も超フラット、さすが新しい駅は快適だね!と思いました。特に親切だなと感じたのは、乗車位置の案内表があったことです。トイレやエレベーターの場所が、各車両の降り場からどこにあるかが分かるというのは、車イスユーザーには特に有難いと思いました。そんな新駅に喜び、いざショッピングへ!
ん、お!?「みのおキューズモール」に到着したものの、各店舗と店舗をつなぐ床がフラットじゃない!!ずっとどこまでもウッドデッキ!!久しぶりに来たけど、前からこんな感じだったっけ!?移動する度に車イスがカタカタカタ・カタカタカタと揺れるから、全身が常に緊張状態に。車イスユーザーだけでなく、ベビーカーの赤ちゃんにとっても、きっと喜べないショッピングモールだな、と思ってしまう帰り道になりました。
こんな大きな施設は特に、一度完成するとなかなか改修することができないと思うので、ぜひ施設の設計・デザインの段階で、障害者を含む利用者に、ユーザー目線での意見を求めることを切に願います。利用しやすい街になれば『また行こう!』とたくさん買い物しに行きますので(^0^)。
★根箭太郎編☆
先ずは「中間新駅」から
箕面萱野前駅と同時に開業した箕面船場阪大前駅に、先ずは行ってみました。ホームからエレベーターで地下2階に上がりましたが、ボタンが大きくて押しやすかったです。改札口を出ると、右側に地上2階まで直通する長~いエスカレーターがあり、吹き抜け式になっていました。
その名の通り、阪大が隣接しているので学生の姿が多く、文化芸能劇場も発見。駅前は寛げる雰囲気の広場が整備されていました。
トイレチェック
今回の新駅では両駅とも、「バリアフリートイレ」という表記でした。
箕面萱野駅では、1階にある南改札口を入って左折するか、ホーム階からエレベーターで1階に下りると、正面奥にバリアフリートイレが見えます。私はそこが改札内で唯一のバリアフリートイレだと思い込み、迷わず中に入ったのですが、トイレから出てくると、前方にもう一つバリアフリートイレがあり、その隣が男性用トイレでした。今私が入っていたトイレの直ぐ隣は、女性用トイレがあって、男女用それぞれに対してバリアフリートイレがあることが判りました。トイレの中は、男女用で違いはありません。
なお、授乳室も設置されていました。
今の時代の券売機
私は問題無く切符を買えたのですが、両手に障害のある人曰く、「画面がなかなか待ってくれなくて、早く押そうと焦っている内にスタート画面に戻ってしまう」。
タッチパネルは、今や世の中の至る所で見られますが、多目的トイレや優先座席があるように、画面の表示時間が長めの券売機を各駅に1台導入すれば、助かる人もいるのでは?と思ったり・・・・。難しいかな?
因みに、車いすの人の、足が入るための切り込みは、券売機・精算機ともに設置されていました。
バスターミナル
新装開店したバスターミナルは、主な入口となっている箇所に、電子案内板が設置されています。これまでターミナルだった千里中央だと、かなり広い範囲に乗り場があって、それぞれの乗り場の状況は、そこまで行かないと判りませんでした。
箕面萱野駅バスターミナルでは、案内板に全ての乗り場の状況が一斉に表示されるので、状況を1ヶ所で把握出来ます。これは大変便利で助かると思いました。
★瀧本香織編☆
私は自宅も実家も箕面市内にあり、しかも実家は箕面船場阪大前駅から近いです。そのため、北大阪急行を利用しています。私が今回延伸した区間を利用して、気付いたことを書いてみます。
①箕面萱野駅
みのおキューズモールへ買い物に行くとき、今までなら実家から電動車いすで20分走行して行っていたのですが、今回、電車を利用してみました。電車の何両目の車両に乗ったらいいか分からなかったので、真ん中の車両に乗ってみました。すると、箕面萱野駅で降りてすぐにエレベーターがあったので、それに乗って1階の改札口へ行きました。そして改札を出ると、目の前に工事中の白い壁があって、思わず「ここはどこだろう?」と、迷いかけました。左側(北側)を見ると、向こうにキューズモールの建物が見えましたが、少し遠かったです。後日、職場のスタッフに、箕面萱野行きの先頭車両に乗ったら、降りたとき目の前に改札口が見えて、そこを出るとキューズモールに直接繋がっていることを、教えてもらいました。
②箕面船場阪大前駅
今まで北急に乗って出かける時、一人で電動車いすで乗り込めていたのに、この日は少し反動を付けてもなかなか上がれず、気付いてくれた運転手さんが駆け付けてくれて、前輪を持ち上げてくれました。これからは改札口でスロープをお願いしようと思いましたが、車両によって床面と駅ホームとの段差が違うのでしょうか?
③千里中央駅
この前までは終着駅だったので、ホームに止まっている電車にゆっくり乗ればそれで良かったのですが、箕面萱野まで延伸され、きちんと進行方向を確認してから乗らなければならなくなりました。違う方向に出発してしまったら大変なので、慣れるまでは特に気を付けて行かなければと思いました。
★大岩裕司編☆
夜の箕面萱野駅
箕面萱野駅について、夜の訪問レポートをお届けします。レポーターは、電動車いすユーザーで重度障害者の大岩です。箕面萱野駅までの延伸で、みのおキューズモールへのアクセスが一気に便利になり、ワクワクしながら訪れました。
まず、駅前に到着すると大きなバスターミナルが目に入ります。広い芝生広場では、多くの人たちが寝転んだり走り回ったりして、楽しんでいました。夜でも賑やかで安心できる雰囲気で、駅周辺も明るく感じられました。
みのおキューズモール
北改札口を抜けると、目の前にはキューズモールが広がります。夕飯として、フードコートで大起水産の丼を食べたのですが、これが本当に美味しかった!食後もモール内をぶらぶらして、多くの店が入っているので飽きることがありませんでした。
駅のホームとエレベーター
箕面萱野駅のホームは高架になります。ホームにはエレベーターが設置されていますが、これは南改札行きです。キューズモールに行きたい方は、ホーム前端の北改札口をご利用下さい。
バリアフリートイレ
トイレは南改札構内にあります。バリアフリートイレには、オストメイト装置や温水洗浄便座機能が完備され、ユニバーサルベッドも設置されていて、多目的に利用できるようになっています。トイレの入り口が奥まっていて、車いすの方が開けにくいのが少し気になったのですが、スペースは広々としていて、車いすでも余裕を持って利用できる設計になっているのはありがたいポイントです。
休憩所
ホーム上の休憩所は、出入口が自動ドアになっており、一人でも中への出入りが簡単でした。中で車いすの回転も出来、利用者にとって快適な空間です。
気になる点
方向音痴の僕にとって、駅からキューズモールの各棟への行き方がもう少し丁寧に案内されていたら嬉しいです。北改札口を出るとSTATION棟が目の前にありますが、他の棟への行き方は判りづらい部分もありました。また、キューズモール内に動く歩道(オートスロープ)があり、上下階への移動には便利そうだと思ったのですが、車いすやベビーカーの使用が禁止されていました。安全面での配慮は理解できますが、少し残念なところです。
全体として、箕面萱野駅はキューズモールを目的とするなら非常に便利です。駅直結のモールでショッピングや食事を楽しむには最適な場所です。しかし、それ以外の印象はあまり持てなかったのも事実です。タクシー乗り場はまだ工事中で、福祉車両の優先駐車場は整備されていますが、もう少し充実した案内が求められます。
今回感じたのは、誰にとっても、もっと快適に過ごせる環境が整えば、多くの人が安心して利用できるでしょう。駅周辺の賑わいと利便性は大いに感じられましたが、バリアフリーの細かい点にも配慮してもらえると、もっと素敵な駅になると思います。
◆最後は少し、この地域について深掘りします。
★上田哲郎編☆
新しさと古さの良し悪しも
新しいものができれば誰しもワクワクしたり興味を持ったりします。箕面萱野駅周辺も今でこそショッピングモールや映画館が建ち並び、北急もようやく延伸され、ターミナルとして栄える一方ですが、25年前は田んぼや畑も残っていたようなところです。
利便性がよくなれば人が集まり、人が集まればその周辺に住みたくなり、宅地やマンションも整備されます。でも、それまで長年住み続けてきた人々もたくさんおり、集落やコミュニティー・文化を大切にしてきたのではないかと感じます。
今年の初旬、箕面萱野周辺で地域のフィールドワークを行うイベントがありました。偶然にも参加させてもらい、集合場所である地域のコミュニティーセンターでは子どもらの声が途絶えず、センターに集って温かさを感じました。
まず、近くの小学校で行われていた和太鼓サークルの練習を見学し、その演技・演奏力は大迫力でした。
次にその地域で育った若手職員に、歴史と現状と課題について講義を聞きました。この地域は、過去に差別を受けていた同和地区で、様々な困難を乗り越えていく過程で、人々は繋がりを築いてきました。これからも地域が活性化して、様々なイベントも行いたいとのことです。
ただ、近年越してきた人の中には、「わざわざ今更掘り起こすような事しないでほしい」と思っている人もいるので、そういう考え方とどう協調していくかが課題だと言っていました。
最後は実際に街を歩いて、ホップを栽培しビールを製造している近くの菜園や古道を歩きました。旧家の人の説明で、元からあった地域の団地群と後から造成された宅地の間には、フェンスがあり、団地群と造成地を道で繋げる準備はしているものの、なかなか折り合いが付かず、道は一向に繋がらなくて困惑しているという事例等も、現地を視察しながら聞きました。
新しい物は綺麗で煌びやかで使いやすいかも知れません。でも、なぜ綺麗になったのか?なぜ使い易くなったのか?一つひとつの新しさの背景には、何千何万もの絶え間ない苦労や努力があるし、費やした時間も計り知れない筈です。「わざわざ今更掘り起こすような事はしないで欲しい」という考えも、立ち止まって振り返って広い視野で見つめ直せば、もっと街は穏やかになって、発展もし続ける事でしょう。
・箕面萱野駅ホームの写真(2点)
・電車の乗車位置案内図の写真
・ウッドデッキの写真
・エレベーターのボタンの写真
・箕面船場阪大前駅エスカレーターの写真
・同駅前広場の写真
・バリアフリートイレの写真(2枚)
・券売機の写真
・箕面萱野駅バス総合案内板の写真
・箕面萱野駅南改札口の写真
・同北改札口の写真(2枚)
・千里中央駅の写真
・新型車両と旧型車両の、駅ホームとの段差比較の写真(2枚)
・箕面萱野駅ホーム待合室、バスターミナル、芝生広場、フードコートの各写真
・箕面萱野駅前の連絡通路の写真
・付近に昔からあった団地の写真(2枚)
・新しい住宅地と道路の写真
わくワークみっけ!!
社会参加の第一歩として
びーのマルシェ
豊中市宝山町6-5
06-6848-1279 (豊中市社協)
阪急宝塚線岡町駅から西へ徒歩約6分。岡町図書館の前を通り、まっすぐ進むと、左手に赤い店舗テントのお店が見えてきます。今回取材させてもらった「びーのマルシェ」です。運営者である豊中市社会福祉協議会(以下、社協)の佐藤千佳さんが出迎えてくれました。
〇野菜・パン・新鮮卵・・・・
びーのマルシェは、閑静な住宅街に在る、小さなお店。入口前に置かれた日除けの緑のテントの下では、たくさんの野菜や果物、パン、それに新鮮卵などがズラリと並んでいました。ほかには納豆(取材時は売切れ)や豆腐があったり、5月までは苺が売られていたのですが、6月はスイカが登場していました。冬場になると、果物は柑橘系が8割を占めるそうです。
〇外に出辛い人の居場所創り 社協では元々、引きこもりの人など、外に出辛い人たちの居場所創りという事業をやっていました。これは制度とは別枠で行われている事業で、「豊中び~のび~の」という居場所があるのですが、手帳や診断が無くても利用出来ます。佐藤さんは、「最初は朝起きて出て来れた、周りの人と喋れたというところから始まって、最終的には自分の出来ること(得手不得手)を発見して、次のステップへ進んでほしい」と話していました。
〇高齢者が元気に暮らす
社協には障害福祉のほか、高齢者が元気に暮らしていくために何が必要か?ということを考え、取り組む仕事があります。今回取材で訪れた宝山町は、地域に在ったスーパーが無くなり、高齢者が買い物に困るということがありました。そこで、縁あって無償で借りられたこの土地で、お店を開くことにしたのです。ただ、商売に関しては、社協単独の力では出来ないので、「豊中市小売商業団体連合会」と組んで営業することになりました。
地域の人からは大変喜ばれており、家まで付き添って、買った物を運ぶ手伝いもしているほか、依頼があれば配達もするということです。
〇「店員」という就労体験
取材時に、びーのマルシェの店員をやっていたのは、元々引きこもりで、び~のび~ので活動したのち、現在は社協の職員として働いている人でした。他には、小売商業団体連合会の人が応援に来るのと、豊中び~のび~ので活動する人の内、店員をやってみたい人が交代で務めているそうです。
年代としては二十歳過ぎから五十代まで。男性が多かったですが、最近は女性も増えてきたということです。
〇人間関係に終わりは無い
びーのマルシェは、飽くまでも「次に進むための体験場所」として位置付けられており、一定期間店員を体験した人は、就労移行や一般就労などに進んでいくことになります。社協はそのための支援を行う訳ですが、佐藤さん曰く、「居場所として終わっても、人間関係に終わりは無い」。
月に1回、OB会を開いているということで、OBと現役が一緒に過ごし、OBが現状を報告しています。一般企業に就職した人もいれば、一度就職したけど、またOBから現役に戻って再出発した人もいるそうです。OBが現役の相談に乗ったりもしますが、こうしたアフターフォローがあるのは大変心強いですね。
〇豊中にこういう場所がある 取材の最後に、「自分の周りに、行き場が無くて引きこもっている人がいたら、ここを紹介していいですか?」と尋ねたら、「是非お願いします!」と、力強く答えてくれました。
「こういう場所の存在を、もっと豊中の人に知ってほしい!」これが、佐藤さんからのメッセージです。
※営業は平日月曜から金曜の10時~15時半。
(担当:根箭)
・びーのマルシェの、店頭で野菜などを売っている様子の写真(2枚)
・店の内部の写真
IL活動を訪ねて三十里 [JCIL編]
CIL他団体に学ぶシリーズ第二弾、今回は京都市南区東九条松田町に在る、日本自立生活センター(JCIL)を訪ねました。取材は去る6月5日に行い、下林慶史さん、大藪光俊さん、香田晴子さん、野瀨時貞さんの4名が対応して下さいました。
【運動体は敢えて任意団体で】
JCILは、原型となる運動体のほか、共同作業所と介護派遣事業所の3つから成っています。先ずは運動体として1984年に活動を始めました。そして、活動を続ける中で、やはり働く場も必要だということで96年に作業所が立ち上がり、更に誰もが地域で暮らせるための介護保障ということで、03年に自立支援事業所が立ち上がりました。
現在、法人格を取っていますが、運動体のみ任意団体となっています。運動体は行政に対して交渉したりしなければならず、それを考慮して任意団体を貫いています。
【約10人の当事者が関わる】 運動体には約10名の障害当事者と、中心になって関わる2名の健常者がいます。 週1回、ほぼ全員が集まって会議を行い、活動報告をしています。最近では、UDタクシー(車いすのまま乗れる、背の高いタクシー)がもっと乗りやすくなるよう、乗務員の研修を呼び掛けています。「こういう内容でどうですか?」とタクシー会社にアンケートを送り、現在返事待ちです。
ほかに毎年1回、テーマを決めてみんなで話し合うシンポジウムを開催しています。優生思想、社会資源の地域格差、障害の多様化など、シンポジストも招いて社会に発信しています。
【地域移行への取り組み】
筋ジストロフィーの当事者もいるJCILでは、「筋ジス病棟の未来を考える会」というネットワークに入っています。筋ジス病棟はまだまだ自由が少なく、地域移行を進める上で大きな壁になっています。そこを改善するための活動をしており、その一つとして、患者が地域の人たちと繋がるオンライン交流会を、毎月開催しています。交流を通じて地域移行に繋がりやすくなればというのと、今はまだ望んでいなくても、地域の情報を得たり、CILが何をやっているのか見えてくるというのは、大変重要な機会だと捉えています。交流会を一つの生き甲斐にしている固定メンバーいるということです。
【お祭りにも関わっています】
京都では1978年から毎年、「京都福祉まつり」が行われています。これは障害当事者が企画し、周りの人がサポートして作り上げるお祭りで、JCIL職員が実行委員長を務めています。昨年度は「とりあえず会いましょっ」をテーマに、歌や踊りやクイズで盛り上がり、人権や福祉について考えるコーナーもありました。色んな人と交流出来ることが目的で、今年度は25年3月9日に開催予定です。
【ピアカンとピアサポート】 今回の取材で大変印象に残ったのが、「ピアカウンセラーという言葉の響きは、どこかカタく、専門的な響きに感じる。ピアサポートの方が、より対等な感じがしてしっくりくる」という言葉です。
JCILにも当事者が相談に来ることはありますが、「スキル」を意識することはなく、寧ろ現場経験を通じて、自然と手法が身に付いたという感触です。ピアスタッフ同士でも、おやつを食べながら雑談から入ったら、その延長で相談になっていくのだそうです。
言葉の違いだけではありますが、「カウンセラー」よりは「サポート」のほうが、よりフラットで双方向に支え合う関係という響きが伝わってくると、取材者も感じました。
【若手も入ってきています】 今年から、27歳の若いスタッフが1名入ってきました。若い人はやはり「運動」と聞くと、抵抗を示す傾向があるようです。ただ、現在の職員も、最初は「運動は自分とは関係ない」と捉えていたのが、活動する中で、もっと色んな、自分に出来る運動もあるということに気付いてきました。運動のイメージが参加を難しくさせている面も否定は出来ず、運動と接点を持てる切っ掛けがあれば、イメージは変わってくるのかも知れません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
JCILは日頃の活動を、YouTubeでも数多く配信しており、様々な動画を視ることが出来ます。こうした映像面での積極的な活動と、地域との継続的な交流は、CIL豊中にはなかなか出来ないことで、見習っていきたいです。
皆さん、有難うございました。
(担当:根箭)
・JCILの事務所の外観と、中で取材中の様子の写真が各1枚
豊中地域情報ばびゅーん!!
たこ湯 ~みんなが集う場所~
皆さんは銭湯が好きですか?私はお風呂が大好きですが、車いすユーザーなので段差などを気にしてしまい、なかなか行けません。でも最近、「障害者でも分け隔てなく利用できる銭湯」があると聞き、取材をしてきました。
訪れたのは、豊中市曽根東町にある「たこ湯」です。単なる入浴施設以上の役割を果たし、地域の人たちが交流するためのコミュニティスペースとして機能している銭湯です。地元の人々にとっては、なくてはならない存在で、明るく元気な女性オーナー、濱岡さんに話を伺いました。
みんなで楽しむ飲食スペース
「たこ湯」の大きな魅力の一つは、広々とした飲食スペースです。たこ焼きをはじめ、ラーメンやポテトなどの美味しいメニューが並び、駄菓子も揃っています。子供も大人も楽しめるスペースで、お風呂の後に食事を楽しめます。そうして自然と地域のコミュニティが築かれているのです。
濱岡さんは、「ここでは誰もが家族のように接することができる」と語ります。たこ湯では、どんな障害がある人も温かく迎えられます。例えば、固いものを噛み切れないお客さんには、料理を細かく切って提供してくれます。私、大岩も固いものが噛めないので、こうした配慮は本当にありがたいと思いました。
誰もが安心して利用できる場所
「たこ湯」の最大の魅力は、どんな人でも安心して利用できることです。法律で合理的配慮が義務化されても、現実には障害を理由に利用を断られる銭湯も多いですが、「たこ湯」では浴槽へ行くまでに少し段差があるものの、ソフト面でのバリアフリーが行き届いており、ずり這いの方でも普通に利用できます。重度の障害を持つ子供が訪れた際も、家族が一緒に入浴しやすいよう、工夫してくれます。
「たこ湯」の温かい雰囲気は、こうして創り出されているのだと思いました。
心のこもった気配り
毎日顔を合わせることで、お客さんの小さな変化にも気付きます。日頃の付き合いから、少々のことは許し合える雰囲気が自然と生まれています。濱岡さんは細かい気配りを欠かすことがなく、特に一人暮らしの高齢者への対応は丁寧でした。あるおじいちゃんは、毎日たこ湯でビールを飲み、たこ焼きを食べるのが日課です。三日以上来なかったときは、その方の身内に連絡を取ります。誰かが見守るという姿勢が、独居の高齢者の孤立化を防ぐ大きな力となっています。
長い歴史を持つ銭湯
「たこ湯」は、濱岡さんが生まれる前から存在していました。阪神大震災の影響で一度倒壊しましたが、その後再建されました。その際、地元のニーズに応えるため、たこ焼きの屋台を併設するなどの工夫をしました。この発想は斬新で、地域の子供たちや家族連れから大変好評でした。
充実した施設
「たこ湯」には、サウナ、水風呂、ジャグジーなどの施設があります。特に水風呂は12度と非常に冷たく、これが自慢です。2階には露天風呂があり、そこから飛行機がすぐ上を通るのを眺める絶景を楽しめます。お湯の質も良く、子どもが夜泣きをせずに、朝までぐっすり眠れるのだそうです。
イベントと料理、託児所にも
たこ湯では、ワイン風呂やしょうぶ湯など、季節のイベントが行われます。冬はおでんが大人気で、こだわりの素材をふんだんに使っています。
さらに、居酒屋や託児所としても機能しており、土日には子供たちが宿題をしたり、自由に遊ぶスペースとして利用されています。濱岡さんは、子供たちに宿題をするよう促すこともあるそうですが、子供たちはそんな濱岡さんを「おばちゃん」と親しみを込めて呼んでいます。
これから
「たこ湯」が地域に根ざしたサービスを提供し続けることで、豊中市のコミュニティー力がさらに強化されていくことでしょう。
「たこ湯」の姿勢や取り組みは、「どんなに重い障害を持つ人も、自立生活ができる社会」におけるモデルケースにもなると思いました。
(大岩)
・たこ湯外観の写真
・番台にて、取材者大岩と、たこ湯の濱岡さんとの記念写真
2023年度ILP講座報告
今年度の自立生活プログラム講座は「コミュニケーション」について学んでいきました。申し込みは2名からあったのですが、体調不良で1名は受講出来ず、受講者は1名でした。
〇1日目『制度の話と人権や障害者運動について』
最初に恒例の他己紹介を行いました。他己紹介のテーマは「みんなから呼ばれたい名前、特技、好きなアニメまたはマンガ」。以前にも個別ILP講座で他己紹介を経験している受講生だったので、スムーズに出来ました。
その後は、前半は当センターの講座担当でもある濵名から、制度の種類や使い方について学び、後半は当センターピアカウンセラーの上田から、パワーポイントと映像で、人権や障害者運動について学びました。
〇2日目『先輩の話』
今回は二人の先輩にお話をしてもらいました。
一人目は一人暮らし10年目を迎えた西村泉さんです。西村さんはストレッチャー式車いすで全介助のため、介助者とのコミュニケーションが必須です。例えば、探し物や料理を頼むことを、動画や写真・イラストを見せて伝えていると教えてくれました。
そして、最近のコミュニケーション手段はLINEやZOOMやOriHime、SNSなどを使用しているそうです。
受講生にヘルパーさんには自分がこれからすることと、自分がどうしていてほしいかをきちんと伝えておいた方がいいとアドバイスをされていました。
二人目は塚原佳子さんです。塚原さんは言語障害があるため、前もって自宅で受講生に伝えたいことを紙にまとめてきてくれました。その紙を塚原さんのヘルパーさんが代読しました。
塚原さんは幼い頃、親に自分の言葉が伝わらずによく泣いていたそうで、トーキングエイドと出会い、インターネットの普及でメールを出来るようになって、世界が変わったそうです。
今は二次障害でトーキングエイドが使えず、指で文字をなぞり、書く方法と、あかさたな話法(五十音を順番にヘルパーさんに読み上げてもらい、該当する文字のところで手を挙げる)で、コミュニケーションを取っているそうです。
その他には、共有のノートを作ったり、介助方法や買い物レシピなどを壁や冷蔵庫に貼ったりして生活されています。最近は感度がよくて、少し握るだけで反応するパソコンスイッチを作ってもらってパソコン操作がしやすくなり、コミュニケーション意欲が増してきているそうです。
〇3日目『ITOゲームとシチュエーションクイズ』
ボードゲームに詳しい成瀬さんという方がゲストで登場。進行役を務めました。
先ず1~100のカードを配り、その数字にあてはまる「人気のある食べ物」(りんご、タピオカなど)を、数字は発表せずに、みんなが連想するものを言いながら、数字が小さい順に出していくゲームです。なんと1戦目で成功しました。
後半はシチュエーションクイズをしました。これは、これから自立生活していく上で起こりうるシチュエーションについて、クイズをしました。スタッフによるロールプレイを見てもらい、受講生が答えるという形で行いました。
〇4日目「振り返りと交流会、寄せ書きゲーム」
前半は1日目から3日目の振り返りを、受講生とスタッフ共にしました。
後半は成瀬さんに再登場してもらい、成瀬さん考案の寄せ書きゲームをしました。このゲームは、「ターゲット」の良い印象をそれぞれが書き出していき、それを誰が書いたのかを当てて、最後にその言葉を寄せ書きにして贈るというゲームでした。受講生がターゲットとなりました。
これから生活していく上でコミュニケーションがとても大切になります。この講座が受講生に役立ってほしいと思います。
(担当:瀧本)
・制度についての講義の写真
・先輩の話の写真(2枚)
・ゲームの様子の写真
・受講生とスタッフで集合写真
4月より障害福祉制度、一部見直しが行われました
障害福祉は、原則3年に一度見直しが行われます。2024年度は見直しの年であり、様々な改定が行われました。
このうち、当法人で実施している「居宅介護」、「重度訪問介護」、「生活介護」、「放課後等デイサービス・児童発達支援」について、改定の主なポイントをご紹介します。
<居宅介護>
通院等介助等について、居宅が始点又は終点となる場合には、通所事業所等から目的地(病院等)への移動に関しても、同一の事業所が行うことを条件に、支援の対象とする。
<重度訪問介護>
入院中に利用できる対象者を、コミュニケーション支援が必要な障害支援区分4,5,6の者に拡大する。
<生活介護>
基本報酬をサービス提供時間別に変更。但し、障害特性等により、利用時間が短時間になる者への配慮として、個別支援計画に定めた標準的な支援時間で算定することを基本とする。
医療的ケア者や重症心身障害者に対して、入浴支援加算を創設する。
<放課後等デイサービス・児童発達支援>
基本報酬をサービス提供時間別に変更(主たる対象が重症心身障害児の事業所は除く)。
但し、個別支援計画に定めた標準的な支援時間で算定することを基本とする。
医療的ケア児や重症心身障害児に対して、入浴支援加算を創設する。
(徳山)
哲珍の部屋
勝手な入院中の役割で社会が変わる!?
三週間ばかり、主に障害児者が治療を受けるリハビリ病院に入院していた。
主に身体障害の方々と同室で、一般企業に勤めてて身体の事を考えて離職して帰郷を考えてる40代の方や、障害者枠で企業勤めしているものの先行き心配だから、コツコツ貯金して古い長屋を購入して改修し、微々たる収益を上げているという50代の方とすれ違いながら過ごし、新たな考え方の幅も広がった。
夜の空き時間は親子入院してる方と関わりを積極的に持ち、子どもらには色々遊んでもらったり、親御さん等には一つでも役に立てば良いかなという事を発信して質問に繋げれるような話もした。府内・関西はもちろんの事、中京圏や遠くは関東から来られ、子どもや孫のために何ヶ月も入院し集中的にリハビリを受けさせ、子どもや孫が大人になった時に、より動けるようにと。
自分の成長を振り返ると、リハビリを受けさせる事に否定はできない。けれど、あまりリハビリを積極的に受けさせ過ぎてもどうかなと思う。
豊中から来たと云うと、福祉が進んでいるとかインクルーシブ教育が凄いんだと思われて、補装具の話や地域の学校の話題になる。ほんとは我が子も出来る事なら校区の学校に通わせたい気持ちはあるけれど、うちの地域ではそんな雰囲気がね、て云う声もちらほら聞こえた。
ここだとばかりに生い立ちからエピソードを引き出してさりげなく伝えながら、子どもらには遊んでもらう。数日後には、この子を支援学校じゃなく地域の学校を挑戦してみようかなと思ってると。無責任という葛藤も少なからずあるけれど、それでも伝えていかないと。
もちろんリハビリでは、1日3時間みっちり柔らげられたり適所に筋力を付ける指導も受けた。結果身体は前と比べ、雲泥の差で柔らいだ。
いつも考え続けている事だが、入院中も「CIL豊中」としての役割を考えていた。「障害者を」豊かにするのか、「障害者が」豊かになるのかどちらなのか。一人はみんなの為にみんなは一人の為にか、一人は一人の為にか、なのかもしれない。
東京大学や日弁連や国会議員の方々が豊中のインクルーシブ教育に興味を持たれている。一人は一人の為でなく、みんなが一人のために動いていける「CIL豊中」でいかないと。
(上田哲郎)
連載:運転免許取得
[極秘]プロジェクト
いよいよ車を注文することが出来る状況になったので、トヨタに注文をしました。すると、車が出来上がるまで、約3ヶ月掛かりました。そして、車が出来上がったあとは埼玉県のミクニ ライフ&オートに輸送してもらい、改造が始まりました。なんと!!改造が終わったのが6ヶ月後だったので、びっくりしました。けども、それをしない限り、私が運転できる車はできないので、待つことにしました。
それから4ヶ月ほど経った頃に、経過報告と調整(ジョイスティックの位置決め)をするため、また再び、埼玉県のミクニ ライフ&オートへ行くことになりました。
この時まだ母親に車の話はしていないため泊まりで行くことができないので、今回も早朝5時出発し、午前0時頃に帰宅する「弾丸埼玉ツアー」で行くことにしました。今回は2回目なので、スムーズに予約が取れてヘルパーさんとの日程も決まりました。
そして、お昼にミクニ ライフ&オートへ到着し、打ち合わせの時に私の車が目の前に!!初対面でした。それからその車にジョイスティックを取り付ける場所を決めるため、自分の車に初乗車しました。すると、改造しているときに車内を汚さないようにするために車内にはビニールシートが張り巡らされた状態で、自分の車ではない感じがしました。
そのジョイスティックの付ける場所もいろんな場所の例があって、運転席ドアに付けるものとパイロットの操縦レバーみたいに運転席のど真ん中にあるものを提案されました。私の場合、右手で運転するつもりだったので、運転席ドアに付けるものにしました。あと、ウィンカーやワイパーなどの操作を運転席と助手席の間にボタンボックスを設置して、そこにウィンカーとワイパー(早めと遅め)と、クラクションのボタンを作るという話になりました。打ち合わせが終わると帰宅しました。
(瀧本香織)
・車の内部の写真2枚
小説【雅人の一日】
コロナ禍がはじまって以来、封印してきた駅前のラーメン屋に、いちばん安価で、いちばん旨い『あっさり中華そば』を食べに出かけた。
すっかり暮れた帰り道、ところどころに薄っすら残ったシャーベット状の雪にさえ、レバーをつまむぼくには、つんのめるように上体が大きく揺さぶられた。
北国の電動車いすの人たちは、どうやって冬を乗りきるのだろうか。
「だから『やめときましょう』って、言ったじゃないですか」
「月山くんには、一本とられたなぁ」
「でもね、強がってたんですよ。雅人さんと比べたら、マシなことはたしかだけど、人並みにパソコンを使いこなせるって言ったのは、話を大盛りにしてたんですよ」
「なんとなく、気ぃついてたけどな」
「昨日だって、ネットで本を注文しようとしたら、ログインにパスワードを忘れただけでパニックっちゃってね、兄貴に助けてもらうハメになったんです。でも、親からいつも比べられて育ったからね。雅人さんなら、この先はわかってくれますよね」
「さっき『どうしても外へ出たい』て、ごねたら、どうすんのや、聴いたやろ。それまではウソとは言わんでも、キレイなとこばっかり並べられて、すごい歯がゆかったんやで」
「雅人さんて、きっと、さみしがり屋なんですよ。傷つくのを覚悟で、相手の肉声が聴こえる距離まで近づかないと、気がすまないんだと思います」
あまりにも的を得た洞察に、思わずぼくは息を鎮めた。
「久々の外食やったし、ちょびっと雪道体験までしたさかい、けっこう疲れてしもたわ。もうじき、泊まりの鳥居くんが来よるけど、引き継ぎは任せるしな。それより、月山くんの分析がおもしろかったし、次回は当事者からみた『さみしがり屋のいま、むかし』を話そかな」
「あんなにムキになれたのは初めてだったし、利用者さんに対してNGを連発するなんて、あり得ない話ですよね」
「教科書どおりにしとったら、物語に気づかんよぉになるし、仕事がつまらんよぉになってきよる。公平にしよとしすぎたら、一人ひとりの違いが実感できんようになって、虐待みたいなことが起きやすなると思うんや」
「働きすぎとか、給料が安いとか、問題にされることは多いけど、それだけに左右されるものでもないし、虐待なんかとも結びついて、モチベーションの中身って大切ですね」
「目に見えることも、見えないことも、重たいで」
「このつづきもしたいし、コロナも一段落してきたから、おいしいお店に連れて行ってくださいね。社交辞令じゃなくて、ホントにですよ」
「・・・・・・」
「もう寝てるわ。これだけストンと寝落ちして、大丈夫かなぁ・・・」
首もとまでお布団をかけなおして、彼は年代物の事務机の傍に座り、ひとつ伸びをすると、黄色の記録用ファイルを開いた。
ラジオからは、耳慣れたアナウンサーの低音で、大雪への警戒が呼びかけられていた。
ぼくはうす目を開けて、一部始終を追っているうちに吹きだしそうになり、それから、意識は遠のいていった。
(北のグリエゴ)
ねや散歩 Part.17
前号で、「次は犬カフェに行った話を書く」と述べていたが、都合により、別の話を。
よく「モチベーション」と言う。物事を行う上で、モチベーションというのは大変重要であるが、私はこの4~5年で、人間のモチベーションで最も強力なのは、「応援」と「恩返し」だと思うようになった。「誰か(何か)を応援したい」、「誰か(何か)に恩返しをしたい」、という気持ちが、数あるモチベーションの中でも最強だと思えてきたのである。
「応援」というモチベーションは、ポジティブな気持ちを呼び込む。夢に向かって頑張っている人、自分を磨いて表現している人を傍で見ることで、自ずとポジティブなオーラを享受する事が出来る。
「恩返し」というモチベーションは、感謝の気持ちを呼び込む。仕事で心が弱った時、ストレスで感情が乏しくなった時、自分を癒してくれる存在があった。それを思い出すことで、自ずと感謝の気持ちが蘇ってくる。
「感謝」という心は、平和への基礎となるから、自らを感謝の心で包み込むことで、平和な、他人を攻撃しないマインドが出来る。
「応援したい対象が多いほうが元気になれる」。
これは私の持論である。勿論、無理にならない程度にという前提はあるが、色々なところを応援することで、自分自身が生き生きしてくるのを肌で感じた。元気をもらうだけではなく、「自分が決して孤独ではない」という手応えを得られるのも大きい。
仕事がしんどい時は、「あと何日頑張ったらこのライブや」とか、「今日は仕事の後、この映画や」と思うことがモチベーションになる。そう、「楽しみが控えている」というのも強力なモチベーションになることに、今気付いた(笑)。
私は、2015年夏頃から16年春頃まで鬱病になっていたが、疾病当時は気付いていなかった。2023年3月に、ある鬱病体験者(診断もされた人)から、具体的な症状について聴く機会があり、私が体験していた症状と酷似していることから、「自分は鬱病だった」と結論付けた次第だ。具体的には、「呼吸が不自由で苦しい」というのが主症状だったのだが、実は疾病当時、私はメンタルクリニックの医師に、症状を抑え気味に報告していた。何故なら、ストレートに本当の症状を言うと、自分だけしんどい仕事から逃げようと画策しているみたいに思え、「逃げたい」という本音を直視する勇気が無かったからである。
趣味も楽しいと思えなくなっていた私にとって、心の拠り所は音楽や愛犬だった。だから、今でも音楽に関わる人に対しては、恩返しをしたい気持ちに凄くなるし、「応援したい」との両方の気持ちから、ライブに参加している。
そして愛犬。鬱病時代の私にも寄り添っていた愛犬は、2021年10月に逝ってしまったが、その後私は、日本レスキュー犬協会に毎月寄付をするようになった。犬関係の場所ということで、せめてもの恩返しである。
今、我ながら「こういう生き方は楽しい」と感じている。因みに、「応援・恩返し」の、それぞれ反対語は何だろうか?幾つか答えはあるだろうが、私は「罵倒・仇返し」だと思う。この2つを軸に生きている人がいたら、今すぐ生き方を変えてほしい。叱責ばかりするクレーマーとか、恩を恩だと全く気付かないとか、そういうマインドは更なる負の流れを呼び込む。人生が不幸色にしか染まらない。
(ねやたろう)
・作者が訪ねた、ある街の写真
・作者の愛犬の写真